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「ね」


2019年鑑賞作品

ねことじいちゃん
2019年 103分 日本 カラー
監督:岩合光昭 脚本:坪田文
撮影:石垣求 音楽:安川午朗
出演:立川志の輔 柴咲コウ 柄本佑 銀粉蝶 山中崇 葉山奨之 田根楽子 小林トシ江 片山友希 立石ケン 中村鴈治郎 田中裕子 小林薫


2019/3/6/水 劇場(TOHOシネマズ錦糸町オリナス)
岩合氏が映画を演出する、というのはかなり驚いたなぁ。写真家ということもあるが、写真だけじゃなくてあの有名番組の撮影は彼自身がやっているんだよね?
だとしたらなんたって猫映像にかけては彼の右に出るものはいないであろう。それこそ猫演出にかけては。

そりゃ猫に演出なぞつけられはしないだろう(犬ならともかく)というのが大方の意見だろうが、本作に関しては岩合氏は「お願いしてやってもらう」と語っていたというのだから、きっと素晴らしい“演出”が功を奏したのだろう。
そうでなきゃ、あんなに奇跡の猫演技の数々はみられないよ!原作が人気コミックだということだが、恐らく観客の9割は岩合氏のファンが訪れていたと思うなぁ。

言っちゃえば正直、映画作品としては、つまり物語とか、役者とか、その相互作用とか、だけでいえば、まぁ、それほどねぇ、という感は否めない。
おじいちゃんおばあちゃんのキャラ付けやなにより風体があまりにステロタイプだと思っちゃったし。あんなザ・老人ファッション、するかね?むしろ差別的な感じがしちゃうと思ったり……まぁ、実際にほとんど接点がないから判んないけど(爆)。

でも言葉遣いとかも、いかにもなザ・老人言い回しなんだよね。わしがなぁ、とかさ。おばあちゃんの名前がトメさんだの、そんな半世紀前ぐらいじゃないの、今時ないよと思ったり(爆爆)。
ただ、仕方ない。これは彼らはメッチャ脇役、なのだもの。主演の志の輔さんも言っていたもの。主演と言っていただいてはいるが、実際自分は脇役。主役は猫なのだと。

まさしくそうだ。観客みんな役者の芝居そっちのけで猫ばかり目で追っていたに違いない。勿論、私もそう。まず猫の後ろ姿ナメのオープニングから、ひと時だって、人間役者だけの芝居でいい場面でも、必ず必ずかなーらず、猫はどっかに映り込んでいる。
ここはいわゆる猫島で有名なところなのだろうかと思う。でも実際、外猫はこんなにみんなキレイじゃないよね、とも思う(爆)。そこは映画としてリアリティを取るか、猫のビジュアリティをとるかという難しい選択。

なんたって演技のできる(あるいは岩合氏の演出が理解できる)猫を、オーディションで選びださなければいけないわけだから(本作ぐらいだろう、人間サマのキャスティングよりそっちが重要かつ難しかったのは)、リアル野良猫という訳にはそらぁいかないわけなのだ。
だからまぁ……猫島的な、猫集会、どこに行っても猫がいる、隙間に揃って猫がはまっている、草っぱらをかけめぐり、漁港ではおこぼれを狙ってうろうろし、飼い主とお散歩し、高校生同士のカップルの足元にも常に猫が2、3匹じゃれている。幸せ過ぎるが、そろいもそろって家猫みたいなキレイな猫ばかり。まぁ仕方ないのだけれど。

ワタクシごとだが、愛猫、野枝と暮らし始めてから、以前のように猫写真や猫動画や猫カフェに心惹かれなくなった。だってウチの子が世界一、この子だけで充分、なんでわざわざ他の猫を見に行くの、という感じになっていたから(汗)。
だから本作もそれほど見る気持ちはなかったんだけれど、猫写真家の映画監督デビューという珍しさと、たまたま時間が合ったということもあるけれど、なんだろうなぁ。

犬派か猫派か、という意味のない論争は常にあるじゃない。それこそ犬映画、あるいは犬が重要な役どころを担う映画は数多く思い起こすことができる。でも猫って……ないよね、と。
それはヤハリ、犬が人間に従順であるがゆえにドラマを作りやすい、つまり、誤解を恐れずに言えば、人間サマを立ててくれる、人間サマを上の位置にしてくれる、こちらが気持ちよくその位置に鎮座できるための存在、みたいなさ。

スミマセン、猫派なんで、口が過ぎたことはカンベンしてください(爆)。だからその点、猫は真逆で、まぁ、昔から言われるとおりに飼い主に従順なんて他の星の言葉、という感じで。
しつけなんて言葉は猫には適用されず、自分の人生(猫生)を大事に、生きている。でもそれって命あるものの基本なことで、それなのに私たち人間と一緒にいてくれる。
私はね……ウチの子がそうだから余計に思うんだけど……猫って、優しいと思うんだよね、凄く。なんか、察知してる。気まぐれで、自分本位のように見えていて、そばにいたり、のどをゴロゴロ鳴らしたり、すりすりしたり、それこそ、物語の最初と最後に象徴的に示される、飼い主の志の輔さんの寝起きをじっと待つようにお布団の上に鎮座しているあの愛しい習慣。

従順さと似ているようでちょっと違う。従順な犬ならば、そばにお座りして待っているだろう。それを、乗っかって待っている。
彼の息子は「いつまでもタマは甘ったれだな。おふくろが甘やかしたから」というのはその通りかもしれんが、猫の甘ったれはイコール優しさであり、限りない幸福を愚かな人間たちにもたらしてくれるのだ。

