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火だるま槐多よ
2023年 102分 日本 カラー
監督:佐藤寿保 脚本:夢野史郎
撮影:御木茂則 音楽:SATOL aka BeatLive 田所大輔
出演:遊屋慎太郎 佐藤里穂 工藤景 涼田麗乃 八田拳 佐月絵美 田中飄 佐野史郎
本作の後半に、槐多に魅せられた薊(あざみ)と朔(さく)が一糸まとわぬ姿になって、天から降ってくる真っ赤なぬらぬらとしたものにしとど濡れながらまぐわいあう場面があり、血、と即座にも思うが、マグマのようだとも、後から思った。
村山槐多という、もちろん美術史的には有名なのであろう人物を、でも決して世間的には有名ではない人を、その人に魅せられて、映画にした、それがこの描き方というのがドギモを抜かれた。
そんなに遭遇する機会がないのだけれど、うっかり遭遇しちゃうと毎回こんな風に驚かされる佐藤監督。そうだ、ビザールなお人なのだと思い出したのだった。
だって、知る人ぞ知る芸術家を、いわば初見である観客がほとんど、紹介という意味合いだって絶対に発生するのに、この、このやり方。それこそ四天王であった佐藤監督のピンク時代ならば、結構やりたい放題なところはあっただろうが、それをこの無数に作品が吐き出され、淘汰されまくる中でやり切るとは……ドギモを抜かれてしまう。
冒頭に言っちゃったけど、激ムズなのだ。何が何だか判らない、と言っちゃったっていいぐらい。薊は街頭で人々にインタビューしている。村山槐多を知っているかと、尿する裸僧を見せて聞いて回っている。
彼女はただただ聞いているだけで、それをカメラで撮っているって訳でもなく、何故この人を知らないのかと、焦燥するかのように聞きまわっているところに、朔に遭遇するんである。
朔は自ら作り出したノイズミュージックを手作り感満載の放射させる金属機械で東京の喧噪の中、放出して回っているらしいのだが、街中の誰も、そして観客である私たちも、その音はちっとも聞こえてこない。
朔は音に対する感覚が異常に敏感で、それは超能力に匹敵するほどで、後々知れるところとなるのだが、彼の父親の実験材料とされ、狂人一歩手前にまでなった過去がある。
朔は父親を憎しみのあまり殺しかけたが、それを救ってくれたのが、このヘンテコ放射機械を作ってくれた廃車工場のおっちゃんで、なんとビックリ佐野史郎氏。考えてみれば彼もその出自はかなりアングラな空気マンマンな人だったから、判る気がするというか。
朔はその異常ともいえる聴力、感応能力によって、はるかかなたから槐多が聞こえてきちゃう、キャッチしちゃう。自分がカイタだ、と言うけれども、薊が言うようにそれはカタカナのカイタであり、彼自身もどこか惑うように槐多の中をさまよっている。
そこに引き寄せられるように集まってくるのが、路上で前衛的なダンスパフォーマンスをしていた四人の男女で、彼らもそれぞれ念写やら透視やら予知やらの超能力を持っていた過去があり、しかしそれを、“普通に戻す”実験をする施設で虐待的な目に遭わされ、そこを脱走してきたんであった。
そしてその四人を常に監視、というか、彼ら言うところの観察しているサングラスに革ジャン、バイクに乗っている謎の男が付きまとっている。何をする訳でもなく。
なんじゃこれ、と思うような設定だし、正直言えばずっと戸惑い続けている。薊や朔とは違い、この若者四人は槐多のことを知らなかったし、知った後に興味を持ったにしても、薊と朔の熱量とはかけ離れている。
この、超能力を封じられるという設定、そしてどこか懐かしくさえ感じる、ヘッドギアに電線通じさせて、ビリビリビリ、アワアワアワみたいな描写がハラハラしちゃったり。
村山槐多が若き頃に作ったという同人、毒刃社の名前を掲げてパフォーマンスをYouTubeにアップしたりもするが、そこに映し出される視聴者数も悲惨で、彼らが沸き立つほどに誰かがその経過を見守っている風も見えない。
これは、どうとらえたらいいのだろうか……視聴者数はちらりと映し出されるだけだから、特にそこに意味はないのか、YouTubeとか、生配信とか、予告とか、そんなあたりはいかにも現代の若者だけれど、そこで展開されているのは、まがまがしい、怨念というか、槐多の声をキャッチした、そしてそれが神か悪魔かパラレルワールドか、アガルタと呼ばれるどこか魔的な場所にいざなわれる、深い森の中なのだ。
槐多の文字に使われている槐の字、木の名前だけれど、それが本作の中では神木のように、なにかを封じ込めるように、使われている。日の光も届かないような深い森の中でそびえたっているその木のほらのなかに、意味ありげな人骨やマスクが隠されている。
そもそも、佐野史郎氏演じる廃車工場のおっちゃんが持っていた、槐多のデスマスクがキーポイントであった。本作があまりにもアヴァンギャルドなので(爆)、鑑賞後、村山槐多のウィキとか見ちゃったりしたのだが、実際にデスマスクが作られていたことを知り、劇中に出てくるデスマスクは……しっかりレプリカだったりするんだろうか……などと、ドキドキしてしまう。
このあたりの時代の日本の文学者の中には確かに、デスマスクを残している例は結構あって、それが何か……単なる型に過ぎないのに、そこになにがしかの思いが込められ、何十年も後の未来に何かを告げてくる感覚は確かにある。朔が魅せられたのも、槐多の声を聞いたという以上にこのデスマスクの存在があったように、劇中でも色濃く描かれていく。
朔は槐多に魅せられたというより、乗っ取られたようにも見えた。薊は尿する裸僧に出会って、槐多に取り込まれた。そして四人の男女は槐多を今ここに呼び寄せるよりしろであり、薊が朔を槐多にしようと、槐多なんだと思いたがっているようにも思えた。
どうなんだろう……槐多は画家であり、劇中でもあくまでそのガランスの赤の強烈な色をぬったくった泥臭い絵画を突きつけるように、差しはさまれる。でも、男女四人のパフォーマンス集団は絵はもちろんだけれど、槐多が書いた詩やシナリオの方にこそだんだんとシフトしてくる。作り手側、佐藤監督自身がそもそもそうだったんじゃないかと思えてくる。
このタイトルは、高村光太郎が槐多の追悼で寄せた詩を基にしているんだという。「五臓六腑に脳細胞を遍在させた槐多。強くて悲しい火だるま槐多。無限に渇したインポテンツ」なんというか……この詩だけでも、槐多は未練をたっぷりと残して、情念だけでなく肉体もどこかにさまよっているように思えてしまう。
インポテンツ、だなんて。彼はそうした恋愛や性愛の肉欲ももてあましたまま、ガランスにぶつけるように描いて、そして死んでいったのだろうか。
そうした影は確かに、槐多を乗り移らせてしまった朔に見え隠れする。廃車工場のおっちゃんは、朔は異性に対して興味はないんだと言い、薊はそれに対して立腹し、大げんかになる場面があるけれども、この設定は、ついついウィキで読んでしまった、ちょいと男の子に懸想したこともあったりしたことも入れているのだろうか??
