home!

「れ」


1999年鑑賞作品

レイジング★ユーバリ RAGING YUBARI
1999年 96分 日本 カラー
監督:前島誠二郎 脚本:前島誠二郎
撮影:西村喜廣 音楽:(スーパーバイザー)平岡憲(UK PROJECT)
出演:SARU 松本航平 紅井ユキヒデ 西田圭 小松沢陽一


1999/11/30/火 劇場(シネマ下北沢/レイト)
真冬の夕張のパウダースノーが山盛り積もっている中を、そしてびうびうに吹きすさぶ中を、くわえ煙草で顔をしかめながらラーメン屋台を引っ張る女。“ゆうばり”と赤ちょうちんに平仮名の筆文字で書かれ、屋根の四隅には真っ赤なカニ爪。ギャーンと鳴り響くインディーズ・ロック。うーん、なんだかとってもハードボイルド!?客なんか来んのかい?と首を傾げたくなるような人っ子一人いないうらぶれた雪道に屋台をだし、夕張メロンゼリーをむさぼり食いながら、いくら吹いても息しか出ないサックスを吹いてせき込む。ゴホゴホゴホ。フラッシュバックされる過去。なななんと、腹に巨大なカニ爪(ハサミ)がぶっ刺さっていて!?“サックスを吹くと命にかかわる”体になってしまっている女。

と、こうくる設定だけは何とも破天荒でナイスな作品なのだが、今一つ弾けきれないのは何でだろうなあ?このヒロインのふてぶてしさもナカナカイケてるんだけどね。設定はナイスだが、結局のところ借金取り=悪役たちとのバトルという単純なお話に帰結してしまっているせいなのか、あるいはその借金に追われる男(松本航平)の吃音気味のしゃべりにいささかイライラとさせられるせいか(しかもこいつ、ラーメン頼んどいて喋ってばっかで食わないし、ラーメンの上に鼻血落とすんだもん)。夕張メロンゼリーを山積みにして喜んでいたり、巨大なナルトが乗っているナルトラーメン(チャーシューとかだったら判るが……)のナンセンスさ、オリジナルラーメンを作ろうと奮闘するヒロインの今は亡き父(小松沢陽一)が栄養ドリンクを麺にかけて食ったりする描写が期待するほどには面白くなくて。

このサエない吃音の男が、ヒロインの父もそのせいで死んだ悪徳金貸し屋に一矢を報いようとする。他の客が返済にあてるために持ってくる宝石を頂こうってわけだ。しかも悪徳金貸し屋の二人は内部分裂をおこしていて、たった一人の社員である男はこのサエない男を引き入れて社長を陥れようとしている。双方の思惑が交錯し、銃弾とナルトが飛び交う!?何とか奪った宝石を一時的に屋台のスープの中に隠すも、金貸し屋がやってきてラーメンを注文、「スープを変えたな、いい味だ」だなんて、その前に頼んだ夜警の警官はその宝石ダシのマズさに吹き出したというのに、なんなんだコイツラは?

クライマックスはみどころだ。本当に足を踏み入れられていない大雪原を、女が屋台を引き、男がそれを後ろから押す。早く屋台を置いて逃げようという男に女は言う。屋台をやめる時は、この屋台を父親の墓に返すと約束したのだ、と。山の向こうにある墓に向かっておたけびをあげながら進むも、腰までつもっている雪に阻まれて進めない。そこへ、二人が宝石を奪ったと感づいた金貸し屋が追いついてきた!銃をぶっ放してきて二人は絶体絶命。と、唐突にサックスを吹き出す女!?しかも音が出ている!銃弾がチュインチュインと彼女をねらう中を走り抜け、屋台のかげに転がり込んで男に言う。「あたしのサックス、いい音してたろ」……んなこと言ってる場合かー!ふと屋台を見やった彼女、「最強の具ってそういうことだったのか、親父!」え、え、何何と思っていると、ちょうどサックスのサイズになっているくぼみにサックスをはめ込む、と両側から風船がふくらみだして(チープなノリだなー)なんだかあちこちにボタンやらハンドルやらが!?「ラーメンにとっての屋台は最強の具なんだ!」と訳のワカラナイ理屈で屋台が迎撃ミサイル装備?のスーパー屋台に大変身!?なんだなんなんだ一体!!!かくして悪徳金貸し屋を撃退し、炎上する屋台をバックに同志の二人は足を引きずりながら立ち去ってゆく。うーん、やっぱりハードボイルドかも??

