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2020年鑑賞作品

のぼる小寺さん
2020年 101分 日本 カラー
監督:古厩智之 脚本:吉田玲子
撮影:下垣外純 音楽:上田禎
出演:工藤遥 伊藤健太郎 鈴木仁 吉川愛 小野花梨 両角周 田中偉登 中村里帆 小林且弥


2020/7/5/日 劇場(TOHOシネマズ錦糸町オリナス)
古厩監督の新作!と知って飛びあがり、慌てて駆けつけ、初主演の工藤遥、んー、知らない……でもこの字面なんとなく……とかすかに感じていたのは思い違いではなかったらしい。
なるほどモー娘。の子ですかい!すみません、常々気にはなっていても、最初の頃のように熱上げてはいなかったから……。なるほどこののんびりとした可愛らしいお顔で見事なボルダリングを披露するのは、モー娘。ならさぞかし足腰鍛えられただろうからな!

ボルダリング、つまりはスポーツクライミング、今年開催されるはずだったオリンピックの新種目をもくろんでの映画化だということは判りすぎるほど。実際まさにこの公開時期にオリンピックが開かれていた筈だったのだから。
でも不思議と、観ている時にはそんな皮肉なことは感じなかった。だってそこで描かれていたのは、深い信頼を寄せる古厩作品の持つ魅力そのままだったから。

昨今どうしても避けられない凄惨なイジメ描写もなければ、ときめきのラブストーリーでもなければ、難病の恋人を支えるお涙ものでもない。言ってしまえばこんな穏やかな、ぶつからない物語をよくぞ映画に、とさえ思う。それこそボルダリングという話題性がなければ難しいんじゃないかと。
そこが古厩作品なんだよなあ。確かに彼の作品には一見目を引く話題性のあるテーマがあるんだけれど、それで引っ張ってきて描かれる彼ら彼女らの青春物語は、誰もに思い当たるところがある、歯がゆくて、あたたかで、一生懸命で、後から考えればちょっと顔が赤くなってしまうような、ザ・青春。

主人公はもちろん、タイトルロールである小寺さんなのだけれど、彼女に目を奪われる四人の男女の物語である。
そういう意味では小寺さんは彼らを物語るための触媒、小寺さん自身の奮闘もきっちり描かれるのだから狂言回しとまでは言わないけれど、でも照射されるのはむしろ、小寺さんに惹かれてやまない四人の男の子、女の子たち。そう考えると、かなり挑戦的な構成であることに気づく。

言ってしまえば小寺さんは、ただただ一生懸命であるだけである。クラスメイトからは「やっぱり小寺さんて、不思議ちゃんだよね」と言われたりする。さん付けであること、教室の中では一人クライミング雑誌を熟読しながら握力を鍛えたり、鉛筆をナイフで削ったりと、女子高生が教室で過ごすには、こうして書くと一見して孤独のように見えるが、不思議なことにちっともそうは見えないのだ。
確かにこのクラスの中に、現時点で小寺さんに友人はいないのだろう。しかし外野が考えるように、友人がいないことを小寺さんはちっとも頓着していない。

てゆーか、友人という定義が彼女の中にはないようである。それが凄いと思った。小寺さんはその時ぶつかった相手に自然に話しかけるし、会話するし、そして初めて気づいたように「こうやって話しするの、初めてだね」とニッコリする。それは相手がそう気づいて言うこともある。考えてみれば人間関係、それが自然であるに違いない。いや、理想と言ったらいいのか。
学校生活や社会生活に入ると、友人を作らなきゃと焦って、時に失敗したりして、うむ、それは私だが(爆)、とにかく、学校生活で友人が出来るか、いやありていにいえば、友人グループに入れるかどうかが、特に女子にとっては大きな問題だと思われるのだが(その考えも古いのだろうか)小寺さんはちっとも頓着していないんである。

