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放課後アングラーライフ
2023年 83分 日本 カラー
監督:城定秀夫 脚本:城定秀夫
撮影:渡邊雅紀 音楽:林魏堂
出演:十味 まるぴ 平井珠生 森ふた葉 カトウシンスケ 宇野祥平 中山忍 西村知美
本作のヒロイン、めざしちゃんが、弁当に消しゴムのカスを入れられ、SNSでクラスメイト総出でディスられるというオープニングに、うっわまたきた、もうやだ、と思ったが、父親の転校、という見事なエスケイプによってそこを脱するからまずホッとする。
しかも転校先はそれまでの東京の、いわば都会の学校と違って、まず西、思いっきり関西弁、クラス全員が担任に総ツッコミするような。
そして自然豊かな港町のロケーション、冒頭のイジメシーンが教室の中、そしてSNSの中に閉じ込められた閉塞であるのと対照的にぱーん!と開けていて、これはいいところに来た!と観客は思う。そう、観客は思うのだが……。
タイトルであるアングラーライフ、アングラーというのが釣り人を意味しているなんて初めて知った。つまりは釣り同好会なのだが、それを用いてアングラ女子会と命名しているあたり、センス爆発である。
転校生であるめざしに真っ先に運命感じちゃったのが、この会のリーダーで釣具屋の娘、椎羅(しいら)。
自分と同じ魚の名前だ!という訳なんだけれど、後にこの会の自称ナンバーツーであり、椎羅に恋する勝気女子、明里(あかり)に、めざしは干物の名称だから!と喝破されるのが微笑ましい。シスターフッドの中にリアルラブも入りつつだけれど、それは昨今の多様性の方向というよりは、昔懐かし女子校あるあるな疑似恋愛なところに抑えられている感もあり。
正直言うとこのアングラ女子会の女の子たちの芝居はまぁその、初々しいっていう感じで見ていてもどかしい部分はある。でもそれは、先述したけどリアルなイジメ映画、社会派映画が乱立している中に一服の清涼剤を感じさせもして好感が持てる。
ただ、ただただ……釣り同好会、なんだよね、そして当然釣りの場面も数多く出てくるんだけれど、釣りあげる魚が死んでいるとしか思えない(爆)。完全にしーんとしてる、彼女たちは釣りあげてキャーキャー喜ぶんだけど、う、動いてないだろ(爆爆)。
釣り場面はヤハリ、吊り上げた魚がピチピチと動き、苦労して釣り針から外すとか、跳ねてどっか飛んでっちゃうとか、まぁベタかもしれんけど、でも釣りのリアリティは生きている魚を相手にする真剣勝負だからこそ。
それがあんな、全然動かない魚を釣られても……死んでる魚じゃなかったのかもしれないけど、時々ちょっと動いているような気はしたけど、でも少なくとも瀕死の魚(爆)。一番大事なポイントと思うから、この一点で、かなり気持ちは下がったのだけれど……。
めざしが前の学校でいじめられていたことを、両親は知っていたんだろうか??めざしの新しい学校での様子を気にかける母親の様子から、知ってたんじゃないのかなとも思うし、そもそもこの転勤に、東京に住んでいたお母さんと娘が躊躇なくついてきた、というのが、お母さんは娘の事情を知ってたんじゃないかと思われる。
なかなかないもの、高校からの転校は。お母さんは、お父さんの給料も下がったからめざしが釣ってきた魚をおかずにしたいわ、なんて冗談めいて言うけれども、そしてお父さんも、そんなこと言うなよ、なんていなすけれども、知ってたからこそ、判ってたからこそ、むしろこの転勤を受け入れ、娘を連れて来たんじゃないかなあと思う、というか、思いたいというか。
そのあたりは単なる私の妄想、希望的観測。ちょっと私の学生時代を思い出しちゃったから(爆)。
めざしはもう失敗したくない。友達は作らない。授業が終わったらすぐに家に帰る、そんな誓いを書き出していたんだけれど、初日から破られた。椎羅と凪に呼び出されたのだ。
