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「ぬ」


2003年鑑賞作品

盗まれた恋 I LOVE YOU
1951年 89分 日本 モノクロ
監督:市川崑 脚本:和田夏十 市川崑
撮影:横山実 音楽:伊福部昭
出演:久慈あさみ 加藤道子 森雅之 川喜多小六 志村喬 伊藤雄之助 清水将夫 杉寛 久保春二 鳥羽陽之助 山形勲 木匠久美子 藤村昌子


2003/8/12/火 東京国立近代美術館フィルムセンター
市川崑監督にはホント、驚かされちゃう。ふらっと観に行くとうわっと思うほど面白いんだもの!言ってしまえばかるーい恋愛コメディ。しかしこの驚異的なまでの台詞のリズムの面白さ。わっ、ちょっと待って、どこ行くの、どこ行くの!とこちらがうろたえてしまうほどの奇想天外な展開はビックリするぐらいに早く、ツボをつかれて大爆笑し、はっと気づくとジーンとさせられ、ふくふくの気分でラストを迎えてしまう。あー、何これ、ホントに、面白い。参った、降参!

つまりは、まあ、ひとことで言っちゃえば、女の自立の葛藤の物語、なのかもしれない。って、そうなのか?のはずが、何かハチャメチャな展開になっちゃうんだけど……。ヒロインである良子は場末の踊り子だったんだけど、ストリップに仕事を奪われてしまってあえなく失業、ひどい貧乏暮らしでガンジーさながらの水ばかりの生活。というあたりでもういきなり笑わせる。バタッと倒れた良子に一緒に失業した同居人の半子が水を運ぶと、彼女ガバッと起き上がって「水はたくさんよ」そして二人してガンジーが人生で15回断食し、一番の長きに渡ったのは21日間!と斉唱し、はああ、とため息をつく。もう二人ともお腹がすいてフラフラなんである。そこで良子が考え付いたのが無銭飲食、じゃなくて、ま、とりあえず高級レストランでお腹いっぱい食べてから、良子をひいきにしていた銀行家、阿久根を呼び出し、私と結婚して!とこうくるのだ。

お、おおお!?いや、そりゃまあ、彼女の言い分、女が一人で生きていくのは大変、教養もない女が、身体を売らずにどうやって生きていくというのか、手っ取り早いのは結婚、という言は判る。女には最終的な逃げ道として結婚がある、などというのはイヤな言い方だけど、現代でも、そして特にこの時代にはそんなのむしろ当たり前で、女が仕事を得て一人で生きていくということ自体が珍しかったに違いないんだから。で、結婚自体も恋愛が前提というばかりでもなかった時代のはず。しかしこの良子が、愛してなどいないけど、生きていくためには仕方ないでしょ、とアッケラカンと言うのにはさすがにのけぞってしまう。何かそれが妙にカッコいいんだもん。それはさながら仕事に邁進する女性さながらに。一緒にいた半子はビックリし、テーブルの下で再三彼女の足を蹴飛ばすのだけれど(この応酬がまた絶妙で笑わせるんだ)良子の決意は揺るがない。

この良子が久慈あさみ、そして阿久根が森雅之。すいません、久慈あさみの映画を観るのは初めてかもしれない。おおお、8頭身。なんというスタイルの良さ。冒頭、踊り子たちが揃ってラインダンスを見せるんだけど、彼女のおみ足の美しさには呆然。そのシーン以外は長めのフレアスカート姿が多いんだけど、酔っぱらって帰ってきたシーンで無造作にストッキングを脱ぐ時に、惜しげもなくスカートまくってのぞかせる、その足の美しさにどわっと鼻血が出そうになってしまう!?それにまあまあまあ、お肌つやつやの美しいこと!ホント、マネキン人形が生きて歩いているみたい。
そして森雅之。典雅なハンサムである彼が、ここでも典雅なハンサムには変わりないんだけど、少々中年のいやらしさが入っていて、しかもギャグなまでに自信過剰。ふたことめには「僕は確信しているんです」とまくしたてて良子をウンザリさせるエリート銀行員、つーのがこれがまたやたらと似合っているんだな。だって、彼もスタイルバツグンだから、ダブルのスーツとかビシッと似合っちゃって美中年?って感じなんだけど、でも笑えるの。完璧主義の自分に完全に酔っちゃってるんだもん。

