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「ち」


2007年鑑賞作品

長江哀歌/三峡好人/STILL LIFE
2006年 113分 中国 カラー
監督:ジャ・ジャンクー 脚本:ジャ・ジャンクー
撮影:ユー・リクウァイ 音楽:リン・チャン
出演:チャオ・タオ/ハン・サンミン/ワン・ホンウェイ/リー・チュウビン/マー・リーチェン/チョウ・リン/ホァン・ヨン


2007/9/30/日 劇場(シネマート新宿)
私、ジャ・ジャンクー監督作品はデビュー作の「一瞬の夢」を観たきりだったんだなあ。もっと観てるような気がしてた。今回は、やはり賞取り作品ということで足を運んだ。うん、単純な理由。2006年ベネチア国際映画祭のグランプリ受賞。しかし予告編や邦題からイメージするような、ホロ苦い癒し系、では済まされないものがあった。
長江のただただたゆとう流れと長回しを多用したカッティングは、正直、時々くらっと眠りに落ちそうにもなるのだけれど(何とか踏ん張った)、そこには今の中国の、成長のための破壊と、その性急な物理的破壊がなぜか人間の関係や気持ちをもじりじりと破壊していく現実が横たわっている。
それは今急にじゃなくて、この10数年でどんどん高まっていったことを、長江の流れのゆったりとした様と対照的に見せてゆく。

そう、邦題とは違うのだ。原題は、「三峡好人」。「長江の景勝の地、三峡は、瞿塘峡、巫峡、西陵峡の三つの峡谷からなり、古来より山水画の題材に好んで描かれた」という。三峡というのがなじみが薄いから、この邦題をつけたんだろうけれど、そうすると若干のイメージの狂いが出る。きっと中国では、長江の三峡、とすぐイメージできるんだろうな。
舞台はダムに沈められる古都・奉節(フォンジェ)。烟(タバコ)、酒、茶、糖(アメ) のチャプターに分けて描かれる。それは、中国人には欠かせないものなのだという。なんだか、そんなものが、そんなものさえあれば生きていける、というような切なさも感じる。
三峡ダムは、日本の黒部ダムの実に200倍あるという巨大さ。
築地にいると、人間の根本を形成する食材に如実に感じる今の中国の勢い。オリンピックもあるし。その性急さゆえに色々マチガイ起こしてみたり。

男と女、二人の主人公がいる。二人は互いに交わることはないんだけれど、そこには胸かきむしられる時の流れがある。
一人は、16年前に別れた妻子に再会するため、山西省からやってきた炭鉱夫サンミン。
そして今一人は、2年間音信不通の夫を探しに、やはり山西省からやってきたシェン・ホン。
ダムに沈められるってだけじゃなく、あちこちで建物の解体作業が行われている。一方で山水画のような薄暮の美しさを映し出すこの山峡が、陸ではもうもうとコンクリートの粉塵を立ち上がらせている。

本当に、そこら中壊しっぱなしなんである。冒頭、サンミンが16年会っていない妻を探しに訪れた住所は、流れの滞った大河の下に沈んでいる。ダムのために歴史ある街が犠牲になったんである。
それが象徴的だけれど、それ以外にも、とにかくもうそこら中壊しまくっている。そのための人足の働き口には事欠かない。
サンミンもまた、妻が船の仕事から戻ってくる間の口を糊すため、解体作業の仕事に取り掛かる。一から十まで手作業で、コンクリの建物が全壊するまでにいつまでかかるのか、気の遠くなるような状態なのだ。

そしてもう一人の主人公、シェン・ホンがいる。落ち着いた美人。サンミンや彼の訪れる土ぼこり、コンクリほこりにまみれた様子とはかなり違っている。
彼女の見る情景も、サンミンと大分違う。彼女が会いに行く夫がちょっとした大企業で働いているせいなのか、サンミンたちのやっているような原始的な解体などせず、まるでハリウッド映画さながらにあちこちで爆破が行われているんである。ビルが林立する遠くの方で、ひとつのビルが突然崩れ去る場面は、まるでSFを見ているようである。

と、思ったら、子供たちが群れて遊んでいる草原のオブジェが、ある日突然、空へ向かってロケットのごとくに飛んでいくような描写さえ用意されている。???監督も、あちこちでビルが煙を上げて壊れていく様を見ていたら、一回ぐらい空に向かって飛ばしてみたいと思ったのかなあ。しかし画面の流れは滋味に溢れているので、突然そんな場面がはさまれるとビックリしちゃう。
監督の説明によると、これは“住民の移住を記念して市が建てていたモニュメントが、建設途中でお金がなくなり未完成のまま”なんだそうで。
それも凄い話だけど、“三峡の美しい風景とあまりにそぐわないので、飛んでいって欲しいと思い”あのシーンが作られたという、その監督の発想も凄い。私の想像もあながち離れてなくもなかったような。
何千年もの歴史のある中国が壊されていくことへのやるせなさ、みたいなものがあったのかなあ。