目をつけられた、終わった……とめざしはビクビクして赴くのだが、思いがけずの同好会への勧誘、というか、有無を言わさず連れてかれて、その日のうちにもう水面に釣り糸を垂れている。
その後も怒涛のように釣りに連れまわされて、めざしはどう感じていたのか、観客にも、そして彼女自身も、楽しかったのかどうか、まだ判らないのだ。
めざしはつぶやく。楽しかったのかな……と。それは、楽しかったと思いたいような、逆に、友達を作らずに平穏に暮らしたかったのに、というような、複雑な気持ちが垣間見えた。
それは、ラストシークエンスで示される、めざしの本音、いじめられていたということがあるにせよ、なぜ友達を作らないのか、というところに収れんされていく。
いじめられたきっかけ、それは些細なこと。体育の授業でのペア決めで、最初に声をかけてくれた相手がいて、断った相手がいた。その断った相手が、そもそもは友達だったんだけれど、それキッカケでじわじわと関係が悪化した、そしてクラス全体からイジメを受けることにまで発展した、というんである。
最初は友達だった、でも私が悪かったから、とめざしは後に椎羅たちに吐露する。だから友達が怖い、友達が変貌することを知っているからだ……。
めざしが悪い訳はない。でもいくら彼女にそう言ったって、誰が説得しようとしたって、ムダなのだ。友達に裏切られた、とさえ思えないのだから。友達からイジメられるようになったのは、友達を怒らせた自分が悪い、という思いを、その当の、友達なんかじゃなかったクッソ女子に植え付けられたのだから。
こういう図式なんだなぁと思う。イジメられる辛さはもちろんだけれど、自身の責任なのだと、内側に閉じこもらせることこそが最大の罪なのかもしれないと思う。
だってさ、外から見れば姉御肌の椎羅、クールな凪、椎羅ラブの明里はめざしを敵対視するも、それゆえめざしを捨て置けない、熱いハートの持ち主だし、なんて素敵な仲間たちに出会えたのと思う。
しかも大人たちも総じて素敵なんだもの。夫を早くに亡くしてシングルマザーとして椎羅を育て、釣具店を切り盛りしているトロリン、トロリンに恋している、アングラ女子たちを釣りポイントに送迎してくれる農家の山神を演じる宇野祥平。
なによりめざしの両親である中山忍とカトウシンスケ、娘を心配している雰囲気はあるものの、決して踏み込まない、絶妙の距離感、……というより、家族間の物語はほとんどないから、むしろ物足りないと思うぐらいなんだけれど。まぁそりゃそうよね、これは高校生の、ひと夏の物語、なんだもの。自分を顧みれば、そりゃ親のことなんて考えなかったわさ(爆)。
ずっと、めざしは、同級生である筈の仲間たちに、敬語だった。無理に突き合わせているんじゃないか、最初に気づいたのが凪だった。メガネ女子、実家は食堂で、魚をさばくのも料理をするのもお手のもの。だからこそ、魚をさばくどころか、内臓を出したりするのを見るだけで気が遠くなるめざしに気づけた。
えさであるゴカイ(みみずみたいなやつ)をつけられないのはまぁ判りやすいけれど、それだって、椎羅は慣れ切っちゃってて気づけなかったのだ。凪から、最初はどうだったのか、と警告されて、椎羅もハッと気づいたんだった。
私なら、凪に恋しちゃうけどなあ。外見はクールだけどとても細やかな人。めざしが単に内気なだけではないと見抜いて、アカウントを発見、いじめられていたことを見抜くものの、誰にも言わないから、とさらりと言う。
でも結局、めざしはそれに向き合わなければいけなかったから、最後の最後、仲間たちに告白し、真の絆を得るんだけれど、でも凪に最初に見抜かれたことが、やはりこの第一クッションが、ものすごく大事だったに違いなくて。
夏休みに入り、また楽しい釣り計画があった。あったのに、事件が起きた。些細な、客観的に見れば、ほんの些細な出来事に見えた。でもこれは、必要な事件だったのだ。
釣り道具を探しに椎羅の家の釣り道具店に来ためざし、流れでちょっと釣りに行こっか、となった。この時ほんのちょっと、めざしは本音を吐露した。いわゆる女子高校生的ノリが苦手なのだと。
