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「ら」


2015年鑑賞作品

螺旋銀河
2014年 73分 日本 カラー
監督:草野なつか 脚本:草野なつか 高橋知由
撮影:岡山佳弘 音楽:上野紘史
出演:石坂友里 澁谷麻美 中村邦晃 恩地徹 石橋征太郎


2015/10/5/月 劇場(ユーロスペース/レイト」)
子供の頃、ラジオドラマが凄く好きだった。ていうか、ドラマを見せてもらえなかったので、一人部屋に閉じこもってラジオを聞いてた。ラジオドラマが、好きだった。あの、音だけ、というか、声だけの世界。しんとした中に、声だけが響く。宇宙の中に声だけが響く。
二人の女の子がブースの中に並んで、お互いに向き合うんじゃなくて、正面を向いて、しんとした中でしんとした声を響かせ合う、宣材写真にも使われている画に一発で魅せられたのは、きっとそんな記憶がまざまざとよみがえってきたからだと思う。

本作の中で完成されたラジオドラマの世界もそうだけれど、テレビドラマでは決して成立しない、声だけの会話ならではの哲学とも宇宙ともいえる会話がそこでは成立する。
声だけの会話、だなんて。会話は声だけに決まっているんだけれど。私がラジオドラマに惹かれていたのもだからだったように思う。文学でもなしえそうでなしえない世界。声だけが響く世界だからこその、宇宙。
ひどく心をざわつかせる魅力的なタイトルと、この画一発が、まるで魔法のように劇場に足を運ばせた。そんな気がする。

女の子二人の世界は、昔から大好き。でもそれは、それまでは、様々な形をとってはいたけれど、確かに友情、だったように思う。
でも本作の彼女たちは友情なんだろうか、と思う。凄く、危うい。そもそも、今まで大好きだった女の子二人の世界も、やはり友情、と一言ではあらわせない世界だったように思う。分身、同志、あるいはもしかしたら鏡が反転したように100%憎んでいるから、100%愛している関係。

OLさん同士だから、女の子、というのは当たらないのかもしれない。OL、だなんて本当は私、絶対に使いたくない言葉。だって男子は普通に会社員と呼ばれるのに、これぞ差別だって、思ってる。
でも今、普通に、するりとOLという言葉が出てしまった。二人とも仕事に生きがいも生活の糧も、執着して持っている訳ではない、ということがかなり早い段階でさらりと描かれるからかもしれない。

美人さんの綾の方はシナリオスクールに通っているという時点で、今の仕事場にこれから先の未来を置いていないのは明らかだし、冴えないさんの深田さんの方は、実家通いで、会社内ではお昼も一人で食べるし、明らかに孤独をまとっている。
それは綾も、そう。あの人はミスですぐ呼び出されるから、と陰口を叩かれてる。部署もタイプも違うけど、会社の中で人間関係を築いていない、築こうとしていないという点では一緒。

不思議な一緒、なんだよね。綾は会社内でもオシャレな私服だし、深田さんはいかにもOLさんといった制服。これ一発で部署の違いが明らかで、彼女たちのキャラの違いも明らか。
大体、私がここで、綾、深田さん、と呼び分けていることから判ると思う。そういうことなのだ。なのに社内でハブられていることは一緒。そしてそれは、彼女たち自身が望んでそう仕向けていることも一緒。
……私はどちらかというと深田さんの気持ちが判るタイプ。彼女が劇中語る、「澤井さん(綾のことね)のような人は屋上でお弁当食べれたでしょう」というのが凄く判る。キラキラ女子に憧れと共に恐れを抱いていたタイプ。それに対して綾は言うのだ。行き場所がなかったからだよと。孤独を抱いていたのは同じだったのだと。

綾はシナリオスクールで、講師からコテンパンにやっつけられる。シナリオは採用されたんだけど、それは一番ひどいからだと言われるんである。
自分のことしか考えてないと。お前友達いないだろうと。勝ち気な綾は言い返してしまう。漫画家の友達がいるから、一緒に考えてもらいますと。講師はそれなら打ち合わせに同席させろ、という。講師は所詮ウソだと見破っていたのか、それとも……。
一番ひどいから採用したとかいうのは、ムリがあるというか、つまり才能があるからこそ叱咤するつもりでそうしたのかなとも思うし。
このあたりはちょっと判然としないが、とにかく講師から指摘された通り、確かに友達のいない綾がふとした思い付きで誘った相手が、社内のトイレで社員証を拾ってくれた縁で顔見知りになった、深田さんだったんである。

