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Winny
2023年 127分 日本 カラー
監督:松本優作 脚本:松本優作 岸建太朗
撮影:岸建太朗 音楽:Teje 田井千里
出演:東出昌大 三浦貴大 皆川猿時 和田正人 木竜麻生 池田大 金子大地 阿部進之介 渋川清彦 田村泰二郎 渡辺いっけい 吉田羊 吹越満 吉岡秀隆
ファイル共有、という仕組みだって、本当につい最近、ほんの数年前やっと腑に落ちたというのは、私の勤める業界自体がアナログで、ほんの10年前まで紙伝票、紙帳簿だったから。やっとパソコンが入っても担当ごとのデータを共有できないまま、わざわざプリントアウトしたり、ようやくファイル共有が持ち込まれたのは本当に、つい数年前で、なんて便利なのだろうと、仕事どこでもできるじゃんと。
もう本当にその程度だからお恥ずかしい限りなのだけれど、つまりは私のような認識で、当時の警察も、検察も、裁判官でさえそうだっただろうからこそ、ファイル共有とはなんぞやというのがピンと来ていないからこそ、著作権侵害を助長するだけのソフト、悪!!となったんだろうと思うと、本当に……。
その当時、その事件に接していた私は、忘れていただけできっと、まんま、悪じゃん、と思っていたんではないだろうかと考えてゾッとする。
それにしても東出氏が凄すぎる。彼がいまだに、つまらないネット記事で揶揄されてばかりなのが本当に腹が立つ。東出氏と仕事がしたくて、東出氏にこの役を演じてもらいたくて、そんなクリエイターが途切れることなく現れ、どれ一つとして、結果を残さないことはない憑依っぷりに、これを見ろよ!!と言いたくなる。
そんな近年の中でも本作のでっくんはちょっと、震えるものがあった。ラストクレジットで、実際の金子勇氏の、ようやく無実を勝ち取った当時の映像が流れるのだけれど、まさにというか……腕を組む癖があったんだろうなというのは、本編中でも感じていたけれど、そんなことは些末なことなのだけれど、でもそのすべてを含めて、この純真な、プログラミングで自己表現する、それでなら宇宙とだって交信できると信じているような、ザ技術者、ザ職人を、もうホントに肉体から魂から乗っ取ったような。
愛さずにはいられない危なっかしいほどの、ただプログラミングが好きで好きで、その目の前の山を登りたくて、目の前の問題をプログラミングで解決することで、利用者とのコミュニケーションもとっちゃう、みたいな、こんな人物を、そりゃ当時の、ネット黎明期で紙伝票の世界で生きていた私のようなヤツらは理解できなかったのだろう。
最初はそれこそね、まるでザ・オタク、家に引きこもってひたすらプログラミングし、2ちゃんねるユーザーとコンタクトをとりながら、スナック菓子ぼりぼりしながら、ベッドにしつらえたテーブルでタイピングしまくる。
部屋の中はそんないかにもな、コンピュータ関連の書籍やら洗濯物やらであふれ、つまりはさ、観客側に誤解というか、差別意識を植え付けさせるような導入の仕方なのよ。
これが上手いと思って……。彼が何をしているのか、どういう人物か判らないままにこういう描写を見せる、しかも同時進行で、金子氏が開発したソフトを悪用したユーザーが逮捕される描写が提示され、彼らは金子氏と大して変わらない、なんていうか、狭苦しい部屋でパソコンの画面を見つめ続けているみたいな、確信犯的に、差別意識を観客側に一度植え付けてくる(ちょっと語弊がある言い方だけれど)のが、実に秀逸なのだ。
つまり私たちは、少なくとも当時の、ネットやコンピューターに明るくない年代の人たちは特に、顔の見えない不気味な存在として、ネットユーザーやコンピューターユーザーをとらえていた。
それはきっと、世界的に見れば日本はメチャクチャ遅れていて、だからこそ、ソフト開発者を逮捕するなんてことになったら、自分が弁護する、と壇弁護士が、ユーザーが次々逮捕されていくニュースを見て言ったのは、そうなるかも、という危惧があったからであり、実際それが現実になったのだった。
殺人に使われた包丁を作った職人が逮捕されるのか、という壇弁護士の例えはとてもとても判りやすい。まさにそのとおり!!である。金子氏は著作権が侵害される悪用のされ方をするなんて予測は全くしてなかった。
匿名性が保持されることで、表現の自由が守られる、弾圧されることのない発信を目指したのがwinnyであった、と彼の口から語られると、めちゃくちゃ腑に落ちると同時に、開発者の意図は、ユーザーがどう使うかにはこんなにも反映されないものなのか、と根本的な事実に慄然とする。
きっと今なら、金子氏のような有能な技術者はきちんと企業なりなんなりに抱えられて、そうしたリスクを回避するためにサポートされているのだろう。
あるいは当時だって、諸外国ならばそんなことは当然されていたんじゃないだろうかと思うのは、壇弁護士が、開発者が逮捕されるなんてことはあり得ない、でも何かにつけ遅れている日本では、そんなことが起こってしまうかも知れない、という危惧が表明されていることから察せられる。
