home!

「て」


2009年鑑賞作品

ディア・ドクター
2009年 127分 日本 カラー
監督:西川美和 脚本:西川美和
撮影:柳島克己 音楽:モアリズム
出演:笑福亭鶴瓶 瑛太 余貴美子 松重豊 岩松了 笹野高史 井川遥 高橋昌也 中村勘三郎 香川照之 八千草薫


2009/7/7/火 劇場(ヒューマントラストシネマ渋谷)
予告編を観た時から、これは医師の資格を持っていないってオチに違いない!と思っていたけど、それは半分当たっていて、半分違っていた。
つまりそれはオチなどではなく、観客には最初から容易に予測出来ることであって、問題はそこから先、だったのだ。
だから、やっぱり私が思ってた通りだったー、などと最初のうちは悦に入っていたんだけれど、こんなん誰もが気づくことじゃんと判ってからは、いや最初から最後まで、さすがの西川ワールドに引きずり込まれてしまった。
やっぱり、この監督は、凄い。

でも、その「資格を持っていないお医者さん」だと即座に思ったのは、田舎の中の田舎である無医村で、住民誰もから絶対的に信頼され、慕われているというお医者さん像が、「ブラック・ジャック」の中にそういうエピソードがあったのが印象的に覚えていたからだったのだった。
ブラック・ジャックはそのお医者さんが無資格なのを看破しつつも、だからといって糾弾したりはしない(まあ、BJ自身も無資格だし……)。それどころか、皆に慕われる彼を、理想的な医者の姿として尊敬し、讃えたのだ。
しかし、そのエピソードのエンディングで、その無資格の老医師は、「50の手習い」だと言って、医師の資格を取るために大学に入りなおす。
そのエピソードが凄く心に残っていたのだ。

しかし鶴瓶師匠が演じるこの無資格のお医者さん、伊野は、かなり生臭い欲望のためにこの田舎に着任したことが後に明らかになる。決してボランティア精神などではなく、破格の待遇で迎え入れられていたのだ。
それはそれこそ、医者でなければ望めないような待遇であり、こんな無医村だからこそ医者でないことがバレずに採用されてしまう。伊野は医療メーカーに勤務していたことと、何より親が医者であったことで、そうした知識に精通していた。
いかにもいい人そうな風貌、だけど、案外腹黒そう。鶴瓶師匠に絶妙なキャスティング。むしろあて書きじゃないかと思うほど。

たいした人数もいない田舎町、老人相手に風邪薬のひとつも出してればやっていけると、伊野は踏んでいたのかもしれないけれど、なにせほとんどが老人の村だからこそ、次々と彼らは死んでいくし、思ったよりもしんどい仕事だったのだ。
伊野が最初から良心的な心を持った人物だったのか、あるいはこの村で医師をするにつれ心持ちが変わっていったのかは判らない。
けれど、少なくとも村人たちは彼を心から信頼していたし、感謝していたし、彼が無資格だと暴かれてからでさえ、その暴いた相手を恨めしく思うぐらいだったのだ……。

本当にね、すぐに判っちゃうのだ。伊野が本当のお医者さんじゃないってこと、結構あからさまにイイカゲンだから。
物語は瑛太君扮する研修医、相馬が、この田舎町に着任したところから始まる。真っ赤なオープンカーで乗りつける彼は、両親も医者の、いかにもボンボン。こんなところに来たのも、友人とのカケに負けたらしいことが示唆されるんである。つまり、彼はこんな田舎町はゴメンだったのだ。
しかし、村人たちに信頼され、病気ではなく患者そのものと向き合う伊野の姿に、相馬は惹かれていく。
勿論、最初からなんだかオカシイなとは思っていた。つまりは伊野は……研修医のワカゾーとはいえ、ホンモノの医者が来たから医者っぽい診療もウッカリは出来なくて、余計にイイカゲンになっちゃったから、だから気付かれるのも早かったんだと思う。

