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「め」


2003年鑑賞作品

めぐりあう時間たちTHE HOURS
2002年 115分 アメリカ カラー
監督:スティーヴン・ダルドリー 脚本:
撮影:シーマス・マクガーヴィ 音楽:フィリップ・グラス
出演:メリル・ストリープ/ジュリアン・ムーア/ニコール・キッドマン/トム・ハリス/ジョン・C・ライリー/スティーヴン・ディレイン/ミランダ・リチャードスン/トニ・コレット/アリスン・ジャニー


2003/5/23/金 劇場(有楽町日劇PLEX)
ある程度の年齢を超えると、女優のための映画がぱたりとなくなるのだという。確かに、男優に関してはどんなに年をとっても人気があればいくらでも主演映画は作られているけれども、女優はだんだんと母親役のような脇に回され、主役を張るのは華やかな若い女優ばかりである。そんな中で、稀なる女優のための映画が生まれた。それも、メリル・ストリープ、ジュリアン・ムーア、ニコール・キッドマンというそうそうたる女優がそれぞれに主役を張るという、凄さ。

今回、見事主演女優のオスカーの栄冠を勝ち取ったニコール・キッドマンは、それでもクレジットではメリル、ジュリアンに続いて三番目。そしてそれぞれがさすがとため息をつきたくなるベストアクトを繰り広げる中で、彼女が評価された。今、確実にニコールに風が吹いている。その冷たい美しさから時にはお人形さん女優のように言われながらも、しかし彼女は確かにその最初から、確かな演技力でこの世界を勝ち抜いてきたのだ。美しさは、彼女にとってハンデにさえなるぐらい、彼女は最初から上手い女優だった。でも確かにその美しさも武器に泳ぎきって、そして本作でニコールは満を持してその華を、捨て去った。この三人の中で、最も美しいはずのニコールが、まるで輪郭がつかめないほどに、危うい。確かにそこに、スクリーンに彼女の顔は大映しにされているはずなのに、その顔が、姿が、空気に溶けていってしまうんじゃないかというぐらい、記憶に残らないんじゃないかと思うぐらい、はかない。そして痛々しい魂が、はかない姿を突き破って叫んでいるのだ。助けて、と。

ニコールが演じるのは、現代文学、そして女性作家の象徴的存在であるヴァージニア・ウルフ。私は恥ずかしながらこの作家に詳しくないんだけれども、劇中のモティーフに使われている「ダロウェイ夫人」の映画化作品が奇妙な印象で心に残っていたのであった。スノッブな中で妙に楽しげに人生を送っているダロウェイ夫人。そう、スクリーンに表現されているダロウェイ夫人は妙に楽しげで、その物語の色調はギャグではないかと思えるほどに、ヘンに明るかったのだ。原作は読んでいなかったのだけれど、この明るい色調が、何か、居心地が悪いというか、奇妙な印象を与えた。その時にはそれが何なのか、よく判らなかったのだけれど、本作で描かれている作家、ヴァージニア・ウルフを観て、それが何なのか少し判ったような気がする。女性であること、レズビアンの気持ちを持っていること、過去のトラウマ、自分を構成する総ての要素が自身を苦しめているヴァージニアの姿に。

このヴァージニアの自殺直前の、精神が最高潮に危うくなりながら「ダロウェイ夫人」を執筆している時代と、その「ダロウェイ夫人」を愛読している50年代の主婦であるローラ、さらに2000年に突入して、「ダロウェイ夫人」の主人公と同じ名前で、恋人の女性の名前も同じ、という、クラリッサ、この三人の、たった一日に限定して、同時進行で語っていく趣向。そのたった一日は、彼女たちにとって人生の大きな転機になる(ヴァージニアにとっては終結になる)日。共通するのは、愛する女性への熱烈なキスシーン。ヴァージニアは姉に、ローラは親友のキティに、クラリッサは恋人のサリーに。ヴァージニアとローラは、その気持ちは明かしてはならないものだった。クラリッサは何たって恋人だから堂々としたものだけれども、でも彼女には別の苦悩があった。思えばそれは、「ダロウェイ夫人」に、そして遠く因縁付けられたヴァージニアによって植え付けられた、苦悩。この三世代に、この一日に、不思議な、そして悲劇的だからこそ美しい、縁が見え隠れする。

