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MUSA 武士/武士
2001年 133分 韓国 カラー
監督:キム・ソンス 脚本:ニア・ヴァルダロス
撮影:キム・ヒョング 音楽:鷺巣詩朗
出演:チョン・ウソン/チュ・ジンモ/チャン・ツィイー/アン・ソンギ/ユー・ロングァン/パク・チョンハク/パク・ヨンウ/イ・ドゥイル
だから、オリジナル版を見てしまえばきっと氷解するであろうという点は、ここで挙げるのはヤボなのかもしれないけど、でも、一応インターナショナル版だって一つの映画作品なんだから……と思って恐る恐る挙げてみる。厳しい旅の道中、次々に問題点が出てくる割にはそれが解決するのが早すぎて拍子抜けする。うん、例えば食べ物の問題とかね。高麗人の使節団に助けられた明の姫君、自分の国の姫だからと途中から明の民たちがついてくる……自分たち自らついてきたくせに、しかもそれを反対する高麗人に姫が進言してくれたというのに、姫のワガママで自分たちが巻き添えを食ったと怒り、ま、ここまでは人間の身勝手さを表現しているから何とかアリにしても、その後その怒りが何のきっかけもなく突然解けてしまうのがいくらなんでも訳がわからない。ことにこれは他国を描写しているんだから気をつけなくちゃいけないんじゃないのかなあ……。
だから、だからね、こういうのはそれこそ、多分絶対、オリジナル版を見てしまえば氷解するだろうとは思うのだ(必死)。だって、こういうのって、やっぱり寸足らずの時に、起こりそうな疑問だもの。うーん、で、でもだからといってオリジナル版を見たいとまでは思わないんだなあ。そりゃ過酷な中でのすさまじい撮影であったとか、目を見張る殺陣とかは見りゃそりゃー判る。凄いなと思う……けども……。
キャラたちも一様に魅力的ではある。何の、文句もない。この中の誰かにハマれるか否かが別れ道なのかもと思う。ハマれそうになるところで、そういう寸足らずの疑問にふっと邪魔されてしまったような気がして……それが原因、かな。
とかいいつつ、主人公である槍の達人、ヨソルにはやっぱりキャー!とか思ったけどね。奴隷の身分だった彼。仕えていた老人が死んで、この老人が実に人徳のある人で、死ぬ間際にこのヨソルを解放した。人間は身分などに縛られずに自分の生きる道を選択する権利がある、って。それは無論、このヨソルにそれだけの価値がある男だと見極めたせいであるだろうけれど。ヨソルはこの老人の遺体を、仲間の反対を押し切って一人歯を食いしばって運んでくる。祖国の土地で死にたいと言っていた老人の言葉をくんでのこと。しかしこの灼熱の太陽の中、遺体はどんどん腐乱してくる。そして仲間たちに追いついた時、その事が原因で乱闘となり、彼は捕らえられてしまう……。
時代は中国大陸激動の600年前。朝鮮が高麗に、明は元にとってかわろうとしている時。高麗が明との友好関係を築くために送った使節団のうち、ひとつ、行方の判らなくなった団があった。これを歴史的事実とフィクションをまじえて描いた大作。行方が判らなくなった、んだからそりゃまあフィクションの要素の方が大きい訳で、他国との関係を絡めて描いた時、少々やはり自国への贔屓目や、他国の描写が粗くなる感じはしつつも、それはやはり先述のカットの問題があるんだろうと(そう言っとかないとコワい)。でもそういうのはどこの国の映画でもありがちなことでもあるんだろうけどね(あ、怖い、怒られそう……)。と、とにかく、友好のためなどということは最初っからまるで受け入れられることなく、彼らは流刑に処される。もう死ぬしかないというような、灼熱の砂漠。実際、年老いたものたちを中心に次々と倒れ、それだけでなく蒙古軍の襲撃も受けてその数は激減する。その中にヨソルの仕える老人もいた。
団を率いるのは若く豪気のある将軍、チェ・ジョン。父から受け継いだこの身分に、実は100パーセントの自信があるわけではない。肩をそびやかし、弱いものを斬って捨てる態度は、そんな自分を奮い立たせるためなのだ。彼のそばには、その父の代から仕えていたカナムが常に控えている……。
このチェ・ジョンがまた、お前ジャニーズかよ、と思うような甘いマスク。確かにこの風貌は、こういう二代目お坊ちゃん将軍にはピタシとくるのだけれど、やっぱちょっとジャニーズ過ぎかも……。同時に同じ女性=敵国の姫に思いを寄せる同士となるヨソルとチェ・ジョンのツートップはほとんど耽美な画で、それだけでも見る価値はあるんだけど(笑)。いやー、しかしやっぱりヨソルかな。その長い黒髪を無造作に揺らしながらの、大槍を見事に振り回す素晴らしさは、わりーけどチェ・ジョンのヘタレ将軍にはかなわんのよ。
そうなのだ、そうそうそう、私が何で本作に足を運ぶ気になったかって、そりゃ、この敵国の芙蓉姫にチャン・ツィイー嬢が扮しているからに他ならないのだった。だってだってだって、彼女こういう気位の高い姫様とかいう役が似合いすぎるんだもん!!つんとした表情の方が笑顔よりも可愛い美少女などめったにいるもんじゃない。まるで純潔を守った血統書つきの猫みたい。
この芙蓉姫はヨソルをひと目見たとたん恋に落ちる。恐らく、ヨソルの方も、そうである。チェ・ジョンも芙蓉姫にホレたけれども、この二人が既に両思いだからカヤの外である、気の毒に。芙蓉姫は明の国の姫で、ヨソルは高麗人。当然ながら共にお互い意思の疎通は図れない。通訳を介したりはするけれど、当然本心のそんな恋心を伝え合うすべなぞないんである。それなのに二人がお互いに思いあっていることが、多分お互いにも、そして当然観客にもビンビン伝わる。これは凄い。これは本当に。こういう立場の場合、何とかカタコトの台詞でもそういう恋の思いを伝え合って成立させるような話はあるけれども、そういうものにしたって、おめえらホントに好きあってんのかとツッコミたくなるようなものがほとんどなのに、これはそういうことなしできっちりやりやがるんだなー、もう!
