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「は」


2024年鑑賞作品

PERFECT DAYS
2023年 124分 日本 カラー
監督:ヴィム・ヴェンダース 脚本:ヴィム・ヴェンダース 高崎卓馬
撮影:フランツ・ラスティグ 音楽:
出演:役所広司 柄本時生 アオイヤマダ 中野有紗 麻生祐未 石川さゆり 田中泯 三浦友和 田中都子 水間ロン 渋谷そらじ 岩崎蒼維 嶋崎希祐 川崎ゆり子 小林紋 原田文明 レイナ 三浦俊輔 古川がん 深沢敦 田村泰二郎 甲本雅裕 岡本牧子 松居大悟 高橋侃 さいとうなり 大下ヒロト 研ナオコ 長井短 牧口元美 松井功 吉田葵 柴田元幸 犬山イヌコ モロ師岡 あがた森魚 殿内虹風 大桑仁 片桐はいり 芹澤興人 松金よね子 安藤玉恵


2024/1/17/水 劇場(TOHOシネマズ錦糸町オリナス)
ヴィム・ヴェンダースが日本で映画を撮ってくれるなんて。そりゃ日本びいき(というより小津びいき)なのは知っていたけれど、本当に、日本を舞台に、そして役所さんを主役に撮ってくれるなんて。
今はなかなか外国映画を観なくなってしまったが、私の青春時代、ミニシアターが個性のしのぎを削っていた頃、映画の美しさを教えてくれた作家のひとりがヴェンダースだったのだから。

その期待を裏切らない。一篇の詩のように美しい、一人の男の生活。詩のように美しいと感じられるのは、若き頃、そうして映画を教えてもらったその感覚が、奥底に残っていたのかもしれない。

だってこの男の生活、判で押したように代わり映えのないつまらない生活でしかないように見える。後半登場する、世界線の違う妹が言うように、「本当にトイレ掃除やってるの」という見方が、世間的には確かにあるのだろうと思う。
見下した、というのは言い過ぎかもしれないけれど、でも平均レベルよりは上の豊かな生活をしている妹にとっては、そしてその豊かな生活が特別なものではないと思っている彼女、いや、日本人の恵まれた大多数にとっては、平山の仕事は底辺のそれに見えるのだろう。

実際、同僚の若い男、タカシは休み明けのトイレは大抵ゲロがあると愚痴をこぼし、どうせ汚れるんだからそんなに真面目にやる必要はないっすよ、と、言ったし、平山が掃除している間にも、トイレを利用する人たちは、まるで迷惑気に彼を見て、そそくさと用を足していきすぎた。
時に迷子の幼い男の子を見つけて保護した時も、取り乱した母親は平山の存在など目に入ってさえいないようだった。職人技のようにぴかぴかに公衆トイレを磨き上げる平山の仕事は、確かに若いタカシにとっては、報われない、ムダな仕事に見えたのだろう。

でもそれでも、そんなタカシだって、好きな女の子のためなら頑張って仕事ができる。そんな姿を見ると平山は、やればできるじゃないかと口元をほころばせる。
平山はめちゃくちゃ無口な男だけれど、不思議と寡黙とかとっつきにくいという印象はない。役所さんのチャーミングさが全開で、無口なのにその笑顔で親し気な会話が聞こえてくるようである。

全く喋らない訳じゃなくて、タカシが突然辞めてしまってムリなシフトを押し付けられた時には、会社の上司にガラケー越しに厳しく怒りを叩きつけたりもする。
でもその翌日、シフトを埋めに駆けつけてきた女性スタッフ、演じる安藤玉恵氏の凛とした感じが実にいいんだけど、その責任感を彼女から感じて、これまた口元をほころばせる平山が、イイんだよね。後半、妹にトイレ掃除、と差別的な響きで言われるこの仕事が、平山にとってはもちろん誇りある仕事で、タカシにはそうじゃなかったのだろうが、この女性にとっても誇り高き仕事であるという、このシークエンスが凄く、好きだった。

