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「む」


2009年鑑賞作品

MW−ムウ−
2009年 129分 日本 カラー
監督:岩本仁志 脚本:大石哲也 木村春夫
撮影:石坂拓郎 音楽:池頼広
出演:玉木宏 山田孝之 山本裕典 山下リオ 風間トオル 鶴見辰吾 中村育二 半海一晃 品川徹 林泰文 石田ゆり子 石橋凌 小松彩夏 藤井貴彦 山本舞衣子


2009/8/5/水 劇場(丸の内ルーブル)
観た後どうも、しっくり来なくって。この作品のことは友人から観た人の「上手くまとめすぎている」という感想を又聞きしていて、そんな印象が頭にあったせいかもしれないんだけど。でも確かに「手塚治虫が描いたのがこの程度なの?」という感じはしてた。この程度、などというのは不遜なのだけど。
確かにね、ある程度の長さのある原作を2時間程度の映画にするには、かなりの要素を犠牲にしなければいけない。そしてその犠牲の選択によって映画の出来は大きく変わってくる。あるいは話自体が全然ベツモノになってしまうことだってある。
本作は……ある意味両方になってしまった気がするのだ。犠牲にする部分を間違ったと思うし、全然、ベツモノになってしまった。
いや、確かに話自体はキレイになぞられてはいた。確かに「上手くまとめすぎた」というのはまさしく言い当てていたのだ。筋を通すことで、最も大事な要素が抜け落ちてしまった。それこそハリウッド映画に毛も生えないような映画になってしまったのだった。

今回原作を取り寄せて読了。その文庫版の巻末に花村満月氏が寄稿していたのだけれど、「これをノベライズしたら、陳腐になってしまう」というのは本当に頷けた。それは「これを映画化したら……」とまさに同義だと思ったからだ。
国家が隠蔽した毒ガス事件。その事件の生き残りの人間が仕掛ける狂気の復讐劇、彼をなんとか止めようとする、人間の善を必死に信じようとする神父……そう、それこそ、ハリウッド映画で見たことのあるような光景、なのだ。
“ハリウッド映画で見たことのあるような光景”というのは、それがイコール、フィクションであるという前提である。無論、手塚治虫のそれだってフィクションに他ならないんだけれど、そして実映像である筈の映像作品の方がリアルを感じる筈なんだけど……逆転しているんだよね。
今やリアルを追及すればするほどフィクション臭さを感じずにはいられない、やたら技術の発達してしまった映像作品、つまり映像を追究するが故にその他の部分……作者が訴えようとしていること、形にならないモノが抜け落ちてしまう。本作はまさに、その轍を踏んでしまったように思えてならない。

原作を読んで驚いたのは、息詰まる様なまがまがしい雰囲気と、生々しさと、……目を背けずにはいられないほどの残酷描写だった。
私は正直、手塚治虫がここまでの残酷描写をやってのけるとは思ってなかった。今更ながら、彼の作品をきちんと読んでいないことに思い至った。
あの丸っこい可愛い絵柄で、女に致死量の毒を注射しながら「膣が締まって最高に気持ちいいんだ」と犯しながら殺し、指紋から後がつかないように包丁で指を切り落とした上に、顔を焼却炉に突っ込んで焼け焦げさせる。それをあの丸っこい絵柄で……さらりとやってのけてしまう。
いや、丸っこい絵柄だけではない。この作品の根幹をなす、沖ノ真船島での惨劇は、驚くほどリアルな筆致だった。泡を吹いて、目を向いて死んだ人間の表情をつぶさに描き出す。なんたって結城と賀来はこの記憶にこそ長年苦しめられ続けていたのだから。

