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日本の悲劇
1953年 116分 日本 モノクロ
監督:木下惠介 脚本:木下惠介
撮影:楠田浩之 音楽:木下忠司
出演: 望月優子 桂木洋子 田浦正巳 上原謙 高杉早苗 榎並啓子 高橋貞二 佐田啓二 日守新一 北林谷栄 草刈洋四郎 淡路恵子 柳永二郎 須賀不二男 多々良純
実際に作品自体を見る限りでは正直、子供たちの方に同情してしまい、私が苦労して苦労して育てているんだから!!という押しつけがましい愛情に、ヘキエキしてしまう、というのが正直なところなんだもの。ああ、こんなことを思うのは、私が冷たいヘーセーの世に生きている、母になったこともない女だからなのだろーか。
そうかもしれない。でも少なくとも、監督さん自身は決して決して、この子供たちを恩知らずの冷酷だなんて描き方はしていない。ただ……やっぱり母親側に肩入れしているのかな、と思う。
この、子供のためだけに生きている、子供べったりの母親が決定的に突き落とされたのは、「お母さんはつまり、苦労して育てて立派になってもらって、自分の面倒を見てもらおうと思っているんだ。自分のためなんだ」「それぐらい、いいじゃないか。苦労して育てたんだ。」……思わず本音が出たとさえ、思ってなかったかも。
その母親に、ほらやっぱりね、と蔑むほどの冷酷を示す息子を責められないのは……いけないのだろうか。結局お互いに、無償の愛というものを与えられなかったのだ。それは母も、子供も、どちらも、なのだ。
ああ、なんかもやもやしすぎて、いきなりオチに行ってしまいそうになってしまう。そもそもこのタイトルよ。日本の悲劇。凄い大きく構えたタイトルに恥じない?戦後の大きな日本の変革、というか、墜落、というか、混乱、というか。
全編に渡って主にネガティブに変わりゆく日本社会の悲惨さを、センセーショナルに挿入される新聞記事と鮮烈なニュース映像を駆使して、描いていく。それらの前に……映画の冒頭に、こんな物語は私たちの身近にあるかもしれない、と導入していく。
つまり、悲惨な殺人事件や、政治の腐敗や、内紛や、デモや、戦後の日本が混乱を極めた、大人しく、まじめな筈の日本人が狂っていったような目立つ流れとは別に……。
いや、別じゃない、それと同じく、巻き込まれ、どうしようもなく転落していくしかなかった“身近な”不幸は、この“日本の悲劇”と決して無関係ではないのだと、そういうことなのだろうか。
そうなんだろうな。きっときっと、この当時の人たちが見たら、この母親に同情するのだろうな。母親、春子はね、戦争未亡人な訳。姉弟の二人を抱えて、まず彼女が手を染めているのはヤミの担ぎ屋。
子供たちが学校で委員に選出されるのに、「井上君のお母さんはヤミをやっているから、委員にはふさわしくないと思います」とか言われる!!!衝撃!!!「そのヤミの米を食べてるんだから、言う資格はないと思います」と言い返す子供!!!「米を食べるのと、それを売って生活するのは、違うと思います」!!!!……ああ、だってだって、まだ小学生だよ!
そしてね、先生が言うのよ。「間違った戦争」のことを。それに対しても子供が言うのよ。「だったら、先生は間違った戦争を正しいと教えて、私たちをだましたんですか」!!!さらりと先生が「いや、それは違う。僕たち先生も騙されていたんだよ」と、さらりと過ぎる!!
