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「ふ」


2024年鑑賞作品

フィリピンパブ嬢の社会学
2023年 114分 日本 カラー
監督:白羽弥仁 脚本:大河内聡
撮影:森崎真実 音楽:奈良部匠平
出演:前田航基 一宮レイゼル 近藤芳正 勝野洋 田中美里 仁科貴 ステファニー・アリアン 津田寛治 飯島珠奈


2024/3/3/日 劇場(池袋シネマ・ロサ)
原作は新書なのだというんだから、もっと理論的、アカデミックなのかもしれないけれど、映画となった本作に関しては、翔太とミカのボーイミーツガール、フォールインラブ物語という感じ。
正直言うと、それこそアカデミックな内容を見てみたかったと思う。なんたって翔太は大学院の修士論文のテーマとしてこれを選び、その研究対象の相手と恋に落ちた、というのはそれはそれ。そのテーマを、もっともっと見せてほしかった。

いや、見せてはいるのだろうが……ミカに出会う手前、多くのフィリピーナの母親的存在の女性と、そこに集まる女性たちの生きづらさ、故郷への思慕が苦し気に語られるのだから。でもそこは掘り下げないんだな、そこは調査しないんだな、と思ったのは正直なところ。

だって翔太は、若い子を、と言うんだもの。自分と年が近いなら、話が合うんじゃないか、だなどという軽いノリである。最初に出会った女性は、今は若い人はぐっと少なくなっている、それはビザが厳しくなったからだという。
そして、今いる若い女性たちは……バックにヤクザがいるのだと。偽装結婚をさせて、安くこきつかっているのだと。それこそ映画やドラマのような世界が、本当にあるのだということだろう。そしてそれを描くのも確かに、映画向きではあるんだからいいんだろうけれど……その手前の、割とすんなり日本に来たがために苦しむ多数のフィリピーナ達の方にこそ興味を持ってしまうのは、私がそっちに年齢が近いからなのかもしれないが。

翔太を演じるのは前田航基氏。おっとっと、ずいぶんでっかくなっちゃった。子供の頃からの印象はそのままではあるけれど、それにしてもだいぶでっかい。
ちょっと心配になっちゃう。てか、このビッグサイズはキャラに意味づけを感じてしまうもんで。新卒で就職するというのがピンと来ずに、どこか漫然と大学院に進学したという、しかも自宅通いだという現実の知らなさを、この豊満なボディにキャラづけしたのかと勝手に想像したが、そうでもないっつーか。

正直、翔太は、ミカに恋して、彼女との関係性には一喜一憂するけれど、フィリピーナ達への、研究した筈の彼女たちへの結論は、強くたくましいんだという、平凡極まりない一語で終わっちゃってる。
もちろん、論文にまとめあげたんだから、新書にもなっているんだから、そこにはきちっとしたリサーチが収められているんだろうけれど、こと映画作品においては、論文の存在は、ミカの故郷のフィリピンに行くことを渋る材料として落ち着いちゃうという存在感のなさで、めちゃもったいないと思っちゃうんだよなぁ。

ミカを演じる一宮レイゼル氏はめちゃくちゃ可愛くて、そりゃ翔太は恋に落ちちゃうであろう。ミカ自身はどのタイミングからだったのか。

いわゆるフィリピンパブに勤めているミカ。ここを紹介してくれたのは、他のパブで出会った、フィリピンパブ常連の金持ちオヤジ、シバタさん(近藤芳正)で、キャバクラ行くより格安だろ、とにやりと笑ったもんだった。いかにも羽振りが良かったけれども、その台詞から思うと、本当の意味での金持ちではなかったのだろう。後に行方不明になってしまうのだから。
そうした事情も特段明らかにされることがない。なんていうか……上滑りという感覚がどうしてもしてしまう。客に妊娠させられたパブ嬢、泣いて悩んで大変だったのに、里帰りして出産して家族に面倒見てもらって万事解決、それがフィリピンの家族の当たり前なんだと。

そうなのだろうとは思う。ミカが帰った時も、大家族おおらかな愛は感じたけれど、その一方で、日本で稼いでいるミカに買い物に行くからとか、iPadを買ってほしいとか、たかりまくる両親親戚むらがりまくりに戦慄する。
戦慄するだなんていうのは大げさということなのだろうか。ミカもちょっと困った顔はするけれど、気前よく出した後は愛情たっぷりのハグを交わすのだから。
こういうカルチャーギャップを、ただ映し出すだけで、翔太は絶対にそれに対して違和感を感じている筈なのに、なんだかぼんやり見ているだけなのが、歯がゆいのだ。

ヤクザがバックにいて、偽装結婚によって監視的生活をしているミカ。月に二日しかない休みも、電車やバスの乗り方も判らないから、外に出たことさえないと言った。店からは同伴を取るように言われているんだから、そんな金のない、外でのデートを望む翔太と付き合ったって、ペナルティの天引きをされるだけでなんの得もない。
ミカも最初は、翔太は金づると思っていた筈。そこまでは言い過ぎかもしれない。彼女が言い募るように、若くて可愛いけれど手練手管のない彼女は、この水商売の世界で上手く立ち回れていなかったのだろう。

でも一方で、違う意味で上手く立ち回れなかった先輩が客の子を身ごもってしまったりする。このあたりの生々しさ、厳しさを、もっと追究してほしかったと思う。だって、許せないことじゃん。それきり姿をくらました客、リアルに刑事罰じゃん。
泣いて悩んで苦しんでいるのに、次のシーンでは、フィリピンで産んでくる、そして戻ってくる、あっさり笑顔で復帰だなんてさ!子供と一緒にいられないのに……その時ばかりは、フィリピンの大家族感覚がよし!みたいなさ、そんな簡単なことじゃないじゃん……。

てな具合に、なんかまるめこまれ感が侵食してくる気がしちゃう。翔太の学校での描写も、物足りない。翔太が提出した修士論文のテーマに、教授は面白いね!と背中を押したし、その研究対象の一人と恋に落ちた翔太を見て取って、その彼女をゲストスピーカーとして招きたいと言ってくれたり、ここはさ、先述した、アカデミックな面白さが出て来そうなところだったのさ。
ミカが学生たちの前で何を話すのか、めっちゃ興味深々だったのに、そんな場面はつゆほどもない。珍しいもんを見物しに来るがごとき学生たちにしり込みするミカを、同じく外国ルーツである女子学生が、大きなハグで出迎え、そして日本人学生の女子が、キラキラメイクをしてあげる。それだけである。

いやいやいや、なにこれ。ほどこしかよ。ゲストスピーカーとして招いたってことは、翔太の論文テーマである、来日したフィリピーナ達のナマな声を聞き、討論するってことじゃないんかい。
いつでも私たちはあなたを迎え入れるわよ、ピース、みたいな、なんじゃそりゃと思っちゃうよ。

ミカは、日本人の女の子と初めて話したと言った。先述した、電車にもバスにも乗ったことがなかったということもあって、つまり、ヤクザにがっちがちに監視されている状態から、日本という国をただ稼ぐだけの窮屈な地獄から、翔太によって世界が開けたということなのだろうと思う。
思うのだけれど……それが、あまりヴィヴィットに感じられない。そもそも翔太が、彼女が感じたであろうその感覚に関して、ぼんやりとし過ぎている気がする。
外でのデートを思い切って申し出たのは確かに翔太の方だったけれど、決死の覚悟で、彼と付き合う、交際する、と宣言したのは、ミカであった。その重要性を、どれだけ重い決断かということを、翔太はどれだけ判ってたのかと、思ってしまう。

それは、一番思うのは、ミカとのフィリピン旅行に乗り気じゃなかった場面から、特に決心する場面もなく旅行となるところからの一連のシークエンスである。
帰国していきなり両親にミカを紹介し、特に母親が拒否反応を示した時に、翔太が、顔面は妙に立派に大人ヅラしてたけれど、つまらない偏見を持っているであろう親に対して、まったく説得力のあることを言えないくせに、はいはい、みたいにその場面を終えちゃう、ってなんなの。

いやいやいや、何それ、そりゃないだろ。普通に恋人を紹介するだけでも決心がいるのに、こんないろいろ事情を抱えた恋人を、何の前触れもなく連れてきて、そりゃないだろ。
まぁ正直さ、両親、特に母親の反応は、翔太の親世代にしては古いというか、昭和か、と思っちゃうけれど、どうやら一人息子らしいし、息子に対する母親の愛は、古今東西、そんなもんなのかもしれない。でも不満なのは……この確執をなんら解消しないまま、終わってしまうことさ!

