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「ぬ」


2001年鑑賞作品

濡れる人妻 ハメられた女
年 分 日本 カラー
監督:今岡信治 脚本:上井勉
撮影:小西泰正 音楽:
出演:松原正隆 沢木まゆみ 真崎優 藤木誠人


2001/10/21/日 劇場(中野武蔵野ホール/P−1グランプリ)
何かと噂の聞こえていた今岡信次監督作品をずっと見たかった。どう噂が聞こえていたかというと覚えていないのだが……いつの間にか彼の才人ぶりが伝わっていたのだ。そしてそれは間違いではなかった。不思議で怖くて美しい作品世界。哲学的とも思える色調とリズムに酔わされる。

自殺未遂した男が、車内に排気ガスを引っ張り込んで自殺している男を発見する。その男は自分とそっくりの顔をした男……。という冒頭の展開にしばらくは???とついていけない。この男もまた、自分の存在が判らずに戸惑っているような風情を見せるので、彼に同調して観ていくことになる。男はソープに行き、そこの女に「昔つきあっていた男と似ているんだよね」と言われる。男はソープの帰りに接触事故に会い、自殺死体から抜き取った財布の中の身分証で、その死んだ男の奥さんに知らされる。何といっても同じ顔をしているのだから、怪しまれない。迎えにきた奥さんの話では、その同じ顔をしている男は、うつ病で、病気を治すために奥さんとはずっと別居状態だったという。ケガをしているので、しばらくはだんなさんと一緒にいてください、という医師の言葉に、嬉しげに彼をつれて帰る奥さん。

それまで彼女一人で住んでいた部屋は、暗く、ガランとしている。彼女の夕食は、働いている弁当屋からの持ち帰りとペットボトルのお茶。生きがいもなく、仕方なく生き長らえているような、あまりに無為な毎日だった。それが、夫(ニセモノだけど)が帰ってきたことで、喜びいさんで、カニなんか買って帰ってくる彼女。でも料理はヘタで、必ず真っ黒に焦がしてしまう。その黒こげハンバーグ?を箸で割って、「あ、意外とレアだね」なんて男が言うもんだから、思わず笑ってしまう。朝食のトーストも黒焦げだけど、男は気にせず食べるので、奥さんは嬉しそうである。ずっとご無沙汰だったセックスも、夜部屋で寝たフリをして待っていると、男がしずしずと忍んできて、静かに燃え上がる。詩的とも言えるような、気持ちの伝わるセックスシーン。かりそめだけれど、幸せな毎日。かりそめということに気づいていない奥さん。

男は自分がすり替わっている男がうつ病だったことに影響されているのか、自分が誰なのか、その記憶が思い出せないでいる感じである。冒頭、自殺しようとしていたのに、そこまでに至ったことさえ思い出せないのか。最初の自殺未遂シーンはコミカルですらある。彼は公園?で石油をかぶり、火をつけようとするがライターがしけっているのか、つかない。それで、遠くで火を起こしている人に借りに行くのだが、彼が通った道筋にそって炎が追いかけてくる(まるで「バック・トゥ・ザ・フューチャー」みたい?)のに驚いて、走って逃げるのである。お前、死にたいんじゃなかったんかよ!と思わずツッコミを入れそうになる笑えるシーンだが、男はどんどんどんどん逃げる。逃げて逃げて、助かってしまう。そして目張りした車の中に自分ソックリの自殺死体を発見するのである。男はまるでそこに本当の自分を見たかのように「だめだよ、自殺なんかしちゃ」とつぶやく。ドッペルゲンガーなどということを思い出してしまう。

この男が夫として帰ってくるまでの間、一人で暮らしている奥さんは、先述のように仕事先の出来合いの弁当で食事をとる味気ない日々。そして半紙に筆でなにやら書いている。そしてその書いたものを、リビングのカーテンレールに並べて貼っているのである。何を書いているのか、見えない。標語のようなものなのか……でもその情景は、はっきり、不気味である。その彼女の念が込められているかのようで。いや、不気味と言うよりは、哀しさの方だろうか。どっちにしろ、尋常ではない。この画は、フィルム独特の暗さと、部屋の中自体の暗さが醸し出して、美しく、哀しく、味わい深い。じわりと心に忍び込むように、忘れられない。

ある時、この男はふと何を思ったのか、食事を中断して、家を飛び出してしまう。走って、走って、逃げ続ける。それを追いかける奥さん。彼女も走って、走って、なぜか彼を追い越してしまう(笑)。二人して、ガランとした空き地に転がり込む。「もうどこにも行かないで」と懇願する奥さん。このシーンは、よどみそうになる作品の真ん中を気持ちよく突っ切っていて、彼の気持ちも、彼女の気持ちもこれでスカッと気持ちよくヌケる。ひょっとしてこの空き地は、この男の自殺未遂場所?違うだろうか……。そうだとしたら、その突き抜ける感覚はより顕著になる。今までの湿度感がからりと晴れ上がったような、とても軽やかで印象的な、いいシーン。

あの自殺死体がついに見つかってしまう。身分証が盗られてしまっている為、奥さんが身元確認のために呼ばれる。霊安室に置かれた死体の顔を見て、首をかしげる奥さん。とぼとぼと家に帰ると、男がいる。涙を流して彼に抱きつく奥さん。その泣きのシーンは彼女の熱演でとてもグッとくる。男は自分がニセモノだということを告白する。奥さんは「生まれ変わったのよ。あの人は優しい人だもの、私を一人になんてしない。あなたはあの人が生まれ変わったのよ」と彼を抱きしめ続ける。

……この台詞には!やられてしまった。そしてそれは本当なのかもしれないと思わせるような、不思議な空気にもあいまっていて。このニセモノの男が自殺しようとしたのは、自分の居所が、引いては自分というものがなかったからじゃないのかと。彼がニセモノとして彼女と出会い、そしてこの台詞によって、ニセモノがホンモノになった。あるいは、最初から、ソックリ同じ顔をした二人は、二人で一人だった……なんて、そんな文学的なことすらもスルリと了解し得てしまう。この男を演じる松原正隆氏が、いつも口元があきらめのように微笑んでいる、諦念と飄々とした感じがミックスされた絶妙なたたずまいで、それもまた文学的、哲学的な香りを感じる。

映画の力は、いかに印象に残るかということだと思っている私にとって、この、スクリーンの中に結晶のように封じ込められた、全編脳裏に刻み込まれる強い印象を残す作品世界には、ただただひれ伏せんばかりの思い。まるで、冷たい湖の中に沈んだような世界。ああ、何なんだろう、心に置き去りにされたこの感覚は。この人の映画は、もっともっと、観てみたい!★★★★★


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