……そうなんだよね、この一番大事な部分をまず避けている時点で、ダメだったんだよね。少年二人が命からがら逃げた、毒ガスによって生けるものが全滅してしまった島、その死体の山。
映画ではフツーに横たわっている死体がチラリと見える程度で、後は火炎放射器に焼かれてしまう、という描写だけ。まあそりゃあ、火炎放射器で焼かれるのも残酷だとは思うけど……無残な死体が折り重なるのを見せるのを避けるために、もっと残酷に見える火炎放射器という方法を選択したように思えて。
そしてその選択が、二人のトラウマがそこまで追いつめられるものとは思わせなくて、……なんか安易にしたが故に、失敗したとしか思えないんだよなあ。

そして結城の持つ残酷さも。原作での彼は、まさに血も凍る悪魔。
セックス途中の女に注射を打って首を絞め、犬に食い散らかせ、爆弾を投げ込み……そしてその飼いならしたメス犬までもが彼にゾッコンで、……あれはセックスしてるんだよね……という場面も描かれ、彼にホレてる女の子がそれを覗き見て「……悪魔!」と息を呑むという恐ろしい場面さえ用意されているのだ。
悦楽の殺人の度に彼の顔が悪魔そのものの喜びの狂気にゆがみ、読者を戦慄させる。
映画での玉木宏は……なんかね、単なるスタイリッシュな殺人者に過ぎないんだよね。
確かに父親の前で愛娘を射殺するというのは「親の前で子供を殺すのと、子供の前で親を殺すのと、どっちが面白いか考えた」末だというんだから、悪趣味な残酷嗜好者には違いないんだけど、でも一瞬の銃弾の下なだけなんだもん。
……こんなこと言うと、なんか私が悪趣味な残酷嗜好者みたいでちょっとヤなんだけどさ。
でもね、それこそこれじゃ、凡百のハリウッド映画と変わらないんだよ。結城があの島でMWに犯されて、スタイリッシュな殺人者になった、じゃダメなんだよ。肉をも食らう、恐るべき猟奇殺人者じゃなきゃ、ダメなんだよ。

……だからね、その点でこの原作は、忠実に映像化出来たとしても、それはマニアックな残酷映画にしかなりようがないキライもあるのだ。……だから「MW」は……いや、手塚治虫作品の全てがそうかもしれないけど……ヘタな映像化なんてしない方がいいのだ。

そして結城と賀来の関係性もまた、映画では随分とまあ、最も重要なトコをバッサリ切っちゃってるけど……原作が未読の時点から、なんか賀来神父のキャラは弱いなあと思ってたんだよね。
本作は玉木宏と山田孝之の両主演といった趣があったけど、山田孝之演じる賀来神父は、映画では島での生き残りの少年の一人としてしか描かれず、それだけでは……結城に「お前は絶対に俺を裏切れない」とまで言われるほどの弱みを握られているとは思えなかったから。まあ、そこんところを山田孝之はあの没頭演技で頑張ってカバーしているとは思うけど。
その設定の弱さを補充するために、教会にいたいけな少女を配するなんて、そんなベタでヤボなことをするぐらいなら、原作の二人の関係を彼らにきっちし演らせた方が100倍良かったんじゃないの。玉木宏と山田孝之なら、絶対出来た筈なのに。

それは二人の同性愛関係。この二人の両主演で、玉木宏が美しき殺人者、山田孝之が禁欲の聖職者、というだけで、原作を知らなくたってそういう世界を期待するに決まってるよ。まさか原作がそんな期待以上の生々しさだと知らなかったにしても。
……でもさ、ここの要素を切ってしまったら、もうそれこそ「MW」という作品ですらなくなってしまうとしか思えない。
賀来が結城をどうしても止められないのは、彼自身が結城に最初に手を出してしまったという負い目と(しかも、いたいけな小学生の頃に!)、今だ妖しい魅力を放つ結城の誘惑に勝てないから、なのだ。決して聖職者としての正義だけの問題じゃない。
せっかく賀来神父に山田孝之をキャスティングしたのに。彼なら原作の賀来神父を完璧に再現できることだって出来だろうに。

