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2010年鑑賞作品

のだめカンタービレ最終楽章 前編
2009年 121分 カラー
監督:武内英樹 脚本:衛藤凛
撮影:山本英夫 音楽:
出演:上野樹里 玉木宏 瑛太 水川あさみ 小出恵介 ウエンツ瑛士 ベッキー 山口紗弥加 山田優 谷原章介 なだぎ武 福士誠治 吉瀬美智子 伊武雅刀 竹中直人 チャド・マレーン マンフレット・ウダーツ


2010/1/9/土 劇場(有楽町TOHOシネマズ 日劇)
ふだんはテレビドラマの劇場版にまず足を運ぶことはないんだけど、のだめはすっかりハマっていてコミックスまで全巻そろえちゃったからもう、行くしかない(爆)。
そう、巷で言われるように樹里ちゃん以外ののだめは考えられないし、他のキャストも(原作と結構違うイメージであっても)みんなドンピシャに思えてくるんだから不思議である。
原作と違ったオリジナリティを出すとか、原作と違うラストをお楽しみにとかいったことを最近よく聞くけれど、やはり原作に力があるからこそ映像化に至ったのであれば、その良さを大事にしてもらいたいと思う向きにとっては、のだめはまさに一から十までそれにのっとっているのだよね。
まああんな強烈な原作だから、正直それに引っ張られるということもあるのだろうが……。

スペシャルドラマからもかなり時間があいて、ようやくその続きののだめを映像で見られること、しかも大スクリーンで観られることは、のだめのオーケストラシーンで毎回涙腺をゆるめられてきた当方にとっては大きな魅力であった。
が、まあ一方で……映画になるということは、しかも前編後編とはいえ、あとたったニ本分で終結してしまうということは……今まで以上に大ハショリが行われるのか……という気分も否めなかったのは事実。
まあ、ある程度は仕方ないと思ってた。ドラマの時点でもね、魅力的な脇キャラが何人か切られてしまっていて、ただそれは、実に上手く別キャラに役割を任せていたから、逆に納得や満足もあったのだけれど、今回の映画化に関しての大ハショリはかなり……。

前編を見る限りでは、ドラマの方ではちょっと匂わされていた千秋君とお父さんの確執は結局、バッサリやられてしまったのかなあ?のだめにおける大きなファクターだったのに。
まあ、まだ後編があるからなんとも言えないんだけど。それでなくても前編はほとんど千秋君の物語といっても過言がない感じで、前編の終わり方や後編の予告編を見るにつけても、恐らく後編はのだめの物語になってくるだろうことを考えると、やっぱりそうなのかとも思い……。
だって今回、いくつかの演奏会のエピソードが一つにまとめられちゃってて、千秋君が遭遇する筈だったお父さんとの邂逅がやっぱりなかったから、ここでなければやっぱりないんだろうなあと。

うーん、うーん、仕方ないんだけど!でもそれを思うとやっぱりやっぱり、どうにか第2シーズンとかで、のだめを連続ドラマで続けることは出来なかったんだろうかとついつい思っちゃうわけ!
そりゃあ舞台が海外に移っちゃったら、予算的にもキャスト的にも一気に難しくなるだろうけれど……切られるキャラもエピソードももったいなさすぎるんだもん!
私的にはケチケチ中国人留学生、ユンロンは残してほしかったなあ……(既にスペシャルドラマの時点からなのだが)。

でも、のだめが映画になったことで、それまではせいぜいアジア圏にまでしか行ってなかったであろうのだめの魅力が、大きく世界展開できる可能性を秘めたことは大きいのかもしれないと思う。
内面的な映画が評価されることが多い日本映画には珍しい、思い切ったコメディである本作が海外展開されるのであればそれは実に喜ばしいことなんだよなあ。
オーケストラという内容や舞台も実にワールドワイドだし、これは原作の力だけれど、全然、臆してないしさ。
まあ、映画篇に至る前知識がないと、??な部分が大きいというのが不安要素ではあるものの……マネキンを使ったブラックとも言えるギャグアクションや、何たってのだめちゃんの(樹里ちゃんの!)ファニーな魅力はきっと海外でも大ウケに違いないし!