そりゃね、そりゃ、ヤクザとの対決はクライマックスだろうよ。でも妙に優しいヤクザさんであり、ミカが思い込んでいた契約期間の齟齬がこの対決を産んだわけだけど、その齟齬に関してミカは意見することもなくあっさりと承諾しちゃう。だったら死ぬ思いでこの対決の場に駆り出された翔太はなんだったん。
翔太の覚悟を試す気だったのかと思うぐらいの大きな転換点だったのに、それも追究することないし、親との確執もそのままスルーして、指輪買って、就職して、結婚しちゃう。

就職活動しているシーンで、修士論文のテーマにいつも差別的に反応されるんだと面接現場でとうとうと訴え、仕事をください!!と絶叫して頭を下げる翔太。
本作はいつのまにやらミカとのラブストーリーにすり替わって、フィリピーナ達の苦悩は表層的に点在するだけで、伝わってこなかったというのが正直なところなので、ことここに至ると、論文テーマをネタにして、自身の現状を訴えているだけという気がしてしまう。ミカも翔太も魅力的ではあるんだけれど、深く理解し合う手前で後戻りしている感じがどうしてもしてしまう。

キャストクレジットの最後には、原作者の幸せな家族写真が示される。幸せな家族、そうではない家族、いろいろ、いろいろいたに違いなく、それをこそ見たかったのだと改めて思い……なんか、なんか、歯がゆかったのだよなぁ。★☆☆☆☆


不死身ラヴァーズ
2024年 103分 日本 カラー
監督:松居大悟 脚本:大野敏哉 松居大悟
撮影:冨永健二 音楽:澤部渡
出演:見上愛 佐藤寛太 落合モトキ 大関れいか 平井珠生 米良まさひろ 本折最強さとし 岩本晟夢 アダム 青木柚 前田敦子 神野三鈴

2024/5/15/水 劇場(シネ・リーブル池袋)
やばい、うっかりタダ読みの原作第一話を読んでしまった。なんと男女が逆転していたのだということをここで知ってしまい、その画の力に持ってかれて、こりゃー読むべきではなかった、そもそもいつも映画と原作は別物だと心に戒めていたのにと自分の頭をガンガン殴りたくなったが、それだけの理由というか、自信というか、あるということなのであった。

実に10年前から原作者に熱いコンタクトをとっていたという松居監督、だからこそ男女逆転も当然、原作者先生は了解した上であり、もともと性差ということを考えて描いていなかった、というお言葉に胸を打たれた。
流行のように多様性と叫ばれる時代においても確かにそれは価値のあることというのもあるけれど、映画となった本作を見てみると、好きという気持ちのなんという強さ、地球をぶっ壊してしまうほどの、という強烈さ、そしてそれは確かに、10代から20代初めの、あの頃に最も爆裂していたもの。
ああなんと言葉を尽くしても、タダ読みしたほんの一話の原作の力にも、本作にも、及ばない。

主人公、というか、立場が映画では入れ替わり、女の子が好きな男の子に猪突猛進する、というのは、やっぱり松居監督と言えば女の子、そしてその女の子が疾走する、というのが確かにイメージとしてあり、それは女の子映画大好きなフェミニズム野郎の私としては、ああ、男女逆転させてくれてありがとう!!と思うのであった。
そして何と言っても本作の魅力は、この壮大なロケーションである。青々とした山々が遠く囲む、どこまでも広い空、遠く走る新幹線は青いから東海道新幹線だろうか。その奥にはヨーロッパのどこかの街を思わせるカラフルな住宅群があって……あれは、ハメコミなんだろうか?本当に、あんなアングルで、山々、カラフル家たち、新幹線、野っぱらに一直線にダーッ!と走りゆく道があるような、あんなロケーションがあるのだろうか?あるのかもしれないけれど……とにかく、奇跡的、つまりはいい感じに非現実的。

なんたってヒロイン、長谷部りのが恋する甲野じゅんは、二人が両想いになった瞬間に、消滅してしまうのだから。こう書くと、なんのことやら判らない。でも文字通り、なのだ。
長谷部りのはとにかく、甲野じゅんに盲目的に恋している。不思議なことに、何度も何度も、違うキャラ設定としての甲野じゅんに出会い、両想いになった途端、彼の姿はかき消えてしまうんである。

その非現実的さは、この一見のどかな、でも新幹線(だよね?)が通っていて、カラフルなヨーロッパ風住宅街があって、でもいかにも田舎な田んぼ道、みたいな奇妙な組み合わせにバチッとシンクロしている。
タイムリープじゃないけど、パラレルワールドでもないけど、そんな、なにかが起こっているような微妙なズレ感。

でも結局は、もうオチバレ早すぎるけど、長谷部りのの思い込みであり、その恋が終わったことが哀しすぎて、記憶から消してしまったってだけ、だけというには重すぎるけど、つまりはそういうこと。
この、あまりにも平凡すぎるというか、恋の経過を、いわばミステリー現象にしてしまうという、原作者先生のアイディアの天才っぷりよ!!

つまりは、すべてが甲野じゅんだと思っていた、というのも違う訳で、その時々の長谷部りのはちゃんと、違う男子に恋していた自覚があったのに、恋が終わると、その存在が消えるだけでなく、すべてが根幹の甲野じゅんに集約してしまうという、かなりの病みっぷりなのよね。
タダ読みした原作、しかも男女逆転しているのを加味しても、そのあたりの病みっぷりは、コミックならではの爆走で連れてっちゃうのだが、原作だけを読んでいたら、これを映画化作品にしたらどうなるのだろう……と心配になっちゃったかもしれない。だってこれって、ちょいとした心療内科へレッツゴー案件だもの。

杞憂杞憂、そら心配ご無用。次々出会うあらゆるじゅん君を、スピーディーに処理していき、観客に考える隙を与えない。
前半はそんな、あれよあれよと過ぎていき、長谷部りのは大学生となる。そしてそこで、本当の甲野じゅんに出会い、じっくり恋に落ちるんである。

本当の甲野じゅん。そういうこと、なんだろう。タダ読みした原作一話ではまだ出てこなかった描写……映画では冒頭に置かれていたけれど、もしかしたら原作ではその先にあるのかもしれないけれど、甲野じゅんと運命の出会いをしたのは、長谷部りのが余命いくばくもない状態で病院に入院していた幼少の頃なんであった。
りのは、もう私は死ぬんだと思ったところで、じゅんがその手を握りしめ、その手で摘んできたささやかな野の花を握らせる。りのはそれで息を吹き返し、甲野じゅんを追い求め、何度も何度も甲野じゅんに恋するんである。

かたわらにいるのが、男友達、田中である。男女逆転にしたけれど、友達の田中は男子のままである。それがね、それが……それこそそんなことを思うのはフェミニズム野郎としてはいかがなものか。

男女でも友情は成立する。当然、そう思ってる。でもさでもさ、10代から20代初めの、冒頭に言ったように恋に猪突猛進する年頃の、恋するあまりにまわりどころか自分自身も見えなくなっているヒロイン、りのの親友として、常に傍らで見守っている存在が、原作では同性の友人、本作では異性の友人。
もちろんそこに、多様性の時代なら深読みすることも出来るけれど、深読みも必要ない、というのもアレだが、ついついそう思っちゃうのも良くないのかもしれないが、やっぱりやっぱり、田中君は、りのを見守っている田中君は、彼女のことを好きだったと思っちゃうじゃない!!

そんなことは一言も言わないし、そんな片鱗も見せない。言ってしまえばりのに対して、今まで両想いになった途端に甲野じゅんが消えてしまうのは、その記憶を消したかっただけだと告げるための、それだけのための存在だとさえ言える。
でも……明らかに本作の田中は、いや、原作の彼もそうだけど、りののことを(原作ではじゅんのことを)すべて知っている、理解している、心配して見守っている……ああ!!それが男女逆転するとついヤボな見方をすること自体が、多様性の時代にさ!!偏見の目さ!!ああ試されているのか!!

……落ち着け、私。後半戦こそが大事なのだから。ずっとずっと、消え続ける甲野じゅんに怯え、次に甲野じゅんに出会ったら、もう積極的には出られなくなっていたりのは、大学生になっていた。
振り返ってみれば、つまりそれまでに、彼女は恋に破れ続けて、臆病にもなっていたけれど、成長もしていた、ということなんだろう。りのが強制的に記憶をシャットダウンしていたそれぞれの恋は、田中やバイト先の先輩が証言するように、りのはきちんと受け止め、前に進んでいたのだから。

でも最後に出会ったのは、本物の甲野じゅんだった。これは、どういうことなのだろう。冒頭、幼少期のりの、病気で入院していて、もう余命いくばくもない。その病床にあらわれた甲野じゅん、名もなき野の花をその手に握らせた。途端にりのは息を吹き返し、もういきなり女子高生に時間が飛んでいる。
探し続けた運命の相手、甲野じゅんだと、結果的には錯覚し続けて、いろんな男子と恋に落ちる、のは、そう観客に示されているだけで、実際はきちんと恋の場数を踏んでいる。
運命の相手甲野じゅんへの道筋が出来ていたから、切り捨てていったということなのだと考えると、なかなかに冷たい女のようにも思うのだが。

でも、後半じっくりと描かれる、本当の甲野じゅんは、運命の再会は、相当に、重い展開なのだった。確かに田中が言うように、その設定は恋愛映画そのもの。ラストにはハッピーエンドが待っているてなたぐい。
大学のカフェテリアで出会った甲野じゅんは、事故の後遺症で記憶を一日しか保てないのであった。その再会の場には、面白半分に忍び込んできていた田中もいた。

今までは甲野じゅん(に見えたそれぞれの彼氏)に出会うたびに、積極的にアタック、どころか、会ったとたんに告白していた長谷部りのが、これまでの消滅に心折れたこともあったろうが、慎重に、人見知りみたいに対応した。
彼の記憶障害のことを知るのは、新歓コンパのバーベキューパーティーで仲良くなったと思った後だった。甲野じゅんに、パーフェクトに向き合うために、それは何より、彼にずっと恋してきたから、長谷部りのに迷いはなかった。

息子を支え続けてきたとおぼしきお母さんに、心配げなお母さんに、笑顔で約束する。
彼の家は、茅葺の、本当に古風な家で、そもそもこの物語世界は、これまでおとぎ話のような山々が連なる、陽光降り注ぐ、日本昔話みたいなおっとりしたロケーションで描かれてきたけれど、でもこの中で、長谷部りのも、甲野じゅんも、そして田中君だって、ここで生きていくための選択をして、苦しんできたんだと思って……それを、この、古風な茅葺住宅にしんしんと感じ入ってしまって。

毎朝、甲野じゅんは絶望の気持ちで迎えるのだ。昨日までのことを覚えていない。今日一日をどう生きたらいいのか。そして、明日はまた、今日のことを忘れてしまうのだ……絶望、である。
りのから話を聞いた田中君が言ったように、こらぁ映画である。あの映画である。「50回目のファーストキス」である。つまりは恋愛映画としてハッピーエンドが待っている。でもこれを、マジな人生としてとらえたら、それは……絶望であり、地獄である。でもそこに、りのという恋にばく進する太陽よりもまぶしく輝く女の子が現れたら!!

