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日日是好日
2018年 100分 日本 カラー
監督:大森立嗣 脚本:大森立嗣
撮影:槇憲治 音楽:世武裕子
出演:黒木華 樹木希林 多部未華子 原田麻由 川村紗也 滝沢恵 山下美月 郡山冬果 岡本智礼 荒巻全紀 南一恵 鶴田真由 鶴見辰吾
主演は黒木華嬢だが、希林さんの主演と言ってもいいような気がするぐらい、彼女が演じる武田先生は、ヒロイン、典子にとって決定的な存在である。
何よりこの20年以上を描く作品なのに、希林さんはそれを一息に飛び越えている。典子と出会った時に既に相応のお年だったということもあろうが、それから24年を過ぎての武田先生も、特に年をとったつくろいをするでもなく、そのまんまで、それがまるでヘンではないのだ。
むしろ、40代も半ばを過ぎた年齢を演じる華嬢が、まるでウィッグのCMみたいな不自然なボリュームの髪型が、いかにも、中年女性のイメージをベタに作ってて、ちょっとガッカリするぐらいで。実際にあれはないわと思っちゃう。今時あんな感じの40代女性っていないんじゃないかしらん。いや、そう思いたくないだけかもしれんが……。
まぁ、それはともかく、それが女優としてのキャリアの凄みというか、軽みというか、そういうことなのかもしれない。何かのトーク番組で希林さんが、役作りなんてしない、と言っていたことを思い出す。そのまま、彼女のまま、現場に入るだけなのだと。
24年を描くこの作品でも、彼女はそれを貫き、そして監督もそれを信頼したということなのだろう。勿論、ハタチから40代半ばという、学生という子供の状態から様々な人生の試練を受ける24年を演じる華嬢にそれを求めるのは酷かもしれない。
でも、ハタチの時にはカーディガンに白ソックスという、これまた、うーん、この時代の学生さんでもそんなのいるかしらというファッション、まじめで融通がきかないという性格を反映しているにしてもナァというカッコで、そして40半ばであのウィッグ頭でしょ。ちょっとね、不自然な感じがしたのは事実かなぁ。
まぁ、そんなことはどうでもいいのだ。どうやらこの映画には実際にお茶をやっている観客がかなりつめかけているらしい。上映後、ぞろぞろと劇場を出る時に聞こえてくる会話でそれと判る。なるほど、ヒットの裏側にはこうした意外な観客層もいるということなのか。
クレジットでは裏千家が協力しているが、実際は表千家の作法ではないかとか、興味深い話が聞こえてきて面白い。表も裏もちっとも判らないこちとらにとっては、“まるで赤ちゃんのように”お茶の形式を学んでいく典子と美智子の美少女コンビにワクワクとするばかりであるから。
美少女というお年ではないけれども、なんたってハタチの年頃から演じているんだから、やはりそう言いたくなる。典子の従姉妹を演じる多部ちゃんの、それこそ美少女っぷりに驚く。
華嬢がどちらかといえば和風美だから余計にそう感じるのかもしれないが、多部ちゃんにしたって、こんな華やかな女の子というイメージはなかった。
典子と違って素直という名の奔放で、ずけずけとモノをいうタイプの美智子はまつ毛しっかりカールしてパーマをかけたヘアスタイルも華やかで、ファッションもカーディガンに白ソックス(だからこれはね……)の典子よりよほどあか抜けている。
後ろの席のおばさま二人が多部ちゃんが登場したとたん、「お人形さんみたいねぇ……」と思わず嘆息したのが聞こえてきて、まさにそうねと思っちゃうような。
ものすごく判りやすい図式で、典子にとって美智子は“どんどん先に行く”存在なのだ。地方から一人、上京してきた、というのも、このそれなりの都会で実家暮らしの典子にとっては逆にまぶしい存在だったのかもしれない。地方出身者としてはものすごく意外だけど、そうなのかもしれない。