漫画家の友達、として話を合わせるだけだった筈が、予定していた質問を講師が一切せず、単刀直入にシナリオの感想を聞いてきたもんだから、深田さんはうろたえる……どころか、きちんと読み込んでいたから、講師もナットクのヴィヴィットでナマな指摘をするんである。
舞台にコインランドリーを提案したことも、講師を喜ばせる。当然、綾はぶんむくれになるんである。深田さんは臆せず、役に立てたらと思って……と、感想を赤ペンで記した原稿を渡したり、行きつけのコインランドリーの写真なんぞを添付してメールで送ってきたりする。
赤ペン原稿は非情にシュレッダーにかけた綾だったけれど、煮詰まっているのは事実だったから、コインランドリーの写真から着想を得て、改定原稿を書き始める……。

不思議な、偶然の縁があるんだよね。綾の元カレ、それもかなり執着のある彼氏が、深田さんのいとこだった。
しかも、その彼氏さんはいとこである深田さんのことを、愛しく思っているのだ。深田さんはそのことに全く気付いていない。本当に、優しいお兄ちゃん、ぐらいに思ってる。
深田さんはなんか、子供みたい、とまでは言い過ぎかもしれないけど、怖いぐらいに純粋なところがあって、実際、ちょっと、怖いんだよね。自分と友達になれるなんて思いもしないタイプのキラキラ女子、綾とお近づきになれる、どころか役に立てるかもしれない、ということからの行動は、原稿赤ペンもちょっと圧があるし。

何より、“漫画家の友達”というキャラを仕立てるために用意したシャツを、洗って綾に返した後、「同じの買っちゃった」と、まさに同じシャツを着た綾の前に笑顔で現れたシーンは、正直ちょっと、怖かった。
そこはふと笑ってしまった方がよさそうなシーンだったのかもしれないけど、友達、あるいは友達になりたい相手に対するやり方、というか方法が、そういう経験値が全然ないって感じの純粋さが、なんか本当に、ちょっと怖いな、と思っちゃってね。

それは、綾が自分のいとこの元カノだと知って、全てのことを知りたがり、綾が傷つくことに心を痛め、彼らが二人きりで会おうとする場面にも、彼の車の助手席にしっかり収まってついてきちゃう、という場面でも顕著である。綾が「気持ち悪いんだよ!」と叫ぶ気持ちも十分理解できる。
でも、なぜか、なぜかなぜか、ただただイタいとか、気持ち悪いとか、斬って捨てられないんだよなあ……。深田さんはまず、このいとこ君の自分に対する気持ちが、全然判ってない。ただただ幼い頃から仲のいいお兄ちゃん的存在である。頭なでなでされるような、そんな感じ。
綾と彼が“友達”(この時点での認識では)だと知ってはしゃぎまくるような。綾との運命を感じちゃうような。

でも綾から嫌われて傷ついて、クローゼットに隠れてるところをこのいとこ君に発見されちゃう。ホント、兄と妹みたいだけれど、彼が深田さんを発見できるのは、彼女のことを異性として愛しく思っているからなんであって、そのことにぜぇんぜん気づいていないのが、さぁ……。
深田さんにとって今大事なのは、初めてかもしれない友達の存在なのだ。もうそれは、彼女にとって片思いの成就に近い、つまり恋愛に近い。
深田さんの言動に少々の怖さを感じるのは、それが友情の枠からはみだしまくっているからなのだ。執着、同志、鏡の裏表……冒頭でつぶやいた、そんなさまざまなこと。

