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「わ」


2019年鑑賞作品

ワイルドツアー
2018年 67分 日本 カラー
監督:三宅唱 脚本:三宅唱
撮影:三宅唱 音楽:Hi'Spec
出演:伊藤帆乃花 安光隆太郎 栗林大輔 山崎隆正 伊藤己織 高椋優気 増田結妃 桝田七海 渡邊芽惟 渋谷圭香 河村百音 川俣実穂 福田未空 横山南 小林功弥 藤原緑


2019/4/22/月 劇場(渋谷ユーロスペース)
なんとまぁ、摩訶不思議な映画。映画というものの定義を考えてしまう。オフィシャルサイトの監督さんのことばに触れても、まさにその部分で揺れ動いていたのだという。
企画自体が「最終的に映画でなくても構わない」という着地点だったということ自体が、オドロキである。そもそもこの、YCAM Film Factoryなる科学系ラボラトリーがフィルムメーカーと手を携えて何かを作る、というスタンス自体がどこから出たのか本当に不思議である。
それこそ、出発点であったというインスタレーションに参加する学生たちのビデオダイアリーぐらいしか、思いつかないではないか。

映画、という定義などはないのかもしれないが、学生たちのインスタレーションをドキュメントタッチ(というか、まんまドキュメントなのでは)でとらえる前半部分、山や海をひたすら歩いては採取する中盤部分におずおず、といった感じで彼らの会話や作劇が入り込み、後半部分に至っては完全に、青春片想いストーリーへと転じていく。
正直言えば、この起承転結にもならないぎこちない流れは、不自然というか、観ている側がどの立場でとらえていいのか、という戸惑いを感じさせる。しかしそれが、監督が頭からゴーをかけて、一般の中高生たちを演技させている頭ごなしとは全く違う、何とも言えない手作り感が満載なんである。

特に、劇中の設定では中学三年生の男の子二人の初々しさがサイコーである。彼らはこのラボで指導アシスタントといった立場の大学生、梅ちゃんに恋をする。かたっぽはわりとイケメン君で、もう一人は素朴君である。
イケメン君は、受験が終わったら梅ちゃんに告白しようと思う、と素朴君に打ち明ける。おっと困った、素朴君も梅ちゃんが好きなんである。イケメン君に黙って、抜け駆けして梅ちゃんに告白しちゃう場面はサイコーである。

だってさ、素朴君はいかにも幼くて、この年頃の男の子って幼い子は本当に幼い風貌だからさ……それが、「今はまだ子供に見えるかも知れないけど、来年には高校生だから」なんてかき口説く素朴君にほほえましい笑みがついついもれてしまうんである。
劇場中から、暖かな笑いがもれる。でも、イケメン君も、素朴君も、当然、めちゃくちゃ真剣なのだけれど……。

と、いうのが、後半になってかなりの突然感をもって展開する青春片想い篇、なんである。前半は正直、これは科学ドキュメンタリーか??と思うような展開。いや、実際、その側面はベースにあるんだよね。
山口県山口市にあるアートセンターが舞台になっていて、中高生たちを対象に、この地域に自生している植物を集めてDNAを調べ、植物図鑑を作ろうという、いわばワークショップなんである。

前半部分は若い彼らにその詳細を説明する場面から始まり、海にしても山にしても、かなり深い部分まで分け入ってフィールドワークを行うんである。
立ち入り禁止の看板は朽ち果て、それを何も気にせず入っていくリアルさ、なのに突然監視員が現れるのはちょっとしたサスペンス映画のように怖くって、後ろ姿だけで顔が見えないのも怖くって、何もない原野を突き進んできた彼らは後退を余儀なくされるんである。

中盤、後半はかなり完全に、イケメン君、素朴君の梅ちゃんへの恋のさや当ての感があるのだが、そもそも梅ちゃんは元カレとよりを戻したいアプローチをする、という段があって。
その元カレ君、通称ザキヤマ君が、ほんっと、フツーというか、ちょっと四角いガタイのいい感じの男の子なんだけど、何とも言えぬ、男の子!!という味わいなんだよね。

