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「す」


2020年鑑賞作品

すずしい木陰
2019年 96分 日本 カラー
監督:守屋文雄 脚本:守屋文雄
撮影:高木風太 音楽:
出演:柳英里紗


2020/4/5/日 劇場(新宿K's cinema)
ちょっと待ってちょっと待って、ほんっとうに、96分、女の子が木陰に吊るしたハンモックで寝ているだけなんだよ!!しかもカットさえ割らず、画面もフィックスのまま、96分!マジで!!

ここ、こんなことが許されるのかとボーゼンとして、観終わった後は放心から怒りさえも沸いたが、後からいろんな考えが渦巻いてくる。
観ている最中、私は何かが起こる筈だと、いつか彼女は目を覚まして、誰かが訪ねてきたりとかして、物語が動く筈だと信じていた。
だけど、どうやら30分このままだぞ……というあたりからどんどん不安になってきて、こらえきれずにコートのかげに隠して携帯の電源を入れて時間を確認してしまった。その時もう、90分が過ぎていた……。

これはもう、このまま終わるぞ!!と思っても、最後の5分で何かが起きることを祈るように期待している自分がいた、のはなぜだろう。
私の怒りは“これが映画と言えるのか”というようなものだったけれど、映画の定義なんてものはないのだ。この時私が感じたような、物語がなければならないなんていうことこそ、若かりし青臭い映画ファンだった私が最も忌み嫌っていたものじゃないか。

情報を入れずに行ったのもかなり後悔したが、それは私が意識的にやっていることなのだから今さらどうしようもない。でも、最初から、そうなのだということを判っていたら、観方は全く変わっていたに違いないのだから、やっぱりちょっと、後悔している。
なんとなく作品紹介を横目で見て、ストーリーめいたことを書いていたからそんなこととは思いもしなかったが、後から確認すると“てな物語はありません”とゆー、信じられぬオチ。
そしてそして、私はキャストの 柳英里紗嬢の名前で即、足を運ぶことを決めたのだけれど、キャストに彼女の名前しかない、ということに不覚にも気づかず、気づいていたら観ている途中、このフィックスの画面のまま終わるのかもしれない、ということに早めに気づけたのかもしれない。

……最終的には怒りが後悔に変わってしまったことに、ちょっと動揺している。観終わった直後は、これは映画じゃない、映画館にかけるべきじゃない、これはいわば映像美術作品として体感型施設とかでかけるべきなんじゃないかとか、思っていた。
でもそれも、何も起こりませんよ、ただあなたたちの中で物語を作ってくださいと、事前に予告することを前提としている訳で、いつのまにやら何もかもをおぜん立てされることに慣れ切ってしまった自分に気づいて、本当に恥ずかしいのだ。

本当に恥ずかしいのだけれど、何かが起こると信じて観始めた私は、あー長回しね、好きよねクリエイター気質の人って、ちょっと目を閉じてもどうせ何も変わんないでしょ、一分ぐらい目を閉じてみようとか、やったりしちゃってたのね。ああ、バカバカ!

これってワンカットだと思ったけど、そうとしか見えないけど、撮影日誌は数日に渡っているが、そうではないの??
陽の光が刻々としずしずと、少しずつ少しずつ傾いていくのを96分に渡って見せていくという、思えばなんという贅沢な趣向であり、そこに女の子が惰眠をむさぼっているのは、なぜ惰眠をむさぼっていられるのか、この子の社会的立ち位置は何なのかとか、考えてもいいけど、考えなくてもいいような感じがして。

どんな設定だって、いくらだって付与できるけれど、この場所に何の理由もなくただただ、心地良いから降臨した、地球上たった一人の女の子、ってな感じにだって出来ちゃうのだ。
……私はそう仮定して、心地よく身をゆだねたかった。物語を待ち続けて、理不尽に怒りさえも覚えたくなんかなかった。でもだったら……やっぱり映画を観る時には最低限の情報を入れるべきなんだろうか??ああ葛藤。

