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「ひ」


2016年鑑賞作品

彦とベガ
2015年 64分 日本 カラー
監督:谷口未央 脚本:谷口未央
撮影:佐藤遊 音楽:内藤晃
出演:川津祐介 原知佐子 柳谷一成 松竹史桜 竹下かおり 酒井麻吏 香取剛 小野田唯 吉田仁人


2016/7/17/日 劇場(新宿K's cinema)
現役介護士が自らの経験に基づいて脚本を書き、更に自らメガホンをとったということと、何よりこの魅力的なタイトルに惹かれて足を運ぶ。
一週間の限定上映、しかも昼間一回というのはかなり厳しい上映環境で、私のように休日を選ばざるを得ないとは思うのだが、明らかに身内だらけの客層にちょっと残念感を覚える。うーん。厳しい上映環境であればこそ、休日にこそ一般の観客が入ってほしいと思うのだが、そこまで言うのは厳しいのか。
でもことインディーズ映画においてこうした身内だらけの客層を感じると、作品を見つけて足を運んだ、そうではない一般観客の身の置き所って、ホントないからさ。公平な目でなかなか見づらくなってしまうし。

まぁ、そんなことは映画自体にとっては何の関係もないことではあるんだけれど……。老老介護、認知症。現代日本社会において切実な社会問題になっている題材を、しかもその現場に身を置いている立場から掘り起こした本作は、それだけにかなりの期待を抱かせたが、そういう側面からはちょっと弱いかなあという気もしている。
いやつまり、こっちの勝手な期待というか、さぞかし過酷な現状が描写されるのだろうとか思っちゃってたから。でも実際、私としてはこのタイトルの可憐な響きに心惹かれたんだしそんな風に思うのはおかしいのだけれど。

そう、タイトルから感じたそうした印象は確かに、裏切らなかった。認知症になるのは妻。認知症になる、という表現もしたくなくなるほど。
彼女は16歳の女の子になった。いや、16歳の女の子なのだ。恋人から呼ばれるあだ名はベガ。星が好きな恋人は彦。彼は「こと」という名の彼女を、その星座からなぞらえてベガと呼んだ。毎夜二人で星を観に行くのが日課の、静かで慎ましく美しい暮らしなのだ。

彦というのはファーストネームじゃなくって苗字。しかも彦ではなくて、比古である。彼はもう引退したけれども星が専門の中学教師を勤めあげた。
認知症となった妻のことと二人暮らし。週に二回のヘルパーさんを呼ぶのは、彼の足がちょっと悪くって、この大きな古い一軒家の掃除やらなんやら、なかなか行き届かないから。<@p> つまり、決して妻の介護に手を焼いているという訳では、ないんだよね。認知症ではあるけれども元気に歩き回ること。それでなんで、星を観に行くときには車いすに乗せるんだろうなあと思うぐらい。どうもそのあたりの詳しい症状がつかみきれない。
ヘルパーさんが来る時には書斎で静かに読み物なんかをしている彦(比古だけど、ここは彦と呼んじゃおう)。時々娘が様子を見に来るけれど、それは母を老人ホームに入れるために説得に来ることが目的で、特に手伝うことがある風でもない。

つまり……老老介護の苦労、ということを期待して見始めると、まったくそれは、ないんだよね。つまり本作はそういう、実質的な苦労を描こうとしているんじゃなくって、認知症というものが、病気でもなく、どこかに隔離しなきゃいけないものでもなく、ただ、人間そのものだということを描こうとしているのかなあ、と思う。
つまりこれは、彦とベガのラブストーリー。ベガの認知症は進み、ついには彦を見失う……後に夫となる彼ではなく、若いヘルパーさんを彦だと認識するに至るのだが、でもそれだって、ベガはただ、彦だけを愛し続けたと考えれば、これ以上ないラブストーリーなのだもの。

そういう意味で追えば確かに美しいのだが、いかんせん認知症や介護問題というテーマがやはりちらつくもんだから、どことなく踏み込みのあいまいさは否めないんである。
それは、ベガが彦と認識する若いヘルパーさんの描写にも言える。彼、菊名はヘルパーになったばかり。その前はカメラマンを目指していたらしい。
「カメラマンだったんでしょ」「いや、アシスタントをしていただけです」その苦い答え方といい、彦のカメラを手にした時の、慣れた手つきだと指摘された時の「ただ、触ったことがあるだけです」という言い様といい、カメラが好きで好きで仕方ないのに挫折したからその事実から目を背けている、という感じがアリアリ。