という、平山の生活がいろんな色どりを加えてくるところに至るまでは、観客であるこっちは、平山の一日のルーティーンを何度も見せられるんじゃなかろうかという、かすかな不安を感じさせるほどに、彼はストイックな程に、同じフィルムを巻き戻すがごとく、同じ生活をしているんである。

朝、まだ暗い中、老女が竹ぼうきで外を掃除しているかすかな音で目が覚める。顔を洗い歯を磨き、口ひげをハサミで几帳面に整え、あごと頬の髭はシェーバーで丁寧に剃る。小さな植木たちにスプレーで丁寧に水をあげる。
青い清掃作業服を着こみ、アパートの外にある小さな自販機で缶コーヒーを買い、バンに乗り込む。コーヒーをぐいっとあおって走り出す。

カセットテープだなんて。しかも彼が好んで聴いているのは、まぁその、私はよく判らないんだけれど、恐らく古い洋楽。彼の青春時代にはやったものなのかもしれない。
後にタカシが、古い洋楽のカセットテープ、今はそれが高く売れるんだと、下北沢のショップに持ち込むなんていうシークエンスがあり、平山は大いに戸惑い、しかし結局売ることなんてせず、タカシにデート資金を恵んでやるのだが。

こうして書くと、本当に、いつのまにやら、判で押したような代わり映えない生活の筈が、だんだんと、グラデーションのように、色を重ねてくる。平山自身の暮らし方は全く変わらず、朝起きて、仕事をして、昼食は緑豊かな神社でコンビニのサンドイッチと牛乳を頂き、仕事が終わって口開けの銭湯に行って、夕食は浅草の騒々しい地下街の飲み屋で一杯、言わなくても水割りとお通しが出てくるほどの常連。
アパートに帰り、眠くなるまで文庫本を読んでから、読書灯を消して就寝。まさに、判で押したようにこの一日は確かに変わらない。

変わらないけれども、仕事時間に入り込んでくるさまざま、タカシが狙っているガールズバーに勤める女の子。週に一回、日曜日の夜に訪れる小さな飲み屋の色っぽい女将(石川さゆり)が聴かせる歌。古本屋の100円コーナーで次に読む文庫本をゲットすると、お金を受け取る代わりとでもいったようにその書評を聞かせてくれる女主人。
判で押したように見えていたのに、確かに彼自身の一日の過ごし方は全く変わらないのに、彼に関わる他人が、少しずつさざ波を起こしてくる。銭湯でいつも顔を合わせる老人たちでさえ、同じじゃない。平山が姪っ子を連れてくると、ほほえましくも好奇心たっぷりに眺めているのが可笑しい。

この姪っ子が訪ねてきたところが、ハッキリと、転機点だった。昼食をとる神社の境内でいつも遭遇する、やはり同じくサンドイッチを食べているOLさんとの目配せもちょっとドキドキとしたものを感じさせたが、ハッキリと、平山の生活に入り込んできたのがこの姪っ子、ニコだった。
母親とケンカしての家出。家出をしたら、伯父さんのところに来ると決めていた、という彼女の言い様はまるで、家出をしたからここに来たのではなく、ここに来るために家出をしたように聞こえた。母親が言っているという、平山は違う世界に住んでいるのだから、ということを、彼女はそれが納得できなくて、そのためにここに来たように、思えた。

平山の生活は確かに、いわゆる今の一般的日本人の生活から見ればひどく質素だ。風呂なしというだけで、相当珍しい。必要最低限の生活道具、寝具はその都度たたんでは敷くお布団生活。どうやらエアコンも、テレビもなく、本当に静かな生活。
それでも、タイクツそうな時間は一秒もない。渋谷区全域の個性あるトイレを、手鏡まで使って見えないところまでピッカピカにする。駆け込んでくる人を敏感に察知して、さっとどいて静かに待っている。決して邪魔にならない。
正直言うと、こんなにも彼を、清掃員さんを、無視というか、ないがしろにするかなぁと思う。私なら、いや日本人なら、ご苦労様ですとか、ちょっとスイマセンとか、言うんじゃなかろうかという不満はある。日本ならではの、清掃員の職人技、プライドは確かにそのとおりだけれど、こんな、無関心じゃないよ!!と思うのだけれど……。

