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「わ」


2020年鑑賞作品

別れぬ理由
1987年 107分 日本 カラー
監督:降旗康男 脚本:那須真知子
撮影:木村大作 音楽:羽田健太郎
出演:三田佳子 津川雅彦 湊広子 古尾谷雅人 南條玲子 今陽子 平尾昌晃 真夏竜吾 津山栄一 中尾慎二 風間みつき 丹古母鬼馬二 伊織祐未 斉藤朋子 矢生有里 タンゴ・アルゼンチーノ 国宗篤 中西典子 関水浩之 村添豊徳 山浦栄


2020/5/6/水 録画(東映チャンネル)
夫婦ともども不倫をしてて、お互いそれを疑い合って、腹を探って、時には修羅場になりながら、なぜか別れることなく……という、性愛も結構ガッツリ見せる濃厚な愛憎の物語だが、演技達者な津川雅彦と三田佳子でとても楽しく観た。
これって、当時と今とでは、絶対に受け取り方が変わってくるよね。そういう時代性をめちゃくちゃ食らう映画だと思う。いやそれは、否定的な意味じゃなくて、そういう面白さ、という意味で。
当時は本作は相当に現代社会を痛烈に描き出した、と受け取られたろう。原作の渡辺淳一氏は私も大好きだし、そうした器をもって精力的に作品を作っていた人だとも思うし。

多分ね、今だったら……それこそ劇中で主人公夫婦の、妻の友人が彼女に言う、「私だったら即離婚だな」ということになるんだろうと思う。あるいは、こういう、結婚したら恋愛感情を持つことこそがヤボくさく、特に男側に愛人がいるなんてことはカイショがあるぐらいに言われる、のは私自身ギリギリの世代だとしても、でも当然あるよねという価値観だった時代。
これこそ日本社会特有のものなんじゃなかろうかという気がする。それとも家父長的という意味でアジア的なのかもしれないけど。

そして何より、夫婦共働きの価値観である。夫婦共働き、というだけで恐らく当時は相当に革新的だったんじゃなかろうかと思われる。当時のファッションをちょいと痛々しく感じるガッチガチの肩パッドに妻の気合を感じる。
夫婦二人とも仕事に忙しく、一見すると対等のように見えるんだけれど、そこはヤハリ当時の思惑が、決して口には出さずとも見え隠れする。

夫は有能な外科医。まず登場シーンが手術終了後というのがいかにもである。妻はベテランの雑誌記者。あちこちの現場に取材に飛び回る。
双方ともに、バリバリ働いていて、どっちがどうということは確かにない筈なのだが……これはフェミニズム野郎の私のヘンケンの色眼鏡なのかな。決して口には出さないけど、夫側が、所詮、趣味の延長線上のお遊び仕事に理解を示してるんだ、とか思ってる気がして仕方ないのだ。

それは、ケンカに次ぐケンカの末についに、「みっともないことするな!!」と彼が怒鳴る場面で顕著に感じる。自分も同じことしてたのを棚に上げて、出張仕事に愛人を同行させていた妻を攻撃したという形。それは確かに疑心暗鬼の嫉妬の末に出た言葉にしても、表面上は仕事の相棒として一緒に取材に出かけている訳で。
この「みっともないことするな!!」てのは、例え仕事といえども男と一緒に旅に出るなんて、引いて言えば、そんな仕事ならやめてしまえ、と、つまり自分に恥をかかせるなんて、妻としても女としても“みっともない”という印象を、私のようなフェミニズム野郎にはビンビンに感じさせるんである。

で、そう……かなり私も被害妄想だけど(爆)、この「みっともない」に彼女は敏感に反応して鬼の形相になる訳だし、これは当たっているでしょ、と思う。
でこのあたりが、当時の現代感覚のいわばほころびである。対等に仕事をしているように見えて、そして夫がそれを快く了解しているように見えて、家にずっぱり妻がいないってことは、彼が浮気をするのに都合がいいからである。
なのに家に帰れば家事は当然のように妻がする……出がらしのお茶に文句言ったりするこの夫をぶっ飛ばしてやりたくもなるが、この昭和の当時で夫がフツーに家事を分担していたりしたら、確かにそれはそれで不自然なのだ。たったこの間の、昭和の時代は、そういう時代だったのだ……。だってこの二人の職業が取り換えっこだったら、これって成立する?しないでしょ??

