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「い」


2010年鑑賞作品

イエローキッド
2009年 106分 日本 カラー
監督:真利子哲也 脚本:真利子哲也
撮影:青木穣 音楽:鈴木広志 大口俊輔
出演:遠藤要 岩瀬亮 町田マリー 波岡一喜 でんでん 玉井英棋


2010/2/26/金 劇場(渋谷ユーロスペース)
この突然登場した恐るべき新人監督、その戦慄と予感は熊切監督が登場した時の衝撃を思い出させた。いや、ひょっとしたら、それ以上かもしれない。熊切監督が世に出た「鬼畜大宴会」が、残酷なホラー描写でまずドギモを与えたことを思えば、本作はアイディアに秀逸さはあるものの、その恐るべきところは……きっと演出力にあるのだと思うもの。

思わず、これほど人を惹きつけるノースター映画はない、などと思ってしまったが、主人公の遠藤要をはじめ、それなりに活躍している俳優たちを配していて、シロート役者という訳では決してない。なのにそう思ってしまったのは……それだけ劇中の彼らのやさぐれさ加減、下層社会の荒みっぷりが生々しく迫ってきたからだろうと思う。
なんかね、ドキュメンタリーを見ているような錯覚に時々陥るのだ。昔実際にあったというコミックストリップの「イエローキッド」、その黄色い少年が成長した姿を劇中の漫画家が描く。その描写が、一人しこしこと狭い部屋で描いてたりなんかして、妙にリアルなのだ。いや……そんな漫画家さんを知っているという訳でも、ないんだけど。

いや、それよりも何よりも、主人公の青年、である。後にこの漫画家、服部と知り合ってイエローキッドの続編のモデルとなる青年、田村。
この田村を演じる遠藤要の風情の生々しさが、なんといっても本作の強い印象を決定付ける。

彼がボクシングを始めたのが、服部の描いたイエローキッドに触発されてということが後に明らかにされ、それだけを聞くとなにか、さわやかな青春物語のように思えなくもないのだけれど、彼自身の“青春”はあまりに過酷である。
古びたアパートに認知症気味の祖母との二人暮し。水道が止められるほどの困窮した生活の中で、しかし彼はボクサーを目指しているんである。壁には憧れのボクサー、三国のポスターを貼り、祖母の年金としがないアルバイト代で食いつなぐ日々。
しかし冒頭で既に彼はアルバイトをクビになり、コンビニで水道代を払っておばあちゃんのオムツを買う。そして夢がつまっている筈のボクサー修行は、ジムで凶暴な先輩、榎本から理不尽な仕打ちを受ける日々で、腐りきっている。

……でも改めてこうして書いてみると、筋書きだけはなんかありそうなドラマチックさを持っていたのね、と逆に驚くぐらいなんである。
壁に貼った憧れのボクサーのポスター、イジめられつつも練習に打ち込む日々、おばあちゃんを大切に思う青年、みたいな。
そのどれもが確かに間違ってはいない、そのとおりなんだけれど……全体を貫く重苦しい色と空気、そして端々に見えるただならなさが、平凡さなど吹き飛ばしてしまう。

大体が、このイビる先輩、榎本というのが尋常ではない。チンピラというか、もはやヤクザである。実際、彼は当たり屋でカネを稼ぎ、その手先として田村を使っているんである。
目つきの悪さも尋常ではなく、金貸し業がつまってしまった榎本は(ていうか、借用書も作ってなかったという時点がアホ丸出しってところがね……)田村の家にまで押しかけて脅し、おばあちゃんの目の前で神棚にそなえてあったなけなしの年金を全て奪っていってしまう。

なんでこんなヤツにビクビクしなければいけないのか、マジメに練習している田村なら、ホンキを出せば榎本に勝てるのではないか。いや……タチの悪いコイツには、腰ぎんちゃくもいっぱいいて、結局は周囲もマアマアとなだめるしかないのだ。
ジムの会長は厳しい態度をとるけれども、結局はツメが甘いのは……それこそが三国以来のボクサーを出せない原因なのだろうし、当の三国が落ちてしまった原因でもあるんだろうと思う。

この、元スターボクサーである三国というのも相当に迫力がある。登場場面は決して多くないんだけれど、唯一キャストの中で名前に覚えがあった俳優、波岡一喜は、さすがの存在感を見せる。
かつての同級生であった服部が取材のためにと三国の家を訪れるんだけど、“彼がいるとは思っていなかった”というのはつまり、三国の婚約者である麻奈が服部のかつての恋人であって、恐らく多少の下心があって“取材”に訪れたから。