りのは、両想いになったらじゅん君が消えてしまうと思うから、今度こそ本物のじゅん君だとまぁ理解しているからだろうけれど、慎重になってる。
一方で、じゅん君の記憶障害の事情が判って、毎日彼を迎えに来て、毎日ラブレターを渡す。当然、じゅん君とは毎日初めましてだけれど、彼自身、この事態を憂いて毎朝号泣しての登場てなぐらいだから、前日までの記憶を出来る限り復習してくるうちに、「覚えている気がする」なんて言ってりのを喜ばせる。

でもそれは、どうだろう、りのが渡したラブレターメモを読み返してそんな風に感じたのかもしれないけれど、でも、人間の記憶はつまりはそういうことの積み重ねだろうと思うし。
結構最後、ムリクリな感じはあれど、りのがじゅん君に語った、理想の家庭像(まるで、小坂明子の「あなた」みたいな)に、結果的に行きついているっていうのが、これはハッピーエンドでいいんだよね??

そう不安になるほどに、次第に、しっかりと、今の長谷部りのになっていくほどに、彼女が今までは妄想の中にいたけれど、今は現実の彼と恋をしていると確信出来てくるから、ああ、お願い、ハッピーエンド頂戴!!と、祈るような気持になっちゃう。

だって、消え続けてきたからさぁ……。最後の最後のじゅん君は消えない。かなり、消えそうなシークエンスはあった。青春の、ハタチになったばかりで先輩たちから飲まされて、盛り上がって、二次会のカラオケ、じゅん君は、眠ってしまったら、忘れてしまうからと躊躇した。りのは、眠らず、このままオールで行こう!とことさらに軽く誘った。
実際、じゅん君は眠らなかった。そしてりのと気持ちを確かめ合った。いい感じになったのに、りのの方が不安になって、逃げだしてしまった。そして田中に尻を叩かれて……。

そんな具合に、結構シリアスなクライマックスになるから、どう決着するのかなと思っていたんだけれど。そりゃ当然、じゅん君の記憶障害はそのままだからさ、直前までは、りのからもらったメッセージカードや自身で保存していた写真と文章でよりどころを得ていたからこそ、りのと恋愛の気持ちを分かち合ったのだが……。
「過去のデータを見る限り、お友達だと思いますので、別れてください!!」と言い放つじゅん君に観客側が衝撃を受けると、りのは、はい来た!とばかりに、「判りました、別れます。改めて付き合ってください!」と言いやがる。彼女の表情から、これは初めてじゃないな、周囲のはやしようからもそうだなと思わせ、いやー……ヤラれた、と思う。だってその先の、「あなた」が実現したハッピーエンドなんだよねと思って。なぁんてキュート!!

これは、違う種類でヤラれたと思った。「50回目のファーストキス」のラストもメチャクチャヤラれたけど、それに匹敵する、でも全然違う落としどころであり、完全別ベクトルのヤラれた感。ああ幸せ。★★★★☆


蒲団
2024年 95分 日本 カラー
監督:山嵜晋平 脚本:中野太
撮影:神野誉晃 音楽:田中拓人
出演:斉藤陽一郎 秋谷百音 兵頭功海 永岡佑 片岡礼子

2024/5/22/水 劇場(新宿K's cinema)
改めてポスタービジュアル見たら、斉藤陽一郎氏、めっちゃ素敵やん……。私は彼を目当てに足を運んだ訳だが、そして期待にたがわず情けなくてチャーミングな竹中時雄を体現する斉藤氏を堪能したのだが、でもでも、このポスタービジュアル、映画の最後に芳美の寝た蒲団に顔をうずめる横顔、めっちゃ素敵、色気ある!うーむ、映画を観ている間は気づかなかったぜ。
ああでも確かにそうだ、時雄は芳美に恋をしてしまっていたのだから。師匠の筈が最初から彼女の実力が彼を上回るのは観客も、彼自身も判りすぎるほどに判っていたのに、師匠の立場に哀しいまでにしがみついて、転げ落ちてしまう時雄が愛しくてきゅんとなってしまう。

いやいやそれは、斉藤氏のキュートさに単にやられているだけなのか。普段は原作を読んでいないことなど気にしないのだけれど、学生時代の専攻が近代文学だったのに読んでないというていたらくが気になってしまって、ウィキあたりをうろうろする始末(爆)。

あ、でもやっぱりそうよね、原作は小説家なんだよね。現代に舞台を移して脚本家としたのは当然、監督自身を投影していると思うのだが、脚本は監督さんが書いてるんじゃないのが意外。もちろん意向は充分伝えているのだろうけれど。
そしてその脚本を手掛ける中野太氏も、それまでの経歴を思えば(この日、上映後のトークで監督さんがちらりと言っていた感じからも)、師匠の下について脚本を書いてきた経験が生かされているのだろうと思う。そういう意味では、映画ファン必見の舞台裏のぞき見系なのか!

でも、ウィキで見る限りでは(爆)、原作を割と忠実になぞっている。中年脚本家の元に何度も熱烈なメールを送ってきた地方の女子大学生。あなたの作品に救われたと、あなたのような脚本家になりたいんだと。何度も断ったのに、実際に上京してきてしまう。
ポストから手紙を取り出した後に彼のモノローグがあったから、てっきり手紙でやり取りしていたのかと思ったけれど、劇中ではメールで、と言っていたよね?当然現代ならばそうであろうけれど、なんとなくメールだとこの熱意のやりとりがピンと来ないのはやっぱり昭和世代だからなのか(爆)。

原作では三人の子供がいる、となっていたのが、本作では子供のいない夫婦であるらしいことも大きな違いであるように思う。この点はデカい。子供が自立して今二人、という感じがないのだ。充分そんな可能性もある年頃の夫婦なのに。
オフィシャルサイトの解説では今は冷え切った夫婦関係、と書かれていたけれど、もしかしたら原作の方でこそそうなのかもしれないけれど、本作の、斉藤氏と片岡礼子氏は、決してそうは感じなかった。

別に仕事部屋を持っている時雄は、一段落したり、あるいは行き詰ったりした時なのか、結構ちゃんと自宅に帰ってくる。
ウーバーイーツでいいという嫁さんに、買ってくるよと買い物を引き受けたり(トイレットペーパーと雪見だいふくが追加されるあたりがイイ!)芳美に対する悶々を酔っぱらって正体をなくしたりする場所もまた自宅なのだから、一見クールなこの嫁さんに、しっかり甘えているに違いないのだ。

彼女も、脚本家なのかと思った。帰ってきた夫に振り返らずに集中してキーボードをかたかた言わせていた彼女は、ラストシークエンスの夫婦の会話から、取材をして記事を書く、ルポライターなのだろう。
仕事は面白い、あなたは面白くないの?と言った先で彼女が夫にかけた言葉は、決して冷え切った夫婦間の訳がないんであった。

おっとっと。年齢的にこの夫婦関係の方に気が行ってしまうから、いきなりラストまで行きそうになっちゃう。
芳美である。弟子なんてとる気はないと丁寧に断りを入れていたのに、突然訪ねて来ちゃうあたり同じ同性として、まぁこちとら大分くたびれましたが、でもどんな時代でも、こーゆー女はヤバいのだ。だから、昭和の時代を飛び越えて、令和でも通用しちゃうんだから。

いかにも清楚な感じも気をつけなければいけない。真面目に正座をして足がしびれちゃって、無防備なスカートの中の素足を膝小僧までむきだしにしてフーフー息をふきかけるなんてことを、打算なくやっちゃうなんて、これはもうお縄ものなんである。
もういい中年の時雄がころりと参っちゃうのは、それこそオフィシャルサイトの解説で書かれていたような、夫婦間が冷え切っていたから、なんかではない、絶対に違う。

むしろ、自分の才能を信じてくれていた(ことが、ラスト嫁さんの台詞で明らかになるのだから!)嫁さんが忙しくしてて充実してて、でも自分は書いててもつまらないし、上手く書けていないという自覚もあるし、それを当然のように納品先で指摘されるし。
という中で現れたのが、自分を神のように崇め奉る可愛い女の子だったんだから、そりゃぁ、陥落しちゃうに決まってるのだ。

で、原作は読んでなかったけど、もう最初から判るよね。この子は自身の才能で師匠を踏み台にして後ろ足で砂をかけて、振り向きもしないのだと。芳美の書いてきた脚本をざっと読んだだけで、その才能が判るぐらいなのだから、時雄はきちんと、ライバルとして脅威に思うべきだったのだ。
でも自分を神のようにあがめ、弟子になるために大学を中退して上京してきただなんて、思いつめた目で言われたら、しかもアシスタントとしての仕事を任せられるだけの才能を、書いてきた脚本からすぐ判っちゃった訳だし、なんかちょっとさ、大物作家みたいな、いい気分になっちゃったのかもしれない。

芳美の書く若者の台詞はとても生き生きとしていて、それは最初から時雄は認めていたから、その部分の会話を任せていた。一方で男子側の台詞はリアリティがないと断じて芳美はしゅんとしていたのだが、納品先では時雄が書いた、男子側の部分の古臭さが指摘され、芳美の書いた部分は絶賛なんである。
それは、時雄がそもそも芳美の才能を認めていたから当然だけれど、自身のそれを比して鉄槌を下されると、相乗効果でまっさかさまである。……都度都度、営業スマイルで、ですよねー!!と引き下がる時雄=斉藤氏が可哀想で可愛くて、胸がきゅーっとなってしまう。あなたは、弟子を育て羽ばたかせるような甲斐性はないんだよう!

