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「む」


2020年鑑賞作品

娘の中の娘
1958年 90分 日本 カラー
監督: 佐伯清 脚本:須崎勝弥
撮影:三村明 音楽:米山正夫
出演:美空ひばり 山村聡 小野透 高倉健 今井健二 長谷部健 三原浩 北川恵一 中村雅子 峰博子 星美智子 三條美紀 山東昭子 友野博司 小川虎之助 神田隆 明石潮 英百合子 須藤健


2020/6/28/日 劇場(神保町シアター)
オープニング、お鍋の蓋がことこと鳴りだすだけで、ひばり様がリズムを取り出す、もう心ワクワク。もちろん要所要所にひばり様の素晴らしい歌声。なんたって、この頃のひばり様の可愛らしさ、それには毎回ノックダウンなんである。
しかしこのイメージはまたちょっと、新鮮だったなあ。これまで映画で見て来た彼女からはちょっとお姉さんな感じ。“学校を出たばかり”のその学校は高校なのか大学なのか、二十歳は超えていそうな雰囲気だから大学出なのかなあ。この時代にそれもなかなか珍しいような気もするが。

まあとにかく、男やもめのお父さんを気遣って、自分が主婦として切り盛りすると宣言している桂子。
しかし女中さんもいるし、劇中では桂子が“切り盛り”している場面は今ひとつ感じられないが、精神的な面でということなのだろうか。そしてまだまだ生意気盛りの弟もおり。

ひばり様が家庭にこもるなんてことは考えづらく、あっという間に転機がやってくる。お勤めしていた友人が訪ねてくる。結婚が決まって田舎に帰るのだという。お勤めしていることも、結婚が決まることも、桂子にとっては「青春ねえ!」なんである。
新鮮な感覚である。青春は学生時代に終わっちまうと思うこちとらにとって、実に新鮮である。しかも結婚もまた青春に入るなんて……。
桂子は「若い男性が周りにいない。あ、いたわ。八百屋の小僧さん」と言って笑うのだが、その八百屋の小僧さんはおませな女中さんとイイ仲だったりするんだから、こんな小娘ちゃんにまで桂子は取り残されているんである。

この女中さんがまた、イイ味出している。いかにも幼い、田舎だしの女の子なのだが、ボーイフレンドの小僧さんに“旦那さんのお古”を勝手に作り出して(ちょっと破っちゃったりして!)、田舎の兄に送るんだとウソをついて横流しするという無謀さである。
時に家族がいない隙を盗んで家で逢瀬を楽しもうとしたら、そこに桂子が帰ってきて慌てるシーンも面白い。一時間でおしゃべりをやめようと目覚ましをかけていたのを忘れてて、ベルの音に驚いて紅茶茶碗を落としちゃったり。こういう幸福なコメディシーンが豊富なのは、当時の映画の幸福さよね、と思っちゃう。

この友人の代わりに採用してくれるんじゃないかと一念発起して、桂子は入社試験を受ける。主婦として家庭を守ると言っていたのを覆した理由は、「私が外に出ないと、お父様がいつまでも再婚なさらない」なかなか強引な理由だが、この父娘はとっても仲が良く、とゆーか、家族全員とっても仲が良いのだが、桂子はお父様は再婚なさらないの?と直截に聞くのだ。
父親に恋人がいることをつゆとも知らない時点でこうズバリと言うってことは、父親に男としての魅力があるって思っていることであり、実際なかなかダンディな父親であり、素敵な関係だなと思われる。

モテるためにと桂子が父親にプレゼントした若々しいネクタイが、キーマンならぬキーアイテムになる。恋人である料理屋の女将がそのネクタイを見て嫉妬する、彼は笑って、これは娘にもらったんだと言う。娘に会ってくれないかと言う。プロポーズよね!
そしてそこには後に桂子の運命の相手になる石岡がいる。同僚の友人、野村が恋人との別れの席にいて、その恋人ってのが、冒頭桂子が会っていた友人なんである。