焼け落ちた屋台の後から宝石を取り出して男と山分けし、焼けこげた屋台の“遺骨”とラーメン丼を父親の墓におさめる女。降り積もった雪にまみれながら仰向けに横たわる姿は、実は冒頭で見せていたものだったのだな。

夕張国際ファンタスティック映画祭から飛び出した、ゆうばりシネマ・サポーターズ第一回企画作品。最近、本当にようやくという感じでこうしたローカル発作品が出てくるようになった。機材の普及などを考えればもっと早くそういう状況が来ていてもおかしくなかったのに。大阪発の作品ですら、まだまだ大きくブレイク出来ない中、アイディアは抜群のこの映画の登場は嬉しいが、アイディア以上に面白くなれていないのが惜しい。本当に寒そうな本物の夕張の冬景色はおおいに魅力的だけど。なんかそのナンセンスなチープさに♪バリバリゆうばり〜♪というローカルCMを思い出してしまった……。そういや宣伝コピーも“バリバリ夕張のチャルメラ・リベンジ・ストーリー”なんですな。しかしなんだそりゃ……。★★☆☆☆


RAINBOW
1998年 52分 日本 カラー
監督:熊澤尚人 脚本:熊澤尚人
撮影:福本淳 音楽:梶浦由記 GOING UNDER GROUND かんじゃゆうこ Needles quadraphonic キクシマハルノブ 和田嘉浩 easy livin’
出演:草野康太 武森明日香 河原輝美 宇佐美総子 サオ・タイロン りりィ

1999/7/27/火 劇場(テアトル新宿/レイト)
前作で劇場長編デビュー作である「HOBOS(ホーボーズ)」の清新さ、ユーモラスさ、若々しさ、音楽の良さが気に入っていたので、その熊澤監督の第二作ということで足を運んだ。……なんとか第一作を撮ることは出来ても、第二作めからが大変なのだ……第二作が撮れないか、凄くブランクが空いちゃうか、撮れても第一作めから向上するものがないか、あるいは、第一作めからさえ後退してしまうか……。熊澤監督の場合、“ユーモラスさ”が特に、今回すっぽりと抜け落ちてしまっていた。音楽は相変わらずいい。若く、才能のあるミュージシャンたちと交流があるのだろう。美しく、心にさざなみをたてるような音楽は、昨今の流行りものの騒々しさとは無縁のところにある素晴らしさだ。しかし、いいところといったらそれぐらいなのだ……。

52分、と思い切って削ぎ落とした時間内で語られる物語は、ラブストーリーのように見えてラブストーリーではない。それはヒロインであるChil(武森明日香)が締めくくりのラストシーンで言うモノローグ、「彼と一緒にいると凄く楽しいけれど、これは愛ではないと思う」という言葉が、決してポーズではない響きを持っていることから判る。ラブストーリー未満、これからの発展も判らない、かといって同志というには弱い結びつき。

それよりもこの物語はまるで、教育映画かと思うほどに、ごみ問題に終始している。ごみで埋め立てられた夢の島、ラスト、二人はそこに到達し、死んでしまった小猫“手袋”を埋める。手袋はごみのように捨てられていたのをToy(草野康太)が拾い、Toyの同居人(サオ・タイロン)によって誤ってごみと一緒に入れられてしまい、死んでしまった。このToyと同居人の部屋のごみの量の凄まじさや、冒頭に海に打ち寄せられているごみ、とにかくごみ、ごみ、ごみの描写に圧倒される。あらためて、私たちの消費生活の愚かさに慄然とさせられるのだけど、でも、その強烈さをこの映画で観せられるのにはどうも違和感を感じるのだ。

……多分、熊澤監督だって、“ごみ問題を考えましょう”という趣旨でこの映画を作ったわけではないだろうが、ごみはそれ自体の存在感を持って、シナリオで語らなくても別の物語を私たちに語りかけてしまうのだ。だからヘンな感じがする。冷静に考えてみると、この映画の中でのごみは、まさしく夢の島に捨てられてしまった子供であるToyや、自分の行き場が判らずさまよっているChilの暗喩であり、それ以上の意味を持っていない……いや、持たせてはいけない。恋愛未満である二人の“ラブストーリー”のはかない美しさが心に響く前にこぼれおちてしまうのは、多分、この暗喩であるごみの位置づけをコントロール出来ていないせいなのだ。Toyがいわゆる“じゃぱゆきさん”の子供であることや、Chilの友人関係のもろさ……あたりさわりのない話をしてそこそこにはしゃぐことしかしない……や、彼女の望まない妊娠などが彼らの浮遊感を増大させていくのを、ことごとくこのごみの存在感がジャマしてしまう。