で、彼は女の子軍団を引き連れて、かなり険しい山道のフィールドワークに出かけ、途中脱落しそうになる子がいたりしてケンアクになりそうになるのだけれど、……多分だけど、この子たちは皆それなりにザキヤマのことが好きでさ。
口ではそれこそ、ザキヤマと呼び捨てにしたりして、いかにもこの年頃の女の子のナマイキさがあるんだけど、何気なく彼の隣に座ってみたり、目線が合いそうになるとそっと外してみたり、とたんに会話がぎこちなくなってみたり、女の子が年上の男の子をちょっと好きになっちゃった緊張感が、伝わってくるの!

地元に自生する植物への敬意の念と、それが分け入っても分け入っても判然としないサバイバル感。ぬかるみに長靴がとられて大騒ぎになるのも青春だし、その映像を何度も見返して(梅ちゃんだから)、恋心を確信するイケメン君のシーンの切なさだったり。
あぁ、こういう、彼女の映像の画面に自分の顔が反射して映り込むとか、懐かしいような胸キュン場面なのだなぁ……。

10代の青春映画の舞台といえば、もう今や少女漫画が原作で、ブレザー制服のミニスカートで、壁ドンはもう古いのかもしれんが、とにかくそんな感じで。
でもここでは、まずフィールドワークなのだ。DNAなのだ。顕微鏡を覗き、採取している映像を見返して、フィードバックする。あくまで、学生の本分である、学習である。

しかし学生時代は常にもれなく、恋がついてくる。先述の跋扈している青春映画は、本分の部分が完全に欠落していて、それを誰も疑問に思っていない、ということがおかしいのかもしれないと思う。
自分の将来や、やりたいことを考えて、勉強なりして、次に進もうとすることがない学生など、いないだろう。今の青春ラブストーリー映画は、まるで恋をするために学校に行っているみたいだもの。

梅ちゃんは、アメリカに留学してしまう。そのことを、先に告白してしまった素朴君は知っていたが、イケメン君は知らずに、自分の気持ちを伝えられずに終わってしまう。
イケメン君に告白してくる同級生がいる。もう本当に、抱きしめたくなるほどフツーの明るい女の子で、玉砕覚悟で撃沈し、「好きな人がいるんなら、絶対に告白しなきゃ後悔するよ」だなんて、いい子すぎる……。

この場面は、告白する側の緊張感、それを知らずに受けてにわかに緊張する感じといい、ひどく生々しく、実地の彼らと脚本も演出も話し合いながらおこなったというのが本当にうなづける。
この時の感性は、この時の感性でしかないんだもの。思い出そうとしても思い出せないし、思い出せたとしても、それは今のその年代の感性ではない。時に、作り手というのは、ノスタルジーだけでモノを作っているのかもしれないと思うことがある。でもここにはまさに今の感情がある。見てるのが照れちゃうぐらいの。

映画の定義というものを、本当に考えさせられた。でもそんなバカバカしい疑問を、若い彼らがすっ飛ばしたということなんだと思う。予想外の台詞を初々しく発する場面に何度もハッとし、頬が緩んでしまったよ。 ★★★☆☆


私たちは、
2019年 67分 日本 カラー
監督:勝又悠 脚本:勝又悠
撮影: 田辺清人 藤岡晋介 勝又悠 音楽:田中マコト
出演: 竹内詩乃 瑚々 広橋佳苗 水原雅 結城亜実 花影香音 藤江れいな 相楽樹 藤森真一