だって典子が美智子に抱く“先を行く”感覚って、型どおりに就職したり、だけどその現実の厳しさに破れて辞めて「実家に戻って見合いして結婚する」ことだったりするんであって、それって先を行くことなのかなぁと思っちゃうんだもの。
それこそイナカ者感覚にしたら、就職せずにアルバイトの末、フリーライターになった、という典子の方がよほど“先を行ってる”と思うのだが、それこそ、ベタに田舎者のマスコミ憧れってことなのだろうか。多分、原作者さんは私と同じような年代だと思うから、なんかちょっといろいろ反応してしまう。
こんなキャラ設定だから、正直美智子はすぐにやめてしまうのかと思ったら、意外や意外、典子と共にずっと武田先生の元に通い続けるんである。武田先生は、希林さんが演じていることもあり、教えはしっかりと細かく厳しいけれど何か、ふっと笑っちゃうようなあたたかさがあり、典子も美智子もきゃいきゃい笑い合いながら週に一度のお稽古に通うんである。
本当に、華嬢と多部ちゃんのカップリングが可愛らしく、気のおけない感じが可愛らしく、ああ、この美少女二人を眺めているだけでも楽しすぎる、と思っちゃう。カラオケで盛り上がる場面とか、可愛すぎる。
この二人、っていうのが、なんか意外な組み合わせというか、それぞれ主演道を張って来たせいもあるから交わらなかったのか、同世代で、急にここでバチッと化学反応を、こんなに可愛らしくやられちゃうと、もう腰がくだけちゃう(爆)。
週に一度も長く続けると本格的になり、次第に和服で通うようになる。美智子に関してはお正月ぐらいだったが、典子は季節ごとに控えめながら鮮やかな色合いのお着物を次々と見せてくれて、それが実に華嬢に似合っていて、それを見ているだけでも楽しい。
彼女たちが初めて他の生徒さんたちと相まみえる大きなお茶会は、「細雪みたいな雅な世界だと思ってた」という台詞が実に言い得て妙な、女たちの、いや、いくつになっても女の子たちの楽し気な、かしましい、まるでどころかまんま女子会で、原作者さんは、こういう世界を知ってもらいたかったのかもしれない、などと思う。
茶道は、圧倒的に女性が多いだろうけれど、でもやっぱりきっと、どの世界でもそうなように男性社会かもしれず、あるいはそうでなくても、やっぱりやっぱり敷居が高いと思っている私みたいな無知者に、たくさんの人に、楽しいんだよと、言いたい気持ちがあったんじゃないかと思う。
印象的だったのは、夏休みの一ヶ月、ふくさにも触らず何にもせずに迎えて、半ばイヤイヤお稽古に出かけたのに、今までは頭で順番を考えてパンパンになっていたのが、一ヶ月何もしなかったのに、何もしなかったことが良かったのか、手が勝手に動き、先生もそれに気づき、その気持ちよさに陶然とする、まさに転換期の場面。
その後も、掛け軸を絵のように見立てる面白さを見つけたり、お湯と水の音の違いに気づいたり、まさに五感すべてで感じる茶道の世界をひとつひとつ、典子の身体を通して伝えてくるさまざまに、ああこれが、茶道であり、作り手が伝えたいことなんだと思うが、それがクリアに彼女の中に降りてきたのが、形式だけだった作法が身体に降りて来た、あの場面だったように思う。
両親の描写がたまらなく好きである。とても仲が良くて、二人向き合って楽しそうに食事をしている。しかもそれが、子供という存在を彼らの中にしっかりと介在しての仲の良さだというのが、案外今までなかった描写のように思われる。
お父さんを演じる鶴見辰吾がたまらなくイイ。父親は娘大好きというのはよく言われるところだが、それを臆面もなく出してくる。娘が働きだして忙しくなって、寂しい気持ちをしっかりと出してくる。
武田先生の師匠との別れのエピソードを教え子である雪野さんから聞いた後、そう、一期一会の大切さを聞いた後、「近くまで来たから」という父からの電話を、用事があるからと断ってしまったあの場面、もう判ってしまった。ああ、お父さん、死んじゃうんだと。
大人になってから、家族みんなで食事したのいつだっけ……と弟との会話で号泣する彼女に、でも、それが大人になるということなんだと思ったりする。こんな風に突然いなくなってしまうのと、病気になったりしてじわじわとその時が来るのと、どっちがつらいだろうと思ったりする。