でもそんなことは、どうでもいい。平山自身が、そんなことはまるで気にしていないのだから。平山は一体、いつからそんな境地に達したのだろうか。ラスト、妹との会話でどうやら父親との確執があったらしいことが示唆されるから……そこからの断絶があったのだろうか。
彼はカメラを持ち歩いている。今やスマホでクリアな写真が撮れる時代、なのに彼はフィルムカメラで、しかもモノクロで、しかも自らファインダーを覗かずに、神社の境内で、木漏れ日を感じながら、空に向かって、天空の葉陰に向かって、シャッターを切る。
そして一週間に一度、そのフィルムを現像に出す。コインランドリーで洗濯しているついでに。小さな現像ショップ。そこの主人も心得ていて、一言も言葉も交わさず、写真とお金と新たに買うフィルムのやりとり。

姪っ子のニコが平山の仕事に同行して、彼が木漏れ日の写真を撮っているのを見て、この木がおじさんの友達なんだね、と言った。戸惑う平山だったけれど、その言葉に首肯した。

はたから見れば、平山の生活は、その人生の選択は、孤独に見えるのかもしれない。いずれ孤独死が待っているとか、思うのかもしれない。確かに平山は、あの粗末なアパートの一室で、誰にも知られず息を引き取る時が来るのかもしれない。それを、人は孤独死と言うのかもしれない。

でも、平山は同僚と一緒に仕事をし、銭湯で、飲み屋で、写真屋で、いつも顔を合わせている人たちがいる。それが、苗字しか知らないとか、苗字さえ知らないとかにしても、確かに邂逅し、その時間を共有している人がいる。
会話を交わすことない、神社で行き合うOLさんや、公園で踊っているホームレスさん(田中泯)もそうだ。孤独死が報じられる時、その名前も、どういう仕事をしているかも、どういう生活をしているかも、誰も知らない、そんな世間が社会問題として語られるけれど、そんなんじゃない、そう思っていたから、溜飲が下がる思いだった。

私もこんな風に、孤独死と言われる状況でくたばったとしても、言葉をそれほど交わさなかったとしても、仕事場で、散歩の先で、飲みに行く先で、こんな風に顔を合わせ、目を合わせ、言葉を交わすことがなかったとしたって、それが幸せな人生だと思いたいと思った。ああ、このタイトルだ、パーフェクトデイズ。

平山が仕事に出かける時、鍵をかけていないと、思ったのね。うっわ、そこまでミニマム生活徹底してるんだと思って。でもそうじゃなかった。内側でポッチを押して、鍵がかかるシステム。外から帰ってきた時はカギが必要なアレなのね。簡易的なトイレとかによくあるやつ(爆)。
ニコの母親が迎えに来た時に、平山がニコにカギを渡したことでようやく気付いた。あっ、ちゃんとカギかけてたんだと(爆)。

個性的なトイレの数々は、やはりそれは渋谷区ならではなのだろうとも思う。そもそもの本作の製作のきっかけは、このトイレ清掃キャンペーンのための短編の依頼だったのだというのだから、そこからカンヌまでいっちまったというのは凄すぎる。
壁との隙間にこっそり、〇×ゲームをやり取りする、秘密の面白さ。清掃員である平山は、使用者と直接会話を交わしたりはないんだけれど、この、顔も見えない秘密のやり取りと、外側からはスケスケまる見えのトイレに戸惑う外国人さんに、黙って開け閉めして閉めてしまえば見えなくなるんだよと平山が示したシークエンスが、印象に残った。★★★★☆


白衣と人妻 したがる兄嫁
1998年 55分 日本 カラー
監督:上野俊哉 脚本:小林政広
撮影:小西泰正 音楽:山田勲生
出演: 江端英久 本多菊雄 佐々木ユメカ 葉月螢