2019/8/7/水 劇場(新宿K's cinema)
少女たち五人の短編映画を、その制作過程をまずドキュメンタリーで見せ、その後で本編、という構成は初めてで、それだけで画期的で面白いと思ったし、なんたって少女映画というのに食指をひかれまくり。しかもただ一人のスター女優もいない、インディペンデントの匂いしまくりの生っぽさもたまらない。
しかし一人一人のプロフィルを見てみると、名のある作品の出演経験やCM、MV、モデルと華々しい活躍が見て取れて、なるほどそらまぁ何の可能性のない女の子を引っ張ってはこないなとは思うけれど、でもそこはヤハリ、キャスティングの慧眼、ということなのだろう。
なんたって2年前の作品なんだもの。そしてその後に彼女たちが数々の仕事をつかみ取り、今の彼女たちにとってはちょっとハズかしいかもしれない、初々しく、生々しい“新進女優”であった姿が公開されるというのは、なかなかにドラマチックな展開かもしれない。

本編となる短編映画は、ヒロインが物語の最後に「これで終わり?何も起こらなかったじゃない、とお思いでしょうが」と言うとおり、特に何が起こる訳でもない、五人の女子高生が、大人になりたくないを合言葉に、なんのあてもなく制服のまま、ローカル列車に乗って、ちょっとだけ遠くにいくだけの、お話である。
本当に、五人しか出てこない、その意味でいえば案外難しい作品なのかもしれないと思う。だからやっぱり、ドキュメンタリー部分にこそ、重きがあるのだ。

この構成はきっと、最初からのネライだったに違いない。作品そのものの物語性で観客を惹きつけるんじゃなくて、この五人がいかにしてこの作品に向き合い、闘い、時に自分を捨て、時に自分を主張し、あらがっていったかを、見せるために。
誤解を恐れずに言えば、本編部分は稚拙にも見えるほどの小さなロードムービー。そのフィクションの分身を自分自身として生きるために奮闘した、女優たちの闘いの日記なのだ。

とはいえ、その闘いの日々が描写されるのは、最後のほんの数日に過ぎない。それはちょっと、残念だった気もする。この五人に絞られるまでの過程とかも観たかった気がする。
五人の中で最後まで主役を争う瑚々嬢が撮影当時13歳だったというのが衝撃で、そしてオーディションの前身のワークショップに参加していた頃はランドセルを背負っていたんだというんだから恐れ入る。

改めてデータを見ると五人は案外と年の差があって、JKの物語だが当然瑚々嬢は中学生になりたてほやほやの状態、高校生ギリギリのお姉さん、と差があったのに、観てる時には、まあ……私が年をとって、若い子は皆おんなじに可愛く見える生だったのかも知らんが(爆)、そんなの、全然判らなかった!
ただ、主役争いから早々に離脱する、というか、自分がやりたい役柄を見つける三人が、後から考えると確かにお姉さん然としていて、余裕があるというか、バチバチに主役の座を争っている妹二人を心配している、という感が、あるんである。
本当に、後から思えばで、観ている時にはみんな同じく若く可愛い新進女優で、判で押したように、女優さんになりたい夢を語り、本読みだってなんだってすべてがたどたどしく、監督が彼女たちを鼓舞するために呼んだと思しき先輩女優たちに比べて、プロ意識なんて皆無に近い。見てる時には、ホント差なんてほとんど感じなかったんだけれど……。

「今日はゲストが来ています」という監督の言葉で稽古場に招き入れられるのは、彼女たちよりほんの少し、いや、それはオバチャンの感覚だな、彼女たちにとっては大先輩の、20代の女優たちである。
うんうん、見覚えのある女優さん、いる!たった数年の違いで、ひょっとしたら3、4年の違いで、そのプロ意識、風格、誇り、すべてが彼女たちと違う。

判りやすく、台本を覚えてきてないとか、自分がやりたい役の台詞しか覚えてないとか、そこで五人に亀裂が入り、女優としてどうあるべき、というのを、この若き女優たちが、はやぶつけまくるんである。