私の父のことを思ってしまう。今、仕事で行き詰ったりした時に、本当に相談したいと思ったりしてしまうが、でもそれが、なぜ生きている時に出来なかったのだろうと思う。なくなってしまわなければ決して判らないものはあるのだ。
それは劇中、テーマのように言われる、すぐに判ることと判らないことがある、ということに通じるようにも思われ。桜の季節が哀しくなっちゃったわね、と武田先生が寄り添ってくれている縁側の、たまらずたもとから手巾を取り出して泣き伏す喪服姿の華嬢はひどく、美しかった。
結婚直前に恋人に裏切られて、お稽古を長く休んだこともある。センスのある後輩に追い抜かれて、武田先生からも「長くお稽古しているんだから、そろそろ工夫しなさい」と言われたりして、落ち込んだりもする。
美智子は地元に帰って結婚して子供を産み、典子言うところの「地に根を張った」が、典子が40を超えて、先生から教えることを勧められている今、どういう人生を送っているのか、明確にはされない。
新しい恋を見つけたこともさらりと描かれるが、結婚したのかとか、子供を持ったのかとか、そんなことを示すことはしない。
それでいいのだと思う。むしろ、“先を行った”美智子の人生に対して羨望のまなざしを送っていたこと自体が凄く前時代的だと思ったし、でも確かに、私と同じ年代ならば、そういうことにどうしても縛られてしまうのだ。でもそこから抜け出ようとする年代でもあったと思う。
武田先生の人生も、結婚を機に一時お茶を辞めた、ということしか触れられず、その結婚生活がどうだったとか、子供はとか、まるで触れられない。それでいいのだと思う。
いかにも希林さんが演じる女性という気がする。女の人生はとかく結婚や子供で語られがちなのが、私は本当に、イヤだと思っていたから。彼女を語るのに、いちいち内田裕也を持ち出す必要ないと思うから。
武田先生、いやさ、ここは希林さんと言いたい、が、縁側でふっと息をついて淹れているのがコーヒー、だったよね!それが凄くイイなぁと思ったなあ。しかも殊更にカメラが寄ったりして明確にはしないの。でもペーパーフィルターにお湯をぽとぽと落としてるの、絶対そうだよね!なぜだかそれも、たまらなく希林さんぽいなぁと思ったなあ。★★★★☆
この舞台となる“ギザギザアパート”ありきだったのだろうと思う、この映画の企画は。原作者と名前が違うから、ヒットした本が元になっているのかと思ったら、監督さん自身で、改名したんだという。なーんだ。
実際は大阪にある道草アパートなる古いアパート。リノベーションされて、カルチャーの発信地になっているんだという。そしてここでほぼ全編、撮影されているんだという。
大阪なのかぁ。なんかヘンなの。だって井浦新演じる草太は大阪出身、最終的には大阪に逃げるように帰っていくのにさ。つまりここは東京、ということなのだろうが、確かに東京という匂いは終始、しなかった。それを示そうという感じも、なかった。どこでもないどこかのような。アジアの雑踏の片隅のような。
東京、というのはきっと記号でしかないのだろう。東京らしさや、東京ならでは、ということは、必要がないんだろう。ここではそれが正解なのかもしれないけれども。
てゆーか、井浦新の名前を見つけちゃったから、足を運んだんだけどね!彼は成田凌君扮する楽人と妙に気が合って、このギザギザアパートで同居している。同居というか、楽人の方が転がり込んでいる状態らしい。それをとがめられた管理人のエロいおばちゃんを、バックファックで楽人が黙らせるという、あー、いかにもこーゆータイプの映画にありそうな(爆)。
しかしその管理人のおばちゃんがLiLiCoさんだということには衝撃!いや、衝撃なのは大股開いたことじゃなく、それぐらいはLiLiCoさんやりそうだし(爆)、LiLiCoさんおっぱい出しちゃったことである!!キャーッウソーッ!いや、それぐらいはやりそう……うーん、でもこんなチョイキャラでかい、マジかい。ビックリした……。