芳美の彼氏がズバリというように、そして納品先のテレビプロデューサーも内心思っているように、世間的ではそうと思われている……時雄はオワコン、ヒットを飛ばした30代の頃がピーク、それは時雄自身も自嘲気味に芳美に言う訳だし、それが彼に対する一般的な評価なのだろう、確かに。
芳美はこの時には神とあがめているからそんなことない、先生はこのまま終わる人じゃない、と真摯な瞳で言う。結果的には、嫁さんがラストに言う言葉と同じ意味合いなのだけれど、まったく違ってしまう。

時雄を踏み台にして羽ばたいていく芳美は、蠅を振り払うように時雄を侮蔑の目でさえ見下すことになる芳美は、あの台詞は、その時には本当にそう思っていたのだろうが、結果的にこんなにも薄っぺらくなる。
比して彼に背中を向けてばかりいたように見えていた嫁さんが、出会った頃と同じく彼のファンであり続け、あなたの書きたいものをもう一度見てみたいという言葉が、何気ないけれど、なんと重いのだろうか。

そのことを、時雄はちゃんとその重さを、感じてる??あるいは、年齢的に近い、そしてフェミニズム野郎の独女は彼らがうらやましいばかりに、嫁さんに肩入れしすぎ??
確かにね、確かに……才能ある若い女の子に踏みつけられて追い抜かれていくという図式は、フェミニズム野郎のまた別の溜飲を下げる図式ではある。確かにある。女の子はいつだって最強。つまらない男を踏み台にして羽ばたいていくのだと。

でも、時雄はつまらない男じゃないもん!!嫁さんが言った、仕事にならなくてもいいじゃない、というひとことは凄く凄く、届いてほしいと思った。
時雄世代、つまり私ら昭和世代は、カネにならないことに対してひどく価値を下げる。子供の遊びじゃないんだからという言い方を、今は聞かなくなったように思う。みじめな思いをするぐらいなら、そんな仕事はやめればいい。そんなことを堂々と言えれば、どんなに人生は楽だっただろう!!

まさにそれに近いことを、しれっと言ってのけるのが芳美の彼氏である。久々に新人類だなんて言葉をつぶやきたくなるが、私ら世代が新人類だと言われていたことを思えば慄然としてしまう。まさに歴史は繰り返される。
この彼氏が時雄を断罪するキラーワード、おめーの価値観は古いんだよ、結局それを言ってしまえば相手をKO出来る魔法の言葉で、それはいつの時代も通用するんだけれど、自分自身の核をしっかり持っていなければ、いつかデジャブを感じる時が来るのだ。

彼はどうだろう。芳美とはシナリオスクールで出会ったのだと言った。同じく脚本家を目指して上京してきた。
芳美の近くに引っ越してきたというだけで、覚悟がないと時雄は糾弾するけれど、芳美の才能がなければもはや仕事に支障をきたし、芳美に恋してしまうことで悪い感じに絡まり合ってしまった時雄が、そんなこと言えた義理じゃないんであった。

もうひとつ、時雄が芳美を処女だと思っていたこと、思いたがっていたというべきだろうか……ことも、重要なファクターであるように思う。彼女の才能は認めざるを得なくても、でも恋愛の経験、ズバリセックスの経験がなければ、脚本なんか書けっこないと、それは芳美の彼氏に言いたいがためのつまらない方程式。
芳美は処女ではなく、そう思い込んでいた時雄の理不尽な攻撃を、彼氏君も優しく受け止めて……一方では辛辣に糾弾していたのに、芳美が処女だという彼の思い込みを訂正することはなかった。彼、ナマイキだし、昭和世代としては、時雄にシンクロする気持ちでイラッとするんだけれど、優しいな、と思って……。

芳美は明らかに意図的に、この師匠のねじれた感情を敏感に察知して、付き合ってはいるけどキスも何もしてないとウソをつく。大した小悪魔だけれど、観客であるこちとらもそうかそうかと思っちゃったんだからアホな私である(爆)。
彼女のこのウソがあるからこそ、いかにもほそっこい文学青年みたいな彼氏さんがいかにも正論で時雄を論破することに、セックスもしてないくせにとか思った矢先に、何もかもこの恋人たちは飲み込んでて、いかにも手慣れたセックスをしているラストシークエンスにボーゼンとするんである。ああ、若者よ、もうちょっとロートルに優しくしてくれよ、傷ついちゃう!!

芳美は当然その才能を見込まれて、あっさり仕事が決まって時雄の元を去っていく。みっともなく縋り付く彼を振り払って。
その後に、夫婦二人のシークエンス。前半では冷たいばかりの嫁さんに見えた。でもダブルベッドなんだと思い、きっと疲れ切って眠っている嫁さんの隣で、もぞもぞしている時雄に、その時も、後から思っても、やっぱりシンプルに嫁さんが好きなんだと思った。

思いたかっただけなのかもしれないけど、そして、原作では違うテイストなのかもしれないけど、でも、礼子さんが、嫁さんが、あなたの書きたいものを書いてほしい、それを見たいんだと、それほど深刻じゃなく、ついでみたいに、あれはきっとウーバーイーツで頼んだランチを向かい合って食べながら言った、あの軽みの真実味が、私は凄く凄く、愛だなぁと思ったのだ。

それが、夫君に通じていただろうか。本作は、そして原作はあくまで、若い女の子に恋して、才能の踏み台にされてゆく男の物語なのかもしれない、けれでも……私は嫁さんの愛を信じたいと思ったなぁ。
そしてそしてとにかく、斉藤陽一郎氏のぼさぼさ頭のダメダメ男なチャーミングにヤラれたのであった。★★★★☆


無頼非情
1968年 92分 日本 カラー
監督:江崎実生 脚本:山崎巌 江崎実生
撮影:山崎善弘 音楽:伊部晴美
出演:渡哲也 松原智恵子 扇千景 和田浩治 内田良平 藤江リカ 郷^治 高品格 渡辺文雄 名和宏 玉川伊佐男 内田朝雄 富田仲次郎 中平哲 吉田武史 根本義幸 晴海勇三 葉山良二 木島一郎

2024/1/9/火 録画(日本映画専門チャンネル)
無頼シリーズは何本か観ていたかしらん、だいぶ間が空いてしまったからなぁ。人斬り五郎、そうそう、そんな呼び方してたっけ。渡哲也が壮絶にカッコいいが、ヤハリこの時代のヤクザ者は男同士の義理と友情なもんで、妄想女はあちこちでキャーキャー言いっぱなしである、相変わらず(爆)。そう、あちこちよ。一組じゃないんだもん。

五郎はまず、義理のある三木本からの依頼で沢田という極道を殺しに行くのだが、身体の弱い奥さんを気遣っているのを見てあっさり彼らを逃がそうとしちゃう。おいおいおい、ヤクザの義理はそんな簡単かい。こーゆーツッコミどころがありまくるのが、当時の任侠映画の楽しいところさ。
沢田を演じるのは葉山良二。いやー、いいねいいね、青春スターの甘やかさを渋くなったお年頃に残し、美人でいかにも薄幸そうな奥さんを守るためにこんな状況に陥ったという、いわば結構甘甘なところが似合ってる。

沢田は組長で、でも三木本にイカサマ賭博で陥れられたことで子分たちは散り散りとなり、今や彼一人、そして今、三木本からの取り立てに絶体絶命のところという冒頭、五郎が逃がそうとするも、結局三木本の子分、新関の刃に倒れてしまう。
沢田は五郎に、身体の弱い奥さんを長野まで送り届けるよう頼み込む。きちんと仁義を切って乗り込んできたのは五郎が初めてだと、気に入ったから、と言って。

そう、ここでもう一組目の妄想が終わっちゃう訳さ。そりゃね、沢田は女房を愛している。もうそれは、このテーマで最後まで貫かれる重要なファクターである。
でもさ、雨が降りしきる中、血だらけの沢田を抱き起す五郎、その願いを聞き届ける、もはや奥さんなんて画角の外よ(いや、映ってるけどね)。はぁもう、キャーキャーが止まらんわけよ。くぅーっ!!

