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ユリゴコロ
2017年 128分 日本 カラー
監督:熊澤尚人 脚本:熊澤尚人
撮影:今村圭佑 音楽:安川午朗
出演:吉高由里子 松坂桃李 松山ケンイチ 佐津川愛美 清野菜名 清原果耶 木村多江
で、その場合悩ましいのは、映画において改変された物語なり結末なりを、原作を読まずに了として話を進めていいのか、という点なのよね。
無論原作と映画は別物であり、映画は映画として楽しめばいいとは思っているのだけど、ミステリというジャンルに関しては、その設定や結末こそが作品の大事な要素だから、なかなかそこまでは思い切れないものがあって……。
と、いう訳でちょいとググって、原作がどうなっているのかを調べてしまう姑息な私(ならば読めよ、という感じだが……)。ヤハリ小説の尺に追いつけない関係上、かなりの改変が見られる模様。
殺人鬼である死んだ筈の母親、美紗子が、映画では主人公、亮介の失踪した婚約者、千絵のかつての友人として現れるのが、原作では、亮介が立ち上げた喫茶店のオープンからの信頼できるスタッフだったということ。小説ではいなくなってしまった母親の代わりに新しい母親がいて、それが美紗子の妹だったということ。
まぁ、それほど問題のないハショリと改変かな、という気がする。重要な心の部分や展開は損なわれていない、かな?役者が良かったから、特に松ケンが(照)。しかし彼が登場するまでにはかなりの間があるんだけれどねー。
亮介の時間軸が現在で、亮介の父親が隠し持っていた手書きのノートを偶然見つけて読み始めたことから、その中の物語が過去映像となって現れる。ユリゴコロがないと医者に診断された美紗子が、死というものにユリゴコロを見出していき、次々と人を手にかけていく、恐るべき殺人鬼の独白が再現されていくんである。
ユリゴコロというのは幼き美紗子が聞き間違ったのだろうと推測され、医者はよりどころと言ったのであろうと彼女は言う。ただその、聞き間違ったちうユリゴコロという語感の妙に甘やかな響きが、何とも言えず観ている側の心を震わせるんである。
長じてからの美紗子を演じる吉高由里子嬢はもちろん素晴らしいのだが、幼女時代、中学生時代を演じるそれぞれの若き女優たちの怪奇とまでも言いたい演技が身震いするほど素晴らしく、本作の成功はここにこそあったかもしれないと思ってしまうほどなんである。
幼女の頃には溺れるハイソな友人をじっと見つめて見殺しにし、中学生の頃には妹の帽子を取ろうと側溝に頭を突っ込んでいたお兄ちゃんの頭の上に鉄板をワザと落として殺す。
どちらも、不可抗力、彼女が罪に問われることなく過ぎていく(あるいは、そこに彼女がいたことさえ、明らかにされていないのかもしれない)出来事だが、この中学生の時の事件はまさに運命であった。
先に鉄板を持ち上げてお兄ちゃんを手助けしていた青年と再会し、愛してしまう。愛というものを知ってしまう。まさかまさか、そんな偶然あるかよ、と思っちゃう。
登場人物の人生を大きく変えるところで発生するこのあり得ない偶然、婚約者の千絵と母親の美沙子がかつて同僚だったとか、失踪した千絵と偶然デパートのお手洗いで再会して、千絵の口から息子の名前を聞いて驚いたとか、あ、あり得ないだろ。
あー……でもそうか、ここはまさに、原作から改変した部分で、つじつま合わせのために苦しい偶然を積み重ねることになっているんだよな……。うーん、そうかそうか。
でも、中学生の事件の時の青年と、娼婦となった美紗子が偶然出会って恋に落ちるなんて、これはやっぱりかなーりあり得ないレベルの偶然だろ。うーむ、これを運命だと言えるほどの優しさが私にはないな……。
美紗子が娼婦に落ちる前に、印象的なシークエンスがある。調理学校で知り合ったみつ子という女の子との、不思議な友情物語である。リストカットの傷跡を無数に刻んだみつ子は、もうかなりやばい状態。美紗子の目の前で嬉しそうに手首を切ってみせたりするんである。
人の死にユリゴコロを感じている美紗子が、その光景に不思議なシンパシィを感じるとともに、みつ子を助けたい、健康にさせたいと願って食事を作って食べさせたりする描写が、その結末がなんとなく予測されるもののなぜか心を打つのは、これぞ奇跡的な運命の出会いだと、確信できるからなんである。
死にたがっているみつ子の、そう、そのユリゴコロを理解できるのは美紗子だけであり、まるで恋人同士のような蜜月の時間……それは何度も手首を切るというグロテスクな描写に満ち満ちているんだけれど……に心打たれてしまう。
最後の最後、美紗子に看取られながら床一面べったりと流れる血の中で穏やかに息絶えるみつ子、これを美しいと思ってしまってはいけないのだろうか……?
