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「お」


2021年鑑賞作品

オトナのしおり とじて、ひらいて
2020年 67分 日本 カラー
監督:加藤義一 脚本:筆鬼一
撮影: 創優和 音楽:友愛学園音楽部
出演:神咲詩織 雪乃凛央 大原りま 細川佳央 折笠慎也 竹本泰志


2021/5/31/月 録画(日本映画専門チャンネル)
うーむ、このヒロインは結局単なる欲求不満だったんじゃなかろーかと、いくらピンクとはいえさあと、ついついツッコミを入れてしまう。設定も構成も悪くなく、結果的に結ばれる水島との関係性がしみじみと感じられたらいいラブストーリーになった気がするんだけど。

ヒロイン、叶章子は小さな不動産会社に勤めているんだけれど、彼女にとって大事なのは仕事ではなく趣味の、小説を書くことである。それは社長も理解を示していて、ビブリオワーク(劇中だけの言葉かな。小説同人誌のコミケのようなものだと思われる)に向けて徹夜の執筆で眠そうな彼女にも優しい声をかけてくれる。
それは、彼自身はかつて国語教師であり、本来は教育者でありたかったのを、父が残した小さな不動産会社を継ぐことで諦めたからということもあるのかもしれない。

資金繰りが思わしくなく、社長は元嫁に借金をして何とかしのいでいる有様。会話から元嫁とは教員時代に知り合ったと思われる。別れてしまったのは教育者としての価値観を共有できなくなったからなのか……。
今でも元嫁は塾の講師という形で教育現場に身を置いている。彼らの会話の感じ、お互いの気持ちを探り合う感じ、時に「あの頃の関係に戻ってみない?」と身体を重ねることさえ……決して憎み合って別れたんではないことが透けて見える。

おっと、ついつい社長の話に尺を割いてしまった。若手の恋模様の中で、彼らだけがひとつ大人というか、苦い人生を味わって今ここにいるという感じが魅力的だから。
ヒロイン、章子は表面上は執筆活動こそが何より大事、恋愛なんて必要ない、てな鎧でがっちがちにしていながら、その実ブレブレ、ゆるゆるなんだもの。
後輩で入ってきたチャラ男、増永からの再三のデートの誘いにへきえきしていた筈なのに、一回だけ、という約束で応じると、そのままずるずるとエッチにまで至ってしまう。なんじゃそりゃ!!である。

章子にはこれ以上ない理解者がいる。のちの会話から大学の文芸サークルで一緒だったと思われる水島である。
お互い、叶、水島と呼び合い、密に電話をしあい、時には章子の帰宅時に夕食を準備して待っているんだから、あれは合鍵まで持ってるっつーことかい??それにしては章子が増永とズッコンバッコンやった後に訪ねてきた時には律儀にピンポン鳴らしていたが……うーむ、よく判らん!!

とにかく二人はお互い親友と言い合う、章子の才能を信じる水島、水島の意見を何より頼りにしている章子である。
誰が見たって水島が章子にホレているのは一目瞭然である。章子本人だけが気づいていない、というのは定番の図式だが、ホントに気づいてなかったのかよ……と言いたくなる。

まるできょうだいのように、いやきょうだいだって男女だったらもうちょっと気にするだろ、と思うぐらい、彼の目の前で無造作に着替えたりしちゃう。まあ確かに、男扱いしてないんだよなあ。
てか、彼女は水島以外、ていっても登場人物は極めて少ないから、後は社長と増永と、後に増永が連れてくるトンでる女の子、マリアぐらいなものなのだが、とにかく水島以外には人見知りのような、かなり固い態度で接する。
まあ増永とエッチしちゃった後はいきなりゆるゆるになるにしても(爆。そのあたりがなあ)、基本的にはお堅い、というか、生きるのが下手そうな女の子なのだ。

てか、水島君はなにしてるんだろ。ただ、章子と電話しているか、彼女んちに食事を作りに行くか、しかしていない。カッコもいまだに大学生みたいだし、どっかで働いてる感じとかが全然見えない。
こーゆーあたりは結構気になる。お互い社会人同士で、とりあえず食い扶持を稼ぐ大変さを分かち合いながらでなくては、それでも趣味に生きたい、趣味を生きるための仕事なのだということを理解して支えることはできないんじゃないのかなあ。

章子の才能は水島はその恋心からという点は大きいにしても、彼女の作品を読んでいる社長も、そしてビブリオワークでそれなりに作品もさばけるみたいだし。だからこそ今までは手作りの製本だったのをオフセット印刷でそれなりの部数を作る意気込みなのだし。

社長から、プロになる気はないのかと聞かれ、そんな恐れ多い……と章子は謙遜とも思われない調子で言った。プロを目指さないのだろうかというのは、何より彼女のそばに居続けた水島こそが思っていたことであったろう。
印象としては、彼はあまりそれを章子に言えてなかった感じ。ビブリオワークが近いこともあるけれど、とにかく執筆状況ばかりを心配しているようだったのは、単に彼女に連絡したい、声が聞きたいためだけだったのか。

しつこい増永のことを相談する彼女に、一度付き合ってみたらいいかも、と言ったのはほかならぬ水島だった。バカバカバカ!!なんでそんなこと言っちゃう!!こーゆータイプの男は、その一度のチャンスにつけこんでぐいぐい来るに決まってるじゃないの!!
てか水島ドーテーじゃねーの!章子に恋して、でも言えなくて、親友という立場をキープしたまま、その関係が壊れるのが怖くて、踏み出せない。だから、こーゆーチャラ男が卑怯な手を使ってヤッちまうことさえ、想像できないんだよ!