金子氏は本当に純粋な、子供のような探求心だけで生きてきたような技術者で、だからこそあっさり、警察や検察の手練手管に引っ掛かってしまう。こんな極端なキャラクターに限らず、これが判りやすい例として、つまりはこんな具合に、警察や検察や裁判官の思う方向に誘導されてしまうのだろうという図式がメッチャ判りやすく示されていて慄然とする。
要領がよく、頭がよく、自分の思うとおりに、時には平然とウソをついて、自分の、あるいは組織の思う方向に導く彼らに、金子氏は憤るどころか、疑うこともなく、迷惑をかけたくないと、簡単に署名したりなんだり、しちゃうのだ。
本当にだから、ずっとハラハラしちゃう。親しい人にも連絡が取れない、自身のプログラムを触ることもできない。パソコンに触れないなら釈放されても留置所と同じだ、と嘆く金子氏にハッとする。
彼にとっての生きるための証、プログラミングをするなというのは死ねというのと同じ。釈放されても留置所にいるのと同じだとまで言う彼が、でもそれでも、未来の、若き技術者たちが、開発に委縮することがないようにと、新しい、今までにない、確信的な技術を開発することが罪に問われるようなことがないようにと、闘うことを、闘い続けることを決意するのが、もう、さあ……。
だって彼は手足をもがれているのだ。問題になったWinnyの脆弱性を今すぐ直したい。まさに今、それが問題になって、情報漏洩が社会問題になって、官房長官がWinny禁止を呼びかけるまでに至ってしまった。それもこれも、開発者である金子氏が修正できないままだからなのだ。
この有能な技術者が、日進月歩のプログラミングの世界で、実に7年もの間手足をもがれたまま、無実を勝ち取ってからわずか一年半後に心筋梗塞で急逝してしまうなんていう運命だなんて、あんまりじゃないか。
面白いのは、もう一つ、Winnyとは全く関係なさそうに見える、地方都市の警察内での架空領収書による裏金づくりの問題が並行して描かれることなんである。最初のうちは、え?なんで??と違和感があったんだけれど、絶妙にリンクしてくる。
ついに、Winnyによる情報漏洩で、証拠がビタッとあげられるという、何とも言い難い、Winnyにとってはいいイメージなのか悪いイメージなのか、みたいな。
イメージ。これは何度も語られるところだ。Winnyをどう使ったかであり、Winny自体に根本的な問題はないのに、Winnyだから漏洩してしまった、Winnyによって事実が明らかになった、と、使い方はソフト自体の価値にはなんの関係もないのに、悪や善にすぐさま振れてしまう。
そんなことに、気づけずにいた。単純なことなのに確かに、そんな悪用されるソフトは、悪用されるために開発したんだと、なぜ簡単に思い込まされてしまうんだろう。
純粋すぎる金子氏に困らせられながら、目の前の山の頂に上らずにはいられない金子氏に、その邪気のなさに惹かれる壇弁護士。
演じる三浦貴大氏、あれ、あれれ、太ったかな??いやでも、このキャラにぴったりだから、役作り??今までの彼のイメージと全然違って、庶民的な関西なまりもいい感じ!完全に金子氏に憑依しているでっくんも素晴らしいが、金子氏の純粋さが故に、不当な罪を着せられることに憤りを感じて闘い続ける壇弁護士に扮する三浦氏の、いい感じに貫禄ついた小太り感がよい!
開発者が逮捕されるなどという不当さ、時代錯誤さに憤って、壇弁護士以下、伝説的に語られるスター弁護士も加わる。吹越満氏演じる秋田弁護士がめちゃくちゃカッコよくて。新人弁護士に尋問のノウハウを伝授するとことか、しびれまくる。
結局は、警察も検察も裁判官も、そして弁護士もウソも使うしウソすれすれのワザも使って、勝ち取っていく。金子氏はそんな世界を知らないから、訳も判らず拘束された時には、迷惑をかけちゃいけないと、警察や検察の言うこと全部聞いちゃって、弁護士チームの頭を抱えさせるんだけれど、でもだからこそ、壇弁護士以下、チームは金子氏を絶対に勝たせようと、こんな卑劣で幼稚な奴らに屈する訳にはいかないと、奮起したんだろう。
ものすごく、難しかったんだろうと思う。実際、著作権侵害や情報漏洩、ウィルス感染に使われてしまったのだから。管理者が悪用禁止を叫んだって、性善説をいくら信じたって、平気で悪用するヤツらはいつの時代にも、どんな場面でも、いるのだ……。
先述したけれど、日本は諸外国に比べて遅れていて、こうした優れた技術、そして開発した技術者を守る、いやそれ以上に、国家にとって有用なプロフェッショナルとして有用するという意識が著しく欠けている。
金子氏の無実が証明されるまでに七年もかかったのは、その七年で、共有ファイルという技術が当たり前になったどころか、必要不可欠なものになったからなのだ。
金子氏が技術の手足をもがれている間に、その分野はあっという間に諸外国に追い越されてしまったのだろう。この稀有な技術者のあふれるアイディアを、日進月歩の技術世界の中で封印し続けた罪は、とてつもなく重い。
最初の裁判結果で負けてしまい、罰金刑を言い渡された。壇弁護士は、一度負けてしまうと、その後勝ったとしても名誉回復は難しいと、面目ないと頭を下げたけれど、金子氏はまるで気にしていないように、まだまだですよ!と笑顔を見せたのだった。
