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人間魚雷出撃す
1956年 85分 日本 モノクロ
監督:古川卓巳 脚本:古川卓巳
撮影:横山実 音楽:小杉太一郎
出演:石原裕次郎 葉山良二 杉幸彦 長門裕之 津川雅彦 森雅之 三島耕 西村晃 安部 浜村純 天草四郎 河野弘 二本柳寛 内藤武敏 神山 宮崎準 島村謙二 水谷謙之 里実 古田祥 芦川いづみ 左幸子 木室郁子 堀川京子 田中筆子 河上信夫 新井麗子 紅沢葉子
この橋爪艦長を演じているのが森雅之なもんだから、あの端正なお顔で、でもこの戦況で頬もこけて、ギリギリの状態で若き特攻隊員たちを慮る彼に胸が痛む。
本作は彼がワシントン軍事法廷に参考人として質問されているところから始まる。かつて敵国だった諸外国のジャーナリストたちが矢継ぎ早に質問してくる。艦長率いる潜水艦伊号58が沈めたのが図らずも、広島、長崎に投下された原爆の一部をその直前、テニアン島に運んでいた重巡インディアナポリス号だという事実がそこで明らかにされる。
艦長は、もしそれより前に撃沈させていれば、あのような悲劇は起こらなかった、残念だ、と言った。でもそうだろうか。
もちろんそういった気持ちもあったに違いない。でもそのインディアナポリスにも敵とは言え目に見えぬ命ある人間たちが乗っていたことを、何より艦長は身に染みて感じていたと思う。
ジャーナリストたちは続けて問う。この時搭載していた魚雷、回天を使用しなかったのはなぜかと。彼らはその魚雷が、操縦する人間ごと突っ込むことを知ってそう質問したのだろうか、知らずにだったのだろうか。
あまりにもあっさりと聞くもんだから、ええっ、この日本的、天皇陛下のための無駄死にシステムを、何でやんなかったの、と聞いてるの??……実際のところ、どうなんだろう……。
でもそんなことが吹っ飛ぶほど、その実際の、閉じ込められた潜水艦の中の、今日死ぬか、明日死ぬか、という数日間は壮絶なのであった。
そうそうたるスター俳優が名を連ねる。回天に乗り込む、つまり敵に突っ込んで死ぬこと大決定の若者四人は、葉山良二、石原裕次郎、長門裕之、あともうお一方、杉幸彦氏は私知らなくてすみません……。
若き日の石原裕次郎の可愛さといったらない。私的には長門裕之氏大好きなもんで。実弟の津川雅彦氏が劇中でも弟役として、病弱な弟が、お兄ちゃんの運命を知ってふてくされながら涙を流す、あの切なすぎる里帰りのシークエンスよ。
彼らが特攻隊員として訓練を受けているシークエンスが、軍事法廷からタイトルクレジットを挟んで、物語られる最初なんである。
敵に突っ込んで死ぬ訓練をしているんだけれど……そう考えるとゾッとするし、不条理なんだけど、単純な軍事スパルタ。お高いところからバシバシいうだけのお偉いさんに毒づく黒崎(石原裕次郎)を、ちょっとお兄ちゃん的存在の柿田少尉(葉山良二)がなだめる、といった図式。
柿田少尉だって、黒崎とさして年も違わない若者。そして長門氏演じる今西は、後に何かの会話シーンで年齢を聞かれて19だと告げる。若い、本当に若い。
そんな若い彼らが、訓練している時にはまだなにがしか、特攻隊員であること、死ぬしかない運命であることに理不尽を感じているように見えたのが、戦地となる洋上に赴き、何度も送り出されては電気系統の故障やらで戻され、その代わりに先輩が命を散らし、すぐにでも突っ込んで敵を撃沈しなくては、とどんどん正常な意識では考えられない思想になってくる。
焦りなのか誇りなのか、このまま帰る訳にはいかない、と焦燥感たっぷりに艦長に直訴する、その繰り返しが、なんなの、なんなのこの異常事態。
だって訓練の時には若者らしくやさぐれて、お高くとまってるお偉いさんたちに毒づいていたじゃない。つまり、死ぬのが嫌だ、嫌に決まってると、当然の感覚だったじゃない。
なのにここにくると、そして自分の代わりに先輩が、しかも見事に敵艦を撃沈して命を散らすと、もう戻れない、生きて帰る訳にはいかない、ていうか、こんな風に何度も差し戻されることがたまらなくなって、もう行かせてくれ、いい加減行かせてくれ、と懇願するようになってくる。
この異常さ。万が一のチャンスでも生きて帰れればと人間は思う筈だと思う、安穏な現代に生きているこちとらが思う煩悩をぶっ飛ばす。
彼らにとっては、何度も屈辱を差し戻されるぐらいなら、さっさと敵艦にぶち当たって、死んでしまう方がラクなのか、そうなのか!?
この究極の状況ではすでにそれは、名誉の戦死ですらない。誇りなんてものじゃない。男の意地ですらない。
もう行くしかない、それしかないと思い込まされるこの異常事態はヤハリ、彼らがハタチそこそこの、人生経験も浅く、恋愛もほのかな、近所の女の子相手といった過去しかないからこそなのか。
そもそもこの戦況、なんだかおかしいのだ。攻撃してくる敵に応戦する、てんじゃない。敵がいそうな洋上に出張って行って、敵が来ないかな、来たら攻撃するのにな、といったスタンスなのだ。
……思わずふざけた調子で書いてしまったが、そう書きたくなるほど、何それ、フツーに考えて人間は、誰かを殺したくないし、誰かから殺されたくもない。なのにわざわざその可能性があるところに出張っていく、その、不条理なチャンスを待ち構えて、殺したり殺されたりする、って、何それ!