いや……それを言ったら章子だってそうだ。彼女に関しては水島との会話から、これまで同じような感じでヤリ捨てされてきた経験を持っているのに、しょうこりもなく、である。
自分の欲望に正直に向き合ってこなかったから、それを小説という、自分の夢や理想に転嫁しちゃったから、欲求不満に気づけてなかったんじゃないのぉ。

ラストには水島と結ばれるからいいけど、そのラストに至るまで、章子自身の意志を感じることができないのはとっても残念である。
増永に対しても、水島に対しても、そしてきっとこれまでの男たちに対しても、彼女は同じように、押されれば流れてしまったのだろう。

そんな自分がイヤだと思ったから、増永の執拗な誘いにもかたくなに扉を開けなかったのが、水島から鍵を開ける許可を得ちゃうと、もう、そっからは洪水が流れ込んできたっておかまいなしである。
増永に本命の彼女がいて、結局それまでのつなぎにヤリたいだけだったんだ、と大泣きしたって、同情なんてできないよなあ……。

その後、水島が決死の告白をし、二人はめでたくカップルになるけれど、全然予測していた訳じゃなかったのに、まるで待ち構えていたように、ハッキリ言ってくれなきゃ!!みたいに臆する水島をけしかけるのが、おーい、お前は結局迫ってくれる男ならだれでもいいんかーい、と言いたくなっちゃう。
だって水島が、可愛いんだもん。彼に幸せになってほしいって、思っちゃうんだもん。ホレてる女の子が言い寄られているというだけでツラいのに、自分の提案でデートの後エッチしちゃって、すっかり丸め込まれちゃうなんていうのを目の当たりにしている彼の辛さを考えたら、さあ!!

でもまあ案の定増永は章子に対して本気でなく、「あたいのことが好きなんだから」という本命、マリアが現れる。
この喋り方から察せられる通り、かなりトリッキーな女の子。演じる女優さんの芝居がかなりキビしいので楽しみきれないのがツラいところだが(爆)、うむ、とか武士みたいな喋り方で、しかし彼女自身の価値観が全然定まらず、増永はそんな振り回されることにこそマゾヒズム的快感を得ているらしい。

しかし彼女自身は意外に悩んでいるらしく、ライバルとして迎え撃った筈の章子に対して、彼女の才能や夢に素直に尊敬を示してくるんだから、面食らっちゃう。
めちゃめちゃ可愛い女の子キャラ。もうちょっと芝居が何とかなってたら良かった(爆)。言いたかないけど、おっぱい詰めてるでしょ。横たわってもブロックみたいに形保ってるのは、ないわ。
いいじゃん、寝たら平らになるよ。ボインさんだって、なるんだから。引力に逆らうおっぱいに哀しさを覚えるのは、女だからなのかなあ……。

このマリアなる女の子が目指しているのは、最初聞いてたのは漫画家、しかし飽きっぽくて、フォトグラファー、心霊写真家と、章子が相対する中でもくるくる変わる。
そもそも増永が章子に興味を持ったのは、彼が章子に言ったように、「彼氏がいないってホント?オタクっぽいから?そこが俺にはツボなんだけどね」という台詞、後から考えてなるほどなあと思う訳だ。
いかにもチャラ男の、理解あるように見せかける薄っぺらな台詞かと思いきや、いやその通りなのだが(爆)、彼はなかなか陥落できないこのトリッキーな彼女のことを思い浮かべていた、と思えば、サイッテーな欲望つなぎ男ではあるが、まあ……許せなくもないかなあ。

でもまあ、ねえ。本当にやりたいこと、本当に好きな人、性欲と純愛、様々に重いテーマをはらんでいるだけに、肝心のヒロインがすべてに対してゆるゆるなのがさ。ピンクだからということは言いたくない。それは自由度の象徴であり、カラミを入れればいいということじゃないんだもん。★★★☆☆


おとなの事情 スマホをのぞいたら
2021年 101分 日本 カラー
監督:光野道夫 脚本:岡田惠和
撮影: 須藤康夫 音楽:眞鍋昭大
出演: 東山紀之 常盤貴子 益岡徹 田口浩正 木南晴夏 淵上泰史 鈴木保奈美 室龍太 桜田ひより

2021/1/9/土 劇場(ユナイテッド・シネマ豊洲)
普段ならこーゆー、“外国映画のリメイク版”“一場面のみで映画というより演劇”“複数の人間の会話劇だけで進む心理戦”というすべてが私の足を鈍らせるものなのだが、緊急事態宣言になって、映画上映時間が繰り上げになって、これは滑り込みで観られる作品なら何でもいい!!と滑り込んだんであった。
面白かった!面白かったが……やっぱりこーゆー作品は書くのがタイヘーン!だからもう思いついたまま。多少の取りこぼしはカンベンカンベン。

一年に一度、月食の日だったのはこの日はたまたまか。決まったある日に必ず集まってパーティーを開催する、三組の夫婦プラス独身一人。いやいつもなら、そのうちの一組の夫婦の間の娘ちゃんも参加するのだが、反抗期真っただ中なのとヒミツを抱えていることで不参加。
ヒミツを抱えているのは実は、ここに参加するすべての人物たち。いやそもそも、娘ちゃんにヒミツがあること自体、かなり後になって判明するが、娘ちゃん不参加がヒミツの布石だったことに思い至るとなるほどなあ、と思うんである。
なぜ彼らは集うのか。それもまたかなりかなり後になってから明かされる。なんとなく、じわじわと、透かし見するように観客側には示されては来るんだけれど。

