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「せ」


2023年鑑賞作品

青春墓場
2021年 96分 日本 カラー
監督:奥田庸介 脚本:奥田庸介
撮影:サワディーカ鈴木 音楽:
出演:笠原崇志 奥田庸介 堀内暁子 鈴木たまよ 高川裕也 伊藤竜翼 守谷周徒 飯田芳 前田隆成 重岡佑一郎 松井薫平 谷山蓮 内田こうへい 黒岩陣太郎 宇田川さや香 二階堂新太郎 古川奈苗 田中惇之 武智央 梅田誠弘 呂布カルマ 中澤梓佐 高野春樹 藤原珠恵 椎名香織 中野健治 嶺豪一 ナカムラユーキ 有村瞳 PAO 市瀬歩 中根道治 新沼弘人 堀さやか ばんこく 粗谷直人 藤井仁人 榊原順 金児百合佳 花瑛ちほ 柏森大史 スミト・ルイ


2023/7/21/金 劇場(渋谷ユーロスペース)
この監督さんの以前の作品を、私恥ずかしいほどに拒否反応示していて、今読み返してすっごく恥ずかしくなった。
だからちょっと不思議だったのだ。このお名前に見覚えがあって、以前のタイトルに覚えがあって、そのネガティブなイメージを思い出さないまま、あ、久しぶりの新作、観よう観ようと思ったのが。

本作に関しては、以前のような拒否反応を一個も感じなかった。作風が変わったのかどうかは……私記憶力がないもんで(爆)。
本作に関しては素直に、ヤラれた、と思った。大胆な構成。まるでテイストの違う二つの物語が、まさに二本の映画が前編と後編のように、そっくり尺を二つにぶった切って描かれる。

かたや壮絶なイジメとバイオレンス、孤独な中年男と中年女。かたや合コンで知り合った、共に夢を追い続けるのに疲れ始めた妙齢の恋人同士の滑稽な、でも愛おしいラブストーリー。
まるで違う、違う作家が作ったような二つの物語、二本の映画が、でもそれが同じ世界線に存在していて、その二つを、あまりにも悲しく凄惨な後味悪すぎるほんの数分のシークエンスでつなぐ。
後味悪すぎると思うのに、後編に描かれる恋人たちの物語が小さな幸せを得たところで終わるラストはハッピーエンドのように見えちゃう。この二つの物語のコネクションがそこだから、そこに帰っていくことを知っているから、このラストに呆然としてしまって、ヤラれた、と思ってしまう。

前編後編というのもアレだが、最初に語れるのはさびれた街中華の店。厨房に入っているオッサンが店主、それよりかは若いけれどまぁ中年の、皿洗いをしている店員はいかついスキンヘッドの男。
冒頭でつまんないチンピラたちに絡まれても平然と頭突きをくらわす場面で、なかなかに修羅場を潜り抜けてきたと想像される。

その店にパートで入っている、くたびれた女はシングルマザー。それが知れるのは、いじめられているらしい息子の相談を、この男にするから。もちろんそのことに真剣に悩んでいたには違いないけれど、最後の最後に痛々しいほどにやせぎすのぺったんこのおっぱいの姿で彼に挑むから、最初からそんな思いもあったのかなとも思うが……。
だって結局、男同士で腹を割って話せばという安直な発想は実を結ばず、この息子ちゃんは、発作的というのもあまりにあまりな行動に出るのだもの。

決していじめを認めようとしない。母親のパート先の男を突然相談相手に指名されたって、そりゃ心を開く訳もない。
最近のハヤリのような、凄惨なイジメ描写が描かれる訳じゃない。ただ、彼は、従うしかないのだ。呼び出されれば、行くしかないし、金を巻き上げられる。そして……可愛い恋人を差し出すしかない。
黙って車から降りて、その車中にクソ同級生が入っていく遠景のシーンは、この場面こそが、イジメというより、そう……スキンヘッド男が、間接的に犯罪に加担したと、息子の母親に言ったように、そう、犯罪なのだ。想像したくない、地獄。

前編パートは陰鬱なように書いたし、そんな気がしていたけれど、こうして思い返してみるとどことなくユーモラスも漂う。
パートのシングルマザーである女の元に、ずっと姿を消していたクソ旦那が帰ってきて、息子ちゃんがスキンヘッド男に助けを求めてくる。義侠心か、パート女性にちょっと心動かされていたのか、うっかり手を出してしまって報復され、殺されかける。

マジで死んだかと思ってビックリする。山中に埋められるんだもの……でも手伝いに駆り出された若い男はこのクソ旦那に話が違うんで、とあっさり見捨てるし、そんな具合で埋め具合(具合て……)も甘いもんだから、これは絶対、死んでない、死んでない!!と 願い続けていたらぶはー!!!と復活!!
思わず噴き出しちゃったよ!!少し、ほっとしてしまった。あまりにも陰惨な物語世界だったから。そしてその後、母親とナニして(爆)、息子含め、なんかイイ感じの雰囲気になりそうだったのに。

なんかね、気になってはいた。お隣さん。文化住宅などという懐かしい言葉を使いたくなるような、最寄駅から徒歩20分、二階建ての横長アパート。
息子ちゃんが暗澹たる表情で帰ってくる横をすり抜けるように、お隣さんが描かれる。引っ越し代を節約したとおぼしき、軽トラから自分たちで重たい家電をえっさえっさと運び込む若いカップル。とても感じが良かった。それが、息子ちゃんの暗澹たる思いに火をつけたのか。

想い出したくもない、二つの物語を結びつけるのは、息子ちゃんが、あいさつされたお隣さんの女性、閉まったドアを開けて入り込んで、ああもう、想い出したくない。
押し倒し、首を絞め、包丁を振りかざし、しかもこのシークエンス、長々と続くのだ。緊迫の場面が力づくの抵抗が、でも息子ちゃんの、衝動的な発作だったと思うのに、その衝動はくじけられることがなく、彼女は、惨殺されてしまう。