玉木宏が結城役というのも、悪くはないとは思う。彼は美しいし。
まあでも……原作の、女にも容易に化けられる、しかもルパン三世並みに完璧に、というキャラはさすがに映像化に際してはギャグにしかなり得ないほど奇想天外で。だからそこを“犠牲の選択”に入れてしまった時点で、二人の最も重要な関係性が失われることになって、二人があの島の秘密を握る同志であるというだけでは、この世界を支えられなくなってしまったのは事実。
いや……それゆえに結城のセクシャルで悪魔的なキャラも、自動的に薄められてしまったことこそが、原因か。

ていうかね、恐らく二人の禁断の関係を、それこそが重要だとはいえ取り込んでしまったら……恐らくそれだけに作品が食われてしまうんだよね。
それは、2時間の制約がある、というだけではなく、たとえ尺の制約がなくっても、映像というインパクトは、それだけで他をかすめさせてしまうと思う。それこそ、バラ族映画に落とされてしまう。
そのことを考えると、この最も重要な要素を切ったのは正解だった……のか?

でも、その替わりみたいに、教会で働く無垢な少女やら、真相を突き止める新聞記者を原作と違って美人記者にしたりってのは、やっぱりあまりにも安易に過ぎなかったとしか思えないんである。
女である自分が言うのもなんだけど、女という要素はこういう作品に対しては、使いようによって非常に危険、だよね。
原作の女たちは、ただただ結城の悪魔的な魅力に落とされて、彼が危険だと判っている女たちもいたのに、それでも離れられない。いわば、殺人犬の巴ですらそうなんである。
でも映画作品ではそういう生々しい女の存在を排除して、無垢と正義の女をあらたに設定したことで…………より陳腐に成り下がってしまった。女が陳腐な存在になることが、女としては本当に辛くて哀しい。

結城がMWを盗み出すのだってさ、ヤボにも「MW」と大書されたりしちゃってさ。映像としての判りやすさったって、子供の名札じゃないだから、と思っちゃうじゃん。
人質の子供たちにダミーの風船を持たせるのは、原作の息詰まるクライマックスを取り込んでいるんだろうけれど、「(風船の中にMWが)あるわけないだろ」ってだけで終わってしまうのもどうなの。ウッカリギャグになりそうだよなあ、ホント。

正直ね、冒頭の、誘拐事件のシーンで尺を取りすぎたよなあ、という気がしてる。見てる時からかなりイライラしてた。ええ?こんなんでこんなじっくり撮っちゃうの?って。
未読でも手塚治虫作品を観に来ているという気持ちがあったから、追跡劇で尺を費やすちゃうなんて、B級ハリウッド映画並みだよな、なんてイライラしてて……まさかそれが、その通りだったとは思いもよらなかったけど。

本当に、“衝撃の問題作”にしてほしかったよ。映画界の常識をブチ壊してほしかった。手塚治虫が命をかけた作品に対して、同じく命をかけてほしかった。
スポンサーからのNGもあったがゆえの不完全さだったらしいけど、そんなことに屈するぐらいならこの映画を作る意味がない。
R指定だろうが、倫理的問題だろうが、役者生命だろうが、宇宙のかなたにぶっ飛ばすぐらいの覚悟がなきゃ、これを映画化する資格はないと思う。あの手塚治虫が全身全霊を込めた作品なんだよ? ★★☆☆☆


無防備
2008年 88分 カラー
監督:市井昌秀 脚本:市井昌秀
撮影:関将史 音楽:朝真裕稀
出演:森谷文子 今野早苗 西本竜樹 柿沼菜穂子 熊埜御堂彩 中村邦晃 朝真裕稀

2009/10/14/水 劇場(シネマート新宿)
ぴあフィルムフェスティバルグランプリ作品。
監督が髭男爵の元メンバーだとか、実際の出産シーンを映しているだとか、つまりは話題になっていて、それにしても俗な話題性だなあと正直、思っていた。
だから自分がこんなに心かき乱されて、もうわあわあ声をあげて泣きたい位に慟哭しているのが、自分でもビックリするぐらいだった。