シェン・ホンの方はというとサンミンの事情とは違い、彼女の夫は連絡が途絶えているだけで、居場所は判っている。でも、もう2年。携帯電話が7ケタから8ケタになるだけの長い時間、夫は連絡をしてこなかった。
どうやら、解体や強制立ち退きを取り仕切っているやり手の女社長と、イイ関係になっているらしい。時たま妻に連絡を入れてくるのは、彼女曰く「私が元気でいると判れば、安心みたい」というわけなのだ。
彼女は夫に離婚を迫った。「好きな人がいるの」と。都会で落ち合うことになっているのだと。それは、このあまりに実りのない2年間が耐えられなかったための、ウソなんだろう……だって本当に唐突だったもの。

だって、帰ってこない夫を待って待ってようやく出てきたと思ったら、2年ぶりだってのに出てきた台詞は「どうした。なんか用か」なんだもの。もうその時点でダメだって、思ったんだろう。これはヒドい。なんか用かじゃないよ。そんなことも判らないなら、もう終わりだ……。
彼女はいつもいつも、ペットボトルの水を飲んでいる。行く先々で、飲料水を継ぎ足しながら。なんだかそれが、妙に頭にこびりつく。
その、乾いている、という描写が……女として乾いている、なんてヤボな考えが浮かんでしまって。ホントヤボだよね、ごめんなさい。でもあながちハズれているって訳でもないような気がするんだよなあ。このもうもうと土ぼこりの舞う乾いた中で。心もオンナも乾いていく。

彼女が夫を友人と共に待っている間に、夫が経営しているという屋外のダンスホールに出かけてみる。
夫はダンスなんかやらなかったのに、とごちる彼女は、夫が遠く去ってしまったことを知る。
そこへ、肩で風を切って入ってくる男。連れの客に、自分が造ったんだという橋を自慢げに見せる。
携帯電話で指示を出す。「オレの合図で、点灯しろ」巨大な橋がぶわっとライトアップされる。確かにきれいだけど、なぜだか、妙に虚しい。
それは、今、周りが闇だから美しいのだ。これからどんどん開発が進んでいって、明かりだらけになったら、ただうるさい明かりだけの世界なのだ。

一方で16年ぶりの妻、ヤオメイとの邂逅を待っているサンミンである。彼がなぜ妻に逃げられたのか……彼は、妻を大事にしてきた、と言った。久しぶりに会った妻にそう言った。
妻を、彼は買ったのだ。この奉節では女が余っていた。妻は売られたのだ。そして子供が出来た。彼の子供に違いなかったのだけれど、突然警察が乗り込んで、お前の子供じゃないと言い、妻は田舎に帰りたいと言って、それっきり、16年の歳月が過ぎた。
ひょっとして、斡旋屋に騙されたとか、そういうことだろうか。その辺の事情は明らかにされない。
16年ぶりに会った妻は、なぜ、16年も経ってから会いに来たの、と言う。もっともな疑問だ。なぜだったんだろう。やはり、警察の介入(それだってニセかもしれないけど)が怖かったのか。
しかしサンミンは、そのことに対して明確な答えを持たない。ただ、今は遠くへ働きに出ているという娘の写真を見たいと言い、そして、また一緒になれないかと言う。妻はただ、黙っていた。妻の雇い主に申し入れると、妻の兄に金を貸していると言った。サンミンは一年待ってくれと、そうしたら金を用意してくるからと言った。

サンミンは妻とこの雇い主の仲を疑っていたんだけれど、本当はどうだったのか。彼と雇い主の話し合いを窓の格子から覗き込んでいた彼女の気持ちは、なんだか微妙なものがある気もするのだけれど。
日に焼けて、化粧っ気もなく、いかにも地味な田舎の女だけれど、女には違いないのだ。16年前、彼の元から去ったのも、なにか、女の理由があったように思う。確信があるわけじゃないけど……なんとなく、女のカンみたいな。
この田舎では、女たちはダンナの稼ぎが弱いもんだから、既婚者でも身体を売るんである。その一方で、ダンナの労働者としての権利を得に、闘いにも出かけていく。強い女たちなのだ。
「女の子と遊ばない?既婚者だけど、若いよ」と言って、ズラリと熟女たちを並べる場面は失礼ながら思わず吹き出してしまうのだけど、女のしたたかさと同時に、なんかちょっと、はかなさ、切なさも感じてしまうんだよなあ。それは……彼の妻もまた、そんな風に生きてきたんじゃないかという想像もされるから。

この妻の兄が、別にハッキリどうこうって描写をされるわけじゃないんだけど、何となくウダツのあがらないって感じの男で。いやそれは、今の時点で、妹の雇い主に大金を借りているという事実だけでも充分ではあるのだけれど、もう登場シーンでそんな感じがあるのだ。
妻に会いたいというサンミンに、コワモテの手下たちをそろえて撃退する。揃って食べている伸び切った麺がひどくマズそうで、だって、彼ら、箸で何度もすくいあげるのに、口に運ぶ前にまたおいてすくいあげなおして、ちょっとだけつまんでちょろっと口に入れるだけなんだもの。なんかその描写が妙に気になっちゃってさあ。