2024/9/16/月 録画(日本映画専門チャンネル)
いやー、まさにタイトル通り、親切親切。でも、居酒屋でダブルワークしているユメカさんがナースである必要はないかもと思っていたが、最後の最後で、いや、めっちゃ重要だったのかもと思った。
バカ兄弟を食い散らかしたこのイイ女は、バカ兄が言うように男なら誰でもいいのではなく、欲求を健康的に消化しながら、捕まえる男はちゃんと別に考えてるのだ。
そして人妻である螢さんもまた、何にも気づいてないお気楽主婦なんかじゃなく、いざとなれば身一つでかろやかに飛び立てるのだ。

という、実に爽快なラストをついつい最初に語ってしまった。白衣と人妻、ユメカさんと螢さん、伝説のスター女優同士。それぞれが主演を張るお人だから、こんなにがっつり、いわばメイン×メインで共演しているのは、意外に初めて見るような気がする。
奔放なナースにユメカさん、従順な人妻に螢さんという図式は、この対照的なスター女優のそれぞれに振り分けられた、いわば見慣れたキャラクターではあるのだけれど、でもラストに人妻の春代がバカ兄弟を捨て置いて、この地をも、というか、彼女をとりまく息苦しい世界から飛び立った時に言った台詞、女は二種類なんかじゃない、という高らかな宣言が、この対照的なキャラクターを一気に一つに結び付けた気がする。

あぁ、あのラストが良すぎて、ついつい先に語りたくなっちゃう。そもそもは、このバカ兄弟の物語なんだから。
あ、バカ兄弟というのは、それこそラストに螢さん演じる兄の嫁春代が、兄弟を食い散らかした色っぽいユメカ姐さん演じる美智子に言い放ったのだった。あのバカ兄弟に言っておいて、私家を出るから、と。

ここでしか出てこない呼称が、放映チャンネルの解説でしっかり使われているのが可笑しく、でもまさに、そういうことなんだって。
バカ兄弟、というか、男はバカなんだということを、今回特集されている名脚本家、小林氏が愛をもって自嘲しているてことなんだろう、って。

冒頭、弟が小さな駅に降り立つ。ピンクでしみじみ魅力的な、しみじみとした田舎町のロケーション。
これは、なにか伝統的というか、本当に、ピンクでしか出会えないしみじみさ。スタッフの故郷とかコネクションとか、あるのかなぁ。リアルなしみじみ地方の生活感、空気感、静けさ、寂しさ、愛おしさ、なんだよね。

兄弟がケンカをする緑深い森を背にした田んぼの風景とか、私が特に好きだったのは、弟が元カノに電話する公衆電話のシーン。
真っ暗な路肩、「ドライブイン ぐんじ」の看板が大きくそびえ立っている下に、ひっそりとたたずむ公衆電話ボックス、そこで意を決して弟が元カノに電話をかける、ああ涙が出る、イエ電の時代なのだ……。
そこで彼が聞くのは、元カノの喘ぎ声。自分の中出しには怒って別れを突きつけられたのに、電話の向こうの元カノは、新しい恋人に中出しされて幸せそうな吐息をついていたところなのだった。

ピンクというそもそもの成立要素として避けて通れない、この中出しということが、恋人同士、夫婦、愛人、そして男と女それぞれの関係性や信頼度によって、まさに千差万別だということを、作品それぞれで、つきつけられるんである。
冒頭、弟が元カノにフラれる原因は、中出ししようとしたから。結婚の約束をしているんだからと、弟は言った。彼女は、結婚と子供を作るのは別だと言った。

今なら、今の時代なら、判るんだよな、すっくりと、判る。それはきっと、本当に、今更ながら、女性側の発言が俎上に上ってくるようになったからだと思う。
いずれ結婚するんだから中出ししてもいいだろという男子の発言は、女性側のその後の人生……妊娠出産によって制限される仕事や、子育てに忙殺されるのはどうしても女性側だとか、本当にいろんな意味で女を蔑むものなのだけれど、お互いその価値観について話し合い、理解しあっていれば、決して難しいものではない、シンプルなものの筈なのだ。