で、阿久根は良子からのプロポーズを断る。なぜかってーと、彼は、どんなことも“スポーツの精神”で攻略していくことが大事なんだって。よー判らんけど、とにかく女に関してはそれが上手くいかず、鬼門だと思っているらしい。で、良子に関しても結婚はしないけど、自分を愛するように、これまた“スポーツの精神”で攻略するんだと。何なんだあ、この男は?んで、決死の覚悟でプロポーズした良子は当然腹をたてるわけ。そりゃそうだわなと思うんだけど、ここで彼女が起こした行動ってのが凄いのだ。彼女はこんな彼に負けたくない、と思うわけ。スポーツの精神なら、こっちもそれで勝ってやる!って。で、自分には何でも出来ると豪語している彼に勝負を挑む。それは、実は私にはうだつの上がらない、愛してもいない許婚がいるんだけど、その人を有名に、一流にしてくださる?とこうくるわけ。そんな相手もいないのに。

心配する半子をよそに、良子はやたらワクワクとやる気。世の中の半分は男なのよ。その中から一人ひっぱってくりゃいいのよ!と凄い言い方。かくして翌日、彼女はサラリーマンがどんどん通る往来に逆向きに仁王立ちになって、道行く男たちの顔を覗き込み……あ、怪しすぎる(笑)。で、見つけたのが、“うだつのあがらない”路上絵描き。これだ!とばかりに彼をひっつかまえ、「あなたを有名にするから、私の許婚になってくれない?」お、おい!いきなりそれかよ!当然彼の方はこいつぁーキチガイにつかまっちまった、と及び腰。判った、判ったから家に帰んなさい、と言うなりきびすを返して一目散。待って!違うのよー!と彼女も彼を追いかけて全力疾走。電車を乗ってまでも追いかけて、彼がボロアパートに着き、はあ、やれやれと窓を開けるとそこには彼女が!も、もう可笑しすぎるってば!

とまれ彼、三田門太を捕まえた良子、“有名画廊で個展さえ開けば有名になる”と、阿久根に彼の個展を開かせる。突然自分の部屋からあらいざらい絵を持っていかれた三田はボーゼン(笑)。しかし当然世の中はそうは上手くいかず、彼の絵はケチョンケチョンにけなされるんだけど、そのことに絶望して自分の絵を切り裂く三田の写真と共に、“天才画家現る!”の新聞記事が踊り、一転、三田は時代の寵児に。もちろんそこには良子の阿久根への働きかけがあったわけで。まっずいなー、ここまでやっちゃったら、事態が相当ややこしくなっちゃうよと思うのだけれど……。

そこからもさんざん色々あるんだけれど、ただひとつ救われるのは、そして救われるラストを迎えられるのは、どんなに持ち上げられても三田の絵への純粋な情熱が変わることがなかったこと。彼はこんな立場になる前から、ただただ絵が好きで、そしてそんな自分に自信があるんだと言っていた。デッチあげの批評で持ち上げられても同じことを言い、そのニュアンスにはおごりは感じられず、まっすぐな彼の気持ちは全く変わらないのだ。確かに良子が拾った時にはヘタクソな路上画家だったのかもしれない。いや、拾った時のみならず、時代の寵児になってもなお、お話にならないようなヘタクソな画家。でも彼のこのまっすぐな絵への情熱と確信には、最後の最後、逆転勝利する、本物の画家の灯りがともっていたのだ。良子は確かにちゃんと、才能を拾い出したのだ。そして愛情も。

この三田を時代の寵児に押し上げるのは、著名な批評家(画家?)である宗方。これを演じるのが志村喬で、んもー、最高なんである。彼が、三田を持ち上げる記事を書いてほしい、と依頼を受ける場面からしてもう振るってて、渋る彼に電話の相手は「長い付き合いでしょう、引き受けてくれてありがとう、それでは原稿待ってます!」と宗方が何にも言わないうちにこれだけまくしたててガチャリ。んで苦虫を噛みつぶしたような宗方の顔、の展開の早さにもう噴き出しちゃう。美術界での彼の存在は大きくて、彼がいいと言えば、誰一人疑問を差し挟む人がいなくなってしまう。買収された自分に対して、仕方ないよ、とばかりの周囲の視線に、宗方は耐えられなくなる。酒を飲んで荒れ、三田にすべてをぶちまけてしまうのだ。彼とは知らずに。そして三田はまたそれまで描きためていた絵を切り裂き、アトリエを飛び出してしまう……どうしても切り裂けなかった二枚の絵を残して。