この時の三国の、というか演じる波岡一喜の恐ろしさはただただ震え上がるばかりである。面構えだけで言えば、榎本を演じる玉井英棋の方が相当キてるのだが、ある意味端正な顔立ちである波岡一喜なんだけれど、もう、ねめあげるように服部にガンをつけ、マトモに話をする気なんて最初から、ないんである。
そもそも二人は同級生であったといっても、仲が良かったとも思い難く……。長いこと服部と麻奈はつきあっていたというけれど、二人が別れてわずか半年後、麻奈は三国の子供がお腹にいて、彼と結婚するんだという。

ほおんとに、この三国は恐ろしかった……麻奈が、普段はこんな人じゃない、だなんていくらとりなしても、そんなこととても信じられなかった。とりつくしまがないというのは、まさにこういうことだと思った。もはや具体的な台詞すら思い出せないほどに、恐ろしかった。
そりゃあ服部が、帰るよ、ときびすを返すのもムリもなく……でも服部は、反撃を試みるのだ。麻奈の身体は俺が一番良く知っている、だなんてあからさまに三国を挑発する言葉を発して、彼にボコボコにされそうになる。
この場面、劇映画だと判っているのに、本当に殺されてしまうんじゃないかとヒヤリとしてしまった。
その後、服部をとりなすために追いかけた麻奈は、彼と居酒屋で杯を酌み交わすけれども、そんなささいなことでカン違いしそうになる服部を突き放す。「私、彼と結婚するの。あなたと別れたのは……あなたの漫画がどうしても好きになれなかったから」

……あまりにキツイ言葉。

服部はね、この場面ではもうとにかく……情けないのひとこと、なんだよなあ。飲んだくれて、うぬぼれて、そして打ちのめされて。
彼は麻奈に未練アリアリで、長く付き合った自分が彼女のことを判っているという自負があったのに、さっきのことで三国なんてクズだと思ったのに……その彼女から、自分のアイデンティティを完璧に粉砕される言葉をもらってしまうんだもの。
バックパッカーみたいな……つまりはアキバ系めいたカッコで、いつの時代ってなアナクロなメガネがずり落ちるのをしょっちゅう押し上げて、ボサボサの髪に無精ひげを生やした服部は、この彼女に去られたら、出会いもなさそうだし、もうちょっと絶望的かもしれない(爆)。
しかも、イエローキッドの続編を描こうとして三国に会ったのにこんな結果に終わってしまって。
しかし、ボクシングを取材するために訪れたジムで、服部のファンだという田村に出会ったのだ。

この場面、恐らく榎本に命じられて財布でも盗っておけといわれたんであろう、しかし田村が服部の荷物から盗み出したのは、彼の原画だったんである。
それを榎本から責められて、トイレでボコボコにされていたところを、会長に見つかり、榎本は飛び出していく。
田村は服部に、原画を盗んでしまったこと、ファンであったこと、イエローキッドがきっかけでボクシングを始めたことを告白する。
「そんな人、初めてだよ」と服部は感激し、田村をモデルにした新作を描くことを決意する。ヒドイ目にあわされた三国を悪役にして。

……あんな展開になってしまったのは、そもそも服部のこの黒い心が、闇の心があったからなのだろうか……?

いや、それ以前に、なんといっても田村、なんだよね。さっき書こうと思って榎本の描写に引っ張られてつい忘れちゃったけど(爆)、この心優しい青年。
両親を知らずに育って祖父母に育てられ、祖父は早くに死に、今はボケ気味のおばあちゃんを彼が養う形で二人暮しをしている田村が、本当におばあちゃん思いの彼が、時折り見せる暗く光る瞳に震え上がる気持ちがあったんだよね。

本当にね、心優しい青年なんだよね。私はね、見ながらいらん心配をずっとしちゃってたんだよね。だって昨今、ありがちじゃない。青年がおばあちゃんを残酷に扱って事件になるようなことが。
でもね、彼は絶対そんなことはしない。おばあちゃんがお漏らしをしようと、彼のことが判らなくなってドロボウだと思い込もうと、ただただおばあちゃんに手を差し伸べ、寄り添っている。水道が止められるぐらい生活に困窮しているのに、本当に、心優しい青年なのだ。

ただ……“いらん心配”をしちゃってたのには、理由があるのだ。そう、田村が時折り見せる暗い瞳。それが尋常なく、怖かったからなのだ。
もう冒頭から、それは見せていた。頼みの綱のバイトがクビになる。寂れた中華料理屋。行ったらもう、彼の仕事着がないのだ。
店主から最後のバイト代を「法律で決められているからな」と押し付けがましく、差し出される。その封筒をひったくるように受け取り、店主の胸ぐらをつかんで殴りかかった時の田村の暗い瞳。
店主の台詞からケンカ騒ぎを起こしたことを明かされずとも、彼がふとした時に見せる暗い瞳に、ゾッとするものを感じていたのだ。