あーあ、死んじゃったから妄想ストップかと思いきや、間髪入れずに二人目の男が現れる。この現場で一部始終を目撃、そもそも三木本にアイソをつかしていた久保である。舎弟にしてくれと五郎にしつこく食い下がり、沢田の女房、亜紀を長野に送り届ける旅に強引に割り込んでくる。
久保を演じる郷^治氏が抜群にイイ。渡氏の甘いマスクと対照的な、そのお顔立ちの野性味。もちろんこれまでいろんな作品で遭遇してきたが、なんか改めてグッと来たなぁ。この悪漢ヅラ(失礼!!)なのに、イイ男の兄貴にぺったりなんだもの。

長野に向かう途上、列車の中で亜紀は倒れてしまい、横浜の病院に緊急入院となる。五郎と久保は日雇いの肉体労働に汗を流す。屋台の店にケチをつけているヤクザ者どもを二人が仲裁したことで、五郎は昔なじみで今はカタギの土建屋を営む相良と再会する。
はーい、三人目である。演じるは内田良平。東南アジア系を思わせる堀の深い顔立ちがエキゾチックな激シブイイ男である。

相良は戦後の混乱期に五郎に助けられたことを義理に思っている。この世界の男は何かと義理を重んじまくる。実際はラブじゃないのと妄想女はニヤニヤするのだが(爆)。
しかしてこの相良には恋女房がいる。沢田が妻を残して死んでしまい、今この状況にいることを考えると、切ない呼応である。
しかもこの恋女房、クラブの歌姫である百合は、この地を取り仕切る古賀の妹なんである。沢田を刺した三木本の子分、新関が五郎が横浜に来ているらしいことを聞き及んで応援を頼んだのが古賀であり、相良は今はカタギと言えども、女房の兄が古賀という、ややこしい因果関係にあるんである。

この百合、演じる藤江リカという女優さん、私多分初見だと思うんだけど、めちゃくちゃ色っぽい!!マジックで書いたんかいと思うような、目をぐるりと縁取るアイライナーと、妙に多い毛量が気になるが(爆)、目の下のほくろの絶妙さといい、イイ女!!と何度もつぶやいちゃう。
クラブで歌う姿は一見してジャズシンガーのように見えるのに、実際は情念演歌風味で怖いぐらいのねちっこさなんだけどね(爆)。それで言えば、本作のヒロイン、と言っていいだろう、松原智恵子氏はお父さんの経営するバーでピアノを弾いていて、本当は音楽学校に行きたかったんだと語るほどの腕前らしいのだが、店で弾くのは月の砂漠オンリー。このオシャレなバーで、それはないやろ。

言い忘れていたが、そうそう松原智恵子氏演じる恵子は、先述した、古賀組のチンピラたちがいちゃもんつけてた屋台の店の娘で、そこを五郎に助けられて、ピッカーン!と一目ぼれしたってところだわな。
お父ちゃんはかつてヤクザものだったらしく、娘の世間知らずを心配して牽制するのだが、そらーあんないい男にうっかりチューまでされたら、もう恋は盲目さ。

チューまですることはなかったよね、あの展開は。五郎が追手を路地の奥に目撃し、見つかりそうになったところを恋人同士のフリして恵子を抱き締め、チューをする。
チューまですることないやろ、そら、恵子は陥落しちゃうさ。ちょいとこのお嬢さんに興味持っちゃったんだろー。それなのに、決死の告白した彼女に、俺にホレるとろくなことはねぇ、と言うし!!マジでこんなセリフ、マジな顔して言えちゃうなんて、この時代だよなぁ!!

で、三人目。沢田の弟である。大好きなお兄ちゃんを殺した(と思い込んでる)五郎を許せなくて、後を追っている。白いスーツにサングラスというバカまる出し(爆)のスタイルで、登場した途端にそのバカさ加減が何とも愛しく、そして……あー、この子、きっと死んじゃうんだろうな、って判っちゃう。
演じる和田浩治氏の幼さの残る素直な雰囲気が、他のシブい男たちに比べてただ一人、ここに来んなよ、と諭したくなるような子供っぽさで、なんだか胸を締め付けるのだ。

お兄ちゃんもそうだし、お兄ちゃんの奥さんである亜紀のことも慕っていた彼が、誤解がとけて五郎側に着くことになると、ますます、ああ、この子、死んじゃう……と思っちゃう。
私がニヤニヤ妄想するような五郎との熱い絆は直接的には交わされないのが残念なところだが、せいいっぱい、せいいっぱいお姉ちゃんや五郎たちを助けて助けて、古賀側に討ち果たされるのが切なくてたまらない。

いや、その前に久保だよ。久保には死んでほしくなかった。古賀側との攻防が激化する後半になると、もはやほとんど台詞もなく、趣向を凝らしたアクションシーンが満載になってくる。
亜紀をさらいに来た古賀側の子分と一騎打ちになって、なんか制御室みたいなところで、ガスだか高温の空気だかを、破壊された管からブシュ―!!と浴びちゃって、それ以降目が見えない状態でバトルして、そりゃ当然……やられちゃう訳さ。
この時点で、ずいぶん手の込んだ設定でアクションするなー、と思ったが、ラストには更に手の込みまくった、これがやりたくて作ったやろ、という場面が用意されているんであった。

古賀の上にも、大物がいるんである。そもそもあの三木本でさえも、五郎が三木本の賭場に乗り込んでイカサマを暴き、沢田の取り分だからと三百万円を強奪していったことでメンツをつぶされ、引退させられている。
実はその上、その上、と、コワモテでハバ効かせているように見えているヤクザたちが、結局はその上の親分、幹部たちに使わされているコマに過ぎないということがじわじわと示されてくる。

そういう意味では、五郎はどこにも属さぬ一匹狼であり、相良はそうしたヤクザのしがらみから足を洗ってカタギになった。
恵子の父親もかつてはヤクザであったけれど、今は屋台とバーを切り盛りして、ヤクザを毛嫌いしている。なのに、やっぱりやっぱり……愛娘がヤクザ者にホレちゃったこともあるけれど、きっと一目見て、五郎がそんじょそこらのヤクザ者ではないことを、見てとったんだろう。

でも、あの五郎を、今お前になら止められるかも、だなんて、かつてヤクザ者とはいえ結局娘可愛し人の親ね。恵子は演じる松原智恵子氏の圧倒的な可愛さも伴ってザ・ヒロインだが、そりゃないよと思うほどの世間知らず。
かつてヤクザだったお父さんを持ち、今は亡き母親の言葉を胸に刻んでいるとはいえ、しがらみこんがりまくっているヤクザ状況に、私と一緒に働きましょう、足を洗って!!とか言うだなんて、アホかと思っちゃう(爆)。

先述した、相良の奥さん百合は、その立場上リアルな葛藤がある。愛する夫とお兄ちゃんのはざまで苦悩し、雨の中、夫を店から車までの短い間、赤い傘で相合傘するシーンなんて、めちゃグッときちゃう。
どうしても一歩引いた感じになるこうした任侠映画の女たちの中で、これまでになく目を引く存在で、ああよかった、最後まで生き延びて、愛する夫とこの先の未来があった。

古賀のその上、老いぼれと言いたいぐらい、もう何このジジイ!!という輩がいるんである。でっぷりとした身体を女たちに揉ませている、それっておいおい、性感マッサージじゃないのかよ!というきわどい部分のモミモミまで見せちゃう。
コイツは結局、ここに至るまではずっと、まるでテレビ電話のように高みの見物で、下々のコマがどうあがこうと、どうでもいい、とあしらうような存在だった。それは今も……いや、古今東西にある、感じている、気配だ。それをこんな風に、引きずり出して成敗することは実際には、ほとんど出来ないだろう。
クジラのような巨体を女たちにもみもみさせている、権力の権化を判りやすく示しているこんなジジイを、私たちはほとんど引きずり出せない。それどころか、その存在すら知らないまま。

亜紀もまた、死んでしまうんだよね。もともと身体が弱かったのに、こんな苛烈な状態に置かれ、誘拐され、取り戻されたけれど、心臓が弱くて手術もままならず、死んでしまう。
ご臨終です、と言って医者と看護婦たちがさっさと出て行っちゃうあまりにもの冷たさに呆然とする。

ラストアクションは、何あれは、ペンキ工場??やたらペンキ缶を倒しまくって、色とりどりに汚れまくりながら、ナイフを双方差しまくってギャーギャー言いまくるという、なんかアトラクションみたいなにぎやかさ。どんなに色とりどりの色でも、重なり合いまくると灰色になっちゃうのね、という……。

そして、沢田の金として、奥さんに残す筈だった300万を、五郎は死守し、相良に託す。血だらけ、ペンキだらけになりながら電話をし、埠頭の牛乳屋に預けたからと。困惑の表情の牛乳屋のおっちゃんが可笑しい(笑)。
五郎さん、行かないで!と恵子に電話口に出させる相良、そりゃないだろー、おめーが引き留めろっちゅーの。ハズかしいわ、絶対そんなんムリに決まってるんだからさぁ。

虚弱で、いつもはかない奥さんであった亜紀だけど、結構しっかりメイク、青いアイシャドーと指の爪にはパール系のマニキュアを丁寧にあしらっていて、うーむ、リアリティ薄し!!とついつい思ってしまいました。★★★★☆


不倫する人妻 眩暈
2002年 67分 日本 カラー
監督:田尻裕司 脚本:西田直子
撮影:飯岡聖英 音楽:
出演:佐々木ユメカ 佐野和宏 松原正隆 秋川百合子 佐倉麻美

2024/9/21/土 録画(日本映画専門チャンネル)
物語のかなり後半に至るまで、えー、これって不倫する人妻、じゃないじゃん。不倫してないのになぁ、かつての不倫相手に再会したけれど当時は彼女は独身だったんだし……とか思っていたら、本当に、後半も後半になって、関係を持ってしまった。
あーあ、ヤッてしまうのかと思い……そう思うと、すべてがこの、タイトルである不倫する人妻、のシーンに向かって、脱線寸前のトロッコがこわごわ走っていくように、どんどん加速していくのを止められないようになって、ついに脱線したのだと思った。再会した時から、結局これが止められなかった。だったら再会しなければ良かったのかどうか……。

ユメカさん演じる千春が、就職の面接を受けに来ているところから始まる。帰りのエレベーターでかつての不倫相手であり、職場の先輩であった芳村と再会。いや、この時は、不倫相手であったことは明かされないし、その関係が示されるのはかなり後になってから。
でも、その最初の目配せから、ビシバシに感じさせるものがあった。横断歩道で別れて、千春の携帯が鳴り、道路の向こう側から笑いかけてきた芳村から、職を探しているのなら古巣に戻ってこないかと誘いを受けた。半年の契約社員として。