しかも二人は恋人のように触れ合うことさえない。いや、一度だけある。最後の最後、ヨソルが姫をかばって蒙古の将軍の剣に倒れた時だ。ぐっさりと腹に突き刺さる剣……ぐえええ。姫は泣き叫びながら彼の側に駆け寄り、後ろから抱きとめる。この時だけだ、二人が恋人のように触れ合ったのは……。
実際主題は、いかにして男は生き、男は散るか、みたいな、それこそ武士道映画なんだと思うんだけど、やっぱりやっぱりチャン・ツィイーがあまりに可愛いものだからさ、しかもこの猫みたいに気まぐれで高慢で、でも凄く凄く傷ついているのがたまらなく痛くてさ、彼女ばかりを見てしまうのだなー。高麗の使節が彼女を守ろうとするのも、まあ最後の方はそうでもないにしても、やっぱり自分たちの利権が絡んでいるわけでしょ?自国の姫様だからとついていく明の民にしても、彼女についていけば助かるかもしれないと思っているわけだから、やっぱり同じことで。姫もまたそうなんだけど、でも彼女の方が利用されている率は高く、心が傷つく率も高く、慈悲の心を発揮するたびにその自分のせいで人が死んでゆくやりきれなさったら……こりゃもう、しんどいよね。
彼女はプライドが高いから、いつでも口をきゅっと引き結んで表情を変えないんだけれど、でもその気位の高い顔つきの下には、どんどんどんどん傷ついてゆくまだまだ若い女の子の傷だらけのハートが見え隠れするわけよ。若い女の子にとっての心の支えは、このイイ男のヨソルに対する恋心なのだ。奴隷でも、かまわない。そういう意味では彼女は結構リベラルな心の持ち主かも(いや、単に恋は盲目だからか??)。何にせよ、奴隷から解放され、いやきっとそれ以前から“身分などただの付け足しに過ぎない”という意識でいたであろうこのヨソルに、そうさせるだけのオーラがあるのは確かなんである。同じく芙蓉姫にホレているチェ・ジョンは、奴隷は死ぬまで奴隷だと言い放つんだけどね……まあ、その辺は将軍サマだから。
自分たちの名誉を取り戻すために蒙古軍に捕らえられていた姫を助けた、それがいけなかったのか、あるいは結局はどうやっても彼らの運命は変えられなかったのか……。姫をあきらめない蒙古軍から再三の攻撃を受け、どの時点でだって姫を手放せば彼らの命は助かったのだ。もはやこの状況では明に彼女を送り届けるなんてムリなんだから。しかし彼らは団員内で意見が分かれながらも最後まで姫を守りきる。自らの命を散らしていきながら。
彼らをそこまで駆り立てたものはなんだったんだろう?単に武士の気概、ではないのは、姫を捨てさえすれば、という意見が圧倒的だった時もあったことからも、判る。途中、明国の民を拾い、その老婆の顔に自分の母親の面影を見るハイルのような者や、身重の新妻を思って妊婦を気遣うダンセンのような者も現われる。彼らのうちにあるのは武士の心というよりも、もっと不変的な人間の心、それが芽生えていったといった方がいいのかもしれない。まあそんな純粋な人たちばかりではなく、旅の途中彼らを救って仲間に入ったとはいえ、僧のくせにいまひとつ人間がセコいチサンあたりはちょいとアレだったけど。
そうだ、この二人のエピソードはことに痛烈だった。ハイルが慕う老婆は、戦争で息子を亡くしている。そして最後の戦闘でハイルもまた敵の刃に倒れた時、この老婆は自分の息子がやられたかのように抱きしめ、泣き叫ぶ。ハイルの死に際の穏やかな顔……。そしてダンセンは、今ごろ生まれているはずの子供よりも、妻に会いたいと言うあたりがカワイイ少年といっていい若さのコなのだけれど、この明人の妊婦の出産のため、水を調達しに、蒙古軍の井戸に忍び込み、その矢に貫かれてしまう。うぅ、ちょっとお、あんまりじゃないのお。
でも、ここに人類皆兄弟、みたいな思想が貫かれているわけだな。蒙古軍は脇に置かれてるケド。明と高麗の間には、その顔つきにはどこにも差異なんて見られない、確かに。お互いの顔の中に、故郷で待っている家族の顔が重なる。自然に相手に優しくなれる。実に、簡単なことだ。最初から簡単なことのはずなのだ。なぜ人間はだんだんとそれが出来なくなってくるのだろう。
数年前から韓国映画が公開されるたびに、韓国映画礼賛、それに比べて日本映画は……みたいな論調ばかりの昨今にいささかヘキエキしているのが正直なところなのだけれど、うーん、確かにこういう映画は今の日本で作れるとは思えないな……でもなぜだろう。いい役者なら日本にだっている。殺陣が出来る人も、訓練すればサマになる人もいるだろう。だけどなぜこういう映画を想像できないのだろう。
こういう映画が撮れる人がいないのか、あるいは撮れる人がいてもお金を出してくれる人がいないのか。
今日本でトップにいる映画監督さんって、内面的というか、ささやかというか、無難な映画を撮る人が多い気がする、んだな。何となく。
うー、悔しいよー、誰か作ったれよー、こういう映画をさ!!★★★☆☆