でも、それでも、田村は確かに心優しい青年なんである。おばあちゃんに対しても勿論、長年のファンであったという服部に対しても、服部が心とろかすほどに、純真な姿を見せる。
そんな田村が見せる凶暴さというのは、それだけに……あのコワすぎる榎本や三国よりも、というか、田村こそが“真実の凶暴さ”を持っていたのかもしれないと思う。
一度頂点を味わい、つまりおごった気持ちのまま落ちた三国、最初からケンカの延長線上でしかボクシングを考えていなかった榎本、そんな彼らとは田村は違うのだ。

ボクシングを始めた動機は幼いと言われても仕方のないもの、でもそれはまさに彼の純真さであり、ある意味、世間だの社会だのというものに逃げずに、彼はボクシングを続けてきた。
実際は田村の方がずっと、世間だの社会だのの犠牲者であったに違いないのに。弱いのは榎本や三国の方であったに違いなのに。

あの暗い瞳が、そのイヤな予感が最初に現われたのは、理不尽な先輩、榎本からおばあちゃんの年金を奪い取られた直後だった。あるいは田村が変貌してしまったのは、あの時、驚愕の瞳で寝床から起き上がって自分を見ていたおばあちゃんの姿のせいだったかもしれない。
榎本を追って外に飛び出した田村は、商店街に迷い込み、フード付きのスウェットの、そのフードをふとかぶった。

かぶさる乾いた音楽が、やけに不安をあおる。劇中をストイックに彩るこのジャジーな音楽も、本作の鮮烈な魅力を非常によく伝えている。
鋭いオーラを放ちながら商店街を歩く田村を、至近距離でとらえるカメラが恐ろしさを増幅させる。だって田村はもはや、榎本を追っている訳ではないんだもの。
そして……商店街で品物を物色している女性のハンドバッグを奪い取って、女性が何が起こったのか認識出来ないほどのスピードで、彼は走り去った。

榎本に使いっ走りにされながらも、自分自身は保ち続けてきた田村だから、このシーンはショックだった……ていうのは、ウソかもしれない。というのは、そんな思いを感じる隙も与えず、彼は変貌したから。
空き地に迷い込み、あれは何か工場の裏手なのだろうか……頭がガンガンするような騒音の中、カメラもまた狂ったように動き回り、それは田村自身のように……。
そして田村は鉄の壁をこぶしでガンガンと殴り続ける。フィクションだということを忘れかけて、壁を染める血に身がすくむ。

そしてそれ以降、いや……どこの時点からだったのか、今となっては判然としない。田村は、服部の描いたイエローキッドの物語を事前に知っていたかのような、つまりあり得ない行動を取り出すんである。
榎本が当たり屋をしている場面にひらりと殴りこんで、彼の強奪した車を奪って逃走する、というのは、まだ“あり得た”。
でもその後は、あり得る筈もない。だって田村が服部の元カノを知っている訳もない。なのに田村は麻奈と三国が暮らしているアパートを訪れ、三国を殴殺してしまうのだ……。

その前に、服部が麻奈に執着するあまり、というか、三国に対しての憎悪のあまりというか、あるいはアイデンティティを否定されたことへの屈辱というか……まだ合い鍵を持っていた二人の部屋に昼間忍び込み、自分の私物を取り返すのみならず、寝室に入り込んでベッドで悶え、そして、観葉植物に小便するんである。
……このシーンは、出し始めが鉢に届かずにこぼしているあたりが妙に生々しく、そして……ここに隠しカメラが設定されていたことが最後の最後に明らかにされる。
実は最後の“オチ”は判りにくく、え?何が起こっていたの?と思わせるのだけれど……フィクションと現実の境目がなくなる恐ろしさ、いやそれ以上のスリリングさ、それが人知を超えた恐怖にまで発展する様を、目の前でまざまざと展開させられた、のだ。

本当にね、田村が変貌してしまったことが、哀しかったのだ。物語の冒頭では、まだおばあちゃんはボケきってはいなかった。田村に付き添われて自分の足で年金を受け取りに行っていたし、彼との会話もちゃんと成立していた。
でも……「お風呂を使わせてもらってもいいかい」「ダメだよ。俺も入っていないんだから」という何気ないやりとりに、ふとゾクリとしたのも事実だった。おばあちゃんは、そうかい、世話かけてすまないネという台詞も何度も言っていた……。