だって全然接点がないのは、ぱっと見だけでも明らか。たたき上げ美容外科医とセレブリティ精神科医の組み合わせのゴージャスな50代夫婦。ちなみにお年頃の娘ちゃんは彼らの間のお嬢さん。
子だくさんで姑と同居、キュウキュウの団地暮らしで夫の稼ぎだけではやって行けずに妻もパートにあくせくしている40代夫婦。
いかにもチャラいカフェの雇われ店長と獣医の組み合わせの30代夫婦は、結婚したばかり。
そして唯一の独身者の塾講師のアラフィフ男。まずまずの容姿と誠実な人間性なのになぜ今まで独身だったのかというと……というヒミツがまず一番のクライマックスになる訳で。

そう、どうやったって、仲良しどころか知り合いにもなりそうもない彼らなのだ。
もうオチバレで言っちゃうと、彼らの出会いは台風で取り残された三日間。近所で、駅とかでなんとなく見覚えはあったけれど、言葉を交わしたことさえなかった彼らが、三日三晩、迫りくる水に怯えながら身を寄せ合って、ひと缶のコンビーフを分け合って、生き延びた。

その三日三晩で、それぞれの人となりを知り尽くした。だから仲良くなったし、一年に一度、この日に会おうとも決めた。それだけ心を許した間柄だと思っていたし、それが誇りだとさえ思っていた筈。
なのになのに……心を許したどころか、そもそもそれぞれの単体の夫婦間でぜんっぜん判り合ってなかったのだ。上っ面だけで、ヒミツを抱えて、ここまで来ていたのである。

これは、この作品、あるいは夫婦関係のみならず、すべての人間関係に言えるテーマの投げかけだと思うけど、果たしてすべてをさらけ出して、ヒミツのひとつもないことが、幸せなのだろうか??と思うのは、私だけではあるまいと思う。

本作の結末は、もう本当に丸裸になって、因幡の白兎ぐらいにヒリヒリになって、確かにその先にこそ光明を見出すという経過をたどるから、その荒っぽい処方箋は効いたということだろう。
そして確かにすべての人間のワガママな欲としては、自分のヒミツは守りたいけれど、相手のヒミツは知りたいということであり、本当の幸せを得るためには、そんなワガママは通らないよ、噛みつき合って傷つけあった先にあるんだよ、ということなのかもしれんが。

そう考えると、そもそもこのオリジナルがイタリア映画だということが、なーるほどね、と思っちゃうような感じもある。恋に奔放なのに浮気は絶対許さない、ケンカは愛情のあかし、みたいな国民性が生み出した物語が、じゃあ日本でならどう成立するのか。
日本版ならではのオリジナル要素が存在するということなのだが、ものぐさなのでそこは追及しないけど(爆)。

唯一の独身男、東山氏演じる三平ちゃんが一応ピンの主人公という扱いらしいが、すべての人が主人公であろう。三平ちゃんのヒミツは、今の時代には大したヒミツじゃない、他のメンバーがめっちゃ驚くのがそんな驚く??と思うぐらいである。

三平ちゃんはゲイで、今は若くて可愛い恋人がいる。その彼をここに連れてくるはずだった。でも直前で怖気づいてしまった。もちろんそんなことに偏見をもつ仲間じゃないことは判ってる。でも万が一、恋人を傷つけてしまうかもしれないことが怖かった。
いやそれ以上に、きっと彼は、恋人を傷つけてしまった自分が傷つくのが怖かったに違いない。だから恋人から糾弾されるのだ。この意気地なし、と。若き恋人はそこまで判っていたに違いないのだ。

そう、三平ちゃんのゲイなんてことは、今の時代大した驚きじゃない。いや、次々明かされるそれぞれの秘密も、外野から見ればショボいというか、ヤボというか、それこそそんなん、ヒミツにしとけよつまんねえな、と思うようなことばかりなのだ。

まあつまりは、日々のストレスや不満を解消するための火遊びである。エロメールだけで済んでる場合もあるし(それでノーパンでここに来ちゃったりしてるんだけど)、エロ写真をやりとりしてる場合もある。
30代雇われ店長と50代セレブ精神科医とのラブホ不倫はビックリだったにしても、このチャラ店長が更に、他の若い女をはらませていたという事実が最も衝撃的なんである。

いや、衝撃的なのは、このチャラ店長が、みんなを幸せにするから!!みたいな、お前は新興宗教の教祖か!とどつきたくなるような博愛主義を恥ずかしげもなく言いだすもんだから、はああ??と思っちゃう。
そうか、そもそも、秘密をさらけ出しましょゲームは、秘密がホントになかった、夫の秘密をさらけ出すために大事な仲間を巻き込んだ、そういう意味では無意識な悪魔である獣医の彼女が言い出したことであり、一番の被害者みたいな顔をしているけれど、意外にくえないのはコイツだったのかもしれん。

私はいまだにガラケーで、世間の人々がスマホを常に手に持ったまま離さずにいるのを、なんか怖いな、スマホにしたくないな、と思っているクチなので、正直よく判らないのだ。
LINEっていうのが凄く便利だとは思うけど、縛られるだけのような気がして仕方がない。たった一晩、数時間、スマホをぽんと置いただけで、次々に秘密が暴露されるのは、人とつながっていると言える、のだろうか??