その直後、恋人の男性が帰ってくる。ドアを開け、一瞬事態を把握できない。息子ちゃんが包丁を振りかざして向かってくる。男性、全力疾走で逃げる。息子ちゃん、全力疾走で追いかける。
まさに全力疾走。残された血まみれの恋人の彼女。哀しい筈なのに、凄惨な筈なのに、全力疾走のおっかけっこの男二人、これがつなぎ目になるのが、なんだか可笑しいというか、哀しい滑稽さで。

その後、何事もなかったように語られる、この恋人たちの、どこにでもあるような、でも彼らにとっては大事な大事な、小さな恋の物語と言いたいような後編。二つをつなぐ、つまりこの恋人たちの末路をもう見せちゃっているという大胆にもほどがある構成だから、ずっと胸が痛いのだ。
突然始まる違う物語に、え?あの場面から、何何?と一瞬戸惑い、そうか、引っ越しのシーンとか、挨拶したりとか、お隣さんがカットインしていたのはそういうことなのか、そして殺されちゃって、え?てゆーことは何何、彼らの末路を先に見ちゃって、常にそれが頭にある状態で、ですか!ですか!?それはキツい!!

大胆な構成、観客の心をえぐる構成。しかも巧みに、あのコネクションを忘れさせるような力業でもあった。二人があの結末にいざなわれるのが判っているのに、なんだか忘れて、いや、忘れたいと思うような、愛しい小さな恋物語だった。
お互い一向に芽が出ない、彼は漫画家志望、もはやベテランのアシスタント生活。彼女は小劇団に所属して役者を目指しているも、つい最近、同じ夢を目指していた恋人が脱落し、ついでにフラれた、という状態。
彼女自身、役者に対してどれだけの渇望があったのか、芝居の相手役からの露骨な誘いにしり込みするような状態だった。彼の方は若手が次々とデビューするという焦りのなか、アシに入っているお師匠さんに教えを請うために見てもらったネームをパクられてブチ切れてしまった。

彼女の方は、役者熱がいまいちよく判らなかったが、彼の方の、30を目前にして焦り、こんな仕打ちを受け、うっかり元カノと浮気しちゃって彼女に責められ自白、絶望的に後悔し、思いつめてすげー行動に出る、というのがなんか胸に迫っちゃって、愛しくて仕方なくなる。
彼女と相手役を、親密な関係と誤解しちゃう。相手役のインチキ臭いイケメン野郎は、ネラってたのにヤレなかったことで稽古で丸無視するとかマジでクソ野郎だった。
そんな下心まる出しで彼女を送って行ったところを、ストーカーよろしくウロウロしていた彼が見ちゃって、公演に乗り込んで、舞台上で抱き合う二人にコラー!!とばかりに中断させて、まぁ言ってしまえば痴話げんかを繰り広げるのであった。

でもこの痴話げんかが……痴話げんかが、いいのよ、愛しいのよ。そもそも彼女はこんなインチキイケメンと何もない、タイクツな男とぐらいに敬遠していた。だから彼は、彼女から、あんたが浮気したんじゃないか、と言われればその通り、もう、絶叫しちゃう。
ああそうだ、こんな素敵な恋人がいるのに、浮気したんだ。暴れまわって、劇団員に抑え込まれながらも振り切って、涙目で、すさまじい形相で、絶叫するんだよ。

もう、涙が出た。こんなシチュエイションでさ、我慢できずに舞台に乗り込んでさ、小劇場で客も少ない中、シラけちゃってさ、でも二人の間では真剣勝負なんだよ。
プロポーズしちゃう、結婚してくださいって、言っちゃう!!もう大喝采なんだよ、二人の間では!ひしと、いやがっしり!抱き合い、大ハッピーエンドよ。彼らの中では大喝采が鳴り響いているんだけれど、カットが変われば、そらそうさ、突然の闖入者で痴話げんかが繰り広げられ、勝手に盛り上がってラスト、でもパラパラ拍手してくれる観客たちは、優しかったなぁ。

こんな具合に、夢を諦める時期に来た妙齢の、平凡な出会いだったけれど運命の相手を見つけた恋人同士の、ささやかすぎる物語。その新生活のスタートを、最寄駅から徒歩20分の、さびれたアパートでスタートすることを決めたのは、そもそも浮気問題で彼の方が逃げ出し、彼女が一人暮らしするために探していた物件が、ここだったんであった。
だから、二人で暮らすんだから、何もここに執着する必要はなかったんだよね。運命としか言いようがないんだけれど。

時間軸で言えば、二つの物語をつなぐ、まっぷたつのところの、あの、凄惨な場面がラストになるんだけれど、だけど……。
訳も判らず少年に襲い掛かられ、惨殺され、愛する彼女の変わり果てた姿を目にした彼が、血走った少年に追いかけられ、全力疾走で逃げ惑うあの場面であぜんとした後、突然始まる恋人たちのストーリー。

本当に別世界で、甘やかで、慎ましくいとおしい。ガラケーなのが妙にジンとくる。手をつないで部屋に入りたい、と彼が言い、照れまくりながら彼女がそれに応えて、部屋に消えていく。
ボロアパートの共有通路がしみじみと長く映し出されてのエンド。本当のエンドはここじゃない。ハッピーエンドじゃない。ヤラれちゃったなぁ……。

でも、何だろ。どんなに凄惨な、残酷な結末が待っていたとしても、人生は、最後で決まるんじゃない、帳尻はそこじゃない、と思ったし、思いたいと思った。
でもそうならば、やっぱり息子ちゃんは哀れだった。彼が、この映画のように、すれ違うだけの他人の人生を、ちょっとでも想像できたならば。でもそれは、誰もがそんなん出来れば、そんな神様みたいに達観できれば、世界は平和でいられるのだもの。出来ればそりゃ、いいんだもの……。★★★★☆