いやそんな、凡俗なことでもないとは思うが……だって、本作は、槐多を、というんじゃないけれども、どこか神格化というか、アガルタというイメージが繰り返し出てくるのもそうだけれど、どこかに理想郷があるとか、槐=エンジュという木が神木として扱われたり、民族的なお面をかぶってパフォーマンスしてみたら、そのお面がとれなくなって森に帰りたい、と若者たちが訴えたり、なにか、まがまがしい神話のようなのだ。
村山槐多という知られざる芸術家を描くとか、紹介するというより、死んでしまった彼と同じ年ごろの感応性豊かな若者たちに、未来を託すというのとは真逆な、もうこの世はダメだと、それは自分の時代から判っていたと、だからアガルタへ行けと、そんな風に感じ取られた。
アガルタ、聞いたことはあるような。でも、知らなかったのでこれまた調べてみちゃうとこれがまた……危険なんである。槐多の時代にはむしろ、無邪気な、最後の救いの場所みたいな、天国よりもちょっと現実味のある、地球のどこかにきっとあるような、という概念だったけれど、当然、現代ではそれは御伽噺以上に却下されてしまう空想に過ぎず、これを持ってきて、槐多を現代に感応させて、そしてどうなるんだろう。
確かに、私みたいに何も知らなかった観客にとっては、興味津々な芸術家であり、知るきっかけになるには充分だった。でも……難しいな、実験的意欲作であるのは無論なのだけれど。
槐多の槐の文字、その木は、実際には街路樹によく使われ、その白い花は可憐で、確かに見覚えがある。劇中登場する、ただただ苔むしてそびえたち、ほらの中に人骨やら怪しげなものを隠し持っているようなイメージとはかなり違う。
激ムズと思った最初の印象から、村山槐多という人物をたどったり、いろいろ頑張ったけど、キツかったなぁ。むしろ、実在の人物ではないというスタンスで見られたら面白かったかもしれないけれど。★★☆☆☆
子供向け特撮ヒーローの世界は、確かに子供の時にはリアルにその世界があると思ってて、その中のヒーローになりたいと夢見ていただろう。本当にその世界があるのなら、超人的な力を持つヒーローたちとは……という逆転的発想。
特殊能力を持つ子供たちが集められ、虐待にしか見えない訓練をつけられている時間軸と、どうしてかヒーロー稼業から遠ざかり、すっかり年老いてしまったかつての子供たち、という図式なのだと、イカ型怪人が出てくるに至って、かなり中盤になってから、ようやく飲み込めた。
レッド。戦隊ものではまごうことなきリーダー。冷静で正確な判断力、皆を率いる統率力。カリスマ性。……結局はレッドはそのどれも持っていなかった、のかもしれない。
子供の頃からたぐいまれなる身体能力で、屈強な大人のトレーナーをボッコボコにやっつけるまでに成長した。思えば、彼だけが抜きんでていたのかもしれなかった。こと、格闘、というか、戦闘、というか、……相手をボッコボコに叩きのめしたいという本能に関して、だけは。
だから、その戦闘能力だけでリーダーにしちゃいけなかったのだ。そもそも、子供たちである彼らにリーダーを選ばせている時点で、この訓練機関の矛盾を感じる。ひたすら戦闘能力を鍛えてはいるけれど、それ以外は放置プレイ。
粗末な白いトレーニングウエアを着たきりの4人男子プラス1人女子。定番の戦隊ものの布陣だけれど、小学生中盤あたりと思しき彼らの幼さの中で、女の子一人だけ、なにかなまめかしく見えている時点で確かに危険は感じていた。タイツの下のショーツのラインが食い込み気味に透けて見えてて妙に、なにか、小児性愛を喚起させるものもあって、これは……演じている女の子が気づいているのかなぁと心配になったり。
つまらない心配ではあった。ヒドいクライマックスではあったけれど、私の凡俗な妄想よりは、まだ健全であった。そう……ある意味健全だったのだ。同じ年頃の彼らの間で性の意識が芽生えるのは当然なのだから。
でもそれが種明かしされるのはずっとずっと後、それこそヒドいクライマックスに向けてじわじわと、なんである。
すっかりしょぼくれてしまって、酒をかっくらって、交通誘導員のバイトも眠くてフラフラしているようなレッドの場面から始まる。彼が仲間たちを訪ねる、ちょっとしたロードムービーのような趣の合間合間に、子供の頃の彼らの、いわば監禁、調教ではないか、という回想の時間軸が差しはさまれる。
レッドは確かに能力は高かったけど、短気でキレやすくて、相手を完膚なきまでに、本当に死んでしまうまでボッコボコにしてしまうところがあった。それは彼自身が自覚していたからレッドを辞退するのだけれど、仲間たちが、自分たちがフォローするからと、レッドは君しかいないから、と胸を叩くのだった。
本当にそうできたなら、とても心強いチームワークなのに、結局レッドの暴走は止められなかった。怪人を必要以上に暴行し、その結果ブルーの片腕を失わせた。止めようとしたピンクを振り払ったブルーは、倒れ掛かった彼女の丸い尻に、それまでの高ぶりが性欲に振れてしまって……暴行したのだった。