絶対に誰かから連絡が来ちゃうなんて、人とつながってるねー!!とうらやましいぐらいなのだが、その連絡が、人には知られたくないことだと確実に判っちゃっているものだというのは……。
いや、それは、個人的には健康なことだと思う。エロ系の秘密は誰もが持っている。人間として当然のことだと思う。それを外に発信する必要はない。
でも、恋人、夫婦、親子、誰もが持っている人間関係のしがらみが、時にそれを許さない。それは悲しいのかな、滑稽なのかな、幸せなのかな……。

一番面白かったのは、つまんないエロ写真不倫をしている40代夫婦の夫が、三平ちゃんと機種が同じだからと、そろそろいつものメールが来ちゃうからと、ムリヤリすり替えてしまう展開。ここから本作が一気に動き出すところだったし、三平ちゃん、田口浩正演じる40代夫の焦りまくり、三平ちゃんへの目配せ、本当に面白かったから。
三平ちゃんを演じる東山氏は、彼ならではの柔らかな人当りを、まるでワンコが腹を出して服従するようにさらけ出し、みんながいじっちゃう三平ちゃんになって、……最終的にはさ、なんか泣かせるんだよね。

先述したけど、今の時代ゲイなんてことはそんな驚くに当たらない。アイデンティティだもの。卑怯に隠していたヒミツの方が重要なんであって、だからこそその対照として明確にクローズアップされるのだ。
三平ちゃんは、恋人への愛ゆえに、自分の保身にも直面して、苦悩した。その三平ちゃんの想いを受けて、それまではパートナーが抱えていたヒミツのえげつなさに落胆し、激怒し、ぶつかり合っていた彼らが、はたと立ち止まる。

まー、結構な修羅場があったさ。40代妻、常盤貴子氏が、エロメールを夫から責められて、はいてないわよ!!とスカートめくりあげるシーンを皮切りに、肩を抱いて慰めても、明日は我が身のスリリングよ。こっわー!!
……でも何か、あまり心配してないんだな。これがシチュエーションコメディだと思っているせいもあるだろうけれど、それ以上になんていうのかな……。きっと本作のそもそもの置いているテーマが、信頼し合う人間関係、というところにあるんだろうなという感覚を感じたからかな……。

年齢が近いせいかな、セレブリティという点ではぜんっぜん合致しないんだけれど、鈴木保奈美&益岡徹夫婦のエピソードがなんか刺さっちゃうんだよな。そらーさ、同じ年頃でも私ゃ独女だし、保奈美さまは天空の上の人なんだけれど、なんていうのかな……。
日本とゆー国はホントダメで、いまだに女が一人奮闘するのを慈愛の目で見やがるしさ。職業人として一人立っている彼女、そんなことは当然なのに、わざわざ彼女にそもそもの資産家キャラをかぶせて、だったら仕方ないよね、みたいな!!
それはないよな、それはダメだよ。わざわざイタリアからリメイクしてさ、そこは覚悟が必要だと思う、んだよな!!★★★☆☆


おもいで写眞
2021年 110分 日本 カラー
監督:熊澤尚人 脚本:熊澤尚人 まなべゆきこ
撮影:月永雄太 音楽:安川午朗
出演: 深川麻衣 高良健吾 香里奈 井浦新 古谷一行 吉行和子

2021/2/11/木 劇場(池袋シネマ・ロサ)
ピンボケの遺影写真、めっちゃ判るーッ!て思った。一番新しい記憶は父親の遺影写真。闘病生活の先にそれが待っていることは判っていても、判っているからこそ今のうちに写真撮っとこうなんて言い出せない。やはり遺影写真は元気なうちに撮らなければダメなのだ。
若い頃には何かとイベントがあって、そうでなくても無邪気に写真を撮りあっていたのがだんだんと撮らなくなる。かくいう私だって前回写真を撮ったのが一体いつだったのか思い出せない。証明写真のようなものでなければなおさらだ……。
そりゃあできれば、その人が生き生きと見える写真がいいに違いない。でも年をとればとるほど……それこそ祖母も叔父も遺影はピンボケだったなあと思う。集合写真や何気ないスナップ写真を引き伸ばすしかないから。

終活流行りとはいえ、それなりに意識高い系のシニアでなければヤハリ、遺影を撮っておこうなんていう発想にはなりにくいだろう。ことに、本作の舞台のような地方、孤立しがちな老朽化した団地に閉じ込められた一人暮らしのご老人では……。
物語はまず、ヒロインの結子が祖母の突然の死に故郷へ帰ってくるところから始まる。なぜ一緒に暮らしてあげなかったの、とかなりわっかりやすく祖母の友人に罵倒されるシーンに、うーん、予測できちゃうなあ。でもこんな風に結構お年寄りってデリカシーないこと言うもんなあと思ったり(爆)。

結子は母一人子一人ならぬ、祖母一人子一人。結子の母親はシングルマザーだったんだろうと思われる。そしてある日、幼い結子を捨てて失踪した。それ以来、今に至るまで連絡がない。
祖母は愛情をもって育ててくれたし、結子だって祖母のことは大好きだったけれど、自分を捨てた母親、つまり祖母娘のことを擁護するばかりに、嘘の思い出を自分に話したと結子は思ってて、それが大好きな祖母との間のわだかまりを作ったままに、祖母は死んでしまった。ヘアメイクアップアーティストの夢を後押しして東京に出してくれた祖母を喜ばせることができないまま。

そんな具合に、なんつーか結子はコンプレックスに凝り固まっている感じで、せっかくかわいい女の子なのに常に仏頂面なまんまなんである。そんな彼女に屈託なく接し、仕事を依頼するのが幼馴染の一郎である。演じる高良君の本来備わった天真爛漫なキャラクターがダイレクトに反映されていてとっても好ましい。
そもそも彼は冷たくさえ見せるほどのその端正な顔立ちで、出始めのイメージは暗めのクールな役柄が多かったように思うが、なんとも好ましい青年なんだよね。この町を愛してやまない役場の青年、一郎がめちゃめちゃ彼そのものに感じて、そのなまりもよく似合ってて、好感度大大大、なんである。