批評で、この作品の素晴らしさを称えながらも、小さな宇宙に閉じこもっているとか、まとまりすぎて、感情を揺さぶるまでいかないとか書かれていることに対して、えー!めちゃめちゃ揺さぶられたよ。これを書いている人は男だから判んないんだ、だって、人への愛情や憎悪の感情、何より命の問題って、宇宙そのものじゃないのかい!などと、ホント、自分でもビックリするほどに心の中で反発しちゃって……。

女にしか判らないとか言うの、キライなのに、何より自分は妊娠も出産も、もちろん流産の経験もある訳ないのにさ。
でも……そういう経験がなくても、やっぱり女としての琴線に触れまくるところがあって、女として、彼女たちの気持ちが凄く判る気がして、もう……ダメだった。
だから、監督さんが、何でこんなに女の気持ちが判るのッ!?というのも凄く、オドロキだったのだ。だから全然、髭男爵だの、実際の出産シーンがどうだの言う必要ないっ!って思ったのだ。

そう、出産シーンなど、最後の一要素に過ぎない。確かにその時点で私はもう、あられもないほどに泣いているのだけれど、それまでの経過があってこそで……ずーっと泣きっぱなしだった。
確かに、見え方としてはベタな部分が多いのかもしれない、と思い直す。最初のうち、確かに私もそんな気持ちを抱えていた。
夫婦仲が冷え切っているしんとした家の中、キッチンで一人静かに食事をする妻。別部屋のダンナに食事を運んで行くと、「便所の紙が切れたから入れといて」と目も合わせずに言われ、「……判った」と返事をした彼女は、黙ってトイレットペーパーを設置し、そしてため息をつく。
「流産して以来、夫との仲も壊れてしまった。いつの間にか一緒に食事をしなくなり、いつの間にか寝室も別になった……」などというナレーションも、似たようなものを何度も聞いたな、と思ったりした。

でも、ラストに流れるエンディングテーマで、何度もくりかえし言われるのは、それが真実だから、と歌われていて、なんかその時ハッとしたんだよなあ。
そして実際、そう思っていたのは最初のうちだけで……そう、はじけたのはあの場面。海辺で律子が千夏に「初めて他人に話した」と泣きながら流産の事実を告白し、それを千夏も「知らなかった……ごめんなさい」と泣きじゃくりながら受け止める場面。これも、こうして字面で書いてみるとめっちゃベタなんだけど、もちろんそこに至るまでの過程があるにしても、なんか、この場面を自分が待ってた気もして、はじけてしまったのだ。

それに、この時に、役者の演技もはじけたと思う。当然スター役者などではなく地味な印象は否めないのだけれど、作品中でどんどん追いつめられて、感情を研ぎ澄ましていくのが判るのだ。だからこっちも揺さぶられて、こんなベタな(失礼)場面で、心を揺さぶられてしまう。

で、そう、ね。そこまでの過程。先述の様にベタな“冷え切った家庭”が描かれる前に、その律子が勤めている工場がこれまた淡々と描かれる。
いわゆる末端工場、プラスティックのキャップやら小さな部品を作るその工場での、機械の点検や製品の検品が彼女の主な仕事。
30代中盤といった感じの、正直体も中年のそれに入ってきてる、化粧っけもなく地味な感じの彼女は、この工場ではもうベテランの粋に入ると思しく、てきぱきと指示を出し、てきぱきと検品をする。しかしその仕事っぷりも本当に淡々としていて、仲間との挨拶も型通りで、いかにもいつも変わらぬ毎日を過ごしているのが判る。
プラスティック工場っていうのがね、彼女の、心を閉じた冷たさをいかにも示していて。作業服に尼さんみたいな頭巾をかぶって、ホコリやヨゴレを寄せ付けない状態での仕事が、彼女を寒々とした心の風景の中に追いやっているのがよく判って。