……なんかのだめ愛ばかりを披露して、本作の話にぜんぜんなってないけど(爆)。んんー、でも、原作前提である分、物語に関してはほとんど確認作業で、ここでそれを書く気にもなれないというか(爆)。
本作で新しく登場してくるのは、舞台がフランスなだけにフランス人が当然多くなってくる。千秋君がぶつかるマルレ・オケのコンマス、シモンはさすがにシリアスパートだけあって、きちんと向こうのキャストを投入してきたからちょっとホッとし……しかもこれもイメージどおり!彼が舞台に出る直前の千秋君に「お前には期待してるんだぞ」と囁くシーンはヤハリウルッとしてしまった。
オーケストラのマネージャー、テオがなだぎさんだというのには思わず笑ったが、確かにテオに向こうのキャストを合わせたら面白くなかったもんなあ。
それまでは、まあミルヒー(竹中直人)は別格として、フランクにしてもターニャにしても、一応外国人っぽく見えるキャスティングが施されていたけど(それでも向こうの人たちの間に入ると、やっぱりメッチャ日本人顔だけど(爆))、なだぎさんに関しては超確信犯的なキャスティングだわよねえ!

今回のメインゲストはやはり孫・Ruiだろうか。まあドラマ篇でもちょっと登場はしているけれど、その時から正直、山田優かァとも思っていたのだが、彼女の大味気味な演技スタイルは、確かにこののだめワールドに似合っていたかも。
ステージママとの衝突や、のだめとのピアノを介した関係ももっと見たかったけど、うーん、これもやはり仕方ないか!そう、前編は千秋君の物語だったわけだし……。
しかし、Ruiの買い物に付き合わされたのだめが、パンツを丸見えにして池に突っ込むシーンはしっかと採用されているあたりが(笑)。

でもね、そうだな……若干そういった、のだめ的ギャグシーンは思っていたより少なかった気もする。やはり映画の尺の中で物語を入れつつしていくと、難しいのかなあという気もしている。
その中でも好きだったのは、Ruiと歩いている千秋君に激昂したのだめが、しかし千秋君に逆にふっとばされて山羊の群れに突っ込み、その山羊をなでながら千秋君をにらむシーン。
いや、にらむというか、あの顔は……千秋君から「何だその顔は」と困惑されるような、すねているとも怒っているとも言いがたい、そう、山羊のような顔!?
ここには樹里ちゃんのコメディエンヌとしての真髄を見たなあ。しかもこれは映画オリジナル、だよね?イヤー、笑ったなあ。

で、どう締めたらいいのか判んなくなってきたけど(爆)。まあ、後編もあることだし!
ていうか私、まだ原作読みきってないので……今回の前編のラスト、未読の部分に差し掛かっていたことに焦った(爆)。だあってこんなに途中大ハショリするとは……何冊分かバッサリ切ってるって感じなんだもん!
しかしそれだけに、のだめちゃんに焦点を絞っている(であろう)後編には今回以上に期待大。でもそれで本当にのだめが終わってしまうことは……やっぱり寂しい!★★★☆☆


のだめカンタービレ最終楽章 後編
2010年 123分 カラー
監督:川村泰祐 脚本:衛藤凛
撮影:山本英夫 音楽:
出演:上野樹里 玉木宏 瑛太 水川あさみ 小出恵介 ウエンツ瑛士 ベッキー 山田優 なだぎ武 福士誠治 吉瀬美智子 伊武雅刀 竹中直人

