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「り」


2011年鑑賞作品

ring my bell
2011年 75分 日本 カラー
監督:鎮西尚一 脚本:那須千里 山形育弘
撮影:高木風太 音楽:core of bells
出演:月城まおら 山形育弘 瀬木俊 ちひろ 鳥居しのぶ 那須千里


2011/3/25/金 劇場(ポレポレ東中野)
いやー、久々に、わ、判らない……と内心頭を抱えてしまった映画だったので、上映後の監督とメインキャストたちによるトークショーでそのナゾに迫れるかしらと期待したのだが、意に反して撮影中の寒かった話というおよそ意味のないトークで盛り上がって終わってしまったので、ううう、と。
監督さんは二日酔いということでか、振られない限り口を開かなかったし、開けばキャスト礼賛しか出てこなかったしなあ……。

そ、そんな監督さんが絶賛するほどかしらん、などとミもフタもないことを思ってしまったのは、まあ、メインのうちの二人はバンドマンでこれが初めてのお芝居だということだし、ヒロインにしても、決して上手いとは言い難かった、なあ……。
監督さんは「思っていたより何でも出来た」と手放しで褒めていたけれど、“思っていたより”であって、観ている方としては、そこまで言うほどかしら……などと思ってしまった(爆)。

いやいやいや、別にお芝居が上手いヘタというのは一概に計りきれないものがあるし、いわゆる“上手い芝居”が鼻につく役者さんもいるしさ。
確かにこの不思議な世界観に彼女のマイペースな芝居の作り方は合っていたのかもしれない、とは思う。なぜかV字バランス、はその“何でも出来る”のうちのひとつで、物語には全然関係ないよなとは思ったが……。

ていうか、ていうかである。そう、不思議な世界観、もっと言ってしまえば、そう、この日トークに現われた監督さんが口数少ないながらも開口一番に言った「こんなトンチンカンな映画になってしまった」という表現がまさにピタリとくるのであった。
監督自身がそう言うのならば、そのあたりの突っ込んだナゾ解きをぜひ聞きたかったのだが。

いや、ナゾ解きだなんて。別に謎がある訳じゃない……かなあ、ミステリな訳じゃない。確かにこれは、監督が何度もつぶやいていたというように、青春だなあ、という物語なのだろう。
それもキラキラ輝く青春ではなくて、それもちょっとはあるけど、どこか不毛で、ぎこちなくて、青臭くて、危なっかしくて、だからこそ妙に愛しい青春。

本作は青春Hシリーズなのだけど、つまりエロを入れるのが基本条件なのだけれど、監督が注目したのは“青春”、の方だったらしく、これでこの企画の作品でいいの、というぐらい、“H”はないんだよね。ほんと、心配になっちゃうぐらい。
このシリーズは、つまりはピンク映画と同じように、そういうシーンさえ入れればどう作ってもいいというスタンスで超低予算、それをどう解釈するか。
ただエロシーンを盛り込む条件をクリアさせるだけで自分の作りたい世界を構築するのか、エロの意味を優先させて作品世界を構築するのか、というところに面白さがあったと思っていたところを、スカーンとかっ飛ばされてしまった。

エッチがない。いや、ないとは言わない。それこそ、ほんのワンシーンではあるけれど、それこそ仕方ないなという感じで入れてはいる。
ヒロインの鮎子と幼なじみのイサオが愛しあう場面はあるにはあるのだが……とりあえずハダカになり、倒れこみ、キスと軽い愛撫があり、いざ……の部分は彼女のあえいでいる顔のアップをちょっと映しただけで終了、実にそこだけでオワリというのが、い、いいのか?と思ってしまった。

いや、普通の?映画ならそれで全然いいのだが……(普通っていうのも言いづらいが……)。
鮎子が裸でウロウロする場面は何回かあり、まあアンダーヘアもバッチリだったりするんで、それもエロに含まれるのか……と、なんかどーでもいいところばかりが気になってしまうなんて、ハズかしいな……。

そもそも、本作が成り立っているのは、ていうか、監督さんが本作を作る原動力になっているのは、幼なじみの三人の男女のうちのその男二人を演じる、ハードコアパンクバンド、core of bellsの山形育弘氏と瀬木俊氏の存在らしいんであるから、ここを理解して臨まないとなかなか難しいのかな、という気がしている。
こういう方面にはとんと疎いので、core of bellsというバンドの存在も全く知らなかったのだけれど、これは知った上で観た方が良かったかもしれない……。