それを言ったら、3年以上も一緒に仕事をしている看護師の大竹(余貴美子)はホントにすぐに気づいただろうけれど……それこそ伊野が住民の信頼を得る前に気づいただろうけれど……でも、言わなかった。
医療知識や医療行為は彼女が充分にサポート出来た。クライマックスで出てくるけれども、彼女は救急医療の経験もあったから。
そう、つまりはこの村には医者ではなく、医者という偶像が必要だったのであり、それ以上に、医者という偶像をまとった、“痛みを真摯に聞いてくれる人”が必要だったのだ。
その“痛み”は、体の痛みだけでなく……だけ、というよりむしろ、心のそれの需要が大きかったのだ。

冒頭、伊野が駆けつけた先で死んだと思った老人が生き返る、なんてコミカルな場面から始まる。周囲の誰もが、安楽に逝くことを願ってる。出来もしない心臓マッサージを伊野がしようとするのを、首を振って止める家族。彼は手を止め、息を引き取った(と思った)老人を抱き締め、「よう頑張ったな」とぽんぽんと背中を叩くと……ごふごふ、と息を吹き返しちゃうのだ!
ここでもう、伊野のこの地での役割を示してるんだよね。つまりは、彼が求められているのは病気を治すことではなくて……これから生きていく人たちのために、死に行く人へ引導を渡すこと。それは見事にクライマックスへとつながっていく。くしくも彼がニセ医者だと看破されるクライマックスへと、なんである。

物語も早い段階から、無資格で医療行為をしていた伊野を刑事が捜査する現在の時間軸と、相馬が着任してからの、まだ村民たちがそのことを知らなかった時間軸とが並行して描かれる。
よくあるヒューマンドラマみたいに、「あの人は無資格だったけど、でも私たちにとっては本当の医者だった」などというお涙頂戴ではなく、そこには揺れ動く人間の後ろ暗い心理が巧みに見え隠れする。
相馬や大竹だけでなく、患者である村民たちの中にだって、ひょっとしたら疑っていた人はいたかもしれない。

実は患者さんとのエピソードで深く掘り下げられるのはたった一人、八千草薫演じる鳥飼かづ子だけだというのが、よりその思いを強くするんだよね。
他の患者さんたち、というか、村民たちは、いっしょくた、その他大勢なのだ。いわば、患者対医者、という図式を構築するに過ぎない。
無論その中には工事現場で重傷を負って、生死の境をさまよう、なんて若者も出てくるけれど、それは伊野が実は医者ではないことを決定付けるエピソードに過ぎないのだ。
大竹が、肺気胸だと見抜いて「私が刺す訳にはいかないんですから!」と針を手に声を殺したあの瞬間、観客はああ、やっぱりと確信を得、伊野もまた……ああ、やっぱり気づいていたんだと……。
それは観客のそんな生ぬるい感覚とはぜんっぜん違って……それは、それは……医者のフリをした自分は、そうやって患者を殺してしまうであろうってことだったに違いないのだ。

相馬が、来年もここに残ることを決意して、伊野にそう伝えた時、皆に信頼される伊野を尊敬している気持ちを真摯に伝えた時、伊野は明らかに困惑する。
「俺はニセモノや!」ついに告白したかと観客はヒヤッとするものの、何を今さら、とでもいった口調で相馬は返した。
「僕の父親の方がよっぽどニセ医者ですよ!」経営のことばかり頭にあるという父親のことを、とうとうと語る。そうじゃないんだとさえぎりたい伊野をまるで牽制するかのように。
相馬は、判ってて、はぐらかしたんだよね。勿論、本当にそう思ってはいたんだろうけれど……でも、でも、そう言い募ることが、伊野をもっともっと追いつめることになるってことまでは判っていただろうか。
ホンモノとニセモノ、それは無論、資格があるかないかで容易に判別出来ることではあるんだけれど、でも人間としてのホンモノとニセモノは違う。そんなことを相馬は言いたかったに違いない。
だけど、結局はそんなことはキレイゴトだってことを、若い彼よりずっと長く生きて、こんなズルイこともしてしたたかに生きてきた伊野には身にしみて判ってるのだ。
でも……人間はきっとどこかで変わることがあるんだって、私だって信じたい。