小寺さんがまっすぐにボルダリングに向かっていること以上に、そのことが他の四人を惹きつけていたんじゃないかと思われる。四人はそれぞれに、クラスでの立ち位置や、友人の有り無し、コミュニケーションについて中学時代から悩んでて、今に至っているから。
まず、工藤遥嬢とダブル主演という趣の伊藤健太郎君扮する近藤は、「親から運動部に入れって言われて、一番ゆるそうな卓球部に入った」と口では言う。それはつるんでいる二人もそーだよなー、と同様にたりーよなー、という雰囲気を醸し出す。

この二人は本気でたりーのだろうということがすぐに判る、のは、近藤が孤独に陥ることを恐れて、彼らのたりーさに迎合していることが微妙に判ってしまうからなんである。そのあたりの繊細な芝居が健太郎君、上手いんである。
しかして近藤は、同じ体育館で練習しているクライミング部の小寺さんに目を奪われる。何度も何度も落下しながら、壁にとりつく小寺さんに恋心を持ったのは近藤だけではなく、中学時代に既に告白してフラれたクライミング部の四条君も同様である。

面白いのは四条君が今はその想いを吹っ切っているのに、小寺さんのまっすぐさに今も引っ張られてうっかり同じクライミング部に入っちゃってるあたりなんである。バレーボール部の彼女が出来るのに(爆)。でも四条君が明かしたこの過程こそが、観客に判りやすく小寺さんのマジックを理解させてくれた気がする。
「小寺さんのおかげで、少し変われた気がする」少し、ってところがイイのだ。小寺さんはきっかけに過ぎず、小寺さん自身も教祖でもなんでもなく、誰かがきっかけになり、触れあい、化学変化を起こす。誰かから、何かからそのきっかけをもらうのは、ただ自分自身とその気持ちだけなのだ。

一番お気に入りなのは、メガネ女子、ありかである。彼女は明らかに自分を偽っている描写が示される。イジられていることを判ってて、それでも女子グループに所属している方がこの高校生活においては安全であると踏んで、無理してキャピキャピしている。
でも、小寺さんが進路希望に「とにかく目指してみます」とクライマー一択で提出したことが、彼女を変えた。「とにかく、写真を撮ってみる」ことにした。

写真を撮る人は、人の視線に敏感だ。いや、同じく小寺さんを見ている人同志は、そりゃあ判っちゃう。ありかはこっそり、近藤にだけ小寺さんの隠し撮りを見せる。しかしひきいられるようにボルダリングをしている彼女を撮っているありかはそりゃあバレちゃう。
むしろ小寺さんは自分が思うような動きで登っていないことをその動画や写真で知り、彼女を部に引き入れちゃう。小寺さん、恐るべしである。自分がいろんな人を惹きつけていることを判ってない。いや、判っているのか。四条君には告白されているんだから。でも、なんだろ、このただまっすぐな線の上をなにも疑わず歩いて行く感じ。

もう一人は学校にはたまにしか顔を出さない、メイクもバッチリの美人さんでミニスカ似合ってて、教師に対するダルい態度もいかにもである。ちなみにこの四人プラス小寺さんはそれぞれ、進路希望アンケートを白紙で出した仲間たちである。
小寺さんだけは本当に想像がつかないといった感じだったらしい。先生から「目標を書けば、それが心の片隅にある。漫然とせず、それに向かって努力して行ける」的なことを言われて、目を見開き、「いいこと言うと思って」と言って先生を苦笑させる。そういう意味では確かに不思議ちゃんと言われるのも判る。

そして彼女が自信満々に、しかも第一希望一択で書いてきたのが「クライマー」であり、先生はもちろん、クラスメイトも、先輩部員や部長ですらあぜんとする。
先生や部長が言うように、体育大学やインストラクターといった、現実的な道を「要領よく」言っとくことが無難であろうが、小寺さんは「嘘を書くってことですか」と、怒るでもなく本当に不思議そうに先生に問うんである。