2010/5/8/土 劇場(有楽町TOHOシネマズ 日劇)
この後編の原作にあたる最終巻が「あっさりしすぎ」という不評を一部でかっていることを知って、ちょっと驚いてしまった。何をもって“あっさり”なのか、千秋先輩と一緒にピアノを弾いて解決、なのがそれまでの壮大なコンチェルトに比してこぢんまりしすぎる、ということなのだろうか?
果ては、作者の出産や体調不良によるせいだ、みたいな説まで跋扈しているもんだから、ええー、と思ってしまう。
それこそあの連弾のシーンに収まるまで、全て作者が最初から見えていた伏線をひとつひとつ押さえているようにしか私には思えなかったから、私的にはあの最終巻はものすごく満足だったんだよね。

何より、それまでずっとのだめの方だけが千秋先輩を追いかけ続けてきたから、この最後の巻(のハズが番外編で続いているのだが)ではやっと、やあーっと千秋先輩の方がのだめを追いかけてくれたから、もう嬉しくて嬉しくて。
そう、千秋先輩がのだめを追いかけてきてくれるまで、読者や、そして何よりのだめは待ち続けたのだと思ったんだもの。
そして、原作が(一応)終わり、連ドラ、SPドラマ、劇場版と続いた映像作品も終わりを告げるにあたり、やはり一抹の寂しさを覚えずにはいられなかった。
樹里ちゃんはともかくとして、玉木君は年齢的に今後千秋先輩を演じるのはさすがに難しそうだしさあ……。やはりこれで本当に終わりなのか、という寂しさはいかんともし難かった。

しかしそんな寂しさを一時忘れてしまうかのように、この後編の、言ってしまえばのだめらしからぬ重さには少なからず驚いてしまったんであった。
いや、ちらりと読んだインタビューでもう予感はあったし、それに確かに原作を読んだ時点で、あの明るいのだめちゃんが初めて真の絶望を知る、つまり真の音楽を知る一連のシークエンスが辛くて辛くて、だから千秋先輩が彼女を追いかけてくれたことが本当に嬉しかったのだ。

ただ……展開的には確かに重いんだけれど、この原作者の凄いところは、そんな時でも描写の軽さは一貫して失われていない、本当に一律同じだということなんだよね。
まあそりゃ、ここでいきなりガラスの仮面になったら(なぜガラスの仮面……)おかしいことではあるのだが、こんな重くて辛いシークエンスでもちゃんとギャグやユーモアを交えていたから、原作を読んでいる時点ではのだめらしからぬ、などとは思わなかったのだ。

でも、映画となると……役者が演じる映像作品となると、やはり役者の重さは時間を伴ってしまうものだから……ナカナカ難しいのだよね。
例えばこんなシーン、のだめが千秋先輩とRuiが共演したコンチェルトを聴いて衝撃を受けて、現実から逃げてしまうというこれ以上ない重いシーン。
最初のだめはそのショックを隠して殊更に明るく振る舞い、「今日のコンサート、とっても良かったデス。夕食にしますか、お風呂にしますか、それとものだめ?」と秋波を送る。

原作では、実はのだめのDカップに参っている千秋君が、よだれをたらさんばかりに最後の提案に乗りかけるのだけれど、映画では「あ、じゃあ……」とその乗りかける台詞が彼の姿は見切れて、その台詞を無視して進行するのだめの方に移ってしまうのだよね。
私はね、この時にまず、あれ?と思ったのだ。こんなのだめらしいギャグをスルーするなんて、確かに尺が足りなくてモノローグばかりで語って急いでる風は否めなかったけど、それにしてももったいないよなあ、と。

でも……もう最初からこの後編に関しては、そういう方針で演出を決めてしまっていたんだろうなあ、と思うのだ。
結局最後まで、そう、最後の最後、のだめがコンチェルトの真の意味を知る連弾のシーンでの「先輩の背中、飛びつきたくてドキドキ」という、伝説の台詞をもう一度口にするシーンに至っても、その台詞は多分にのだめ的ギャグ風味を大いに含んでいるのに、それを台詞だけで乗せてしまって、もう画はまんま純愛ラブストーリーなんだもの。

