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「た」


2023年鑑賞作品

高野豆腐店の春
2023年 120分 日本 カラー
監督:三原光尋 脚本:三原光尋
撮影:鈴木周一郎 音楽:谷口尚久
出演:藤竜也 麻生久美子 中村久美 徳井優 山田雅人 日向丈 竹内都子 菅原大吉 桂やまと 黒河内りく 小林且弥 赤間麻里子 宮坂ひろし


2022/9/3/日 劇場(シネスイッチ銀座)
劇中、藤竜也氏演じる辰雄が出会ったふみえ(中村久美)から、高野豆腐の専門店なんて珍しいわね、と言われるところがあって、あ、私が思わずこうやどうふ店と読んじゃったのは、ちゃんとオチどころがあったのか、と心中クスリと笑ってしまった。
高野豆腐店の高野辰雄と名刺に刷られているのだから、このくだりは彼にとってのテッパンネタなのだろうと思われるが、劇中披露されるのは彼女とのこの会話だけである。頑固な豆腐職人の彼は納品しているスーパーの担当者にもにべもない態度だし、その名刺が活躍する場面は今までどれだけあったのだろうと思ったりもする。

そんな頑固な豆腐職人の辰雄が店を営んでいるのは尾道。ああ、尾道が舞台の映画は大林監督が亡くなってから久しく、それだけで胸に迫る。
海に迫った町の風情、大林映画で有名な坂道に奇跡のように建ち並んだ古い家屋の街並みと、古き良き商店街の趣と、林芙美子の銅像までもとらえて、丁寧に丁寧に、もうこれだけで尾道紹介ムービーとして成立するような感じ。
ふみえが帰っていくのに渡し船を使う描写まであり、ああこれは、大林映画で憧れて、絶対これは乗りたいと、学生時代一人旅で乗ったなぁと。結局乗って帰ってくるだけなんだけど。なんかめっちゃ色々思い出してしまった。

頑固な豆腐職人、辰雄と出戻り娘である春の物語である。藤竜也氏に相対する娘、春に麻生久美子氏。辰雄が病院で出会うふみえ、春が出会うスーパーの担当者の道夫(桂やまと)という親子それぞれの恋模様を、商店街でそれぞれ自営業を頑張っている辰雄の旧友たちが、あれこれと余計な、いや、余計でない場合も含めたお世話でワイワイ盛り上がる。

どこか、懐かしい雰囲気。劇中、豆腐店に買いに来たお客さんが、大手のスーパーだかショッピングモールの開発の話を聞きつけ、そうなったらひとたまりもないんじゃないかと心配……というテイの噂話をしたりもし、それは地方都市共通の問題ではあるから、すわこれは、と身構えるけれど、この会話一発でこの豆腐店も、小さな理容店も、定食屋も、危機を感じている様子はない。
それは、まだこの中では若い部類に入る春たち働き盛りの年齢だからではないからなのかもしれない。辰雄たちの年代の、特に男子たちは、もうそんなことに頓着していない。仲間たちでわちゃわちゃやって、自身の病気にうじうじ悩んで、出戻り娘の先行きを勝手に心配して空回りしたりするばかりなのだ。

ちょっと、皮肉っぽい言い方になっちゃった。だって何か……辰雄や彼らの悪友どもは、まるで文化祭を楽しんでいるようなノリなんだもの。いまだに、この年になっても。いくつになってものその男子の幼さの愛おしさはあるけれど……。

出戻り春のことを心配して、あらゆる良縁をかき集めまくって、面接でより分け、これは!と思う男子がいた。確かに観客のコチラも、これは!と思うような人物。
イケメンってのはまぁアレだけど、春とそもそも既に面識があり、しかも春が前のめりに、辰雄の作った豆腐を売り込んだ、フレンチシェフだったんである。つまり、志も同じくし、将来性があり、しかもイケメン。彼の方も、なんたってこの面接に来たんだから前のめりであったのだが……。

なんの問題もない男子だったけれど、そらまぁ観客側からすれば、ないだろうな、と思った。それは、これじゃ面白くないからさ(爆)。
納入先のスーパーの新しい担当者である道夫と春は恋に落ちる訳だが、辰雄はそれが気に入らない。あんなちんちくりん、といったのは、フレンチシェフ君がシュッとしたイケメンだったからだろうが、自分の豆腐を、東京だの海外だのに売り込もうとする、道夫に対しての反発の方が強かったように思う。

その以前から、東京のアンテナショップに持っていきたい気持ちが春にはあって、それを辰雄ははねつけ続けてきた。彼の言い様は判らなくもない。誇りを持っているからこそ、都会に持っていく必要などないと。
先述したように大手スーパーの進出やショッピングモールの話があったとしたって、こうして地元スーパーに納品し、担当者までついているということは客がついているということで、単純に東京に持っていくっていうことじゃなくて、この美味しさを、地元の誇りとして発信したいということなんであってさ。

辰雄のそうした、視野を広げずに怖気づいているのを自分で見ないふりして、いわば周りのせいにして閉じこもってしまう、という、まぁ言ってみれば一つの老人性(爆)が、旧友たちや、恋の出会いによって少しずつ払しょくされていく。