実際、日本の司法というものは、一度有罪となったものをひっくり返すのは本当に難しい、というのはよく聞く。劇中、金子氏が書かされた、すぐ釈放されるからと言い含められて書かされた書面。あとで訂正きくからと騙されて書かされた書面。そんなひとつひとつが、金子氏の無実までにくっだらないまでの時間をかけさせ、心配しているお姉ちゃんに連絡を取ることも出来ないまま、実に実に、7年もの間、闘い続けたのだ。
ラスト、お葬式の場面だったから、本当にビックリしてしまった。そう、知らなかったから……。無実を勝ち取ってわずか一年半、ずっとずっと望み続けていたプログラミング、技術者として生きられなかった、だなんて。
ユーザーとして開発に協力し、不当逮捕に憤った、それこそ、Winnyたる匿名性の無数の人たち、金子氏を救うべく壇弁護士の口座に、応援メッセージの口座名で、少額ながら無数の、本当に無数の振り込みで実に500万円以上が寄せられた。
ファイル共有という技術革新が、著作権侵害というつまらない悪用によって、真の価値を見落とされていることへの抗議の声が、印字された無数の名によって、示されたのだった。
本当に、でっくんが素晴らしかった。彼は、なんかいろいろつまんないイメージがついちゃってるけど、役者になるために産まれてきた人。心配になるぐらい没頭しちゃうからまあいろいろあるのかな。セーブしてくださいよね、もうさ。
本作は、自分自身の無知さが恥ずかしかったけれど、知れてよかった。でっくん、ありがとう。金子氏を生きた彼が、本当に素晴らしかったよ。★★★★★
同じマンションの同じ階に住む、幼なじみ男女四人組。しかも四人とも美男美女として校内でも覚えめでたし。平野紫耀君演じる凜と桜井日奈子嬢演じる優羽は両想いなのだけれど、二人とも初恋をこじらせすぎておかしな関係になっている。
凜はまるで小学生男子が好きな女子をイジメるがごとく、引っ込み思案の優羽をゴミと罵倒し、優羽は優羽で、凜君はゴミな私をまともな人間にしようとしてくれている、という。こう書いてみるとホントにハッキリするんだけれど、モラハラ男に洗脳されてる女の図式に他ならない。
かといって、それに噛みつく気にもなれないのは、キャラや作品設定の弱さなのか……。
四人組のうちのあと二人、女子の暦は優羽のことが大好き。私が一番愛してるのに、と凜の非道を責めもするけれど、二人が好き合っているのも判っているから、二人の良き理解者という感じである。
男子の蛍太もまた、凜のこじらせ具合をその都度面倒見よく諭し、凜のみならず皆からおかんと言われる立場である。
つまりこの二人は、ジェンダー的価値観があいまいというか……。暦が優羽のことを過保護気味に好き好き言うのは、思春期女子にありがちな疑似恋愛的感情なのかとも思うぐらいの勢いがあるから、フェミニズム野郎としてはここは暦に期待しちゃう訳さ。凜のモラハラっぷりをもっと厳しく糾弾し、優羽への愛を強く押し出してほしいと思うのだが、結果的には暦は、後半登場する他校のイケメン男子に自身の弱さを見抜かれ、なんかこの男子とイイ感じになりそうな弱っ尻が、フェミニズム野郎としては歯がゆくて仕方ない。
そして蛍太は、おかんと呼ばれるような気遣い男子で、凜の優羽に対する言動を「イジメている」とハッキリ断定しているのに、それは好きをこじらせているから仕方ない、なんて着地するのは、それこそ息子を溺愛する母親がその評価を甘く判定しちゃってる図式じゃん、と思う。あいまいで危険なジェンダー構築。
そもそも、ヒロインである優羽のキャラクターがひどすぎる。これは……誰の共感も呼ばないんじゃないだろうか。桜井日奈子嬢はめっちゃ可愛いし、凜が心配するほど校内での人気も高い。しかし優羽はとにかく自信がなく、私なんか私なんか……とうつむきぶつぶつつぶやき、マトモに他人と話せないんである。
これを、問題意識をもって、コミュニケーションをうまくとれないところからの脱却、と描けるのならいいのだが、まぁそういう展開と言えなくもないけれど、彼女のそうしたネガティブさを、ゴミだと言い放ち、自分の庇護下におくことで他の男たちを近づけないようにする凜、という図式は、先述したようにまさにモラハラな訳で。
そんな風に、マトモに論じるのがアホらしくなるほど、いろいろと、いろいろと、ないだろという描写が頻出である。凜は優羽の父親を尊敬しているという。それは、優羽の父親が娘を溺愛するあまり、優しくしてくる男は危険だ、という教えがあるからなのだという。
それほどまでに娘を愛している父親が、話だけで登場してこないのは、不自然という以上にもったいない。これひとつで、豊かなエピソードが描けたのにと思う。
しかもその話をしてくれる母親が、安直に優羽に家庭教師をつける。家庭教師というだけで昭和の少女漫画じゃねーかと思うが、同じ年の高校生の男子、なのだよ。
高名な学校に通う秀才、たまたま隣に住んでる、というにしたって、ないだろないだろ!年頃の娘の部屋に、同い年の男子を頭のいい学校に通っているからってだけで招き入れるだなんて、ありえない!!