そんな律子が工場からの帰り道で出会ったのが、大きなお腹を抱えた千夏だった。買い物の荷物をたくさん下げていた彼女を見かねて「持ちますよ」と声をかけたのがキッカケだった。
踏み切りのある、二股の道で二人の帰り道は別れる。その場所は非常に印象的で、その後、何かにつけ二人がさまざまな感情を抱えてその道から別れて行く。時に冷戦状態、時に心を許しあって。その最初がこの場面だった。
そして千夏はその後、工場にパートとして入ってくる。律子を見たとたん「ああ!」と人なつっこい笑顔を輝かせる千夏に、律子も笑顔で返した。
「妊婦だからって理由で、他は全部落とされたらしい。でもウチは万年人手不足だから」と工場長から紹介された千夏は、出来ちゃった結婚でダンナもまだプーだから、私が働くしかない、と皆に屈託のない笑顔で話した。

同僚が車で送ってくれるという言葉に甘えて乗り込んだ千夏は、律子は歩いて帰っているのに気付く。そして、翌日からは千夏も歩いて帰るようになる。最初から親切にしてくれて、仕事も教えてくれる律子に思慕の念を持っていたから。
帰り道、律子の後ろからついてきた千夏は「イタタタ!」と陣痛のフリをしてへたりこむと、律子は血相を変えて駆け寄ってきた。「アハハハ!木下さん、引っかかった!」そう笑う千夏を律子はピシャリと平手打ちした。
職場で大きなお腹を皆に触らせている場面でも、律子は「何やってるの、仕事中でしょ」と諌めていた。決して声を荒げもせず、顔も穏やかだけど、でも律子の心が穏やかではないことを、千夏はどこかで感じていたのかもしれない。

そして翌日の帰り道、大雨が降ってきた。豪雨の中お互い黙って歩き続けた。そしてあの二股の道。
「不謹慎なことをしてすみませんでした。これからも仕事を教えてください」と震えるように頭を下げる千夏に律子はただ黙って「……お疲れ様」と返すことしかしなかったのだ。
この時には二人の冷戦は決定的かと思われたんだけれど……。

あのね、律子が千夏に仕事を教えるところでね、製品の不良状態を「これは奇形、これはバリ……」と説明するんだけど、いきなり「奇形」という言葉が出たのがなんか、ビクリとしてさあ。
やっぱり赤ちゃんのソレを想像しちゃって……あれはやはり意図的だったのだろうか。

千夏がそのバリ(毛羽立った)の不良製品を持って律子の指示を仰ぎに工場内、彼女を探し回って、機械を誤作動させてしまう。
ブーー!とブザー音が鳴り響き、それを引きの画面で、田んぼの中にぽつんと立った工場からかすかに流れてくる画が、妙にのどかで面白い。
うろたえまくる千夏の元に慌てて走ってきた律子は「触っちゃダメッて言ったでしょ、危ないじゃない!」と怒鳴りつけた。千夏は平身低頭。でも不思議とこの場面で、二人の仲のこわばりが解けたのだ。
それまでは、妊婦だということもあって、機械の制御には携わっていなかった千夏が、分厚いトリセツを抱えて律子の後ろから歩いてくる。言い間違いを指摘したりして、本当に仲のよい先輩後輩、いや、姉妹のように見えた。
沢山の恐竜の像がシュールに林立している草原で、二人がまったりしながらトリセツをひろげていると、律子の後頭部にこつん、とフリスビーが当たった。どこから飛んできたものやら判らず、その唐突さに二人は噴き出し、笑いが止まらなくなる。

そして、あの海辺の場面である。
確かにそれまでもベタだし、その場面もベタかもしれない。
でもね、凄く丁寧で、心のひだまで分け入る感じで、二人がさまざま行きつ戻りつしつつ心を寄せていくのがすんごいリアルで、工夫されたカメラの距離感もバツグンで、すっかりそこまで引きずられて行っちゃうんだもん。

