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「り」


1999年鑑賞作品

リトル・ヴォイスLITTLE VOICE
1998年 99分 イギリス カラー
監督:マーク・ハーマン 脚本:マーク・ハーマン/ジム・カートライト
撮影:アンディ・コリンズ 音楽:ジョン・アルトマン
出演:ジェイン・ホロックス/ブレンダ・ブレシン/マイケル・ケイン/ユアン・マクレガー/ジム・ブロードベント/アネット・バッドランド/フィリップ・ジャクソン


1999/10/28/木 劇場(シャンテ・シネ)
リトル・ヴォイス、これは少女の呼び名であって名前ではない。彼女の本当の名前はローラ。リトル・ヴォイスはデカイ声でしかもしゃべくりキングの彼女の母親が、「死んだ父親とそっくり、小さい声でボソボソ喋って」と彼女につけたあだ名なのだ。しかもLV(エル・ヴィー)と略語まで使って。LVはうるさい母親から追い立てられるようにして、半ば自閉症気味に部屋に閉じこもり、父親の残した古いスタンダードナンバーのレコードを聴く。そして歌う。

彼女を“外”へと連れ出す人物が二人現れる。彼女の歌声に惚れ込み、彼女のためというよりは自分の成功のためにスターへの階段を準備する田舎のプロモーター、レイ・セイ(マイケル・ケイン)が実質的な外への世界へと、そして鳩愛好家の電気工、ビリー(ユアン・マクレガー)が彼女の心を開放する。実はここがポイントで、彼女が最終的にどうなるかというのは、どちらの開放を選ぶかということなのだ。一見、埋もれた歌姫であった内気な少女がその才能を見出されてスターになるお話かと思いきや、そうではない。彼女は一回華々しくステージを成功させるも、そこでの彼女はあくまで父親の幻影に向かって歌っただけで、観衆の前で歌う魅力に目覚めたわけではないのだ。

彼女が求めていたのは自分の名前を呼んでくれる人だったのかもしれない、と思う。二度目のステージをあくまで拒んで部屋に閉じこもってしまう彼女。その時、ひょんな事から大火事になってしまった家から救い出してくれたのはかの電気工、ビリー。自分のレコードが心配で黒焦げになった家へと戻ると母親が帰っていて、またしても悪口雑言をぶちまける。そのときLVが初めて、声を振り絞って反論するのだ。父親が早く死んでしまったのはあんたのせいだ、私が喋れないのはあんたが喋らせないからだ、私の名前はローラだ!と。「私の名前はローラ」……ああ、「ウィンター・ゲスト」を思い出しちゃうなあ。名前は、たった一つ確信の持てるアイデンティティ。それすらも否定する母親に対して抱く彼女の孤独と哀しみは計り知れない。しかし母親に対して断ち切れない愛情を持っているからこそLVの心はこんな風にかたくなに閉じてしまっていたのだとも言えるのではないか。父親が死んだというだけでは説明しきれないもの。ま、ファザコン的要素のあるキャラクターとは言えるけど、愛情を与えてくれた人が死んでしまうことプラス、欲しい人から愛情を得られないこともまた彼女の心に大きな穴を開けていたのだと思う。

その穴を埋めてくれたのがレイ・セイではなく、ビリーだった。ラストシーン、彼女は彼の鳩舎へと行き、一緒に鳩を飛びたたせ、明るい笑顔を見せる。ビリーは劇中では彼女の本当の名前を知ることはないので最後までLVと呼んでいるのだけど、大切なのは、彼が本当に心から彼女の存在を感じてLVと呼びかけていたことだ。母親や、レイ・セイのように自分にとっての都合のいいLVではなく。

母親やレイ・セイはそういう意味ではやや判りやすすぎる悪役キャラなのだけど、演じているブレンダ・ブレシンとマイケル・ケインが上手いから、必要以上に孤独だと思い込んだり、成功にとりつかれていたりする人間の悲哀を感じさせてくれる。LVにフラれてステージでヤケクソぎみに熱唱するマイケル・ケインや、初めての娘の反撃に目を白黒させた後哀しそうな顔で呆然とするブレンダ・ブレシンにシンパシーを感じてしまう。