暴行という言葉が、戦闘相手と性的欲望の相手では、これほど違う意味を持つのかと、当たり前だけれど、改めて思う。どちらも鬼畜だけれど、仲間であったピンクを、それまでももちろん彼らの中で、その意識は感じ続けていたであろう彼女を、サイアクの形で地獄に突き落とした。キレた時にはフォローすると言っていたのに、仲間の誰も、レッドを止められなかった。
という、ほらね、本当に、サイアクのクライマックス、つまりタネあかしがされるまでに、年老いたレッドが何かを決意してかつての仲間たちを訪ね歩く。つまりは……殺して歩くのだ。
一人だけ、自ら命を断っていた。レッドに想いを寄せていたグリーン。彼はちゃんとレッドにその気持ちを伝えていたし、レッドもまた真摯にその想いを受け止めていたのだから、決して決して幸せじゃなかったとは思わない。
冒頭は、レッドが自分の赤いスカーフをグリーンの墓前に供えるところから始まる。僕が死んだ時にはそうしてくれと、まるで自分の未来を予言するかのようにグリーンが言っていたから。
レッドが仲間たちを訪ねて回るのは、彼らを殺すためなのだというのが、観終わった後でも、今でも、なんだかピンとこなかった。レッドがピンクを凌辱し、身ごもった彼女はグリーンと結婚。生まれた子供は特殊能力同士のそれとして人体実験にさらされ、障害を持ってしまった。
劇中では、脳をかき回されて精神障害を負ったと言っていたけれど、物理的実験による脳の損傷なら、知的障害になるんじゃないのかなぁとか思ったり……。
こういうセンシティブなところは、難しいと思う。先述したように、幼いグリーンがレッドに恋心を打ち明けるシークエンスもあるし、レッドの子供を身ごもったピンクとグリーンは、すべてを飲み込んで結婚する訳で、物語世界としては極端だけれど、現実社会にも似たような例はきっとあると思うから……。
一体なぜ、レッドは仲間たちを皆殺しにしようと思ったのだろうか。本作のキモなのに、なんだかやっぱり飲み込めなかった。しかもこんな、還暦も手前のところにきて。
いきなりという訳じゃなく、彼の中で熟成されていった想いなのかもしれないけれど、ハッキリ言ってしまえばおめーの、おめーだけの暴走とトラウマを、仲間と共有したがってんじゃねーよ、と思ってしまったのだ。
世界を救うヒーローだったのに、それが出来なかったから、皆で死んでお詫びとでも思ったのか。ならばなぜ、何十年も過ぎた今のタイミングだったのか。
ピンクが自分の子供を身ごもっていたことすら知らなかったくせに。その息子が、脳をかき回されまくって、幼児のような大人になっていることも、知らなかったくせに。
いつもいつも、敵、というか、他者を、死ぬほどにボッコボコにすることが、幼い頃はリーダーとしての資質となり、制御できなかった青年時代にくじかれ、そしてラストシーンで、ちょっと驚きの展開を見せたのだった。
このラストシーンをやりたいからの逆算であったようにさえ、思った。他人をボッコボコに、死ぬほどに打ちのめしたその拳を自らに向け、自分を殴りながら、血だらけになりながら、ベッドを血で染めながら、レッドは死んでゆく。
戦闘ヒーローがリアルだったらという驚きの発想から来るけれど、その戦隊ビジュアルも、そして敵となる怪人もはっきりとチープな造形だったのは、ネラいだったのかなぁ。
アラカン世代の今の彼らのしょぼくれ加減は妙にリアルで、なにかそれは、現実世界の私たちに投影している感はあったけれど、その方向性だったら、イカ型怪人とか出してこないだろうしとか思ったり。
こちらの脳内もかき回されたと言うべき映画だった。今まで出会ったことのない作品だったことは間違いない。★★☆☆☆
だから、自分の責任で書けという話(爆)。ごめんなさい。ちゃんと見直したから、合ってる筈(爆爆)。この年近辺は里見瑤子が席巻した年だっただろうと思う。もう平成に入ってるけど、どこか昭和のアイドルを思わせる愛らしいルックス、可憐で繊細なお芝居。
彼女のセックスを覗き見る青年は、陰鬱ながら端正な顔立ちで、この図式が、画が、それだけで萌えてしまう。
原題は違うけれど、改題された裏窓は、脚本段階であったのだろうかと想像しちゃうのは、映画が好きで好きでたまらない感じが伝わってくるから。裏窓ではない。ひっきりなしにゴウゴウと轟音をたてる高架電車を挟んでのあっちとこっちである。
ひっきりなしに遮られる、そして彼はその轟音が聞こえない。二重三重の二人の間に仕掛けられた障壁が、覗き見、覗き見られるという正常とは言い難い男女の結びつきなのに、ピュアでプラトニックに思えてしまうマジック。
覗き見られる女、真木(里見瑤子)は不倫関係であった。居酒屋バイトの常連さんとして出会った祐二は、社長令嬢であるバツイチの奥さんと結婚している。
その奥さん、朋子は、真木たちを覗き見ているトシアキと恋人同士だった。祐二と婚約状態になっていながらトシアキと関係を持ち、お父さんもトシアキのことを気に入っているんだから、と朋子がファックしながら言っていたことを思うと、あの事故はやはり事故ではなく、朋子と祐二の共謀の元であると思われた。
サウンドエンジニアであったトシアキがスタジオでヘッドフォンをしている時に、遊びに来た祐二がけつまずいて音量レバーをガーンとあげてしまい、トシアキは聴力を失ってしまう。そしてあっさりと朋子に捨てられた。
