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「む」


2022年鑑賞作品

向田理髪店
2022年 108分 日本 カラー
監督:森岡利行 脚本:森岡利行
撮影:早坂伸 音楽:Yuka
出演:高橋克実 白洲迅 板尾創路 近藤芳正 芦川誠 田中俊介 坪内守 鈴木大輝 永田崇人 重松隆志 運上弘菜 カイラ ショウきん 佐藤順一 中尾新吾 前田みどり 林田麻里 まこパーティー 矢吹奈子 本宮泰風 筧美和子 根岸季衣 富田靖子


2022/10/23/日 劇場(ユナイテッド・シネマ豊洲)
少し懐かしいような気がした。もちろん、今の地方事情を現実に目の当たりにしていないのはあると思う。地方出身者ではあるけれど中堅都市だったし、そこを出てからも随分と経つから。

ただ、原作小説が発表されたのは10年ばかり前、コロナがなければ確かにその状況はそのまま進み続けるであろうと思われた。若い人は皆、東京に代表される都会に出ていき、高齢化が進み、商店街はシャッターが軒並み降ろされている。
理髪店やガソリンスタンドなどの必要な店がそれぞれ一軒しかなく、競争社会がなくのんびりとしている一方、変化も刺激もなくなっていく小さな町。それがただ悪いことなのかということにさえ、思い至らなかった。劇中、康彦(高橋克実)が言うように、終末医療に例えられるような町なのだと言われればそんな気もした。

コロナが大きく価値観を変え、住むところは都会である必要がなくなった。それは原作小説が発表された10年前では、いや、ほんの3、4年前でさえ考えられないことだった。とにかく東京に出なければと思い、地元に残るなら選択肢が限られる覚悟を強いられる、この二択しかなかったのは事実。
私の学生時代もまさにそうで、それは主演の高橋氏から数えて10年ほど後だが、その二択はほんの最近まで確かに変わってなかった。実に半世紀ほど変わってなかった。なのに3、4年で変わってしまったのだ。

原作が厳然としてあるから、その変化を盛り込む訳にはいかない。だからどこか、懐かしい感じがする。特に令和だとか言ってる訳じゃないし、スマホもまぁ、10年前ぐらいからあるし、10年前を舞台にした、と言ってもおかしくないかもしれない。
コロナを経て変わった世界を知っているから、きっと原作発表当時は社会問題として受け取られたであろう地方問題も、希望的見解をもって眺められる。

実際、劇中で描かれる、都会に疲れて戻ってくる若者たちが、一時的な町おこし熱に浮かされる的な話は、事実でもフィクションの世界でもちょいちょい耳にした覚えがある。
実際はそう簡単にはいかない、というのが現実だったろうが、カフェだのコミュニティFMだのといった、判りやすい……いわば器を用意するブツ的な町おこしがなくても、地方でも都会でもどこでも、働いたり発信したりする空間が通信で出来る仕組みが前提としてある時代になった。
居心地のいい場所、友達や家族がいる場所で現実の生活を営む、というのが理想ではなくリアルになりつつある現代から見ると、そんなにムリしなくていいよ、と声をかけてあげたくなる。

筑沢、というのは架空の町ということなんだよね。実際の原作では北海道のある町が舞台だったということを知って驚く。
本作の撮影がされたのは大牟田市。高橋氏が方言指導をお願いしたという妻役の富田靖子氏出身の福岡県の地方都市である。

康彦は父親が倒れたタイミングで実家の理容室を継いだ。後に語られるところによると、東京に出てマスコミ業界でバリバリ働きたかったものの、結局うだつが上がらず、父親のことを理由に尻尾を巻いて逃げかえった、と、自分では思ってて、負け犬なんだと自嘲している。
口には出さずにいた。でもそれが、東京に出した息子が、同じように舞い戻ってきたことで封じてきた思いが開かれてしまった。まだ自分は倒れてなんていないけれど、どうやら東京で思うようにいかなくて帰ってきたらしい息子の様子に自分を重ねてしまったのだ。確かにそれはある程度は当たっていたのだけれど……。

原作はそもそも短編集で、いくつかのエピソードが集約されているので、どこかオムニバス的雰囲気も漂う。
康彦たちの高校時代のマドンナ、早世してしまったんだけれど、その一人娘が祖母の世話を見るために帰ってきて、商店街でスナックを始めた、と聞きつけて町の男たちは浮足立つ。あの美人のマドンナの娘だからさぞかし、しかも幼い頃から知ってるし、なにか、源氏物語の若紫の育った姿を愛でたい、みたいな。

