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「ろ」


2014年鑑賞作品

六月燈の三姉妹
2013年 104分 日本 カラー
監督:佐々部清 脚本:水谷龍二
撮影:坂江正明 音楽:寺嶋民哉
出演:吹石一恵 徳永えり 吉田羊 津田寛治 西田聖志郎 市毛良枝 井上順 重田千穂子 山上康広 ちゃんサネ 佐々木貞幸 DJ POCKY よし俣とよしげ


2014/6/8/日 劇場(池袋シネマ・ロサ/モーニング)
この映画の成り立ちがどうも判らなくて、なんかあちこちさまよってしまった。原作本があるという訳でもなさそうだし、それ以前になんかいかにも、地元に協賛募って作ったご当地映画という気がしたから……。
キャストはいいところを揃えてるし、なんたって佐々部監督なんだからなあと思ったけど、どうにもそういう感覚が否めなかった。
あ、でもその前に舞台でのお芝居があったのか……。企画者の西田氏が鹿児島出身ということで、なんかホントにご当地で映画作りましょうよというところから始まったのかとも思ったが、そういう訳でもないのか。

でもなんだか、いかにもなローカリズムをやっぱり感じたんだよなあ。確かに、現代の地方の問題は盛り込んである。舞台はシャッター商店街だし、若い人はどんどん出てっちゃってる。残った高齢化気味の町内会は夜ごと行きつけの居酒屋で、どうにかせんならんと気炎を上げるも、ろくな案は浮かばずに飲んだくれるだけ。
いや、一応町内会長さんが、アーケードを作ろう!とアイディアを出すんだけど、コスト面から仲間内からあっさりと却下される。
実際、アーケードが商店街をダメにしているなんていう論も、最近ではよく聞く。郊外に大型ショッピングセンターが作られたら、そこに車で行かれちゃったら、雨をしのげるアーケード商店街なんて何のメリットもないと。

と、いう現代の社会問題を取り入れてはいるけれど、そっからの進展は少なくとも本作の中ではない……のはまあ仕方ない。別にそんなテーマではないんだから。
でも手弁当で努力して頑張っていこう、みたいなところにしか行き着かないんなら、この提言をすること自体に意味がないように思う。
ローカル映画は結構難しいと思う。純粋に映画としての面白さを追求するなら、そうした現代の問題には一切目をつぶってしまうぐらいの勇気は時に必要だと思うのだが、これがなかなかそうもいかない。

だってさ、一応、本作は出戻り(未満含む)ばかりの血筋?の女系家族を描く”ハートフルコメディ”ってことなんだもの。
コメディ……まあクスクス程度の笑いは起きたけど、その点も結構微妙な感じはしたかなあ。方言の応酬がその起点にされちゃうと、ちょっとご当地ネタな身内ウケのような印象もしたりして。
まあその点では、地元っ子というにはちょっと違う立場のヒロイン、次女の奈美江の存在があって、もう、方言で喋らないでよ!とイラつくことによって観客との橋渡しをする訳なんだけど、イラつく立場で橋渡しされちゃうと、余計にツラいんだよね。だってそれじゃ、観客もイラつく立場になっちゃいそうだもん。
彼女の夫、平川と彼女の義父、眞平が謙遜やへりくだりでにゃーにゃー言い合うのを奈美江がイラッと遮断する場面なんか顕著でさ。観客が笑うかどうしようか悩んでるタイミングでそれやられちゃうと、ホントに笑うかどうしようか悩んじゃう……。

そう、奈美江は微妙な立場なんだよね。ていうか、本作の登場人物は皆微妙な立場で、相変らずアホな私は、状況がイマイチつかめなくて、またしても見ている間中、頭の中に相関図を作りながら悩みまくるんである。だから文句をつけているのかもしれない(爆)。
えーと、長女静江と次女奈美江は、母親の最初の結婚相手との間の姉妹。でもこの姉妹はしばらくの間会っていなかったせいで、物語のスタート時点で、次女奈美江は長女にいまだ敬語を使っている。
そして長女は、「私はお父さんと一緒にいられなかったから、奈美江がうらやましかった」的な発言をしている。……この時点でアホな私は???となっちゃって、長女と次女の関係をやたらめったら凝視してしまってムダに疲れてしまう訳だが(爆)。

そうか、次女の奈美江がお父さんの方についていったから……そんなこと言ってたっけ(爆)。いやだってさ、奈美江はお母さんに対しては、そんな長いこと会っていなかった的な距離感やわだかまりを感じなかったからさあ。
でもお姉ちゃんとはちょっと距離があるし、なんといってもこの地元の言葉にイマイチ染まっていない感じだし、だけど地元のチョンガー男たちからはマドンナ的に見られていて、ということはそれなりに昔からこの地にいたってことであって……。