彼女は妊娠が判ると婦人科に行って、迷わず堕胎を希望する。受付で「堕ろすのって、どれくらいかかりますか」と声をひそめながらも、わりと悪びれなく聞く彼女に、ややショックを受けながらも、こんなもんなのかな、とも思う。そこへ、遊びなれた風の若い女がChilの手をひっぱり、「一万円で確実な方法、教えてあげる。あたしもこれで成功したから」と言って、『割り箸を燃やして灰を作り、それを水に溶かしたものをコーヒー濾紙でろ過して灰汁を作り、鼻をつまんで一気に飲む』という怪しげな方法を伝授する。Chilはまた悩みもせずにその方法を実行しようとするのだが、割り箸を灰にする前にボヤを起こしてしまい、あえなく失敗する。

……このエピソードをどう解釈したらいいのだろう?彼女はToyに「自分の居場所さえ判らないのに、お母さんになれるわけ、ないじゃない」と泣くが(別にToyの子供ではない……これもまた語られないけど、元彼の子らしい。しかし、全然それをその元彼に言わないんだよな)だからといって、こんなにも葛藤なく堕ろそうと出来るものだろうか?……いやいや、だからこその主張なのか。あっさりと、ごみでもすてるように、本当にそんな事は簡単なのだと……でもChilは失敗した。すすけた体を引きずってToyのもとへと行くと、まるで自分の赤ちゃんのかわりになったように手袋が死んでしまっているのだ。

草野康太、なんだか随分印象が変わった気がする。最後のクレジットが出るまで、私は彼と判らなかった……金髪にしているせいもあるのかなあ、体もやたらとでかくなっちゃって。ヒロインの武森明日香、彼女がね……。冒頭のモノローグで聞かせるような、落としたトーンの声はなかなか心地いいかな、と思ったんだけど、実際の声はあまりにもアニメ声で、ツラい。なんか、カマトトッぽく響くのだもの。そしてこれは全般的に、台詞が非常に聞き取りづらい。ナチュラルさを大事にしているのかなあ……それにしても聞こえなさ過ぎる。白っぽい画面はそれなりに魅力的な映像だけど、なんだか最近、この手の画像をやたらと観るのでなんだか飽きが来てしまった……流行りなのかなあ、意味もなく叙情的にしてるみたいで、ちょっといやになってきちゃった。

タイトルが不可解である。レインボウ、虹……レインボーブリッジにかけているのだろうか……それにしてはちょいと場所が違う気が……。それとも、“虹の架け橋”とかなんか、そういう事だろうか?「オズの魔法使い」でそれぞれガラクタ扱いされていた登場人物(?)と重ね合わせているのかもしれない。

“妊婦”役でクレジットされていた片岡礼子、え、一体どこに出ていたの?……彼女、最近見ないよなあ……。★★☆☆☆


レッド・バイオリンTHE RED VIOLIN
1998年 131分 カナダ=イタリア カラー
監督:フランソワ・ジラール 脚本:フランソワ・ジラール/ドン・マッケラー
撮影:アラン・ドスティ 音楽:ジョン・コリリアーノ
出演:サミュエル・L・ジャクソン/カルロ・セッチ/クリストフ・コンツェ/ジャン=リュック・ビドー/ジェイソン・フレミング

1999/6/10/木 劇場(シャンテシネ)
久しぶりに噛みごたえのある作品に出会った。壮大な歴史を巻き込んだストーリー、というと、えてしてお高くとまっているような映画であったりするのだけど、物語の面白さ、衝撃の事実など娯楽的面白さをふんだんに盛り込みつつ、そうした壮大さ、神秘的かつ官能さを画面に横溢させている秀作だ。

現代の弦楽器オークションの場から物語は始まる。このオークションの場面は映画中、節目節目にあらわれ、世界中の各国を旅するバイオリンの物語を一つの流れに集約する役割を担っている。そのオークションの場面で問題の“レッド・バイオリン”を競り落とそうとしているのがその物語に関係した人たちだからだ。その始まりは17世紀イタリア。臨月の愛妻のために、ひいては生まれ来る子供を音楽家にするために精魂込めて作り上げられたバイオリンである。しかし妻は子供とともに産褥のために死ぬ。その夜、なにか決意を秘めたような顔で出来上がったバイオリンにしあげのニスを塗る夫。その色は奇妙に赤く、乾かすために釣り下げられたバイオリンのいでたちはまるで血だらけの胎児か、臓物のようにグロテスクにさえ見える。妻はこのしあげ前のバイオリンに何か普通とは違うものを見出していた。それは共鳴だったか、反発だったか……。