そういう意味では、結子はあまりなまらない。東京生活が長かったせいもあろうが、夢破れて東京から帰ってきて“しまった”後ろめたさがそうさせるのかもしれない。
のちに一郎が思い切って彼女に進言するように、嘘を嫌って融通の利かない彼女のアイソのなさ、お世辞も言えない不器用さが、ヘアメイクアップアーティストという、いわばおだてが絶対必要な職業に合わなかったというのは想像できるところである。

それをまるで象徴するように、一郎が企画して結子に託した、「遺影写真を撮る」というプロジェクトをもって、団地の一人暮らしの高齢者を訪ねて回る結子は、もういきなり、「遺影写真撮りませんか」と切り出しちゃうんだから、アゼンである。
いやいやいや、そんないきなり、近いうちに葬式になるんだからと言ってるようなもんだ。外堀の埋め方があるだろと思っちゃう。もう不器用さがハッキリと表れてる。
ただ……それを最初にさらけ出したからこそ、“おもいで写真”第一号となった和子さんは、結子を信用したんじゃないかなあと思うんである。

一人暮らしだけれど、結子が訪ね歩く先で折々見られるような、乱れた生活をしている独居老人じゃない。きちんとした身なりと、整頓された部屋。でもそのきちんとさが、さみしさを醸し出す。結子がいきなり遺影と言ったから怒って追い出したけれど、「ずっと人と話してなかったから……」と、結子を招き入れた心の弱さを垣間見せる。
でもその時には結子は心動かされはするものの、入り込んでいけない。そこはヤハリ、若さと経験の浅さである。

結子がこのプロジェクトに参加することで、一郎はじめ、様々に奮闘する同世代の人々に出会う。つまりは、同世代が少ないのだ。地方の高齢化の問題は深刻である。若い人たちはどんどん都会に出ていく。つまり、若い人たちのコミュニティは狭いのだ。人数が少ないから。
でも逆にだからこそ、濃厚にもなる。都会ならば、希薄になりがちなところが、仲間意識が強く結ばれる。なんたって結子はおばあちゃん子だったのだから、いろいろヒネてはいても、シニア世代に対する想いは、ぶっきらぼうながらも充分すぎるほどにあるのだ。それを一郎も、ホームヘルパーの美咲(香里奈)も判っているからさ。

和子さんがかつて働いていた衣服の修繕工房が、彼女がおもいで写真を撮りたい、と思った場所だった。今では既製服が安く簡単に手に入る時代、でも当時は服を直すことが当たり前、以上に、必要とされていた時代だった。だから今でもきちんとそのニーズを残して、いや、ニーズがある価値観を持っているこの土地柄、ということこそが、素晴らしいのだと思う。
何人もの修理人と立ち並ぶミシン、色とりどりのミシン糸が健在の工房に、和子さんは目を輝かせる。むかえるオーナーも、無論和子さんより若いけれど、同じ時を共にしたのだろう、尊敬の目で迎え入れる。

まず、この場所が、和子さんの大事な場所がきちんとこの地域に望まれる形で残っていたことが、スタートとして大きかったと思う。
そしてなにより、和子さんがとてもきれいだったこと。結子が、かつての技術を発揮して、和子さんにメイクもほどこして、とてもとてもきれいな、ステキな写真が出来上がったのだ。和子さんのみならず、思わず観客がほおっと声をあげてしまうほどの。

この写真をきっかけに、プロジェクトは一気に女性たちに広まる。やっぱりそこは、いくつになっても女子である。プロのメイクをしてもらって、キレイな自分を、思い出の場所で撮ってもらえるなんて、こんなワクワクはない。出来上がった写真を女子会さながらに回し見ながら、キャーキャー言ってるシニア女子たちが可愛くてたまらない。
この成功で、一郎が企画したものの単なるハコモノで機能してなかった、“団地カフェ”にも人が集まりだした。女子だけではなく、男子も撮り始めた。消防士、靴修理職人、和菓子職人……しかし、女子とは違って、男子の方に多く、ねじれた記憶というか、思い出のあいまいさが出始めた。
いや、最初は女子の方だった。インパクト大の女子のエピソードが最初だったことが、だったら男子もあるよねえ、というちょっとした言い訳めいた導入部だったのかもしれない。

いかにも上流婦人。豪華な邸宅。彼女は目に見えない旦那さんに話しかける。結子に付き添ってきたホームヘルパーの美咲は、彼女に合わせて、いかにも旦那さんがいるかのように結子にも目配せして写真を撮らせる。
めちゃめちゃ愛し合っていた夫婦、夫の突然の死、それを受け入れられなくて、彼女の心の中の旦那さんが、彼女には見えている。「だから嘘をついているんじゃないのよ」美咲は言った。

それは、結子がだんだんと遭遇してくる、一筋縄ではいかないケース……自分が働いていたと思い込んでいる和菓子屋から否定されたシニア男子のケースを、執拗にその真実を追究しようとした時に起こった出来事。
本人にとっての真実と客観的なそれは違うことがある。でもどちらも真実なんだと。和菓子職人だったことは本当だったんであろう、そのシニア男子は見事な和菓子を作って、ゲートボール大会に差し入れしてよこした。ウソじゃない。でもそのねじれを追究する意味があるのか。

結子はさ、記憶もないほどの母の愛情への葛藤がものすごくて、もう、こじれちゃってるのだ。手がかりがないから、たったひとつのつながりである祖母を信じられるかどうかですんごく葛藤しちゃってる。
そんな中、決定的なクライアントの出来事がある。ああもう、古谷一行とか、ヤバすぎだろ!!