後にリフレインされる、最初になだれ込んだカラオケでの一幕、キョンキョンの「渚のはいから人魚」を入れためざしに、他の三人も盛り上がって参加したあの場面で、この時に一気に距離が縮まったと外野は単純に思ったものだが、まぁそれもあったけれど、めざしはそれを受け入れることがまだできなかったのだろう。
楽しかったのかな、その言葉が百パーセント示してる。楽しかったのか、楽しかったと思いたいのか、そもそもこんなノリが苦手、いや、苦手だと思っているだけで、楽しいと思ったんじゃないのか、みたいな……。
今単純に、陽キャ、陰キャなどと分類され、それはそれで便利なところはあるけれども、ことにこんなティーンエイジャーの時には、まだ定まっていないと思うし、状況によって、一緒にいる人によって違う……何よりやっぱり、友達、そう、友達よ……それで違うんだもの。
めざしはずっと、アングラ女子たちを友達、と言えなかった。自信がなかったこともあるだろうけれど、何より、クライマックス、号泣ポイントで吐露するように、友達にいじめられたから、友達になるのが怖かったのだと。
これは……これは、深いよ。先述したようにイジメ映画の凄惨さに心折れまくりだったけど、そもそも友達だったのに、というのは、いや、あったと思う、あったけれど、主人公がそのことに自責の念に駆られてしまうという間違った、メチャクチャ間違った方向性は、これは、意外に、意外になかったかもしれない、と思う。
そもそも友達だった、というのは……それこそがめちゃくちゃツラい、友達って、人生の中でトップに位置する存在意義だと思うからさ……。
魚が死んでる(爆)のと初々しいというにも時々ツラくなる芝居がなかなかにツラかったけど、それで斬って捨てるには、私自身のティーンエイジャー時代に思い当たる節がありすぎるからなあ。
大人キャラたちがちょっともったいなかった。だってめちゃいいキャスティング、大人キャストの中のエピソードをもちょっと、さらりでもいいさ、山神が椎羅ママに告白してオッケーした先、めざしの両親が娘の釣りライフ、友人との関係性に触れるとか、見たかったなあ。見たかったなあというか、その物足りなさが本作の決定的な欠如だと、思い切って言いたいぐらい。
青春映画は、青春世代の描写はもちろんマストだけれど、その親世代が、絶妙ににじんでくる、その匙加減がカギなのだと思うからさ。
チョクで関わるんじゃなくて、見守っている、というヤワさだけじゃなくて、人間として、関わっている。それが出来る要素があちこちにあったと思うんだけれど、子供と切り離されていて、もったいない感じがしたかなあ。★★★☆☆
同性としての嫌悪感なのか、人間としてのずるさ愚かさを、自分の中にだってこうなる可能性は100%あると判っているからこその自己嫌悪感なのか、判らない。
綿子が、自分がとった選択が今この結果を招いているということに直面したくなくて、夫をのらりくらりとかわすのが、なんかホントに、ヤだ、こういう女ヤだ!と思っちゃって、そう思っちゃうのが辛くて。
綿子と夫、文則の、朝出がけのシーンから始まる。淡々と言葉を交わす、一見すると穏やかな日常を過ごしている夫婦、悪くはないように見えた。
でも後から思うと……けんつくしている激しさも、無視を決め込む意志の強さもなく、表面上は穏やかな夫婦に見える程度の、冷めきってはいるんだろうけれど、その様を出し合うのも疲れるから、対外的には特に問題のない夫婦のようにも、見えた。
それがそもそも、一番、いけなかったのかもしれない。結局、綿子の恋人が突然死んでしまうことによってしか、この夫婦は向き合うきっかけをもらえなかったのだと思えば、あまりにキツすぎる。
綿子の恋人、木村君。思えば、木村君、であった。下の名前で呼んでなかった。いや、綿子と彼が二人きりでいた時には、名前を呼び合うこともなかっただろうか。ただ二人、幸せそうに寄り添って、見つめ合うばかりだった。