祐二の不倫を嗅ぎつけて、電車を挟んで向かいの窓から監視するようになったいきさつはなかなか気になるところだが、そんなヤボなことは言うまい。こんなに映画的で、ロマンティックで、そして……切ない舞台装置はない。
それこそ覗き、覗かれる真木とトシアキがどのようにしてこの奇妙な契約のような関係を結んだのかも気になるところだが、そんなこともどうでもいいと思わされる。
二人がコンタクトをとるのを見せる最初のシーン、真木がトシアキに対して、耳なし芳一さん、と呼びかけるのがドキッとし、その一言で彼の今の状態をすべて理解出来てしまう。
彼女の部屋に設置されているのであろうカメラから、トシアキの部屋のブラウン管テレビに大写しにされた真木=里見瑤子の可憐で繊細で豊かな表情が、一度も目の前にしなくったって、恋に落ちるに決まってる。今の時代のリモートを先取りしているような、いや……これは、懐かし近未来映画、バーチャル恋愛とでも言いたいような。
トシアキは耳が聞こえないから、彼女の唇を読みとって会話するのだ。ブラウン管に大写しの彼女、いつもは気にせず普通に話しているのに、ごめんなさいを伝えたいときは、ゆっくり、一音ずつ、伝える真木。
すんごく近い距離の遠距離恋愛だ……。もっと早く、会ってしまえばよかったのに。いやでも、二人はそれぞれに想い人がいて、真木は不倫相手の祐二を、トシアキは祐二の奥さんである朋子を、やっぱり思いきれなくって、だからこその二人の結びつきなのであった。
ここに、不穏な種をまく人物の介入である。いや、この人物は最初っから、物語の冒頭からもう、登場していた。朋子に依頼されてダンナの浮気を調査している探偵、小島である。
でもさ、小島は本当に探偵かね?朋子の子飼いの用心棒とかそんな感じの、ヘンにガタイのいい色男で、朋子はダンナに相手にされない欲求不満で小島をくわえこむしさ。
それにコイツは……クライマックスへの伏線もあるだろうが、ピンクとしてもあまりにもキチクな性癖、いや、殺人者なのだ。夜道、簡単にレイプできる女を物色している。スカートでなければやりづらいとか言いやがる。そして、あっさりと殺す。
てゆーか、死後レイプ、サイアク中のサイアク。エロ要素を加えれば何でもありのピンクの中でも、なかなか記憶にないぐらいのキチク男である。
だから、それだけの、うっかり殺してもいいぐらいの要素を加えていたのかもしれないと思う。
資産家夫婦をけしかけて、どっちが成功しても報酬がもらえるようにとこのエセ探偵、小島は画策し、殺し合いをもくろむのだが、思いがけない展開に。
それは……無力だと甘く見ていた真木が、トシアキに授けられた飛び出しナイフを構えて、クズ小心男祐二がよけちまったこともあるだろうが、突進してきた朋子を刺し殺しちまったんであった。
慌てて逃げ出す祐二と入れ替わりにほくそえみながら入ってくる小島は、真木をいたぶって殺して死姦する気マンマンであった。しかし真木はもうろうとした中、朋子が携えてきていた果物ナイフをつかんで、このキチクをぶっ刺すんである。
こうして改めて考えてみると、小島にトドメを刺したのは覗き見していて察知し、駆け込んできたトシアキではあったにしても、可憐に見えていた真木が二人ともをやっちまった訳で。
なんかそれが……凄く意味があることのように思えた。結果的に、これ以上なく怖いファムファタルは、最後まで観客を可憐に欺き続けた真木だったんじゃないかって。
その前の時間軸、真木は不倫相手の奥さんから乗り込まれ、あばずれだの淫売だの、尻軽女だの売女だの、メス豚だの公衆便所だのと罵られ、平手打ちまでお見舞いされる。
この罵り言葉といい、平手打ちといい、昭和ですらなかなか聞かないクラシックオンパレードなのが、見ていた時にもちょっと笑っちゃったぐらいなんだけれど、狙いだったのかもしれないと思えてくる。
不倫の末の殺し合いにまでなるけれど、これは映画のクラシックなマジックを効かせた、そして可憐で可愛いヒロインが、暗い苦しい過去を背負った美しい青年を救う、ラブファンタジーなのだ。
そうよ、そう考えると、朋子のベタな罵詈雑言が、シンデレラをイジメる意地悪な姉さんに思えてくるじゃないの。
真木はずっと、耳なし芳一さんが自分の元に来てくれることを願っていた。そう考えるとさ、これもまた、王子様が迎えに来てくれるシンデレラと思えなくもない。そこまでにこれだけ血を流すことになるのはなかなかだけれども……。
自分のあられもない姿をずっと監視している相手。この一点はピンクとしての見事なアイディアだけれど、その相手は耳が聞こえない、つまり、あられもない姿の大事な要素の一つであるあられもない声が、聞こえていないのだ。
彼が耳ならぬ目を澄ませているのは彼女の唇。喘ぎ声ではなく、そこで発せられている言葉。最初こそはそこににっくき相手である祐二の名前と、愛の言葉を読みとっていたけれど、本当に最初だけだった。
真木がトシアキにごめんなさいをせいいっぱい伝えてから、明らかに変わったのだと思う。トシアキは彼女の留守に忍び込み、汚れ物を全裸でスハスハするなんつー、ヘンタイ行為にも及ぶが、まぁ彼女にも誰にもバレないままなのだから、許してやろう??
