home!

「め」


2011年鑑賞作品

飯と乙女
2010年 75分 日本 カラー
監督:栗村実 脚本:栗村実
撮影:ニホンマツアキヒコ 音楽:宮嶋みぎわ
出演:佐久間麻由 上村聡 田中里枝 岸建太朗 岡村多加江 菊池透 増本庄一郎


2011/7/17/日 劇場(渋谷ユーロスペース/レイト)
食が前面には出ているけど、このフシギなタイトルの意味ってなんだろなあと思っていたら、全篇に渡って使われているシューベルトの「死と乙女」のパロディということだった。うーむ、その曲のタイトル自体知らないと、そのシャレっ気自体にもピンと来れない自分の無粋さが哀しい(爆)。
死を前にした乙女と死神との対話であるというシューベルトの曲の荘厳さは、しかしどうにも滑稽な飽食の時代の人間たちの悲哀を浮かび上がらせる。

そして裏テーマ、ていうか、メインテーマかもしれないのが仏陀で、物語中、三組の人間関係のうちの一人、小さな事務所の社長がダンボールハウスにこもり、“即身仏”になろうと(してはいないだろうが)妻に宣言する。
途中繰り返されるこのエピソードが、冒頭にまず提示される。最後の苦行として即身仏になる修行僧、その行の最中に村の娘から乳粥を施されその美味しさに目を見張った仏陀、そして渋谷の雑踏の中の托鉢層は、いわくつきのカツサンドにかぶりつく。

と、と。そんなことをつらつらと言い連ねていても判らない(爆)。とりあえずこれは、三組の人間模様、ていうか、それぞれの人間たちはちょっとずつリンクしているので、三箇所の人間模様と言った方がいいかもしれない、が同時進行で描かれていくのね。
一組目が先述した、小さな事務所の社長と豪快に食事を作るその妻、思春期で黙りっきり、化粧ばかり濃い高校生の一人娘。
そしてその事務所のたった一人の社員は、恋人という名のヒモ男がライターと言いながら部屋にこもって音楽ばかりを聴いているうだつのあがらないヤツなもんで、未来を見出せずストレスたまりまくりで、まともな食事を受け付けず、個包装のせんべいばかりをばりばりと食べている。

個包装、ってあたりが妙に偏執狂的だし、よくあるポテチとかじゃなくて煎餅ってあたりも、一応はカロリーを気にしているのかな、でもばりばりやたらと音がやかましいのも耳障りで、彼女の頭の中では余計に響いているだろうしと思い、しかも彼女はそれを毎回げえげえとトイレで吐くんである。
そう、吐けば太らないからという、あの悪しきダイエット?法、食べ吐きというヤツ。下手すると過食症が苛烈になって死んでしまうというアレ。もう典型的。

そして彼らがよく行くダイニングバーで、最初に客として現れるのがすっかり泥酔した男と、この場限りの女だったことが後に明らかになるカップル。
まあだから、カップルではない。男は出された料理に一切手をつけず、酒ばかりを飲み、几帳面にボトルキープの飲んだ線まで日付を入れて、女に抱きかかえられて家に帰るが、翌日、その彼女が留まっていそいそと朝食などを作っているのを見て激怒する。
口ではごめんと言いながら邪険に追い出し、彼女の用意したしゃけの塩焼きやら浅漬けやら白飯やらお味噌汁やらといった手料理をばこばこゴミ箱に捨て去る。
そして彼は冷蔵庫をばこっとあけ、六個パックの卵を無造作に全部(!)フライパンにカチャカチャと割り入れ、巨大な目玉焼きを作り、急ぎ作って半熟にも程がある黄身がぐちょぐちょのその目玉焼きに、これまた無造作に塩コショウをばばばとし、一斤の食パンをちぎって黄身にぐりぐりとねじ込んでは食らうんである。