伊野がニセ医者だと看破したのは、かづ子の娘で、東京で医者をしている鳥飼りつ子だった。演じるは、見目麗しき井川遥。
りつ子を欺く為に、伊野は治りかけの胃潰瘍を抱える製薬会社の営業マンに胃カメラまで撮らせて、専門書を首っ引きになって読んで、何とかその場をしのごうとしたのだ。
それは、かづ子が、夫の時のように、子供たちを苦しめたくない、何も言わないでほしい、と懇願したから……。
伊野はかづ子自身にも、ガンなんかじゃない、ただの胃潰瘍だと告げ、二重のウソをついた。検査結果を専門書と首っ引きになって読んで、もう助からないガンだということは、医者じゃない彼にも判っていた、のに。
そう、かづ子の願いは、病気を直すことじゃなくて、家族に心配をかけないこと。家族……今や夫も他界し、未来のある子供たちのジャマをしないこと。
かづ子が余命いくばくもないと判ってて、しかも自分は医者じゃないのに、彼女を“診断”し、伊野は彼女の望みをかなえると同時に、彼女自身にも告知しない道を選ぶのだ。
全てを自分だけで飲み込む決意を。

それはこの無医村の村の医者だからこそ抱え込む覚悟。いや、彼は医者じゃないのだ。……ならば、医者って、一体、なんなの?
結局は、そういうことなのだと思う。帰結することは、そういうことなのだと思う。
勿論伊野は、自分が医者じゃないこと、医者の技量も経験も持たないことで患者を危険な目に合わせてしまったことにもショックを受け、この地を去ったけれども……。
でも誰もが、彼が医者じゃないことを知っていたじゃない。知っていた、までいかなくても、感じていたじゃない。
でもそれでも、彼はこの地に“医者”として必要な人だった。

りつ子が「私が村から訴えられるんじゃないんですか」と捜査に来た刑事たちにふとつぶやいたのは……その額面通りの意味も勿論あっただろうけれど、伊野が、遠く離れた自分よりも母親の気持ちを汲んでいて、自分自身で重い責任を負って全うしようとしていたことを、知ってしまったから。
「私、思うんです。あの人ならどうやって母を死なせたんだろうと」刑事が息を呑むようなことをしれっとりつ子は言った。
そして、「彼を捕まえたら、聞いてください」と真摯な瞳で言った。刑事は最初こそ彼女の言葉にうろたえたけれども、その約束を、しっかと受け止めた。

本当に医者であるりつ子が病気の母親のためにしてやれることは、当然、“出来る限りのことをする”ことであり、その“出来る限りのこと”は医療行為に他ならないんだけど、彼女は母親自身が望んでいる“出来る限りのこと”が違うことは判っていたから……。
それは、そう、どう“死ぬか”つまり、第三者がどう“死なせるか”である。それが、娘の自分には決して出来ないことが判っていたから……。

無資格の医者というスリリングな題材を持ってきながら、一番大きなテーマはここなんだよね。
自分が望む死を迎えられるのか。迎えるためには、それを理解してくれる人が必要であり、それって家族や医者がそうであることが理想だけど、家族や医者は大抵……正反対を提示するのだ。
それは……言いたかないけど、自分自身の見得や保身や罪悪感のために。
伊野がかづ子の望みを呑めたのは、彼が医者じゃないから。勿論家族でもないから。つまり彼は……この地でたった一人、孤独なのだ。
信頼されているようで、慕われているようで、伊野は絶対的な孤独なのだ。家族でも本当の医者でもない。イイカゲンな立場だからこそ、味方になれる。テキトーなことが言えるのだ。

でもそれが……それこそが、いまわの際の患者たちが望んでいること。
これって、これって、ホントにすんごいテーマの提示だ。日本の終末医療、人間としての価値に対する究極のテーマ。
遠くの親戚より近くの他人。そんな言葉を思い出した。それこそテキトーな言葉だけれど、これって、人間社会の実に真実をついている気がした。