結果的にヒロイン役を勝ち取った竹内詩乃嬢はヒロインを勝ち取りがたいために、その他もストイックに詰めまくり、他の四人と、というか、瑚々嬢と衝突するに至る。
後から思えば、後の三人がまあまあとなだめる役割だったのは、人それぞれやり方があって、他人のやり方に自分がメーワクを被っていると感じることこそが、まだまだ若い考え方なのだということを、そこまで詰めて明確に思ってはいなくても、この二人の衝突に感じていたんじゃないかなあと思ったりするんである。

主役に執着するのは、当然だし、この若さで競争心がなければ、やっていけないさ、とは思う。でも、じゃあ主役を獲得して、自分が観客の心をキャッチできるかどうか、というのは、また別問題である。味のあるワキ役に注目がいって、後々そのワキ役で語られちゃう、というのはよくある話である。
瑚々嬢と主役を争った竹内詩乃嬢とでどちらに目がいったのか……私は二人以外の、ムードメーカー役(それは、本編でも、ドキュメンタリー部分においても)であった結城亜実嬢であった、んである。
これもねぇ、あとから、瑚々嬢とは実に5歳差、詩乃嬢とも3歳差であったことを知ると、なるほどなあと思っちゃう。だって彼女、もうすっかり女優としての顔が出来上がってたんだもの。

この日たまたま舞台あいさつにぶつかって、亜実嬢が来ていたのだが、もう全然!色気ダダ漏れの大人の女!!……女の子は2、3年で急に変わるのは判ってたが、驚いたなあ……。
ドキュメンタリー部分でも本編でも、ムードメーカーということはつまり、仲間たちの調和を、雰囲気悪くなることを、常に気にしているということなのだ。その役に、早くから手をあげて、何が何でも主役をやりたいとか思わない、2、3年の差でそういうことが起こり得るのが、凄く面白いと思って。

だからね、実は、結果的に主役をバッチバチの末に勝ち取った詩乃嬢は、実はその先こそに闘いがあるということを、判ってなかった訳じゃないけど、ちょっと負けちゃったかなあ、という気がしてる。
これはかなり厳しいんだけど、劇中でも、実は技術においては彼女は難があるんだけれども、という話が出てる。でも役への執着というか、情熱は一番で、それは凄く、大事だと。
……恐らく、瑚々嬢の方が、年若いのにそういう点では技術的な腕があって、だからこそ、ちょっと難しいガリベン少女役を任せられることが出来て、それが言葉遣いから独特のキャラクターでひときわ目を引くのだ。

主人公はいわば狂言回しというか、ナレーション的というか、大人になりたくない私たちを客観的に見て、観客たちをいざなうというか。単純にキャピキャピ言ってる場面でも、クライマックスのカラオケの場面でも、まず席の配置で彼女だけが一人で、対四人、という図式が圧倒的に多かった。
これは凄く難しい図式だ。物語上、語り部である、そして五人の中では最も“普通”な、こだわりを特に持たない存在である、というのは、形として主人公でも、名ばかり、というか……。

尺の短さもあって、彼女の思うべきところをたっぷり吐き出せるということもない。むしろ、道中ワガママを言う子や、それをたしなめる子、自分が言い出したから、と落ち込む子の方が、キャラがたってしまう。
ただ黙って見つめるばかりの場面が多い主人公に、いつ見せ場が現れるのかと、……それは、ドキュメンタリー部分を見ていたからこそ思うことであって、単純に本編だけを見ていたら、彼女の印象は正直……薄かったと思う。
凄く残酷だけど、主役を獲得することだけに命を賭けて、そのことだけが今の私のできることだと思って、一緒に戦う仲間と距離をとってまで勝ちとっても、こういう結果になるのだなあと。いや、これは私の勝手な感想に過ぎないんだけれど……。

ただ本当にね、本当に、ここから先はどうなるか判らない。どんなに私が心ときめいた少女女優も、監督が目をかけた女の子でも、否、そういう子であればあるほど、なぜか生き残らないものなのだ……。
あの時のあの子が今どうなっているんだろうと、わざわざ振り返る必要がないほどに、五人に活躍してほしいと思うし、それだけの慧眼が本作にはあったと思う。
ワークショップで小学生の瑚々嬢が参加していたなんてね!凄いじゃん!!瑚々嬢はちょっと満島ひかり嬢を思わせる魅力がある。そして私のお気に入りは結城亜実嬢。ちょっと気をつけて見ていきたいなあ。★★★☆☆