子供たちまでもを強いていた戦争が間違っていた、と、特にこの時代に言えた、というか、言わなければならなかった国は、そうはなかったと思う。当時は敗北感だったのかもしれないけれど、今から思えば、それは本当に良かったこと。でも、その戦後混乱期に、“日本の悲劇”は続くということなのか。
かなり脱線したが、そう、春子は戦争未亡人。後から子供たちに「あの人はバカだから」とかなりストレートに言われてちょっとカワイソウな気はするが、でも、その馬鹿というか愚かというか……。
いや、愚かじゃない、やはり馬鹿の方が近いと思う、恐らく彼女自身が必死に生き抜いてきた戦時中のまま、時代が革命的に変わっていったのについていけない、というか、実感できないまま、古い時代の感覚のまま“子供のために苦労”していってしまう哀しい女なのだ。
夫の残した酒屋の権利と土地を、夫の弟に巧みに騙し取られてしまう。確かにこの夫の弟の言い様は上手い。騙されてしまうかもしれない。「自分だって、兄の子は可愛い。面倒を見るから、あんたは他で稼いだ方がいいんじゃないか」なんて言い様は、実に上手いのだ。
てゆーか、何もあんな判りやすくあからさまに、姪っ子甥っ子を邪険にすることもないと思う。わざわざ離れに追いやって、食事さえ彼らに用意させて、炭泥棒の濡れ衣きせたりさ、もう、サイアク。叔父さんもひどいがその妻、つまり叔母さんがもっとひどい。もう、ネチネチネチネチ、なんにもしてくれてないくせにっ。
可哀想な姉と弟は、それでもお母さんが苦労して働いてくれているからと歯を食いしばって我慢しているんだけれど、あの出来事が、もう、かなり痛手である。叔父夫婦の息子、つまり彼らの従兄が、いかにもわがまま邦題の放埓ないとこが、姉、歌子の病床に襲いかかって、犯す。この時代だから赤裸々な描写はないにしても、もう、打ちのめされる描写なのだ。
当然、母の春子はそんなことがあったことなんて、知らない。いや、それ以外でも、子供たちから辛い思いを聞いてはいるし、それに憤って怒鳴り込んだりするんだけど、結局言い返されて、何の実にもならない。
……後に子供たちが、母親をバカだというのが、なんか致し方ないというか……だってさ、春子はやり方がヘタなんだもの。確かに夜の仕事をするしか稼げないということなんだろうけれど、「帰ってくるたび、ペラペラの派手な着物を着て」と周囲から言われるような、ワキの甘さがあるんだもの。
確かに春子は美人で、粋で、この時代には珍しく三味線に長唄なんかもイケたりして、粋人たちからは大いに重宝されるベテランである。でも、やはりそれは、時代に取り残されているんである。
ちょっと頭が回るなら、ペラペラの派手な着物なんかを着てこずに、質素ななりで帰ってくれば、叔父夫婦やあそこまでなめられることもなかっただろうし、エロ従兄に凌辱されることもなかったんじゃないかと思うと……。
でも、そう、まさに“身近に起こる”ことだったのか。時代の急速な変化についていけずに、戦争で夫を失って子供たちを育てるにはオミズな仕事、時には身体を売ったり危険な投資をするのもやむをえない、だなんていうのは、子供たちにとってははた迷惑千万な、古い考えそのものなのだ。
春子さんは、美人……のようにはあまり見えなかったけど(爆)、なんか金持ちのエロジジイには好かれている様子。その前に、ヒモっぽい男に金をせびられて足蹴にされたり、もうなんつーか、いかにもな男好きのする愚かな女(爆)。
ただ、彼女自身に色恋に溺れるような感じはなくて、春子はあくまで子供大好き、子供だけが大事、子供のためだけに歯を食いしばって頑張っているんだよね。
それは判る。子供たちにだってよーく判ってる。ただ、……このおかーちゃん、それをとにかく主張するんだもん、めちゃめちゃ言いまくるんだもん。こんなに苦労して、だからあんたたちももうちょっと我慢して、あんたたちのためならいくらだって苦労する、大学だって行かせる、英語塾だって行かせる、苦労して、苦労して……。
実際、弟は医学部の大学進学を目指し、姉は洋裁と英語学校に通っている。オミズな仕事だけではそりゃあなかなかに厳しい状況である。だからこそ弟は、戦争で息子を失った、病院を経営している老夫婦の養子の口を見つけ、姉は仕送りと洋裁のバイトからこつこつと貯金を貯めている。
その二つも、春子を打ちのめすのだ。こんなに苦労して育てたのに、そのまま持っていかれるなんて冗談じゃない、こんなに苦労して育てたのに、その中からお前はこんなに貯金してるのか。
……判るけど、判るんだけど、それをそのまま言葉にしちゃ、ダメだよ。それは姉弟が心の中で思っている、母親の愛が無償ではない、実はひどく計算高いんじゃないか、そのために私たちはあんな苦しい思いをしたのか、ということに、見たくなかった、気づきたくなかった気持ちに、気づかせてしまうんだもの。
だから、バカだというの、この母親!!すっごくすっごく子供たちのことを愛しているのは判ってる。判ってるけどさあ……。でも自分の苦労を言うばかりで、子供たちが真にどんなに大変な思いをしてきたか、言えないこともいっぱいあったことを、汲むことも出来ない、だって“子供のため”の自分のことで、精いっぱいなんだもの!!