それだけ思わせぶりにキャラ設定しているのに、その設定だけで全く菊名自身には肉薄していかない。そりゃあ主人公はこの夫婦ではあるけれど、だったらなぜそんな思わせぶりなキャラにしたのか。
ベガはどこか本能から、菊名の写真への思いを掘り起こして、ことあるごとに写真撮って、とせがむ。
これ以上ないお膳立てなのに、結局菊名は、ことに想いを寄せられることでこの家から離れざるを得ない、という展開にしかならないんである。しかもあんな、決定的な写真も撮ったのに、それも物語に全然活かされないし。

決定的な写真、というのは、ベガを入浴させた時の、振り向いた彼女のカット。当然全裸である彼女を思い起こさせる、あらわな肩と濡れた髪がなまめかしいとさえ感じさせる一枚であり、この一枚が騒動を起こす予感を充分に感じさせた。
彦と娘が老人ホームを見学に行くために、菊名に休日出勤を頼み、彼はベガを散歩に連れ出す。カメラを向けても恥ずかしがるばかりのベガは、車いすから立ち上がって田んぼに分け入り、この顔を撮ってとばかり振り向いて笑顔を見せる。

ハッとする菊名。なぜそこでシャッターを切らないのかと観客がやきもきしたところで、足を撮られて転ぶベガ。そしてあの入浴シーンになる訳で。
「きれいなら、撮って」と、まさしく恋人に対するように言うベガに押し切られる形で、菊名はシャッターを切るんである。

この写真だけが、菊名の手元に残されている。彼はこれをどうするつもりだったんだろう。映画が物語世界のエンタテインメントだとすれば、この一葉が展開を巻き起こすであろうことがベタに想像されたのに、何も起こらない。
そりゃベタすぎる想像だろうと言われればそれまでだが、ならばなぜ、この写真を撮らせたのか。これ以上ない一枚だったのに。菊名は悔しげに、散り散りに破いてしまうんである。
もう一枚、ベガの素足を撮った写真が最後の最後、印象的に使われる。天の川を想起させる光が映り込んだその写真を、菊名は失敗だと言ったんだけれど、ことは宝物を入れるクッキーの缶に大事にしまい込んだ。

ちょっとねぇ、きれいすぎるなあと思う。あの一枚こそがベガそのものだったんじゃないの。
確かにこの一枚に呼応する展開はある。菊名を彦と呼び、自分を認識しなくなった妻にショックを受けた彦は、ヘルパーを断り、妻を老人ホームに入れる覚悟をする。
でもその直前、いったん呼んだ車を断ってまで、今日はやめようと言ってまで、最後の一日を彼女と過ごす。

ベガを風呂に入れる。彦はいつまでも黒髪がキレイだね、とベガは言う。私はダメ、もう白髪ばかりで、と。
自分のことを16歳だと思っている筈のベガが言う言葉のようには思えず、ハッとする。彦は、そんなことはない、ベガはきれいな黒髪だよ、と言う。
それまでもこと=ベガの心中風景を表すように、若かりし頃のベガを折々挿入させる。どこか土臭いような生き生きとした若き女の子のキャスティングがまぶしく、ああ、確かにベガとして生きていたんだろうと思う。

そして時はひとときに過ぎ行く。菊名はあの夫婦の娘に呼ばれる。共に老人ホームに入っている。母を入れてからすぐでした、という娘の言葉に死んだのかとヒヤリとしたら、つまり父もまたすぐに認知症になってしまったということなのだろう。
こここそに、監督の言いたいことがあったのかなあ。確かにそれは言えるかも……ただそれを言いたいために、娘の描写もおざなりな感は否めなかったんだけど……。

彼女がなぜそんな執拗に、母親を老人ホームに入れたがったのか、自分が世話に来るのがイヤだったのか。
そうしたことを思わせる父子のやりとりもあったけど、それも娘側が聞かれもしないのにムリヤリ言った感が強く、先述したように介護にそれほど苦労している感じもなかった(ヘルパーさんも週に二回、掃除程度だし。後に断っちゃうぐらいだし)から、なんかピンとこない。掘り下げ不足のような気がしちゃって。

彦も、認知症になってしまった。ベガ以上に進みが早く、彼もまた若い頃の彦として若い俳優がその任を担う。「君は誰?」その言葉に、ベガは微笑む。
つまり二人は、出会う前の、恋人になる前の二人に戻ったのだ。これから恋に落ち、運命の相手をやり直すのだ。これ以上ないロマンティックな帰結。つまりこれに向かっていたということならば、確かに納得できるのだが……。