あんなに心優しく、一人奮闘して、バイトの経験を生かして見事に炒め物を作ったりしてさ、おばあちゃんを養っている彼だけれど、でもやっぱり、こらえ切れないものがあったに違いないのだ。
そしてきっと、その堰が切れたのは、おばあちゃんが彼のことを判らなくなってしまった瞬間に違いない。
年金を奪っていったドロボーと、愛する孫とが区別がつかなくなってしまった。どんなに、オレだよと言っても判ってもらえなかった。

榎本から奪った金を、ビルの屋上からバラまいたという記事をスポーツ新聞で読んだ服部は、自分の描いている田村をモデルにした物語とソックリなことに気づいて戦慄する。
急ぎ、彼を追う。信じがたいことだったけれど、本当に田村は、ストーリーどおり、知るはずもない服部の元カノである麻奈の元に行き、風呂に入っていた三国を惨殺した。
そう……ある意味、服部の望んだとおりに。

しかし、恐るべきことはその後にあった。服部は現場に向かった。凶行を終えた田村とすれ違った。そして三国の無残な死に様を見て、この世のものとも思えぬ絶叫をあげた。
しかし……彼の見た視線の先の、その無残な死に様は、その後すぐに繰り返されるのだ。服部が見ている筈もない、田村が三国を惨殺している場面が繰り返され、そして、リビングから近寄ってくる麻奈の姿が繰り返され……服部の目には、今起こった描写が繰り返されている。
自分の漫画の中に、自分をモデルとしてイエローキッドと共に活躍するキャラの姿そのままの……ゲタを履いて、縞のベストを着て、まるで、そう、ゲゲゲの鬼太郎みたいなカッコの自分自身!!

……あのね、あの、服部が小便を浴びせた観葉植物に、隠しカメラが設置されていたのが最後の最後に明らかにされるんだけれども……そこに録画されていた描写が、ラストクレジットの後で挿入されるんだけれども……正直、そのラストクレジットの後の映像はあまり、意味が判らなかった。
いつの時点だったのか、カメラが設置されていたのは。服部が私物を取り返しに来た後だったのか、その前だったのか?あの映像は、服部が最初に三国と遭遇した場面のように見えたけれども……だとすればそれは、この驚くべき展開になにがしかの意味を与えていたのだろうか?

ただ……それが意味をなしていたのかいないのかは判らないけれど、服部が、今自分がそうしていた行動を、また繰り返し、その目の前に展開されて驚愕し、布団にもぐりこんで耳をふさぐのには、見ているこちらも目を覆いたくなる恐怖を感じた。ドッペルゲンガーの恐怖にも似ているけれども、一体これは……?

そしてこんな恐怖も知らぬまま、田村は自分の部屋に戻り、荷物をまとめ、出て行く。どこに行くつもりだったのか、いつものようにトレーニングに行くつもりなのか、それとも自首でもするつもりだったのか……。
田村が歩く路地の向こうに、小さな影がよぎる。ああ……あんな影、見過ごしてしまえばよかった。田村が襲撃される予感という、恐ろしい時間、ほんの数秒の時間さえ、味わいたくなかった。
案の定。走り抜け様に榎本に首を切られた田村は、声を発しようにも出来ないまま、ただ首筋を抑えて崩れ落ちる。

……なんか、一番重要な、漫画の展開と実際の展開が並行するってのを書き落としちゃってたけど、そう、それこそが、予告編で見てスリリングだと思って足を運んだ理由だったのに。
確かにそれはスリリングだったし、この作品を唯一無二のものしている筈だったのに、本作の実際の凄さはそんな、ある意味瑣末なところにはなくって、人間の愚かしさや生々しさを、見たくないと思わせる程の生々しさや荒々しさ、寒々しさで見せるところにあったのだ。
そう、見たくないと思わせるほどなのに……見守り続けずにはいられなかった。★★★★☆


息もできない/  /BREATHLESS
2008年 130分 韓国 カラー
監督:ヤン・イクチュン 脚本:ヤン・イクチュン
撮影:ユン・チョンホ 音楽: ジ・インヴィジブル・フィッシュ
出演:ヤン・イクチュン/キム・コッピ/イ・ファン/チョン・マンシク/ユン・スンフン/キム・ヒス/パク・チョンスン/チェ・ヨンミン/オ・ジヘ

2010/4/5/月 劇場(渋谷シネマライズ)
予告編の時からただならぬオーラを放っていた本作は、確かにその予感を寸分も違わずにスクリーンの中を駆け抜けて行った。
その予感というのは、このあまりにも愚かで哀しすぎる男、サンフンが決して幸せな結末を迎えないこと。
最初はこの映画自体が、決して幸せな結末は迎えないだろう、という予感に満ち満ちていた。ただ本編を観始めると、段々とそれが彼一人に絞られていった。
いや……決して彼以外の人たちだって幸せになった訳ではない。何より、サンフンを愛しているヨニも彼の姉も幼い甥のヒョンインも、彼を失ったことで大きな痛手になったに違いないんだもの。
そして……サンフンから毛虫のように嫌われていた父親でさえも。