やっぱね、この時代、スマホどころかガラケーすらなかった時代、固定電話も、かつての黒電話ほどの重厚感がなく、簡単にジャックを抜いてしまえるような価値観の薄れ方。
トシアキは当時の最新であっただろう小さな子機に向かってしゃべり、もう今は観ることもなくなったブラウン管のテレビに接続された、横縞が入って不鮮明な、愛する彼女の映像である。
トシアキの部屋は、クリエイターらしいオシャレな写真ポスターなどが貼られているけれど、なんだかなんとも殺風景で、男一人暮らしならではの雑さもなければ、生きている、生活している熱量さえ、ないのだ。
あの修羅場から逃げ出した祐二を二人の死体を庭に投げ出して脅し、大金をせしめたトシアキは、そのカネを真木の部屋のベッドにまき散らす。
トシアキはあの修羅場で気を失った真木を助けたけれど、真木はまだ、トシアキのことを見知っていないのだ……あの時、あの気を失っていた時、彼を認識したとは思えない。なのになぜ、その後踏切で通りすがった時、あなただったのね、と判ったのか……。
あれ??私、やっぱり何か、見落としているかなぁ……。同じ踏切ですれ違うシーンは確かにあったけれど、彼女が彼を一瞥すらもしていなかったと思うのだけど……。
あぁ、自信ない!!ないけど、凄く好きだと思った。最終的に結ばれる二人の、その最終的に至るまでは、ピュアでプラトニックなのに、なのにというか、だからこそ淫靡でエロティックで、その二人が美しい容貌であることも妙にそそられるんである。
裏窓ではなかったけれど、裏窓なのだ。映画ファンならうなずける映画への愛。二人の間に轟音で電車が通るたび、二人を遠ざける障壁にドキドキした。普通じゃない出会いであり関係だったのに、ラスト、幸福なセックスでエンドだったのが、本当にホッとしたし、良かったなぁ。★★★★☆
タイトルのブティックは単に奥さんが勤めているだけで、ブティック、っていうのがピンク映画のタイトルとなるとヘンにエロを感じさせるのも面白いけれど、でもまぁ、彼女を雇ってくれている女主人は、若い男の子をくわえこんでるんだから、まぁそのとおりっちゃそのとおり。
女主人は判りやすくカラミ要員ではあるけれど、ヒロインである君枝が自身の夫との関係と比して、そうした周囲のざわざわに影響されていない訳はないのだから。
夫、健治が売れないスーツアクターであったことは、割と早い段階で知れる。公園で怪獣の着ぐるみを着て稽古をしているのを、OLの制服を着た君枝が見かけていた。
その時彼は、じゃれてくる子供にとても嬉しそうに接していて、特撮ヒーローになりたいと語った夢はきっと、子供たちを楽しませたいから、という方だったのだ。
すべてが終わってみればそれが判る。彼自身が演者として光り輝くというんじゃなくて。でもそのことを、彼自身が過去も、現在の時間軸も気づいていない。
物語の冒頭は、寝ている君枝に、しない?と健治が誘いをかける。大丈夫なの?と君枝は返し、セックスはそれなりに愛情深いものではあったけれど、スタンドの電気を健治はつけるのに、君枝は消し、その繰り返しが、二人の気持ちのすれ違いを感じさせた。君枝は他の男に任せている自分の身体を明るいところで見せたくなかったのかな、定かではないけれど……。
自分とのセックスの後に、ヤだった?とちょっとしつこく聞く健治に、ヤじゃないよ、と優しく返す君枝。穏やかなやり取りだけに、距離を感じた。
健治は心臓の病気を抱えている。出会った頃に夢だった特撮ヒーローはそのために断念している今、世間的に言えばヒモ状態ということになってしまうんであろう。
仕事に出かける君枝からゴミ出しを頼まれても、近所の目が気になるから、としり込みする健治は明らかに世をすねているのだが、これが見事に結末に反映されてくるんだから、素晴らしいのだ。
ピンク的な感覚ではさ、身体が弱い夫が奥さんとセックスする時に、大丈夫とか心配されちゃう、奥さん、てか女を満足させられない男、という、まぁ今の時代的に言えば相互理解を排除したマッチョ思想として糾弾される価値観ではある。
本作は20年ほど前の作品だし、昨今急激に広まった男女の別のみならぬ多様性の価値観の時代からは遠く、そのマッチョさにほんのり違和感を感じながらも、まぁあるかな、と感じていた時代では、確かにあった。
でも、セックスで奥さんを満足させられない夫、というピンク的表面的なことではなくって、本作が問題提起をし、答えを出しているのは、今はようやく当たり前になりつつある、夫婦のどちらが稼ぐとか、どちらが家事を担当するとか、嫁さんに働かせて夫が家にいるのはおかしいとか、そうしたことなのだった。
私がそうくみ取ってしまっているだけなのかもしれない。いや、でもそうだと思う。エンディング、健治が主夫として奥さんと子供を完璧にケアしている情景に本当に感動した。これは、今現在の映画、ドラマ作品であったって、なかなかお目にかかれないのだから。
おっと、思いっきりすっ飛ばしてしまった。そこに至るまでには、そりゃあそりゃあ、長い道のりがある。二人が結婚した途端に健治の病気が発覚し、ヒモ状態の健治はそりゃあすねるし、君枝はブティックに来ていた営業マンの佃に言い寄られてなんとなく関係を持ってしまう。
なんとなく、というのは後に彼女が佃に、夫にバレているかもしれない……と動揺して吐露するところで語る台詞で知れるのだが、つまり君枝は、別に欲求不満とか渇望していたとかじゃなくて、健治のことを愛しているのは確かにそうなのに、新婚からすぐにセックスもままならなくなり、そうなると二人の関係性も健全じゃなくなり、そりゃさぁ……というのは、なんか判っちゃうのだ。