原作では明らかな観察者がいた(高名なピアニストの自宅に押しかけた)のに、映画では二人きり(こっそりオリバーは見届けているが……ここはオリバーのキャラを映画オリジナルとはいえよく生かしてる)で、ほおんと、二人のラブや、あるいは苦悩の重さを優先するあまりに、のだめ的要素をストイックなほどにばっさばっさと斬り捨てちゃっているのだ。

見ている時には、ここまで切らなくても入れられるんじゃないのお、とも思っていた。でもそれは、あくまで原作ファンとしての視点であって、映画としての流れや役者の演技の流れを考えれば当然のことなのかもしれない。
私がもしのだめの原作ファンでなければ、どうだっただろう、なんて考えてしまうのだ。コミックスはコマで分けられるところが、やはり映像作品との大きな違いである。絵と台詞で進行しているから、一見寸分違わず映像化出来そうに思えるけれども、まるで違うのだということを、まさにこののだめで思い知らされた気がする。

というのは……連ドラの時には確かに、まさに原作どおり、と思っていたんだよね。まさにコマで進んでいる感じだった。
確かに連ドラ時点までの展開でものだめは充分苦悩し、涙を流し、一時はピアノを辞めて故郷に帰ろうとさえしていた訳だけれど、それでも奇跡的なまでに原作どおり、コマどおりに進んでいた。
それは毎週一時間という枠のリズムもあったと思うし、こうしてのだめが終わってしまえば、あの時ののだめの苦悩はまだまだコマで割れるほどカワイイものだとさえ言えたのかもしれない、と思う。

いや……やはり、映画の、2時間という尺、なのかな。それは凄く感じた。前編でも思っていたけれど、やたらモノローグだけで進んでいく気がしたのだ。
確かにのだめは、というか漫画というジャンルにおいては、登場人物のモノローグが物語進行の有効な手段であるのは確かなんだけれど、それは読むという行為において成立するのであって、映像作品ではただ説明的で合理的に進めているとしか感じられない。
だからこそ、漫画作品で傑作であっても、映像作品で必ずしもそれが成しえないのは……どっちを選択しても違和感があるからなんだよね。

ストイックなまでに登場人物の心のうち(つまりモノローグ)を排して、表面上の台詞だけで進行した映画もあったけれども、やはりそれでは何も伝わらないし、逆にこんな風に全部入れ込んでしまうと、なんか焦って物語を観客に判らせようとしているように感じてしまう。
やっぱり決定的に漫画と映画はメディアが違うから……それは小説もそうなんだけれど、漫画は画や台詞がそのまま映像にしやすいと思われがちな分、そういう齟齬が生じやすいんじゃないかと思う。

ていうか、これじゃ全然物語が判らないんだけれど……まあ、あれだけ原作が有名だからいっかという気もするが(爆)。
前編で千秋先輩に“ピアノの弾き振り”を披露され、ただでさえ千秋先輩との共演を目標にしているのだめは、感動の涙を流しながらも「ずるい」と焦りまくる。手っ取り早くコンクールに出て名をあげようと思っても、指導教授のオクレール先生は、まだ音楽に向き合っていないととりあってくれない。

そんな中、峰君と真澄ちゃんが来仏してくる。峰君の恋人、清良がバイオリンコンクールの最終まで残っていると聞いて応援に駆けつけたのだった。もう二年も遠距離恋愛を続けている峰君はそれでもストイックに、あいつの心が乱れるからと、応援に来ていることをナイショにしたがる。
だけど、結果発表の場面でバレバレの行動をしている彼を清良が見つけ、「お客さん、三木清良の演奏はどうでしたか?」と後ろから声をかけ彼女は二年越しの恋人に「なんちてー!」と抱きついたんであった。

