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「こ」


2024年鑑賞作品

52ヘルツのクジラたち
2024年 135分 日本 カラー
監督:成島出 脚本:龍居由佳里
撮影:相馬大輔 音楽:小林洋平
出演:杉咲花 志尊淳 宮沢氷魚 小野花梨 桑名桃李 金子大地 西野七瀬 真飛聖 池谷のぶえ 余貴美子 倍賞美津子


2024/4/3/水 劇場(TOHOシネマズ日比谷)
指定席というのはうらめしい。チケットとった時にはお隣にいなかったのに、埋まってしまった。こんなことなら一列前にすれば良かった。いや、いつもなら、ちょっとあーあとは思うものの、観始めてしまえば全く気にならないものだが、今回は……お隣さんに先に泣かれてしまった。
泣きの映画だと思っていたし、結構あっさり泣くオバハンの私も、泣く気マンマンで出かけていたのだが、一緒に見に来たわけでもないのにお隣ですんすん泣かれてしまったら、涙が引っ込んでしまった。
お隣さんはそこから最後までずっとハンカチを目に当てていたのだが、そのおかげというか……なんか妙に、冷静に見れちゃったのは良かったのかどうなのか。

素晴らしい役者さんたちばかりの素晴らしいお芝居なのは間違いないのだけれど、それこそスクリーンの中で節目節目に本気泣きされるごとに、それこそお隣さんが呼応してハンカチを使うたびに、どうなんだろうなぁ……という気持ちが積み重なっていったのは、何故だったのか。
彼や彼女は本当に辛い目にあい、必死にアイデンティティを保とうとし、愛を求めていいのかと逡巡し、その姿にケチをつけるなんて、確かにとんでもない、のだけれど、共感できるのかと言ったら、どうなのか。

いや、良くない良くない、誰しもが強くなんかないし、後悔ばかりの人生じゃないの。でも……節目節目に泣きじゃくる彼や彼女に、そこに至るスタンスに、余りにもの弱さを感じてしまったから……それは、きっと、映画の尺の問題もあるのだと思う。
現代社会の流行り言葉のようにさえなっている多様性という人物像が、数多く登場する。一人一人で一本の映画が出来るぐらいなのだから、それが複数存在して、絡み合う物語となったら、原作となった小説ではまた違った味わいだったのだろうかとも思う。

奥歯にものが挟まったような言い方ばかりじゃしょうがないから、私のもやもやを最初から検証したい。情報に当たっていなかったから、志尊淳氏が演じるのが、元男性なのか、元女性なのか、彼がそうなのだと明示する、自ら注射をしている場面に至っても、決定的な場面になるまで判らなかった。
今の男性の見た目から、女性になろうとしているのか、その逆なのか。それが判ったとてどうともないのかもしれないけれど、彼の同僚でヒロインの親友は知っていたのか……知らなかったんだろうなぁ。親にも言えなかったぐらいなんだから。

あぁもう、訳が判らない。話を整理しなければ。杉咲花氏演じるヒロイン、貴瑚が小さな海辺の町に引っ越してくるところから始まる。いかにもワケアリな彼女は確かにワケアリ、その事情は細かく刻んでさかのぼる形で小出しにされていく。
この海辺の町で貴瑚は口のきけない少年と出会う。少年、とは思わなかった。髪が長かったから、とは古臭い価値観だけれど。髪を伸ばしている理由も後に明らかになるのだけれど、この子のそんな描写もまた、トランスジェンダーである安吾に投影しているのだろうと思う。男か女かなんてことじゃなく、一人の人間として生きていくのだと。

この少年の名前はしばらく判らない。喋れないってこともあるけれど、シングルマザーである彼の母親が毒親で、体中にあるあざを貴瑚が発見し、貴瑚は自らそういう目に遭っていたから、この母親と対峙するんである。
この毒親である母親が、なんつーか、めちゃくちゃ既視感があるというか、望まない出産をして子供にそのストレスをぶつける無責任な母親という造形で。

ひと昔、いや、ふた昔前ならば、こういうキャラ造形に対してひでー女、母親の資格なし!と共感ポイントを得られたと思う。
でも今では……彼女の苦しさを、暴力をふるってしまう心の内を、それをこそ治していくべき、そうでなければ社会は同じことを繰り返すのだから、という段階に来ていると思うから……この母親の描写は、ミニスカで男に色目を使ってとか、なんか懐かしいほどに古臭いことに対して、腹立たしかったんだよなぁ。