この映画が、主演のサンフンをつとめるヤン・イクチュンによって監督や制作までも全てが手がけられた、しかも長編デビュー作というのが鮮烈だった。
そしてその息詰まるような作品世界は、もうこんな傑作は二度と作れまいと思われるほどだった。ふと、長谷川和彦監督などを思い出してしまった。類い稀なる作品をいくつか残して、類い稀なる故に伝説となる監督……。
しかし、タフな精神が垣間見える彼には、ぜひとも今後も期待したい。それだけの力量があると思うし、映画に対する並々ならぬ気迫をひしひしと感じた。
そうだ、長谷川監督というより、全てを差配する力という点でも塚本晋也監督と言うべきかも。彼のような瞬発力と持続力を併せ持つパワーを!

日本でだってノースター映画の傑作はあれど、スター映画がキラ星のごとくに存在している韓国映画でのそれに出会うと、衝撃度は並み大抵のものではない。
そう、こんな風にささくれだった雰囲気を持つ恐るべき韓国映画に毎度ショックを受けてきたけれど、そこにはいつでもスクリーンを支えるスター俳優がいたし、スター俳優が汚れるからこその、つまりはギャップの緊迫感が存在していたのは事実。

でも、本作は、もう……ダッサ!と思うほどに、底辺をはいずるチンピラ世界の生々しさなのだ。だって主演の彼にしてからだって、チンピラ以外の何にも見えない、道であったら焦って目をそむけて足を早めてしまうだろうといった、もうコテコテのチンピラ。
そう、コテコテなんだよね。サンフンは友人のマンシクが経営する会社?あれは何だろう……メインの仕事は恐らく暴利で貸した金の取り立て屋なんだけど、大学の学生運動集会に殴りこんだりもするし、つまりは汚い仕事を汚い手段で負っている、ということなんだろうか。サンフンはそこの一番のアニキ格で、彼の下に弟分が何人もいるんだけれども、彼を含めファッションセンスはザ・チンピラでサイアク。

一番サイアクなのが、サンフンを悲劇の運命に突き落とすことになる、見るからにソツなくナマイキな新人、ファンギュで、松方弘樹とかが着ていそうな?ありえない柄のガブガブのセーターにセカンドバッグなど携えている(いや、まあこれが取り立てた金を入れるバッグなんだけど、似合いすぎなんだもん)様が、もう関西の場末のチンピラそのもの(いや……知ってる訳じゃないんだけど、スミマセン)。
でも不思議と、社長でありサンフンの唯一兄貴分であるマンシクだけは、泰然とした雰囲気をたたえているんだよね。それでもサンフンがタメグチを聞くから、マンシクは苦い顔をするんだけれど。
マンシクは汚い現場に行かないってことも大きいとは思う。だからサンフンはある意味彼をなめているんだけれど、でも彼の大きな存在が今までサンフンを支えてきたし、そしてサンフンが足を洗うと言った時、即座に彼がそれに倣ったことに感動した。きっと彼が無軌道なサンフンをこれからも支えてくれると思ったのに……。

て!だから最初からかっ飛ばし過ぎだって!一番重要なトコをすっ飛ばしちゃいけないのだ!
もう一人の主人公、この映画のヒロインであるヨニ。サンフンが吐いたツバが通りすがりの彼女の制服のタイについてしまって、彼女は果敢にも彼にくってかかる。
予告編ではサンフンがガツンとヨニを殴る場面でカットアウトされていた。だから本当に衝撃的で、一体ここから彼女と彼がどうやって距離を詰めるのかと思っていたら、どうやってどころじゃなく、ガツンと殴られて一時気を失ってさえ、彼女はまるでひるむことなく、このザ・チンピラのサンフンと対等にやりあうのだ。

それもね、予告編の時からスゴイそれが衝撃だったんだけど……彼女、ヨニもまたサンフンに負けず劣らずダッサイんだよね。それまで美しい韓国女優さんばかりを見慣れていたから、ある意味衝撃なほどにダッサダサで、それがまずすんごい衝撃的だった。
真っ黒でぼわんと多い黒髪が切りそろえられた前髪といい、膝丈にしている制服のスカートといい、何よりあり得ないピンクのカーディガンといい!
でも、彼女の高校生活がちらりと映されるんだけれど、彼女だけがそんなって訳じゃなくて、割と皆、同じように、まあ言ってみれば素朴な風なんだよね。
それを見て、ああなんか私、日本の、しかも情報に踊らされてるかもなあ、と思った。だって日本だって、いわゆる“普通”はこんな感じかもしれない、と思って。
彼女たちが住む街、住宅街は寂寥感が漂うほどに閑散としていて、どこかに出かける、となったなら、気合いを入れて電車にでも乗らなきゃいけない。なんかそういうの、ちょっと懐かしい気さえした。懐かしいだけに……やりきれない気持ちもしたんだよね。

