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グッドバイ、バッドマガジンズ
2022年 102分 日本 カラー
監督:横山翔一 脚本:横山翔一 山本健介 宮嶋信光
撮影:佐藤直紀 音楽:Makoto Okazaki
出演:杏花 ヤマダユウスケ 架乃ゆら 西洋亮 山岸拓生 菊池豪 岩井七世 西尾友樹 タカハシシンノスケ 長野こうへい 善積元 山口大地 木村知貴 大迫茂生 ジューン・ラブジョイ あらい汎 ?中島愛子 草野康太 尾倉ケント 松井董平 秋乃ゆに 桑山こたろう 真矢みつき きみと歩実 上田操 春日井静奈
カトウシンスケ グレート義太夫
実録的なもので、見たかったような気がする。モキュメンタリ―というか。正直言うと、ヒロインをなぜ設置したのだろうと思ったりする。何も知らずにこの現場に飛び込んだ彼女は狂言回しな立ち位置であろうと思われるのだけれど、彼女自身が俯瞰で見れていないし、この仕事への情熱が、少なくとも私には感じられなかったので……。
彼女、森の上司となる、女性向けの成人雑誌に情熱を燃やす澤木のキャラクターはとても魅力的だし、この男勝りな上司の下でしごかれ、編集者として鍛え上げられる森の成長譚という側面はあるのだけれど、しかし果たして森は本当に、成人雑誌への意欲というか、編集者としてのアイデンティティを持ちえたのかというと、はなはだ心もとないのだ……。
それは、本作が、これは意図してのことだというんだけれど、おっぱいひとつ出さない、成人雑誌の編集部を舞台としていながら、エロと格闘しながら、散々言葉上ではエロを議論しながら、画面上では妙に避ける、というか……。
“劇中当時のエロ本編集者が(エロ本のエロの部分はAVメーカーの提供なので)裸を見る機会が全くない」ということのオマージュであるとともに、PG12のレイティングを死守したかったから”という理由をついついウィキで拾ってしまって、なるほどとも思うが、なんかそれが、臨場感をそいでしまっただけのような気がしてしまったんだよなぁ。
本作のように大きな事象として現場を描いたというんじゃなくても、ピンクやAVといったエロクリエイティビティの現場の悲喜こもごもを描く作品はこれまで数多く作られているし、現場の感覚がダイレクトに生かされているから、そこにリアリティやエモーショナルを感じられて、大好きな作品をいくつも思い浮かべることができる。それらは確かに、本作のように大きく事象を系統立てて描いている訳ではないけれども、でも愛と熱があったんだよなぁ。
そう……愛と熱が、本作にはあんまり感じられないというか……成人雑誌の栄光と衰退に対する興味、確かにそれはとても面白い題材であり、クリエイターにとっては飛びつきたいものだろうと思う。でも、そこに愛がなければなぁ……。劇中当時のエロ本編集者が、というより、監督さん自身がそこに言質をとっちゃって、エロ現場なのにエロを出さないという選択をしたのは、愛がないんちゃうとついつい思ってしまう。
どこまでも潔癖な森に対して元AV女優のライター、ハルはセックスなんて意味のないこととさらりとかわすが、ここもまたあいまいに過ぎる。そもそも森は一体、この仕事にどういうスタンスで臨んでいたのか。
新卒で採用された最初は、オシャレなサブカル雑誌を発行している出版社に採用されてウッキウキだったのが、そのサブカル雑誌は早々に廃刊、男性向け成人誌編集部に配属され、戸惑いながらも数年経てば新入りにテキパキ仕事を教えて、エグい見出し言葉を伝授したりもしている。
でも、森からは、仕事に対する熱意や、エロに対するこだわりを、結局は全く感じることが出来なかったのが、本当に残念だったし、ヒロインを設定する意味があったのかと感じたのはそこんところだった。
女性向け成人雑誌の立ち上げに熱意を燃やす澤木の下で、うわっつらじゃない企画を持って来いとどやされ鍛えられた日々も、先述のように、エロを画面に映し出さない方針なもんだから、なんともピンと来ないのだ。
言葉ではエグいことをズバズバ言って一瞬面白いんだけれど、映画なんだから。やっぱりビジュアルなんだから。女性向け成人雑誌という、そもそも数が少なく、想像もしづらいものを、オシャレな表紙だけで示して終わりでは、長年その熱意を燃やしていた澤木の熱意だって、ちっとも伝わらない。
営業からのムチャぶりや、他の編集部から異動してきたプライドばっかり高いオッサン、モザイクの消しもれ騒動からどんどん衰退していく現場。編集部でAV撮影というペナルティが課せられて、編集部員が男優として駆り出され、その様子を森は冷ややかに見つめている。そして、後に、激高する。セックスしちゃだめじゃないですか!と……。