設定的にも草太と楽人とは年が離れていて、当然井浦氏扮する草太が兄貴分というのは判るのだが、それにしても草太の年齢的キャラとムリがあるなあ……と思いつつ見ていたら、途中、「もう30半ばやで」的な台詞があり、やーっぱ、そうか……10のサバ読みはキツいんでないの……と思ってしまう。
井浦氏にこんなことを言うのは気が進まないが、ミスキャストのような気がして仕方がない。成田君の方はバッチリである。年齢的にもバッチリだし、なんかぽよぽよして頼りないのに粋がっている感じもピッタリ。
いわば彼はタイトルロールである。ニワトリスターというのは草太が命名した。赤く染めた髪の感じが似ているから、というところだが、楽人は自嘲気味にチキン……とつぶやいた。
この星のどこかにニワトリ星があって、いつかそこに帰っていくんだ、などとビールを飲んで星空を見上げながら二人は仲良く語った。そういう間柄だった。
このシーンも若干のかゆさを感じるが。なんかいちいち20年前ぐらいの感じがするんだよね(爆)。そりゃ今だって自堕落して先が見えないワカモンはいるだろうが、ヤクの売人だのネタを売るのが自称ラッパーだの、なんかなんとも懐かしい感じがするんだよなあ。
そもそも草太と楽人が、どういう経緯でこのギザギザアパートに転がり込んできたのか。草太は地元が大阪でお好み焼き屋をやっていて、最終的に帰るその場所は彼にとってのまさに故郷で、両親との関係も良好で、だったらなんであんな生活を送ることになったんだろうと首をかしげたくなるぐらい。
楽人は幼い頃に母親の再婚相手に母親と共にボコボコにされまくったというトラウマ過去があり、家族というものが信じられなくなっていた……これもまた結構な懐かし加減な設定と言ってはいけない??
楽人は草太のことを、標準語に混じった関西弁だとからかう。てゆーか、草太、つまり井浦氏のその関西弁はかなり怪しげというか、いかにも東京人がマネして喋る折り目正しい関西弁という感じで、ネラッていたのかどうか判らんが、もちょっとどうにかならなかったのかなぁという気がしてモゾモゾしてしまう。
草太自身にも、家族に対するトラウマ的な想いがあったのかなあと最初は思っていた。彼が夢に見る狂暴かつ残酷なアニメーションの夢で、全く他人のおっさんおばちゃんが両親で出てきて天国に向かうとか、そして自分だけ天国に行けずに天使に殺されるとか、凄くトラウマ的要素を感じたけど、それは単に彼が両親を純粋に愛していて、自分がこんなところでこんなことやってて、それに対する自責の念みたいなものだったのか。
てゆーか(てゆーか、が多いな……)、特に前半部分は、このアヴァンギャルド系残酷系アニメーションを見せたいがために、特に考えもせず(爆)出してきたような気がどうしてもしちゃう。
勿論、親に対する贖罪の気持ちはあったんだろう。母親から贈られてくる心のこもった段ボール箱の中には、封筒に入った二万円もあった。
うーむ、北の国からみてーだな、監督さんの年代的なものを感じる(爆)。そんな家族は当然いない楽人は嫉妬からなのか、「ママとおそろいの着てんじゃないの」とか言って草太をからかう。そしてケンカになる。
それはヤクの売人を続けるか否かで二人がもめていた時だった。それまではあくまで友人とかその紹介の先に売るという安心なやり方で、仕入れ先のラッパーのJとも個人的な付き合いしかなかった。
しかし突然、Jが背後にいるヤクザの存在をちらつかせ始め、そんなヤボなふるまいをし始めたJはヤクザに抹殺されてしまうんである。つまりは自分のバックには強大なものがいるんだという虚勢だったのかもしれんが、そのヤクザ自身も、親分を演じるツダカンが言うように「フランチャイズみたいな気持ち」であり、結局大元の大幹部には逆らえない立場でくすぶっているのだ。それでも、Jぐらいの勘違いしたチンピラを抹殺するぐらいはワケない訳で。