てか、彼の描写はその前にあったんだった。次々に料理が作られて差し出される中に。
このダイニングバーの年若い女料理人が作るおしゃれな料理、社長の奥さんが作るやたら大量な家庭的料理、そしてこの男が作るのが……。
最初に示されるのが、イカをいきなりさばく。そしてわたを取り出す。そのわたを、いきなりあーんと口に入れて食っちまうんだからビックリする!!
いや、確かに塩辛に出来るだろうてなぐらい新鮮そうなイカだからいいんだけど、この、彼の造形を示すべくの描写はかなりインパクト大で……。

彼はイカをぶつ切りにして、これぞぶつ切りってぐらい、もうほんっとにダッ、ダッ、ダッと五つぐらいにでかく切ってざざっと炒め、皿に盛ったそれを、これまた塩コショウを無造作にかけて食らうわけよ。
この時にさ、あのわたを炒める時に一緒にからめたりしたら美味しいのに……などと思ってしまったのはあながち間違いでもなかったらしく、彼は自分が食うために料理はするけれど、恐らくそれはあまり美味しくはない、のだろうなあ、というのは、後に示されるところで、これぞ本作の本質ってなところ、なのよね。
シンプルイズベストとはいうが、それにしてもシンプルすぎる。アスパラを切りもせずフライパンに放り込むのも、男の料理というにはあまりに乱暴すぎる。そしていつも味付けは盛り付けた後の塩コショウのみなんだもの。

いやあ、実はさ、本作は確かに次々に料理が出てくるんだけど、特にインパクト大なのがこの彼の料理?であるせいか、どれもこれもまったく美味しそうじゃなくってさ(爆)。
なんか、食材をグワッと提示しているせいか、美味しそうというよりグロテスク、なんだよね。カフェダイニングで女料理人、砂織が作る料理はさすがにおいしそうだが、さすがに、ってあたりが(爆)。
しかもその砂織の料理は酒客たちによって無残に残されたり、カツサンドを持たせても托鉢層に施されたりする始末だしさ。

で、ちょっと脱線したけど、そう……美味しそうじゃ、ないんだよね。素直に、あ、これ美味しそう、食べたい!といった印象が出てこないのだ。
砂織の作る美味しそうな料理も本当に美味しい食事を欲する人のために供されないし、他人の作る料理が食べられない男、九条の作る料理は、まさに口に入れるために加工しているだけって感じだし。
そして煎餅ばかりをかじっている美江に関しては、その煎餅が可哀想になってしまうほど。

美江のうだつのあがらない彼氏、小日向は、カフェダイニングで九条が持て余す世俗まみれの、しかしまあ面倒見がいいと言えなくもない石田という男が双方共に知り合いだが、小日向と九条があいまみえることがないあたり、なかなか凝った趣向に思える。
自慢の料理を食べてくれない九条が気になる、てか、九条自身が気になる砂織は、そのことを苛立ち気味に石田にぶつける。そうすると石田は困ったように教えてくれる。あいつは他人が作った料理が食べられないんだよ、と……。

九条の、潔癖とも言える感覚は判らないでもない気もするけれども、ただ、「やれば出来ないことはない」と判っているあたりも哀れである。
結果的に彼は、砂織とねんごろになり(という言い方もアレだが)、彼女に料理の手ほどきを受け、ホレ、と彼女の手から口に放り込まれた味見の食材を躊躇なく受け入れるほどになるんだけれど、それに至るのに猫を介しているというのがなかなかに可愛らしいんである。
あのおせっかいの先輩から猫を押し付けられた九条は、その先輩経由で回ってきた砂織の作った、猫のためのごちそうレシピに従って初めて自分以外のために料理を作る。
鶏のささ身を湯通しし、片栗粉を入れてさっと煮て、アジの干物を焼いた身をほぐして乗せる、人間様だって食べたいと思うようなごちそう。
誰かのために作る、その誰かが人間じゃなくて猫だって、いや猫だから、と私は言いたい、いかに幸せか。そして猫とだって、一緒に食事を取るのがいかに幸せかと。なんかこうして言うとベタだけど、彼は思ったに違いないのだよね。