例えば。菊名がベガのことを、16歳の女の子になっている彼女をホントに好きになっちゃったとかさ、あの一葉の写真が作り出せる映画的物語はいくらだってあったように思う。
なんかモヤッとヘルパーになっていた感のある菊名が、しれっとしっかりした先輩ヘルパーとして後輩を指導しているとか、単純すぎてなんかなぁ。使える素材がいっぱいあっただけに、凄く惜しい気がするんだよ。

でも、彦を演じる川津祐介氏の素敵さには、目を見張ったなあ。確かにとても有名な俳優さん。任せてオッケー!な感。
でも、80を過ぎてこの素敵男子感の奇跡。16歳のベガとの恋のやり直しがリアルにドキドキする感じ、恋人をとられた若いヘルパーさんにマジに嫉妬する感じ、ああ。
年を経るとなかなか主役というのは難しいが、高齢社会になり、老老介護なんていう問題が出てきて、皮肉にもな役回りと言えど、でもだからこそ、美しく年をとった役者さんの出番というのがあったんだなあと思う。凄く、素敵だった。★★★☆☆


ヒメアノ〜ル
2016年 99分 日本 カラー
監督:吉田恵輔 脚本:吉田恵輔
撮影:志田貴之 音楽:野村卓史
出演:森田剛 濱田岳 佐津川愛美 ムロツヨシ 駒木根隆介 山田真歩 大竹まこと

2016/6/8/水 劇場(TOHOシネマズ錦糸町)
いつもほのぼのさせてくれる吉田監督がこんなサイコスリラーを撮るなんて驚いたけれども、サイコキラー側の展開の恐ろしさとひどく対照的なのんびりとした日常のドラマは確かに吉田カラーで、最初はだから、これは監督自身のカラーを反映させた脚本にしたのかと思った。
そしたら、驚くべきことに原作コミックス自体がそういう構成だという。これは本当に驚く。吉田監督自体がほのぼの作風の中に時に驚きのエッジを効かせる人でもあったから、まさかこれが原作自体の構成だとは思わなかった。

まあ、人気の原作だというし、ネタバレも何もないということでか、その構成自体を公開に当たって既にバラしているんだけれども、それにしてもなんという斬新な構成、と思う。
いや、この二つが並行するからこその独特の世界観であり、二つが切り離されてそれぞれの物語になっていたら、誤解を恐れずに言えばそれぞれになんてことはない話なのかもしれないのだ。

サイコキラーである彼は、彼だけが法律である世界で生きている。邪魔な人間を殺すのも、特に小細工せずにただ庭に埋めてオワリなのも、まるで子供のような単純な思想。
でもそれに至るには原因というかきっかけというか、があって、それがまるで関係ないかのごとくに並行されていくうだつの上がらない青年の日常なのだ。

ダラダラはしているけれど恋も友情もあるし、幸福と言えないこともない。でもその青年に対してサイコキラーが「何言ってんだよ。俺たち底辺の人間はそこから抜け出すなんてことは出来ないんだよ」と、そこから抜け出すことをぼんやりと夢見る青年に対して無機質に言い放った時、恐ろしいことに二人の世界がバッチリとリンクした。
かつて同じ時を過ごしていたこの二人。清掃のバイトをしている青年は岡田(濱田岳)。サイコキラーは森田(森田剛)。二人は高校時代の同級生。そして、最初は友達だった。

濱田岳と森田剛が同級生っつーのはいくらなんでも無理がある。実際、回想シーンで濱田君はあまりにもすんなり高校生に見えるのが驚愕だが、森田君の方は逆光とか使って結構上手く逃げて撮っている。
ただ……今の森田君、サイコキラーの森田、という点での二人の対照を見れば、趣味もなく彼女もいず(てか、童貞)、ダラダラとした生活を送っていることに不満や不安を抱えている岡田は実はそれこそが幸福であり、ふっくらとした童顔の風情はそんな具合が見て取れ、そこから滑り落ちてしまった森田は、頬がこけ、染めた金髪もつやがなくて、ヘタすると老人のように見えてしまう、絶望感に満ち満ちているんである。

中盤になり、岡田が回想する。いじめから不登校になった森田を、いじめ側に引き渡す形で連れ出した。クラスメイトの前でオナニーさせられた森田の、絶望の目を今でも忘れられないと。
その時の森田、いやさ、森田君の目は確かにゾッとするような絶望の、しかも強い光を放つ絶望のまなざしだった。