おっと、大筋を記すつもりが、峰君と清良にすっかり停滞してしまった(爆)。でもねでもね、確かにこの二人のシークエンスが一つの大きなメインだったと思うのよね。
「結果がどうでも、私日本に帰る。帰っていいよね」と峰君に抱きついた時の清良=水川あさみの、泣き笑いのような表情、それを受ける峰君=瑛太君の表情も、不器用タイプの彼にしては(爆)彼女に引きずられるかのように(爆爆)、サイコーに良かった。

これってね、これって、原作である漫画では、引きの場面で二人の顔のアップではないんだよね。それはそれでとても雰囲気があったんだけれど、映画では役者の力を信じた故の接写、だったんだよなあ。もの凄く、グッときた。
そりゃあ映画に収めるために二人のエピソードもはしょりまくりではあるんだけれど、まさに役者の意地で、二人の2年間を見せきった気がしたのだ。

うーん、それでいったら、改めて原作を思い返すと、あまりにあまりにはしょられすぎの人々が無駄死にって感じで(爆)。
パリパートでのだめの同級生として登場したウエンツ君とベッキーは、結局はその容姿を買われたってだけのキャラに終わってしまった感。二人とも原作では、コンクールに出ていいところまで行ったり、室内楽に目覚めたり、凄くドラマチックな展開があるんだけどなあ。
そんな状況も台詞一発で終わらせちゃったり、ターニャと黒木君の恋物語もSPドラマから劇場版に至るまで、中途半端に終わってしまった感があるのは非常に残念。
まあ確かに実質的にもそんな煮詰まるまでの展開があった訳じゃないけれど、その前段階のドキドキこそが、少女マンガ的トキメキなんじゃないですかッ!

千秋先輩とRuiが、自分がやりたかった以上の演奏を披露してしまったことに絶望したのだめは、ミルヒーに誘われるがままに彼とのコンチェルトでいきなりデビューしてしまう。
しかしそこで思った以上の達成感を得てしまったことで、のだめは千秋先輩とそれをやりたかったのに、もうこれ以上のことを彼とは出来ないんじゃないか、そうなったら好きだという気持ちも持ち続けられないかもしれない、と苦悩する。
音楽の楽しさや達成感がいつも大好きな千秋先輩に通じていたこと、ここまで引っ張ってきてもらえていたことで、彼のいないところでそれを得てしまったのだめは苦悩してしまうのだ。

のだめのいきなりのデビューに驚きつつも「これをオレが聴かなくて誰が聴く!」とプラハまで駆けつけた千秋は感動し、のだめの楽屋を訪ねるも、会いたくない、と言われてしまう。
そしてその後、のだめは世界中から注目されているにも関わらず失踪、パリに戻ってきた時には、そんな華々しいデビューのことなんて触れたくないように、子供たちと群れ遊んでいた。
そう、幼稚園の先生になりたい、というかつての夢を頑固に引き戻すかのように。

唯一、原作以上にイイなあと思ったところだったかもしれない。幼稚園から聞こえてくるのだめのピアノ、ベートーベンのノクターン。
原作ではアパートメントで子供を預かっているという設定だったけれど、映画では幼稚園。この設定変更は、映画ならではでとても活きていたと思う。
もちろん、アパートメントでも窓も何もそこらじゅう開け放題で、ピアノの音も響いているんだろうけれど、それが画的にしっくりくるのは、幼稚園の方が確かに判りやすい。

ここからの時間計算がいいんだよね。クライマックス、あの「先輩の背中、飛びつきたくてドキドキ」の後に二人しっかと抱き合うシーンでは、ワザとらしいほどの(笑)黄金色の夕陽が差し込む。
つまりその前の、まだ夕方前の絶妙にまったりとした時間帯に、のだめが子供たちに「のだめ先生だってやる時ゃやるんですヨ」と言って引き始めたベートーベンのソナタ。
原作では31番になっているけれど、ここで聞かせるのは、千秋君がのだめのピアノを、彼女が弾いているとはまだ知らずに聴いた、あの有名な13番、「悲愴」の第二楽章。