だって劇中で二人が演じているのは、留年しながら音楽の道を目指している二人のグータラ青年なんだけど、ヘタヘタにしか見えないんだもん(爆)。
観終わった後に、二人がプロのミュージシャンであること、そのバンドに監督が惚れ込んだからこそこの作品が成立したことを知ってボーゼンとしてしまうんである。
いやまあそりゃあ、劇中では彼らは鳴かずとばずであるという設定だったし、なんたって鮎子が「イサオ、歌上手くなったんじゃない?」「そう思う?ヤバイな」この場合のヤバイは文字通りの意味であって、彼らにとって歌が上手くなるということは、自分たちのパフォーマンスにとってはマイナスにしかならないらしいのだ。

実際のcore of bellsがどんなライヴパフォーマンスをしているのかは知らず、確かに興味の沸くところではあるんだけれど、少なくとも劇中の二人はヘタヘタで、森の中で調子っぱずれの歌を、しかも歌詞もアヴァンギャルドというか、意味不明であるという感触しか得られなかった。
スイマセン、どうやら劇中の歌はそのまま彼らの持ち歌らしいんだけど(爆)。ヘタに聞こえさせる演技をしているんだよ、ね、ね?

鮎子は図書館に勤めている。図書館……?なんか学校の一室みたいな雰囲気。結構台詞が聞き取れないところもあって、学校の中の図書館だったのかもしれない。図書館の常連さんである人のことを「生徒さん」と鮎子は呼んでいたしなあ。
彼女の両親、というか父親は蟻の研究をしており、家の中には蟻の飼育キットがある。蟻を愛するあまり、危うく自分の名前が蟻子になるところだった、と鮎子は述懐する。
それを聞いたイサオと宇津保は、蟻子だったら良かったのに、と真顔で盛り上がる。彼らにとってはムダがなく完成されている蟻は、“かっこいい”らしいんである。父親と同じようなこと言わないでよ、と鮎子はブンむくれる。

という、会話が交わされるのは鮎子の家のダイニングである。両親が蟻の研究でしばし家を空けたと知って、幼なじみ二人は、じゃあ合宿だな、とこのまま居着くことを決め込むんである。
その流れがあまりに自然で、元からよく出入りしていたのかと思ったが、どうやら子供の時以来久しぶりで、二階に上がって彼女の部屋を見ると、懐かしいな!とつぶやいたりする。
あるいは、ダイニングまでは来ていても、二階に上がることは久しぶりだったのかな……幼なじみの友達も成長するにつけ、他の友達が出来たり、あるいは男女を意識したり……だから、この“合宿”は、本当にそんな、甘酸っぱい時の経過を確認し、埋める作業だったのかもしれない。

実際、何から何まで知っていると思っていた幼なじみの三人、ことにちょっとラブな展開になる鮎子とイサオの二人は、そういう“青春”を殊更に感じさせもした、かなあ。
鮎子が仲良くなる図書館の常連さんであるオッサンにイサオが嫉妬して、二人の後を宇津保と共に尾行する場面は、彼らの様子があまりにバレバレで微笑ましいものがあったし。

そもそも鮎子とイサオはお互いの気持ちを確かめていたのか。幼い頃から一緒にいたけれど、いつも宇津保がいて、彼が家庭の事情で合宿生活から脱退したことで初めて二人きりになったんじゃないのか。そこで男と女ということを初めて意識したんじゃないのか……。
いや、鮎子は眠りこけているイサオの豊満なお腹をめくって、掌と裏返して手の甲をあっためるように押し付ける場面があったしなあ。
イサオの方も彼女がお風呂に入る時とか、なーんとなく気にしている印象だった。確かに青春ぽい。ちょっとトウはたってるけど(爆)。

彼ら三人の中に割って入るのが、ファンレターを送ってきた女の子である。ファンレターなんて初めてだから彼らは浮き足立ち、朝練に彼女を誘う。
朝練というのは、森の中で行われるリハーサルのことで、純粋に歌を歌うよりは、何か、コントのような、寸劇のような、奇妙なワールドが繰り広げられるんである。
本作が本作たるゆえんである異質さはもっぱらこの部分にあり、カリスマボーカリストのライブアンコールを大マジにコピーしてみたり、首まで枯れ葉の中に埋もれてボイスパーカッションみたいなスキャットを絶叫してみたり、シェイクスピアめいた芝居を展開してみたり。

まあ確かに常にオリジナルソングを挟んではいるのだけれど、それも確信犯的にヘタヘタにやるもんだから、とにかく何も知らないこっちとしては、彼らが才能なんて全くないのにカン違いしているイタい青年たちにしか見えず、ていうか、本作の中では間違いなくそういう役設定だと思うし……。
でも、彼らは、少なくともこのトークショーに参加していた山形氏は、そのままでいいよ、と素で演技に臨んだというし……もう、どう受け取っていいのやら、本当に判らなくて(泣)。