わるいやつら
1980年 129分 日本 カラー
監督:野村芳太郎 脚本:井手雅人
撮影:川又昂 音楽:芥川也寸志
出演:片岡孝夫 松坂慶子 梶芽衣子 藤真利子 宮下順子 神崎愛 藤田まこと 緒形拳 渡瀬恒彦 米倉斉加年 山谷初男 稲葉義男 梅野泰靖 神山寛 滝田裕介 西田珠美 雪江由記 香山くにか なつきれい 小沢栄太郎 佐分利信

2019/7/26/金 劇場(神保町シアター)
うわー!めっちゃめっちゃ、面白かった!!タイトルで全部バレてるような気がしないでもないけど(爆爆)、でもしっかり驚いた!私、ミステリの推測めっちゃ苦手だから、すんなり驚いちゃう。
松坂慶子までが“わるいやつ”らだとは驚いたなあ。なぜ驚く。冒頭既に、彼女が手玉に取ったと思しき男から、華やかなファッションショーのさなかに、衆目の中でビンタくらわされてたじゃないの。
なのになぜ、それは彼女が美しく才能があるからバカな男がのぼせあがってカン違いしただけだ、なんていう周囲の雰囲気に騙されちゃうの。それこそそうやって、ここでまた一人、彼女の魅力に落ちちゃったバカがいたじゃないの!!

コーフンしすぎてネタバレオチバレし放題である。んでもって、ここで彼女、若き美貌のデザイナー、槙村隆子の魅力にゾッコン参っちゃったのが、総合病院の二代目、つまり能無しのボンボン、色男だってのが始末に負えない戸谷信一である。
演じるは片岡孝夫。片岡孝夫、かあ!そうだそうだ!!キモい長髪にでっかい色グラスかけて細身のスーツ姿がキショさ満点だったから、しゅっとしたハンサムの片岡孝夫がなかなか浮かんでこなかった。まんま片岡孝夫なのに。なぜ気づかぬ(爆)。

確かにこの時代、こーゆー色男はいそうである。まあ確かにハンサムではあるし……。彼には奥さんはいるけれどだいぶ前から別居状態。そもそも結婚なんぞしたのがコイツにとっては間違いだったのではあるまいか。
その色魔の血はどうやら父親から受け継いだらしく、彼のそばで婦長としてはべっているのは亡き父親の二号さんである。

物語の中盤、今やすっかりアイソをつかしたこの婦長、寺島トヨを遠ざける理由として、「父親の法事に出てくれ。僕以外では君が一番近しいだろ」と残酷なことを言って追い払ったりする。
信一の誤算、というかカン違いは、自分の魅力にすべての女が参っていると思っている点であり、その点が正しかったのはこの寺島トヨただ一人だった、のだよね、結果的に。彼女を正しく愛していられれば、何もコトは起きなかったのだろうが……。

ところで、彼をとりまく女優陣にそろいもそろって色っぽい名前が揃っているので、それだけで足を運ぶ理由になったというのは本音である。だって、松坂慶子、宮下順子、梶芽衣子、神崎愛、藤真利子って、こんな映画を観たという話を上司にしたら「全員脱いでるじゃん」と、成人映画だと誤解されたぐらい(爆)。
しかして劇中、お脱ぎになる(おっぱい見せる)のは意外や宮下順子のみである。別にいいけど(爆)。そしてそれが、この女たちの中でただ一人、真実彼を愛していた(妄執と言うべきかもしれんが……)寺島トヨであり、まあ言ってしまえば親子どんぶりだけど(爆)、でもだからこそ、彼女はこんどこその真実の愛がほしかったのかもしれない。