中国人のお嫁さんをもらった男の話が、私的にはかなり印象に残った。都会でなら心に思うところがあっても、表面上は理解あるフリの無視を決め込み、関わり合いにならない、みたいなサイアクのスタンスをとるだろう。
でも町中が顔見知りのようなここでは、そんなことを続けていられない、そんなことでは生きていけない。これを、マイナスとしてしかとらえられなかった。確かに、今までの、都会至上主義の価値観では、だからこそ、ここを出たいと思った。でもアパートの隣の人ですら知らない、ご近所さんの感覚が失われる都会の、その気楽さを引き換えにするほどの価値のある自由なのだろうか?

大輔は中国人の妻、香蘭と地元で暮らすことを選択した。果物畑を持っているのだから、それしか選択肢がなかったのかもしれないけれど、その地を売ってしまって都会に出るとか、そういう選択肢だってあっただろうと思う。
いくつかあるエピソードの中でも、結構このカップルの話が気になったというか、好きだったので、いろいろ想像しちゃう。あれこれ詮索されて、邪推されて、それを先回りして身構えて。確かにそのとおり、詮索されるし邪推されるけど、最初を突破しちゃえば。結婚したということを披露し、奥さんを紹介してしまえば。

最初だけだと、康彦は説得する。皆が知るところになれば、ビクビクする必要もなくなる。コミュニティに飛び込んでしまえば、ヘンな邪推もされなくなる。
確かにそのとおりで、彼らの結婚を祝う会、つまりはザ・披露宴に大輔は委縮しまくるんだけれど、思いがけずカワイイお嫁さんの香蘭ちゃんが歌とダンスでみんなをトリコにしちゃって、心配ご無用、なのだ。気持ちなのよ、気持ち気持ち!!もうこれ一発で、みいんなこの夫婦を応援する気持ちになるんだから!!

一方、町おこしプロジェクトというのがあって、康彦の息子の和昌、ガソリンスタンドを営む瀬川(板尾創路)の息子の陽一郎が代表的な二人となって、役所のバックアップで進んでいく。
康彦はおだやかではない。そもそも役所の人間は地元ではなく、転勤で今関わっているにすぎず、この町に住みたいと思う人なんているのか、というところが、東京に出たものの逃げかえってきた負け犬の自覚があるだけに、噛みつくんである。

確かにこの問題があるからこそ、彼は息子の帰還に素直に喜べないし、自分自身もその過去を忘れられないから、故郷である筈のこの土地に、仲良しの幼なじみもいて、気安く楽しく暮らしてはいても、申し訳ないような歯がゆいような、情けない自分を感じ続けているのだろう。

でも、結果論だ。どんな経過をたどったとしたって、康彦は今ここに、この町に必要な理容店として働いている。息子が一瞬帰ってきて、カフェを併設して憩いの場にするとかなんとか、それが実現しても面白かったかもしれないけれど、結果息子は、もう一度東京に夢を追いに戻っていく。
でもそれは、この町に幻滅したんじゃなくて、むしろきっかけをもらった。誘致した映画撮影。そのヘアメイクの助手に携わったことで、理容技術以上の可能性を自分自身に感じて、何よりそれは、康彦が案じていた、若いもんなんだから、夢を持たなきゃ、ということだった。

まぁこれも人それぞれの考え方だけれど、こうした明確な夢が持てるのなら、それは確かに有効だと思う。十中八九、ぼんやり、ここはやだなー、とりあえずわかりやすい都会がいいなーとか、いうのが現実だから。
ある意味それが許されていたのが、ここまで現実問題に直面していない、私のようなまあまあの中堅都市を転々としたようなヤツであり、だからこんな、ユルいことが言えちゃうんだろうなあと思ったり。

事件が起こる。彼らの憩いの場、スナックのママの息子が詐欺グループの主犯として指名手配されたんである。東京に出たっきり、何年も連絡がないと嘆いていたママ(根岸季衣)。店に出ている時は派手なメイクと衣装だけれど、ワイドショーの取材陣が囲い、刑事が終日見張っている中、憔悴したママ、根岸季衣氏はまるでオバサンではなくオジサンのようである(爆)。
何年も連絡がなかったのだから、その間何か悪い思想にかぶれたのかということも考えられるけれど、嘆き悲しんだ先でママは、あの子はそんなことをする子じゃない。押し付けられて、その濡れ衣から逃れるために逃げ出したんだ!と康彦に涙ながらに訴えるんである。