凜の両親が共働きで忙しく、共に出張中だとかで登場しないのも、低レベル少女漫画的設定にありがちだなーと思う。前半の盛り上がりポイントに、科学実験授業のペアを組む、凜も優羽もお互い組みたいのはアリアリなのに、凜の方が素直になれなくて、なんたってモラハラ男だから(爆)、そこでひと盛り上がりある訳だが。
彼、風邪をひいちゃって、ムリを押して実験授業に参戦、実験授業でも優羽が緊張して事故を起こしちゃって、やけどと風邪のダブルパンチで床につく凜を優羽が看護する、という……。
あぁ、こんなん、半世紀前の少女漫画であったような、いまだにあるの、と。両親はともに出張中でいないからと男子の部屋に二人きり。絞ったタオルを額にとか、おかゆを作るとか、マジか……まだ時代はここで止まってるのか……女子はタオルを絞り、おかゆを作るのか……しかも、そのおかゆを激マズとクサされるのか……ありえん!!
もちろんそれは本気じゃなく、凜はぺろりと平らげるんだけど、やっぱり、やっぱりさー、こーゆーのを、本当は好きだから、と許す訳にはいかんのさ、フェミニズム野郎は。
でも歯ごたえがないんだもん。当の優羽は、洗脳されちゃってるからさ、まずいおかゆを作った自分が悪い、ゴメン、みたいなさ。まぁもちろん、ラストではそれまでの自分を払しょくし、ラブな展開が待ち受けてはいるけれど……。
とゆーのには、またひと展開ある訳である。いくつかのチャプターに分かれていて、その都度人数をたがえてタイトルコールを唱える構成は、ちょっと可愛くて良き。
優羽の家庭教師として登場したエリートイケメン君、和真を演じるのは伊藤健太郎君。彼らが高校一年生で、和真の妹ちゃん、実花は中学三年生。演じるは桜田ひより嬢。お兄ちゃんの元にあらわれたイケメンたちに狂喜乱舞。
その後、和真の祖父が営むペンションでのひとときで、凜への恋心ゆえに優羽に反発心をあらわにするんだけれど、これがかなり唐突感というか……。
まぁ尺的な問題があったんだろうとは思う。原作ではそれなりに描かれていたのかな。正直本作上では、登場シーンでキャピキャピ、お兄ちゃんのイケメン友人にはしゃいで、そのままの流れでこのペンションについてきたぐらいにしか見えなかったからなあ。
先述したけど、チャプターごとに展開していき、ラストは星の村なるリゾート地でのひとときである。かつて凛と優羽は、この地に来たことがあった。多忙な凜の両親は息子を夏休みのお出かけに連れていけなかった。それを、優羽の家族が受け入れたという図式である。
オバチャンだからなのか、そもそものこの図式に心打たれるのに、ティーンエイジャー青春物語だから、そこはスルーするの??違うだろうと思うのは、オバチャンだからなの??
とにかく徹頭徹尾、凜の忙しい両親が、その理由だけで排除されているのが気になって仕方ない。幼い凛はそのためにさみしい想いをしてきたに違いないのに、それを優羽や彼女の家族に癒されてきたに違いないのに、その要素を全然描かないのはもったいなくて仕方がない。
凜はとにかく優羽への恋心だけでバタバタとし、それがラブコメディとしての成立だと言わんばかりだけれど、幼なじみ、同じマンションの同じ階で育った、家庭環境を共有していたからこそのでしょと思うにつけ、凜の両親の不在、優羽の父親がエピソードだけで終わること、優羽の母親のノーテンキさ、もう、ダメでしょ!!