目覚めた宗方が見つけるその二枚の絵。一枚は小さな絵で、四角い水槽の中を金魚が泳いでいる。そしてもう一枚は、三田が良子をモデルにして描いた絵。「ヘンな顔だな」と言いながら、宗方はその絵をじっと見つめ、その二枚をシーツにくるんで画廊に持っていくのだ。ただ一人、どうしても三田の絵がいいと思えない、と自分を貫いてきた画廊の主人にその絵を見せる。「宗方は、救われたかもしれない。この絵を見てみてくれ。君なら判るだろう」画廊の主人もまた、宗方と同じ表情を見せる。「三田は何かをつかんだよ。これで三田も宗方も救われる。世間を欺いた私を皆許してくれるだろう」ま、まさかこんな展開が待っているとは……何かとてつもなく、幸福、な結末に思わず知らず胸がじーんとなる。また志村喬が滋味のある演技を見せてくれちゃうから、ますますじーんとくるのだよお。

三田がその何かをつかめた、のは当然、良子の存在があったから。彼女を描いた絵に込められた複雑な感情、水槽に閉じ込められた金魚は彼自身の画家としての葛藤、純粋な気持ちだけでは確かにヘタレ画家のまま終わってしまったかもしれない彼に才能の息吹を与えたのは、良子だったのだ。すべてがバレて、三田の目の前で良子は阿久根からプロポーズを受けるのだけれど……それはまさしく、最初の良子の目論見どおり、つまりは良子は阿久根に勝ったわけだけれど、彼女は辞する。私は三田と結婚したいのだと。この時には三田が貧乏絵描きに逆戻りするということは判っていた(というか、そう思い込んでいた)のに、良子はそう言い、三田は去ろうとする良子に「君を許すには、君を忘れなきゃいけない。そんなこと出来ない」と引き止めて「僕と結婚したいのかい。結婚しよう」彼の胸に泣きそうな顔をうずめる彼女。あーすっごい、幸福。結婚でハッピーエンドとか嫌いだけど、もうこれはいいでしょ、素敵でしょ。だって、女が受身じゃないんだもん。攻めて攻めて、そしてその中で彼女の中にはなかった愛を、初めて彼女が感じるんだもの。

ちょっと特筆したい面白キャラが、阿久根の“公的私的秘書”の古谷。阿久根のプライベートなことまで一切を取り仕切り、その豪邸にもちゃっかり住み込んで、すっかり慣れた顔しているのがとてつもなく可笑しいのだ。彼のタイミングにはさんざん笑わせられるんだけれど、最もお腹を抱えたのは、阿久根にひいきの芸者から電話がかかってくる場面。いないと言えという阿久根なんだけど、電話の主は一向に信じようとしない。「いないはずはない、とおっしゃるのですが」「本人が言っているんだから間違いない」と返す阿久根もおかしいんだけど、そんな風に何度も主人に伝えにくる彼が可笑しくてたまんない。で、挙句の果てには、グラスの氷を見ながら「溶けたと言え」という主人の言葉そのままに「専務は溶けてしまわれました」とホントに伝えちゃう古谷がもー、最高!ラストシーンも、相変わらずバカな自信家っぷりを披露している阿久根にくっついて鮎釣りに来ている彼が、画面のとおーくの方で、川の中足滑らせてひっくり返るコミカルに噴き出しちゃう。ほんと、いっつもいっつもこの阿久根にべったり付きっ切りの彼こそが、最高のパートナーかも?

三田役の川喜多小六のサワヤカな青年っぷりがキュンときちゃった。一人アクのなかった彼が、実は一番さらったかも?あー、もう、市川崑、最高デス。★★★★★


盗まれた欲情
1958年 92分 日本 モノクロ
監督:今村昌平 脚本:鈴木敏郎
撮影:高村倉太郎 音楽:黛敏郎
出演:長門裕之 南田洋子 滝沢修 喜多道枝 柳沢真一 香月美奈子 小沢昭一

2003/3/11/火 劇場(中野武蔵野ホール/レイト)
そのタイトルで何となく、ロマンポルノ風エロッぽいのを想像したのに、騙された!……というのは冗談で、長門裕之だから観にくる気になったわけで、長門裕之、南田洋子で今村昌平監督、なんていったら、そんなエロ映画なわけがないことぐらいいくら私でも判りますので。しかしやはりこのタイトルはちょっと不思議。うーん、どうにも内容と結びつくようには思えないのだけど?戦後復興真っ最中の大阪で、どうもサエない芝居一座が、一発脱却を目指してテント劇場で地方のドサ回りを決意する。家族を中心とした、芝居での人生しか考えられないようなこの一座の中に、彼らのバイタリティに惹かれて飛び込んだ大学出のエリート演出家、信吉がいて、これが長門裕之。純粋で熱い彼の言うことはいちいちもっともだし、彼がこの一座にホレこんでいるのも本当だし、そしてこの一座を自分の力でより良くしていこうという気持ちもウソじゃないんだけれど、彼はまだまだ人生見えていない青二才。実はこの一座の人妻にホレていて、しかも自分の理想がことごとに破れて、結局はこの一座を離れていくことになる……てな内容なんだけれど(ほら、何で「盗まれた欲情」なのかなあ?)、しかし、暗くない。とにかく全編、大阪、河内の怒濤のごときパワーに満ち溢れており、しかもこの若い時の長門裕之のキュートな初々しい青二才ぶりときたら、ああ、この人は本当に私、達者な役者だと思って好きなんだけれど、もっと根源的な、このカワユさには参っちゃうんだなあー。そりゃあ、やっぱり桑田圭祐に不思議なほどソックリなんだけどね。これは若い長門裕之を見るたび言っちゃうけど、まさに他人とは思えないほど……これは何かホント不思議なんだもん。