いやあ……確かにそうでなきゃいけないと思う。ここは。なんで原作は31番にしたんだろうと思うぐらいで。いや、やはり「やる時ゃやるんですヨ!」という気合いを見せる曲でなければいけなかったからだろうが……。
でもね、二人の連弾、つまり出会いの時をなぞって、音楽の真実を探るのなら、多少地味であってもやはり悲愴の第二楽章、であるべきなんだよね。
まあ確かに“飛んだり跳ねたり”ののだめのキャラとは違うけれども、この美しくも切ないメロディに千秋君、いやさ玉木君のその端正なお顔の、大きな瞳が真っ赤に充血して涙が流れるのが、原作のライトな画柄とは違って、やはり実に実に、ウェットでステキなんだよなあ!

そして、感涙の連弾シーンである。このシーン、このシーンはね!確かに映画、映画でなきゃいけないんだなあ!!
エピソードを聞いても、確かにこのシーンには時間とエネルギーをかけたという……そうだろう、そうだろうと思う!やはり、やはりね、この後編シークエンスが二人のラブこそがメインで進行しているんだとしたら、このシーンのトキメキは何よりも優先されなければいけないんですよ!

これまでののだめの心情にはとてもそぐわない明るいメロディラインに、どこで二人の気持ちがシンクロしていくのか。のだめがハッと気付いたように、ピアノの、音楽の楽しさに気付いたように千秋君を見やる、その視線をまさに待っていたように千秋君がのだめの視線を受け止める。
それは、二人のアップをカットバックし合う訳で、実際に見つめあっているシーンが映し出されるんじゃないんだけれど、これこそが映画のマジック。本当に……このシーンだけは、映画、だったなあ。

ラストは、橋の上でのキスシーンで終わるのだが、確かに華やかな、往年のラブ映画らしいとも言えるんだけれど……。
私はね、原作の、のだめが原点に返った、モーツァルトのコスプレをしてこじんまりとした会場でプレイするリサイタルでのラスト「楽しんで弾くので、一生懸命聞いてくだサイ」てのが、ああ、なんてのだめらしいんだろう、しかもラストまでカンペキにのだめらしさを伏線まで押さえてる!と思っていたから、これが採用されなかったのはなんかすごい残念なんだよなあ。
確かに映画の華やかさとしては、あのラストはとてもいいとは思うけれども……でもしょうがないのかなあ。

こと映画に関しては、原作でいい味だしていたキャラがバッサリ切られたり(ヤドヴィを、のだめが気持ちを吐露する小さなキッカケだけのために登場させるなんて……それであのユンロンをバッサリ切るなんてさ!)、深い人間関係を掘り下げるエピソードがことごとく切られてしまった印象がある。
結局は大筋を大急ぎでモノローグでつないだ、みたいな。なんかハラハラしちゃったんだもの。こんなモノローグだけで、ついていけるの?みたいにさ。
むしろSPドラマや映画で描いた部分こそ、じっくり連ドラでつないでほしかった。そりゃ、海外ロケとか難しいのは判ってるけれど、出来ないならやらない方がむしろ良かったかも、だなんてことまでは言いたくないけれど。

でも、樹里ちゃんののだめ、玉木君の千秋先輩、瑛太君の峰君、竹中さんのミルヒー(大胆ながらピタリ!)、全てのキャストが誰一人ハズしていなかったのは本当に凄かった。
個人的に本当にピタリと思ったのは、ハリセンを演じた豊原功補。彼も含めて、売れ線とかじゃなくて、本当にキャラのイメージや、漠然とした雰囲気を含めて実に丁寧にキャスティングしていたことがこの作品の成功。
フランクやターニャは若干見た目にこだわりすぎた感もあれど(爆)。しかし、フランク役のウエンツ君が鬼太郎柄?の黄色と黒のシマシマ長Tを着ていたのはちょっと笑っちゃった。まあ偶然かもしれないけどさ。★★★☆☆


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