だから、こんな、穏やかで話の判る人が不倫相手で良かったって(爆)。いやでも、どうかね、佃は思いつめて健治に会いに行っちゃうんだから。
その前に、健治の方も心かき乱される状態にある。アパートの隣室の夫婦、奥さんの元に大型バイクで通ってくるいかつい男。ベランダ越しにその情事を垣間見てしまう。更に、その情事を明らかに気づいているその夫を、階下に見つけてしまう。
道路に面した窓越しにズコバコまる見えなんだから、そりゃぁ気づくわなと思うが、そういうことじゃない、きっと彼も、健治のように、奥さんとの関係性、自分の対する淡泊さに気づいて、じわじわ気づいて、他の男の存在を確信しているのに、乗り込めないのだ。
佃との不倫関係はでも、妙に柔らかで、お互い敬語だし、事後にはコーヒーをゆっくり飲み合ったりして、データベースの解説にあるような、溺れているという感じはなかった。ブティックの女主人にもバレバレな佃の君枝に対する、どこか高校生男子のような恋のまなざし、だからこそ君枝は、彼女曰く曖昧なままに関係してしまったように思う。
そんな優しい関係性なんて、あるのかいなと思うけれど、あらゆる愛憎が表現されつくしているピンクの中でなら、確かにそんなこともあるのかもしれないと思うのだ。
で、前述したけど佃は、これは反則だと思うんだけれど、健治に会いに行っちゃって、旦那さんにはかなわないと思った、というんである。君枝とのことは言わなかったと言うけれど、だったらどう自分のことを説明したのか、そんなん健治は勘付くに決まってるやん!とツッコミたくなるが、佃を演じる岡田智宏氏のどこかヌケた柔らかな風貌で、許せちゃうのだ。
そういうところが……佃と健治はちょっと、いや、ちょっとじゃなく、似ていたのかもしれないと思う。好きなものに、好きな人に、邪心なくまっすぐで、でも優しくて気弱で、自分がそうじゃないと判断すると、引いちゃう。潔いようでいて、関係性においては、時にはがゆいのだけれど。
てゆーかさ、そんなことしちゃったら、健治は当然、それまで感じていた疑惑を確定されたことになっちゃう。そして、君枝の妊娠が発覚すると……まずはとても喜んで、仕事への意欲を得て、かつてのスーツアクターに復帰するんだけれど、心臓の負担がやはり大きくて、ぐったりしちゃって、君枝に当たり散らす。
本当は俺の子じゃないんじゃないかと、その時になって、まるで切り札のように、言えなかった、佃が来ていたことを明かすのだ。
俺の子じゃないんじゃないかということより、それより、絶対に言っちゃいけなかったのは、佃と一緒になればいいだろ、という台詞だったのだ。それを言って、健治は一体君枝にどう返してほしかったのか。
まるで駄々っ子だ。判る、彼の気持ちは判るけれど……。ケンカの会話をする時でも、自分が投げた言葉で相手がどう返すかまで、予測しなきゃダメなんだよ。子供のケンカなら仲直りするチャンスもあるけれど、大人は、それが致命傷になることだってあるんだから!!
君枝は何も言わずに飛び出す。そこからはどこか……ファンタジーというか、時空的にも優しすぎる展開というか、でも、いいの、それが映画のマジックだから。
二人の原点を思い起こさせる。健治が君枝にプロポーズした場面。川か湖か、二人でドライブし、健治は橋の上からダイブした。空を飛べるんだ。そして君枝ちゃんにプロポーズするんだ、と言って。
君枝が佃に好きな男性のタイプを聞かれた時、空を飛べる人、と即答した答えがここにあって、そして何より……あの決定的なケンカの場面から、君枝と健治が、まぁちょっとね、現実の時間と場所からムリのある転換だし、怪獣の着ぐるみから生身に切り替わるし、現実的にはちゃうちゃうと思うのだけれど、これこそ映画のマジック。二人が最初の想いを取り戻す、プロポーズの場面を取り戻すのがめちゃくちゃイイのだ。
でも私的には、フェミニズム野郎な私的には、やっぱりやっぱり、結末こそ、だよなぁ!冒頭で言ったけれど、売れない役者、売れない芸人と、彼を愛する女のお話の、ピンク親和性の高さ。
その切なさはピンクそのものに対するそれにもつながっている気がするし、フェミニズム野郎としてはそもそももやもやするところでもあったんだけれど、本作は、フェミニズム野郎大納得のラストを用意してくれて、本当に、ガツンと幸せになった!!
健治が、それまではヒモでしかなかった彼が、家事と育児を仕事として誇りを持ち、勤めに出る奥さんを送り出すというラストを迎えるのだ。あぁ、ああぁ。なんとなんと。
だってだって。健治はスーツアクターをしていた時も、特撮ヒーローになりたいと思っていたことだって、子供たちを喜ばせたい、つまり子供が好きだって、ことなんだもの!このラストにつながった時にぎゅーん!と答えが出て、胸がいっぱいになった。
君枝が、空が飛べる健治を好きだと言った。そのファンタジックを判りやすく文字起こしするならば、こういうことなんだろうって。君枝のために空を飛んだ健治はきっと、子供のために、子供たちのために、自分で出来得る限りの愛情を注ぐだろう。
それに気付くまでに、自分の病気や、妻の不倫や、自身の社会性の欠如に対する落ち込みや、隣人夫婦との関りやらがあって。男子は外との社会性を持ちにくいからさ。自身のアイデンティティを失うと、途端に閉じこもってしまう。夫婦と外の社会性との問題として、本作は大きな投げかけをしていると思う。
フェミニズム野郎としては、健治の着地点は良かった良かったと一瞬思ったけれど……でもでも、これは、いつか、いつか、健治が、自分の子供だけじゃなくって、すべての子供たちのヒーローになる日が来る、という含みがあると、思っていいんだよね??