今や信頼すべき若き名バイプレーヤー、佐津川愛美嬢が本当に素晴らしい。二人に言い寄るラーメン屋のキモ男(彼もまた名バイプレーヤーだよなー)から「あのオバケみたいな子」と言われるのがまさにピタリとくるような、エキセントリックさで自分を武装している哀しき女の子を素晴らしく体現していて。
その後、就職するものの上手くなじめず娼婦に身を落とす美紗子。そこでかつての同僚に会ってしまって仕事に徹すれば良かったのについぶち殺してしまう。後にこの事件が、彼女にミソをつけることになる。
で、その時に出会ったのが、松ケン演じる洋介。昭和時代の心の傷を抱えた優しき青年、ああ、なんてそれが似合うのかしら!!松ケンが登場するまでかなりジリジリと待ったが、待つかいある素晴らしさだ。
原作小説ではかつての事件のトラウマで性的不能者になった、という表現がなされていたらしいが、「教師になりたかったが、子供を殺めてしまった。子供を見るとそのことを思い出す。だから僕は女性を抱くことができない」という、控えめな表現にとどめられている。でもそれが、たまらなく松ケン素敵!!なんである。
現在の時間軸で彼を演じる、つまり亮介の父親である役者さんはよく判んなくて、誰??っていう感じで(爆。すみません……)、オフィシャルサイトもデータベースも、乗っかってこないんだよねー。演じた役者さんには悪いけど、凄く重要なキャストなのに、なぜこのキャスティングに力を入れなかったのかなー。
つまり、亮介が洋介と美沙子の子供。私ね、生まれた赤ちゃんが、亮介の父親の洋介なのかと思ってずっと見ちゃった(爆)。ちゃんと亮介、って言ってたのにね……そうか、あの五千円札のデザインって、そんな最近(ではないけど)だっけ?めちゃくちゃ昔っぽい感じがしたからさあ。
洋介と美沙子の時代なら、私と変わらない時なんだもん。そらま携帯はないけどさ、あんなに古いデザインのお札だったかなあと思って……。
田舎の空き地で遊んでいるとよくくっついてくる、とげとげのオナモミが印象的に使われる。犯罪の証拠ぐらいな感じでさえ、使われる。不能だったはずの洋介が美紗子を愛して彼女を抱くシーンで、美紗子の脳内に広がる妄想シーンとして、無数のオナモミにまみれて愛し合う二人が描かれる。さぞかし痛いと思うが、それこそが美紗子が初めて感じた愛と歓喜の象徴なのだろう。
しかしその時は長くは続かない。娼婦時代にぶち殺した元同僚への容疑で警察がやってくる。てゆーか、その前に店の出入り業者だった男が、そのネタをもって彼女をゆすりにやってきて、その男も美紗子は殺しちゃうんである。
さすが長年の経験があるから、指紋とか証拠を残すようなことはしないのだが、状況証拠が揃い過ぎているもんだから、刑事は不審の目を向けるんである。
そして洋介も……愛する彼にすべてが知られてしまったのは、もう子供を殺して自分も死ぬしかないと美紗子が思い詰めて、川に入ったその時だった。
残したノートを洋介は読んでしまった。苦しんで苦しんで、もうこうするしかない、と美沙子をダムまで連れて行って縛って重しをつけて、飛び込むように言った。でも、どうしても最後の最後に出来なかった。もう二度と自分たちの前に現れるなと泣きながら言って、やはり号泣する彼女を置いて去るしかなかった、のだ。
このあたりで松ケンの登場シーンは終わるので、もうここまでで満足っていうか(爆)。失踪した千絵の元同僚として亮介の前に現れるのは木村多江。木村多江だからさー、まさか吉高嬢の今の姿なんては、思わない訳。吉高嬢はもう大人の女として確立した姿で登場しているから、こーゆー場合は老けメイクで来るのが普通じゃない?
ただそれじゃ、一発でネタが判っちゃう、だから別人、つまり事件で追われて整形をしたんだという映画独自の設定がくっつく。原作では、かなり早い段階から亮介の前に再び姿を現した母親が、何かと手助けをしてくれる、という展開なのだが、親子ってさ、似てるもんじゃない。他人として現れたからって、そんなさ、無理があると思うなあ。
それに、映画版の整形したっていうのも、まぁ追われているからっていうのは判るにしても、そんあカネがどこにあったのよ。別人になるほどのカネが、美紗子に、あるいは洋介にあったとは思えない、めっちゃつつましやかな生活してたじゃないよ。
玉ねぎをよーく炒めた具にコンソメで味付けたオムレツを喜んで食べていた洋介、そしてそれが、父の味として亮介に伝わり、喫茶店の看板メニューとなった。身一つで放り出された美紗子が別人になるほどの整形って、そんなさぁ。
なんかすっかり、主人公である松坂桃李君のことを言い忘れているが(爆)。なんつーか、熱演ねー、という感じ。殺人鬼の血が流れている、だから自分も我を忘れるほどスピード狂になったりするような、人を殺したいと思う心の持ち主なんだ、と思い込む。ノートを読んで、すっかりのめり込んじゃう彼は、まーつまり、繊細な神経の持ち主、ということなんである。
自分が千絵の仇をうって彼女をひどい目に遭わせた奴らをぶち殺したいと思っていたのに、それを先んじて母親が、この時点では千絵の友人と信じていた彼女が、やっちまう。
母親だと判って彼女と対峙するシーンは、なんつーか、もう二人涙ボロボロで、すっかり号泣涙モノ親子の物語になってしまっている。まぁそれでいいんだけど、前半までの、ユリゴコロに支配された猟奇殺人鬼の魅力に魅了されてしまっていたから、後半の愛の物語は……感動的なんだけれど……ちょっと拍子抜けの感もあったかなあと思う。
でもそれこそが尺の難しさで、小説だったらそんな冷たい心の持ち主の心境の変遷を伝えきれたのかなあとも思うのだけれど。★★★☆☆