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「ぬ」


2021年鑑賞作品

濡れ絵筆 家庭教師と息子の嫁
2019年 68分 日本 カラー
監督:加藤義一 脚本:深澤浩子
撮影:創優和 音楽:
出演:古川いおり 神咲詩織 成沢きさき 森羅万象 竹本泰志 折笠慎也 深澤幸太


2021/1/20/水 録画(日本映画専門チャンネル)
定年退職したばかりの初老の前川修とヒロインである絵画の家庭教師、愛美とは、妄想どころか単に夢の中でちょっとエッチな雰囲気になるだけだし、タイトルに並列されている息子の嫁とは良好な嫁と舅の関係を築いていて、むしろこの嫁は実の父親のように慕っているし。
そう考えるとピンク映画だし、彼以外の関係性のところでは物語に即したカラミはきっちりあるものの、修からはきっちりと遠ざけられているので、きちんと、人間ドラマ、心と心を通わすドラマになっているのが心憎い。
ラストからはひょっとしたら今後、親子ほど年の離れた修と愛美が、もしかしてそういう関係になるかもしれないとも思わせるが、だとしてもそれはエロではなく、人間同士として惹かれあって、ともに時間を過ごしたいと思う相手同士としてのことなのだ。そう感じさせてくれるから、じーんとするんである。

ザ・昭和な男なのであろう。定年を迎えると何をしていいのか判らない。妻に先立たれているが息子夫婦が何くれと彼を心配してくれる。
てゆーか、先述のように嫁が本当に彼を慕っている。近くに住んでいるのだろうが、それにしてもしょっちゅう訪ねてきてはおかずを届けたり、一緒に散歩したりする。そう、散歩コースも熟知しているから、「やっぱりここにいた」てなもんなんである。

彼女は夫に語るように、自身の実の父親が不実だったからこそ修に理想を見ている。「外に女を作って、私と母親を捨てて出て行った」のだという。
面白いのは、絵画の家庭教師として修と出会う愛美がちょうど逆の立場であることなんである。愛美いわく、「お父さんは週に一度しか家に帰ってこない。仕事で忙しいんじゃなくて、後の六日は本当の家に帰っているから」。
つまりこちらは、外に作った女の方の子供。「だから私は、七分の一しか愛されていないんだとずっと思っていた」という台詞がひどく重いのだ。

結局は、息子の嫁である陽子と愛美がその奇妙な合致について話すこともない、知ることはないんだけれど、結果的に愛美が修に必要な人だと陽子が感じるに至るのは……やはりどこか、自分と同じような苦しみを感じてきた人だと思ったからなのか、あるいは同じ相手を父親のように慕っているシンパシィをどこかに感じたのか……。

いろいろとすっ飛ばしているけれど(爆)。そもそも修が絵を習おうなんてことになったのはほんの偶然からだった。定年後で時間を持て余し、ボランティアかシルバーワークに登録でもするかと役所を訪れ、掲示物を眺めていると、目に留まるものがあった。
水彩で描かれたプラタナス。絵の家庭教師をしますというポスターだった。掲示期間が過ぎて廃棄されようとしているのを見かねて引き取った。絵を習うつもりなんてなくて、ただその絵が捨てられるのが忍びなかった。
本人に返すつもりで連絡したのが、受講希望だとカン違いされて後に引けなくなった。「誰からも電話が来なくてションボリだったんです」と弾むように声をほころばせるもんだから、違うと言えなかったのだ。

土曜日の昼下がり、訪れてきた先生が若く美しい女性なことに驚く修。しかし絵に対してマジメなゆえにどこかトンチンカンというか暴走気味というか、それに気づいて激しく落ち込むような、見た目とは違ってなんともかわいらしい女性だった。
修は息子が家庭教師についていた時に妻が用意していたことを思い出し、ケーキとお茶をふるまう。恐縮しまくりの愛美だったけれど、慈愛に満ちた修に心を開いた。まさしく愛美も陽子と同じく、彼に理想の父親を見たんである。

ただ、愛美に関しては、週に一度しか会えない父親でも、大好きな相手だった。絵のコンクールで賞を取り、父親が喜んでくれたことが美大を目指したきっかけだったのに、入学する前に父親は死んだ。
それ以来彼女は目標を見失った。絵が好きだということさえ忘れかけていた。そして今はまるで実のない恋愛に苦しんでいる。妻子持ちの男、しかも自分のほかに愛人がいることも判ってる。

本作の冒頭が、このもう一人の愛人とのカラミだったもんだから彼女が重要人物かと思ったら、この男がクズだということを示す添え物要素に過ぎない。
このもう一人の愛人は、愛人であることに納得して、つまりこの男にとっては都合のいい相手なのだが、愛美はしつこく電話したりしてこのクズ男にめんどくさがられてる。