まったく、勝てない。実際、いかつい部長さんの言うとおり(でもめちゃくちゃいい先輩)、プロで食っていけるクライマーなんてほんの一握り、それをいきなり進路志望に書くなんて、大人の立場からだけじゃなくったって、純粋過ぎると思うだろう。そして小寺さんがそんな一握りのプロクライマーになれる可能性なんて、一握りどころじゃないぐらい低いだろう。
でもきっと、小寺さんは目指した結果なれなくっても、その時本気で目指したい何かをまた目指すだろう。実はこれほどシンプルに生きるべき道、生き方はないのに、なぜ、こんな若い時から、無難な道を言いたがるのか。

ありかは写真家を目指して雑誌に応募するもけちょんけちょんだし、梨乃も小寺さんにネイルを施して感動されたことで、心にしまっていたネイリストの道に進むためにこっそり専門学校で学ぶ中で、根本的な接客の壁にぶち当たる。
それぞれに、きっと初めて突き当たる壁である。それまで彼女たちがぶつかってきた壁は、学校という狭いコミュニケーションの中であり、つまりはコドモ社会の中で生き抜く術であった。
梨乃は学校も毛嫌いして“友達と遊ぶ”生活だったけど、学校外での付き合いも結局コドモである。小寺さんから楽しそうだねと言われた時の梨乃のそうでもないよ、という語調に、照れくささや後ろめたさがほんのり感じられたのは、きっとそのせい。

小寺さんは、ユース大会に向けて邁進する。四条君も初めての大会に緊張しながら臨む。そんな彼らを見て、近藤君もまた卓球に全力を注ぐ。
いままではたりー仲間の二人に引きずられていた。自分自身が何をしたいのかも判らなかった。今も判らない。小寺さんから卓球が好きなんだねと言われても、どうかな……というぐらい、まだ判らないけど、でも今、目の前のことに一生懸命になろうと思った。

たりー二人は置いてかれる。つまりそれは、近藤がかりそめの友人関係を切り、一人になることを選択したということなんである。本作で一番重く、大事な点は、この四人がまさにその重い選択を成したというところだと思う。
高校という集団生活において、いやその、今がどうなっているかは判らないけど、きっと私の時代よりもっと継続して、どこかに属しない勇気は、並大抵のことじゃないと思う。

それを小寺さんがあっさりやってのけちゃって、そして「話すの、初めてだね」なんてそんな重要なことをあっけらかんと言って、でも小寺さんもまた、判っているのだ。話す、つまりお互い興味を持ちあって、あるいはきっかけを得て、話す、という奇跡を判ってるから、それ以降はみんなマブダチなのだ。
そしてそれを、自らの意思で、その恋心で、小寺さんにぶつかった近藤君もまたしかりで。

文化祭の描写とかもいいんだよな。ここで近藤君と四条君が小寺さんへの想いを共有して、しかもお互い「文化祭の準備なんて初めて」という点で一致。
つまり中学時代は二人とも違うタイプながら孤立していて、孤独を抱えて高校生になり、きっと二人とも、そこから抜け出したいと思ったところに小寺さんという触媒が、奇跡的にこのタイプの違う二人を結び付けた訳でさ。

クライミング部の先輩男子二人がとってもイイ人で、文化祭の模擬店でイカツい身体にメイド服着てるとことか噴き出しちゃうし。
その姿になんとありかちゃんが、しかも柔道の篠原氏似の「類人猿じゃん!」と梨乃から言われる部長にホレちゃったり、そしてその場面で、これぞ正反対のありかと梨乃が「初めて話したよね」という、もうこの言葉は魔法よ、マジックよ!!初めて話す、この運命の出会い。恋じゃなくても友情でも、運命の出会い!!

現代を厳しく赤裸々に映し出す作品群も勿論魅力だし、評価されるのも判る。でもちょっと、そういう向きに疲弊していた。古厩作品だよね!と凄く嬉しくなったし、でも柔らかな描写の中で、実は厳しい彼らの現実もきちんと描いているのは当然でさ。
ああ。クラスの中で孤立するだなんてことを、ちっとも考えてない小寺さんのように、私もなりたかった。シンプルに、今思うように生きることが、ティーンエイジャーですら出来ない世の中こそがおかしいのだ。小寺さんは、まっとうに生きている。ただそれだけなのに、胸を打たれるのだ。★★★★☆


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