……ああ、こんなことを言ってしまったら、いけないのかもしれない。それこそ本作の趣旨に外れるのかもしれない。でも……。
監督さんだって、そこは判ってるよね。だってこの、寄り添うように生きてきた姉と弟の描写は、たまらないんだもの。母親を待つ間、「あんたと、うどんを食べるのは久しぶりね」と言ってふーふーとすする鍋焼きうどんは、かつて貧しい担ぎ屋時代、煮えるのも待ちかねてすすった、思い出の味だった。
学校で罵倒されたことも、従兄にレイプされたことも、この母親は知らずに、「お前たちのために苦労して苦労して」と言い続け、だからお前たちももうちょっと我慢して、というのだ。そんなの、耐えられない!!
姉にはちょっとしたロマンスがある。いや、ロマンス、なのだろうか。でもなんたって上原謙である。通っている英語教室の教師。婿養子でサイアクの恐妻家である。娘にまでそれを徹底させている。……娘は本当に、「お父様なんてキライ」なのかなあ……。
ふがいない婿養子に失望しているのに、その婿養子が若い女に恋していると鋭く嗅ぎつけると、まあ見事に攻撃すること!この恐妻と歌子のいくつかのバトルシークエンスはちょっとした見ものである。
特に好きなのは、歌子が通っている洋裁教室に乗り込んできて、「面会は下でお願いします。困るんですよ」と再三注意する先生に、判ってます、と言いながら歌子にケンツク言い続ける恐妻、全然判ってない(爆笑!)。
解説では「愛してもいない男」とあったけれど、そんなことはなかったんじゃないかなあ。
確かにこの理不尽な恐妻に対抗するような感じはあったし、上原謙=赤沢先生が日記まで押し付けてアタックするのは、恋愛版お母さんに通じるような押しつけがましさで、まあ正直キモチワルイかなとも思うけど。
なんたって歌子は従兄からのレイプ事件が最たるもので、誰をも、特に男は信用しない、という信念に至っていた。まさに、致し方ない経緯であった。
赤沢は恐妻の元を出て、知己を頼りに遠方に職と住みかを得て、歌子に一緒に来てくれないかと、言った。しつこく今まで言い寄り続けた最後の最後、歌子が決心したのは……哀しいけれど、母親が自分の貯金額を知って、借金を返すためにそれを無心してきたから、なのであった。
本作の印象的な部分は、何度も現れる列車の旅である。春子は勤めている熱海から、東京にいる息子の元を訪ねたり、歌子は湯河原に住んでいて、駅で赤沢に出会って弟にそのヤバい感じを見られたりする。春子は粋な年増だから金持ちのオッサンに気にいられて、旅を共にしたり……。
そうしたちょっと粋な旅模様が、まさかあんなラストを引き起こすとは、思ってもみなかった。
ずっとずっと、春子は息子、清一の養子の件には反対で、相手の両親に会ってほしいと言われても突っぱね続けてきた。でも、歌子に去られて動揺して清一に会いに来て、清一は、思い切ったことをしたお姉ちゃんに対して少々の驚きしか見せず、これがいいチャンスだから、養父母に会ってくれよ、と言うのだ。
……確かに改めて思えば、この流れのこの台詞は、確かに残酷だったかもしれない。春子は籍は譲るよ、と力なく言って、去る。確かにイヤな予感はしていた……。
だからといって、何も、死ぬこと、ないんじゃないの。
ひどく、印象的な、印象的というか……親として、子供にこんなひどいアテツケはないと思われるクライマックス。
思い詰めた表情の春子。降りるべき熱海ではなく、湯河原で降りる。ふらふらとホームに立ちすくむ。スクリーン手前に据えられた柱をゆらゆらと通り抜け、東京行きのホームに移動する、アナウンスどおり、東京行きの列車がゆっくりと滑り込んでくる。
予感していた。てゆーか、このひどく丁寧で、思わせぶりな画作りでもう判ってしまった。突然、滑り込んでくる列車に向かってホームを全速力で走り出す。荷物を投げ捨て、草履を脱ぎ捨てる。次の瞬間、姿が消え、列車が轟音を立てて滑り込んでくる。
なぜ、なぜなぜなぜなぜだよ!!これって、子供たちに重荷を負わせるしかないじゃないの、バカバカ、本当に最後までバカなんだから!!
板場の職人や流しの青年など、自分の子供に年が近い若者たちに、これまた押しつけがましく親切なエピソードも必須なのだが、とても書き切れなかった。
……この意識の違いって、やはり時代のせいなのか、私がただ単に冷酷なだけなのか??いや違う、これは時代の哀しさ。今がどういう時なのか彼女がきちんと認識するだけのスピードで時代が進んでいれば、こんな“悲劇”は起こらなかったと……思う……かなあ。★★★★☆