正欲
2023年 134分 日本 カラー
監督:岸善幸 脚本:港岳彦
撮影:夏海光造 音楽:岩代太郎
出演:稲垣吾郎 新垣結衣 磯村勇斗 佐藤寛太 東野絢香 山田真歩 坂東希 宇野祥平 渡辺大知 徳永えり 岩瀬亮 山本浩司 鈴木康介 森田想 佐々木茜 遠藤たつお 伊東由美子 滝口芽里衣 齋藤潤 潤浩 白鳥玉季 市川陽夏

2023/11/24/金 劇場(TOHOシネマズ日比谷)
いつものように原作をチェックしてないからだろうと思われる……この映画のテーマがなかなか見えてこなかったのは。いや、私がアホなだけかな(爆)。
ありていにいえば、世間的には普通じゃない(この言い方は好きじゃないけど)嗜好性、もっとわかりやすく言えば性癖、自分自身を好きになれなくなる内なる暗闇を覗きこむ。
それを、社会や世間といった実体のないバケモノのようなところで、罪深きこと、と断罪される。それが彼らにとっての生きるそのものだというのに。

と、いうのがなかなか見えてこなかった。だから返って原作が気になってしまった。どこまで書き込まれているのだろうかと。
ここでメインに語られる二人、中学校時代同級生だった佳道(磯村勇斗)と夏月(新垣結衣)は、後に佳道が名付ける水フェチ、というところでつながるのだが、この命名も今一つしっくりとこないのは、もちろんその水への嗜好性の中にも様々な形があるからということではあるのだけれど……。

佳道と夏月が自分以外にも同じ嗜好性を持つ人たちがいる、ということに喜びを感じるのは、自分だけかもしれないという暗闇の中に落ち込んで、明日生きていることを望めないままだったのだから、当然と言えば当然なのだが、その中に、小児性愛嗜好の人物がいたことから、佳道は拘留されてしまう。
ゴメン、相変わらずすっ飛ばしのネタバレだが、でもつまり、その嗜好性のグラデーションの中に、罪に触れる可能性もあるのだと、人を傷つける可能性もあるのだというのが、ものすごい重いテーマ性なのだけれど、佳道と夏月には、私たちはそこに抵触していない、みたいなぼんやりさを感じたというか……。

多様性が流行のように叫ばれ、そこからこぼれおちる真の多様性がまるで理解されず、上っ面で排除されることへの痛烈な批判精神は、ものすごくわかる。流行性といえど、多様性という価値観にたどり着いただけで大きな変化だとは思うけれど、性的マイノリティ以外の多様性に想いが及んでいないのは確かだ。
佳道と夏月は水フェチでつながっているけれど、そのフェティシズムの中には、性的欲求はないように見受けられた。少なくとも異性への性欲はない。水に対しても、どこか無邪気にたわむれているようにしか見えなくて、それが、他人に理解されないまでの強い嗜好性だという感じがどうしてもしなかった。

死にたいと思うほどの。それは、その水に対しての性的欲求という、いわゆる世間的な普通からはかけ離れたものなのだということを感じられれば凄く納得できるのだけれど。
そして彼らが出会う水フェチ仲間の先には、それにプラスして小児性愛嗜好の人物がいて衝撃の展開になるのだから、私たちはそれとは違いますよ、というのは、本作のテーマ性に際して違うんじゃないかと思っちゃったのだ。

てゆーか、本作は三組の事情を同時進行で描いているので、ここにばかりとどまっている訳にはいかんのだ。

一応、主人公は稲垣吾郎氏演じる寺井啓喜ということらしい。検事である彼の登場シーンは、万引き常習犯の女性を世間的倫理観からまっとうに説教する場面から始まる。
それに対して部下である越川(宇野祥平)は、何か言いたげである。そうした万引き嗜好性に対する資料を啓喜に見せてみたりする。カウンセラーとか、医療的ケアとか、そういうことが必要なのだと、彼は訴えたいように見えた。啓喜はすげなくそれを却下するけれど、彼の家庭内にも問題を抱えているんである。

10歳の息子が、同い年のユーチューバーに(啓喜から言わせれば)かぶれて、学校に行かなくてもいいんじゃないかと訴えてきた。そして同じ立場の男の子とユーチューブチャンネルを開設した。
妻の由美(山田真歩)は息子の側に100%立ち、判らず屋の夫を断罪する。あれこれぶつかり合いがあった後、この夫婦は離婚調停中と言うところまでに至っている。

この導入部のエピソードはしかし、このエピソードこそが、めちゃくちゃ社会的問題を投げかけていると思った。啓喜の気持ちも由美の気持ちも判るが、どちらにもイラッとしてしまうのだ。
幼い息子がユーチューブに単純にかぶれてしまったこと、自分も学校に行かなくてもいいという免罪符を見つけてしまったことへの歯がゆさを、しかし啓喜は世の中はそんなもんじゃないと、あまりにも残酷な言葉で切り捨てた。

息子を心配する母親の由美がそれに反発するのは当然だけれど、でも由美もまた、息子同様ユーチューブ神話にあっさり陥落している危うさがあって、それはまるで、教祖様を否定された信者のようであった。
手助けしてくれる若者に悪気はないけれど、ないだけに、責任もない。子供をねらっている視聴者もいるから気をつけた方がいいとあっさりした口調で警告するけれど、ならば子供のユーチューブを手助けしている彼自身に自責はないのだろうかと思ってしまう。

このあたりは今はまさに過渡期だと思われるが、子供の自主性や、幸福を考えるならばとも思うが、でも、撮影や編集に大人の手を借りての番組開設で、一人前になったような顔をする息子に、撮影の後の散らかりっぷりにいら立つ啓喜の気持ちが痛いほど判るだけに、ここは本当に難しくて……。
そして啓喜は、夏月と出会うのだ。本当に偶然の出会い。まさかその後、検事と容疑者の妻として再会するとも思わずに。