千春は夫、良二がリストラされたことで職探しをしていたんだけれど、後に良二の元妻が、「よく許したわね」と言うほどに、どうやら妻が仕事をすることに対して否定的な男性だったらしい。20年以上前の作品だけれど、新世紀、平成の時代になって、まだそんな昭和な男がいるかいと思うが、でも、まだギリ、いたかもとも思う。
演じる佐野和宏氏がユメカさんに比すると結構年配なこともあり、はげ散らかしていることもあり(爆)、その最後の世代という示唆なのかもしれない。

元妻との離婚理由はまさにそこにあって、養育費を受けとりにくる元妻はいかにもさっそうとしたキャリアウーマンといういで立ち。良二に職をあっせんする気遣いを見せる彼女は、自分のプライドのために離婚はしたけれど、このしょぼくれた元夫に決して悪感情は持ってないらしいのだ。
駐車場でふと、このダメ元夫を抱き寄せたりもする。この元妻とのカラミはなくって、ピンクにおいてそれは凄く重要な選択事項だから余計に、凄く深い意味を感じてしまう。R15版で削られたという訳ではないと思うのだが(物語を見せるために尺が長くなるから、それはないと思うけれど)。

あぁ、ついつい、しょぼくれ夫にシンパシィを感じるあまり、先走ってしまった。だってさ、だってさぁ、やっぱりこういう役をやらせたら佐野氏はバツグンなんだもん。はげ散らかしていて、加齢臭がしてそうで(失礼なことばかり言ってるが……)、リストラされた後の就職活動もはかばかしくないのは、彼自身の覇気のなさのせいちゃうんと思わせたりするんだけど、どうしようもなくいとおしいのはどうしてだろう。
時代に取り残された昭和男の雰囲気満点、今は仕事をしているのは奥さんの方なのに、食事の用意をして寝入ってしまった千春、向かいあって食事をとると、おかわり、と茶碗を差し出したりする描写に、ああ、平成の時代に昭和がムリに割って入っている、と令和まで生き延びてしまったフェミニズム野郎は思うが、自分が普通に仕事をして、彼女を養っていたのなら何も問題がなかった昭和男の良二が哀しく、抱きしめてしまいたくなる。

だって、千春だって、良二のことが大好きだったじゃん。そういう描写がちゃんと示されるもの。初出勤の前日のセックスも、良二が就職のためのプレゼンの用意(どうやら建築関係のキャリアがあるらしい)をしている様子にカッコイイ!と抱きつくのも、はしばしに夫に対する、まるで恋人同士のような純粋な愛情を感じたのだもの。
なのに、なんでよ、なんで、かつての不倫相手が現れたとたんにぐらついちゃうのよ。せめてさ、千春の方も、良二の元妻に嫉妬するような場面があったら良かったのに。そう思うぐらい、元妻は良二のことを理解していたから。あぁ、なんと人間は、パートナー関係は、悩ましい。なんでこう、上手くいかないのか。

でも、時代によって良二がリストラされなければ、千春が就職活動しなければ、芳村に再会しなければ済む話だったのだろうか。そうじゃない、そうじゃない。
千春は職場復帰することで、自らのアイデンティティに直面する。もしかしたら、アイデンティティなぞあることすら意識していなかったかもしれないんである。

かつての千春は、仕事と恋愛に没頭していて、それが当たり前だと思ってて、どんなに尊いことかを、知らずにいた。恋愛、というのが不倫であるという歪みはあったけれど、それさえ、手放さなければ見えないことがあった。

千春が古巣に戻ってきて、かつての後輩が本当に、当時の自分そのままに、仕事で実績をあげ、芳村と恋愛関係にあり、イキイキと若き女性としての人生を謳歌しているのを……まさに当時の自分そのままだったから、千春は……。
明確に、彼女がそれに対してどう思ったとか示される訳じゃないんだけれど、もうこのあたりはね、繊細な演出と、それに応えるユメカさんのベテランっぷりが見事で、伝わりまくってしまう。

こうして、平成にはなっているし、2000年も超えているけれど、あの当時は、夫婦関係、男女関係、男性、女性それぞれの仕事に対する考え方や、職場における性差の差がどれだけなくなっているかとか、遅まきながらようやく日本が、劇的に変わっていった時だったと思う。
芳村との不倫が壊れたことによって良二との結婚と、仕事を辞めて専業主婦になることを決意したであろう当時の千春が、どう思っていたのか……。

古巣に戻ってきての仕事ぶりや、後輩に対する複雑な想いを見るにつけ、仕事が好きで、未練があっただろうことは想像に難くなく、本作はそれに対する答えを見出す、見出したいものだと、フェミニズム野郎女である私は、どうしても思った。そこに介在する男二人がまさに、彼女のその想い、アイデンティティをあぶりだす二人だったから。
もちろん、恋愛や夫婦といった関係性も重要で、……それが、男子より女子にこそ重くのしかかってくるのはいまだにかいと、またしてもフェミニズム野郎は吠えたくなるけれど、千春が最後の最後出した答えに突きつけられると、これは……めちゃくちゃストイックなそれを導き出したのかと、思ったのだった。

先述した通り、芳村との過去の関係が、明確になるのまでには時間がかかるのよ。今付き合っている後輩女子とのラブラブシーンを目撃してしまったりして千春は動揺はするけれど、千春自身結婚しているんだから、何を言う資格もない。
ただ……芳村がかつて自分と関係を持っていた後に離婚していたことを知らなくて、それを彼から告げられ、一緒にニューヨークに行こうと言われちまう展開になるもんだから、おいおいおい、話が違うわ!と千春じゃなくても、そら観客側も思っちゃう。

ピンクでも、実社会でも、当然結婚してるかしてないか問題は重要であり、当時の千春は当然先の見えない不安と後ろめたい気持ちはあったに違いなく、芳村の妻から、子供が出来たのだと告げられたことでそのピリオドが打たれたのだった。
でも今の芳村は、千春の後輩女子との関係を持っているのを知られると、妻とは離婚したんだと簡単に言う。こんな簡単に言うなよと、見てる観客側は思うが、千春はどこまでの思いだったのか……。

私はさぁ、今の夫、良二さんのことを愛していることは本当だったと思いたいんだよ。今が、不幸な状態にあるだけで、芳村と別れた後、きっと素敵な恋愛をして結婚にまで至ったんだと思いたいんだよ。
だって、結婚6年目の記念日を良二は覚えていて、式を挙げたとおぼしき教会に、時間ギリギリ間に合わなかったな、だなんて、車をぶっとばして駆けつけようとしたんだもの。

真珠のネックレスなんていう、つつましいプレゼントを渡そうとしたのに、その時、もうその時点では、千春は芳村とヤッちまっていて、その想いは受け取れないと。
あーもう、あーあーもう!そんなこと言わなくてもいいのにさ!だってきっと、この時点であなたは、本当に愛しているのはどちらかを、判定出来ていたの?どうなの??

ああでもさ、最初に言っちゃったように……タイトル通り、不倫する人妻を提示してしまった、芳村とついに限界突破してしまったシークエンスがあまりにも、あまりにも、思いがこもっていて、ああここなんだと思っちゃったのは事実だから……。
本作のテーマソングのように流れ、口ずさまれるクラシックの名曲、愛の挨拶。その旋律がとても上品に、そして運命的に、二人のクライマックスまでを演出する。

そうだ、これは、千春と芳村のための美しき旋律だったのだ……。あふれる思いを、周囲の目をものともせず走り寄り、むさぼりつくように抱き合って、愛しあった二人、芳村は千春に、起業するために旅立つニューヨークに一緒に行ってほしいと、まさにプロポーズをする。

その後のシークエンスで、千春が良二に、芳村と寝たことを含めすべてを告白し、別れてほしいと言ったのが、それが、余りにも辛かった。結婚記念日に良二が真珠のネックレスをプレゼントしようとした時だったから……。
佐野氏がもう、佐野氏がさ、つまり彼の存在自体がズルい訳よ。この人を捨てちゃいけないと思わせちゃう。でも捨てちゃう、みたいな(爆)。

良二は芳村と千春の職場に乗り込んで、芳村を殴りつけ、鼻血だらけの芳村は、今度こそ千春さんを幸せにします、と言う。憤然と立ち去った良二を千春は追いかけ……良二は、良かったな、と言うのだ!
うわー!!そんな!だって良二は千春を愛しているのに!!千春が罪の意識を感じずに済むように、自分が悪者になって芳村をボコったのか、うわー!!