そりゃね、もちろんね、ティーンエイジャーの当事者としては、親をはじめ大人の存在なんて、いらないさ。いても、目に入ってないさ。それは、このペンション、和真の祖父の持ち物であるという場所で、おじいちゃんは登場するし、ちょっとした哀愁のある会話はするけれども、彼らにとってそれは一瞬の、彼らの青春の記憶が少し切ない味付けになるだけのことに過ぎない。
それが、寂しかったし、とてももったいないと思った。このラストシークエンスに至るまでに、もうそういうことだ、シニア世代とは交わらないんだ、まぁしょうがない、青春とはそういうもんだと思ってきた。
でも、彼らにもその先の人生があるのだし、せっかくこうした、三世代の存在を出してくるのなら、リゾート開発で森が失われる、その森は凛と優羽の幼い頃お互いの想いを決定づけた場所だったんだとしたら、おじいちゃん世代の想いも、もっともっと、くみ取ってほしかった。
だって、そうでもなければ、軽すぎるんだもん(爆)。優羽は凜の大事な思い出が、タイムカプセルよろしく、このリゾート地に埋められている、それを凜に訴えるけれど、彼は覚えていない。その宝探しがまさにラストのクライマックスになり、仲間みんなが、優羽と凜の逃避行に振り回される訳で(爆)。
このクライマックスは、壮大だけれど、正直、カンベンしてもらいたかったなぁ……。ハート型の岩とか、まじカンベンやわ……。埋められたタイムカプセルのアイテムも、なんつーか、正直、凜は優羽を溺愛してるからそうなんだろうけど、何じゃこりゃと思ったし(爆)、見上げた夜空の流星群……感動するには安すぎたかなぁ。
今現在みんな活躍している役者さんたち、それがこの当時ビックリするほどつたない、見てられない(爆)てことこそが、価値があるのかも、と思う。
この特集の起因になった磯村君は当然、玉城ティナ嬢、伊藤健太郎君、今や素晴らしい役者として引っ張りだこの彼らが、うーむ、なかなかに初々しい演技を見せている、こういうのを見られるのも、楽しいのだろうな。★☆☆☆☆
そうか、今まで大阪を舞台にはしていなかったのか。丁々発止の関西弁でやり合っているから意外の感。そして意外の感といえば、これまでの二作とちょっと構成のテイストが違うというか……。
これまでは、目利き古物商、則夫と売れない腕利き陶芸家、佐輔の二人が最初っからがっつりコンビを組んで、精巧な贋作を作って大バクチをかます、というスタンスだったのが、本作ではなかなか二人のがっつり手を組んだ展開にいかない。
かなり後半になってようやく、という展開もまたじりじり待ち続けているからそれはそれでスリリングで面白いんだけれど、もー早く二人タッグを組んでよ!!と地団太ふんじゃう。
つまりそれだけ、中井貴一&佐々木蔵之介とゆー、妙齢激シブ男子のバディが、ビジュアルも丁々発止のやりとりも素敵すぎて、もう見てるだけで尊いからさぁ。
で、今回二人を引き裂く(いやその)のは、波動アーティストなるマユツバものの画家である。画家、というか……なんかパフォーマーのように見えるのが、見える、というのがキモで。
彼は全き画家、純粋なる絵描きであったのに、それが幸福であったはずなのに、太閤秀吉が幼い彼の才能の開花のキッカケだったことから、そして彼らが貧しい姉弟だったから、こんな、アヤしい新興宗教みたいな道に足を踏み入れてしまったのであった。
おっと、またしても先走りすぎ、オチバレすぎ。そうね、でも、新興宗教にばっちり見える。本作の製作は、いつ頃行われたんだろう??今まさに、新興宗教における警戒感マックスの時だからさ。お高いありがたグッズ買わされたりとか、まさしくなんだもの。
太閤ならぬTAIKOHである波動アーティストの彼は、太閤秀吉にインスパイアを受けていることを、どんどん拡大解釈してしまって、降りてこない、だから僕はカラッポ、とまで追いつめられてる。姉である(ことは最後の最後に明かされるのだが)代表を務める寧々は、TAIKOHのインスピレーションが降りてくるために、そのためだけに、大金を投じ、そのために霊感商法スレスレの商売を大きく展開して、有名になってしまって、もはや後戻りが出来ないところまで来てしまった。
そのタイミングでの、太閤秀吉イベントのぶっかぶりである。則夫が有名研究者と似た名前で間違われて、オファーされた大阪秀吉博。TAIKOH側が主催するTAIKOH秀吉博。則夫を担ぎ出した旧知の仲のテレビプロデューサーはこのぶっかぶりを面白がるけれど、結局則夫は降ろされる。
TAIKOH側に佐輔が招聘されていることを知り、どうも佐輔が洗脳、は言い過ぎだけれど、すっかりTAIKOH側に取り込まれてる、特に、代表の寧々の色香にすっかりヤラれてる感じなのを見てとって、そして……。
てな訳で、もう一つおおきな陣営、TAIKOHがあるのね。TAIKOHを演じるのは、安田章大氏、凄いインパクト!てか、ものすごいインチキくささを振りまいているこの波動アーティスト、そして彼を囲い込む陣営。
