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「そ」


2015年鑑賞作品

ソレダケ / that’s it
2015年 110分 日本 カラー
監督:石井岳龍 脚本:いながききよたか
撮影:松本ヨシユキ 音楽:
出演:染谷将太 水野絵梨奈 渋川清彦 村上淳 綾野剛


2015/6/9/火 劇場(シネマート新宿)
こっち方面の音楽にまったくもってウトいので、「bloodthirsty butchers」なるバンドの新譜とのコラボレーション企画だというのは全く知らずに、うーん、石井岳龍監督かあ、思いながら足を運んだもんで。知っていたら、そしてそれなりに前知識を持って臨んでいたら、印象はかなり、違ったかもしれないと思う。
くちはばったいようだけれどヤハリ、音楽を主軸にした、いわゆるミュージックビデオ、映画とのコラボレーション企画としても、その音楽がまず主体にあるものでは、まず映画、としての作品世界とはどうしても、大きく異なるような感じがしている。いい意味でも悪い意味でも、フィクショナル度が高くなり、アクが強くなる。
それは物語性というロジカルではなく、音という感性で受け取る音楽だから……ことにこのバンドのような爆裂系(?)であれば余計に、生ぬるいヒーリングムービーなんかではおっつかなるのだから余計に、だ。

で、そう判って観ていれば良かった、と思ったんである。本作がコラボレーション企画ではなく、一つの映画作品として成り立って“しまった”以上、映画として土壌に上がってしまったんだから、ある意味関係ないとも言えるんだけれど、だからこそなんとなく疎外感も感じるのだけれど、そういう流れを知って観てみたかった、気持ちは拭えない。

成り立って“しまった”のが、そのバンドのリーダーの急逝によって企画が一度とん挫したという、日本人が好きそうなミゼラブルな事情であることを知ると、余計にである。本当にお気の毒なことだけれど、そういう事情が作品の熱狂度を高めているような感があるのは、あまり好きな傾向じゃない。
判って観て見たかった、というのは、そういう事情がなかったら余計に良かった、という意味だけれど、そうだとしたらいわゆるコラボレーション映画として世に出ていたんであろうから、私は観なかったかもしれないし。うーん、私は何を言いたいんだろう。

つまり、アクの強いファンタジー感、爆裂系なのに妙にロマンティックな価値観、近未来とか、パラレルワールドとか、暗黒世界とか、なんかタロットか黒魔術の世界でも覗き見するようなこの世界観が、ああ、石井岳龍だなと遠目に見るような感覚を思わせはするものの(石井聰亙時代もそうだったのだろうが、なんとなく、岳龍になってからそうした距離感を感じてしまうんである)、それが、そもそもの成り立ちがこんな強烈なバンドの音楽とのコラボ企画だと知れば妙に納得するものがあるからさ。

ざらざらした男たちの疾走と流血と泥まみれ、それは確かに男臭い世界なのだが、何か違う。音楽という芸術がそのコアに純粋に昇華されたロマンティックさがあるのと比べ、映画はまず人間というものを描く芸術であるんだけど、本作は人間くささよりもロマンティック、そう、この音楽の方に傾いて、どこかヤハリ、ロマンティックになっている傾向がある、気がする。こんな爆裂系音楽であったとしてもよ。
そしれそれはコラボ企画としての作品で見れば違ったのかもしれないんだけれども、ただ一つの映画作品として見ると、なんだかふと、頬が赤くなってしまうような感覚にとらわれるのよ。

いやいや、そもそもきっと、岳龍監督自身がそういう人なんだろうと思う。石井岳龍という名になってからの二作は、感覚としては実は、本作に対してのそれとそうそう変わった点はなかった。凄く突っ走っててロマンティシズムはあるんだろうけど、あー、なんか良く判んない、長い、うるさい、突っ走って遠くに見えているだけみたい、みたいな(爆)。
そういう意味では、本作はそれを純粋に凝縮させているんだから、あれこれ考えなくても岳龍監督だもんなあ、と思うだけで安心できるのかもしれない(爆爆)。

役者はかなり好みのメンメンが揃ってる、が、まあ岳龍監督お抱えの役者たち、という感がしなくもない。染谷君も綾野剛もそれぞれブレイクしてから手を付けたという感が否めないが、彼らのようなトンガリ系は岳龍監督のようなアウトサイダー系クリエイターの元で仕事をすることを、非常に誇らしいと思っている様がアリアリと感じられる。なんとなく、ほほえましい。
私お気に入りの渋川清彦は、いかにもこうしたアウトサイダー系映画に似合う役者さんだけれど、その実とてもフレキシブルで、実はあんまりそういうことに頓着していないように見えるところが、また好きである。