フィックスにしているからこそ、日が傾いていく、木洩れ日からの光の量や角度、時に彼女の寝ているハンモックを宗教的ともいえる光の玉が包み込み、虹色が差し込んだりする。
彼女はその時々で伸びをしたり、起きて蚊取り線香をいじってみたり、小鳥の声にリアクションしたりするけれども、それはほんの一瞬一瞬でまた惰眠むさぼりに戻るんである。動きがあるたびに、すわ物語が始まるか!!と用意しまくった自分がとてつもなくハズかしい。

でもね、先述したけど、これを、本当に体感型として身をゆだねたかった気がして仕方がないのだ。
自分自身が彼女のように木陰のハンモックに昼寝している、鳥の声、懐かしい“ポーポー、ポポー”の声(思わず調べてしまった。あれはキジバトなのね……)、ある瞬間なんの理由も前置きもなく、突然シャットダウンされるようにすべての音が消え去る静寂のスリリング。
そして知らぬ間に、本当に忍び込む様に、鳥たちの声が復活し、でもそれは夕方に向けてその声や種類も変わっていき、光はどんどんまろみを帯びていく……。

彼女がなぜここに寝ているのか、昼日中から寝ていられるのか、休日なのか、そもそも森の中だし、車のような飛行機のようなと想像される騒音もなくはないけど、時に足音のように聞こえる音さえもあるけど、決して彼女に近づくことはない。
まるですべての神様に守られてここにいるように見えるのだ。それにしちゃあ蚊取り線香は俗っぽいにしても(爆)。中古車屋のヒマ娘だなんて、ありもしない設定を載せないでよと勝手にウラミに思ったりする。ろくに読んでもなかったくせに(爆)。

映画という芸術が、まず映像というものが、光と影であることが不可欠だったことを思い起こさせる。
サイレントから音がついた時に、役者の台詞にだってコーフンしただろうけれど、例えば列車の音、馬のひづめの音、そんな、普段聴いている筈の音がスクリーンから聞こえてくるという客観性で、自分たちが生きている世界を再認識したというのは、あるんじゃないかと思ったり。

ああ、だからだからさ、こーゆー時に、なんにも情報入れてなかったことが悔やまれてならない。正直、よっくこれで途中退場者いないなと思ったのだが(爆)、きっとみんな、判ってて足を運んでたってことなんだよね。私だけがイライラしていたと思ったら本当にハズかしい。
でもまあ……映画は観ているその時だけじゃなくて、こうやって思い返す、その時間も観客にとって作品とつむぐ時間だから。と、自分を慰めてみたり。

ただただハンモックに寝ているだけ、だったと思うのだが、なんか観客にしか判らない秘密が隠されているとか、そんな思わせぶりなニュアンスの紹介のされ方なんだけど、ええ?えええ??なな、なかったよね??寝てるだけだよね!!いや……結構目つぶって休んじゃってたからさ、やべぇ、なんか私見逃したかな!!

……一筋縄じゃいかん監督さんなのは判ってたが、色んな意味でヤラれたなあ……。★☆☆☆☆


スパイの妻 劇場版
2020年 115分 日本 カラー
監督:黒沢清 脚本:濱口竜介 野原位 黒沢清
撮影:佐々木達之介 音楽:長岡亮介
出演:蒼井優 高橋一生 坂東龍汰 恒松祐里 みのすけ 玄理 東出昌大 笹野高史

2020/11/9/月 劇場(ヒューマントラストシネマ渋谷)
ものすごい見応え。黒沢清監督といえばどちらかというと作家性の強いタイプで、時々もんのすごい難解な時もあるし、何より画面の中に何かが潜んでいるような闇、といった独特の画作りをする印象があったのが、本作ではそういう、いわゆるコアなファンが反応しそうなところは何一つなかった。
さすが元はNHKの8Kドラマと感じさせる素晴らしくクリアで美しい映像であり、それは今までの黒沢作品にはなかったように感じるし、何よりサスペンスでありミステリであるこのエンタテインメントにただただ圧倒されるばかりなのだから。

その中に、いわゆる黒沢印の闇を見つけ出すとすれば、画作りの中の闇ではなく、高橋一生演じる優作であったのかもしれないと思う。
観終わった後で改めて物語をなぞってみれば、なるほど彼はコスモポリタンとしての正義を貫いて、国の非道な行いを告発するために、妻さえも欺いて海の向こうへ姿を消した、のだろう。その通りなんだろう。