つまり彼女は、親代わりに育ててくれた伯父の持ってきた縁談を断り切れない状態にあり、石岡が二人を鼓舞して、彼女は伯父を説得し、野村はそれを待って彼女と結婚する準備をせよと、ケツを叩くんである。
見るからに二人とも消極的で、自分なんかみたいな弱々しい感じで、案の定望まない結婚寸前まで行くのに野村は何も出来ないみたいな腰抜けカップルなのだが(爆)、そこを山男、高倉健がスパーン!!と乗り込んで、若干空回りしつつも(爆)解決するという。

そんな具合に、もう次々にカップルが出来て、最終的には五組?六組??メインにたどりつかないわ!!
桂子は無事入社試験を突破、一緒に試験を受けて仲良くなったメガネ美女、靖子と共に合格するのだが、その一連が楽しくて仕方ない。
まず、二人の出会いは駅である。フランスの首相の名前を突然聞いてくる靖子。答える桂子。ヘンな人ね、と一緒にいた父親と話してる。

しかして試験会場で再会。このライバルの中で採用されるのはただ一人、でもなんだか気の合う同志で離れがたく、採用通知を交換して見ましょうということになる。
交換し、お互いが合格の通知を見て、ガッカリしてとり落とし、ひばり様がムーディーに落ち込みソングを歌い、その間に落とした通知をクズ屋さんがぽいと背中のかごに放り込む。真相が判って慌てて二人してそのクズ屋さんを追いかけていくまでの、なんと幸せに出来上がったシークエンスよ!

ちょっと先に言っちゃうけど、この靖子は会社の鼻つまみ者のボンボンに引っ掛けられ、ポーッとなっちゃって、はたから見てる桂子はハラハラしてる。わっかりやすいコネもんのボンボン。ちょっとカワイイ顔してて、今でいうならばジャニーズ系、みたいな。
社内で女を食い散らかしていたらしく、最終的には社内中の女たち、そして恐らくその女たちに恋してた男たちから糾弾されるという、胸のすく場面が用意されてる。

ここに至るまでに、様々な恋愛模様、人間模様がてんこ盛りなんだけど、なるほど、桂子の言っていた“お勤めや結婚”が青春として成立した時代なのねと思っちゃう。ふと、私の父親のことを思い起こしちゃう。まさにこの時代に“青春”を謳歌していたのだと。
写真やエピソードを聞くとね、ホントに重なるのよ。会社の男女仲良くハイキングに行ったり、スキーに行ったり、きっと本作に出てくるように、屋上でフラフープやバレーボールも楽しんだのだろう。
女性がお茶くみをさせられるとか、そんなこともカンに立たずになごやかに“青春”を過ごせたこの時代は、男女平等感が、違う意味で今より成立していたのかもしれないと思っちゃう。

桂子と石岡の接近は、先述のように彼女が父親にプレゼントしたネクタイである。
桂子の父親の台詞の受け売りで、女将がたまたま来ていた石岡に、まあ桂子の父親と妙に気が合って一緒に歌い上げたなんていう経過もあってだろうけれど、愛娘からのプレゼントというのに、ちょっとしたヤキモチもあったんだろう、自分が用意していた渋いネクタイをしめさせて、若々しいネクタイを石岡にあげちゃうのね。まさか石岡が桂子と同じ職場になるなんて、そんなありえない偶然があるとは思わなくて!!