後半になっていくに従って、刑事たちが伊野の関係者に話を聞いていく展開に比重がおかれるようになる。最も伊野と長い間仕事をした看護師の大竹が、げすの勘繰りを刑事からねじ込まれ、
「あ、そういうこと?ないない。私の別れた夫が医者だったから」と笑って手を振ると、刑事は渋面を崩さずに返した。
「何度も言うようですが、あの人は医者じゃないんですよ」
彼女は、まるで泣き笑いのような顔をして、「あ、そうだった!」とポンとおでこを叩く。
……その時、ひょっとしたらげすの勘繰りは、げすの勘繰りだけじゃなかったのかもしれない、とほんのちょっと思った。
勿論彼女は、この村には(たとえニセモノでも)医者が必要だし、それを自分がサポート出来るならと、全てを飲み込んでの、覚悟の上だったに違いない。
でも、もしかしたら、ほんの少しだけでも、そんな感情があったかも……などとそれこそげすの勘繰りをしてしまうのは、「あ、そうだった!」と言う彼女の泣き笑いのような顔が、余さんの表情があまりにもグッときてしまったから。

田んぼの溝に乗り捨てられたバイク、一瞬、伊野が死んでしまったのかと思った。
でもラストシーン、病院のベッドで何をすることもなくヒマをもてあましているかづ子の元に、給湯ポットを持ったスタッフが回ってくる。差し出した湯飲みに彼女はハッとした顔をする。マスクをかけた男は微笑んで……そしてカットアウト、なのだ。
いつも印象的なラストを用意する西川監督だけど、今回はそれが予想外に暖かで、なんだか返ってうろたえてしまった。
でも伊野は捕まってしまうのだろうか。例えそうであっても、世間から糾弾されても、彼のおかげで幸せになった人たちがいる。
医者ってなんだろう、というか、人間ってなんだろう……。

これって、ラショーモナイズだな、とも思った。一つしかない筈の事実が、人によって、違う真実になる。かの傑作映画に見事に連なる素晴らしさ。
引きのカメラ、穏やかな田んぼの緑、風が吹きゆく。穏やかに揺れる。穏やかなんだけれど……。
やはり、“揺れる”なんだよね。★★★★☆


天使の眼、野獣の街 跟蹤/EYE IN THE SKY
2007年 90分 香港 カラー
監督:ヤウ・ナイホイ 脚本:ヤウ・ナイホイ/アウ・キンイー
撮影:トニー・チャン 音楽:ガイ・ゼラファ
出演:レオン・カーフェイ/サイモン・ヤム/ケイト・ツィ/ラム・シュー/マギー・シュウ/チョン・シウファイ

2009/2/10/火 劇場(渋谷シネマライズ)
邦題としてつけられたこの二番目のタイトルは、恐らくこの中で唯一のスターと言ってもいいレオン・カーフェイで客をつろうという魂胆なんだろうなあ(笑)。
でも劇中の彼は正直、超脇役で(勿論、重要な脇役なんだけど)、原題も「天使の眼」の部分だけ。いや、違う。天上の目。
天使の眼、っていうのも、邦題でそう変えられちゃってるんだよね。確かに惹きつける言葉ではあるけど、意味としてもニュアンスとしてもやはり天上の目、と言った方がしっくりとくる。
あるいは、天使というよりは神の目。全てを天から見渡せる、それも仔細に見渡せる神の目。スカイ・アイ。

そう、スカイ・アイ、なのだ。そう叩き込まれる新人捜査官が主人公。この一点アイディア主義で、見事なノワールが展開される。
なんか久々に気の入った香港ノワールを観た気がする。ま、最近チェックしてなかったというのもあるんだけど……。それも、見慣れた甘いマスクの香港スターではなく、一見して普通の、ざっくり、さっぱりした女の子だっていうのが小気味いい。
冒頭、彼女は路面電車に乗っている。ある男をつけている。彼をさりげなく、しかしじっと見つめ続けている。携帯電話で話しているところ、ゴミを捨てているところ……。
喫茶店に入る。その男が彼女のテーブルにやってくる。「オレをつけていただろう」ヒヤリとするも、彼女が言葉につまると彼はニヤリと笑って言った。「それじゃバレちゃうよ」