本当にうさんくささしかないと思った。彼の描くモダンアート、言ってみれば子供が描きなぐっているものとどう違うのかを、素人は判断できかねるような。弟の絵には絶対に力があると姉が信じ、でもその絵を売るために選んだ手段は、間違っていた、いや、エスカレートしすぎた、というか。
こういう感じで新興宗教がイッちゃうのかも、と思っちゃうが、TAIKOHはあくまで画家としてのスタンスである訳で……。ここんところの線引きは難しいのだけれど、作り手側がどこまで踏み込んで描いているのかが、正直読み取り切れなくて。
で、まあ、そんな、大阪的?大風呂敷なTAIKOHに振り回される形で、いや、振り落とされる形といった方がいいか、則夫も佐輔も自身の身の丈に所詮合わなかった大プロジェクトから脱落する。そっからようやく、この二人の黄金コンビがスタートするんである。
でね、そもそも何を作るかよ。俎上にあがっているのは太閤さんの七つの宝。そもそもこの設定自体がホントにあるもんなのかどうかなんて、歴史に疎いワタクシなんぞは知る由もなく、普通にへぇえ、と信じちゃうのだが、まあそこは映画に騙されるってことで。虚実ないまぜでノセられるのがこのシリーズの最大の魅力だから、本当にあるのかとか、調べるだけヤボヤボ(めんどくさいだけだろ……)。
でも、そう。先述したけど、本作がこれまでのシリーズと明確に違うのは、ソックリな贋作を作って騙しとおしちゃうというこれまでと違って、まったく情報がないものを、作っちゃうという、まったく別種のスリリングなのだよ。
七品以外の六品は、情報があるからこそ贋作真作判らないあれこれが出現している、その中でただ一品、まったく、まぁったく情報がない。器、というんだから茶碗だろうと予想されるが、器という、漠然とした表現から、船をイメージする学芸員(つかっちゃん、最高!!)までいるんである。
つまり、何を作ったっていい、今までの、出来うる限り精巧に作り、プロの目を騙しおおせる展開とまるで違うのだ。それでもその想像の上に作り上げた贋作(この表現自体がおかしい気がして仕方ない……)を、添えられた精巧な巻紙やら陰影やらですっかり騙された老研究者だが、まあそこまでは、今までと同じスタンスさ。
なんたって現物に対する情報が何もない。数少ない情報から、ほぼほぼオリジナルクリエイト。その当時の最先端であったびいどろ(ガラス)と陶器の融合。太閤秀吉のキーポイントである鳳凰が光の反射で、TAIKOHに降りてきた大作に重なる奇跡。
うさんくささを存分に前面に出してきていたのはそーゆ―ことなのねと思う。TAIKOHを演じる安田氏の、絶妙なインチキくささから、実は純粋なアーティストで、お姉ちゃんに苦労かけたことを悩んでて、みたいな転換を、見事にラストシークエンスで見せてくれるから、心打たれまくる。
佐輔の恋女房、康子を演じる友近さま。もー最高でさ、毎回、夫への理解、献身、なのに見た目はザ・鬼嫁なのが、最高でさ。でも本作ではちょっと違って……波動アーティストTAIKOH様に心酔しちゃってて、まさに新興宗教にハマってる奥様そのもので、恐る恐る進言したダンナにキレて家を飛び出しちゃう。
かなりヒヤリとする展開。先述したように今語られてる社会問題だからさ……。正直、描写的にはほぼ洗脳されているように見えちゃったし、その上で判らず屋の夫にキレて、飛び出しちゃうって言うんだったら、そう簡単には……と思ったのに、いつもの恋女房として、クライマックス、運命の鑑定中に、見事戻ってきてくれるんである。
でもまぁ……このスタンス、彼女がほぼ洗脳されているほどの経過を納得できるまではなかったし、康子さんが先導する形でアヤしげな商品購買へ導くシークエンスも、お笑いスタンスのままって感じは否めなかったかなあ。
本作への不満は、シリーズ物のファンにありがちなものがまずあると思うんだけれど、だからこその、保守的なファンがまず違和感を感じちゃうメインを張る異世界設定、しかもその異世界設定が尺とる割には、思わせぶりな割には、今一つスッキリ納得させてくれないみたいな??
こんなクサクサ言ってるけど、ラストはまじで、感動したのよ。大好きな中井貴一&佐々木蔵之介コンビを安っぽく打ち壊したぐらいに、中盤まではマジで、やめてくれよ、と思っていたんだもの。
それが、まさにギャップ萌えね。あんなに胡散臭かったのに、実は真摯な、繊細な、マジに天才アーティストだった、というね!!これはね……もう一つ、保守的日本に対する皮肉が込められている、と思う。
佐輔が作った太閤秀吉の七品目の器にいたく感動したTAIKOHが、自身に降りてきた太閤によって描いた大作の絵と等価交換の形で円満解決。しかしその後、則夫が目にしたのは、TAIKOHが、海外の有名コンクール的なところと思しき、晴れがましい場所で、賞を受けているテレビニュースなんである。
いかがわしいインチキ宗教のような終焉で姿を消したに違いないTAIKOHが、思わぬところで評価されている。うわ、あの絵はどうした!と則夫が慌てて佐輔のもとに駆け付けるも100万で売れたった、と無邪気に喜ぶ佐輔夫妻。あららー。