ビリーを演じたユアン、これまでの中で一番よかった。「スター・ウォーズ」は観てないけど。彼はこういう普通の役をとても魅力的に演じられる人。ハトオタクが妙に似合ってとてもチャーミング。先輩電気工、フィリップ・ジャクソンの言うことに素直に従って、説明書を持って再びLVに会いに行ったり、ロミオよろしく電気工事用車でLVの部屋の窓のところまで行って呼びかけたり、さらには一生懸命LVを慰めようとするも上手く行かず「鳩とは違うや」とぽつりと言うところなんかもう最高。地味な女の子の(と言いつつジェイン・ホロックスは実際35歳、ユアンより7つも上だ、見えない!)LVも、独特のキャラな上、さらに他のキャストは先の二人のほか、クラブの経営者に先輩電気工、隣家の主婦にいたるまでディープなキャラが勢揃いなので、結構ユアンの本当の地味さがきわだって微笑ましく好ましい。そうそう、本編の前に上映されたユアン主演のLevi’s UKビデオクリップが面白かった。海辺のエクレアにつられて海の中へと釣られてしまう!

(おっと、本題からズレてしまった。閑話休題)LVが見出されるのはその卓抜した物真似の才能によって。完璧ともいえるほどにジュディ・ガーランドやマリリン・モンローを振りもろともに再現してみせる。LVを演じるジェイン・ホロックスの舞台での当たり役なんだそうで、彼女自身のその才能にはまさに目を見張るばかりなのだが、この“物真似の才能”と言うのがミソで、彼女は本当の自分を見つけてほしかったのであり、いやそれ以上に自分自身で本当の自分を見つけ出したかったのだ。だからこそ、他人をイミテイトする自分によって飛翔することはありえなかった。舞台のあと、ステージセットであった鳥かごの前で崩れ落ちるように倒れるLVの姿は、本当に小鳥のようにはかなげだ。……そう、彼女は小鳥のイメージ。無理につかまえると手の中で震えるようにおびえ、しかし歌声は美しく、飛び立つ時は力強くはばたく。キャッチコピーでもある「さあ、一緒に飛び立とう!」はステージの彼女に向けられたものではなく、ラスト、ビリーとともに鳩のトレーニングに興じる、“本当の自分”を見つけた彼女に捧げられたものだったのだ。このコピーはそういう意味でうまく観客をだましやがって、コノヤロー!ですわな。★★★☆☆


竜二
1983年 92分 日本 カラー
監督:川島透 脚本:鈴木明夫
撮影:川越道彦 音楽:
出演:金子正次 永島暎子 北公次 佐藤(桜)金造

1999/4/5/月 劇場(中野武蔵野ホール)
松崎しげる調の男臭い顔。こういう顔の男性、今はいないよなあ。白いぴったりしたボトムにも時代を感じる。永島暎子さんが今よりふけて見えるのにもびっくりだ。この髪型じゃあねえ……。昔は佐藤という名字だったのね、金造さん。私この人、コメディアンかと知らず知らず思っていたんだけど(実際の出はなんなのか知らないけど)実はこんなエポックメイキングな映画で役者やってたとは……

そうその、“今はいない顔の男”金子正次。新しいヤクザ映画を残して、そして多分新しいといいつつこれが映画史の中に活きている最後のヤクザ映画で(それ以降のものは純粋にヤクザ映画と言えない、ヤクザがアクセントとして登場するだけのものや、過去の作品を模倣したアナクロニズムなもののように思う)、彼自身も去ってしまった。新しいジャンルを作りつつ、その確固たる継承者を持たないまま……。

竜二が“フッとヤクザから足を洗って”女房、娘と幸せな生活を始め、仕事の後のビールに「……これだな!」と言っている、好場面、実はこの人は、こんな生活に憧れていたのか、と一瞬思ったりする。いや実際、憧れていたのかもしれないが、彼がヤクザの道に入ったのは、そのきっかけは描かれないものの、自分自身でその血を体の中に感じていたからだろう。それが証拠に、その消し難い血を再び自覚した時、竜二はその世界に(とは説明されないけど、そうでしょう)戻っていってしまう。

このシーンの金子正次と永島暎子はまさしく出色の演技。商店街の肉屋かなんかの前で娘と一緒に買い物をしている奥さんをじっと見つめる竜二、ふとそれに気付く奥さん、一筋の涙が光る、壮絶に哀しい表情でそこに立ち尽くす竜二、その表情にすべてを汲み取り、次第に目に光るものが浮かんでいく奥さん。その、音が消された、動きのない、いや、心の動きがこの手に感じ取れるこのシーンだけで、この映画を語る価値があると言いたいほど。