もう一組いる。大学内の描写である。男子が怖い女子学生、八重子(東野絢香)が、でも好きになってしまうダンスサークルの男性、大也(佐藤寛太)。二人は学園祭のスタッフと演者として知り合う。というより、八重子が彼にロックオンしたからこそである。
異性を嫌悪しているのにそれでも異性を好きになってしまう自分をこそ嫌悪している八重子は、こっそり写真を撮ったりニセアカウントを使ってサークルのSNSにコメントしたりしていたことが大也にバレていて、きっぱり言い渡されるという超残酷なシークエンスがある。

しかしどうやら大也の方も人には言えない嗜好性があるらしいのだが、私がアホなんだろう、どうもはっきりしない。部屋で全裸でご自愛なさっている様子が映し出されるけれど、なんかよくわからんのである。
同じサークルの先輩と思しき女性がそんな彼を心配して、八重子こそが彼を理解できる存在だと見抜いて、声をかける。でもどうなのだろうか……。

大也が八重子を気味悪がったのも彼女の行動を思えば正直判るが、でもそれは、彼が持つ嗜好性を覗き見られる危機感だったからなのだろうか。正直、彼が何を抱えているのか、悩み深げな表情は見せるものの判んなくて。
でもどうやら理解してくれるパートナーを見つけたらしい、良かったね、という着地点に至り、八重子は失恋、という形(単純な言い方だけど)に至るのだが、何もかもがもやもやとしていて、彼らの悩みに輪郭が見えないっつーか、もどかしいのだ。

それはまた元に戻るけれど、やっぱりやっぱり、佳道と夏月こそがそうなのだ。中学生時代、水に対するフェティシズムに共感しあっていた、だから、同級生の結婚式に集結したクラスメイトの中にお互いを見つけて意識し合った。
その根本のフェティシズムが、決定的な欲望として、それを知られては生きていけないほどのそれとして、見えてこないのが歯がゆいのだ。

それそのものというより、異性に対しての性欲がないことこそが、彼らを苦しめているように見えた。
彼らを再会させたのが同級生の結婚式だということ、夏月はデパートの寝具売り場に勤めているのだけれど、見も知らぬ妊婦の客に(あまりにも馴れ馴れしいから、お姉ちゃんか何かなのかと思った)、恋愛事情や子供は早く生んだ方がいいやらと余計なことを言われて、最初は受け流していたものの、それ以外のクラスメイトの結婚とか両親とのあれこれがあって、低く、深く、爆発する。

正直、この妊婦の客の、夏月が暗いから話しかけてやったんじゃん、てな態度は、妊婦マウントとは別の、ただのヤな女に過ぎないし、そもそも妊婦マウントというのが非現実的というか……妊婦さんは、そんなことするヒマも余裕もない筈、ただただ大変な筈なんだから、ちょっと、これはないなぁと思っちゃったり。
同性として、もちろん独女側の気持ちが判りすぎるほどに判るけど、だからといって、そうじゃない側のリアリティが無視されるのは違うなぁと思っちゃうんだもの。

佳道と夏月の結婚は、とても理想的だと思う。彼らには恋愛感情も、性欲もない。でもそれは、違法とされるものじゃない、筈。これはギリギリの線、国籍が違ったりすると、偽装結婚が疑われたりするけれど、日本人同士の場合、どこまで追及されるのだろうか。
お互いゲイでありレズビアンである同士が、友情婚という呼び方で結婚することは、聞いたことがあった。でもそうじゃなく、ほかに伴侶はいなくて、あくまで当人同士の夫婦関係である。見た目は、お互いに違う部屋で暮らし、ダイニングキッチンで食事を共にしたりはするけれど、冷蔵庫も別だし、料理もそれぞれ行う。その上で、食事が一緒したら、ちょっとシェアしたり、仕事しているパソコンをのぞき込んだりする。

佳道が夏月にプロポーズした時、もう、彼女のような人に出会えないと思ったから、というのは、これ以上ない愛の言葉だと思った。
経験してみたいと着衣のままセックスの真似事をしたりして、二人はあくまでプラトニックな関係なのだけれど、でも友情ではなく、やはり愛情だと思った。セックスしなくても、したいと思わなくても、こんな相手が見つかったら最高と思った。

でも、佳道は逮捕されてしまう。同じ嗜好性でも、危なくないと判断出来たら、夏月も参加する筈だった。ということは、佳道はそういう可能性を予想していたってことなんだよね。佳道側にそうしたナマな欲求は判んなかったけど、確かに夏月側にはそうだ、あった。ベッドに横たわって、水に沈み込み、官能の吐息をもらしていた。
新垣氏、徹頭徹尾笑顔を見せず、見たことのない彼女、だから、あれ?ガッキーだよね??と何度もまじまじと顔を確認しちゃうぐらいだった。

夏月が佳道にプロポーズされ、ずっとくすぶり続けてきた地元を出て、本当に普通に、これぞ真の普通生活、商店街でお惣菜を買ったりして、本当に自然に店主と会話をかわしたりする場面が、涙が出そうだった。
たったこれだけのことが、こんな簡単なことが、地元ではできなかった。両親との息詰まるような暮らし、LGBTのニュースを漫然と眺めるだけ、はじめてのおつかいを見るのが夏月は耐えられなくてチャンネルを変えるのに、その夏月の気持ちを判ってるとしか思えない、執拗にこれを見たいんだという母親。それが何を意味しているのか充分に判っているからこそ、しかも大みそかという、家族がリラックスして楽しむべき場面で。

キツい。キツすぎる。なぜこの家を出ないの……と考えかけて、気づいた。家を出る、出させてもらうのも、親がそうさせてくれるからだったのだと。大学進学と共にムリヤリ出させられて、ホームシック満々で苦しい思いをしたと思ったけれど、それこそが、親の愛情だったのだと。
夏月はそんな愛情を受けずにここまで来て、それなのに親からここまで育てたのに、とか、マトモに結婚もできないのか、とか、無言の圧力で言われてる。サイアク!!!