この元カノが、新しい恋人にはあっさり中出しを許しているのは、そんな理解しあっているという風にも見えなかったけど、でもきっと、弟君とのセックスにはない情熱があったのだろうし、そう……難しいところだけれど、結婚の約束、もう中出ししてもいいだろ、というスタンスが、彼女をいら立たせたのはちょっと、判る気がしちゃうんだよな。

フラれた訳も判らず、傷心の弟君は田舎に帰ってきた。兄が家を継いでいる。山深い田舎町よろしく、だだっぴろい木造の豪邸で、兄はそっけなく弟を迎え入れる。
一両電車が殺風景なホームに到着し、玩具のような駅舎に隣接した立ち食い蕎麦の店、整理券の番号で延々と加算される長々と運転される路線バス。ピンクはほぉんとに、この地方ロケーションのリアリティがたまらんのだよなぁ。

兄が営んでいるのは、竹細工。めちゃくちゃいい手つきで編んでいる描写に、これって、演じる本多菊雄氏の実家だったりして……とか妄想しちゃう。監督やキャストの地元でロケするのは、ピンクでは結構聞く話だから、どうなのかな。

とにかくロケーションがいいんだよね。弟が転がり込む実家は、ただただだだっ広くて、旅館みたいで、弟君は兄夫婦の愛し合う声を聞いてたまらなくなる。
いや……愛し合う、であったのか。春代は夫に良かった、久々にイッたわ、と言った。昼間からそんなこと言うなよ、と夫は言った。本作で多用される会話シーンの顔のアップのカットバックは、モノクロ時代の日本映画黄金期のそれを感じさせる。それこそ、小津安二郎、的なさ。
でも、とにかくトボけているんだよね。そのカットバックの応酬、時には取っ組み合いのケンカをしたって、トボけた空気感が流れている。

女にフラれて、いわばそれだけで、弟は傷心して実家に帰っちゃう。後からいろいろと解説されると、それなりの覚悟でこの田舎町を出て行ったらしいのだけれど、でも何かやりたいことがあったとか、そういうことが示される訳でもないのだよね。
母親からの愛情が傾けられていたのは弟の方だったらしいとか、そうした確執はほんのりと示されはするけれど、その当の母親は入院中、一時危篤になるも持ち直す、というのが物語の盛り上がりとして示されるだけで、登場はしない。

仲の悪い兄弟が、ラストのラストではなんだか笑い合ってオチとなるのが、女がいなくちゃ男は生きていけないよな、という結論に至るのだけれど、その中身があまりにも女をバカにしてるっつーか、判ってないっつーか、あがめているテイで、理解も、大切にも、してないじゃん、ということなのだった。
それはまぁお互い様であるというのはそうなんだけれど。そしてそのことを充分含んでこの脚本は練られているとは思うし。だからこそ、このバカ兄弟はナースにも兄嫁にも捨てられたのだからさ。

そこに至るまでには、この対照的な女性たちに翻弄される兄弟なんである。いや、翻弄という点では、ユメカ姐さん演じる、ナースを正業にしつつ居酒屋でダブルワークしている美智子であるだろうと思う。
弟が帰ってきた途端、自慢げにオレの愛人、と美智子が働いている居酒屋に連れていく兄。つまりはさ……所有物を見せびらかす男子、なんだよな。奥さんに知られているのを知ってか知らずか、どっちでも気にしない、俺は双方から愛されてるから、と慢心しているのがこの時点で丸わかりに判り、あーもう、はい、おめーみてーな男どもが崖から突き落とされろ!!とフェミニズム野郎は思い、まぁまさにその通りになるのだろうけれど、その結末は慈悲なのか示されない。ぜぇったい、こーゆー男どもは成敗すべきなのだが。