実際に、つながるのはローラとクラリッサの時代。ローラの息子が、クラリッサの親友、リチャードである。ローラはヴァージニアの著書「ダロウェイ夫人」を愛読していて、彼女の人生の選択に大きな影響を与えるものの、個人的な知己などのつながりは一切なく、やはりヴァージニアだけが、このつながりからぷつんと離れていて、それが彼女の孤独さをこれ以上なく象徴している、と思う。ヴァージニアの夫は確かに彼女を気遣っていて、愛していて、そして何より彼女の才能を誰よりも理解している素晴らしい夫だった。でも、彼女の孤独な魂を救うことは、出来なかった。この神経病みの夫人にあからさまにうっとうしげな態度をとるメイドたち、使用人だというのに、彼女たちに気後れしてピリピリと神経をとがらせるヴァージニアの惨めさ。大柄な身体を縮こまらせて、青ざめた顔とほつれた髪で作り笑顔をするニコールの凄まじさ。彼女にとって心待ちにしていた一日は、愛する姉が訪ねてくる日である。子供たち三人を引き連れてニギヤカにやってくる姉。無遠慮な上二人の男の子とは違う、愛らしい中に静かな知的さを兼ね備えた末娘は、その幼さから、生まれる前の神秘の世界をその小さな身体に経験的に残している雰囲気である。死んでしまった小鳥をヴァージニアと共に埋葬する彼女は、幼さゆえに言葉に出すことは出来ないながらも、病的に繊細な世界をさまよっているヴァージニアとシンクロする。あるいはこの子と心を通わせてしまったことが、生まれる前の世界に戻りたいと思ってしまったことが、ヴァージニアの自らの死を呼び寄せてしまったのかもしれない。この女の子、アンジェリカの静かな、吸い込まれるような瞳には、そんな力があった。

そのヴァージニアの著書、「ダロウェイ夫人」にシンクロしているのが、30年後のローラ。愛してくれる夫と、宝物の一人息子。幸せいっぱいに見えるローラが、しかしそうではなかった。夫の誕生日に、息子と一緒にケーキを作る彼女。愛している証拠に、と言う彼女に、息子、リチャードは言う。「証拠がなければ、愛していると判らないの?」
おなかに宿している次の命。そんな中訪れてくる親友、キティの子宮筋腫の告白。ローラはキティを愛していたに、違いない。キティが訪ねて来た時、慌てて鏡の前で髪を整えていたローラ。優しい、理解ある夫に感謝しながらも、夫や息子の目に映る理想の妻であり母親の自分と、本当の自分自身との乖離に苦しむ中、出会ってしまったのが、ヴァージニア・ウルフ。しかもキティから突きつけられる言葉が辛すぎる。「あなたは、ラッキーよ。女は子供を産んで一人前なんですもの」

では、女は子供を産むために、存在するのだろうか。夫のために、子供のために存在するのだろうか。子供を産めない身体になってしまったキティがそういう台詞を言ったのは判りすぎるぐらい判るのだけれども、だからこそ、そこに図らずも露呈してしまった、あまりに哀しすぎる女の存在意義のはかなさに慄然とする。しかも、ローラは愛の証拠を作らなければならないほどに後ろめたい自分に、日々苦しめられているのだ。しかもあの、毒々しいケーキ。アメリカはああいうケーキがフツウなのかもしれないけれども……チョコレートコーティングの土台に、濃い水色のクリームのデコレーションとは、何というツクリモノめいたウソくさい“愛”だろう。

思えば用意されるパーティー、このゴテゴテした色彩のケーキ、クラリッサの時代に用意されるパーティーのための、華やかさを演出するための、つまりは食べるというよりも飾るための食べ物や、夫のために、あるいは他人を欺くためにシッカリと成されるメイクも、そしてこの作品に象徴的な、どっさりと用意される花も、みんなみんな、そんな“証拠”のためのアリバイに過ぎないのだ。クラリッサはその用意していた食べ物だの花だのの飾り物を、リチャードの死によって黙々と撤去する。あんなに大変な思いをして用意したのに、でもそれは生きていくとか生活していくとか、そんなものには、何ひとつ必要のない飾り物にすぎないのだ。クラリッサはその時、打ちのめされている。彼女は自分の生活を犠牲にしてまでも親友のリチャードを看護してきたのに、その行為が、大いなるおごりだと彼の自死によって思い知らされたからだ。ヴァージニアは自ら死を選んだ。そしてヴァージニアの愛読者であったローラは間一髪、死から逃れた。そしてヴァージニアの小説の主人公が現代に再来したかのような存在のクラリッサは、自分自身には全く死の影はまとわりつかなかったのに、大切な親友を、自分の存在のために、亡くした。

クラリッサは、ヴァージニアやローラの時代には出来なかったこと……同性愛者であることをカミングアウトして生きている。でも、子供が欲しかったから、人工授精によって得た。ヴァージニアやローラもまた同性愛者だったんだろうけれど、もしかして、彼女たちが結婚したのは、もちろん世間的なこととかもあったとは思うけれど、やはり「女は子供を産んで一人前」という意識と、そしてその子供がやっぱり、欲しかったんじゃないかと思う。多分、男よりも女の方が、子供に対して自分の分身的な意識を強く持つ……ハッキリと、自分の血を分け与えたという自覚が持てるから。たとえ自分が死んでも、自分が生きていたという証しを、子供が残してくれるから。もしかしたら、それだけの理由で、子供が産みたいと思うかもしれない、などと思う。