……なんか、何を言いたいのか、よく判んなくなっちゃった。子供の頃から気になっていて、特に昨今、ジャニーズの問題も相まって取りざたされる小児性愛の問題、本作のテーマ、どうしようもない嗜好性であり、もちろん、子供に対する実害は絶対にダメなんだけれど……でもどうしたらいいの、という……。
すみません、こんなところで引き合いに出すのもアレなんだけど、魔夜峰央先生で育ってきたもんで。「パタリロ!」の中でのバンコラン、マライヒ、タマネギたちの男性の同性愛をまず叩き込まれ、その中で、CIA捜査員のヒューイットの小児性愛があったんだよね。バンコランは彼を異常性愛とくさしていたけれど、それを客観的に描いていた作者は、どっちも同じ、と語っていた。

どっちも同じなのだ。でも、その欲を解消できる相手がいるバンコランと、解消しちゃったら罪になるヒューイットなのだ。
この理不尽をマジで小学生の頃から考えていて、罪になり、相手が子供であることで心身ともに深く傷つける、ならば、どうしても、どうしようもなく小児性愛欲がある人はどうすればいいのか、罪を犯さないための治療方法や救済処置はないのかと、考え続けていた。

小学生の私は、ヒューイットが可哀想でマジに苦悩したし、本作のテーマはそういうところにあるんじゃないかと思う。実際、ある筈。カウンセリングや投薬や、ある筈なのだから。
多様性は、ほんっとに多様であり、アイデンティティを満足させるためには、他人を傷つけるかもしれないなら、その対応、自分が我慢すればいいだなんて、思ってほしくない。だって、何故、他人の幸福のために、自分の幸福を諦めなきゃいけないの??

私が無駄に掘っちゃって、間違った着地になっちゃったのだろう。ごめんなさい。50を過ぎて一人女が生きてきたら、言いたくなっちゃうことがいろいろあるもんだから。でもまだまだ折り返しだけどね!!★★☆☆☆


せかいのおきく
2023年 89分 日本 カラー
監督:阪本順治 脚本:阪本順治
撮影:笠松則通 音楽:安川午朗
出演:黒木華 寛一郎 池松壮亮 眞木蔵人 佐藤浩市 石橋蓮司

2022/5/4/木 劇場(TOHOシネマズ錦糸町オリナス)
今、私たちがせかい=世界、と言ったら、いわゆるワールドワイドな、地球全体のような、そんなイメージを持つけれども、そしてそれこそがワイドな感覚なのだと錯覚しがちだけれど、それはほんの、一個の地球だけの話。ここで言うせかいは、ひらがな味のせかいは、もっと果てのないもののように思う。
それこそラストシークエンスではお坊様が、果てにあって果てからくる、みたいな、禅問答のような説き方をするのだから、宇宙、という定義も狭いような、宗教的、というとまた限定的に思えるような、真の、巡り巡るせかい、なのだという感じが、見終わる頃にしみじみと浮かんできた。

江戸の片隅で一所懸命に生きる市井の人々の物語は、それが汚穢屋(おわいや)と呼ばれる下肥買いの青年二人と、そのうちの一人と恋が芽生えるかつての武家娘を軸に展開する。

下肥、つまり人の糞尿を汲んで回って歩くという仕事、もちろん水洗などない時代で、私の子供の頃にもバキュームカーが走っていたし、知識としては知ってはいたけれど、それを真正面に、こんなにもリアルに取り上げたのは見たことがなかった。
ちょっと引くぐらいのリアリティで、土砂降りが続いて溢れかえる、う〇この形のリアルさ、それがどろどろに崩されてくみ取られるのはまさに下痢状態で、そんな風に書いてるだけでうわーと思うのだが……。
あ、そうか、伏字にすることないのだわ。いくつかのチャプターに分けられた本作は、江戸のうんこ事情、みたいなタイトルがしっかとつけられているんだから。

そしてそう……彼らの生業こそが、江戸の、いや、人間の生業を回していくスタート地点となっているのは間違いない、からこそのせかい、なのだ。
先述のように形状、質感、やたらリアルにこだわったのは、それに対する嫌悪感が彼らの職業に対する軽蔑につながるという人間の心理を、それがいい悪いということではなく、生理的なことであることを身をもって観客にぶつけてくる。

今やそんな職業もなければ、そんなモノ自体を見ることがない、落語の中ぐらいな遠い感覚である現代では、職業に貴賤はないとかもっともらしく言うことが出来る。
でも実際のあの時代の人たちは、彼ら下肥買いが来なければメチャクチャ困るのに、糞尿の匂いが染みついて取れない彼らを蔑み、買取り料金をケチる。

売り先の農家も、遠い先の豪農で、もう買ってやる的な高圧ジジイでさ、荷車が壊れて天秤でえっちらおっちら、こぼれるのもしょうがない状態で運んで行ったのに、事情も聞かずに、量が足りないと蹴り飛ばして、頭から糞尿をぶっかけちゃう。
買い取りに行った武家屋敷では、庶民とは食べているものが違うんだからと値を吊り上げようとし、これまた糞尿をぶっかける。ああ、もう、想像しちゃう。撮影では実際のそれではないけれど、その時代は実際のそれであったに違いないし。