貴瑚は父親(しかも義理のだ)の介護をワンオペで押し付けられ、母親と共依存の状態であった。父親が誤嚥性肺炎になり、その責任をなじられ、貴瑚は発作的にトラックの前で棒立ちになった……ところを助けたのが安吾だった。
一緒にいた同僚の美晴が貴瑚の学生時代の親友だったという、ちょっとありえない偶然にはまぁ、目をつぶっとこうか。この美晴がめちゃくちゃイイ子で、もう最後まで、この優しく勇気のある親友に貴瑚は助けられっぱなしなのだ。

黙って姿を消した貴瑚に、死んだかと思ったよ!!と心配した美晴。本当にそうだよ!!
結局貴瑚は、確かに彼女はめちゃくちゃしんどい思いをしたし、親友が自分を心配していることなど考えられないほどの状況に陥ったのだろうけれど、基本、友達の心配を想像できない人を、私は信用できないと思うんだよなぁ。

そんな風に思うほどに……貴瑚はなんつーか、愚かなんだもの。あぁ、こんなことを言ってはいけない。だって、共依存の母親から愛という名のもとに虐待され、自分が死んだらいいのだと思い詰めるほどの前半の人生だったのだから。
そこを菩薩のような安吾に救い出される。公的機関をまわってきちんと整え、貴瑚を地獄から救い出す。当然貴瑚は恋心を抱くし、安吾の献身っぷりも観客側にそれと予測されたのだけれど……。

もう冒頭で、なぜあなたは先に行ってしまったの、と幻の安吾に語り掛ける貴瑚、なのだから、彼の死の真相にたどり着くまでの旅なのだと提示される辛さ、なんである。
そしてその真相は予想以上に辛く、ハッキリ言って、貴瑚、おめーのせいだろ、と言いたくなる……いやいや、違う違う、貴瑚の交際相手のクソ男、新名のせいだ。
判ってる。でも……貴瑚が、このクソ男の元に結果的に最後まで帰っていったから、なんでこの男の元に帰っていくのかと歯噛みしていたから、お隣さんが何度も目頭を押さえても、共感の涙を流す訳にはいかなかったのだ。

いやそれも、少し違う、気がする。確かに新名はクソ男。貴瑚が安吾の助けを得て自立の道にたどり着き、職を得た会社の御曹司。言ってみれば安吾が送り込んだ場所と言えなくもない。
会社でのちょっとしたケンカに巻き込まれてけがをした貴瑚、居合わせた新名。謝罪する新名に恐縮する貴瑚。あっという間に親密になっちゃう。初めてなの?とか言って、貴瑚の部屋に入り込んじゃう。

本性を出していない前半部分は、誠実な青年に見えた、確かに。でも、二人のための場所だと、バブリーな高層部屋を用意した時点で、いやいや、そもそも貴瑚が、それまでの人生で味わったことのないセレブリティなデートを重ねている時点で、これはないなと思った。
貴瑚の恩人と会いたいと、安吾に会った時、女性だと思い込んでいたというのはそうなんだろうけれど、男性ならば、即そういう関係性を疑った。……まぁ実際、彼の差別的な直感は当たっていた訳だ。貴瑚と安吾は、結ばれないまでも両想いだったんだから。

嫉妬というか、プライドに狂って新名は安吾の秘密を暴いてしまう。いや、それは、安吾が、新名と対峙して、コイツは貴瑚を幸せに出来る男じゃないと確信した安吾が、あまりに素直過ぎる、貴瑚と別れろという直談判に至ったから、なんだけれど。

てゆーかさ、新名が、最初から貴瑚を愛人にするつもりだった、親が決めたから仕方ないとか言って、ずっと付き合ってきた恋人との結婚を自分は被害者だからみたいな顔して言う時点で、こんなクソ男から離れるのが当然だったのに。まさに安吾の言う通りだったのに。
その後もズルズルとこの男の口車に乗って、貴瑚があのセレブな部屋に戻りつづけているのがはぁ??とこっちは思っちゃって、今更節目節目に泣いても、共感できるか!!とイカっちゃうしさ。

