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「ふ」


2020年鑑賞作品

ファンシー
2019年 102分 日本 カラー
監督:廣田正興 脚本:今奈良孝行 廣田正興
撮影:神田創 音楽:ジェイムス下地
出演: 永瀬正敏 窪田正孝 小西桜子 深水元基 長谷川朝晴 坂田聡 今奈良孝行 飯島大介 吉岡睦雄 阿部英貴 外波山文明 尚玄 澤真希 佐藤江梨子 つぼみ 田口トモロヲ 榊英雄 ガンビーノ小林 宇崎竜童 川口貴弘

2020/2/20/木 劇場(テアトル新宿)
舞台はさびれた温泉街。いかにもワケアリ、常にサングラスを装着した無口な郵便局員の男。
山の上の瀟洒な洋館に住む詩人、ペンギンの元には毎日ファンレターがどさりと届き、それを配達がてらペンギンとたわいのない会話を交わすのが郵便屋さんの日課である。

郵便屋さんの正業は彫師。父親からその腕を受け継いだがどうやら言えない過去があるらしい。時折山奥に分け入っては、盛り土にタバコを線香代わりに立てて手を合わせている。
昔からの知り合いのヤクザの二代目は、自分の柄に合わない跡目に愚痴ばかりこぼす。郵便局長も“ダブルワーク”として射的屋の裏で女の子をあっせんし、そこに勤めている女の子が局員の嫁だということでひと悶着あったりする。

なーんにもないさびれた温泉街に、雇われヤクザに宅配便の拳銃、つまらないプライドの元に何も生みださない抗争が勃発。
一方でペンギンの元に文通していたファンが押しかけ女房よろしくやってくる。郵便屋さんは友情からそんな女に関わるなと忠告するが、結局は彼女の欲望のはけ口になる形で三角関係になってしまい……。

本作が山本直樹原作だというのは知らなかったんだけど、観た後にまずそれを知って、……なぜそれでこんなにちぐはぐな(まあ言ってしまえばツマラナイ)映画が出来ちゃったのかなあと原作を探ると、ヤクザの抗争のくだりはないんだという。……なぜこれを入れたかと。尺の問題?それとも自分のオリジナルな世界にしたかったのか??
それに加えて彫師という設定や、その親子間の複雑な感情の入りまじりと過去回想まで加えて描くとか、そこだけすっぽり陳腐な要素ばかりで、なぜこれを付け加えてしまったのかと、本当に首をひねらざるを得ない。

そもそもの、ロマンティックな詩人がペンギンだという設定自体、もはや映像化は不可能だろうという山本氏らしいシュールな原作だという。しかしそれを押して友情と恋愛と嫉妬のこの奇妙で切ない三角関係を映画にしたいという気持は判る気がする。
だから、原作でまったくのペンギンとして描かれている詩人を、ペンギンのような生態の引きこもりのような青年にするのは、悪いアイディアではなかったように思う。その点だけを譲歩し、いや、その譲歩を映画だけの魅力に変えて、濃密なラブストーリーが作られたのならばと思ってしまう。

ヤクザ、なぜ彫師。さびれた温泉街で描かれる血なまぐさい抗争が一気に陳腐に引きずりおろしてしまう。
それはペンギンとその詩人先生のところに押しかけてきた現実離れしたファンの乙女、そしてその二人の間に入る形になる謎の郵便屋さんというひどく魅惑的な関係と完全に乖離して、居心地の悪い思いばかりを抱えて観続けることになってしまう。そのせいで長い……と感じてしまうのならば、こんな本末転倒はないではないか。

原作では、まさにペンギンだから、お嫁さんになりたいと押しかけて来たファンの女の子とセックスなんて無論出来ず、せいぜい添い寝して手を握るぐらい、だという。この原作はめちゃくちゃ読んでみたい。ペンギンのまま女の子と切なくかわす手の握りあいなんて、確かにめちゃくちゃシュールだけど、こんな究極の純愛はないではないか。
恋愛は性愛への渇望になり、それを与えられないペンギンと性愛ではなく性欲を満たすがために郵便屋さんとつながってしまう彼女、だなんてめちゃくちゃ切ないではないか。