ヨニがサンフンに殴られて、でもサンフンは気を失ったヨニが気付くまで、道路のかたわらでヤンキー座りをして待っていた。
ヨニにカネを渡し、もう大丈夫だろと行きかけたサンフンを彼女は捕まえ、こんなんじゃ治療費に足りない、連絡をするから教えろと迫った。
後にサンフンと連絡をとったヨニが「今時ポケベルなんて。原始人?」と呆れるのに思わず笑ってしまうけれど……チンピラに殴られた、なんてあり得ないことをされたヨニがサンフンと心を通わせた意味が、ここで一気に判ってしまった。

いや、根本的な“原因”は、平凡な女子高生に見えたヨニが、実はサンフンと良く似た、悲運の家族関係にさいなまれているから、ではあるんだけれど、誰もが恐れて行き過ぎるサンフンに食ってかかったのは、そんな厳しい境遇にいるヨニに怖いものなどないってこともあるんだけど……。
でもそれ以上に、その暴力を振るったサンフンが、彼女が気付くまで待っていたっていう、その一点に尽きるんだよね。
もうここで、サンフンの、隠された純粋さ、優しさが露呈されちゃうんだもん。

いやそりゃあ、因縁をつけられたと通りすがりの女子高生を殴っちゃったんだから、もうその時点でクズだと判定されても仕方ない。
でもさ、こーいう設定なら、やっぱりレイプされるとかなんとかいう要素がつきまとうじゃない。それが奇跡的にまでないのも凄いし、気がつくまで待っていられたって、ヨニほどの女の子じゃなかったら、彼につきまとうことなどなかっただろう。つまり二人は会うべくしてあった運命の相手、だったのだろう……。
それが、悲劇の結末を待つしかないとしても……。

似たような運命。それは、ヒドイ父親と、その父親に殺された(あるいは殺されたに等しい)母親を持っているということ。
サンフンの父親は、母親に暴力をふるい続けていた。それに心を痛めた妹が割って入り、サンフンは止めようとしたけれど間に合わず、妹は父親によって刺されて死んだ。外に飛び出した母親も車にはねられて死んだ。
そして父親は長年服役して今出所したばかり。愛する妹と母親を奪われたサンフンはすっかり道を踏み外し、今こんなチンピラ稼業をやっている。
彼の良き理解者であり雇い主であり、何より友人であるマンシクは孤児で、「オレならそんな父親でもいてほしい」ととんがるサンフンを諭そうとするのだけれど……そりゃあ、ムリだよ。
サンフンが意固地だなんて思わない。自分の目の前で幼い妹が刺し殺され、母親が車にはねられて死んだのだ。それを「罪を償ったから」と言って、それだけで父親を許すことなど出来ない彼の気持ちは、そんな状況にいなくたってよく判る。

ただ……サンフンにはこの場に居合わせなかった姉と、その姉が女手ひとつで育てている甥がいるんだよね。
この場に居合わせなかった、会話の感じから察するにどうやら、腹違いの姉らしい。このあたりにもフクザツな家庭環境が見え隠れする。
優しい姉に思いやりを示したいという気持ちを感じさせながらも、結局はアンタはあの地獄を知らなかっただろう、という雰囲気もサンフンからは強烈に感じ取ることが出来る。でも、幼い、頑是無い甥、ヒョンインにはただただ弱いばかり……。

一方のヨニもまた、ひょっとしたらサンフン以上に辛い日常を送っている。ベトナム戦争に従軍し、功労金で生活出来ているという自負があるのか、何をすることもなくピカチュウが映るテレビをぼんやり眺めて過ごしている父親。
何年も前に死んだ母親の、その事実をいまだ彼は認識出来ず、それどころか浮気性で外の男と遊んでいるんだと思い込んでいる。
「娘に食事の支度などさせて」と妻を罵倒し、それでいて食事を用意する娘に「ネコイラズを入れてオレを殺そうとしただろう!」と……もはや超ネガティブな妄想の域に入って、ちゃぶ台?を一徹返しする日常。