うーん……でも、安吾側も、ちょっと微妙な部分は、ある。これは冒頭に逡巡して書いてしまったこと……誰しもが強い訳じゃない、親に虐待された過去を持つ人や、トランスジェンダーの人の、数少ない、メディアに出て語れる人たち以外に、たっくさんの、苦しんでいる人たちがいることは判っている。
でも、だからといって、こうした人たちを描写するにあたって、肝心な決断の時に、一番ダメな答えを出し続けて、そして周囲を心配させ、泣かせて、なのにあなたは頑張ったね、なんて着地させるなんて、しょうがない、弱い人たちなんだからと、言っているようなもんじゃないのか??
無責任なことを言っているのは判ってる。だって私は当事者じゃない。友人知人にもいない。でも、出会いたいと思っているのに、こんな風に拒絶されてしまったらさぁ……。

安吾の母親の気持ちに、私たちは最も近いかもしれない。打ち明けてくれなかったことに、心を痛めている。安吾が自殺してしまったことに、母親は、あなたのままでいいんだと言えばよかったと後悔した。女には戻れないの?という一言を死ぬほど後悔したんだろうと思う。
でも、そもそも打ち明けられていないところに突然娘が息子になっていたんだから。そして、新名によって残酷な暴露をされたんだから。

でも、でもさぁ、貴瑚が安吾に決死の愛の告白をした時、そしてその後だって、やっぱりやっぱり、安吾は、いや、安さんは、貴瑚に、打ち明けてほしかったと思う。
貴瑚の幸せを願うことが彼の幸せなのだというのは重々判る。彼女の幸せが、自分の愛によっては叶えられないと思い込んでいることが、正直、今の時代でもダメなのかと、絶望する。

確かに、LGBTQ+や多様性の時代と言われ出したのは最近であり、当事者たちにとってはまだまだハードルが高いのだろう。
でも、創作物の中では強さを出してもらいたいし、むしろ、人間としての弱さばかりを強調して、それによって泣きの共感を得ようとしている気さえしてしまう。本気の泣きの芝居節目に挟まれちゃうから余計に、さぁ……。

だって、だってさ、いくらなんでも安吾が自殺すること、ないじゃん。クソ男の新名によって自身が女だったことが明らかにされ、母親を呆然とさせ、安吾は獣のような咆哮をする。
ちょっとね、釈然としなかったんだよね。だって、覚悟を持って自身の性自認の男として生きていく決意をして、田舎を捨ててまで、今いるんでしょ。母親にカムアウト出来てないのは判るけど、それを暴露されて、死ぬのはどうなのかなぁ……。

だって、母親は困惑はしたけれど、愛をもって我が子を受け止めたのに。死んでしまったら、母親も、貴瑚も、彼に関わったすべての人が、傷つくのに。
自殺って、めちゃくちゃ覚悟をもったことだし、責めるべきことじゃないけど、安吾の、本作の、彼が選択したことは、全然共感出来なかった。これを、性自認で悩んでいる人の結末として描写するのはサイアクだと思った。
当事者じゃないけど……だからこそ、きちんと想像をはたらかせるべきだと思ったし、死んじゃダメなんだよ!死ぬことで、その描写で、泣かせるとか、泣ける映画だとか、絶対ダメなんだってば!!

そして、この期に及んでも貴瑚が新名の元に戻っていくことが、本当に訳が判らん……。確かに新名宛の遺書はあったけれど、それを渡す必要があったとは思えない。新名のせいで安さんが死んでしまったのだと言いに行ったのか。
案の定、これで厄介払いが出来たとばかりの新名は遺書を読みもせずに焼き捨て、絶望した貴瑚は包丁を自らの腹に突き立てる。なぜそうなるのだ……。彼女の腹の傷の事情はどこで明かされるのかずっと待ってはいたけれど、これはないよ。しかも新名は泣き叫ぶばかりで全然救急車呼ばないし。死んじまうだろ。

貴瑚が保護した虐待されていた少年、その後の貴瑚の奮闘、親友の美晴や地元の青年とその祖母とのシークエンスは、未来を感じさせた。
こういう感覚が、結婚、事実婚、シングルマザー、シングルファザー、夫婦別姓、あらゆることが少しずついい方向に向かっていってほしいと思う。本作は、役者さんたちの演技は素晴らしかったけど、泣きに騙されないぞ!と思っちゃうような……女はいつも、闘いモードなもんだからさ。★★★☆☆


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