律子は車の追突事故で流産していた。信号で止まっていた彼女の車に、後続車が追突してきたのだ。ほんの軽い追突。でもそれで彼女の大切な子供は流れ、夫との関係も壊れ、睡眠薬がなければ眠れなくなった。
そして二人、一緒に涙を流すと、もうその後はすっかり、仲良くなっちゃうんである。工場の作業室に入る前、塵を飛ばすエアーでお互いの口をブワー!とやるトコなんて、まるで中学生がじゃれて遊んでいるみたいで何とも可愛くてさあ。

深酒した律子を、千夏が抱えるようにして帰ってくる場面。そして、あの二股の道で律子は別れ際、千夏を呼び止めて「また赤ちゃんが欲しいと思ってもいいかな」と律子は言った。酒の勢いに任せて言ったのかもしれなかった。
千夏は泣き笑いみたいな顔で、本当に嬉しいみたいな顔で「いいに決まってるじゃないですか!」と叫んだ。
本当にそこまでは……あたたかい気持ちが胸の中を満たしていてくれたのに。
そりゃあ、そう上手くはいく筈ないと思ってた。だってあのダンナの描写は、これまたベタに……あまりに冷たかったんだもの。

もう一度夫にトライしようと決心して、律子が色々用意するのもベタな描写なんだけど、でもだからこそ、いじらしくて可愛くて、ジンとするのだ。
「今日は何時に帰ってこれる?」「いつもと同じだろ」夫の答えがそっけなくても、彼女はいそいそといいお肉を用意して、いつもは別誂えの夫の分もテーブルに並べ、ワインなぞも用意しちゃって、花まで飾って、そして当然自分もオシャレしてワクワクと待っている。

でも……これもまた予想通り、待てど暮らせど夫は帰ってこなくて、電話がなると、律子の受け答えからは恐らく、彼が帰りは飲んで帰ってくること、食事はいらないこと、しかも、借りていたビデオを返すことまで妻に命令していることが判るんである。
「うん、判った」文句も言わず殊勝に頷き、受話器を置く律子。
呆然とレンタル屋にビデオを返しに行く。延滞料金までとられる。小銭を落としてその場にうずくまった……。
帰ってみれば、夫はもう帰宅して、ガーガーと無粋なイビキを立てている。別の寝室で。

もうね、これがアメリカあたりだったら、即離婚!リコンよっ!と思う訳。いや、もうこの状態、最初っからリコンだぁー!と私なんかは心の中で叫び続けている訳。
でも、その選択肢が律子からも夫からも出ないのは……こんな状態でもお互いへの思いはあるからなのかな、と思ってた。
いや、でも……判らない。このダンナはヒドイヤツでさ。日を違えて律子が、そう、もうこのダンナの、一緒に暮らしているのに目も合わさない、下宿人かなにかのよう、いや、下宿人よりもヒドい、ろくに挨拶も会話もかわさない夫にさ。

台所でキャベツを刻みながら、もうその包丁がムダにダンダン!とみじん切りになってさ、私はこの時律子が凶行に及ぶんじゃないかとちょっとヒヤリとして……でもそうじゃない、律子はもうガマンが切れたのか、あるいは思い切ったのか、その場でいきなり脱ぎだして、風呂に入った夫を突撃するのよ。「たまには一緒に入ろうよ」と。
驚き、にべもなく拒否する夫に「いいじゃない」とにじり寄っても更に拒否。下着姿で風呂場の外に取り残された彼女は、しかしそれでもバン!と戸を開けて夫に迫る。
「私たち夫婦でしょ、夫婦だよね?」そんな簡単な質問に、夫はウンとさえ答えられないのだ……。
キツイ、キビシイよ、ツラ過ぎる。夫婦だよ、と当たり前の答えさえ返してもらえないなんて。
しびれを切らした律子は「私、子供がほしいの」とついに口にした。するとダンナはこともあろうに「俺はほしくない」と言下に否定した。
「もうあんな思いはしたくないんだ」と。呆然と立ち尽くす律子を風呂場の外に追いやる。