その何日か前、元の世界の舎弟、ヒロシ(北公次)が訪ねてくる。一気に以前の態度や口調を復活させる竜二。もはや、以前の竜二と同じように舎弟を持ち、比べ物にならないほどの風格を持つヒロシ。「ヒロシちゃん、カッコ良かったねえ」「あんたも、久しぶりにはつらつとしてたねえ」どこか声を詰まらせて言う奥さんに、その後の竜二の行動が予感されていたのか。いやもしかしたらずうっとそれを恐れ続けていたのかもしれない。その夜、(今から思えば)まるで最後だとでも言わんばかりに自分から竜二を求める奥さん。

竜二が去ったのを見届けた後、娘に向かって奥さんが言う「おばあちゃんのところに戻ろうか」娘「また全日空に乗れるの?」……事態が判っていない娘が痛ましい。とはいえ竜二になついていた娘だけれど、彼を恋しがるほどにはなっていなかったのかもしれないと思うと、余計に痛ましい。それはもう戻ることはない竜二に対しての痛ましさ。

ショーケンの主題歌と、竜二の去っていく首をすくめた、窮屈そうにポケットに手を突っ込んだ後ろ姿が、いつまでも忘れられない。★★★☆☆


流星
1999年 分 日本 カラー
監督:山中浩充 脚本:橋本裕志
撮影:石井勲 音楽:内橋和久
出演:緒形拳 江口洋介 清水真実 秋山道男 國村隼

1999/3/29/月 劇場(テアトル新宿)
緒形拳が出ているというので、ええー、それじゃ、リトルモアムービーじゃないじゃない!と思って、あんまり観に行く気がしていなかったんだけど(それに競馬には興味ないし)、この作品を観ないと四つのスタンプがたまらなくて、記念品がもらえないので、足を運んだ。しかしこれが意外に拾い物だったんだな!

まず、金髪でよれよれの緒形拳で、あ、なんだ、やっぱりリトルモアムービーだ、と思う。なぜゆえに金髪かは判らないけど、情けなくも可愛らしい競馬狂、菊次郎さんに扮する緒形拳は、今まで彼が苦手だった私も、魅力的だと思えるユーモラスさ。老馬クロシオに賭け続け、ことごとく惨敗して家賃もたまる一方。とにかく彼のオタオタぶりが何ともいえずチャーミングで、リュウセイを持って行こうとし、かつ整形のための金が欲しい少女、ひとみ(清水真実)を襲おうとした川崎を少女とともに泥まみれになりながらくんずほぐれつしているところや、殴ったパンチに威力がなくて、反対に殴られそうになって及び腰になるあたりなんて、緒形拳とはとても思えない!

それになんたって、馬のリュウセイがいい!演技指導など出来ないはずのリュウセイが、何ともいえない微妙な動きや表情を見せて、こちらの心をあったかくしてくれる。菊次郎の古い部屋で誘拐されたリュウセイがのんびりと干しわらを食べ、菊次郎の方にふいっと視線を投げかける動き、菊次郎の元を逃げ出したリュウセイが、道端で川崎(江口洋介)に出会った時の、絶妙な間を置いたブルルという微かないななき……。

菊次郎を誘拐された場主の早川に電話する菊次郎「警察に知られたらリュウセイの命は保証しない」「声を聞かせてください」「……」(リュウセイ(黙))「いま、喋りたい気分じゃないみたいだ」(川崎が手綱を持って揺らすとブルルと声を出すリュウセイ)(受話器に一心に耳を傾けている早川ともう一人調教師らしき男が)「……リュウセイだ」「間違いありませんね」この、人間の誘拐そのままの会話に笑ってしまう!特に声を聞いてリュウセイだと確信する、カチリとした風貌とは似合わないがこれまた競馬狂であろう早川の、奇妙な真剣さが可笑しい。

やくざに追われ、リュウセイにまたがり疾走する菊次郎。道なき道を走り抜けて、苦手な水を飛び越えるシーンのスローモーションに笑っちゃいつつも感動。無事逃げおおせて海辺に着く菊次郎とリュウセイ。走り回るリュウセイを見て「迎えに来てやってくれ、リュウセイは走りたがっている」とハヤカワに電話する菊次郎。

そしてレース、ついに部屋を追い出され、立退き料10万円をすべてリュウセイにつぎ込む菊次郎、ハラハラさせながらも、これはリュウセイで決まりでしょう、と思ったら、なんと!クロシオがトップに!「何があるのか判らないのが競馬」と言い続けてきた菊次郎の言葉がはからずも証明されてしまう。でも、なにかすがすがしい結末。