そう、これは訓練中だったのだよね。何時何分、何分間携帯電話で話していたとか、何時何分に何色の上着を着た人とぶつかったとか、詳細に受け答えをする彼女に、「じゃあ、電車で俺の捨てた新聞を読んでいた男はどういう風体だった?」と問われて彼女はまたしてもつまっちゃう。
ていうか、観客の方が、そ、そこまで細かいの!?とビックリしてしまう。全てのビジュアルを仔細に頭に記憶していく能力、特別な才覚を求められる捜査官。この設定だけでゾクゾクしてしまう。
実はその訓練中に、まさに彼女が追うことになる強盗団の頭が路面電車に乗り合わせていて、この喫茶店でのやりとりがそのまま再現されることになるのだけれど……それはまた後述として。

警察官の中でも、普通の通行人のようなフリをして、街中に散って、容疑者や証拠を見つけ出すプロ。決してメンが割れてはいけないし、勿論その正体も知られてはならないから、仲間内でもコードネームで呼び合っている。このボスは犬頭、そしてこの新人の女の子は彼に子豚と名付けられた。
この子豚ちゃんはね、とにかくマジメ一徹、ヤル気満々なんだよね。それが後々、何度となく彼女を危機に陥れるんだけど……それこそこのボスを命の危機にまでさらすのだけど、その時こそ、“神の目”が彼女を救うのだ。
そう、犬頭は言ったのだ。俺たちは天上の目だと、でも、最後は本当の神の目が救ってくれるのだと。

このボスが実にイイ味出してるんだよねー。水谷豊を香港風味にして、更に庶民的にしたような雰囲気。いきがりまくる子豚のほっぺたをぎゅっと挟んでタコ口にしたりするあたりの、セクハラになりそうでならない、このコをホント、可愛がっている感じが凄くグッとくるんである。
強盗団を夜っぴて追い詰める最中、思わず大あくびをした彼女にニヤニヤしながら「顔を洗ってこい」と言うあたりのタイミングなんか、イヤミになりそうでならない、あったかさを感じるんだよねー。
彼は彼女の、若さとまじめな性格ゆえに融通が効かないトコが、でもそここそがイイところだってこともよく判ってるから、彼女が任務を忘れて頭がトンじゃっても、頭ごなしに叱責したりしない。

そう……彼女の目の前で、追いつめた強盗犯が警官を襲い、その頚動脈に致命傷の一撃を加えた場面……彼女は虫の息の警官をほっておくことが出来なくて、犯人を追いかけろという管制塔からの叫ぶような指示も全然耳に入ってなくて、ただただボーゼンとした状態で、もう助かる筈もない警官の、首筋からドクドクと流れる血を押さえ続けている……。
そこに、全く無線の応答がない彼女をなんとか見つけ出して犬頭が駆けつけて、彼女の気持ちは痛いほど判るんだけど、でも俺たちの正体がバレる訳にはいかないからって、彼女を何とかその場から引き剥がすんだよね。
そしてその後も、叱りつけることもせずに、彼女の手にこびりついた血を洗い流してやる。その間も彼女はただただ泣きじゃくって、もう……この仕事には向いてないんじゃないかとまで思いつめて(ホンット、マジメなのよね)、転属願いをボスに打ち明けるんだけど、この時彼が彼女を諭す台詞がまたイイのよね。「ここで諦めたら、どんな仕事だってダメだぞ」って。あうううー、なんていい上司なんだ。こんな上司が私もほしい!

で、彼らが追いつめている強盗団っていうのが、レオン・カーフェイを頭としたグループなんである。
ああ、レオン・カーフェイ。私、彼を見たのはいつ以来?ホントに10年ぐらい見る機会がなかった気がする。……なんか脂気がぬけちゃったというか、やっぱり年をとったなあ……(爆)。
彼は部下たちをビルの屋上から秒単位で指示する司令塔で、彼だけが飛びぬけて年長の趣なんである。そりゃそうだよな……レオン・カーフェイも年とっちゃったんだから(爆。しつこい)。
ていうか、その部下連中は正直頭悪そーなヤツらばっかりで、まず冒頭の犯行も、指示よりも遅く店を出たことを彼が叱責すると「だって、もっと盗りたかったから」とアホ丸出しの発言をして、彼を怒らせてしまう。つーか、もう怒るだけムダって感じなんだけど……。