そんな、蔑まれる彼らこそが、せかいの、間違いなく必要な歯車のひとつなのだ。人間という、勘違いしがちな存在になって、時を経るごとに、歯車であることに鈍感になる。この時代が、最後のチャンスというか、彼らがそれを、感じ取っていた最後の時代だったんだろうと思う。
食べて、クソを出して、それを回収し、野菜の肥料になり、その野菜を食べ、またクソを出す。なのにそのクソを回収する仕事が蔑まれる。そうした差別が産まれた時代。

そこに、武家娘のおきくがヒロインとして加わることで、また鮮やかにその世界観、せかい観がくっきりと示される。父親が娘を評するはしばしにも、演じる黒木華嬢にも、父親の潔癖さを受け継ぐ彼女が、それゆえの父親の失墜による長屋暮らしになってもなお保ち続ける矜持が一本芯を通してくる。

でもちょっと、おきくさんは面白いよね。一見して武家娘である誇りにこだわっているようにも見えるけれど、まず冒頭のシークエンスで、雨宿りをした先で、それ以前から恋していたのがまるわかりの、中次(寛一郎)に対する態度であたたかな笑いを届けてくれる。
この時中次は紙くず屋をしていたんだけれど、同じく雨宿りをしていた下肥買いの矢亮(池松壮亮)に出会い、彼の下で働くことになるんである。
紙くず屋が儲からなかったのか、それにしても儲けと天秤にかけてもなかなかに厳しい商売である下肥買いに転職したのは、兄貴と慕うこととなる矢亮に対する思いだったのかなぁ。

口では大きなことを言いながら、買い取り先でも売り先でもヘコヘコしまくりの兄貴に、中次は中盤、憤りをぶつけるのだけれど、それは結局、彼自身が出来ないからこその八つ当たりだ。兄貴だから、兄貴がそれを示してくれたら、という、弟分としての甘えたさんなのだ。
矢亮はでも、弟分から思い切って言われたことで目が覚めたんだろうなあ。そっから、思い切って売り先にくってかかるシーンはムネアツなものがあった。

どうもブラザーフッドに腐女子は萌えまくっちゃうんで、そもそものタイトルロール、おきくさんに全然行かないだろ(爆)。
おきくさん。かつてはお武家の父親は、どうやら譲れない正義感ゆえに長屋暮らしに飛ばされてしまった、ということらしい。それだけなら、単にクビを切られたというだけなら、気の強い娘と父親が仲良しケンカしながら、長屋生活をそれなりに平和に暮らしていける筈だった。

どうやら父親がしでかした、彼自身にとっては正義の行動が、想像以上に武家社会にとっては目障りだったらしかった。ある日、お迎えが来た。
偶然その時、中次がくみ取りに来ていた。なかなかお通じが通らないおきくさんの父親と、汲み取りを待つ中次が言葉を交わした。
誰か惚れた女がいるなら、せかいで一番好きだと言えと、彼はアドヴァイスした。せかいという言葉を、中次はこの時初めて知ったのだった。

そしておきくの父親は、哀れ侍たちにバッサリと斬られ絶命。彼の目線の先にいたのは、父親を心配して追いかけてきて、どうやら巻き添えに遭ったおきくだった。
喉元を斬られ、手で押さえたところから血が流れ、ひゅーひゅーと、不吉な音が流れ出ていた。その後、おきくさんは命を取り留めたことが示されるものの、何ヵ月もの療養、声が出なくなり引きこもる日々が続くんである。

それ以前のおきくさんは、なんていうかある意味、潔癖で、負けず嫌いで、お嬢さん育ちの勝気な女の子、っていう感じだった。でもこんな非業な目に遭って、何より声が出なくなって、変わった。
頼りない父親に対して、強気に出ていた彼女だったけれど、その時にはまだやっぱり、お嬢様だった。クソだのヘだの、言えるようになりましただなんて、それだけで長屋の町人になったつもりでいたお嬢様に、土砂降り後にクソがあふれ出ている状態に困っている住人たちは、まぁその話はあとにしていただいて……というなだめる雰囲気だったのだ。

それが、真に長屋の住人として受け入れられるのが、父親が殺され、自身も九死に一生を得て、しかし首を切られて声が出なくなったから、だなんて。……でも、世間は、特に日本の今も昔もな閉鎖的社会は、そうなのかもしれんなぁ、と思う。
そしてそうなってから、おきくさんは中次の生業にまったく顔を背けなくなる。顔を背けなくなる……こう書いてみると、ヒドいが、長屋の住人達(に限らず、彼らに関わる全ての人たち)が鼻をつまんで早くしておくれと、自分たちがひねり出したものなのに、それを回収するお前らのケガレだとでも言いかねない態度で、こういうおかしさ、原因と結果のネジレが、現代までに延々と続く、イジメやハラスメントの原因、温床につながっているのだと痛感する。

おきくさんは、決して差別的価値観を持っていた訳ではなかったとは思う。なんたって中次に恋していたのだし。でも、父親を亡くし、自身も巻き込まれてけがをし、声が出なくなって、いわゆる今で言うマイノリティ側になって初めて、気づくことが押し寄せてきたのだろうと思う。
だって、中次より先に、彼の兄貴分である矢亮、中次に恋するあまりにうっとうしがっていた彼の窮状にこそ、彼女は心を痛める。

この二人の関係は微妙というか……矢亮は彼女のことを、実際どう思っていたのだろう??
そんな俗社会のこととは我関せず、といった雰囲気は、演じる池松君っぽいところはあったけれど、矢亮の人物像、というか、何を考えていたんだろうなあというのは、中次がもどかしいと思う以上に観客がわにフラストレーションを感じさせたところはちょっと、あったかなあ。

寺子屋で子供たちに読み書きを教えていたおきくさん、でもこんな辛い経過があって、閉じこもってしまう。子供たちを引き連れて、寺のお坊さんが訪ねてくる。うっわ、真木蔵人とは!メチャ胸アツ、泣きそう……。
役割は役を割ることとか、結構いいこと言うのに、そのいいこと度合いに自分自身が混乱してしまうお坊さんが愛しい。