ところで、これが今村昌平監督の第一回監督作品なんだと知ってかなりビックリする。何がビックリするって、ええ!これで、これが、デビュー作品なのお、この手慣れ方は何なのよッというビックリ。確かに作品全体に若々しさが横溢しているけれど、むしろその若々しさは物語そのものの若々しさであり、メチャクチャに爆発しそうになるこのエネルギーをきっちり計算して完璧に収斂させていく演出は、どう考えたって老練の腕にしか思えないのだ。彼は今、若い才能を育てる立場にいるわけだけれど、うーむ、やはり元々ある才能にかなうものはないって気がするなあ。

昔の日本映画ってそれでなくても結構早口で、今とは微妙に発声が違ったりするので聞き取るのに苦労するんだけど、この作品に至ってはそれはもっと顕著。ただでさえまくしたてるようなこの関西弁は、彼らが熱くなるほどにどんどん早くなり、冒頭のケンカのシーンではもはや彼らが何を言い合っているのかさっぱり判らないほど。通天閣のあたりで興行を打っている一座、けれど客足はサッパリで、ちらほらいる客も第一部のストリップレビューが終わると、第二部の芝居など見る気もなく帰ってしまう。客のいないところで芝居なんぞ出来るか!と、この一座の花形役者はすっかり試合放棄、身内の中で取っ組み合いのケンカが始まってしまう。そのことが原因で、興行主からほっぽり出され、一座は呆然と路頭に迷うハメに。イチから再出発しようと、田舎へのドサ周りの旅を開始する。

都会での、いかにもヒマつぶしのしらけた客がタイクツそうに眺めているのと大違い。この豊かな田園風景が印象的な地方に、役者が来たというだけで村中騒然。芝居だ、芝居が観られるぞ!とあっという間にその噂が広がり、彼らの行くところ行くところ蜂の巣をつついたような大騒ぎ。テントを持っている大地主がケチなことを言うのに対し、村人たちはこの役者たちよりももっと憤慨して首を突っ込み、いざ芝居が始まると、連日超満員。都会仕込みの扇情的なストリップレビューに男たちは目を丸くし(つっても、ビキニスタイルまでなんだから、大したこと、ないない)、女たちはハンサムな花形役者にのぼせ上がっておひねりがあめあられと舞台に投げ込まれる。役者たちは久しく味わったことのなかった、大勢の客の満足を受けてこちらもすっかり盛り上がり、どんちゃん騒ぎ。昼間はごひいきの所にシケこんで、よろしくやっている始末。

娯楽が飽和状態の現代にいるとこんな、心臓が飛び出そうなほどの期待感、ワクワク感は本当に久しく忘れていたこと。全く、本当に、うらやましい!彼らの嬉しそうな顔、顔!もしかしたら大したことないことでも?うわあーっと歓声が嵐のように吹き荒れるこの臨場感!こりゃ商売どきだ、とシッカリものの村の女二人が用意した、寿司だの、「今日は黒砂糖サービスしといたで」などというニセコカコーラも飛ぶように売れる。彼らの幸福そうなことといったら……!そういえば、こういう情景、「ニューシネマ・パラダイス」で観たけれども、それよりもずっとずっと前に、そしてもしかしたらかの作品より何倍ものエネルギーが充満したこんな作品があったとはね。これって、ソフトになってないらしいんだけど(今はなってるのかな?)もう、絶対もったいないようー。

どうひいき目に見てもはっきり醜女のオバチャンが座長とねんごろになったり、村の男たちは駐在さん含めてストリッパーの女たちを舌なめずりして品定めし、風呂をのぞいたりするだけじゃ飽きたらず、何と女を一人さらおうとする始末。ちょ、ちょっとこれって……いいのお!?口をふさいだ彼女をワイワイ盛り上がって男どもが川岸までさらっていくシーンには、それがあまりにもアッケラカンとしているので思わず開いた口がふさがらなくなっちゃう。勿論彼女は異変に気づいた座員たちに助けられるんだけどさ……。女好きでお調子者の役者が、気の強い村の娘を騙してイイコトしようとして返り討ちにあい、彼女が一座の中で目を見張る大乱闘を繰り広げたりも。そうそう、この大乱闘、凄いの!ありゃスタントなしでしょ。うら若き乙女が、髪の毛つかまれても抵抗して雄たけびをあげるわ、足はおっぴろげるわ、もんどりうってステージから転げ落ちるわで、本気だよ、あれは!頭打って死んじゃうよ!