最初、彼女が奥さんなのかと思った。同じ家に住み込んで、電話だって当たり前のようにとるしさ。でもいまや信一は彼女に手を触れようともしない。いつでも火遊びに夢中の彼は、今は横武たつ子というはかなげな美女の夫殺しに加担している。
それはまるで、ゲームのように見えた。彼が処方する薬は絶対に足がつかない。風邪薬だと押し通すことができる。その薬を与え続けてじわじわと自然死に見せかけるはずが、どこで狂ったのか。

たつ子の夫が死ぬと、警察が介入してくる。それでなくても夫の死の直前のたつ子は、自分のしていることの恐ろしさに怯えて、どうか自分を捨ててくれるなと、信一にヒステリックにすがりついた。家までも押しかけて来た。
それを冷たくさばくトヨこそが恐ろしかった。トヨはすべてが見えているからこそ、恐ろしいのだ。信一の最大の誤算は、本当に、トヨだった。古い付き合いの彼女をそれに甘えて切って捨てたのが。ドンファン気取りで、捨てた女にいくばくの情も残さなかったのが。

二番目に捨てた女を消す手助けをさせたのが、いけなかった。いや、この言い方は正解じゃない。トヨが独断でたつ子を毒殺したのだ。実際信一はたつ子にヘキエキしていたし、自分から手を下したかもしれない。その気持ちを見越して、あなたは一人じゃ危なっかしいから、と代わりに手を下させるのをこの時容認してしまった時からすべてが始まったのだ。
いや、考えてみれば、信一があんなにも自信を持っていた薬に足がついたこと自体がおかしい。もうこの時点でトヨの、いや……“わるいやつら”の囲い込みは始まっていたのではないか。

結局さ、悪ぶってる信一がヨワヨワで、てゆーかアマアマで、“わるいやつら”にとりいられて、破滅する、というスタンスなんだけど、でも結果的には、彼に一度は魅入られたからこそ、こういう物語が出来上がったのだろう。それは嫉妬であり、憎しみであり、復讐であり。
だって、女たちばかりではない。信一の腹心ともいえる、経理全般を任せていた、幼馴染の下見沢の裏切りこそが、一番のイタさなんである。

……つーか、信一が、ボンボンの傲慢さで、下見沢をカンペキに下に見ていた、下僕扱いしていたことがこの決定的な裏切りを招いたことは想像に難くない。本当に頭のいい人なら、心の中にそうした傲慢さを隠し持っていても、決して表には出さないもんである。
どういう事情でか、下見沢は信一の父親に拾われ、大学まで出させてもらったということがあるんだという。彼が酔った愚痴で言う、自分の方がよほど優秀だったのに、ぼっちゃんに遠慮して、三流大学にしか行けなかった。ぼっちゃんは一流大学を出た。そして俺はしがない経理担当……。
恐らく信一は、この愚痴を散々聞いてたにも関わらず、下僕だから、聞き流していたのだろう。自分を裏切ることなんて、つゆないと、疑いもしなかったんじゃないか。なんてバカ!!

下見沢を演じるのは藤田まことである。ある一時期からすっかりテレビドラマで純情派を張っちゃっていたので、こうしてスクリーンで彼を見ると、それがどんだけもったいないことだったか判ろうというもんである。
軽快な関西弁もよく似合う。最後の最後までぼんに対する忠誠心を信じ切らせて、貯金額の残高の数字だけで裏切りを知らせる。ゾッとする。

一番のミステリは、たつ子の殺人の手綱を握らせてしまったことで、信一への独占欲が爆発してしまった婦長、トヨとのシークエンスで、まーまーまー、たった一人、おっぱいを見せるにふさわしい(爆)、執念を見せる。
信一が高嶺の花に恋をしている、隆子の事務所から追い払われた時、追ってきたトヨと痴話げんかになる。殺す殺さないの騒動になり、なんとか車に押し込めて、信一が向かった山林……こういうシチュエイションは、彼女を疎ましく思い始めてから実は、何度も思い浮かべていたんじゃないのか。