ほかのかたくななシニアたちと違って、偶然結子に行き会った彼は、手話を勉強してるの?自分の女房もやってたからさ、と気さくに声をかける。
そう、この時結子はろうあのシニア男子にそれとは知らずに失礼なお伺いをしたと思って、手話入門の本を片手に再度トライするところだったんであった。あんな仏頂面のアイソない子なのに、なんていい子なのさ……。

その思い叶って、一度は拒否られた、ろうのシニア男子もステキなおもいで写真が撮れただけでなく、その写した場所、奥さんの仕事を内職で手伝っていた靴修理工房にその腕を売り込んで買われての、就職まで決まったという素晴らしさなのだが、そこじゃないのだ。この手話が行きつく先は。

古谷一行扮する足の悪い柏葉さん、写真を撮りたいと赴いた先は、妻がやってるはずのお店だったのだが、更地になっていた。
訳あって別居してるのだとしか聞かされていなかった結子は、ここに至って彼が女を作って奥さんを捨てて出て行った事実を知り、激怒する。この場に柏葉さんを置き去りにしちゃう。
おいおいおい、なかなか思い切ったことするなと思うが、それまでに充分に、結子のトラウマ的記憶はなぞられていたから仕方ないっちゃそうなのだが……。

妻を捨てるまでの大恋愛、だったのだろう。でも今、柏葉さんは一人。いつから一人なのか……このお年頃、のちに示される、奥さんを捨てて出て行ってからの年月……。結子が来なければ、そのきっかけさえつかめてなかったんじゃないか。結果的に死んでしまっていたことを確認することにはなるけれども……。
奥さんへのただただ贖罪の気持ち、愛していたことは本当だという気持ち、それを言い出せなかった気持ち……。正直、だったらそんな思いまでして愛した女性が救われないなと思うが……その女性に捨てられたということなのか……。

奥さんは、夫が出ていくことを察知してて、直前に自分を写真に撮ってくれと、言った。残された写真のワンカットワンカットをつなげたら、奥さんは、私は、あなたを、待っています、と、手話で残していた。

感動的、と言いたいところだが、個人的な気持ちで言えば、ちょっと……コワいわ。だってこの事実に気づくには、まずこの写真を手に入れること。そのためには、ダンナが不倫から脱出していること。そして、それが望まれないなら……それは自分が死んでから後の、ダンナがどこかでハッと思って、なんか探った時のことで、後者、なんだよね。
すっかり自分は死んでから何年も経って、ダンナがその間、それなりの逡巡をしていたかもしれないからって、生きてる間に、あるいは死んでからだってそんな間がない間にアクション起こしてくれなかったんかい!!ていうさ、なんかあんまりなんだもん……。

やっぱり、吉行和子氏よね、と思う。圧倒的。しょぼくれた独居老人、突然訪れた若い女の子に素直になれなくて、でも……みたいな葛藤。結子がなんかかわいくて仕方なくなっちゃって、結子もおばあちゃんの影を彼女に見て、かけがえのないきずなを結ぶ。
おもいで写真の写真展を開催した時、やっぱり和子さんの、色とりどりのミシン糸に囲まれて、幸せそうに糸を捧げ持つ、その写真がめちゃくちゃ、幸せになるのよ。
写真に撮られた人、その家族、みんなが見に来てる、車いすに乗った人、盲目の人、サポートする人、にぎやかに、幸福そうに、見てて、本当に心が熱くなる。★★★☆☆


父子鷹
1956年 96分 日本 モノクロ
監督:松田定次 脚本:依田義賢
撮影:川崎新太郎 音楽:深井史郎
出演:市川右太衛門 月形龍之介 江原真二郎 薄田研二 長谷川裕見子 志村喬 原健策 伊東亮英 東山千栄子 山形勲 北大路欣也 神田隆 加賀邦男 有馬宏治 吉田義夫 高松錦之助 源八郎 団徳麿 浅野光男 東日出雄 吉井待子 中野雅晴 小田部通麿 山村英三郎 楠本健二 藤木錦之助 遠山恭二 水野浩 岸田一夫 仁科克子 陽田重利 戸上城太郎 佐々木松之丞 山田光子

2021/5/16/日 録画(時代劇専門チャンネル)
歴史に疎い私には、勝海舟は名前だけは知っているけれども……といった程度。その父たる小吉という人物のことなど知る由もなかったが、まあこれは新聞連載小説だというし多分にエンタメなストーリー展開を加えてはいるんだろうけれど、なんかもう、愛すべき人物過ぎて涙がでる。
小吉はめちゃくちゃまっすぐで、だから世間のわたり方がめちゃくちゃ不器用。
それゆえに出世も出来ず、事故的に人を殺めまでしまって、家族から見放されてもいいようなごくつぶしなのに、観客がどうか彼を見捨てないで!!と祈る気持ちが通じるように、迷惑をかけられっぱなしの家族も結局は小吉を心配し、何とか守ってやろうとするのがすんごくよく判って。

つまりは内容から言えば結構シリアスだし、本当に途中では小吉の転落っぷりはもう立ち直れないほどなのに、物語自体はリズミカルに、時にユーモラスにさえ進んでいくのが面白くて面白くて。