男と違って、女は、同性愛者であっても、男とセックスをすることが出来るから、こんな風に、自分を欺くことが可能なのだ。男が同性愛者である場合、やはり女とセックスをするのは難しいだろうから……。でも、だからこそ、男性のゲイよりも、女性のゲイ(レズビアン)の方が、アイデンティティの、それを欺いてしまう自分の罪にさいなまれてしまうのだろうと思う。表面的に、ゲイよりレズビアンが少なく思えるのは、そのせいなのかもしれないと。やっと現代になって、本当にやっと、女も自分を偽ることなしに、人工授精という手を使って、自分の分身を生み出すことが出来る時代になった。でもその一方で、やはり同性愛者である親友の男性が、エイズという、同性愛者が多く犠牲になった病に犯されてしまった。実を言うと現代においてこの描写はちょっと危険ではあるのだけれど……確かにそのはじめは男性のゲイに多く患者が発生したけれど、決してゲイの病気というわけじゃないんだから。でも、やっぱりこの描写には、同性愛者が自然のメカニズムに反して生きているんじゃないかと煩悶している現実が投影されているように思えて、心が痛む。リチャードは、本当は一刻も早く、自分自身を抹殺してしまいたかった。でも同じく同性愛者であるクラリッサが自分を気遣って、介護してくれていることで、死ねなかった。君がいるから生きていたんだ、と言い残して、部屋の窓から飛び降りてしまうリチャード。クラリッサには感謝していたに違いないけれど、でも自分をむなしく生き長らえさせたことに、それ以上の恨みを持っていたのか……生は、死は、一体どうやってそれぞれの人の、その価値を、見出せば、汲み取れば、いいのだろう?

ローラも、死のうとしていた。偽りの生活に耐えられなくて。きちんと化粧をして、いい服を着て、幼いリチャードを連れて車で出かける。ママはちょっと用事があるから、おばさんのところで、いい子にしていなさい。そう言うローラに、リチャードは幼いながら異変を察知して、彼女を行かせまい、行かせまいとする。ローラはホテルにチェックインし、クスリをあおって、おなかの赤ちゃんもろとも自分を消し去ろうとするけれども、彼女の妄想の中なのか……彼女の横たわるベッドに押し寄せる水。同時進行で語られるヴァージニアは、清流の中に身を沈めんとしていた。そしてヴァージニアはそのまま、命を、散らした。でもローラは……その恐怖にハッと目覚める。ヴァージニアが知る由もない未来なんだから、そんなはずもないとは思いつつ、でもヴァージニアが自分の身を犠牲にすることによって、同じ道を行こうとしていたローラを助け上げた、そんな気がして。そしてローラの息子のリチャードからつながる次の時代のクラリッサは、自分が死ぬことは考えないけれども、そのリチャードが、死んでしまう。クラリッサは生命の誕生に対して、人工授精という負い目がある。ヴァージニアやローラには、その前段階の、愛に対する自分に、負い目がある。なぜ、いつでも女ばかりが、根本的な存在意義で、死ぬほどの苦しみを味あわなくてはならないんだろう?

自分が死ぬ、自分の分身が死ぬ。自分の親友が死ぬ。そのどれかを、選ぶしかないのか、女は。自分の存在を守るために。死ぬ、などと物騒なことでなくても、捨て去る、あきらめる、そんなことでも、確かにそれはあまりにも思い当たってしまうのだ。確かに、捨て去ってきた、あきらめてきた。増えていかない。ただただ、失っていくものばかり。もがいても、もがいても、生きていくことよりも、そこまでどう耐え抜くか、ただただ自分が消え去る日を待つばかり、そのためだけに、生きているような気さえ、するのだ……時々。

ローラを演じるジュリアン・ムーア、素晴らしかった。女が家庭に閉じ込められる苦悩を、これ以上なく体現してくれた。クラシックな部屋着のワンピースや、外出着のおとなしげなツーピースも良く似合ってて、本当にあの時代の専業主婦みたい。中年に差し掛かって、二の腕とか腰まわりとか、シッカリしてきてるんだけど、それが何ともいえずリアルになまめかしく、彼女が特に女優陣から強力に支持されているの、判る気がする。家族に求めれられる理想的な妻と母親を実践しつつ、息子から遠く離れたところでたまらず嗚咽を漏らす、そのグシャッと崩れた泣き顔に、うわっと、思う。こんな顔、きっと私もあの時していた、とそんなことを思ってしまうから。メリル・ストリープはもう余裕の名演。でも彼女がレズビアンで、人工授精によって得た娘に複雑な思いを抱いている、というのは、いままで彼女の引き出しになかった役柄で、それをさらりと演じられる彼女に、さすが、と思う。

やせ細った身体に、カサカサとただれた肌、冷たい青い目が切羽詰まって血走り、悲壮感にあふれているリチャード役のエド・ハリス。今まではクールなカッコ良さに打たれていた彼が、まさかこんな役を振られるとは……。あの、壮絶な自死、きっとずっと忘れられない。彼は、自分の尊厳を守るために、死んだ。親友の尊厳を損なうことを判ってはいたけれど……でも、人間はやっぱり自分自身だけ、なんだ。それは素晴らしいこと、なの?それとも……。★★★☆☆


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