解体作業だらけの奉節、まるで街をまるごと壊そうとしているかのようなここは、その最初からどうにもいかがわしい街でもある。多分、働き口を探して訪れる人たちをカモにしているんだろうと思われる。
船から降りると、ひと所に強引に集められて稚拙なマジックを見せられ、そのワザを伝授したとか言って、金をせしめられるんである。
しかしサンミンは一文無しでここまで来て、飛び出しナイフで逆に威嚇してすんなりそこをスルーする。そして、彼の探している住所がダムに沈んでいることを知りながら案内した、バイクタクシーの男たちに対してもひるまない。
しかしあくまでも淡々としているんである。男たちはそんな彼をボロ宿に案内し、値切ってくれたのはいいけれど、紹介料をそれ以上にせしめて去っていく。

この宿にはまだ小学生だろって男の子がプカプカタバコを吸い、チョウ・ユンファに心酔してやたらキザな言動をするチンピラの男、マーク(チョウ・ユンファの『男たちの挽歌』から頂戴した名)が虚勢を張っている。
チョウ・ユンファをマネして、紙切れに火を移してタバコに火をつけるのには吹き出してしまう。それはチョウ・ユンファが、しかも紙幣でやるからカッコイイんだよ……。古びたテレビに映し出されるチョウ・ユンファが、やけに懐かしく胸に迫り……まあもともと、古き良き時代を活写しているってこともあるんだけど、小さなブラウン管の色あせた画面に映し出される大きなサングラスのチョウ・ユンファが、男の夢と憧れと、それを叶えるためのはかなさが、急成長のために破壊を繰り返す中国の、しかもこの片田舎の様子に不思議に重なって胸がしめつけられるのだ。

そして取り壊す前に倒れそうなぐらい古いボロ宿にも、解体の決定が下る。ここにやっかいになったサンミン自身がそれをしなきゃいけないという皮肉。そして若いながらもいきがって、なんでも相談に乗るゼ!と威勢の良かったマークも、ヤバイ仕事に手を出したせいなのか、石に埋められて息絶えた状態で発見される。
全てが上手くいきそうに錯覚してしまう、どんどん新しくなっていくこの隆盛に、しかしそのために破壊されるものがあることを目の前にしているのに、若き愚かな彼は、それが自分自身のことだなんて思ってなかったのだ。

物語の最後、妻を再び迎え入れるために一度山西省に戻るサンミンと、仲間たちとが別れを惜しむ。山西省の炭鉱で働く彼に話を聞いた仲間達は、「そんなに儲かるのか。それなら、ココでの作業が一段楽したら、行くぜ!」と盛り上がる。サンミンは、「非合法の炭鉱だから、危険なんだ。年間で10人以上の死者が出る。それを踏まえてよく考えてくれ」と言うと、とたんに彼らは黙ってしまうのだ。
この長回しはなんか妙に、皮肉を感じる。ラクに稼げる仕事などある訳ないのに、あるんじゃないかとどこかで期待していることを突きつけられた気恥ずかしさ。都会なら、ラクに稼げる。ここにいる必要はない。そんな単純なものじゃないのだ。
ハイリスク・ハイリターン。それは、この日本にも当てはまることなのだ。日本は、あるいは東京をはじめとした日本の都会はあまりに複雑化しすぎて、それが見えにくくなっているけれど。
妻をもらいうける決意をした彼は、その後、妻と共にどこに暮らすのだろうか。

彼らが、お札に描かれている景勝地を自慢し合っている場面も、印象に残る。まさに、この山峡。しかしそこを自慢している一方で自ら破壊し、その形が壊されていくことにまるで気付いていないように見える。
サンミンと仲間たちに、決して忘れない、このお札を見る度に思い出す、と言うけれど、今度来た時には、ひょっとしてもしかしたら、その形が失われているかもしれないのに。
まさに水墨画の世界。時間が止まっているようにしか見えないのに。
歴史的遺跡を水没させるダム。でも、そのために必ず起こると判っている洪水で、人の命を見殺しにするのか。ダムの建設は確かに仕方のないことなんだろう。
過去と未来のせめぎあいが、終わらない破壊活動という形で、まるでだだっこの子供のように見えてくる。

携帯電話がひっきりなしに出てくる。この山水画の中で、あるいは解体作業の中で、ランニング姿の作業人夫のおっちゃんが携帯を駆使しているそぐわなさ。
しかしそぐわないからこそ、必要なのだ。ここでこそ携帯が力を発揮している。なんかそれが、都市で必要もないのにピーピーやっている皮肉にも感じられる。

英題は「STILL LIFE(静物)」。これもまた、静かな皮肉に思える。そこに横たわっている三峡は、確かに悠久の昔から今の時点までは、何も変わっちゃいないのだ。ただ静かにそこにいるのだ。でも、これからは判らない。そんな皮肉を多分に含んでいるように思う。★★★☆☆


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