そしてこのバイオリンが最初に渡ったのはオーストリアの修道院。孤児院でもあるこの修道院の子どもたちによる弦楽団の、ソロパートの子供に代々引き継がれていったこのバイオリンは、一人の神童に行き着く。彼、カスパー・ヴァイス(クリストフ・コンツェ)の天才ぶりに驚いた修道院の僧たちは、彼の才能を伸ばすべく高名な音楽家の元に少年を引き取らせる。本当にこの神童を演じるクリストフ・コンツェは凄まじく、演奏の音色は全篇のソロヴァイオリンを担当しているジョシュア・ベルの吹き替えとはいえ、大人用の大きさのバイオリンをものともせず、超絶技巧で弾きまくるその姿には畏怖、戦慄を覚えるほどである。その目はすっかり冷め切っており、バイオリンにすべてをささげている神童の心の計り知れなさをある種ドキュメント状態で表現する。バイオリンと共にベッドに入り、それを止められると心臓が一瞬止まってしまうほどバイオリンと、いや“レッド・バイオリン”と一体の少年。彼の大人びた目もあって、そのバイオリンとの関係性はすでに官能を感じさせるものになっている。そもそも楽器は官能的なものだ。身体に密着させ、時には口にくわえ、異性を抱くように、愛撫するようにかき鳴らす。弦楽器の場合、そのくびれたしなやかなボディラインが特にそれを感じさせる。つややかな光沢、ぴんと張り詰めた弦もまたしかりで、それに指をはわせる時の、言い難き官能。少年は貴族お抱えの演奏家となるためのオーディションで、このレッド・バイオリンに目をつけた貴族が買い取りたいと申し出たことで演奏どころではなくなり、呼吸困難に陥り昏倒、頓死してしまう。レッド・バイオリンがもたらした最初の悲劇。

少年とともに埋葬されたバイオリンはシプシーによって掘り返され、彼らとともに長い長い旅に出る。様々に演奏者を変える様子を、中央に演奏者の位置を固定してバックにそれにあわせて演奏し、踊るジプシーが描かれ、めまぐるしく展開していく。ちょっとくらくらと酔いそうになるそのシークエンス。固定されているのが演奏者かと思っていたら、実はバイオリンで、バイオリンの位置は左手前に置かれたまま驚くべきことにサイズともどもびくとも動かない。といって合成のようにも見えなくてそれぞれの演奏者はそれぞれちゃんと弾いているように見えるのだけど……。そしてそのジプシーの弾く音色に惹かれたバイオリニスト、フレデリック・ポープ(ジェイソン・フレミング)がそのレッド・バイオリンを譲り受ける。恋人の小説家、ヴィクトリア(グレタ・スカッキ)の愛撫を受けながらそのバイオリンを演奏することによって驚くべきイマジネーションを発揮する彼は、舞台でソロ演奏を披露、拍手喝采を受ける。この時聞かせるこれまた超絶技巧のバイオリンもまた凄まじい素晴らしさ。恋人が小説の取材旅行でロシアに旅立ち、ふぬけたようになるフレデリック。最初のうちは彼も、そして観客も彼女がいなくなったことが原因だと思っていたのだが、彼が恋しくなって帰ってきた彼女の目に飛び込んできたのは、他の女とセックスしながらあのバイオリンを弾いている彼の姿だった。彼は恋人が去ったことではなく、恋人が去ったことでレッド・バイオリンが弾けなくなったことで脱力していたのだ。ヴィクトリアの撃った銃で空中高く舞いあがるバイオリン。彼は苦悩、後悔し、自殺してしまう。これが二番目の悲劇。