グランピングデートから都心に帰ってきてお茶して別れて、その直後、綿子の背後で木村君は事故に遭った。綿子は救急車を呼んだのに、その場所を隊員から問われて、動揺して、誰かが通報していないかと見当違いの質問をして、そして、電話を切ってしまった。
そして、共通の友人からその死が伝えられた時にも木村君、と言っていたし、最終的な修羅場、夫と、いわばようやくバトルになる場面でも、木村君、と彼女は言ったのだった。別れたくないという夫に、木村君に会いたい、と。
ついに下の名前で呼ばず、観客も下の名前を知らされず、ただ綿子の中だけで甘やかな印象を残して死んでいった木村君は、アイデンティティすらも奪われてしまったように見えた。彼がどんな思いで、綿子と秘密の恋を続けていたのかなんて追及の機会も、永遠に失われてしまった。
あくまで恋人。不倫相手という言い方はしない。それは……どこか逃げのようにも思えた。綿子は最終的に夫から問い詰められた時、先に不倫をしたのはそっちじゃないかと逆襲した。
夫に子供がいること、引き取った先妻と夫の母親とがやりくりして育てていることが、会話や描写の端々で段々と判ってくる。つまり綿子は、俗な言い方で言えば略奪婚、だった訳だ。
あぁ、なんてくだらない、イヤな言い方!!でも結局、だからこそ今、夫となった文則とは純粋な恋愛が出来たのだろうし、綿子がしでかしたことは、夫が自分相手にしでかしたこと。
そのことを判っている筈なのに、そっちが先だっただろうと夫に逆ギレする綿子に、本当に嫌悪感しか感じなくて、困ってしまった。
判ってる、人間なんて自分勝手なもんなんだからと。そして、綿子がそんなことは判っているからこそ、夫との直接対決を避け続けたということも判るからこそ、イライラしてしまう。
そしてこの夫、表面上は理解ある、理知的な夫というのが、綿子の神経をとがらせるのもなんか判っちゃうんだもの……。
そりゃさ、確かに綿子が木村君との逢瀬に、友達と会うとかベタな理由をつけていたから、木村君の死後、綿子の動向に不審さが見られたら、そりゃ疑うさ。
木村君の墓参りがしたいがために友人を引っ張り出しての小旅行。それは、夫とスケジュールをやりくりして約束していた、引っ越し先の内見をすっかり忘れてのことだったんだから、それまでの、友達を言い訳にしたあれこれを疑うのは当然だろう。友人の英梨や墓参り先で偶然行き合わせた木村君の父親さえも電話に出させる夫に綿子が嫌悪感を持つのも判らなくはない、けれど……。
この、木村君の父親が語る、親子間が上手く行かなくなったキッカケの話、飼っていた犬が事故に遭い、その先の……つまりは、安楽死という名の、そういう 行為をおこなった父親と、口をきかなくなった木村君、というエピソードは……これはキツい。動物を飼っているこちとらや、そうでなくたって、想像しちゃう。ツラすぎる。
父親の行為は間違ってはいなかったのかもしれんが、でも、子供に見せないようにするとか、なにか、なにか、方法があったんじゃないかと思ってしまう。
タラレバを言ってしまっては仕方ないのだけれど……人間関係、ことに親子間では、もう決定的なことがあったら、取り返しがつかないのかもしれないと思う。大人になればどうにかなるだろうと、どうにかなる場合もあるだろうけれど、お互い望まなければ、やっぱりそれは、決して得られない。
木村君は、どうだったんだろう。木村君の気持ちだけが、最後まで判らなかった。スウィートな恋人としてしか、存在しなかった。
その恋人を、綿子は結局、自分の保身のために見捨てた。もちろん、きっと誰かが救急車を呼んだだろう。綿子が切ってしまった電話とそれほど時間差があったとは思われない。
自分のせいで木村君が死んだと思ってしまえた方が、木村君への想いを旅の道行きにこめられるんだから、好都合だったんじゃないのか、だなんてイジワルなことを思ってしまう。