てゆーか、ほかの愛人とセックスしてる時に電話がかかってくることがうっとうしいっていうんなら、電源切っとけよ、と思っちゃう。冒頭のこの時点では、電話をかけてきた愛美は妻なのだと思っていた。左手の薬指に指輪を光らせている愛美は人妻だと、修も陽子も思い込んでいたし、舅の家庭教師が思いがけず美しい女性なことに動揺した嫁も、人妻なんだからと夫に笑い飛ばされて納得したし、修も最初からそういう気持ちだった。
でも思えば、冒頭、物語が始まってすぐに、示されていたんであった。カラミ要因でしかないもう一人の愛人だが、まず真っ先に示されたのが、「本物はあげられないんだけど」とクズ男がうやうやしく差し出した指輪だったんだから。まさかニセモノがもうひとつあるなんて思わなかったから、左手の薬指に指輪をつけて、このクズ男に電話しまくる愛美こそが妻だと思っていたのだが。

そう考えると、このクズ男の妻と子供はいるはずなのに、全く登場していないということになる。それはこのクズ男が家族というものにまったく軸足を置いていないと言えるのか、単にピンク映画だから必要ないということなのか難しいところだけれど。
ただ……愛美が修との出会いや修の息子の嫁との激しいやり取りから自分自身を見つめなおして気づいたこと、もしかしたら気づいていたのに見ようとしていなかったことは、「私はあなたの娘に嫉妬していた」ということだったのだ。

これには……ちょっとヤラれた。七分の一の愛情しか注がれなかったと思い続けてきた愛美が、恋愛においてもその呪縛にかかっていたことに。それなら自分だけを愛してくれるまっとうなシングル男子を選べばよかったのに、まるでアリジゴクに吸い寄せられるように、自ら自身を傷つけるように、こんな男を選んでしまうのは、かつての父親と同じことをしている男に真に愛されたかったのか。
だって七分の一でも愛してくれた父親のことが大好きだったんだもの。このことを、息子の嫁の陽子が知ったらどう思ったろうか。いや、これからきっと、知ることにはなるのだろう。だってこんな判り合える境遇の二人はいないんだもの。

愛美の方は修に割と早い段階で、そーゆーモーションを仕掛ける。仕掛けるというか、本能に導かれたように、ふっと修にキスをする。深く進展しそうなところで訪ねてきた陽子によってさえぎられる。
陽子は目撃した訳じゃなかったけれど、ヤハリ“事後”の雰囲気を敏感に感じ取って、その後愛美をケンツク追い払うのだが……やはりここには嫉妬があったと思うんだよな。そしてそれを陽子が自覚したからこそ、修を後押ししてくれた。この後、きっとこの二人が判り合って、無二の親友になるなんて展開を夢想しちゃうが。

愛美はこのクズ男と別れる決断をする。クズ男、なんでこんな男に女どもはイカれちゃうの、別に美男でもないのに!!(失礼!!)と思っちゃう。
不実なことを続けたのにしれっと彼女の部屋のベッドでサクランボなんぞつまんでいたり、自分のクズさを本気で判ってなくて、駄々っ子みたいに逆ギレしたり、なんだろうなあ……心が弱った女どもには、うっかり母性本能が刺激されてしまうのか。害毒害毒。こーゆー男が女を苦しめるのだ。しかも自覚もなしに!!

ラストシーンはめっちゃ好き。陽子から糾弾されて、それ以上に愛美も自覚して、修と離れる決断をした。そしてクズ男とも別れ、一人再出発、キャリーバッグを転がして、役所の掲示板を見に来たのはなぜだったろう。これから生きていく情報を何か得ようとしていたのか、自分がかつて掲示していた場所だから、なんとなく見に来たのか……。
修の手による、つたないけれど暖かな桜の木の絵。絵画の家庭教師を求めるポスターなのだが、添えられている文句がサイコーである。「週七日来てくださる方求む」。ずっとじゃねーか!

そして、愛美が七分の一の愛情に苦しんでいたことを想わずにはいられない。修は七分の七の愛情を用意して、この掲示板を見てくれることを信じて、この絵を描いた。
愛美との最初の出会いであるポスターの絵、その木がプラタナスであることを教えたのは修だった。花が咲いていない時期の木を、これが桜だと教えたら愛美は驚いた。世界が広がっていく。そして優しい時間を共にできる。そんな相手だったのだ。このポスターに、愛美は泣き笑いから嗚咽をもらす。

七分の一の愛情という言葉に、本当にグサリときたし、息子の嫁の陽子はまた違う立場の愛情の欠如に苦しむものであり。
ピンク映画は現代の鏡であると、こういう時本当に思う。その上で家族をなすためのセックスが生まれる。できればできれば、それがすべての人にとって幸せな成り立ちであればよいのだけれど。★★★☆☆


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