実際のところは判らない。結果、彼は康彦の息子たち、地元の仲間に連絡を取り、自分にも言いたいところはあるけれど、捕まる前に母親に会って謝りたい、と言ったのだった。
かくまった罪が問われそうにもなったし、康彦たち父親は心配しまくっていたから息子たちを罵倒しそうになるけれど、事情を聞いてしまえばめちゃくちゃ判る話だから……。

いくつものシークエンスが織りなすように畳みかける本作の中で、いっちばんキツいエピソードだったけれど、とにかく母親役の根岸季衣氏がもう心に迫りまくって。
ママの時のハッデハデの、つまりはイタい水商売姿と、オバサンどころかオジサンになっちゃってるぐらいの憔悴スッピン、息子と相まみえた時の号泣ハグに胸が詰まっちゃってさあ……。

このママと対照的な存在として登場するのが、先述したマドンナの娘、早苗ちゃんである。オープンしたらもう町中のオッサンたちが詰めかけるもんだから、奥さん連中は穏やかではなく、つまりはやきもちなんだけど、水商売はね、ということでコミュニティに溶け込めないままなんである。
それは、奥さんが中国人、だけど、いわば世帯主である夫の方が彼らのコミュニティにとって受け入れるべき存在だからこそ積極的に動いたのか、とこの事案と対照させる形で気づいちゃうと、なんかツラいんである。
つーか、男が悪いけど。誰か一人でも、気にしてる奥さんを一緒に連れて行ってみたら全然違っただろうに、男はそーゆー発想がそもそもないんだよなー。酒飲みの奥さんなんていっくらでもいるだろうに。

そういう感覚も恐らく、地方都市でもさ、10年前と今では違ったんじゃないかな、と思われる。早苗ちゃんはそんな具合にしばらくこの町のオッサンを、つまりマドンナの娘として、幻影みたいに、彼女の思惑とは違ったところで惑わすんだけれど、いろいろな段階でその終止符が打たれる。
すっかり彼女に心酔して、ワカモンの心無い、まあつまりは特段考えてもいないヤリマン的噂話に激高して傷害事件沙汰になっちゃった修一(近藤芳正)のエピソードがまず発端となる。

この町に映画撮影隊がやってきて、町民たちがエキストラとして参加、その役どころで一喜一憂。その中で、マドンナの娘の早苗ちゃんと、彼女に心酔している一人、康彦の親友、ガソリンスタンドの瀬川が早苗ちゃんと不倫カップル役になって、大喜び。
康彦の妻、思いがけず大きな役をもらう。血まみれの死体にビックリして、叫びながら外に逃げ出すという大役。ちなみに血まみれの死体は修一。ぶつぶつ言いまくってるんである。

主演男優、宮本(本宮泰風)は慇懃無礼なザ・スター役者だし、相手役の若手女優、大原は、こんなレオンのパクリ映画なんて!!とゴネている。
宮本はサインを求められると、快く承知するけれど、マネージャーに書かせる。大原は、ゴネながらも、大物プロデューサーが登場するとわっかりやすくすり寄りまくる。
このあたりはちょっとわざとらしすぎる気もするけれど、これが現実だと言われちゃったら、それはそれでショックだけどなあ。

橋氏がラジオでかなあ、言ってたけど、やっぱり富田靖子はレジェンドで、特に映画の世界のレジェンドでさ。映画は、なんか……製作スタンスで遅れがちなのもあるのかなあと思うけど、本作ではことさらにそれを感じてしまったから。
だって、町おこしの急先鋒みたいに喝采されたのに、結局東京かよ!!と言われちゃうじゃん。そして、その理由が、映画ロケに来ていたプロのスタッフさんの、何気ない、つーか、お世辞的な一言でおー!と思ったというのは……確かにそのきっかけは大事だと思うけれど、実家に帰ってきて理容技術を学ぶ学校に通うまでなぁんにもそういう方向に行ってなかったんだよね……と思っちゃうよなあ。

少しずつ少しずつ、急激に変わっていってる現代の情勢とズレてしまっているのが惜しかったと思う。ほんのつい最近までは、と思うが、それはよりよい変化故と思う、思いたいからさ。★★★☆☆


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