……これが、これがねえ、そうさ、そういうのだったら、見たかったわ。悪いアイディアではなかった、とか書いちゃったが、やっぱりそこは、違った気がする。ペンギンを人間の青年にしちゃったことで、そして郵便屋さんのひと言「あいつは不能」というのだけで、ペンギンだから彼女の愛を満たせてやれない、ということとは全く意味が違ってきちゃうのだ。
人間の青年である彼が性的不能者である理由さえ明らかにされず、というか、そもそも原作がペンギンそのものなんだから、という理由だけで、不能キャラにされてしまったような安直さを感じる。
人間の青年である彼がセックスしたいとか、女の子に触りたいとか思わない訳がないからという方向に結び付き、郵便屋さんが引きこもりな彼を外に連れ出し、ストリップショーなんぞを見せて彼のまなこを開かせる、だなんてなんとゆー古びた発想か。

郵便屋さんがバツイチで、元妻の手に残された娘に会いに行くというシークエンスも、うわー、何百回こーゆー設定見たかしらと思い、……何度も言いたかないが、陳腐極まりない。元妻の恋人は彼とも旧知の中らしく、如才なく二人は挨拶を交わす。
どことなく、このタトゥー職人の彼が娘をなで繰り回す様が気味が悪く、そーゆー展開をついつい期待したが、あっさりと「お母さんが幸せになってもいいよね?」などとこれまた陳腐極まりない台詞を娘に吐かせ、郵便屋さんは娘をぎゅっと抱きしめるとゆー……何十年前の設定やねん!!

「バカにしないでください。経験はあります」とか豪語していたファン乙女だけど、でも多分……処女だったんじゃないだろうかと思われる。元妻、娘に別れを告げたことでヤケになったのか、ほんの気まぐれか、ファン乙女を抱き寄せてキスしちゃう郵便屋さん。
ペンギンの替わりに出席する出版社のパーティーに向かう前の出来事だったが、すっかり動揺した乙女は慣れない酒をがぶがぶ飲んで、むしろ自ら隙を作っているのを郵便屋さんが優しく受け入れたがごとく、ホテルに入ってくんずほぐれつ。
それ以降はあれだけ敬愛していたペンギン先生には目もくれず、彼女の方から郵便屋さんを誘いだしてはセックス三昧。その事実をペンギンに明かすことはなかったにしても、外出がちになった彼女のことを郵便屋さんが「だってお前じゃ、どうしようもないじゃねえか」と言い放ったことで、彼は多分、大方の真実を推察したに違いなく。

ペンギンを人間の青年にしたならば。そして裸の女の子に衝撃を受けたり、花嫁志望で来てくれた乙女に応えたい気持ちがあったならば。この設定にしたならばの責任あるというか、思い切ったというか、だってそもそもこの大家の原作をオリジナリティという名のもとにぶっ壊したならば、彼の葛藤や嫉妬を見せてくれなければ話にならないじゃん、と思っちゃう。
見てる限りでは判らなかったな……“二人の関係を察して、体質的に耐えがたい太陽の元に飛び出していく”だなんて。なんとなーく察しているのかなという感じはなくはなかったけどうっすらで、直接ぶつけることもなく、友情を壊すこともなく、彼女が出て行ってなんとなーく二人の関係は復活。
……原作そのままに、ペンギンそのものだったらそれもまた切なさに変換できたのかもしれないが、生身の人間の青年にしちゃうんならやっぱり話は別なんじゃないのと思っちゃう。

局長にトモロヲさんだったり、局員に吉岡睦雄だったり、この二人の私的感情たっぷりのバイオレンスシーンはなかなかに見ごたえがあったりと、まあ確かにオリジナルのプラスアルファで楽しい部分もなくはなかったけど、でも、でも……やっぱり、ヤクザはないわと思ったなあ。
そして、彫師の父親からのアイデンティティ的な部分も、あまりにも見飽きてると感じてしまう。古き良き時代の日本映画の中なら成立したものが、現代的魅力に満ちたシュールな原作の元には、あまりにもちぐはぐにしか感じられない。女の子が脱いでくれたって、なんか脱ぎ損である。

きっと作り手さんは、原作が、そして山本氏が大好きに違いないのだ。だからこそ映画化したいと思ったに違いないのだ。
ならばなぜ、である。自分のものにしたかったのか、自分の力を見せたかったのか。すべてはノーである。優れた原作であればあるほど、つまらぬ改変は見るに堪えない。誰か他の実力者に作り直してもらいたい。★☆☆☆☆


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