……なんでこんなことまで言われて、夫婦をやっていなければいけないのだ。
と、さすがに律子も思ったに違いない。
だって、だって、だって、ヒドいよ。そんなの、こっちの台詞じゃない。「もうあんな思いはしたくない」って。そんなヒドイ台詞、よくもまあ、一番辛い思いをした奥さんに吐けるもんだ。リコンだーっ!!
でもこの時、同時にハッとするのだ。「もうあんな思いはしたくない」とダンナも思っていたってことに思い当たるのだ。
当然、彼女だってそう思っていた。ひょっとしたらその辛い思いは自分だけが抱えているんだと思ってて、子供を流した自分にダンナが冷たくなったんだと思ってたんじゃないかなと思う。
つまりはお互いの気持ちが判ってなかった。話し合う余地はあるってことじゃないかと思うのだ。ひょっとしたら律子のやり方は、性急に過ぎたのかもしれない、って。
でも、彼女の決死の勇気が判るから、そして打ちのめされた気持ちが判るから、だから……。

ひとり、カンヅメをサカナにビールを飲んだ。
壁に這っているクモをふと開いたグラスでつかまえた。
キッチンのテーブルに逆さに置いて閉じ込めたまま、彼女はそのクモをじっと見つめていた。

そして工場、律子は明らかにおかしかった。千夏を見つめる目が危なかった。
機械操作をしている時、補佐に入った彼女をじっと見つめながら重機を動かした。千夏に向かって動かした……ヤバイ、それはマズイって!でも律子の気持ちが判るから。あまりにも判っちゃうから……。
しかしあわやという瞬間、律子は男性作業員から声をかけられた。ふっと正気に返る律子。
男性作業員は、律子が不良品を連発していることを責め立てた。それは以前、律子が彼に同じようにしたことへの意趣返しかもしれなかった。
律子はいつもの冷静さを失って、ただ……叱られた子供みたいに「……ごめんなさい……全部私が悪いんです」とつぶやいて、飛び出してしまう。
泣きそうになるのをこらえながら、急ぎ足でどんどん歩いていく彼女のアップに、こっちも号泣してしまう。

大事にしまっておいた、胎児のエコー写真。寝そべったままじっとその写真を眺めている律子。
その日、ダンナに出した夕食はカップラーメン。しかも作業服からも着替えなかった。そして翌朝、彼女は念入りに化粧をした。
キッチンのクモは、グラスの中で死んでいた。
律子は工場に出勤しなかった。
心配した千夏があちこち探す。あの恐竜公園にはフリスビーがそのままに置かれていた。あっと思った千夏があの海岸に向かう。
果たしてそこには律子がいたのだ。
足元に大量の睡眠薬をばらまいて、呆然と突っ立っていたのだ。

もうここらあたりになると、すっかり嗚咽を繰り返している私はもう、ワケワカランぐらいになってるんである。
千夏に、あなたを憎む気持ちが止められないって、告白してしまう律子に、号泣してしまう。
どうしてもあなたのように出来ないって。あなたはお腹に赤ちゃんがいて、ダンナにも愛されているのに、って。そう、あのプーだった千夏の夫は無事トラック運転手の仕事を見つけ、二人ラブラブでいるところを律子は目撃していたのだ。
あなたも、あなたの赤ちゃんも死ねばいいのにと思った、とまで律子は告白してしまって、そんなことまで言わなくてもいいのに!とハラハラしつつも……でも最後までさらけださなきゃ、きっと律子はここから先に進めなかった。
そしてそれを聞いている千夏が、律子の気持ちが察せられるからこそ涙を流し、そして何を言うことが出来ないのも。