あのね、“誰かが切った切身”が食べられないほどの九条だから、だからイカ1尾だし、玉子だし、食パンも切ってない一斤な訳でさ、でもそれだと、とても女の子とセックスなんて出来ないよなあ……なんて無粋なことを思っちゃって(爆)。
こうした、何かトラウマがあったとしか思えないような潔癖症の彼が、カツサンドのシークエンスがあったとはいえ、猫のレシピを作った砂織とあっちゅうまにそーゆー関係になってしまうというのが、逆にそれまでそうだったからかなあ、などと思ったりもして、やけに生々しく、そして不思議にほほえましいんである。
まあ、食ってのは、イコール生のエネルギー、無粋に言えばその根源はセックスだもんな。

それで言えば、「このままではうちは食べて行けない」と夫の事業の赤字を責め立てつつ、これでこの人数分じゃねーだろ、という量のコロッケだのエビフライだのをばんばん作る小さな事務所の社長のふとっちょ奥さんを思うと、ふと可笑しくなったりもする。
やせ気味の夫はカラのお弁当を食べたフリをするほどに追い詰められてて、しかし奥さんと娘は黙ってもりもり食べる。
この社長が追い詰められまくって、奥さんが娘のために作ったしょうが焼き弁当を夜中に、しかも冷蔵庫の明りだけを頼りに貪り食う場面はなんとも言えず……。
だってさ、奥さんは、たった一切れのしょうが焼きも、娘の弁当用だからと、夫に渡さなかったんだもん。だから夫はすねて?いや追い詰められまくって……しょうが焼き弁当を貪り食って、即身仏になるって宣言して、ダンボールハウスに立てこもったんだもの。

でもやっぱり一番印象的だったのは、あの過食症の彼女、美江かなあ。なんか彼女、目が怖いしさ(爆)。
今までは吐けてたのが、吐けなくなった時、のどの奥に手を突っ込んで、充血した目も怖いあの場面、ほんっと、食べることがやんなるからよしてくれよ、と思ったが、あれがつまり、妊娠のサインだったんだよね。
それ以降、お煎餅ばかり食べていた彼女は職場におにぎりを持参するようになる。社長からも太った?いや、今までやせすぎだったからちょうどいいよ、なんて言われる。
この時点で彼女が妊娠を自覚してはいなかったようであり、つまり、赤ちゃんのための本能的な自己防衛できちんとしたものを食べようとしている感じが伺えて、まさにこれが食の映画である、と思えるんである。

いや、何かさ、最近、フードコーディネーターによるおしゃれな料理が彩る映画がやたらと多かったじゃない。それが上手く生かされた素敵な映画もあったけど、こじゃれた料理の雰囲気だけで持っていこうとしていた、ケッと思ってしまうような映画も割とあってさ……。
実は食っていうのは、もっと泥臭くて、生々しくて、だって生きるためのものなんだから、見るに耐えないぐらい赤裸々であったっていい訳でさ。
でも、この飽食の時代、ことに日本なんかもうそんなん、明らか過ぎるほどじゃない。コンビニ弁当、スナック菓子、酒を飲ませる場所で出される食事は飾り物に過ぎず、生きていくために必要と切実に思う食事がどれほどあるのか。
まあそれを言えば、あの潔癖な九条が自分のためだけに作る料理はそうと言えなくもないけど、でもそこは食文化を持った人間だから……などとも思ったり、ことほど左様に人間様っつーものはメンドクサイ生きモンなんだわなあ。