で、思いのたけばかりぶつけてしまったが、冒頭言ったようにエンタテインメントとしてとても面白く観られる。夫のウワキ相手は和服が似合うが逆に脱ぐ時エロい、スポーツクラブでのレオタード姿もまぶしい若き葉子という人妻である。
妻の方はと言えば、後に友人に吐露したところによれば、最初はそんな夫への面当てのつもりだった。「ほったらかしで、寂しかったのよ。置物なんだもの。でも私、置物じゃないでしょ?」なんという痛ましい台詞。

でもその揺り戻しのせいか、面当てのつもりが真摯に彼女に愛をぶつけてくる後輩男子と本気になってしまう。
夫から「あのノッポ」と言われるこの情熱的な後輩男子は古尾谷雅人であり、終始悲愴な陰を見せる彼に、笑顔の一端も見せない彼に、なんだかその後を思って悲しくなってしまう。同じ不倫でも、夫側と妻側はその重さがかなり違う。

それは不倫相手側の割り切り方も、そりゃあるだろう。夫側の浮気相手はダブル不倫だから、その立場を心得ている。彼女の夫もそーゆーことになっているからこその、割り切り方。
突然よそよそしくされても、どうやらそういうことかとどことなく納得している風もあるが、判っているからこそホテルにかかってきた電話にワザと音を立てるなんていうイタズラもしたりするのがなんだかいじらしい。

妻側の恋人は、そう、愛人ではなく恋人と言いたくなるほど……純粋でかたくなである。彼女からの別れに納得が出来ないという。なーぜーだー。だって彼女が結婚していることは承知の助なのに、「僕のことがキライになった訳じゃないのに別れるなんて納得できない」って、コドモか!!
じゃあんたは、彼女をどうしたいの、どうしてあげられるの。そんなことも確約できないのに……とか思いつつ、それが判っていてこの愛しい年下の恋人にきっぱりと別れを告げられず、ズルズルと関係を続けちゃう彼女の気持ちこそが恨めしいのだが。

本当にね、タイトルがもう示してるんだけれど、なぜ別れないのか、判らないのよ。令和の世からしたら本当にね!!でも例えば自分の両親の世代を考えれば……まず子供側からは親たちの不倫なんて想像もつかない。
でも本作が作られた時代、彼らの一人娘がアッケラカンとしているのは、内実は傷ついてもいるんだろうけれど、「私の友達の両親が離婚したの」という事例がぼつぼつ出始めた世相である。
じゃあその別れる理由は何なのか、単に他に好きな人が出来たことなのか、性格の不一致か、憎み合ってても子供がいるから別れないのか、……そういうことを考え始めた時代に産まれた作品であって、必ずしも不倫がどうこうということじゃなかったのかもしれない。

そう思うのは、この夫婦が、口では倦怠を外にアピールしながら決してそうではない、言ってしまえばかなりラブラブだから。
じゃあその場合、お互いの気持ちがすれ違って、それぞれにそれなりに本気の浮気相手ができたらどうなるのか、という設定が、ちょっと優しいな、と思っちゃう部分もあったりして。

だってまず、夫は妻に浮気相手がいたと知ると気もそぞろで、布団の距離を気にしたり(まずこれが、ベッドが主流の現代じゃなかなかあり得ないよな……)、「疲れてるの」というのが他の相手とセックスしてきたことだと自身の浮気相手から教えられていたから逆上して、挑みかかるも、萎える。情けないことこの上なし。
布団に隠れて下だけ脱ぎさってヤろうとする場面は、大女優三田佳子はそらあ決しておっぱいは出さないという前提はあれど、下だけって、悲しすぎるわぁ……と思う。

しかしてこの前提があるから、中盤、お互い想いをぶつけ合って、夫がムリヤリ「お前の取材のためになるから」とか言ってラブホテルに連れ込むシーンが面白くなる。「ここは初めてですか」」「いやここは……初めてだよ。当然じゃないか」とかカンタンにボロを出す夫が、男ってマジバカだなーとか思うが、このラブホテルシークエンスは出色である。
思いがけず妻が“別人のように”乱れた場面では、そらあおっぱいは決して出さないまでも、全裸でピタリと抱き合い、それなりにレロチューもし、彼女の性癖である「噛んで!」てなことに夫はコーフンする。