うわーん、やっぱりやっぱり、良二は、……確かに昭和の男のダメさはあるけど、でも、千春を愛しているから、そして、元妻からの再就職の話を断ったのも、自分で闘わなきゃと思ったからでさ。だから、正直、千春が良二の元に戻ってくれたらと、願っていたんだけれど……。

ニューヨークへと旅立つ芳村に同行するには、確かに軽い荷物だなとは思った。離婚届に署名、押印し、部屋を出た千春は、芳村が待つホームで、彼女は何も言わなかったのに、芳村自身が察して、遅すぎたんだな、と言ったのだった。
まぁ確かにそれは判る。芳村は都合がよすぎた。だって再会してなければ、この展開はなかったんだもの。

でもさ、ならばさ、千春もそれが判っているのなら、それでも良二と別れなければいけなかったの??そんな、切ない、切なすぎる!!確かに良二は昭和男の良くない部分を持っていたけれど、でも千春を愛していたのに……。
でも、そうか、女として、潔い女として、愛する男を二人、まさに潔く手放して、彼女は走り出したのだ。ラストはまさに、走り出した彼女。走って走って、カットアウトだったのだから。

ユメカさんのトレードマーク、お腹の薔薇のタトゥーを、作劇に使ったのは初めて見た。不倫時代の芳村が、タトゥーを触ってトゲで血が出たと、セックスのたわむれに言うんだけれど、本当に血が出ていて、ユメカさんがその指を口に含む、セクシャルな意味合いにまで昇華する。
ユメカさんの見逃せないこれぞアイデンティティだから、それをしっかり物語に、愛の描写に入れ込んで来たことが、洗練されてる!と感動しちゃったなぁ。★★★★☆


不倫妻 ねっとり乱れる
2002年 47分 日本 カラー
監督:深町章 脚本:岡輝男
撮影:清水正二 音楽:
出演:岡田智宏 里見瑤子 若宮弥咲 岩下由里香 川瀬陽太 浅井康博 丘尚輝

2024/4/17/水 録画(日本映画専門チャンネル)
47分とは。一般作品と比べて短めの尺のピンク映画だけれど、私の知る限り最短の尺ではなかろうか。
しかもタイムファンタジーとは。この尺の中でなかなかの大風呂敷を広げて見せるけれど、そのつながる先は学生運動、全共闘時代。今は亡き友と、その友と共に愛した女のいる時代なのであった。

ぜぇったいに53歳である筈がない当時の岡田智宏氏、スプレーでもしたかのような不自然な白髪メイクだけでそう見せるのはあまりにもムリがあり、何でだろうと思ったら、そのつながる先の、彼の大学時代というのがもう一つの軸になっていたから。
まぁその大学時代に比すればまた、当時の岡田氏は当然、ずっと年がいっているんだけれど。

だからどっちもなかなかに不自然さは否めないのだが、そのつながる先……時空を超えて携帯電話でつながる先はブルーがかったモノクロの世界。
そして当時、一心不乱に何かを信じて闘っていた学生たちは、今の同じ若者たちよりずっと老成していて、だから確かに、大学生の岡田氏、そして川瀬陽太氏はなんだかリアリティがあるのだった。

現代の時間軸にいる岡田氏演じる広志はうだつの上がらない営業マン。ああいう飛び込みの営業で契約を取るのは、特別な才能がなければムリな気がする。広志は見るからに、おどおどとしていて、そっち方面の才能はいかにもない感じ。
うなだれて直帰してみれば、妻は間男を引き込んで情事の真っ最中。この短い尺の中で、広志が妻の不貞を目の当たりにするというこの情事を、実に長く、しんねりと見せる。
まさにタイトル通りである。このタイトルが示す事実は特段物語自体には影響しないのに、一応はタイトルに偽りなしでしょ、という示し方をするのがピンク映画の面白いところ。

ホント、この長さをずっと広志は眺めてたのかしらんと思っちゃう。その場に怒鳴り込むこともせず、彼は背を向け、車を走らせた。
山の中のトンネルの先に、切り立った崖の下、まるで壮大な落とし穴のような場所、竹林が緑まぶしくわっさわさとまばゆい晴天を突き刺すような、そんな、確かに何かが起こりそうな、どこか異空間につながりそうな場所で、広志の携帯電話は、過去へとつながるんである。

広志は今の仕事が見るからに上手く行っていないし、年下上司にイヤミを言われるとか心の中で愚痴を言いまくるし、電話ひとつでリストラを言い渡されて終わっちゃう。
結局、そのイヤミな年下上司含め、職場の様子は何一つ描かれないのよね。描かれるのは、間男としっぽりやっていたくせにしれっと良妻の顔を見せる妻と、反抗期真っただ中の娘、わっかりやすく、パパのパンツと一緒に洗わないでとか、いかにもチャラ不良な男の子とよろしくやっているのを見せつけたりとか。

仕事、会社のことは愚痴で語られて終わりで枠外。あくまでこれは、家族の物語だということなんだろう。甘美な過去に引き戻されそうになるけれど、それは、広志が懺悔するように、すべてを自分以外の要因のせいにしていたということなんだろう。

最終的には娘ちゃんに関しては、彼女からの感動的な手紙が広志を現実に引き戻すのだけれど、奥さんに関しては、どうなんだろう……だって、間男引き込んでズコバコやってたじゃん。タイトルの責務を果たしたってことでお役御免なの??そんなバカな。

とにかく。本作はやっぱり、電話でつながる先の、全共闘時代である。つまり、広志はこの時代に、すべての後悔があるのだった。愛する女性、親友、それを、彼の判断によって死なせてしまったと、思っている。
ある意味それはそうかもしれない。広志は、この時代から早めに決別していたから。飽きたのか、疲れたのか、いや、焦燥があったのだろう。 就職活動をしなければと思った。それは、闘っている彼らに言える訳がなかった。愛する女性、毬子は共闘メンバーである五十嵐と交際している。毬子は五十嵐が、彼が信じる革命を決行するために、外部とつながろうとしていることを危惧していた。
結果的にそれが彼らを粛清という名の殺害される運命に導いてゆく。まさに当時、起こっていたことである。こうした切ない恋人たちが、きっときっと、沢山、いたに違いないんである。

結果的に言えば、広志の選択は賢明だったし、反抗期だけど、そのことを自覚していて反省している心を見せる娘の気持ちも知れたし、奥さんの不倫をスルーしちゃうのはどうかとは思うが。
あの時代、あの時、散っていってしまった若者たちは……とてもとても気の毒だけれど、時代の潮目を読めなかったと言えば、そうなのだ。残酷な言い方だけど。結局、今の時代から見ればどうとでも言えるけど。

毬子が五十嵐と、闘争の中、ヘリのローター音が鳴り響く中、人目をしのんでセックスしている場面、ブルーがかったモノクロ、ちっとも色っぽくないダルダルの白パンツに綿のブラジャー。
勝負パンツなんていう言葉が産まれるずっとずっと前だ……この、命がけの、信じるために闘っている中で、求め合うのに、そんなものはいらなかった。このセックスには、エモーショナルがありこそすえ、セクシャルはあったのだろうかと思うほど。それが本当のセックスなんじゃないかと思うほど。

そう思えば、タイトルを示すためだけとも思われた奥さんの不倫セックスも、ここと対照的にするためだったのだと思えば、確かにそうかもと思えてくる。
奥さんの不倫セックスには、セクシャルはあるけれど、エモーショナルはない。切羽詰まった恋心からくる欲望は、ここにはない。どっちがいいかなんて判らない。平和を求めるならば、諦めやタイクツがついてくる。でも理不尽に粛清されるより、マシだもの。

毬子から五十嵐のことを相談されて、広志は彼女と男女の仲になった。ある危険な作戦に誘われている五十嵐に違和感を感じて、毬子は広志に、闘争から抜けないかと持ち掛けた。
一方で、五十嵐からも相談を受けてしまう。しかも、親友として。更に衝撃の事実。毬子は五十嵐の子供を身ごもっているんだという。

それを受けて、広志は身を引く決断をした、という言い方をしたけれど、就活をしなければという焦りを持っていた彼は、自分に言い訳して、身ごもっている毬子なら五十嵐を引き留めることができるだろうと勝手に想像して、彼らを粛清という死へと追いやった。
そのことを、今家庭を持って、慣れない営業仕事に疲れ果て、リストラに直面した広志は、トラウマがフラッシュバックするように、蘇ったのだろう。

ちょっと、引っかかったのは、結果的には二股かけてる状態の毬子が身ごもったのが、そらぁそんなこととは知らない五十嵐は、自分の子だと言うだろうけれど、広志が、自分の子かもしれないとはつゆほども思っていないっていうのが。
それとも、妊娠するほどの交渉を持つ間柄ではなかったのか。まさか。そりゃキスシーンだけにとどまっていたけれど、セックスしてないってことはないよねぇ、愛し合うようになったとハッキリ言っていたじゃん。自覚がないのか、無責任なのか、脚本上の問題なのか、そりゃないよなぁ。

広志は、あの頃と電話がつながっているのだから、当時は毬子に別れを告げたけれど、それを覆せるかもしれないと思う。
組織から抜けると、一緒に離れると、毬子に告げれば、新しい未来が待っていると思い、実際に実行してしまう。電話で、一緒に逃げるための待ち合わせを約束する。

そして……その後彼が見るのは、つまりは、妄想の未来、なんだよね??これまた不自然なカラースプレー白髪同士の岡田氏とピンクのミューズ、里見瑤子氏。
優秀な一人息子と家族団らんの食事シーン、そしてお定まりの布団セックスはまー長い長い。色気ダダもれの岡田氏と、脱いでもセックスしてもなぜかさわやかに清楚なさ里見瑤子氏だから、めっちゃ没頭して見ちゃうけどさ。

妄想の未来、なんだよねと悩んじゃったのは、それまでは電話がつながっても、未来を変えるような発言はしていなかったから。
なのに、未来を変える、毬子と逃げ出し、彼女を死なせない、つまり自分と共に生きる選択をするために、そう彼女に告げたのだから、これで未来は変わるのだと思ったけれど……そこは、どうなんだろう。

過去とつながる不思議の崖の下。未来を変えるまでの力はなかったのか。いわば広志は決死の覚悟で毬子に電話をしたのに、妄想まで見ちゃうのに、娘からの手紙一発で、こんな素晴らしい娘を、その存在を消そうとしたのかとあっさり鞍替え。
素晴らしいってほどでも、ないけどね。そしてやっぱり、奥さんには言及しないんだな。不倫していたことも、冒頭ショックを受けていた時以降、特に触れることもないし。夫婦なんてこんなもんなのかもしれないけど、夢見る独女は、ずっとずっと、ラブな夫婦でいてほしいんだよなぁと思ったり。

粛清されて、五十嵐も毬子も、山奥の雪の降る中遺体で見つかったんだというショットとか、美しく、リアリティが過ぎる。学生運動時代の、ブルーモノクロームがエロくも美しくもはかなくも残酷で、その他の、白髪の不自然さとかを補って余りあると思っちゃう。
うーむ、だからこそ……不自然さとゆーか、雑さが目立っちゃうんだけど。もうちょっとやり方あったんでは……。★★★☆☆