おきくさんに戻ってきてほしい子供たちがアシストになり、来てくれるんだよね、そうだよね!!と、まぁ確かに彼女はそういう意志を示したし、そうなんだけど、いわばなかば強引に引き取って、キャー!!とばかりに既成事実を押し付けちゃう奇声を発しながら駆けていく子供たちに、仕事したな!!と思っちゃう。

ラストはまさしく、この子供たち、そして、読み書きができなかった中次が子供たちと共に席についている。せかいの意味を、ここで、先述のように、禅問答のようにお坊さんが説くのだよね。んん?と首をかしげるおきくさん、そして中次。
でも、美しい夕暮れの空から天使の梯子は降りているし、世界は、せかいは、回っているのだ。本作はいくつかに別れたチャプターで、印象的な一瞬のカラー場面が挿入されている。画角も懐かしの寸詰まり(爆)で、そこまでこだわっているのに、時々、そんな、ドキッとさせる色彩を見せられる。確かにその時の彼らが、見ていた色があるに違いないのだから。★★★☆☆


世界の終わりから
2023年 135分 日本 カラー
監督:紀里谷和明 脚本:紀里谷和明
撮影:神戸千木 音楽:八木信基
出演: 伊東蒼 毎熊克哉 朝比奈彩 増田光桜 岩井俊二 市川由衣 又吉直樹 冨永愛 高橋克典 北村一輝 夏木マリ 阿見201 柴崎楓雅

2022/4/19/水 劇場(シネスイッチ銀座)
不安そうな少女のアップというシンプルなデザインの宣材写真からなんか勝手に、世界というのは彼女の心象風景としての世界であり、家庭環境か学校か、そんなところで追い詰められた少女の内省的ドラマかと予想していたもんだから、それでかなり追いついていけなかったかもしれない。
紀里谷監督だもんなぁ。まあ、つったって一作ぐらいしか観た記憶はないけど、だから久々にお名前を拝見した、というのが正直な印象なのだけど、確かにそう、紀里谷監督なのだもの。そう考えれば納得の世界観、ハードなファンタジー、判る判る、と思うのだが、予期していなかったから……。

冒頭、戦国時代、でも日本というには不思議な民族衣装のようないでたちの少女が、サムライたちの斬り合いの中逃げ惑うモノクローム、あれ、私違う映画に入っちゃったかな、と戸惑ってしまった。
結局ここは、昔の日本、ですらなかったのだろうか?中盤になってこの少女、ユキは日本という国名すら知らなかったし、ここはあくまでハナの見ている夢の世界で、どこの国とか、時代さえもいつなのか、ということなのかなぁとも思ったが、でもそうなるといろいろと辻褄が合わなくなるし。

結局どういうことだったのか、バカな私には一つも判らんのだ。最終的に壊れてしまった世界を、遠い未来、たった一人生き残った人類であるソラ(冨永愛、ぴったり!)がハナからのメッセージを受け取って、ユキの世界に舞い降りて、そもそもの元凶、ユキの両親をサムライどもの殺戮から守る、というところでエンドになる、ということは、やっぱりこれは、どこかの世界のどこかの時間軸として成立していたのか。
ソラに対して助言する声、声だけの登場なのだが、その声は、こんなことをしてはあなたが存在しなくなるかもしれない、と忠告する。まさに、タイムパラドックス、そうなればそもそもハナがソラに対して発したメッセージが存在しなくなり……であり、SFの基本的な問題点なので、それをやっちゃっていいのかなぁという気持ちがまず、大きかった。

なんにも物語言わない前に、オチまでぐちゃぐちゃ言ってゴメン。でもこの根本は大きいのだもの。この根本のタイムパラドックスを、長々と続くハナの、壊れゆく世界を救うための闘いの解決策にしてオッケーにしてしまうなんて、そりゃないよと思っちゃうんだもの。
でもそれはね、私の頭が悪いからなんだと思う。ハナがどうやったらこの世界を救えたのかが、結局、判らなかった。

まぁ最初から行くとね、まずハナが天涯孤独になる訳。先述したように冒頭は、ハナの夢の中の世界であるユキの逃げ惑うシーンから始まるのだが、その夢を見ているのはまずはハナじゃなくて、ハナのおばあちゃん。
死の床にいて、ハナはその臨終に泣きじゃくった。その時点で、このおばあちゃんとの二人暮らし、おばあちゃんが亡くなって天涯孤独、というのが示され、ご両親はハナが子供の頃に事故死……というのが実は、ハナの心臓病による短命を自分たちを犠牲にして運命と取引をした、ということが明らかになる。

ハナが警察、というか政府の特別機関というものものしい人たちから、最初はハナの見た夢を教えてほしい、というだけだったのが、ハナが見る夢、それはハナの女系家族に代々続く予知能力的なものであったことが明らかになる。
この世におけるすべてのことは、あらかじめ決まっている。だから世界の終りも決まっている、のだけれど、それをなんとか回避する可能性を探るために、代々その仕事を受け継いできたハナの女系家族、でもハナはまだそれを知らされていないんだけれど……に依頼されたということが、後々判ってくる。

こう書き出してみると、なるほどなぁ、と思うところもあるのだけれど、最終的にタイムパラドックスを無視して一見あたたかなオチにもってっちゃうことを考えると、やっぱりそもそもの物語展開の考え方が、ムリがある気がして仕方がない。
それをね、ハナを演じる伊東蒼嬢がめちゃくちゃ魂の芝居するからさ、彼女にめっちゃ号泣されて、めっちゃ悩みまくられて、夢と現実になんども行き来させられて、てな全力芝居見せられたら、これに対してあれこれ文句つけるのは老害かもなぁと思っちゃう、思わせられちゃうのが、いかん、いかんぜよ!!