舞台が東北地方でのどかな風景の中展開されるのもよかったし、若い二人にはなまりはなかったけど、菊次郎さんを演じる緒形拳はちゃんとなまっててくれて、それもチャーミングだった。そう、こういう地方映画がもっと作られてもいいよねー!★★★★☆


リング2
1999年 分 日本 カラー
監督:中田秀夫 脚本:高橋洋
撮影:山本英夫 音楽:川井憲次
出演:中谷美紀 佐藤仁美 深田恭子 柳ユーレイ 松島菜々子 真田広之

1999/3/16/火 劇場(錦糸町楽天地)
正直、前作「リング」の圧倒的な怖さには及ばなかった。前作は理屈抜きに恐かったのが、今回は理屈っぽすぎて恐怖感を薄めている感じがする。水の浸透率だの、念写を実験するだのと、変に科学的になっちゃって。それに超能力が出てきたとたんに怖さ3割減って感じだし。超能力って、世の中の不可思議な現象を全部これで片づけられる最後の切り札のようなところがあるから、それを出されるとなあーんだ、と思ってしまうのだ。

それに今回はストーリーの流れに重きが置かれていて、前作の、絶妙な小道具の積み重ねで恐怖を積み上げていく、というのもなかった。特に後半は高野舞(中谷美紀)の視点にほとんど固定されているのも、今一つ。

それにしてもさあ、これだけメインを張っている柳ユーレイがオープニングクレジットで名前が出ないってどーゆーこと!?特別出演とはいえチョイの松島菜々子や真田広之がしっかりオープニングからクレジットされているのに……。ま、とはいえ「女優霊」からの盟友、柳氏が今回もストーリーの牽引役になってくれているのは嬉しいのである。

本当ならもっと恐く感じてもいいはずの、ビデオに出てきた鏡に映る女性、志津子が実際にそのまんまの姿で鏡の前で髪を梳いていても、カラーになっちゃうせいかまるで恐くない。あるいは高野舞が井戸の中を下から蜘蛛女のように這い上がってくる貞子におびえながらロープに捕まって登っていくシーンで、貞子が粘土で作られた顔を見せちゃう所もしかり。前作では顔を徹底的に見せなかったことがものすごく恐かったから、今回はすべてにおいてちょっと見せすぎかなあ……前作に見られた全体に漂う独特の沈んだ色のトーンもないし(カメラマン、前作と違いますね)。

あああやだやだ、私やっちゃいけない“前作と比べる”ことばかりやっちゃって!あ、でも一つ、あそこは恐かった。柳氏扮するテレビディレクターの岡崎が女子高生(深田恭子)のインタビューのVTRを消しても消しても消えず、しまいには彼女が下を向いて首を振る個所が小刻みにリフレインされて、顔を半分以上覆われた彼女の顔が恐ろしい形相でカメラに向かっていくところ。彼女は死に顔もすさまじかったし(え、あれ本人!?)出演場面は少なかったけど強烈な印象を残した。★★★☆☆


りんご
1998年 86分 イラン フランス カラー
監督:サミラ・マフマルバフ 脚本:モフセン・マフマルバフ
撮影:エブラハム・ガブリ モハマド・アーマディ アジセ・モハマディ
音楽:イラン伝承音楽
出演:マスメ・ナデリー ザーラ・ナデリー ゴルバナリ・ナデリー

1999/2/10/水 劇場(シャンテシネ)
数々の国際映画祭に正式招待されているくらいだから、18歳で、有名監督の娘とはいえ、それなりの作品であるだろうとは思っていたけれど“映画の血”ってあるのかもしれない……まだ、映画が誕生して100年しかたってないから、“映画の血”というものがあるのかというのはこれからの問題だと思うけど、ここには映画の血が流れている。このマフマルバフ監督(父の方)というのも私は知らないし、作品も観たことないんだけど、ひょっとして私の記憶が間違っていなければ、キアロスタミ監督の「クローズ・アップ」で、、自分が映画監督だと嘘をついていた男性、このマフマルバフ監督の名を語ってたよね?