つまりは二人は、愛し合ってるんだよね。原作の渡辺氏は、世の夫婦たちが結婚した途端にそれまでの情熱を失い、それこそ置物ぐらいに対外的には吹聴することこそを、おかしなことだと。
夫婦は愛し合っている筈で、愛し合っていないんなら浮気も関係なく別れればいいんであって、と思ってたんじゃないのかなあと、ファンだから勝手に思っちゃったりして。

日本はやっぱり儒教的社会だから、双方この夫婦生活を成立させるために、お互いの恋人と別れる……じゃないや、とりあえず距離を置くことを決意する。この時に、双方どこまでの決意だったのかは、なかなかムズかしいところである。
妻が友人に吐露するように、「(夫は)相手に勝手なことさせたくないから、自分も我慢してる」程度であり、なのになぜ自分だけが恋人への想いを封印しなくてはならないのか、とモンモンとしている。

ことに女にとっての年下の恋人っつーのは、男のそれとはワケが違う。自分の老いたることを常にさらされるんである。
しかして古尾谷雅人は、あの追い詰めた目で彼女を追ってくる。陥落してしまう。女からの連絡にアッサリ陥落した夫とは真剣度が違うんである。とか思うのはそらー私が女だからである(爆)。

ただ、ただ……この事実にマジで嫉妬して激怒する夫を目の前にすると、ハタから見てる観客の女である私も、なんかぐらりとくるものを感じざるを得ないのはあまりに弱いわ(爆)。
なんつーかさ……やっぱり長年苦楽を共にしてきた相手ってのは、夫婦というくくりや、恋愛感情や、性愛感情とは違うものは確かにあるんだろうと思わされるけれど、でも、でも、じゃあどうしたらいいの!!
愛しているのは確かだけど、他に本気で好きな人がいる、それを言い合えるカルチャーってのは、世界中のどっかの国にあるのかしら……てゆーか、そうなっちゃうのは、やはりこの夫婦生活っつーか、日本という結婚という制度とゆーか男女文化にヤハリそもそもの問題があるのかなあ。

でもやっぱり、ね。この当時は今より大きく男性社会だということを端々に感じずにはいられないんである。夫の友人が年若い愛人を囲ってて、21、2のその愛人が他に相手がいることが浮気だというのかという問題があったり。
この友人が、「女房に男がいると思うとあんまりいい心地はしない。男は外に出すだけだろ。でも女は中で受け止める訳だから。どこの馬の骨のが妻の中に出したのかと思うと、妻が不潔に見える」とか言いやがって、「彼女(愛人)も女房の浮気も絶対に許さん」と、まあ女が聴いてないとしてもあまりにあまりなことを言い腐るのが、でもそれが、当時の男のホンネということなんだろうな。

そもそも、不倫旅行中にそれぞれ妻と夫に電話しちゃうとかいうあたり、不倫する資格ナシ!!とか思うし、そーゆー意味では不倫映画としては失格かも、愛し合ってんじゃん、という結論に至るのかもしれない。
夫の浮気相手が、「私と一緒にいる時、奥様のこと考えないでください」ていうのはトーゼンで、「もちろんだよ」て、妻の浮気の話をした直後でウソ丸出しだろ!!でも、奥様のこと考えないでいられるなら、それはもはやウワキではなく本気なんだもんなあ……ああ難し!
夫が妻のことを「愛してなんかいない。ただ寝とられたことが男として情けない」ていう台詞も、浮気相手に対する見栄だとしても、女としてあまりにも哀しく、多分現代の作品なら、浮気相手がこれを単純に嬉しい台詞としては受け取らないだろうなと思ったりする。

で、結局なぜ彼らは別れないのか。愛し合ってるから、とお互いに認められないあたりが最終的にコメディになってしまうのは日本的面映ゆさか。
後半になるにつけお互いの腹を探り、モノローグで夫はその愚かさを、妻は鋭くお見通しをやり合う場面は女としては溜飲が下がるし、めっちゃ笑っちゃうのだが、最終的に、「別れるだけの情熱がない」という結論でそのまま、お互いの浮気相手にこれからも嫉妬し合って、時には修羅場を燃やして、その繰り返しで、どこかに終着点を見出すのか……。
夫の浮気相手が、「毎日会ってたらこんなに燃えることなんてないんだわ」て台詞がいわば落着点には違いないのだが、だからお互い認めあいましょうとは言えないのが、当時の……いや、今はどうなんだろう。

寮生活で週末しか帰ってこない一人娘がやたら理解があるのが、出来すぎだったけどね!★★★★☆


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