そして時は文化大革命の中国へ。
西欧文明排除の気運の中、党幹部であるシャン・ペイ(シルヴィア・チャン)は幼い頃骨董屋で買ってもらって以来大切にしてきたバイオリンを守るため、楽器を取り上げてしまった音楽教師のもとへ向かう。「あなたにあげる。欲しくないの?あなたがいらないというのなら誰のものでもない。もううんざりだわ!」バイオリンを叩き付けようとする彼女に音楽教師はたまらず押しとどめ、譲り受けることを承諾する。「判って、私は党幹部なのよ」「約束する。大切に保管するから」哀しげに振り返り走り去っていくシャン・ペイ。彼女は二度とこのバイオリンと、対面することはないのだろう。シャン・ペイに扮するシルヴィア・チャン、全くのすっぴんメイクなのだが、美しい。党の使命に燃えつつも、心に揺れがある、そして疲労がその顔にやや曇りを指しているのが余計に禁欲的な色気を感じさせる。本来のみずみずしさを隠しようもない、まさしく中国の清新な美しさ。各国のエピソードに出てくるすべての女性の中でも一人出色の美しさだ。

この音楽教師が死後、彼が保管していた他の楽器とともにオークションにかけられるレッド・バイオリン。鑑定士であるチャールズ・モリッツ(サミュエル・L・ジャクソン)は一目でレッド・バイオリンに吸い寄せられる。保存状態が悪く、ニスの塗り直しをさせられそうになるのを押しとどめて彼はそのバイオリンの鑑定に没頭する。ホテルに閉じこもり、誰も寄せ付けず、一種異様に見えるほどの執着を示す。彼の中にはこのバイオリンが名職人ブッソンの手によるバイオリンで、かの名バイオリニスト、フレデリック・ポープの愛用した伝説の名器であるという確信があるとともに、何か言い知れない、魔力のようなものをこのバイオリンに感じているのだ。完璧なボディ、共鳴効果の素晴らしさ……バイオリンとしてまさしく百点満点のレッド・バイオリンだが、それだけではない。バイオリンをなめるように見つめるチャールズの視線は、かつてこのバイオリンに魅せられ破滅していった人々とそっくりである。……ふと走る戦慄。そこにニスの鑑定依頼をしたモントリオール大学から衝撃の報告文書が届けられる。ただ象徴的なものだと思っていた、血を連想させるレッド・バイオリンの赤色は、本当に血だったのだ。愛する妻の死体から血を絞り出し、ニスにまぜて塗ったあの職人……あの決意に満ちた、すわった目は彼女の魂をバイオリンに込めた作業の後のものだったのだ。出産の前、召し使いによって占われる彼女の長い長い旅。この年老いた女召し使いの使う、使い込まれて空気をはらんだように厚みのあるタロットカードが実に存在感がある。そうこのカードが占ったその旅はバイオリンに姿を変えた彼女の魂の旅。バイオリンを愛する人にこのレッド・バイオリンはことさらに反応し、悲劇をもたらしたのは、バイオリンに心を奪われていた夫に対する、彼女の終わりなき復讐、いや愛情表現なのかもしれない。それにしても血とは、なんとエロティックな!体中を駆け巡るという意味でそうした魂性を感じさせるだけではなく、体液として、女性の子宮の血液、あるいは愛液、そして男性のそれをも連想させずにはおかない。実際、あの神童、カスパー・ヴァイスが抱いて寝ていたことも、そのものずばり、セックスと結び付けてバイオリンを奏でたフレデリック・ポープも、このバイオリンにエロティックなものを求めていたではないか。そして直截には表現されなかったものの、いとおしむような目でレッド・バイオリンを見つめていたシャン・ペイだってそうなのではないか。

オークション会場には神童、カスパー・ヴァイスのいた修道院の代理人、ポープ財団、シャン・ペイの息子で彼女がバイオリンを弾いているところを目撃し、子供心のあさはかさで告発してしまったミン、そしてレッド・バイオリンを名器だと見ぬけなかったことでそれを秘密にしていたモリッツを逆恨みしているバイオリニストが主役の登場を待っている。そこにつと入ってくるモリッツ。手にはバイオリンケースが握られていて、これから出されようとしているレッド・バイオリンに近づく。そして……そう、彼が次の犠牲者だということを暗示して物語は終わる。オークション会場ではそのニセモノ(おそらく調査のために買い取ったコピーバイオリン)をかの無能な(世間的には偉大な)バイオリニストが競り落とし、勝利の笑みを浮かべている。何という皮肉。やはりそのバイオリンに執着する人たちには無意識下でレッド・バイオリンではないと判ったというのか。

まさしくいざなわれる、というのがぴったり来る映画。本当にあのレッド・バイオリンにとりつかれていたようなクリストフ・コンツェ、ジェイソン・フレミング、サミュエル・L・ジャクソンらが忘れられない。★★★★☆


「れ」作品名一覧へhomeへ