彼がなぜこんな、リスクだけ高くて先の見えない強盗稼業を続けているかというと、彼の上には更に恩義のあるボスがいて、そのボスは18年もの長き間、塀の奥の憂き目にあっているんだよね。
で、そのボスの奥さんからマージンをもらう形で仕事を請け負っていて、辞めるに辞められない。そして部下たちも、アホだからこんな稼業以外もう出来ないのか(爆)、それでもやっぱり、どこかで焦りを感じている風なんだよね。
それはやはり……あの色気を振りまいていたレオン・カーフェイも年を食ったということで(だからしつこいって)、なんというか……切なさを感じちゃうんだなあ。

この強盗グループの中の一人、始終食いモンをむさぼっている男が、それゆえに足がついちゃって、捜査官たちの標的にされる。……仕事中にコンビニでカード使って買い物をしたりするからさあ。それも、コンビニでチキンを食ってるヤツを見て自分も食べたくなっちゃったから、っていうあたりが(爆)。
彼をファットマンと名付けて、捜査官たちはとにかく彼を探し出すために街中に散らばるんである。
この場面が最も彼らの“仕事”を描写するところで、実にスリリング。管制塔の女性ボスからの指示と現場のボスである犬頭の指示によって動く彼らがパズルのように行き来し、すれ違いざまや、隙間からの監察で「似ているけど違う」「隠れて見えない」などと無線でやり取りする緊張感!

最も盛り上がるのは、ついにファットマンを見つけた子豚が、学生風を装ってアパートのエレベーターに同乗し、アジトを突き止める場面である。
しかも一度目は失敗して、二度目にはカバンの中身をバラまき、ファットマンのフロアでエレベーターから出ることに成功、彼が入っていく部屋を目に焼き付けるのだ。……メンが割れないことが最重要事項、なのに、彼女は思いっきり彼に顔をさらしていてドキドキ!
ただ、犬頭が彼女を買って捜査官試験合格にした「まさか君が警察官だなんて誰も思わない」という、そのフツーさ、若さ、あるいは青さが、ここで最大限に活きたのだ。
でもそれがね、ラストのラスト、彼女が一人前の捜査官になった時には、メイクもバッチリ決めたイイ女になって、クールに指示を全うしているってあたりがミソなんだけどね!ま、それは後の話で。

でもそんな彼女の顔を、レオン・カーフェイ扮する、捜査官の間で影の男(ホローマン)と呼ばれる男だけが目に焼き付けていた。さすがアホな部下たちをまとめるボスだけに、捜査官並みに目が肥えていたという訳なんだよね。
だって彼は物語の冒頭、まだ自分たちがマークされているだなんて思っていなかった状況で、同じ路面電車に乗り合わせた彼女を覚えていたんだもの。

彼ら強盗団を描写する場面が、鉄格子越しに覗いているようなフェイドアウトで区切られていくのが、なんともノワール感を色濃く描出していてワクワクさせる。
つまり、最後の最後、解決されるまで、追いかけている捜査官の目から強盗団は見えそうで見えなくて、みたいな、なんとももどかしい気持ちを、実にスタイリッシュに表現している。
実際は強盗団は、というかボスのホローマンだけが焦っていて、それどころじゃないって感じなんだけどね。でもホローマンはこの闇の世界でずっと生きてきているから容赦がなくて、人を殺すことなんて何ともないから、免疫のない彼女の目の前で、警官を一撃の元に殺し、つまり威嚇する手段をとってくる。
ただやっぱり、この強盗団の中で彼だけが孤高で、孤独で、捜査官たちもファットマンでアタリをつけた後はキーマンとしてのホローマンを追い始めるし、なんかやはり……スターだよね。スターゆえの孤独感、それも年を取った男の、みたいな(しつこいって)が色濃くにじみ出てる。

途中、誘拐事件が発生して、強盗事件から一時離れることになるんだけど、その任務中も気もそぞろな子豚、ホローマンを群衆の中に発見して、向こう見ずに彼を追いかける。
で、喫茶店のシーンな訳よ!あの訓練と全く同じやり取りが繰り広げられてさあ……勿論彼女は訓練の甲斐あって、絶妙の演技でしらばくれて一時は切り抜ける。
だけど、ホローマンもまた天上の目を持つプロ、一時は退散するも、窓の外に彼女の上司が駆けつけてくるのを見逃さなかった。路面電車の時に乗り合わせていた乗客を、そこまで仔細に覚えていたのだ!うっわ……彼こそ神の目を持ってるじゃん、こんなん、勝てないって!
案の定、ホローマンは犬頭を待ち伏せし、「オレをつけていたな」と今度は有無を言わさぬ断定で、返答も待たず彼の頚動脈をぶっ刺してしまうのだ!!