彼は見た目がコワそうに見えるような、人好きに見えるような、本当に不思議な役者さんで、その人懐っこい笑顔は確かに気のいい兄ちゃんなのだが、それこそこの爆裂音楽に似合うようなファッションやアクセやタトゥーがすらりと似合うようなストイックな体つきとオーラがあって、それは染谷君や綾野剛のような旬の若手君には到底追いつけない、何か恐ろしさのようなものがあるのだ。
本作の中では、そうした人懐こさと非情な部分を交互に見せる部分はあったにしても、基本的には人のいい、単純で情けないところのあるお兄ちゃん、という、私の好きな渋川清彦こそが後に残ったので、満足反面、ちょっと物足りなさも残る、といった感じである。

やべ、いつも以上に訳の分からんまま進んでしまった(爆)。でも観ている間も、ワケ判らんかったんだけどさ(爆爆)。正直、後でオフィシャルサイトを読んで、そーゆー設定だったのかとか、思う部分が沢山あった。
そもそも主人公である染谷君扮する大黒が、戸籍を奪われてアンダーグラウンドにぶち込まれた、ということ自体、全然判らなかった。彼と途中から道行を一緒にするヒロイン、阿弥(あみ。こんな具合に仏教的名称が羅列。ちょっとウザハズかしい)もまたその一人で、一度落ちてしまったらそこからは上がれないよ、と諦め気味に言う。

大黒が偶然手に入れた戸籍データに小躍りして、戸籍さえ手に入れば生まれ変われる、と言うのに対し、彼女はピンと来ないような顔をしている。正直私もピンときてなかった。その彼女に対して妙に懇切丁寧に、戸籍が奪われると人間はだな……みたいに説明してくれるのもあいまって、なんかよく判らなかったんだよね。この時点では私自身が、彼らが戸籍を奪われて幽霊のように生きている存在だということが判ってなかったこともあるけれど、
そもそもどういう経緯で彼らが戸籍を奪われたのかも判んないし、彼女は戸籍を奪われることがどんなことかも判ってないみたいだし。

物語の冒頭は、大黒が恵比寿(渋川清彦)のコインロッカーをぶち壊して財布を盗みだすことから始まる。後から思えば彼のコインロッカーだと判ってて、大金が入ってると判っててネラったんだとは判るんだけれども、なんたってコインロッカーだから、無差別に狙って、思いがけずその男から追いかけられる、みたいに見えて、その後しばらくコンランしてしまう。
だって大黒は、その中にうっかり含まれていたハードディスクの方に早々に興味を移すから、そもそもそっちが目的だったのかとか、だってわざわざ隠れ家の天井裏に、用意されたように雑誌のくりぬいた中に隠すんだもん。
そして捕まって、女も一緒に捕まってて、でもこの女とは既知の仲??……そのあたりも、時間軸が二転三転するから良く判らず……ああ、もう古い頭だから、判んない!!

この雑誌は「デストロイヤー」というタイトルだけが、血がしたたるようなホラー文字で書きなぐられているだけのシロモノ。クライマックスになって、このコミックスの絵がアニメーションとなって動き出し、登場人物たちとシンクロし出し、そ、そんなに重要な位置づけだったのか、と思う。だって、それまではただヒミツが隠される雑誌に過ぎなかったのに(爆)。

ところで、本作はほとんどがモノクロ撮影。モノクロが生み出す特有のスタイリッシュ感、クールでドライなカッコ良さは確かに発揮されている。冒頭、染谷君と、追いかける渋谷氏の疾走感は、確かにモノクロだからこそ得られるカッコ良さ。途中から首あたりにつけられた定点カメラでとらえているんじゃないのと思われる顔のドアップが入れ代わり立ち代わりになるのは、そのめまぐるしいバックの流れも相まって、なんかネラい過ぎ、バラエティ番組っぽいなあ、という気もするのだが……。
それはクライマックスの、敵地に侵入する場面でも然り、まるでルパンのように二丁拳銃をぶっ放すのはカッコいいのだが、途中から走りぬけていく上下運動が止まり、レール撮影だろ、ってな振動のないドンパチになるのには、ジョークにしてもキツいな……と思ってしまった。だってファンタジックな世界観にしたって、一応ここまでマジにやってきた訳だからさあ。