つまり彼らにとって草太と楽人は格好の、使えるカモであった。草太はやはり年の功、そして楽人に言わせれば帰る場所があるという余裕が確かにあったのだろう、チンケな売人から足を洗い、故郷に帰る決断をする。
楽人がその後を継いで売人になる、と言ったことで大喧嘩になるんだけど、帰る場所がないという楽人に対して、結局草太は何を言うことも出来ないのだ。その後「口を聞く程度には仲直りをした」二人は結局、本当の意味では腹を割ってなぞ、いなかったのだ。
私がモヤモヤしていた最大の部分は結局、ここだったのかもしれない。結局は草太は楽人のすべてを、彼が死んでから知ったのだ。
私、こういうのキライなの。死んで、彼の残されたノートとか読んじゃって、それでやたら号泣するとか、ホント、キライだなぁ。
大体、なんで死なせる必要があるのかが判らない。草太のモノローグで、結局もう会うことはなかったとか、それ風に語られるのだが(よく覚えてない(汗))、この時には草太がやめとけと言っていたヤクザに楽人は仕事のあっせんを頼みに言っていたし、こらー当然、ヤクザに使いつぶされてぶっ潰されるんだろうなと思っていたもんだからさぁ、まさか病気で死ぬなんて(爆)。
おっと、ちょっと先走ってしまった(爆)。楽人には沖縄時代から続いている恋人がいる。
その恋人、月海と東京で偶然再会するってのがまずありえないし(こーゆー偶然はよく見かけるが、東京とひとことでかたづけて、どれだけのエリア、どれだけの人が住んでると思ってんだよ。ありえない。運命とかで片付けないでほしい)、彼女が産んだ子供がヤクザにレイプされた末であり、そのヤクザの元に楽人が仕事を頼みに行く、なんていうのもあまりにもあり得ない偶然、である。偶然で作劇しようとするの、どうにかしてほしい。それだけで、萎えてしまう。
楽人はタトゥーが原因で仕事に就けない。これもこの人手不足のご時世、どうもピンとこない。しかも楽人が足を運んでいるのは決してスーツタイプの場所ではないし、かなりカジュアルな飲食店とか回っているのに、履歴書受け取った相手の方がよっぽどアブなそうだよなぁ、などと思ってしまう。
運送とか市場とか、そんなこと露ほども気にせず働き手を、しかも若い働き手を渇望している場所はいくらでもあるのだ。なんつーか、この場面一発で楽人以上に、作り手が世間知らずだと思ってしまう、のは、いけないのだろうか??それともこれが意外と大阪の現実で、超保守的なんだろうか??
楽人がヤクザに抹殺される危機が、隣に住んでる“神の男”つまり、自分を神だと思っているイカれた男の暴走によってヤクザ全滅、で逃れられちゃう、っていうアゼンなご都合主義にはもう何をかいわんやというか。そら鳥肌実のイカレ具合は最高だったが、ここで救って病気で死んじゃう、って一体何なの、と。
沖縄に逃れて、家族三人幸せな生活が出来るかと思ったら、「具合が悪い……」もうその次にはニットキャップかぶって入院生活。あーもう、ワカモンが病気で死んで、単純に泣かせる方向とか、ホントキライ。
そして彼の死後、草太の元に楽人から誕生日プレゼントの室内用プラネタリウムと、ニワトリ星への旅行券がプレゼントされるのだ。井浦氏は号泣だが、いや、泣けないし。
むしろフラフラしてきたあんたを何も言わずにのんびり迎えてくれた両親の方にじんわりくるよ。そう、奥田瑛二もなかなか出てこないからさー、めっちゃ待ったよ。ヤクザが出てくる映画で、ヤクザじゃなくおだやかな父親役っていうのも、珍しくない??子猫とじゃれ合ってる奥田瑛二、か、カワイイ……。
もう死んでしまった楽人と月海の結婚式が沖縄の海辺で行われるとか、ラストクレジット後、これまたダメ押しのアニメーションで、有名サッカー選手になった月海の息子が、草太に月への旅行をプレゼントするとか、私と同年代の監督が考えそうな感じで(爆)、もうどうしていいか判らない……。
やはり、前半後半の印象の違いが、一貫性のなさ以上に、作風の失速のようにも感じてしまったんだよなあ。★☆☆☆☆