クライマックスで、本物かニセモノか、それは自分自身の中で決めるものだと、それを、今まで則夫たちは危なっかしく切り抜けてきた。占い師である娘ちゃんが持っていたお守り代わりの絵が、TAIKOHの売れない頃の者であったシークエンスも効いていた。現代美術は専門じゃないが……と則夫が言いつつ、娘にとっての本物であればそれでいい、そして自分にとっての、TAIKOH自身にとっての、という決着が良かった。
本来は、それだけであっていい。自分にとって大事なものかどうかで成立するべき。だからこれでいいのだ。損をしたなんてことじゃないのだ。佐輔夫妻も、もちろんTAIKOHも、自分に一番大事なことに気づいて、そしてまた愛しい日常が始まるのだもの。
2年ごとと言わず、毎年新年に観たいシリーズ。作っておくれよー。★★★☆☆
溝口作品がどんなものだったのか興味はあるが、本作に関しては、舞台となった江戸下町の、町人たちのぽんぽんと調子のいい台詞回しが心地よく、なにか講談を聴いているような気持になる。
七五調、というのか、下町長屋の男たちの挨拶から始まる会話がどれもこれも、とても小気味が良くて、そう、なにか、そんな舞台作品を見ているような雰囲気。
歌麿はこの貧乏長屋で暮らす、最近名をあげている人気絵師。その生き生きとした、時になまめかしい絵は町人たちには大人気だが、お上お抱えの狩野派からは下賤な画だと疎んじられている、のは、それだけ歌麿の人気がすさまじいことへの嫉妬にほかならない。
そしてそれこそが物語のクライマックス、歌麿の右手を打ち砕き、彼の絵師生命を奪うという所業に至るのだが、こんな史実があったのかしらんと思ったものの、前述のように歌麿に関してそこまで詳しい来歴は伝えられていないし、最後は病死ということらしいし。
歌麿と出会う女たちは残らず彼に恋に落ちてしまう。まぁ時には、彼の名声にあやかって世に出ようという女もいるけれども。
それはお蝶という同じ長屋に住む娘っ子。演じるははつらつとした裸体が眩しい春川ますみ。歌麿に描いてもらっただけでスターになった女に激しい嫉妬をかきたて、なかば歌麿に襲いかからんばかりに懇願する。彼女の存在が判りやすく、歌麿という人気絵師のキャラクターを浮き彫りにする。
お蝶より先に、吉原の人気芸者の背中に刺青の下絵をほどこす、というシークエンスがあり、そのなまめかしい色っぽい画ときたらもうホントに息をのむほどなのだけれど、この芸者、小車に関しては彼女自身ではなく刺青師が、こんな素晴らしい肌に下絵なんか書けない、と投げ出したのを、刺青師からの提案で歌麿が召喚されたのだから、ちょっと違うのだよね、彼女は。
むしろ歌麿はこの時彼女の肌に目覚め、つまり女の肌に目覚め、もっと言うと、生きた女に目覚めたのだ。それまでだって充分に人気絵師だった彼が、それまでの絵を、こんなのは死んでいる、生きていない、と苦悩する中、はつらつとした肌を持つお蝶をはじめ、数々の生きた女に出会っていく。
ただ一人、絵に描かれない女が、最後の最後歌麿をさらっていったんだなと思うと、ちょっと興味深い。同じ長屋に住み、歌麿の家でお手伝いに入っているお雪(野添ひとみ)である。お雪坊、などと呼ばれるほどに、少女と言ってもいいような幼さで、まさか彼女が最後の最後、歌麿と、とは思いもしなかった。
正直見た目的にも親子ほどの差があるように見えたし、いかにもおぼこ娘で、老いた祖父と二人暮らしの彼女は、この生活から抜け出すには、祖父が持ってきた玉の輿の縁談にのるしかないんである。
歌麿と関わる女たちの中で、最もメインと言うべきはヤハリ、その冒頭からお顔を見せているおたみ(淡島千景)であろうと思われる。さすがの美しさ。そして、切なさ。
この時代、かつての武士は、生きるのに苦労する存在だった。仕官先を探し続けて三年、店賃も払えぬまま、おたみは居酒屋の女中などするが、どうしようもない日々。
冒頭、朝の挨拶のほんのじゃれあいのように、武士なら刀を持っているだろう、腹を切るなりなんなりみたいな、家主からのシャレにしてもひどい言い様に、おたみはひるんでしまう。
そしてそれを、カイショのない夫につい、もらしてしまう。武士に対してなんたることを、と夫は憤りながらも、抜いた刀で野菜を切ってしまう。次のシーンで抜いてみたら、もう竹光になっちゃってる。可笑しくも切なすぎる。
本作はかなり、やっちゃってるというか、いい意味で下品というか。イベリア国との国交というシークエンスが出色。象をまじえた絢爛たる行進に、町の人々は度肝を抜かれ、お上のお偉いさんたちは、望遠鏡で象の上に載っている半裸の美女に心奪われる。
このあたりからなかなかに下品(だからまぁ、いい意味で)なシークエンスが乱れ撃ち。池に百匹の鯉を放ち、それを上半身裸の女たちに捕らせるという、なんじゃそりゃ!芸能人水着大会よりエグいわ!!
それを歌麿が金魚問屋に手引きさせてこっそりのぞき見しているというのもアレだが、そこで見初めたエロい女子を奪うために、水門を開けて流しちゃうというアラワザにもほどがあるだろ!!