それだけでもたまらないのに、唯一の味方であるべきたった一人の弟も早々にグレて、家の手伝いもせずに金を無心し、ヨニがそんなお金はないと言うと暴力まがいに脅しにかかるクズヤローなんである。
しかしそんな弟のこともヨニはサンフンに「イケメンの弟がいる」と自慢するのだ……いや、ここでは自慢ではなく、結局二人はお互いに忌まわしき家族の話などしなかったし、ヨニはサンフンの優しい姉やカワイイ甥に触れて、優しくしなきゃダメよ、と忠告するぐらいだったのだ。
それは自分がそういう境遇に恵まれなかったからに他ならないのだけれど、サンフンが自分に直接言えなかったこと、そして自分も言えなかったことが、つまりは二人が共に幸せになれなかった根本だったような気がしてさあ……。

そうなんだよね。サンフンは結局最後まで、ヨニもまた厳しい境遇にさらされているなんてこと知らなかったし、よもや自分に刃を突きたてた青年が彼女の弟だってことすら知らずに……世を去ってしまった。
このヨニの弟、ヨンジェもまた、クズでカスな底辺の存在だったけど、でもあの、判ったような顔をして腰ぎんちゃくだけは上手かった友達、ファンギュに引き入れられることがなければ、ただヨニの弟としてサンフンに出会えたら、こんな結末にはならなかったに違いない。
家ではお姉ちゃんにやたら暴力ふるって、制服とか破ろうとするサイテーヤローでさ、でも家に金がないんだと気の強いお姉ちゃんに言い返されると、そんなヤクザな世界に足を踏み入れてまでカネを作ろうとする。
でも突然大金を持ってきた弟にお姉ちゃんが不信感を示すと、世間の厳しさにも触れてヘコんでいたところに追い打ちをかけられた形で、彼はカラに閉じこもってしまうのよね。

世間の厳しさ、っていうのは、つまり、現場の厳しさ。取り立ての現場で債権者に殴る蹴るの暴行を加えるサンフンとファンギュに立ちすくむばかりのヨンジェ。
お前はここに遊びに来たのかと悪態をつき、ヨンジェをどつきまくるサンフン。お姉ちゃんにはあんなにひどいことが出来るヨンジェなのに……というのが実に皮肉で、後々彼が、いわば自分を取り戻そうという形でサンフンに襲撃を加え、残酷な結末に向かうのが……どうしてこううまくいかないの。誰も悪くないのに!と思ってしまうのだ。

……誰も悪くないのに、と思うのはおかしいのかもしれないけれど。だってサンフンの父親は娘を殺し、奥さんを死なせた。服役したからって罪が償えた訳じゃないとサンフンが憤るのはあまりにも判り過ぎる。
でもサンフンはそれでも、すっかり枯れてしまった父親に暴力を振るうことはあっても殺そうとはしないし、父親が思い余って命を断とうとした時、ひどく狼狽して、彼を背負って病院に走り、死ぬな、死んでくれるなと、自分の血を輸血してくれろと、医者や看護婦をも脅しにかかった。
そして街にさまよい出たサンフンは……その時に会いたいたった一人の人として、ヨニを呼び出したのだ。

この時彼女も、いくら言っても母親の死を判ってくれない父親に業を煮やして声を荒げたら、父親から包丁を突き付けられて、どん底に突き落とされた。
多分……殺されそうになったという恐怖よりも、どんなに心が折れそうになっても支え続けた父親に、信じてもらえないという究極を突きつけられたショックがあったと思う。
最初からこの場から逃げ出していた弟は、社会に通用しない自分を責任転嫁して、あんな凶行に至った。でも彼は……父親にこそその凶行を向けてしまうことをずっと妄想してたんじゃないか。
それが出来ずに、社会で生きていけない自分を厳しい先輩(まあ、ここは社会というにもキビしいし、サンフンもキビしすぎるけど……)に責任転嫁して“成敗”することで満足を得ようとしたのは、あまりに愚かで、哀しすぎる。

最初からサンフンが幸せになることはないとは思ってたけど、こういう形だってのは、あまりに想像できなかった。
でもね、サンフンは一瞬だけは幸せだったかもしれない。一生、自分と気持ちを共有出来る女なんていないと思っていたに違いない。なのに、ヨニと出会った。強引に彼女に引っ張りまわされ、今までは距離を持っていた姉と甥ともいい感じになれたのも、ヨニのおかげだった。
サンフンが、父親が自ら命を断とうとした場面に遭遇し、ヨニが父親から殺されそうになった夜、サンフンが呼び出す形で二人は川べりで会った。
「いつものように、居酒屋に行くのかと思った」そう、高校生のヨニにサンフンはいつも酒を飲ませていた。まあ、高校生が酒を飲むことなんてそんな珍しいことでもないのだろうが、でも、ヨニが凄く、ダサいほどに平凡な外見だからさ……。