というのは、父親が亡くなって後の高校生からこっちに移り住んだという事情なのか、と判ればスッキリとするだけど、観てる時には正直判らない(爆)。
結婚した相手がこっち地方の出身で、地元近くに帰ってくると突然訛り出すのに戸惑い、「標準語で喋ってよ。気持ち悪い」と言うぐらいなんである。
嫁姑問題で離婚の瀬戸際にあり、彼女の方はもう離婚の気持ちしかなくて、冷たく突き放すだけの相手の筈なのに、地元言葉で何となく家族の中に入ってこられちゃうし、戸惑うばかりなんである。

そんな彼女の事情を知れば、どこの言葉も身につかずに転々としてきた私のような転勤族たちは共感を得たいところなんだけど、そのあたりも先述の感じで微妙だしねえ。
そういう転勤族の子供たちは、ホントにそのあたり、孤独なんだよ。でもそこがちょっとね、奈美江ちゃんは微妙なんだよね。
確かに高校時代からこの地で過ごし、いろいろ複雑な事情はあるにせよ家族と共に暮らしてきたんだからまた事情は違うのは判るんだけど、そういうことを折り込むのだとしたら、ちょっと中途半端な気がする。

ところで先述のように、出戻り血筋の女系家族という訳なんだが、母親、長女、次女はともかく、三女に関しては台詞だけで語られるというのが設定合わせのヤッツケなだけに感じちゃう……。
結婚直前に婚約破棄した、ってことなんだけど、なぜそんなことになったのか全く語られないから、彼女自身のキャラに何の必要性も与えないし、これじゃあ、出戻り血筋に色を加えるだけの設定に思えちゃう。
実際この三女、栄のメインエピソードは、職場が隣接しているオッサンとの不倫関係にあるんであり、じゃあこのオッサンが婚約破棄に関係しているのかといえば特にそういう言及も見られないし。

しかも栄が苦しい恋をしているという彼女サイドの描写はそれなりに示されるのに、彼の方は奥さんのお弁当を食べてたり、栄からの電話を受けるのが家族で焼肉だったりして、あれま、彼の方は冷めてるのかしらと思ったら、別れる決意をした栄に必死に追いすがるしさ。
いやまあ、優しく見れば、自分の飼い犬だと思っていた不倫相手にソデにされて、急に惜しくなったとかいうことも考えられるけど、そんな優しく考えられない(爆)。
この不倫相手の気持ちは全然なくて、表面上、演出のカードを切っているようにしか見えない。つまり恋愛や結婚に翻弄される三姉妹を演出するだけのカード。凄くガッカリしちゃう。

そーゆーことにガッカリしっぱなしだから、本作のメイン、テーマになかなか行きつけないなあ。
タイトルどおり、六月燈。鹿児島で神社や寺院のある地域ごとに燈籠を手作りして行われる、ザ・地元のお盆のお祭り。
有名な大きなお寺での六月燈は豪壮でそれなりに有名なのだろうけれど、本作で取り上げられるのは、それよりもひと月ほど早い、先述したようなシャッター商店街の小さなお祭り。

先述したように、あえて大きな祭りではなく、小さな商店街、シャッター商店街での六月燈のお祭りを舞台にしたことで、小さなコミュニティの中でこそ浮かび上がる人間模様、地方の問題をあぶりだす趣向もあったんだろうけど、やっぱりね、難しいんだよ。そういうのって、じっくりと腰を据えるドキュメンタリーの領域とも思うもん。
出戻りの女性たち、というのは、ある意味こうしたさびれゆく危機にある舞台には格好の、魅力ある題材ではある。でも実際、やぶれた女性たちが心癒されに実家に戻るだろうか、という気もする。この三姉妹が女としての気の強さをきちんと描かれているからこそなおさらである。

次女の奈美江なんてさ、イラストの仕事が認められつつある中での帰郷である。しかしそれは締切さえも存在せず、つまりは、ちょっといいものが出来たら見せてよ、という程度にしかすぎず、編集カメラマンに言い寄られて心華やぐ、なんてていたらくである。
ていたらく、と言いたいよ。奈美江は追いかけてきた夫を突き放すネタとして、「イラスト、凄くほめてもらえたの。一緒に食事した人がいてね、キスもしちゃった。これが恋かもしれない」とまで言い放つ。ほ、ほめてもらえたって……子供かよ。