美江が自分の妊娠に気づいてね、この子を生かすか殺すか決めて頂戴、ともういきなり核心に迫ってね、そんな、殺すだなんて……とうろたえるダメ彼氏に、自分が食わせてやるだなんて、いつも口だけじゃない。口だけじゃない!ともう繰り返し、繰り返し、すんごいキツいの。
何よりキツいのは、彼に体重を聞き、太ったよね、と言い、肉が半分として、一日300グラムとして、百日生きていけるよ、と冗談とも思えない口調で、しかも後ろを向いたまま、その後れ毛がほつれたうなじが映し出されて、そこから声が発せられているようなのも妙に怖くて、や、ヤバい、これひょっとしてひょっとしたら、ホンットにそんな猟奇的な展開が待ってるのかも!?と怖くなり……。
だってそれぐらいの切羽詰った雰囲気が美江に、そして美江を演じる田中里枝嬢にはあったし、そんな里枝に対して空しく「口だけじゃないよ」と繰り返す彼が、ほんっとに美江に食われるんじゃないかと怯えているぐらいの雰囲気もあってさあ。でもそれぐらい、怖かった。

その後、ちょっと遊び的にもそんなニュアンスもあったんだもの。仲間との飲み会に出てこない小日向を心配した石田やその彼女に、「私、なんでも食べるでしょ。食べちゃったんです」なんて美江が言うのがさ、あながち冗談に聞こえないんだもん(爆)。
つーか、この、いつもの四人から一人小日向が欠けた状態で飲んでいる場面、いつも一口分、ちょっとだけ残す石田の連れに軽く美江が積年のイライラをぶつけてさ、その場面で、九条のことが気になってる砂織が石田にそれを問いただしたりして重層的にピリピリした場面が展開されるのが印象的である。
でもなんたって、この美江の台詞さ。私、マジで彼女が彼を食べちゃったんじゃないかって、そう思うぐらい、直前の美江の切羽つまり度は尋常じゃなかったしさあ……。

その直後、髪をすっきりと切って別人のようなぴしりとしたスーツ姿の小日向が出てくると、まあ予想はしていたけどホッとする。
しかしあのカフェでの会話シーンからカットが変わって映し出されるのは、美江が手を血だらけにしながら大きなレバーをスライスしている場面であり、ええ、マジで!?と思ったところにスーツ姿の小日向が帰ってきて、「今日は何?」「レバニラ」……本格的に作りすぎだろ。いや、ある程度はギャグなんだろうけど、結構ビックリしたよ、もう。

あの潔癖男、九条も砂織といい仲になって、今まで誰も入れなかった自宅に招き入れて料理なぞ習ってるし。
うっかり即身仏になりかけた社長は、でも実は奥さんの手料理が大好きだから、お前の作る料理は何でも美味しいからな、ってさばの竜田揚げだのなんだの、リクエストが次々出てくるの。それが今まで食べられなかった彼が、切なくてさあ。
美江は無事赤ちゃんを産んで、そんな妻と子供を、すっかり凡庸になった(いい意味でね)小日向が愛しげに見つめていて。

そしてラストは、「赤ちゃんを産むと、本当におっぱいが大きくなるんだな」「飲んでみる?」
仏陀の食べた乳粥、そして死に瀕した乙女はきっと母になれなかったこと、そもそも食の意味、生きていくこと、生まれる命のスタートにあるセックス、愚かで俗世快楽主義で、でもそれこそが生きていくスタートラインであること。
そのすべてがシニカルに描かれているのが何か、抵抗を感じるのは否めないトコだけど、でもそういうことなんだろうなあ、きっと。

本来は美味しそうであるべき食べ物が、こんなに美味しそうじゃなく、罪悪感たっぷり、ムダ感たっぷりに描かれていることも初めてだったし、飽食の時代の愚かな文明人である自分たちを省みる気持ちにもなったけど、でもそんな判りきったところじゃないんだよね、多分。
“こんなこと”でへこたれそうになっている“文明人”たちと、立ち直ろうとしている姿が何か愛しいし、ちょっと希望も、持てる気がするんだ。

九条が決死の思いで砂織の元に閉店間際に現れて、いなり寿司を作るシーン、美味しい作り方を知らないから、なんとも美味しくないいなり寿司を二人で食べて、なんかエロティックな雰囲気になってエロティックになっちゃうシーンが、いろんな意味で本作を象徴している気がするんだなあ。★★★☆☆


トップに戻る