そう、森田は森田君。まさかこの苗字だから彼にキャスティングされた訳ではなかろうが、もしかしてそうであっても、いいかもしれない。役との出会いという運命、という点ではいいのかもしれないと思っちゃうんである。
満を持しての主演作、今まで主演がなかったのか、確かに私は主演どころか彼を映像で見るのも初めてだし、てか、あまり認識がなくて。アイドルというより舞台の人、というイメージは聞こえてはきていたけれど、だからこそ余計に見たことない人、であった。
それだけに、ファーストインパクトは大きかった。同じ苗字だから余計に、彼が彼自身に見える怖さがあった。そういやー、劇中、岡田がヒロインから告白される場面、「俺?俺と同じ苗字の人!?」と自信なさすぎ発言に思わず噴き出すけれど、ひょっとしてそういう含みがあったのかしらんと思う。いや、原作にもある台詞だったらゴメン(爆)。

そう、告白されちゃう濱田君。非モテキャラの割には(爆。ゴメン!)彼は案外、映画の中でいい想いしている。今回は佐津川愛美嬢かあ。彼女こそエッジの効いた映画に出続けている感がある。ずっと見ている気がするのに、いつまでも若い。一体いつから生きてるの(爆)。
カフェで働く彼女、ユカに最初に目をつけていたのは岡田の清掃バイトの先輩、安藤。彼も見るからの非モテキャラ(爆)。ムロツヨシ、ピッタリ過ぎるんである(爆爆)。

結果的にユカをストーキングしてあわや強姦殺人に至る、のは、安藤ではなくて森田であり、同類だからなのか(爆)、安藤は同じ常連同士である森田を警戒していた。
同類、なんていうのはヒドいか。強姦殺人に至るサイコキラーと、後輩頼みで接触を試みる安藤とでは、キモチワルイという表現は一緒でも、結果があまりに違う。
不思議なことに、安藤、いやさ安藤を演じるムロツヨシはカワイイんである。まさか、ムロ氏をカワイイと思う日が来るとは(爆)。

ウザいけど、間違ったことは言わない。案外いいことも言うもんだから、岡田は安藤先輩とついつい付き合っちゃうんだよね。
自分の思いを裏切ってユカちゃんと付き合ったらバラバラ死体にしちゃうかも、とホントにチェーンソーを買っているのにはボーゼンとしたが、それが脅しじゃなくって(まあ、客観的に見れば充分脅しなのだが)、本気で純粋な気持ちを、隠しもせず言っている、ってところが、彼の愛すべきところなのだろう。
もう一生恋はしない、という決意で鉄腕アトムみたいなヘンな髪型にするとか、ムロ氏でなければ成立しないキモキュートで(笑)。

NHKの「LIFE」で、実はこれはウィッグだったと、髪を切ったボーズ状態が映画の撮影の故で、情報が出る前だったから、と言っていたのがコレだったのか!!と、もう一年ぐらい前の記憶だったが、つまりそれだけ、本作の情報を大事にしていたんだなあと思うと、ちょっと嬉しくなる。それが判るだけ、彼の役、そして彼自身がとてもチャーミングで、良かったから。
岡田がユカとナイショで付き合ってしまったことで、絶交!!とかいうのもメンドくさいしちょっとコワいんだけど、でもなんていうか、そう、これぞキモカワイイというか(爆)。

結果的にさ、ユカをつけ狙う森田に撃たれ、本当にあわや、あわや死ぬところだった。それ以外の人間たちが全員、森田に容赦なくぶっ殺されていることを思うと、しぶとい生命力とも思うが(爆)、でも心から、本当に心から、死なないでと祈った。
岡田が自責の念に駆られ、だからこそ先輩の意識が戻った時、その帰り道のバス停でこらえていた思いがあふれて嗚咽するのが、なんかもう、純粋に友情!!とか言いたくなってさ。
だって絶交!!って言ってたのに、親友だよな、って安藤先輩、いうんだもの。それまではその言葉が本気でウザかったのに(爆)、それがありがたくて嬉しくてさあ……。

随分先走っちゃいましたけれども(爆)。でも、そうよ、この段に至ってようやく岡田は、自分の贖罪を語り始めるんである。高校に入って最初に仲良くなったのは森田君だと。でも、彼がいじめられるようになって距離を置いたんだと。いじめっ子に引き渡した裏切り者が自分なんだと。……そしてきっと、森田君はこの時からいろんなことが、止まっている。
森田はね、記憶がどうもおかしいんだよ。最初は、ごまかしているのかと思っていた。ユカのストーキングを疑われて、このカフェによく来るのかと問われて、いや、初めて、とキョトンとした顔で言った。後に言葉尻から矛盾を指摘されても、やっぱりキョトンとした顔で、俺そんなこと言ってないよ、と言う。