ふれる
2023年 60分 日本 カラー
監督:田恭輔 脚本:田恭輔
撮影:市川雄一 音楽:伊達千隼
出演:鈴木唯 仁科かりん 河野安郎 水谷悟子 松岡眞吾 吉田晏子 鈴木亜希子 みづき

2024/10/4/金 劇場(テアトル新宿)
脚本はト書きのみで、役者さん同士の対話によって作り上げられたと鑑賞後に知り、なるほどと思う。やぼな状況の判りやすさや、関係性を説明するようなものが一切なかったから、確かにちょっと戸惑う部分はあった。
でも、目に見えないものを手のひらにそっとのせて守るような、そんな繊細さが充満し続けていたから、それこそが本質、というか、大事なものなのだろうと思った。

戸惑う部分……そうか、やっぱりあの人はお父さんの新しい恋人だったのかとか、後からオフィシャルサイトの解説と答え合わせして安堵しちゃったり。いや、それこそヤボな推察もアレなのかなと思いながら見ていたから。親戚のお姉さん、例えば亡くなった母親の妹とか、そんな雰囲気もなくもなかったし。
次女の美咲の大切な居場所、陶芸工房の職人のお兄さんも、家族の一人なのかなとか思ってたが、近隣の優しき他人の大人としての存在だったということだよねと。
でも本来、人間関係を、親族や、誰かのパートナーや、近所の誰それとか、カテゴライズして価値を決めていた訳じゃない。特に子供の頃は。そう、美咲のような、子供の頃は。

お母さんが亡くなっている父子家庭、というのは、これは説明がなくても最初から判る、判ってしまう。離婚じゃなくて、というのが。それは恐らく……もうこの時点から、美咲には亡きお母さんがそこにいるのが見えているであろうことが端的に示されていたから。
いかにも男料理の食卓。スパゲティなのか、麺の大皿がどーん!みたいな。美咲は当然のように、テーブルのすべての辺に取り皿を置いた。それをお父さんは、この時観客にはその表情は見えなかったけれど、後からお姉ちゃんが優しくたしなめる時の会話で明かされるところによれば、パパはため息をついていたと。

後にお父さんの恋人も一緒に食卓を囲むシーンになると、お母さんが座っていたであろう椅子に座ろうとする彼女を、美咲は、悪意があろう筈もない、ただ当たり前のことだというように、そこじゃないよ、と手で制した。
その時もきっとお父さんは同じ表情をしていたのかもしれないけれど、でもこの時点に至るまでには、幼い娘を心配もするけれど信じようとする気持ちも強まっていたのではないか。

オフィシャルサイトの解説では、お母さんが亡くなって数年、とある。数年、というのは2、3年なのか、5、6年なのか、気になるところである。それによって全然違ってくる。
美咲は4年生だというんだから、10歳あたりの彼女にとっての母親の喪失がどれぐらい前なのかによって、めちゃくちゃ変わってくるよな、と思って……。

それは、お姉ちゃんの美和だって当然そうだ。20歳ぐらいであると、言っていただろうか。すみません、なんたってささやき会話が繊細で、聞き取りにくい部分も結構あったもんだから。
10代の、ローティーンの頃なのか、ハイティーンの頃なのか、お姉ちゃんとして妹、そしてお父さんを支えていかなければと頑張ってきた時がいつからだったのか、これは気になる、というか、ここは知りたかったなぁと思ったりして。

つまり、かなり年の離れたお姉ちゃんで、でも彼女だってまだ大人の入り口に足を踏み入れたぐらいの若さで、妹のように亡き母を肌身に感じられたらと、もしかしたらうらやんでいたかもしれないのだ。
本作は美咲の、まだまだ子供である彼女が抱えきれない喪失と対峙し、乗り越えていくのを優しく見つめる、見守る物語で、大人になると見えなくなる愛する亡き人たちが、彼女の目を通して確かにそこに存在する奇跡を感じられることこそが、魅力。

でも一方で、その感覚をきっと持っていたに違いないけれど、幼い妹や頑張っているお父さんの間でいち早く大人になることを強いられたお姉ちゃんの葛藤が、なんだか胸に染みるのだ。
ここはのどかな地方都市。お姉ちゃんは東京に出ていきたい。それを、きっと、なかなか愛する妹に言い出せずにいたのだろう。隣り合って歯磨きをするシーンで、明るく、軽やかな感じに努めて妹に切り出すシークエンスは、お姉ちゃんの覚悟と気配りが感じられて、ドキドキとする。

でもやっぱり、妹の美咲の物語なのだ。彼女だけが、この物語の中で子供であり、子供である権利があり、だからこそ、戸惑い、悩む。
お母さんが亡くなってからなのだろうか、不登校状態で、お父さんは勿論、担任の先生も心配して訪ねてきてくれたりする。

何かの用事の時なのか、学校に立ち寄るシーンがあって、美咲は児童が作った展示物を触ったり、爪ではじいてみたりしていた。
陶芸作品だったと思う。引きの画面だったから明確じゃないけれど。そこに作った女子児童が飛び込んできて、勝手に触っていることをなじった。泣き崩れるまでした。

慌てて担任の先生が仲裁したけれど、この場面は……終始引きの場面で、だからこそ美咲のショックの計り知れなさを思うと胸が痛くて。
子供同士の、どちらが悪いわけでもない、こういうトラウマ的経験って、誰しもあると思う。いつしか忘れてしまっていたけれど、子供時代、本当に、辛く苦しい記憶だった。

美咲には、亡者、と言ってしまったら印象が悪いけれど、死んでしまったママが見えている、のは、先述したように食卓のシーンで確信出来ていたし、お姉ちゃんもそれを踏まえて妹に、パパを哀しませないように、と説いたのだった。
お姉ちゃんは、実際に妹には見えている、とまでは思っていなかったかもしれないけれど、親世代の大人たちよりは子供よりの年齢だから、妹に寄り添ったのだろう。ここがなんとも切ないところなんだけれど……どうしても、お姉ちゃんの難しい立場にシンクロしてしまうのは、フェミニズム野郎の修行の足りんところだろうなぁ。

美咲が4年生だというのが、ちょっと意外でもあったんだよね。もっと幼い印象があった。時代によって年齢のイメージは異なるけれど、現代の4年生の女の子、まぁぶっちゃけ言えば生理が始まっている子もいて、そこが重要な分岐点だと、感じている。
つまり、見えていたものが見えなくなる分岐点。それこそヤボなことを言うと、よく言われる、処女でなくなると神の声が聞こえなくなる、みたいな。生理というのは子供を産むことができるしるし、つまりセックスが介在してくる。

だから、4年生の女の子、には美咲は見えなくて、そこはちょっと、気になったところではあった。1年生か2年生かな、と思って見ていた。子供が胎内にいた記憶があったり、死者が見えたりするのは、この世に産まれて間もない、あの世との距離の方が近い存在だからなのだ。
生理が来ていてもおかしくない4年生の女の子には見えなかったから、……でもそれこそ、オフィシャルサイトを覗かなければ、年齢設定を知ることはなかったんだし、それこそヤボなことだよなぁ。ああ難しい。
でも本当に、10代の女の子は、ローティーン、ハイティーン、細かくどの年代にいるかで、本当に、全然、大人度が違うから。

美咲がはっきりと、亡きお母さんに遭遇したのは、二度、で間違いないだろうか。当てもなく家出を決行して、不思議な森の中に迷い込み、カンテラを下げた行列に遭遇して、なんとなくついていくと、お母さんがするりと横に立って、みんな心配してるわよ、と話しかけた。
美咲は思わずその手を握った。顔は映されなかった。そして、その後お父さんとお姉ちゃんに、ママに会ったのだと素直に告白した。

もう一度は、ハッキリと顔が映っていた。ぼんやりと目覚め、お父さんとお姉ちゃんはいなくて、お父さんの恋人がダイニングテーブルでうとうととしていた。庭に出ると、水まきをしている女性がいて、美咲となんてことのない会話を交わす。

これもまた……ヤボな解説などしないから判然としなくて不安になっちゃうんだけれど、ママだったんだよね、きっと?いやでも、白髪だったんだよなぁ、確か……じゃぁおばあちゃんかなぁ。台詞がささやかで聞き取りにくくて(すみません、年なもので……)自信がないんだけれど。
誰でもないのかもしれない。それこそ生理がまだないギリギリの、神の国につながっている女の子に見えている、この世に生きているものではない誰か、だったということなのかもしれない。

ふれる、というタイトルは、まだ足元がおぼつかない子供である美咲が、お姉ちゃんや、大人であるお父さん、お父さんの恋人、先生たちに心配されている、支えられていることは判っていながらも、自分自身でよりどころをこの手につかんでいる実感がなくて、それが欲しくて、まだ乾ききっていない陶芸の皿や、学校の展示物や、あれこれ触ってみずにはいられず、そして……そもそも、それこそが、人間の、根源の、大前提のコミュニケーションだということなのかもしれないとも思う。

ものに触るんじゃなくて、それも大事だけど、人に触りたいんだよ。ヤボにセクハラとか言われちゃうご時世だけど、そうじゃなくて、本当に、ただ、ただ……。
顔が映されなかったお母さんと、きっと美咲を心配して探しに来たお母さんと、ぎゅっと手をつないだあのシーンが、タイトルをダイレクトにつなげていると思ったから。

この繊細な演出を、今度は台詞のある脚本で作り上げたらどうなるのか、とても楽しみ。★★★☆☆


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