これを喜劇と見るか、悲劇……ではないけれど、ヒューマンドラマと見るか、難しいところなんだよなぁ。テイストは喜劇的。てゆーか、オフビート。オフビートというのも、当時の一つのハヤリだったと思う。会話している二人のカットバックはどこか懐かしさを感じさせる。その淡々としたテンポ感。
お互い心深いところで思うところはあるに違いないのだけれど、それを観客に感じさせない。でも後から考えれば、あの会話はそうだよな、さすがにないよな、あの感じ、とか、思い当たるというか……。

それをね、ことさらに、男がバカだと、彼女や妻や愛人たちはオレ様にゾッコンだからと思わせておいて、ひっくり返す、という図式に見えたかなぁという気はしている。
それがいわば痛快ではあったけれど、でも、女子側としては、決してそれが本意ではなかったと言いたい気もするというか……。特にこの時代当たりが、歯がゆい時代というかさ。

まだピンク映画という、つまり男性にとっての需要メディアがギリ残ってて、でも、そこに描かれる女性、そしてそれを演じる女優が、スターであり、アイデンティティを放っているから、だから、面白い時代、面白い作品、秀作、傑作が生まれた時だとは思う。
思うんだけれど、まさにこの当時、需要側ではなかった観客として、結構苦しい想いをしていたクソ女子の私は、いろいろ思い返して、しまうんだよなぁ。

ピンクは女優が華であり、女優をたてて作られる。それが大前提なのだと聞いていたし、だからこそクソ女子である私は、映画ファンとしても女子がないがしろにされ続けていた若き頃を経験していたから、ピンクに惹かれたのだと思う。
このチャンネルさんが思い多き時期のピンク作品を数多く放映してくださって、そして、男女、パートナー、結婚、そんな価値観が激動に変わったここ最近だから、めちゃくちゃ考えてしまうところがあった。

でも一点、飲んだ状態で、駐車場に置いた車を運転して帰るか否かを、迷うユメカさん、バカ弟を誘い込む手管にしても、ダメよ、酒飲んで運転は、ダメ!!こーゆー脚本で放映がNGになったりするのかなぁ。それはあるかも……。★★★☆☆


白衣の告白 新人看護師日記 (白衣いんらん日記 濡れたまま二度、三度)
1997年 61分 日本 カラー
監督:女池充 脚本:小林政広
撮影: 鈴木一博 音楽:安田治
出演: 吉岡まり子 寺十吾 本多菊雄 河名麻衣

2024/4/10/水 録画(日本映画専門チャンネル)
これ、女池監督のデビュー作だったんだ。原題に聞き覚えがあったから観てるんじゃないかと思ったけど鑑賞履歴がなかった。後に名監督の一人に数えられるそのデビュー作から注目されていたから、そのタイトルに聞き覚えがあったのか、なるほど!

ピンク映画には時折、その撮影現場や役者、スタッフたちの様子を覗き見るようなものが現れる。映画を作っているんだという矜持と、一般的に言われる映画と比して超超低予算のピンク映画をアンビバレンツな気持ちで、それでも愛しく見つめる彼らに接すると、いつも胸アツになる。
でも本作は、それは大オチにとっておかれる。めっちゃオチバレに言っちゃうのはここではいつものことだから許されておくれ。大オチではあるけれど、ヒロインが出会う青年が録音技師だというのは最初から紹介されるのだから、ちらりとその道は示されているのだけれど。

そう。大オチ。中盤の不慮の殺人、死体を林に埋めに行くという、急激な大展開にえぇっ!と驚くが、これが劇中映画だと明かされると、なぁるほど!とも思うのであった。
でもそれが判ると、録音技師の彼が初監督として書いた脚本が、実際をベースにどこからがフィクションだったのか、彼女が足を引きずっていること、その怪我の原因、そこから発生した彼女のトラウマ……こう書いてみるとちょっと昭和の少女漫画チックでもあり、ああもう、こんなとこからフィクションだったのであろう。