それはさておきまず驚くのは、この話が実話だというのもさる事ながら、まさしく「クローズ・アップ」よろしく、当事者たちが演じているということだ。演じている、というのも語弊があるかもしれない……かといってその状況は作られたものだし、おそらく台詞も用意されたものだから、ドキュメンタリーというわけではないんだけど、この中で娘たちの父、母が軟禁していた事実を“娘たちを守るため”だと頑迷に語る主張も、彼ら自身の言葉で語られているのがよく判る。なぜって、そこには共感できるものがないからだ。母親が目が見えないということをことさらに強調して、そしてマスコミにひどい両親だと書き立てられたことを、些細な事実の誤認(娘たちを鎖でつないでいたという報道)にこだわり大きな事実(娘たちを11年間も軟禁していたこと)を無視して憤る父親は、どう見たって娘たちを心配する気持ちより、自分たちの都合の良さを優先させているようにしか見えない。

ここがミソで、凡百の“ドキュメンタリータッチの映画”だったら、この父親の言い分を共感できるものに作り替えるなどして、マスコミによって傷つけられた裏には……なんていうラインにしそうなものなのに、そういった安全策をとらず、あくまで本人たちの主張をそのまま映しとる。これがギリギリの線で成功しているのは、確かにこの両親はひどいのだけど、(福祉事務所の人と約束したことも平然と破ってやっぱり娘たちを閉じ込めるし、自ら働かずに道ゆく人に施しをもらってそれが当然だと思ってるし、娘たちを学校にやらないなら家で教えているのかと思いきや、彼女たちはろくに言葉も喋れず(一瞬、知的障害者かと思うくらいだ)世の中の約束事……お金の概念とか挨拶とかを全く知らないでいたという事実など……)、この父親の方がどこかチャーミングで、憎めない、まではいかないまでも、自分なりのポリシーがあるらしい頑固な主張に、妙に人を聞き入れさせる力があるのだ。それに、頑固な割には結構情けなくて、頑固さにかけては(というか、こっちは圧倒的に正論だけど)負けてない福祉事務所の女性に「娘たちの気持ちが少しは判るといい」と押し切られて閉じ込められ、さらには「出たいなら鉄ノコで格子を切って出ればいい」とノコを渡され、背後に妻の罵声を浴びながら素直に切り出すところとか、どこかユーモラスでホッとさせられる。

それをこの福祉事務所の女性も感じたのだろう、娘に鍵を渡して、彼女が鍵を使って父親を外に出せるかを賭けてみる。近所の人たちはただひたすらにこの娘たちを親から引き離した方がいいと思っているのだけれど、そして見ている観客の方も最初は単純にそう思ってしまうのだけど、ちゃんと福祉の仕事をしているこの女性や、同じ子供として気持ちが判っている子供たちは、親が子供と一緒にいられるのが一番いいということを判っているのだ。そしてどんな親であろうと、自分の親だからこそ愛している子供の気持ちを。

この二人の娘、ザーラとマスメの美少女なことときたら!外の世界にさらされてなかったせいか、ちょっとおかしなしぐさ……やたらに舌を出すとか……が気になるんだけど、それにしても美少女。彼女たちは福祉事務所の女性に促されて外に出る。2、3回、どうしたらいいのか判らずに戻ってくるのだけど、アイスクリームや、糸でつるされたりんごに導かれるようにしてだんだんと行動範囲を広げていく描写が上手い。そのアイスクリームやりんごを通してお金の概念を学んだり、石蹴り遊びの姉妹の仲間に加わることで対人間の約束事を学んだりする過程もまた上手い。大人世界と違って、ちょっと変わった子供でも柔軟に受け入れられる子供社会がとても好ましく、りんごで額を打たれて再三憤慨する女の子が、謝られたり、そのりんごをもらったりして単純に、それも繰り返して許してしまうのだからほんと、可愛い。

それにしても不気味なのはこの目の見えない母親だ……。冒頭、保護された場所から娘たちを連れ帰る場面、二人の腕をいっぺんにしっかりふんづかまえて引っ張っていくところから何か尋常ではない。最初から最後までベールを頭からすっぽりかぶって執拗に顔を隠し、おいおい、あんたはエレファントマンかあ?と言いたくなる。父親の方は娘たちと一緒に時計を買いに行くラストでまだ改心の余地はあるかな、という可愛らしさがあるけど、彼女に関しては……うーむ。父親が娘と一緒に出ていって、空っぽになった家の中で娘の名を呼んで歩き回る。

ここで不思議なのは、二人の娘のうち、ザーラの名前しか呼ばないことなのだ。不思議というより、やはりこれも不気味だ。そして彼女が不安に耐え兼ねてついにふらふらと扉から表に出、自分にまとわりつく糸でつるされたりんごに「ベールに触らないで!」と、りんごをつかむところで終わる……なんでか判らないけど、なんとなくコワいラストで強い印象を残す。うー、これで18歳の女性監督デビュー作とは……★★★★☆


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