しっかし、石岡を演じるのが高倉健さまさまであり、後のイメージから考えるとありえない、ガサツで不潔で(爆。あたまをかきむしって、フケを飛ばし、気に入ったネクタイを洗濯もせずにし続けて、汗とか拭いたりして、真っ黒。ありえん……)、なのに桂子以外にも思いを寄せている女子がいるという男。
いやさ、“桂子以外”とゆーのは、かなりイタい女というか、桂子が石岡に興味を持っているのをけん制しまくるあたりすでにイタしだし、ちょっとトウがたっているというか、こーゆーこというと現代ではアウトなのだが、オバさんカン違いしてるとゆーか(爆)。
しかしこのお姉さまにも岡惚れしている男子がいて、石岡をデートに誘った芝居のチケットを、「落としたということにしてくれ」とゲットし、しかし当然そんなことで彼女の気持ちはなびかないのだが、石岡が結婚したと知るとあっさりその男とくっついちゃうという……簡単だな……。

もちろん、石岡は結婚なんてしてない。友人の野村のために奔走したのが行き過ぎて、自分が野村だと装って野村の彼女の伯父に談判に行ったら、そのガンコさが気に入られちゃって、すぐにでも結婚式をあげよう!!てなことになっちゃう。野村がそれにショックを受けてしまうってのもあまりに腰抜けだが、そもそもだからこそこんな事態になった訳で。現代の女なら、こんな男願い下げだけどねえ。
この誤解は無論ちゃんと後にとけるのだが、石岡は一緒に登山に出掛けた淑子(イタし女子ね)をこの緊急事態に接してあっさり置き去りにするし、結構キチク(爆)。コメディといえばそれまでだが……好意を寄せられているのがメーワクなら、二人っきりで山登りなんてするんじゃないよ……。

まあその時点で、桂子が石岡への想いを確定しきれてない、それより家庭内の問題、父親の結婚問題、弟の思春期ゆえの葛藤と反発が勃発していたということはあるんだけれど。
亡き母親を今も慕う幼き弟が、しっとりとかきならすギターと歌声にお姉ちゃんの桂子が、ごめんね、そうだよね、という感じでデュエットしてくるのが、ああ、今はありえぬ昭和のミュージカル映画!
今後、この家庭がどうなっていくのかは判らないけど、「姉ちゃんがいいなら、俺もいいよ」と殊勝に言う弟君はきっと、新しいお母さんとも仲良くなって行けるに違いない。

石岡と桂子の仲である。もー、周りがスゴすぎて、なかなか進展しない。石岡の学生時代のフットボール仲間として、いかにもシュッとした美丈夫が登場する。おっ、コレは、と思う。このままじゃ済まないのはアリアリである。
石岡が見た目も勤務態度もヨレヨレなのがわっかりやすいので、まさに恋のライバル!なのだが、あまりに対照的だし、あまりにイイ男だし、石岡と親友同士というのをしっかり示しているので、正直オチが見えちゃう。
だってこんなイイ男が、好き合ってる二人の気持ちを確認しちゃったら、ヤボな後追いはする筈ないんだもの。いやそれも、この時代だからなのだが……。

これが現代だったら、あんな男より自分の方が、とか、なんであんな自分より劣る男が君はいいんだとか、そーゆーぼってりとした展開になるに決まっているのだが、この当時はそうならない。イイ男はその点でもイイ男で、気に入った女が他に好きな人がいて、それが自分の親友でも、いや、親友でその価値を判っているからこそ笑顔で譲るんである。
まー、現実的に考えてありえないが、それが成立する時代を幸福に感じちゃう。今はしてくれない、勝鬨橋のはねあげのあっちとこっちで、桂子と石岡の両想いを確認済の彼が、ニッコリ送り出すというまっさにありえないハッピーエンド。

そんでもって、この作品中、やたらと出来上がった何組ものカップルが、新婚旅行先がカブらないように言い合いしながら長いベンチに詰めながら座り、最後にはこのカップルたちプラスその他の優しき共演者たちがラララーンとばかりに、共に富士登山に興じているという……。
なんかさ、落ち着いて考えれば、描きようによれば、修羅場ドロドロにいっくらでも出来るのに、なにこのさわやかなオフィスライフスタイル!ある意味奇跡の所業だよ。この時代に産まれたかったかもしれない……。★★★☆☆


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