……何か本当にね、判っちゃうんだよね。この同性同士の、友情を確かに築いている一方で、妬みや憎しみがどうしても消せない気持ち。
そしてそれを吐き出さなければ、どうしてもマイナスの感情が膨らんでしまう人間というものは、いや、女というものは、確かにあった筈の友情の感情さえも押し流してしまうのだ。
でも、そう。吐き出してしまいさえすれば。
何を言える筈もなく、裸足の律子の後ろから黙ってついてきた千夏は、陣痛が来たことを悟った。
それは図らずもあの道。ウソの陣痛で律子にひっぱたかれたあの、田んぼの中の一本道。
どんどん遠ざかる律子に声をかけるのをためらって、ふと千夏は気付いてバッグの中から何かを取り出した。そして……。

律子の目の前を旋回する、オレンジ色のフリスビー。まるでのどかなゆったりとした時間が急に戻ってきたような、錯覚。

あの時、確かに二人の友情が芽生えた、あの場面の、あのフリスビーだ。
やべ、涙が止まんなくなってきた……。

ハッと振り向き、手に掴んだままだった睡眠薬を道にバチッとぶちまけて、千夏に向かって全速力で駆けてくる。ドレスアップしてて、だけど裸足で、フレアースカートから太目の足があらわになるのもいとわずに全速力の律子に、もう私は目の前が見えなくなるぐらい泣いているんである。
あの、薬をためらいなくぶちまけるのには、ヤラれたなあ……。勢いといい音といい、なんとも鮮烈なんだよね。

でも、この状態じゃどうしようもない。律子は再びきびすを返して全速力。遠くに止まっている軽トラが見える。
ダッシュして、田んぼの中で作業をしている男性に、「スミマセーン!!!」と絶叫する。もうもう、涙がダーダー止まらない私。
「スミマセーン!!!」声を限りに絶叫しても、耳が遠いのか全然振り向かない。田んぼに入っていって足をとられた律子はそのままうつぶせにコケてしまう。
泥だらけになりながら這い上がった彼女は、軽トラにキーが刺さったままになっているのを発見。

流産した時以来、怖くて車を運転できなかった律子。
その律子が泥だらけになりながら軽トラに乗り込んで、ちゃんとシートベルトもして、ひと呼吸の間の後、走り出した時、本当に、身体が震えた。
そして、苦しむ千夏を荷台に丁寧に丁寧に乗せて、そして田んぼの中の一本道、果てしない一本道を、安全運転でどこかのどかに走っていく画に、もう涙が止まらなかった。
あの画はヤバイよ……なんでだろ、道を軽トラが走っていくだけで、めちゃくちゃヤラレちゃうのは。

その後は話題の、実際の出産シーンを使った場面になるんだけど、こんな具合に、そのシーンだけとってみても意味がない。もうそこまでで私はすっかり腰砕けなんだもの。
泥も乾いて白く粉を吹いた状態の律子が、暗い待合室で疲れきって眠っている。
一方千夏は、赤ちゃんをこの世に誕生させるために必死に歯を食いしばっている。
ふと、律子が目を覚ます。フラフラと分娩室へ向かう。赤ちゃんの頭が千夏の足の間からのぞいているのを目の当たりにする。
真っ赤な、いかにも痛そうな画だが……もう泣かせないでくれー。

そして、無事生まれた赤ちゃんを抱いた千夏を見て、白く乾いた泥にあたたかい涙を流して、声をあげて、律子は泣いた。
彼女と目を合わせていた千夏も、泣いた。
律子は泣いているうちに、笑顔になってきて、千夏と目を合わせて、泣き笑いする。
ああ、もー、限界です。声をあげて泣かせてくれっ!!

きちんと張られた伏線、心情を表わすようなみずみずしいアジサイやクモのショット、表情に寄り添うアップと引いて見つめるショットとの緩急、憎たらしいほど上手くて、ベタだろうがまとまりすぎだろうが、引きこまれちゃうんだよなあ。
この才能ある監督が、お笑いをやっていたってことは確かにオドロキだけど、そうした様々な経験が大きな糧になっているのだとしたら、今後の作品展開にこそ大きくハジケまくってもらいたい。 ★★★★★


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