本当にね、物語としてはなんてことないの。志の輔さん演じる大吉さんは、妻が子猫の時に拾ってきたタマとの“二人暮らし”。妻の田中裕子はその二年前に病気で他界している。
平均年齢的に男性の方が先に行くパターンの方が多いし、実際、夫が残されるというのは生活能力的にもツラいものがあると思う。彼がそれをここまで乗り切れているのは、若干甘い描写でもあるとは思うが(爆)、やはりタマの存在と、この島で長年暮らしてきた、気の置けない仲間たちの存在であると思う。

会話の端々から、どうやら彼がこの島で教師としてそのキャリアを全うしたことが判る。郵便局の配達青年は教え子であり、心配しているというより、ただ単に仲の良い先生だったから、といった感じで、後で寄るね、なんていって、タマに嫌われて落ち込んだりしている。
ケンカばかりしているおばあちゃん二人も、猫が嫌いなのに猫に好かれまくっている釣り好きのおじいちゃんも、みんなここで生まれ育った仲間たちだ。

おじいちゃん、なんて言いたくないなぁ、小林薫のことを。そらまぁそういう年代なのかもしれんし、そういうザ・老人スタイルを着せちゃうとその通りに見えるけれど、実際はまだまだ色気もあるステキな人なのにさ!……といった具合にね、日本のシルバー男女さんたちは、記号的に老け込んでほしくないわけさ!
でもそこは、小林薫らしく、ちょっとイイ話がある。お互い連れ合いを亡くした同士、幼なじみ同士の淡いロマンス。夜道を送って帰ったり、小学校のイベントでダンスホールを企画して、ドレスアップして踊ったりする。でもその直後、彼女は突然、死んでしまう……。

この島に赴任している若先生と言われているお医者さん(柄本佑)が、この島での仕事は死亡届を書くことだと役場に言われてきたと。
でも自分はそうは思わない、ちょっとした変化でも見つけて、それだけ密に関係を築いていくことだと。自分はここに来て自分のなりたい医者になれたと、そういうちょいとイイ話があるんだけれども、でも実際、残された高齢者の多いこの土地では、役場の人間が言うことは必ずしもアイロニーでもなんでもなく、確かに事実なのだ。

若先生は赴任という形で来たからある意味納得だけど、“突然ハイカラなものが出来た”と、この島に唐突にカフェを開いた美しい女性、美智子は……実際は、きっと相当の、この選択肢をチョイスする過去があったに違いないのだが、明かされない。本作に感じるなんとはなしの物足りなさがあるとしたら、そういう部分なのだろうと思う。
これじゃぁこの島にちょっとしたいろどり、生活に加える変化、スパイスめいたものとして、謎めいた美女を配置しただけで、彼女自身の人生がスルーされるならば、まるでカキワリに過ぎないじゃないの、とついついキツめの感想を持ってしまうのだ。

でもまぁ、先述したけど、本作は、主役は猫だからね(爆)。それで言っちゃえば、今はもう鬼籍に入っている大吉の奥さんだって、感動エピソードである残されたレシピノートの扱いもかなりおざなりというか(爆)。
ちょうど探していた豆ごはんのレシピが(探している大吉の背中に無心に乗っかっているタマが可愛すぎる)開いた一ページ目に載っている、って、カンタン過ぎる(爆)。

そしてたった四ページで終わっているレシピにガクッときながらも、その後を続けていこうと決心するのはいいのだが、「よしえさんは飽きっぽい性格でもなかったのにねぇ」というのならば、レシピノートを記していこうと彼女が思った動機がきっとあった筈、なんだよね。
まぁ単純に、病を得た彼女が夫のために残したんじゃないかとか思うのだが、確かにそれはベタな考えかもしれんが、でも四ページのレシピノートを「飽きっぽくはなかったのに」とそのままスルーするのは、どうなのよー!

大吉が突然、心臓に異変を覚え、入院することになる。東京に住んでいる息子は、それまでも提案してきた同居を遠慮がちながらも再び強めに勧める。沈黙する大吉。
退院して、タマが姿を消してしまう。三日間、見つからない。仲間たちは、「猫が姿を消す時は……」と言いかけて言葉を濁す。

いやだ、まさかまさか、そんな幕切れにしないでよぅ、死を感動にするのは人間だけにして!!と絶叫しながらもはや涙目になっていたが、タマは何事もなかったかのように、大吉にお土産の魚を玄関に放り出して帰ってきていた。
ものすごーくホッとしたが、つまりはなんだったの(爆)。しばらくいなくなっていた大吉に対するアテツケ??それとも元気のない大吉にお土産を持ってくるための旅??いやまさか……。心配させるためだけのエピソードだとしたら、ヤメてよーッ。

やっぱりね、外猫が幸せと言いたげな感じにも思えるから、複雑なんだけどね。確かにさ、猫映画を魅力的に作るには、家猫じゃムリがあるさ。
散歩が必須の犬派の人々にとっては、家猫と暮らしているワレワレは閉じ込めてる、虐待とまでは言わないが、ラクしてる、猫の本来の幸せを奪っている、と思われているんじゃないかと常々思っているから……こういう映画に仕立て上げられると、かなーり複雑な気持ちになるのは事実。それも足を運ぶのに躊躇した理由のひとつ、かもしれない。★★★☆☆


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