こりゃタチ悪いわ、と思ったんだけど、後から考えるとどうやら、どうやら……森田はウソをつくとかごまかすとかとりつくろうとか、そんな大人の高等手段を持ち合わせていないのだ。彼がその時発することは、事実、というより、彼自身を守るために選択される真実、であり、だからウソをついているという意識がない。
いじめっ子を呼び出して暴行の末殺害し、その死体を見ながらオナニーして、山中に埋めたその日から、いやひょっとしたらそれより以前から、彼の神経か、あるいは脳細胞か、何かが、壊れてしまった。

だからといって許される訳では決してない、ないけれども……ラスト、すっかり高校一年生の夏に戻って、「借りてたゲーム、返さなきゃね。お母さん、麦茶ふたつ持ってきて!!また遊びに来てよ」ネッ!とばかりに血だらけで、片足がすっかり粉砕されている状態で無邪気にニッカリと笑う森田に、ああ、あの時彼らは確かに友達だった。一生の友達になれる可能性だってあったのにと、呆然とする気持ちが隠せないのだ。
森田君を演じる森田剛はとても独特な声の持ち主で、それがサイコキラーの時には絶望的な恐ろしさになり、ついには子供に戻ってしまった時にはまるで邪気のない……そうか、だから無邪気というのだと、納得してしまう。

いじめは、もう言ってしまえばどうしようもない。一緒にいじめられていた殺人の共犯者、有名ホテルの御曹司、和草は学校をやめたいといっても聞き入れてもらえなかった、逃げ場がなかったと苦しげに告白する。
森田も登校拒否、今で言う不登校に陥っていたのに、“初めての友達”に連れ出されてしまった。
いじめはもう、どうしようもないのだ。正義とか勇気とか、そんなものは通用しない残酷な世界なのだ。教師はおろか、親兄弟も勿論友人だって助けることは出来ないのだ。助けにならない自分を責めたってどうしようもない。無力なのだから。こうなったら逃げるしかない。なのに。

和草を脅して金をむしり取ることで、森田は生計を立てていた。でもそんな金づるの相手もあっさりと殺してしまうところに、言ってみれば森田の無邪気さがあって、それこそが恐ろしかった。
この時点で、彼が捕まるのはそりゃあ時間の問題だと思った。いわばストッパーであった和草を、婚約者もろとも葬っちまったんだから。しかも殺した現場にガソリンまいて火をつける、なんていうバカまるだしの方法で。
巻き込まれて死んだ人もあるようだった。そこに住んでいたことは判っちゃうんだから、自ら首を絞めるようなもんなのだが、そんなリクツすら彼には判っていないように見えた。

そして実際に捕まるまでに、尋常じゃない数の人間をさくさく殺していくのだ。現場を見せない殺人エピソードもあった。殺した、と言ってさえいないのに、イチャモンをつけられた場面から飛んだだけで、ああ、殺したんだ、と判ってしまう。
バレるとかバレないとか、全然考えていない、だんだんと、そのタガが確実に壊れていく。最初の内は多少は判っていたように思う。脅すぐらいの知恵があったんだから。でもそれが、なくなっていくのだ!!

ムロ氏演じる安藤先輩が、チェーンソーを実際に購入していることに岡田は震え上がるのだけれど、それとは対照的に森田が手近な、そんな切れそうもない文化包丁なんぞを、しかも刃を下にして、バカ力のみで殺していくのが、ね……。
サイコキラーは、武器なんか用意しない。用意した時点で、サイコキラーではなく、ただ単なる殺人犯罪者である。人間なんである。

でも……人間だったよねと思う。忘れていた筈の最初の友達の記憶は、大事な記憶だったからこそ、抹殺していた。
最後に子供に戻った彼は、それを取り戻したのだ。贖罪の気持ちで思い出した岡田の気持ちなど関係なく、殺しに殺しまくった後、まるですべての罪を払拭したかのように。

可愛い顔して実は経験豊富なユカちゃんに、童貞君である岡田がリアルに落ち込むシークエンスが可愛かったりする。
道端のファミリープラン自販機でゴム買ったりとかね。いやフツーにコンビニで何食わぬ顔して買った方がいいんじゃないの、逆にめっちゃ目立つし、今時あの自販機……まあ私も一か所知ってるけど(爆)。

森田君だけが取り残される感じで、ほのぼの日常とサイコキラー描写の対照がすさまじく、だってさ、無理やり押し入って強姦するためにパンツはぎ取ったら生理中で、チッとか舌打ちする勢いで経血で汚れたナプキンのついたパンツを放り投げるなんて、コワすぎるよ。これは、キツかった。
でも……怖さよりなぜか、哀しいんだ。それは、この作品にとって凄い成功だったんじゃないのかなあ。★★★★☆


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