やっぱり、ふみえとの出会いが大きいのだ。今現在でこのお年頃の方たちに、結婚をしていないということを明らかにさせるのは、前提として当然結婚の経験があるでしょう、という先入観があるからで、実際割合としては少ないであろうから、ふみえさんのように独身を通してきた女性は、何度となくこうした場面に遭遇してきたんだろうと思う。
恐縮する辰雄に慣れた様子で笑うふみえさんに、自分のこれからを考えたりもするが、私の年代では珍しくなくなってきているし、そのことに対して世間もいい意味で興味もなくなってきているから……。でもほんと、自分がこういう風に、何度も何度も、結婚や子供について聞かれたらと思うと、ルーティーンになるのかなとは思うが、本当にしんどいだろうなぁ……。

ふみえさんは持病を持っていて、物語の後半で緊急入院、手術となる。そもそもキモの座った人で、もう心の準備は万端、といった感じで、だからこそ、心臓の持病を持っていて手術を勧められているのにためらいまくっている辰雄を、いくじなしね、と笑ってはげましていたものだった。
物語のクライマックスで、あくまで茶飲み友達なテイを保ち続けていた辰雄に、歯がゆさ爆発で友人たちも、娘の春も背中を押して、ふみえの手術直前に駆けつけて、手術が終わるまで、ここにいますから、と声をかけるのだ。

ふみえは独身で、係累もいない、ということだったんだけれど、姪っ子夫婦が訪ねてくるんである。このシークエンスはね……私的には、複雑だった。
私もさ、独女だし、こういう事態に陥ったら連絡する係累は姪っ子甥っ子だろうと思われる。出来る限り迷惑はかけたくないから、どの時点で連絡すべきだろうということは考えちゃうと思うし、だからふみえさんも万が一のことを考えて連絡したんだろうけれど……連絡したんだから、そして今までの関係性があったなら予想はしてたんだろうから、そこはきちんと用意しておくべきじゃなかったのかなあ。

ふみえさんが一人で住んでいる家、土地、つまりいずれ遺産となるものを今のうち引き継ぐ確約を得ようと、姪っ子夫婦はやってきた。判りやすく守銭奴の悪役キャラにされ、辰雄に投げ飛ばされて警察沙汰にまでなったけれど、これは……いろいろ浅はかだったかなぁ、と思う。
ふみえさんが彼らにどういう意図で連絡したのか。自分にもしものことがあった場合の後始末を思って連絡したのならば、遺産処理のことは当然入ってくるはずなんだもの。

姪っ子が、逆に負債になったら困るから、と言い訳めいたことを言うのに対してふみえさんは、そんな物件じゃないこと判ってるくせに、と憤るけれど、これは判んないじゃん。都会の一等地という訳じゃないなら、一地方の土地建物が、税金と差し引きしたらどうなのかなんて、判んないよ。
このシークエンスはだから……私自身が独女だし、だから面倒かけると思って姪っ子甥っ子と仲良くすることを心がけてるし(下心ありあり……)、彼らがいい子たちだから、こんな描写を見ると、おめーがちゃんと関係性を作らなかったからだろ!と言いたくなるのだが……。

スイマセン、単なる姪甥自慢(爆)。本作は、なんたって尾道、広島が舞台だから、重要なファクターがある。
ふみえさんは、被爆者証明書を持っているのだった。劇中で言及はされなかったけど、結婚せずに来たのはもしかしたら……。そして、春が最初の結婚が破綻したのも、どうやら姑が、春の母親が被爆者だということを気にしたらしい、ということが、確実なことではないけれど、辰雄がふみえに語る形で示される。

聞いたことはある。そして、こんなことがいまだにあるのなら、東日本大震災によっても、そんな理不尽な差別が繰り返されるのか、そうなのだろう、と思う。
本作に関しては、この要素に対してはこんな具合にちらりと言及されるだけで、現在の、ふみえさんにせよ、春にせよ、そのことに対して問題が勃発する訳ではないんだけれど……。

でも、辰雄がふみえさんに意を決して語る形で、春が実の娘じゃないこと、造船所で働いていた親友が事故で亡くなり、その妻と娘を引き取る形で家族になったこと、妻が亡くなり、今、春と二人になったことが明らかになる。
親友の妻であった辰雄の奥さんが亡くなったのが、被爆のためであったのかは明らかにされないけれど、明らかにされようがされまいが、この世代のここにいた人たちは、そう、だったのだろう。

本作自体は、全編ほんわかとした展開で、原爆、被爆者、それによる差別を、ことさらに明らかにするわけじゃない。だから返って物足りなさを感じたりもするのは正直なところ。原爆、被爆に言及するならば、ついつい観客側はディープな話を求めてしまうけれど、それこそがよくないのかもしれんが……。
でも思えば、それこそ尾道レジェンドであった大林監督は、晩年は戦争に言及した面もあったけれど、故郷尾道に対しては、ある意味不自然なほどにリアリティを排除し、自身の甘やかな記憶を保持することを最優先にしていたんだよな、と思う。それもまた極端で、どっちがいいのかっつーのは、難しいんだけれど……。

尾道に引っ張られちゃいかんな、というのは改めて思うわ。そもそも尾道映画は林芙美子が原点だったのだから。とても愛しい可愛らしい映画だったから、シンプルに受け入れられたら良かったのになぁと思う。いろいろムズいね。★★★☆☆


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