それはまさしく、綾の書いたラジオドラマのシナリオに投影されている。あなたと同じになりたい、欠点さえも。あなたと同じところに穴をあけたい。ラブレターに託したそんな台詞は、綾が書いたとは思えないほど、深田さんの、綾への思いを感じさせた。
ラジオドラマの設定では、一人の男を共有して、一方が彼にラブレターを書き、その文面を彼が“パクッて”一方が彼からラブレターを受け取る。まぁ、三角関係というヤツである。しかし彼女は、自分が書いた熱烈なラブレターを気に入ってくれたから“パクッた”のだと嬉しく思う。そんな内容。

それを実際に演じるのは、確かに図式的には一人の男を共有して、一方が彼に片思いをし、彼がもう一方に片思いをしている、同じなのだけど、決定的に違うのは、そのもう一方が彼から思いを寄せられていることに全く気付いていなくて、それどころか、一方の女の子に、想いを寄せているということなのだ……。
これぞ完璧な形の三角関係。いや、確かにいわゆる三角関係、女の子から女の子への気持ちはセクシャルなそれではないのかもしれない。でもだからこそ始末に悪い。セクシャルではないのに友情ではないからこそ、純粋すぎるのだもの。

ひとつの象徴的な場面である屋上、深田さんが一人お昼を食べているところに、コーヒーを差し入れに行く綾。モデルのように細身の体をオシャレなパンツスタイルに押し込めて画になる綾が隣に座る。
深田さんはやぼったいOL制服に身を包み、お母さんが作ってくれたであろうお弁当を黙々と食べてる。でも、そのひざ丈のタイトスカートから覗くおみ足が妙に生々しく白く肉感的で、瞳に焼き付いてしまうのだ。これは計算だったのかどうなのか……。

その後、いとこ君が深田さんを愛しく思っていることが明らかになると、彼女のこの無防備さが妙に赤裸々に感じてしまってハラハラするんだよね。
当たり前だけど、彼女、女なんだもの、そしてそれに気づいていないことが、危険すぎる!!
友情さえも未経験の彼女が、このミョーにくるくるヘアがアーティスティックなお兄ちゃんの想いに気づいていないってーのが、危険すぎるんだもの!
だってだって、このお兄ちゃんは、こんなおにんぎょさんみたいにキレイな綾を元カノに持っている経験がある訳でしょ。生々しいんだよーっ(絶叫)。

自分勝手、というのは一つのキーワードで、綾は判り易くそういう女の子、なんだよね。講師からも言われるし、元カレからも言われる。
でも思いがけず、その元カレ、つまり深田さんにとってのいとこ君は、愛しい相手であるその深田さんから、同じセリフを投げつけられるんである。
深田さんは綾を思いやるがゆえに、彼の言動が勝手だと感じたんだろうけれど、確かにそれは真実で、そして、彼にとっては確実に、自分の気持ちも判らずにそんなことを言う深田さんは自分勝手、ということになる訳で……。

誰かが誰かのことを、自分勝手とか、自分のことしか考えてない、と糾弾した時点で、その言った相手こそが、自分勝手であると。
つまり、そう感じるってことは、自分に対しての配慮がなされていないと感じていることで、それこそが自分勝手ということであると、なんかもうややこしいパラドックスみたいだけど(爆)、でもなんか、結構これ、重いよなぁと思う。

深田さんの家にお茶しにきているいとこ君のお母さん、つまり深田さんのおばさんが、迎えに来たいとこ君に支えられて帰っていく。足が悪いみたい。さりげなく入れてくる描写だけどさりげないだけに、気になる。
確かに現代日本社会は不自然なほどに健常者ばかりの描写で成り立っているけれど、わざわざ入れられると妙に気になってしまう、何か展開があるんじゃないかと思ってしまう、のは、その現代社会の不自然さ故なのかもしれない。
難しいな、今の日本社会だと、これを自然なことに出来ないことが、妙に悔しい。

コインランドリーが暗闇の中にぽっと浮き出る光、もうこの画一発で成功だと思った。
そして、夜景。というか、電車の光だよね。夜の闇の中を一つ一つの車窓をまばゆいまでに光り輝かせて走る東京の電車。こんなにきれいで、だからこそなんか、せつないというか、じんとくる美しさだったかなぁ、って、思った。見慣れている筈なのに、何かが全然、違ったのだ。★★★★☆


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