ああ、そうそう、一番大切なことを忘れていた。大切なこと、なのかなあ……これもナゾな設定なのだが、イサオと宇津保が森の中で密かに密造酒を作っているという話である。これがそもそも、この作品の牽引力となるんである。
果実酒を漬けるようなガラス瓶に得体の知れない植物をちぎって入れて、枯れ葉が覆い被さっている寒々しい森の土中に埋めてあるんである。
「あくの強いものばかり入っているからな」とまだ熟成が未熟な時点での試飲をして、首をかしげながらもいいセンには行っている、とご満悦な彼らに、味見をした鮎子はただ首を傾げる。
思えば彼女が、この密造酒を図書館の常連さんのオッチャンに飲ませてしまったことが、青春の亀裂の始まりだったかもなあ。

鮎子を散歩という名目でナンパしたオッチャン、しかし本当に純粋に散歩で、せいぜい河原で酒とコーヒーを酌み交わし、密造酒に盛り上がって朝まで飲んだりするような、理想的な間柄。
そう、女にとっては理想的だなあ、こういうオッチャン。私ね、なんたってこれは青春Hシリーズだし、ここまでに圧倒的にエロが足りないし、このオッチャンとそういう展開になるのかなと思っていたら、まったくストイックにそのままだった。

イサオたちバンドのファンだという女の子が入ってきた時も、何よりファンレターをもらうこと自体が彼らは初めてだったし、なかなかにカワイイ女の子で、しかも紹興酒と手製のキムチを持参したりなぞする気のつきようで、宇津保はすっかり恋に落ちてしまい、しかも彼女とステディになるのに、そういうシーンは用意されてないんだよね。

宇津保が“いつものように”恋に落ちて思いつめるシーンはかなりカワイイ。木片を十字に組ませたものを森の中に木槌でカンカン、と埋め込む。
誰のお墓?と鮎子が聞くと(この場合、誰の?と聞くのはかなり危険なような……普通動物かなにかのお墓かと思って、なんのお墓?という聞き方をするような気がする)、イサオが例のアレだよ、と言う。鮎子はああ、またひと目惚れね……と言い、今度こそイサオの恋が成就しますように、と手を合わせる。

この幼なじみ二人で鮎子を取り合うのもありそうな展開と思ったが、そうなると、このどこかほのぼのとした世界観が失われてしまうのかもしれない。
上映後のトークであだち充が引き合いに出されていたりしたけれど、それこそ、幼なじみの三人がそのまま三角関係にはならないあたりが、本作が現代の青春である、ということなのかもしれない。

イサオと宇津保が、鮎子と図書館の常連さんをつけている場面で、イサオが姉に出くわすシークエンスがあるのね。
お姉さんは既婚者なんだけど、ダンナではない男とイチャイチャ歩いていて、後にお姉さんは弟であるイサオにダンナの愚痴をぶちまけ、汚い川の中に結婚指輪をスローインしてしまう。
イサオが慌てて泥川の中に入り込んで指輪を見つけ出す。姉はしれっと、「ありがとう、これ気に入ってたのよね」と再び薬指にはめなおす。

……このシーンではね、イサオを演じる山形氏は妙に芝居が上手い(爆)。というのも、本作の中で唯一、いわゆる芝居らしい芝居を披露するのがこのお姉ちゃんだけであり、それがいいのか悪いのか、ここまでくるとナカナカ微妙な部分もあるんだけど(爆)、その芝居らしい芝居に、彼も引きずられたような感があるのが、面白いなあ、と思ったんだよね。
普段はうだつの上がらないぐーたら青年さえもぎこちないのが、この場面だけは奔放な姉に悩まされる弟にしっかりなっているのがさ。

大体、イサオと鮎子は本当に恋人同士だったのか……嫉妬して、鮎子の帰りを待ち続け、部屋から廊下に頭だけ出して「生首」などと言うイサオは可愛いながらも、ウザ気にあしらわれるのが可哀想でねぇ。
とにかくなんともなんとも、不思議世界で、何が正解だったのか判らないようなさ。
でも一応、ハッピーエンドだったのかなあ。いつものような朝練、出勤の時間になった鮎子は、私もう行かなきゃ、と言う。

出勤用の自転車をイサオが怒った様にひったくって路上に出る。何すんのよ、という顔で彼を追いかけた鮎子が、サドルにまたがる彼の後ろに乗って、腰に手を回す。
走り去り、画面から見切れる。ああ、確かに監督さんが青春だ、というのは判る気がするなあ。

意味ありげに据え置かれる密造酒というキーワードがどうなのか……それも、秘密に何かを成し得る青春のキーワードなのだろうか。
それとも、留年という、青春をもてあましているうちに大人(酒が飲める年)になってしまったというキーワードなのかも?★★☆☆☆


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