キスうんぬんがウソだということは、長女が見抜く。長女の直感は見事だが、離婚に調停を立てるほどの泥沼なのに、夫の必死な姿に、まあ家族がほだされちゃったということはありつつも、まあちょっと、ヨワいわなあ……という気持ちは否めない訳。
だって本作は、ご当地映画なんだもん。社会派ヒューマンドラマを描きたい訳じゃないんだもの。その破綻は先述の、長女いわく、そんなことで……というだけのシロモノ。仕事にかこつけて話を聞いてくれなかった、てなあたりが奈美江の不満らしいが、その程度で実家に戻ってきちゃう、までするかねえ。
母親と父親は離婚の経験アリだけど、それは彼の浮気が原因だっていうけど、それも観ている時にはあまりピンとこない。
確かに劇中の軽い痴話げんかでそんな話も出たけど、離婚に至るまでの浮気話とは思えなかった……ちょっと脚本の力が弱いような。

この和菓子屋の起死回生の商品として、祭りの出店で出すためにということもあって新開発している、かるかんにチョコや抹茶がけをして棒をさしたお菓子に、キャンディーのような形のかるかんだから、ととっさに”かるキャン”とネーミングしたのは奈美江を追いかけてきた夫、平川であった。
奈美江は憮然とするが、家族たちはそのあたりから彼に対して好意的な態度を取り始める。

長女に見合い話が来ていて、母親は「あら、いい男じゃない。チャン・ドンゴンみたい」と乗り気なんだけど、地元が一緒の平川に見せてみると、「こいつはアンポンタンですよ。女の尻ばかり追いかけて、下着ドロで捕まった。それを父親がもみ消したんですよ」と。
写真をカメラでとらえてみると、なんとまあ沢村一樹だっつーのには思わず笑ってしまう。

そんなこんなの中で、三女の栄が、実はずっと和菓子職人になりたかった、てな感動エピソードである。
確かに劇中、もたもたと材料を混ぜる母親から奪い取って、慣れた力ワザでこねてみせるシーンなぞはあったが、「夜中にこっそり作ってた」だなんて父親のみならず観客にも寝耳に水の話。
最初、栄が作ったことを伏せて差し出したオリジナルの芋菓子は、頑固な職人の父親を唸らせる出来で、三女だけが自分の実子故に厳しく当たりがちだった彼は、その頑固な血を譲り受けて努力と才能を示した娘に、思わず肩を震わせるんである。

……まあ、文句を言いつつこの場面ではそれなりにホロリとしたが、栄に関してはあの冴えないオッサンとの不倫話の印象と、直情型の、つまり末っ子といえばこんな感じ、みたいなどこかステロタイプの描き方をしてきていたんで、最後になっていきなり、”実は和菓子職人に……”というのがかなり唐突な感が否めないんであった。
そう、だって、"実は夜中にこっそり"だもん。そんな、実は、実はばかり言われてもなあ。観客にだけでもその場面をこっそり見せるのが映画ってもんじゃないの?
徳永えり嬢の芝居一発に任せてるけど……確かに彼女の芝居一発でついつい納得させられちゃうけれど……。

嫁姑問題でぎくしゃくしているだけではなく、年下のカメラマンから好意を寄せられていると奈美江から打ち明けられて、長女の静江は思わず眉根を寄せる。
ただ二人きりで会うだけでも、浮気なんだよと言う。現代的な栄でさえ、「仕事と関係なく会ったの?浮気だね」と同調。そうだよね……とばかりに奈美江は素直にうなだれるんである。
まあ、彼女等の言うことは判らなくもないが、やはり何となく感覚に時代錯誤を感じる……。そりゃまあこの場合の食事は、お互いにその気持ちを了解している時点で、友人同士の食事と割り切ることは出来ないまでも、浮気だというにはさすがにねえ。

やっぱり、何となく、九州って男社会のイメージだし、ほんのちょっと、意識の古さを感じなくもないかなあ。
それでいえば、何を言われても諦めきれず、一見しつこくぐずぐずしているように見える夫が、最終的に押しの一手で奈美江を取り戻しちゃうのは、男としての弱さが強さに裏返る、最終的には女性賛歌というより男を立てる物語かも??なんて。

三姉妹でキャンディーズという発想の古さにもうーむとか思い、現代ならパフュームぐらい思いつけとか(爆)。六月燈の祭りも、劇中の彼女が自嘲気味に、有名なところと比べて地味よ、というように確かに地味だし(爆)。
大体、この物語の始まりが、燈籠を手作りしている子供たちに声をかけて、「お姉ちゃんも作る?」「うん」だなんて、なんかNHKの教育番組みたい。それも一昔前の(爆)。
それこそハートフルコメディーなんか目指さずに、しっとりヒューマン地元ドラマを狙った方が成功したんじゃないかと思っちゃう。★★☆☆☆


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