小吉には兄がいる。一見して仲が悪そうに見えた。兄は優秀で、学問ができる。小吉は武芸には秀でているが、学問はさっぱりである。兄は世の中をいかに生き抜くかに、つまりは小心が故に心を砕いている。小吉は自分の信念を曲げるぐらいなら無役のままでもいいと思い詰める。
何から何まで正反対だし、実際兄は、上手く立ち回れない弟に憤ってばかり。でもね、もう最初のうちに示されちゃうの。

最初のうち、いやちょっと違うな、あの構成はそういう意味ではなかなか心憎い。
冒頭は小吉が兄に連れられてきている信州で、手持ち無沙汰に釣りなどしている場面から始まる。いつまで兄上はこんなところにとどまらせるのか、早く江戸に帰りたいのう、とつぶやいているところに、邸に狼藉者が向かっているとのあわただしさ。

そこで急に時間軸がさかのぼる。兄弟が信州でくすぶっている理由が明かされる。ところで小吉は婿養子である。許婚のお信と祝言を上げるためには、せっせと日勤して一日も早く御番入りを果たすことである。
小吉自身は祝言や経済の道を立てることよりも、世の中を良くするためにまずは御番入りを果たす、という気持ちなのに、一緒に日勤している無役の同士たちは、もはや老い疲れ、諦めかけ、それでも高熱を押してまでも日勤しなければ一縷の望みも叶えられない、という悲壮さなんである。
小吉は名声ある実家や大奥を取り仕切っていた伯母方の力でちゃくちゃくと御番入り直前まで来ていたのだけれど、ふと彼は、そんな周囲に気づいてしまうし、まいないを要求されてプチッと切れちゃう。

小吉の気持ちはめっちゃ判る。彼の気持ちを通してあげたいと思うが、思いがけず父親が、そう、志村喬である。志村喬!!!彼が出ているのなら傑作は約束されたも同然!!!……コーフンしてしまった。
そう、小吉の父、平蔵は、見るからに清新そうに見えるのに、あっさりと、要求されている額のまいないを用意するのだ。唖然とし、憤る小吉に、舞台に上がらなければ、何もできない、と穏やかな笑みをたたえて言った。

何度も何度も、この時の言葉が観客に、そしてきっと小吉にもよみがえっていたであろうと思われる。確かに小吉は恵まれている立場。婿養子となりながら、実家から経済的援助を得られる立場。それが悔しく、情けないとも思っているだろう。
でも国のために尽くしたいと思うのなら、それを利用するぐらいの度胸がなくてはならないのだと、この時父親は静かに、穏やかに、笑みさえたたえて諭した。小吉だってそれを深く了解した筈だったのに……。

しかして結局、すっかり相手を怒らせてしまったがために、目の前にぶら下がっていた御番入りはかなわぬまま、先述したように現在の時間軸である冒頭に戻るんである。
先述のしんどい展開の中で、弟にすっかりおかんむりの兄だったが、狼藉者が邸内に侵入したシークエンスで、兄弟のいいところ悪いところが実にコミカルに描写され、なんか仲いいじゃーん!と嬉しくなっちゃうんである。

お兄ちゃんは確かに出来がいい。でも武芸はさっぱり。弟はその反対。お互いそれぞれにコンプレックスを持っていて、それをお互い理解しあえてないままだというのが、このシークエンスで、コミカルさを交えて描かれるのがイイのだ。

岩松様の御名代だと言って狼藉を働きに来る無法者を、その名代の名に怯えて、うっかり斬ってしまったら切腹かも、生け捕りに、いや、斬ってしまえ、いやいやいや、とあのコワモテでおどおどする兄に爆笑!そしてそれに翻弄される小吉が、どっちですか、場合によっては斬りますよ、と言うのにも爆笑!!場合によってはって!
なんかこの場面一発で、この兄弟仲いいんじゃん、いや、そもそも全く違うように見えて、まったく違うからこそ、180度の違いが鏡のように反響しあう似た者同士なんじゃないかとさえ、思えてしまう。

で、この時の小吉の生け捕りの手柄で、狼藉者の嘘八百も明かされ、彼らはまさに凱旋よろしく江戸へ帰還。小吉の父、平蔵が苦り切る勝家のおばばさまを説き伏せて、お信との祝言を決めるんである。
このおばばさまが唯一の敵っつーか、まあ小吉の世渡りのヘタさを思えばしょうがないとも言えるけれど、でもこの大姑も、なあんか憎めないんだよね。正直最初から最後までイジワルだけど(爆)、表情が豊かで、自分自身の気持ちを百パーセントぶつけて、婿殿にも、娘にも、婿兄にも、婿父にもぶつかっていく潔さ、っていうのかなあ。
そのまっすぐさは、ひょっとしたら小吉に通じているものかもしれず、だから二人はめっちゃぶつかるし、引かないけど、ぶつかるってことは、お互いの考えを理解しあってるってことだもの。

小吉が江戸にもどるタイミングで、御支配がお役替えになる。その人物は兄が懇意にしているというので、御番入りへの期待が一気に高まる。
お信との祝言も済ませ、兄の厳しい助言、父のあたたかな後押しによって、あれほど嫌っていた日勤に小吉は励むんである。

後から考えれば、祝言の場で兄が語った、御番入りのために日勤を10年近く続け、かなった時には喜びのあまり突然死、しかしその憐みから息子が取り立てられた、というエピソードは、なんちゅー話をめでたい席でするんじゃいとそりゃ思ったが、そもそものこの物語の成り立ち、小吉の息子、麟太郎、後の勝海舟であるのだということをを考えると……。
でもそう考えると、逆だ、違うのだ。麟太郎は、勝海舟は結局、父の御番入りがご破算になって、なったどころか世間から葬り去られたところから彼の人生はスタートしている。あの祝言の時の兄の言葉は、皮肉ではなく、逆説的真実として迫ってくる。