それは、冒頭でついつい正直に言ってしまったように、綿子が、自分がしてしまった行動に対して、向き合いたくなくて、そのはけ口を自分を選んだがための不倫をした夫にぶつけるという、やっちゃいけない負のスパイラルを選択しちゃったから。
同性だからこそ、許せない気持ちになるし、同性だからこそ、やっちゃう愚かさも想像出来てしまうから。
やっぱり引っかかってしまうのは、文則と先妻との間の子供の存在である。不自然なぐらいに、その存在は表に出てこず、夫婦の会話上にのみ語られる。
夫の母親がその世話に関与し、その場所に彼ら夫婦の部屋を使っていること、つまり合鍵を持っていて自由に出入りしていることに、綿子が神経をとがらせていることを慮って、文則は母親に進言する。
これは……キツい。めちゃくちゃ難しい。そりゃ、綿子には先妻さんに引き取られた夫の子供に関与する責任はない。
でも、夫にはそれは当然あるし、先妻さんの仕事の都合で彼に、そして彼が難しいなら彼の母親に、そのお世話が回ってくる。そう、綿子にその関与の責任などはない、ないけれども……。
夫の母親にとっては、綿子は息子を略奪したヨメ。自身の唯一の孫を彼ら夫婦の部屋に乗り込んで世話するこの姑が、観客からさえも、その様子が、姑も、夫の子供も、まるで見えてこない、隠されている。なんだか恐ろしい。
綿子に対する思いやりのテイを持ちながら、子供も成した夫婦を壊したんだろうとか、そして子供も産んでないのに、とか、そんな圧をどうしても感じる。
文則は、自分たちに子供が出来れば、自分の母親も考えが変わるんじゃないかと言った。そして、自分の妻に無神経な母親に、電話で直接しかりつけもしたし、綿子の気持ちを考えてくれる様は明確に見せていた。なのに綿子は……。
観客であるこちとらは、夫の文則の方の肩を持ちたくもなるけれど、でも不思議と100%ではない、と感じてしまうのは何故だろうと思う……。
綿子が、不倫という名の、甘やかな恋愛の果てにゲットした夫と、夫婦という全く違う契約関係に、子供やら姑やらが色濃く絡んできて苦悩する気持ちが、まぁ判らなくはないわな、と思うからなのか、それとも単純に、木村君との恋人関係が、すっかり大人になって、いろんなしがらみの中で、それらすべてから解放される、大事な大事なことだったというのが、しみじみと判っちゃうからなのか。
そういう意味で、木村君は本当にズルい。綿子と木村君がかわしたペアリングの紛失事件から、文則との衝突、木村君の奥さんとの対峙が繰り広げられ、映画的クライマックスとなる。
秘密の恋人にペアリングを贈るなんて明らかに火種のもとになるし、しかも死んじゃって責任放棄、サイアクである。まぁ、綿子の指輪のなくしかたもあまりにうかつだったけれど、木村君の場合は、死んじゃって、何この指輪、と奥さん発見。そりゃそうだろ。
そこに、うっかり紛失しちゃった、と道行きを訪ねて墓参りをしに行った彼の実家まで訪ねちゃう綿子は、アホすぎる……この展開はさすがにあぜんとしてしまった。
文則は、こんな仕打ちにあったのに、綿子と別れたくないと、彼女を抱き締めたけれど、この時綿子が言ったのが、木村君に会いたい、だったから、これは、もう、ダメだったということなんだろう。
少し、少し……納得がいかない気がしたのは、いまだにこんなに女が弱いのかと、そんな風に描かれるのかという悔しさがあったから。
ズルいのはいいのさ、それは生きるための強さだから。でも、弱さは……でも、そうね、確かに弱いのだろう。
そして綿子が仕事をしてなくて、それまでに何かの仕事をしているという風もなくて、かといって専業主婦としての矜持もなくて、夫との生活もふわふわとしているのが、ちょっと受け入れがたいと思っちゃったかなあ。
時代や国や環境によって違うとは思うけれど、現代日本で、この立場で綿子さんは、なかなか強くは出られないよ、そりゃぁさぁ、と思われちゃうだろうなと。それは、この古めかしい国、そして社会で、こちとらオバハンが闘ってきた訳だからさ……。★★★☆☆