この場面はね、この場面は……本当に、本当に、奇蹟。お互い悪態をつきあっていたような二人が、初めて心の奥底を見せ合う場面。
そっけないハンガンの川岸で、彼は中学の頃にはここによくバイクで来ていた、と話す。膝を借りていいかと突然彼はヨニの膝に頭をのせ、むせび泣く。
それにつられたように泣き出すヨニは、それ以前からもう、彼に呼び出された時、父親に包丁を突き出されて家を飛び出したところだったから、もうもう、泣きそうだったのだ。
二人、お互いの傷を抱きしめ合うように泣くこのシーンはこのうえなく感動的だけど、このうえなく、残酷だ。確かに二人は心を通い合わせているけれども、でも、お互いが、それぞれ自分の辛さだけを噛み締めているんだもの。
勿論、信頼出来る相手がそばにいるから流せる心の涙なんだけれども……。なんかそれって、なんかそれって、とても美しく切ないけど、ひどく残酷な気がする。

サンフンがもう足を洗うとマンシクに言った時、ああ彼は、きっと死んでしまうと思った。予告編の時からその予感はあったけど、足を洗って、幸せになってオワリ、なんてある筈がないと思った。
思いがけなかったのは、マンシクが、ならオレも辞める、もう跡継ぎは決めているし、焼き肉屋を開店する準備もある、と言ったこと。
厳しい上司であり、サンフンとは境遇も立場も違うマンシクが、思いがけずサンフンのことを深く思っていることを知って、ますます悲劇の結末を覚悟した。そりゃあ、マンシクの経営する焼き肉屋で笑顔で働いているサンフンを見たかったけれど、想像も出来なかった。

案の定、サンフンは死んだ。ヨンジェに殺されたのは、ちょっとだけ予想外だったかもしれない。でも半分は、予想してた。
この時、ヨンジェを引き入れたファンギュがお休みしていたのは、彼は友達の決意をサポートするつもりだったのか。今まで散々腰抜けだと罵倒されてきたヨンジェが、この時だけは取り立て屋の顔になった。
ただ……もうこの日限りで仕事を辞め、この日は愛しい甥の学芸会に行くつもりだったサンフン。にっくき父親に対する思いも、その甥から「どうして優しいおじいちゃんを殴るの?パパがママを殴ったみたいに!」と叫ばれた時に萎えてしまっていた。そう、これからは自分を苦しめるばかりの負の感情から離れられるハズだったのに……。

もしかしたら、この時、サンフンがいつもの彼だったら。この時取り立てに行った場所の子供たち、そのお兄ちゃんの方がサンフンという名前で父親から呼ばれていた。その途端、サンフンはひるんだのだ。
それがなければいつものように非情な彼だっただろう。いつも立ち尽くすばかりでサンフンから罵倒されていたヨンジェがここぞとばかり頑張って、思いがけずそれを咎められるなんてこともなかっただろう。……なんて、なんて、皮肉なのか。

サンフンがヨンジェから突然ハンマーで殴られ、血だらけになって、甥の学芸会に連れて行ってくれ……という場面で、終わるのかと思っていた。しかし場面が変わり、ある程度時間がたった雰囲気で、マンシクが新装開店した焼き肉屋にヨニやサンフンの父、姉、甥のヒョンインが集う。いかにも幸せな風景。
その場を辞したヨニが、おそらく長いこと連絡がなかったであろう弟のヨンジェが、どこかのチンピラグループに入って屋台を壊しまくっている場面に遭遇する。
刹那の、凶暴な表情で遠くの姉を確認するともしないとも顔で眺めやるヨンジェ、そんな弟を遥かな、もう遅いよ、とでもいった感情が読み取れる顔で眺める姉。

……あのね、本作で一番驚いたのは、ヨニの変化だったと思う。あまりにダッサダサな女子高生だった。パッと見、サンフンが後に述懐したように、いいとこのお嬢さんかと思われる平凡さだった。
後から思えばそのダサさが彼女の鎧だったんじゃないかと思われるほど、彼女はある意味、変貌した。
いや、サンフンに見せる機会はなかったと思う。家での、首もとが大きく開いたくたびれたシャツに、乱れた後れ毛が疲れた印象を強くさせるヨニは、外で見せる、ダッサダサな印象のきっちりした様とは別人で、なりふりかまわないのに、こっちの方がひどく色っぽくて印象的だった。
……のは、なんと、皮肉なことなんだろうと思うけれど、それが人間の強さであり、女の美しさであるのだろうとも思う。
きっとそうやってヨニはこの後も、死んでしまったサンフンや、落ちていく弟を尻目に、強く、したたかに、幸せをつかんでいくのだと、思いたい。★★★★★


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