不思議なことに、この最もエロい女、たまきに関してデータベースのあらすじにのっかってきてないのが、これはこのデータベースあるあるで、最初の脚本段階ではなくって、書き足されたのかもと思うと、ワクワクしちゃう。歌麿と二人きりの水車小屋で、こらーヤッちゃったに違いないもん(爆)。
実はその前に、お姫様然とした状態でたまきは歌麿に出会っていて、その時はたかが町絵師、とわざと蔑んでいた、という逆萌えである。
最終的に歌麿は右手を打ち砕かれるけれど、一度その難を逃れた時に助けてくれたのが、まあなんと美しい、山本富士子演じる小はん姐さんである。
売れっ子芸妓である彼女を、歌麿を襲った狩野側が呼んでいたのに来ないと思ったら、襲ったはずの歌麿のそばに侍っていた、というのが、最終的なクライマックスにつながる。
いわばそのためだけの登場である小はん姐さんなのだが、……めちゃくちゃキレイ……。
もちろん、本作に出てくる誰も彼もが美しい女優さんたちだし、貧乏武士を夫に持つおたみを演じる淡島千景の美しさもまた際立っているんだけれど、おたみが、自分が歌麿の絵のモデルになるなんて……いい着物も持っていないのに……と躊躇するように、着物どころか化粧もままならない彼女と、ばっちり売れっ子の芸妓である小はん姐さんは全然、ぜんっぜん、違うのだもの。
だからこそおたみさんは、自分なんて存在が、歌麿に想いを寄せるなんて、そんなおこがましいこと、と思っていただろうし、何よりそんな思いを自分が抱くなんてことに、驚いていただろうし……。
だって、稼ぎのない夫を抱えながら、それはこの時代に、なかなかしょうがないことで、しょんぼり帰ってくる夫に怒るどころか、憐憫の情を抱えながらの生活だったのだ。でも、モデルになったら大金が得られると、でもそのモデルは裸なのだと……。おたみさん以外の女たちは、そんなん、パーッと脱いじゃうし、名をあげることが目的だし、でもその最初の逡巡があったからこそ、おたみさんは、歌麿も、お互い、深く心を通じてしまったのかもしれない。
それをこっそりのぞき見しているのが、お手伝い少女、お雪坊である。本当におぼこ娘で、おたみさんと歌麿が、これは最後の別れの抱擁だったのに、それを見てショックを受けてお嫁に行く!!とか言っちゃう。
あ、そうだ、もう一人いたわ。おとせ。演じるは淡路恵子。これまたイイ女!!派手な着物、大きな帯を結んで、しゃなりしゃなりと歌麿の住む長屋を訪れる、いわば歌麿の最初の彼女とでもいったような。
このおとせこそが、歌麿を真に愛していたのかと思ったのだけれど、くだんの事件があって、お雪坊に歌麿のことを頼むと声をかけてきたのは意外や意外、小はん姐さんであった。
売れっ子芸妓の、ゲスト的出演かと思いきや、あぁでも、確かにあの時に、狩野派の暴漢から助け出したのが小はん姐さんで、また同じことが起こった悲劇と考えれば、そうか……。
おたみさんに、旦那が、自分への愛情はもはやなくなったのかと、ぶつかりあうシークエンスがめちゃくちゃ胸に迫る。旦那、なんか察してるんだもん。どうやら、自分から心が離れている、それだけじゃなく、他の男が、っていうのも、察してるんだもん。
スキンシップにどうしても応えられない妻に絶望して、妻もまたどうしようもなく泣き崩れて。どうしたらいいの。貧乏がなかったら、職さえあれば、きっとこんなことにはならなかったのに。歌麿と心を通じかけたのは、結局はそんな哀しいマイナス要素こそだったのだ。でも恋には違いないのに……。
でも、出て行っちゃう。歌麿からも、哀しき手切れ金的な相応の報酬であるからこそ、思い切りが出来たのだろうけれど、遠い土地に行くこの夫婦が、どう心の整理をつけて、人生をやり直せるのだろうと思うと、切なくて仕方がない。
んで、その恋には違いない、ってことで、さらっちまうのが、まさかのお雪坊。もう婚礼が決まってる。真っ白な花嫁衣装に、歌麿がキレイだ、と声をかける。涙を流しながら婚礼に向かうお雪。
泣きながらおとっつぁんに、お師匠さんが好きなんだ、と吐露するところから、ドラマティックに大転換。ダスティン・ホフマンの卒業以上にありえんほどの大転換よ。玉の輿の相手の男子が名前も顔も見えないままだってのが、後から考えると結構テキトーすぎる気がする(爆)。
正直、ほんの娘っ子としか思っていなかったとしか思えない歌麿が、いくら情熱的にお雪坊が胸に飛び込んだとしたって、どうなのよ、と思うのが正直なところだけれど……。殺し文句は、「私があなたの右手になります」なのだが、生活上のそれじゃないんだから、そらムリだよなあと思ったり。
江戸町人文化の、長屋とか居酒屋とか太鼓橋とか、リズミカルな会話が何より魅力的だった。★★★☆☆