いやいや、なくていいよ、フェミニズム野郎としては全然なくていいけど(爆)、あんまりそんな風に言うと、やっぱりそれはさ、男子のロマンっていうのを、古臭いものとして排除するべきではないと思うからさぁ。
言い方よろしくない?昭和のフェミニズム野郎としても矛盾しまくっていることは重々承知なのだが……むずかし!!★★★★☆
その、消防士の須藤を演じているのが田中要次だというのが、へぇーっ!と思う。ピンクに出ていたんだ、聞いたことあるようなないような。少なくとも出演作にぶつかったのは初めて。
どうやら恋にはオクテそうな須藤のキャラクターのせいもあるだろうけれど、手練れのピンク役者陣の中で、カラミがどこかおずおずとしているのが妙に可愛い。
いや、可愛いと言えば、その手練れのピンク役者である川瀬陽太氏が本作で抜群に可愛いのが本作の魅力なのだが。つーか、手練れ手練れと言っちゃうけど、今やそりゃベテラン中のベテランだけど、当時のぴっかぴかに若い川瀬氏。2000年前後のピンクを中心に放映してくれているここ最近、そのぴかぴかに若い川瀬氏に何度も遭遇するんだけれど、それにしてもこんなに可愛い川瀬氏は、ちょっと、なかったなぁ。
ヒロインのユメカさんだって、手練れ中の手練れの彼女もめちゃくちゃぴかぴかに若い時なのだけれど、若い頃から色っぽくてカッコ良くて、ずっとそれが変わらないからさ。
ラブホテルの火災から始まるラブストーリーだなんて、まずアイディアが秀逸すぎる。後から判るに、この時情熱的にセックスしている麻子と山田は、べろんべろんに酔っぱらっているんである。そしてこれも後から判るに二人とも、その身体の相性でお互いを忘れられず、探し求めるんである。
いや、麻子の方は、その相手に再会したと思った、思っていた。それが、麻子を火事の中から救出した消防士の須藤で、彼女にホレてしまった須藤は、その時の相手だと偽って交際を始める一方、山田の携帯を現場から拾ったことで、山田とはまるで親友のように親交を深めていくんである。
最終的に、結局は、麻子と山田はお互いの身体の相性、古典的な言い方で言えば性愛のそれこそを最重要視し、運命の相手として今度こそ再会、ハッピーエンドと至る、ってあたりが、思い切っているというか、それこそピンクでしか出来ない展開だなと思う。
凡百の一般映画なら、事実を偽って麻子と付き合う須藤の方に、つまりセックスより恋心が大事だとか、言いかねないもの。まぁなんつーか、言ってしまえばセックスの相性を選ぶんかいというミもフタもないことを、でもそれにこそ説得力を持たせるのがピンクの醍醐味であり、役割であり、と思う。
でも山田も須藤も、双方切なく、愛しいんだよなぁ!てゆーか、この二人がうっかり仲良くなっちゃうのが腐女子的には何より胸キュンなのだもの。
現場から須藤が拾い上げた携帯電話、探していた山田がかけたことで二人はつながった。山田も酔っぱらって覚えてないらしいことを知って、須藤は麻子との関係を続けるも、そもそも麻子が自分と付き合ってくれているのは山田との記憶があるからだし、山田もまた、あの時の女の子とまた会いたい、探すんだと。
失職して住むところも失ってしまった山田は須藤に頭を下げ、一ヵ月だけ居候させてほしいと頼み込み、須藤は押し切られてしまう。
三人共に、切ないんだよなぁ……。これがね、酔っぱらった勢いで行きずりの男とセックスしちゃって、そこに救出に現れた消防士と女の子との恋、っていうのならありそうじゃない。大抵そーゆー場合、行きずりのセックス男は、それだけのクズ男だったりする訳だからさ。
本作の場合、むしろクズなのは、……いや、それは言い過ぎかもしれないけれど、同じ美容師仲間でルームシェアをしている妙子からその時の様子を聞かされた麻子、そしてその妙子の諭すような物言いは、酒で正体をなくしてちょいちょいつまみ食いするらしい麻子はなかなかなトラな訳よ。
一緒に飲んでいた妙子は、男たちが麻子に無理矢理飲まされていたんだと証言していたし、山田はホテルに連れ込まれた形だったんだろうなぁ……。そう思わせてくれるほどに、山田を演じる川瀬氏が可愛らしくて、本当にキュンキュンしてしまう。
先述したけど、須藤とじゃれ合うように仲良くなるのが何より可愛いんだよね。須藤が携帯電話を届けた時から、あの火災で、スプリンクラーの水ですっかり風邪をひいてしまった山田に鍋料理をふるまっちまった時から、なんかもう、この二人こそが恋人ちゃうんと思うほど、仲良くなっちゃうんだもの。
いや、山田がまるで子犬のように人懐っこくて、須藤にまとわりつくようにキャンキャンしているもんだから、どうやら人付き合い自体が苦手そうな須藤が、巻き込まれたような形なんであった。
自分が探している想い人をいわば騙し取っているだなどとは思いもせず、須藤が恋に悩んでいると見て取った山田は、ちょっとオマヌケなぐらいの方がいいんだと室内プラネタリウムをプレゼントに勧め、猛プッシュする。
これが案に相違して本当にウッカリ上手く行っちゃうのを見せられると観客もソワソワするんだけれど、それはつまり、麻子は見えない先の山田のその純情にときめいたんであり、セックスの相性に関して、当然山田じゃないんだから、須藤とのそれにイマイチ感を感じつつも、あの時のあの人なんだからと、自分に言い聞かせていたのであった。
ああ、なんつー切なさ。だって、皆、好きな相手に好きになってほしいと思っている気持ちは、本当なんだもん!でも、そりゃぁ、バレるのは時間の問題。麻子とルームシェアしている妙子が、訪ねてきていた須藤に、彼だけに聞こえるように、初めましてですよね?と言った。