尋常じゃない血を流している犬頭に、ガクガクと震えるばかりの子豚、でも彼は二度までもアホを犯した出来の悪いカワイイ部下に、オレはほっておいてアイツを追うんだ!と指示するんである。
もうこの時にはね、この愛すべき上司は、死んでしまうと思った。そう、この時には彼が彼女に説いていた、どこかお伽噺のような風説、最後には本当の神の目が、なんてことも正直スッカリ忘れていたんだもの。
ていうか、ホント、前回も突っ走って犯人逃がしちゃって、管制塔の女性ボス(これがまた、カッコいいんだ!汚い言葉を発しまくるんだけどね(笑))にもビシッと怒られてたのに、またしても同じ轍を!バカ!と思ってさあ、しかもこのステキな上司を瀕死の目にまで合わせてさあ、と思ったんだけど……そう、そこに本当に、神の目が彼女を救ったのだ。

泣きながら飛び出してホローマンを探す子豚、でもザーザー降りの雨で、傘に隠れる人たちを一人一人必死に確認しても、皆人違い。ぐしょぬれになった彼女はもうなすすべもなく立ち尽くしたその時、ふと雨が上がった。傘を畳む人たちの中に、彼女はホローマンをその視界にくっきりととらえたのだ。
この場面をまず思いついて、この場面に向かって物語が作られたんじゃないかと思うほど、美しく、強い印象を残すシーン。
どんよりとした空から降る大雨、ぐしょぬれの女の子、暗い色ばかりの傘の波、ふと晴れた瞬間の奇蹟、素晴らしい美しさ!

神の目はまだ続くのだ……追いつめられたホローマンの最期は、あっけなくもひどく運命的なものだったのだから。
彼を追っていった子豚により、真のアジトを突き止められる。天井の鉄格子、そう、こここそ、スカイ・アイだ……その場所から子豚は彼らを監視し、今度こそ管制塔と完璧に連携をとって一網打尽を試みる。
しかしホローマンは、仲間たちを逃がそうとする一方で、自分は小船で逃げようとする。だけど、……なんという皮肉。あれはなんと言ったらいいのかなあ、鉤?釣り下げる、アレよ。小船へ逃げる途中でアレにぶつかって、なんとまあ、頚動脈をぶっ刺してしまったらしく、小船でもんどりうって仰向けに倒れた彼の首から流れ出すおびただしい血、うつろになっていく目……彼はそのまま、絶命してしまったんだろうなあ。

あまりにもあっけなく、唐突な結末だけど、それまでの、どこか神話的な伏線が効いていたから、ビックリしながらもなんか……しみじみと受け入れちゃうんだよね。
そして、あれだけ出血して、虫の息でもうダメだと思っていた犬頭が、気が遠くなっていった途中でふとそれが止まり、必死に呼びかけていた管制塔に、いつもウケない小話を始めるのが、お伽噺でもなんでもいい、なんか素直に、この神の奇蹟を受け入れたくなっちゃう。
それでも子豚が彼の病室を見舞った時は、意識不明状態だった。彼女は彼の手を握り締め、一度その場を辞そうとした。ら、ふっと彼が彼女の腕を掴む。うっすらと目を開く。ベタだけどグッときちゃう!

そしてラストは先述した、すっかりイイ女になった子豚がもう堂々と、プロの仕事をしている場面。なんとまあ、爽快なラスト!
でも私は、スッピンで熱さが空回りしているような彼女の方がキャラが立っててステキだと思ったけど。メイクしてイイ女になっちゃうと、こういう女性は巷にいくらでもいるっていうかさー。ま、その方が捜査官としてはやりやすいのか??★★★☆☆


トップに戻る