たまりかねてという雰囲気で、場末のラブホテルで絞殺する。その死体を誰も踏み入らない筈の山林に捨てる。しれっと捜索願を出す。
なのに、その“死体”が見つかったと警察から連絡がきたその場所は、まるであずかり知らぬ場所だった。うろたえる信一。隆子にどんなにソデにされようと、それまでは上品にやんわりと対応する隆子に自信を持っていたのに、それもまた急に明らかな拒絶になる。
隆子のために用立てた金が行方不明になる。用立てた金をスムーズに返すための金づるだった料亭の女将ものらりくらりと身を隠す。金が欲しいために、彼女の夫をこれまた毒殺した矢先だったというのに……。

料亭の女将、藤島チセは梶芽衣子。これまた酸いも甘いも噛み分けたってな雰囲気が満点て、色っぽいったらない。彼女の資金を自由に使えるようにする、それだけのために、彼女の夫を、彼女が疎ましく思っているという、いわばアイマイな理由で毒殺する。
チセの言質をきちんととっていないのに……いくらなんでもこのあたりから、観客、つーか、私でさえ、彼の甘さに気づき、苛立つ。彼女だってきっとこのわるいやつらの輪にどっかでかんでいて、あいまいな意思表示のまま、彼に夫を殺させようとしているんだと!!

その場その場では完璧にやっている自信があったのだろう信一が、女たちの思いがけない拒絶にどんどん孤立していくのが恐ろしくてたまらない。
そして石見沢の裏切りによって決定的に……信一を問いただす刑事は、ムチウチのギプスをはめた緒形拳。一見コミカルに見えるその設定でキャラを柔らかくさせながら、実際、柔らかい物腰を崩さずに信一を追い詰める緒形拳が素晴らしく怖く、出番としてはチョイなのに、本当に凄くって……。

わるいやつら。結局はすべてがわるいやつら。一番は、あまあまのあまちゃんだった信一。演じる片岡孝夫の色悪っぽさにヤラれてしまう。女たらしの実力もないくせに、極悪犯罪に手を染めていくのが、本当にバカだと思っちゃうのだ。女がヒステリー起こしただけで、ロクな対処も出来なくなるのが本当にバカだって……。
友達と言えるのが下見沢しかいなくって、それを盲信しているのも痛々しい。下僕扱いしていたくせに、きっと信一は本当に、親友だと思っていたに違いないのが、痛ましくてたまらないのだ。

証言の場にたった女たちの中で、自分こそが悪かったのだと言ったのはトヨだけだった。しかしそれもまた、周囲の同情をあおり、信一の心証を悪くするためのもののように見えた。
隆子は信一を裏切った石見沢がまんまと手にした横領金をしれっと使って事業拡大、石見沢はマネージャーに収まるというアゼンの展開。弁護士からは、信一のうかつさがまねいたことで、証拠は一切とれないと言い渡されてしまう。

しかし、信一の無期が確定、網走に護送される船の中で、かつて信一が見た場面と同じような、隆子に裏切り者と襲い掛かって捕まった石見沢の記事を見る。
デジャブ。冒頭の同じような場面で、そんな隆子にこそ心惹かれた信一がいたのじゃなかったか。逆恨みの男をさげすみ、自分のような男こそが彼女を救えると思ったあの時。
松坂慶子の美貌と不思議な清楚さが、確かにそれを観客に信じさせていた。あの松坂慶子が脱がなかったし、なんて……。

いやー、ヤハリヤハリ、松本清張の凄さを改めて感じ入る。そして、今更ながら、こんな役者が、女優が、今の世にいるだろうかと思っちゃう。
クレジット見ただけで、色っぽい女優陣、脱ぎそう、だなんて思える時代は過ぎ、それがいいのか悪いのかは判らんが……悪女たちの見ごたえ半端なくて、もー、凄かった。★★★★★


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