小吉が手に入れかけていた御番入りがご破算になったのは、その後ろ盾を、これは嫉妬だろうな、嫉妬ゆえに居丈高に揶揄する先輩役人の執拗な侮辱に、小吉が辛抱たまらんくなったゆえの悲劇であった。
小吉が酒を飲めなかったことも悲劇だったが、それだって、父の平蔵が訓練してくれていたのに。

いや、平蔵は小吉が道場での代稽古で遅くなるのをおばばさまから小言食らうのを案じて、自分が一緒なら、酒を飲んで帰宅なら、文句は言われまいと気遣いしてくれたからだったのだ。ああ、志村喬。めっちゃおとうちゃん!
しかしその帰宅途中、お父ちゃん中風(脳卒中といったところだろうか)で倒れてしまう。その時行き合ったのが、それ以前にちらりと小吉との若き日のやんちゃな関係をにおわせていた、市井の商人たち、であった。
屋台の蛍売りの男に声をかけて、全部買おう、庭に放したらさぞかし美しかろう、とお父ちゃんは言ったのだった。そんな風流は、この若い青二才の小吉は介さなかった。子供みたいに屋台売りの男とケンカしている間に、お父ちゃんは倒れてしまったんである。

一命はとりとめた。その庭に、蛍が放たれた。小吉と、そのお父ちゃんも、この界隈の市井の人々に慕われているから、そんな粋な演出がなされたんだった。
彼らの助けが、その後の小吉一家の支えとなる。本当に、子供みたいに、抑えが効かず、酔っぱらっている相手を投げ飛ばして、死なせてしまった。御番入りどころか、である。

でもこの時、父も、兄も、小吉を見捨てなかったんだよね。何とか切腹だけは免れるようにと、奔走した。勘当し、追放したっておかしくない。なのにそれをしないのは、できないのは……ここまでの展開で、リズミカルでユーモラスな展開の中で、十二分に描いてくれているのだ。
小吉はみんなに愛されてる。不器用で、まっすぐで、策を弄したりできない。無茶を働いても、理由が判ればしょげるように反省する。本当に、子供か、天使か!っていうような。

小吉とお信の間に子供が生まれた。その時小吉は、こんな具合だったから、対外的に家の座敷牢に入れられている。あんな広くてゴーカな座敷牢なら私が入りたいけどね!と思うような、広さだけじゃなく、常に長年そばにいてくれている下男、利平治が目も耳も届くところにいる。
無事男子が産まれたあかつきには、お父ちゃんはあっさり鍵を開け、お兄ちゃんもそれをわざとらしくダメだよとか言って座敷牢に帰らせるものの、まるで小芝居みたいに、ちゃあんと生まれたてのいとし子を彼の腕に抱かせてから、その喜びを皆で味わってからなのだ。なんてイイ家族なの。

しかして、この一粒種が長じるまでには、また一苦労、なんである。優しく理解ある、ちょっと甘かったお父ちゃんは鬼籍に入り、墓参りで小吉の隣、その幼い手を合わせている麟太郎はうるわしい美少年に成長している。小吉の息子とは思われないほどに優秀な麟太郎君なんである。なんたって後の勝海舟である。
お信との祝言の時、兄が語った、子供のためまで思っての目指す御番入りという言葉を思い出すが、結局それは叶わず、小吉は一人息子に充分な教育を施すことで、出世の道を願った。麟太郎もそれによく応える利発な少年であった。

彼を充分に教育するための費用を、お信の内職に加え、ナイショで利平治が夜鳴きそば屋で稼いでいる。先述した、小吉たちを慕っている市井の人々が手を貸してくれていたのを知るんである。
小吉はもちろん、麟太郎も涙をこぼし、勉学を辞めるとまで言うのを、小吉は涙ながらに言い聞かせるのだ。

平蔵のあの台詞だ。舞台に上がらなければ何もできない。そして自分たちよりずっとずっとつらい思いをしている人たちのために働かなければならない。そんな偉い男になってほしいのだと。それを涙をこぼしながらも、まっすぐに父親の目を見てうなずく麟太郎。
ああ、これが、これがこれがこれが、北大路欣也!!今回は彼の特集放送のひとつなのだ。これがデビュー、小吉役の市川右太衛門の実際の息子さん。そういうことか……。

なんかこれってね、隔世遺伝かな??と思っちゃうね。麟太郎の登場シーンがおじいちゃんの墓参りから始まるし、そのおじいちゃん、平蔵の息子である二人は、それぞれ特性に秀でていたけれど、それぞれ過ぎて、結局二人ともなんか不器用なままだった。とんびが鷹を産んだ?いや、鷹同士だ、父子鷹だとは言う、それがタイトルではあるけど、それも素敵な言い方だけれど。
まあ、人間的魅力に富んではいたんだから、充分なんだけどね!!そうか、そういう帰結だったのかと、だから思うのだ。日本の歴史に名を遺す、仕事することを義務付けられる人物は、人間の持つ、愛すべき完全ではないパーツの数々を糧にして、ある一人に形作られるのかもしれないなあと、思っちゃったりして。

それにしても、紅顔の美少年、北大路欣也のかわゆさにはびびった。その彼と今、同時代を生きている、生きさせてもらっているというありがたさ! ★★★★☆


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