あの日、麻子と妙子、山田とその同僚とが飲み屋で出会って、麻子が山田と夜の街に消えていったのだから、妙子がその顔を見知らぬ筈はなかった。優しい友人はその場で問いただすことはせず、今は言えないけれど……という須藤を尊重したのだけれど。
妙子の方も、美容室の店長と先の見えない不倫をしていたから、キッパリ言えないところはあったのかもしれないけれど……。単にカラミ要員だけに見えなくもないこちらのカップルも、特に妙子の方に、女友達だけに見せる複雑な表情を、観客にも見せてくれたから、これもなんか胸に来るものがあったんだよね。
男には言わない。不倫相手だから。つまり、彼の奥さんに対して、同じ女として思うところがあるから。だからテキトーに泊まるとか言う男に、送ってくから帰りなよと言い、自分自身を律しているんだという言い聞かせる気持ちがあったに違いない。
最終的にこの店長は、なし崩し的に妙子の元に転がり込み、奥さんと離婚したことが報告されるけれど、それが果たして幸せだったのかどうか……。
山田と須藤は本当に、まるで幼なじみのように仲良くなる。バッティングセンターで隣り合って打ち合い、無邪気なキャッチボールをし、シーソーでひっくり返りそうになってヘンな体勢でうっかり抱き合っちゃったりしながら(これがめちゃくちゃ可愛い!)、そんな時いつも会話しているのは、須藤が今恋している麻子とのことなんである。
まるで、まるで本当に、中学生みたいで、でも須藤は山田に麻子のことを言えずにいて、それは……言ったら終わりだから、それが判ってるから。次第次第に、彼には判ってきちゃってるから。酔っぱらってうっかりヤッちゃっただけだと、きっと須藤は思っていただろうし、それは、当事者の山田も麻子も、ある時点までは思っていたんじゃないかと思うのだけれど……。
こういう、性愛の記憶を大事に愛情や気持ちまで描き上げるのは、他のメディアでは難しいと思う。そして、今はことさら、難しいと思う。
四半世紀前、映画というメディアにしっかり根差していたピンクの、ここからは残念ながら製作本数がどんどん下降していったけれど、現代劇として、現代人としての、恋愛や、性愛や、友情を、最後の最後に刻み付けてくれた時だと思うから。その、まさに秀作に出会えた。
で、何度も言うけど、川瀬陽太氏が、めちゃめちゃ可愛い。何度も言うけど、初めて彼を可愛いと思った。何度も言うけど、何度も言うほどに、失礼極まりないが、本当にキュンキュン来た。
行きずりの相手を探すためにスケッチブックに描く麻子の似顔絵ときたら、ヘタウマというか、ヘタヘタというか、小学生でももうちょっと上手く描くよと思うような、福笑いみたいなのだ。
でも色白、猫のような雰囲気、大きな瞳、きりっとした眉、漫画みたいな大雑把な画だけれど、書き添えられた特徴が愛を感じて、これで見つけられるんだなぁとその時確かに思ったし、そうはなったんだけれど……。
須藤の挙動に不信を抱き、アポなしで自宅に突入した麻子、出迎えた山田は、まさに探していた彼女が目の前に現れ驚くも、麻子が自分のことを覚えていないことを目の当たりにし、須藤が隠していたことを知り、すべてを飲み込んで、でも彼女を迎え入れずにはいられない。
この、クライマックスシーンがたまらなくいいのだ。ずっとずっと、探し続けていた彼女、ラブホテルの店主に頼み込んでカメラを設置してまで、探していた。それが唐突に目の前に現れた。ちょうどスケッチブックに描いた似顔絵をその手にしていたから、余計に動揺した。動揺しながらも彼女を招きいれ、酒を酌み交わす。
須藤のいない時だったから、どうするのかなぁと思ったけれど……そんな、裏切るようなことはしない、しないけど、山田は、思いが溢れた。ウクレレを弾いて歌った。ただそれだけなんだけれど……牧伸二の、あーあやんなっちゃった、めちゃくちゃうまいの、川瀬氏。めちゃくちゃキュートで、全編川瀬氏、メチャキュートでつかまれるんだけれど、ここなの、このシーンなのよ。
牧伸二氏のスタンダード名曲にのせて、この時、思い切って、思い切ったけれど、想いを告げるまではいかず、ふざけた感じにかまけて、麻子にアプローチする。全然、全然、気づかれもしないのだけれど……。
その後、山田が描いた、ヘタウマな似顔絵を麻子は発見、須藤に別れを告げ、山田の元に全速力。あの運命のラブホテルなのだろう、支配人に頼み込んでカメラを設置したのは。似顔絵でつり込み、見事麻子をゲットしたのであった。これは確かにハッピーエンドではある、あるんだけれど……。
山田に成りすました須藤を糾弾する麻子、苦し気に、これが二人の始まり方だったって、思えるようにしてみせるよと言った須藤、あのシークエンスは、辛かったなぁ。須藤と山田がめっちゃいい関係性、マブダチになったのがとってもほっこりしたから……だから、山田があっさり麻子と共に郊外に移り住んで幸福セックスしてラストなのかぁと思っちゃったりもして。
麻子と山田が移り住むところは、どこなのか、めちゃくちゃ曖昧に田舎、マンガチックな虹が完璧なアーチ型にかかった中を、自転車に乗った郵便配達おじさんが走っていくという超クラシックスタイル。妙子からの手紙で須藤の無事も確認され、されたと思いきや、まったりとしたセックス後の麻子と山田が、妙子からの手紙を読んでいるところに、消防士姿の須藤が、知れりと乗り込んでくる!えっ!何それ!!
火の元には注意!と言い、壁に貼られた、子供ちゃんが描いたのか、絶妙にアバンギャルドな火事絵画をはがして去っていく須藤。何、何何これ、よく判んないけど、でも可愛い、切ないけど、ほっこり来る。男子二人が切なくて、可愛い。この友情が保たれてほしいと願っちゃう。★★★★★