こんな盛り上がりの中で一人思い悩んでいるのが主人公の信吉。彼はかつて大学で演劇をやってて、かつての仲間たちはみなエリートコースに乗っかって、いいポストについている。でも彼は、この一座の中にホンモノの芝居魂があると信じて、この世界に飛び込んだ。しかし、彼がどんなに稽古が重要だとか、客に媚びた芝居ばかりじゃダメだとか熱弁をふるっても、座員たちはエリートさんの言うことだからなあ、という感じ。彼の真摯な情熱は皆判っているし、彼の言うのにしたがってそれなりに稽古にも熱心にはなったんだけれど、新しい芝居をやりたい、と彼が持ちかける「新解釈」の芝居にだけは、座長をはじめ全員が及び腰。稽古の時間も皆してすっぽかし、信吉はすっかり落胆してしまう。

信吉の気持ちは判りすぎるほどに判るし、彼のやりたいことをやらせてあげたい、とも思う。しかし一方で、彼のやりたいことはこの一座にはなじまないという気もしている。客に媚びちゃダメだと彼は言うけれど、客に喜んでもらうことを至上の喜びとしてやっている根っからの芝居人である座員たちと、客よりも自分のやりたいことを実現してみたい信吉とはまずその原点がまるで違うのだ。もちろんそれは、役者としてのスタンスと演出家としてのそれの違いがあるのかもしれないのだけれど、しかし一方で原点の違いのみならず、やはり信吉は根っからの芝居人間ではないと言えるのかもしれない。あるいは、信吉は演劇人であり、芝居人ではないのかも、と。前者のニュアンスには、その新しい形を常に模索するイメージがある。後者はとにかく客ありき、そしてその前で演じられることにこそ喜びを感じる役者バカの趣。芝居の内容なんて、どうでもいいのだ。演じられれば、それで満足なのだ。

だからこそ座長は、彼のことを好いてはいるけれど、結局彼が出て行くのを追わないのは……ここにいたら、彼のやりたいことは出来ないこと、自分たちは彼に追随することは出来ないこと、そして、彼はここにいたら潰されてしまうかもしれないと慮ったのだろう、と思う。勿論もっと直接的な原因があって、信吉は、座長の長女であり、この一座の花形役者の妻に横恋慕している。この妻も彼を憎からず思っており、押し切られて一夜を共にさえし、一度は彼女は彼と共にこの一座を離れる決心までするのだけれど、結局できないのだ。それは夫の方を愛しているから、ではなく(!)小さい頃から育ってきたこの一座を離れてしまうことが出来ない……そんな自分を想像できない、ということなのだ。彼女もまた根っからの芝居人。それは信吉の青臭い人妻への思慕など吹っ飛ぶほどのものなのだ。信吉と妻とのことが明らかになった時、夫である役者は静かにそれを受け入れて自分が身を引こうとし、その時点で信吉はすっかり風格負けしているとも言え……いやその前に、彼と話をつけようと稽古をしている彼の元に行った信吉が、鏡獅子を演じているその役者のオーラにすっかり見とれてしまった時、もう負けだったのかもしれない。

しかしこの信吉の……つまりは長門裕之の、人妻を陥落させてしまうようなツバメ的セクシーさにはクラリときてしまう。彼はこの彼女の妹にもホレられていて、その妹の方は実に積極的で自分から彼に抱いて、と(しかも川岸で!)迫りまくり、その思いを遂げたりしちゃうのだ。そして一座を離れた彼は、追って来たこの妹と(しかし、寝たあと一度はソデにされ、しかも姉との夜明けの現場を目撃しているというのに、強いわ、このヒト)彼の力が発揮できる場所を求めて旅立つ。一方で座員たちは村人たちの熱狂に見送られて、ニギヤカに華やかにこの地を去ろうとしている。対照的な、双方の旅立ちだ。

子役から映画界にいた長門裕之が、こういう位置の役を演じている、というのも興味深い感じ。とにかく、楽しくて元気が出る映画!★★★★☆


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