それに、ハナがいじめられている構図まで用意されるもんだから、なんか論点をすり替えられている気持ちになってくる……。イジメに関してはさ、これはシリアスな社会問題だからさ、扱い注意な訳よ。
ハナはまず両親がいない、たった一人の身内である祖母が亡くなって天涯孤独、夢であるヘアメイクの道に進むための専門学校に行くこともままならない、そんな時に降ってわいた世界を救う大きな使命。もうね、これだけで手いっぱいよ。

そこに、ハナがいじめられている、エンコウさせられて、その動画をいじめっ子が手の内にして脅して金を巻き上げている、という図式を持ってくる。
ハナをボディーガードしている女性が、自分もいじめられっ子だったから、許せないから、と制裁を下し、これからはハナが自分で戦い抜かなきゃいけないんだよ、と進言する。ハナもそれに首肯するのだけれど……。

ちょっとね、胸糞悪い回収の仕方なんだよね。なんでそんな能力授かったのか判んないんだけど、ハナはこのいじめっ子たちを、夢の中のユキがサムライたちにやったように、指先ひとつでバンバン殺しちゃうのさ。
そして、もう私には何もできない、みたいな感じで飛び出してって、屋上に向かって、もう三日で世界が終わるんだからとか言って自暴自棄になっているところを、幼なじみ、ボーイフレンド、言ってみればただ一人の理解者である男の子に止められる。

で、結局、このバンバン殺したっていうのもホントだったのか、夢想の中だったのか、判然としないままに、世界の終わりを食い止める闘いに奔走して、うやむやにされるような……いや、このあたりになってくると、私が疲れちゃって、ちょっと眠くなっちゃって(爆)どういう前後関係だったか自信ないんだけどさ(爆爆)。

でもね、イジメ問題、そしてエンコウ問題、SNSにさらす問題、さらにはハナの存在が世間に暴露され、これはもう、もはや懐かしく感じるような描写……掲示板か、チャットか、次々にアップされる悪意で盛り上がる、自分たちが正義だと信じて疑わないヤツら、そいつらがハナの住所を特定し、正義の鉄槌をくらわすべく暴徒化し、顔の見えない集団となり……。
怖いんだけど、でもこの展開というか、この感じは、数年前までに使いつくされた感があって、確かに今でもSNSのそうした怖さはあるんだけれど、無責任に匿名のウェブ上だけで書き逃げして、実際の行動には起こさない印象があるから、ここには少々、時代錯誤感を抱いたりもする。

そもそも私が気に入らないのは、本当にそもそもの部分。ハナの存在理由、いや、生存理由と言うべきだろう。本来なら心臓病という運命により短命だった筈のハナが、運命を知り得る能力によりその仕事を代々続けている母親が、娘を生かすために、禁を破った。
そのためには自分だけではなく、それ以上の犠牲、同じく娘を愛している夫を巻き込んだ、という……どうやらこれを、感動ポイントにしているらしいところなんである。

ないないない。私がハナなら、てゆーか、ハナだって、演じる伊東蒼嬢こそが、ちょっとそーゆー鼻白む感じを出していたように思ったのは、私がそう思っちゃったからだろうか??
親には感謝している、いろいろ犠牲にして育ててくれただろうと思う。でも、命を犠牲にしてほしいとは思わない。そんな圧は、親不孝ならぬ子不幸だと思う。

感動モノストーリーとして時々見かける、自分の病気を治すよりも赤ちゃんを産むことを優先したお母さんとかさ、あるじゃん。そりゃあさ、そうして今命を得ていたら、そんなことしないでよ、とは、自身も、外野も、そりゃ言えないさ。
言えないからこそ、ズルいと思う。それは、やっちゃいけないと、私は思うから……。こうした場合に、授かった命を断念した妊婦さんに、人殺しとか、母親失格とか、お前が死んででも産むべきだったとか、言うのか?ということよ。子供より親が大事。太宰治の言葉を、こんな時に想い出してしまうのはいけないのだろうか??

ハナの、足の悪い幼なじみの男の子、彼は何か、自分は実は何もかも知っているよ、みたいな雰囲気出してたけど、私が眠かった間に何かが起こったのだろうか……判らない……。
結局、ハナは終わりゆく世界を救えない。終わりゆくその原因は何だったのか、諸外国からの攻撃なのか、宇宙からの隕石なのか、私が眠かった間にいろいろ解明されていたのかもだけど(爆)、SPたちから言われて必死に、夢の中のユキを説得しようとするけれど、出来ない。
ここんところがね、最もモヤモヤするところだった。実際、どうやったら、具体的にユキをどう説得したらいいのか、壊れゆく世界を救うための決定的な一打が、判らないままだった、よね??私が判ってないだけだったのかなぁ……。

幼なじみの男の子との大切な時間のやりとりが愛しかっただけに、単なる一要素として流れ去ってしまったのがあまりにもったいなかった。盛り込み過ぎ、うーん、そうとまでは思わないけれど、紀里谷作品なら必要な要素だとは思うけれど。
世界の行く先を指示するおばばに夏木マリ氏が登場し、翻弄される中でしたたかに暗躍する政治家に高橋克典氏、岩井俊二氏やら又吉直樹氏やら、コネなのかなんか大物引っ張りまくって、壮大な世界観を構築して、見ごたえはあるけど、ああでも、私がバカだから判らんだけなのかとも思うし!!

哀しい出来事があった、青少年を、その哀しい出来事がなかったことになったら。そう思う気持ちはメチャ判る、それが、それこそが、本作の起点になっていたのかもしれないけれど。
なんかいろいろ、特にハナが見る夢の世界では、なんつーか、マンガチックなビジュアル系キャラが登場し、バカな老害女の私はますます訳判らん(爆)。結局私の問題だったのかなあ……。★☆☆☆☆


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