ナースとして録音技師の青年、郁夫と出会ったアケミは、普通に恋に落ちたのだろう、きっと。
隣人の女性の元に通いセックス男として来ていたのが同じ病院の先生だったのはそうでも、彼には家庭があって不倫相手だったというのも違ったのかもしれない。大オチが示されてからは、大きなお腹の彼女とその先生が幸せそうに寄り添っているんだもの。

どこまでが本当かなんて、それこそ本作の脚本を書いた小林氏の胸の中にしか、ないんだろう。いや、そもそも溶け合っていて、どこまでかなんてどうでもいいことなのかもしれない。だって気持ちよく持ってかれるのだもの。そしてなんだか、純情なラブストーリーなのだもの。

アケミを演じる吉岡まり子氏は、私、初見かもしれない。ちょっと佐野量子氏を思わせるような美少女。新人ナースで、まだ夜勤を任されない彼女はOLさんのようにフツーの時間に帰ってきて、コンビニで買った総菜とフランスパンをスライスしたもので淡々と食事をする。
フランスパンをスライスするために、あのギザギザのパン用ナイフが既に登場して目を引く。今だってこのナイフが家庭に普通にある訳じゃない、30年近く前だったらなおさら、レアである。事件の匂いがすでにする。で、結果的にこのナイフでアケミは久保先生を殺してしまうのだが、あのギザギザのナイフは痛いよなぁ……。

だいぶ先走ってしまった。そもそも郁夫とアケミと書いたけれど、彼らはお互いその名前では呼ばない。名字で呼び合うウブさなんである。
アケミは隣の部屋のセックスの声に耐えかねて、外に出てぶらぶらと歩いていた。橋の上でさかさまになって落ちんばかりにマイクで音を拾っている青年がいた。
いかにも落ちそう……で、別日に落ちてしまったらしく、アケミの勤める病院に入院して来るのだが、この時、出会いなんだけれど、郁夫の方は音をとるのに夢中で気づいていない、アケミだけがビビッときたってところが、キュンとくるんである。

この、郁夫を演じる寺十吾氏が、え?柄本時生氏?と思い、いやいやいやいや、97年の作品よ、そんな訳ないし、と思い、寺十吾氏のお名前はめちゃくちゃ見てるけど、きっと私の中ではいっちばん若い彼だから、なんか初めて見るぐらいの勢いというか。
めっちゃ柄本時生氏的!だからなんか、切ない!!お互い同級生のように名字で呼び合うアケミに、自分の仕事現場を見に来ないかと誘う。きったないアパートの一室で音の編集をしている。きったない、とアケミは笑い、郁夫も笑う。アケミが作ってきたサンドイッチをほおばり、彼女を送ってゆく路上で、ふとキスをする。こんなことしたの初めてだと、彼は言い、彼女は照れ隠しに駆けだした。

ああ、なんてなんて、素敵な恋物語だろう!なのに物語は急展開。同じ病院に勤務している久保先生、アパートのお隣でよろしくやっていたのが、奥さんにバレて愛人の彼女と急に修羅場。
まさにその時アケミは、路チューの直後、まるで中学生の初恋のように、でも赤ワインを飲み干しながらというのは大人だけど、エモいラジカセで鳴らす音楽に合わせてくるくると部屋の中で踊るのだ。

それを、これまた中学生のように彼女の部屋の下まで来てしまった郁夫が、窓の、レースのカーテンの向こうの彼女のシルエットを、中学生のように見上げている。
踊り疲れたアケミが、カーテンを開け、窓を開け、桟に腰かけて下を見ると、今思っていた彼がいる。父親にレイプされかけて階段から落ち、けがをした足を2週間放置したままにしたことで障害が残ったほどのトラウマを抱えるアケミが、男性に対してセックスはもちろん、その先の恋愛も凍り付いていたアケミが、たまらない表情で見上げている郁夫を見て、つぶやいた。したい、したいのだと。