これが戦争というものなのか。しかももう敗戦間近なのが判ってて、いわばつまらぬプライド、このつまらぬプライドを指示したのは、……結果的には、天皇陛下に責任転嫁されたということだったのか。
橋爪艦長が参考人として召喚される軍事法廷からスタートするということは、本作がこのくだらない矛盾を描こうとしている気概を感じるし、石原氏、長門氏、葉山氏に比してやはりやはり、森雅之は一世代上のスタ―であり、貫禄があり、説得力があるんだよね。
潜水艦の中はまるで、部活か修学旅行のように、なんだか楽し気な雰囲気なんである。特攻隊員の若者たちにとっては、一世代上のベテラン兵士たち、というか、技術者、職人的な人たちが多くて、つまり彼らが、命を投げ出す特攻隊員たちを、まるで我が子かのように、いつくしんで送り出すのだ。
今日が最後か、明日が最後かと、乏しい食糧事情の中でも何度となく杯を合わせ、かなわず悄然と帰ってくる黒崎や今西を、また次があるさ、と慰める。
次って何よ!!と我に返ってこちとらは思うんだけれど、とにかく敵に突っ込んで死ぬってことを待ちわびている黒崎たち、そんな特攻隊員の特殊な思想を判っているおっちゃんたち、という図式が、この異常事態の時代には成立しちゃってるもんだから……。
これまでいくつか特攻ものを見てきたけれど、本作が最も尺も短く、潜水艦と言う閉じられた空間、クライマックスには敵との攻防で艦内浸水しまくり絶体絶命、てな目まぐるしい展開で。
特攻もの、てゆーか、戦争ものはまず基本的に、家族、恋人、恋人までは行かなくても想いを寄せている人とか、そうした人とのつかの間の邂逅、お別れも言えずにみたいな切なさはマストで描かれる。
本作もそれはある、あるんだけれど……ビックリするほど駆け足である。とりあえず入れましたという感じというか……そもそもの尺が短いもんだから、その駆け足シークエンスはなんか忘れちゃう。
黒崎は妹から彼女に模したお人形を渡されるのだが、かなり微妙な造形のお人形……彼女にソックリ?そうかなあ……ちょっと怖いけど(爆)。
この時、黒崎は両親が空襲で亡くなったことを知り、そんなん、めっちゃ衝撃的な事実なんだけれど、全体の尺の短さと、黒崎たち特攻、彼らを支える先輩軍人たちの、潜水艦の中のせっぱつまりまくりの展開が濃密すぎて、家族や恋人たちの印象が薄まりまくっちゃう。
でもそれが、リアルな当時の戦争というものなんだと思う。毎年、なにがしかの戦争映画は作られるけれど、当時から時間が離れれば離れるほど、女性に対する目配せが足される。
戦場に行く男たちのリアルしか描く余裕がなかったところから、段々と取材を重ねて、というのはそりゃ当然とは思うのだけれど、ヤハリ時間が離れれば離れるほど、いくら取材した上で脚本が書かれても、生ぬるくなってしまう。
こうした、切羽詰まりまくった時期を設定、しかも潜水艦、というところで、いくら彼らを愛し、心配していても、女たちの入る余地など、ないのだ。
だって女たちは、死なないんだもの。空襲で不幸にも命を落とすことはあっても、こんな風に、好き好んで、死ぬしかないっつって、敵に突っ込んで死ぬなんてことは、ないんだもの。
本当に戦争の意味を知っているのは男と女、どっちなんだろう。女側から見れば、男、バカじゃないの、訳判らず死ぬしかないなんて思いこんでバカじゃないの、と思っちゃうのだが……。
敵艦を撃沈して、おめでとう、と言い合うとか、ちょいちょい違和感を感じる、それは健全なのだろうと思いたい。
敵艦を撃沈、それはつまり、無数の人々を殺したということなんだけれど、見えていないから。しかもわざわざ、敵がいそうなところに出張って行って、意味なく危険に身をさらして、異常なマゾだろ、ていう……。
戦争って、なんなんだろうね。それなりの理由がある、ってことは、こうした戦争映画、あるいは現代に起こってる戦争の背景から知り得たりはするし、なるほどと思わなくはない。
けれども、その解決の手段を戦争にしてしまったら、何一つ解決しない、解決するための手段が解決しないって!!そんなこと、子供でも分かると思うのに、この今の時代、〇−チンさんとか、判らないんだよなあ。
艦内で、度重なるピンチを脱出したり、次には敵を撃沈だ!と言い合ったり。関西なまりの味のある職人とかもいて、年若い彼らの、もう次のチャンス(チャンス、と言っていいのかどうか……)で敵に突っ込むんだ、と思い募っている気持ちに寄り添う。
将棋をさしてみたり、みんなで歌を歌ってみたり……彼らが一緒にこの潜水艦にいたのは何日間だったんだろう。この閉じられた、光も差さない空間で、限られた食材でささやかな壮行会を開くことも数回、つまりそれだけ、何度も死ぬ気で乗り込み、何度も差し戻され、という精神破壊されんぞという状況。
そりゃそういう状況だったら、生きたいとか、死にたくないとか、そういう基本的本能にさえ、特攻で突っ込んで死ぬんだという運命意識の方が勝ってしまうのか。
この極限の、この時代の状態なら、そうだったもしれない。それが判ったからこそ、本作は、落ち着いて、見通せる、軍事法廷のシーンから始まったのだと思う。
法廷だなんて、落ち着いた、大人じゃなきゃ飲み込めないシークエンスだ。私たちは今、当時何も申し立てられずに死んでいった若き彼らの代弁者となりたいと思う。当時の彼らより、ずっとずっと年を取ってしまったから、実際はパイセンだけど、パイセンの擁護ができるなあと思っちゃったから。★★★★☆