でも、その事実が明かされるまでに、彼が何かを隠している、当局に疑われている。スパイではないか、という経過である。妻の聡子にも彼のおかしさは感じ取れるのに、夫は何も言わない。
観客にも彼の変化をハッキリとしめす。買い付けに行った満州から帰ってきた時、見知らぬ女性を連れ帰ったのを抱き着いてきた妻にさとられぬよう、目線でうながしたあの一瞬で、ゾッとした。

はたして彼を信用していいのか。スパイか否か、ということ以上に、彼が何を考えているのか、妻の愛さえもあざむいているのではないか、蛇のような不気味な恐ろしさに身がすくんだ。
観終わって、ああ彼は本当にコスモポリタンで、正義のためには売国奴と言われても身を投じた人なのだと、一方では思い、一方では、そんな彼を信じた聡子を欺き、ただ姿を消したようにも思い……黒沢映画の闇そのものを、彼が体現したように思えてならないのだ。

落ち着いて考えればそんなことはないとは思う。この戦時下では珍しいほどに裕福な、優雅ともいえる若き夫婦の生活。
貿易会社を営む優作は三つ揃えをパシッと着こなす見るからにあか抜けた実業家。このご時世、あらぬ疑いをかけられて引っ張られた取引相手の外国人商人を罰金を払ってやりさらりと助け出す粋な男である。

この時点で、この時代の日本の価値観と大きく乖離して、危険な立場にいることも示唆される。夫婦の古くからの友人である津森は憲兵分隊長という身分で優作を訪ねてくる。この時には親しい間柄、という雰囲気で会話をするのだが、でもこの時点で津森は心配している、というカクレミノでまさに国家権力のもとに優作をけん制してくる。
外国人との商売というだけで、もう優作はスパイの要素まんまんに思われていたのだ。津森は、聡子が後に言うように、明るく優しい、“そんな人間じゃない”人物だったのだろう。でもそれを変えるのが戦争なのだ。ことに権力というヤツは容易に人の純真さを侵食してくる。

去年あたりからの東出君の役者としての研ぎ澄まされ方、凄まじさに驚嘆している。ひょっとしてこの人は、トンでもない役者なのではないかと思い始めている。
端正な顔に手足の長い長身、最初に登場した時は、まるでコスプレみたいに美しく似合う憲兵姿にウットリとしたぐらいだったが、彼が権力を持ち、自分イコール正義、あるいはテンノーヘーカの名のもとに、ぐらいな圧倒的な自負心を持って、“売国奴”に向かって冷たく鉄槌をふるう能面のような顔で暴君になる様に心底ゾッとする。その時にはその端正な容姿が180度変わって、これ以上ない恐ろしい、まさに美しき悪魔とでもいった様に代わるのだ。

津森は聡子に恋していた。だからこそだったのか。いやでも、優作をスパイと断じ、彼の甥っ子を拷問にかけた時点ではもう、彼はそんなことはちらとも感じていなかっただろう。
権力に酔っているようにさえ、見えなかった。神国日本のしもべ、それに逆らう人間を排除する高貴な役目を負っている、そんな恐ろしさがあった。

本作はタイトルロールでもある聡子演じる蒼井優嬢がまごうことなき主人公であるのだが、そういう意味では彼女はしばらく世間知らずの奥様といったところに置かれている。
実際、こんな厳しい社会情勢で、まるでお城のお姫様のような暮らし。洋装をオシャレに着こなして、津森から、時世がら和服の方がいいと言われても気にせず、舶来もののウイスキーを勧めたりして、津森を困惑させたりする。
一体聡子は、津森の自分に対する気持ちに本当に気づいていなかったのだろうか。ていう歯がゆい思いを観客に感じさせるから、彼女が甘々なお嬢様奥様であると思い込んで見進めるとエラい目に遭うんである。

確かに彼女は世間知らずで、戦争だの非道な国家機密だの、そんなことは彼女自身の価値観の中にはないんだろう。ただ、愛する夫が信じて突き進む道に、彼に対する愛だけで、すべてを捨てて飛び込む、恐るべき弾丸力がある。
それはきっと、夫の優作こそが最も意外に感じたことであったろうと思う。彼自身が彼女を見くびっていたのだ。お嬢様な奥様だと。でも愛しているから、彼女を守りたいから、隠していた。
この夫婦の駆け引き部分、事実を言うのか、言ったらその後どうするのか、一時は聡子が主導権を握った部分もあったのだが。