うーむ、どうも脱線してしまう。訳判らんままじゃないの。
そもそも染谷君扮する主人公の大黒が突き進むのは、自分がこんな境遇に貶められた、その元凶である父親をぶっ殺したいが故、である。
偶然手にした戸籍データに、きっとそれまで彼自身も気にしていなかったと思うんだけれど、急に目覚めちゃうんである。自分が何者かということを。そしてそれをぶっ潰した父親を、ぶっ殺したい、と思うんである。

父親の居所を知りたいと、渋川氏扮する恵比寿の元を訪れる。戸籍データを返せという恵比寿と決裂し、しかし後に捕まってしまう。そこに共に捕まえられていたのが、その後の道行を共にする阿弥。
何とか逃げ出した二人はしかし、大黒の執念が災いして、また再び捕らえられる。今度は千住という黒幕が現れ、二人を容赦なく拷問する。手を押し潰し、爪を剥ぐ。

凄惨なリンチだが、案外優しく、決定的に生々しい描写を避けている。爪を剥ぐリンチは「ぼっけえ、きょうてえ」を思い出し、あの凄惨さに比べれば百倍優しいと思われる逃げ描写。いや、ザンコク映画を観たい訳じゃないからアレだが、裏社会の男、綾野剛が若すぎる故に余計にフェティシズム美学のような甘さを感じてしまう。
「善があるからこそ悪が存在する」とか重々しく言う綾野剛の、しかもご丁寧に口髭まで生やかしたピカレスク悪役像にゾゾッと気恥ずかしさを感じちゃうんだもぉん。

でもこのあたりの感覚はきっと、監督自ら持っている少年性なのではないかしらん、とか思う。
大黒と阿弥は、きっとここから抜け出せると信じて、このカリスマを殺害するという無謀な計画を立てる。それに恵比寿や、風俗業を取り仕切っている退廃的なイイ男、猪神(ムラジュン♪)を誘い込むんである。
自分の損得だけを考えて協力してください、と言って、彼らもそれを了承したくせに、いざここぞ、というクライマックスになると、しっかり加勢にきているとゆー甘やかさ。男の子の夢見る世界観だなあ、と思っちゃうんである。

しかししたたかな千住に迎え討ちにされ、全員が討ち死に……と思いきや、死にかけているのは大黒だけで、臓器を国内外に高く売っ払う算段にほくそえんでいる千住、それを苦々しく見つめている仲間たち、という図式に、え、えぇ?これまでもかなり理解に苦しむ時空のジャンプがあったけれども、ここが最もワケ判らん!!
いやそれ以前に、一度は千住に殺され、恵比寿や猪神の手によって簀巻きにされて海に放り込まれたのに、次のカットで、はぁ!とばかりに両腕を前に突き出して起き上がったら、阿弥にわあわあ泣いてすがられるんだもの。こ、こんなことが可能ならば、いくらだって殺されてOKじゃないの!!

で、臓器摘出直前に、脳死だった筈の大黒はまた突然、両腕を突き出して起き上がるんである。そのはずみで倒れた千住は額をドリル状のなんか判らんけど、医療器具に貫かれて、死ぬ。
そ、そんなんあるかい!!ギャグやないか!!……ここまで、これはそれなりにシリアスなオトコドラマだと思っていたからこそガマンしてきただけに、かなりがっくりと膝カックンな思いは否めない。うーむ、うーむ、やはり私は岳龍監督苦手かも!!

でもね、正直に告白しますと、bloodthirsty butchersの音楽にのって、映画の音が爆音、爆音!!もう若くないんで(爆)耐えきれず、慌てて両耳にティッシュ詰め込んでの鑑賞でした(爆爆)。
まあ正直、台詞も爆音過ぎてよく聞き取れなかった(耳栓してたからか(汗))部分、多数……。ああ、二十代の頃ならば、こういう世界観にワクワクして入り込めたのかもしれないのに。やっぱり年をとるってつまんないことなのかも……。
いやでも!耳を悪くするのはやっぱりいけないよ、鼓膜やぶれそうだったもん、って、それこそがオバチャン的なのか……(落)。でもね、でもでも、耳栓しても音楽の地響きは体に感じられたから迫力あったよ!ドルビーサラウンドってヤツ??いやいや、言い訳にならんて!!★★☆☆☆


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