そしてここからが急展開、おやすみと踵を返した郁夫を追いかけようとしたアケミに、隣の部屋から血相を変えて飛び込んできた久保先生、女を殺してしまった、ということになり、これは再三書いてきたように映画におけるフィクションな訳で。
この久保先生は、ピンク要素を任せられているキャラクターで、アケミの隣人の女性とオラオラにやりまくるし、アケミとその先輩、久保先生とその同僚と四人で海に遊びに出掛ければ、当然とばかりにカーセックスを楽しむし。

でもこのシークエンス、ちょっとイイんだよね。久保先生とアケミの先輩がヤリまくっている時に、他の車でアケミと二人、気まずげにしている。自分には婚約者がいますから、と久保先生をやんわりと牽制したこの男性、結果的にはアケミのトラウマを引き出すキャラとしてだったのかもしれないけれど、なんか、安心したんだ。
女子二人が海岸でキャーキャーと楽しんでいるのをすがすがしいですねと眺めたり、アケミの足のことを意外にすんなりと聞き出したり。悩める女子に対してこういう男子が、普通にいればいいのにと思っちゃう。

久保先生が愛人を、オラオラセックスのハズみで殺してしまって、うろたえてアケミの部屋に飛びこんでくる。ここからは明らかにフィクションで、アケミは妙に大胆になり、死体を、あの遊んだ海に隣接した林に埋めることを提案し、実行するんである。
業者でもそんな深く掘れないわ!というぐらいの穴を掘っている時点でおいおいおい!と思ったが……結果的にフィクションであったにしたって、あの深さはコントやろ。そう思うと面白いけど。

そしてこの事件から、アケミは久保先生と離れられなくなる。好きになった訳じゃない。行き場のない久保先生を放り出せなくなっただけ。でもそんなの言い訳だ。あの時、したいと思ったのは郁夫だったのに、飛び込んできた久保先生をほっておけなくて、そしてセックスもしちゃって。
父親に凌辱されかけた時から恐怖症だったのに。死体を処理したら急にタガが外れたように、欲しがった。女は変わるものよと、アケミは久保先生に言ったけれど。

そうだろうか、そうだろうか??もうさぁ、結局はフィクションでした!ということになるんだから、こんなあれこれ考えてもムダなんだけどさ!
でもね、でもでもでも……ずっと、辛かった。プラトニックラブは素敵だけど、でも一方で愛してない男とセックスしている、それはアケミが明文化している、愛はないのだと言っているから、辛かった。

路チューの後、赤ワインでほろ酔いでくるくる踊って、嬉しくて、窓の下にその嬉しい相手を見つけた時、ストレートにしたい、と思った、口にしたアケミ。
もおおう、それじゃんよ!!でねでね、これももう、フィクションかリアルか判らんよ。判らんけど、アケミが何度となく夢見たんだと、久保先生に飛び込んでこられなかったバージョンを妄想する。おやすみと言って踵を返した郁夫を追いかけていって、抱き合い、キスをするのだ。あの路チューではない、本気キスを。そして、本当の愛し合うセックスをするのだ。

こうして書いてみると、愛のない、まぁ時にはそれもいい、レクリエーションとしてのセックスとかも含めだけど、やるせないセックスが彼や彼女を追い詰めていくんだなと。
でも本作は、これはすべて、映画製作だったんですよと反転することで救われる。いかにもピンク的なショット、素っ裸のアケミが海岸でバイクとツーショット。海に入っていくアケミ。水面から埋没してしまう。カット!の声がかかる。

映画の撮影だと判る。フィクションだと判る。海から上がってこない、泳げないんだと騒ぎになる。
分け入っていったのは、郁夫だ。海中から救い出したアケミと、キスをする。何度も、何度も。遠い砂浜からは、叱責の声がかすかに聞こえている。でも、海中でキスを重ねる二人には、聞こえない。

ちょっと、ちょーっとう!めっちゃラブなラストやんか!!女池監督作品はそれなりに観ているとは思うのだけれど、自分の中で系統出来てなかった気がして、ちょっと悔しい気もしたりもあったしなぁ。★★★☆☆


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