本当に、驚く。聡子は夫の主命を貫くためにと、共にその機密を目撃した甥っ子をいわばハメて、その証拠を半分当局に渡すことさえしたのだ。その時には世間知らずのお嬢様奥様、なんと愚妻な、と観客に思わせまでしたのに、まさにそう思ったであろう夫が彼女を糾弾すると、甥っ子がはがされた両手の爪を見ても彼女は眉ひとつ動かさない。
あなたの使命を叶えるためにやったのだと、彼は自分一人でやったことだと、あなたを守るだろうことに賭けたのだと、言うのだ。

決定的な証拠物件はきちんと手元に残してある。あの半分は、いわばエサだった。驚嘆する。蒼井優嬢のふんわりした奥様が世間知らずで夫を愛しているだけで生きているってなキャラを体現していたから、まさにまさか、なのだ。
この時点から、それまで優作に感じていた不気味さと、彼への愛ということがこんなガソリンになるのか、という聡子のパワーを天秤にかけながら見ることになる。最終的にどちらが勝ったのだろうか。

聡子の覚悟を見て、優作は彼女を相棒に、国際社会に訴え出ることを決意する。ように見えた、ということになる。結果的に言えば。
でもどこまで、彼はホントに彼女と共に秘密裏にアメリカに渡るつもりだったのか。用意周到な計画と、聡子にも危険を冒すことになる旅程は、彼女を相棒としての危険な賭けに本気な感じがありありと、あったのに。

密航した聡子はあっさり、“通報者”によって見つけ出される。でも聡子は“証拠”を持っている。夫が満州で映した、細菌兵器をばらまいた動かぬ証拠だ。これを見てくれれば判る、と聡子は強気である。もはや国家権力の申し子になった津森から頬を張られたって、ひるまない。
なのに、大勢の憲兵たちを集めて映し出されたフィルムは、夫が趣味で撮影した、聡子をヒロインにして金庫破りミステリ、お遊びの娯楽フィルムだったのだ。聡子は呆然とし、しかしけたけたと笑いだし、真っ白になったスクリーンの前でお見事!と叫んで倒れてしまう。

聡子はその後、愛する夫と会えたのだろうか。戦局は激化し、聡子は精神を病んでいるとして、入院している。でも面会に来た懇意の医者に言うように、私は正気、だけれど、正気の私が狂っているということになるのだろう、というのがこの時代、なのだということをしみじみと痛感する。
この医者を演じているのが笹野高史氏で、キリキリと弦を張りまくったような演技合戦の中で、ふわっと着地するようなザ・笹野高史にめちゃくちゃホッとしてしまう。

そして、東京大空襲、だよね、あれは。もう戦争も終わりに近づいている。逃げ惑う人々をよそに、どこかぼんやりと、聡子は炎のあがる市街地を見つめている。
ラストクレジットは、行方不明になった優作の死亡通知があったけれど、その真偽が疑われること、その数年後、これは確信を持って夫の元に行ったということだろう、聡子が渡米したこと、が記される。

優作が持っていた機密を国際社会にぶちまけたならば、日本は糾弾され、負けることになる。実際日本は負けたけれど、それがどういう理由だったのか。優作は本意を達成できたのか。
そこまで明らかにされることはない。これはあくまで創作物で、そういうこともあったかもしれないということだろうが、私は歴史無知なんでハズかしいんだけど、恐らくこんな非道なことを、日本は実際、したのだろう。それ以外にもあちこちで聞く、戦時中を言い訳にした非道なことの数々を思えば、ちっとも不思議じゃない。

戦争だから、時間が経っているから、と、忘れっぽい日本人の気質そのものにスルーしようとしている恐ろしさ。それをエンタテインメントの中にしっかりと刻み込んで、役者さんたちも素晴らしく、そして評価まで。
ここに安住してはいけないのだ。戦争というものが何を生み出したかということを、いつだって立ち返って考えなければいけないのだ。★★★★☆


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