それまで感じてきた彼女への違和感というか、一体何を考えてこの編集部にいて、この仕事をしているのかなぁと思っていた矢先の違和感爆発で、何を怒っているのか、この怒りの台詞の意味も判らないし、ヒロインという立ち位置だから本当に、……困惑してしまった。
ここではっきりしたのは、本当にね、彼女がいなければ、結構すっきりと物語を見ることが出来るかもしれないということだった。各部署それぞれの思惑を、少し上から眺めているような感じで見られたかもしれないと思った。
それを、ヒロインが、私たち観客の目線と同じように見て、紹介するような立場でいて、その中で彼女なりの葛藤があるのなら、というか、そういう立場であるべきなんじゃないかと思ったのだけれど……。
本当にね、エロ現場なのにエロが避けられたら、ぼんやりしちゃうよ。創作四字熟語で刺激的な惹句を作り出す森のシークエンスは確かに面白いけれど、可愛い女の子がスケベな言葉をマシンガンのように言ってのけるという楽しさ以上のものはなかった気がして……。
つまりさ、他はほぼほぼ全員、男性社員であり、澤木はいるけれども、ベテラン中のベテランである彼女はもはや男だ女だということを超えた古木のような存在だし。森は、この現場で珍しい女の子、ということから最後まで抜け出せず、それは、成人男子向けのエロ雑誌としてオカズにされる女優さんたちに寄り添えない、どころか、その存在を彼女自身が受け入れられないままだった、と思えてしまう。
元AV女優であるライターのハルとは親友のような関係を結ぶけれども、元、だから、現場には出ていない。リアルAV女優さんが、編集部のペナルティとして撮影に訪れると、森はあからさまに嫌悪を示して、訳の判らない怒りをぶちまける。
……だから、結局森は、エロに対して、エロ編集者として、珍しい女性編集者としてのプライド、いや、エゴしかなかったんじゃないかと感じてしまうのがツラいのだ。ハルの書くエッセイが好きだと言い、やたら文学的な、エロなことを一見言っていながら、霞の遠くでささやいているみたいな、それが所詮、女のエロの程度でしょ、みたいに言われているみたいで、凄く悔しいのだ。
オシャレな表紙が示されるだけの女性向け成人雑誌がまさにそのとおりで、男性向け雑誌に関してもエロは排除してはいるけれども、経験値上、というか、流布しているから、私たちは想像できるじゃない。画面上、写真にぼかしがかかっていたりもするし。
でも、女性向けの成人雑誌として作られているものが、紙面もまったく映されないし、澤木の熱意がどう形になったかが、リアルに観客には伝わらない。だからその後、営業から全く売れないんだとか言われて、攻防戦があっても、澤木や森の女性向け成人雑誌への熱意、つまり、女性のエロへの熱意、それが、今まで男向けばかりだった成人雑誌というフィールドに開かれた女性の、その解放された喜びが、オシャレな表紙だけに閉じ込められて、全然感じられないからさ……。まるで女性のエロは、処女的、乙女チック的に封印されて、所詮女はそんなもんだろと思われているみたいで、悔しいのだ。
それは、森の造形が……まるで処女的に描かれているからというのがどうしても、感じてしまう。初々しい新卒として編集部に入ってきて、思いがけず成人誌編集部に配属され、戸惑いながらもしごかれ鍛えられ、立派なエロ雑誌編集さんになった。でも、彼女は、それこそ澤木が情熱を注いだ女性をターゲットにしたエロ雑誌の意味を、本当に感じていたようには思えなくて。
女性が感じるエロに悩んでいたけれど、結局はそれは人それぞれだから解決できないのはそうなんだけれど、なんかね、なんか……最終的に密かに心を寄せていた先輩編集部員の向井とクライマックスでセックスするのが本作のキモみたいな、そこに至るまで引っ張るみたいな、そんな風にも感じてしまって……。
向井は妻からの、妊娠したいからセックスしましょう攻撃に疲れ果てて、でも一方でライターのハルとはセックスしてて、それに対して森はショックを受け、ショックを受けたついでみたいな感じで、じゃぁ私も、みたいになったんであった。
男女がセックスするってどういうことなのか、セックスに何かあると思っていた?とハルは森に問いかけた。ハルが言うように理由なんかないのかもしれないし、そうじゃないのかもしれない。
エロ雑誌を作るのに経験うんぬんは関係ないとは思うけれど、オシャレ雑誌の編集部を夢見ていた夢見る夢子ちゃんの森、というのが、編集部員としてしごかれ、鍛え抜かれた上でも、そのまんまというか、いや、もっと悪いかもしれない。
セックスの経験もそうだけど、人間としての、人の心の経験が足りないまま、センパイみたいな顔して後輩に指示して、成長してないままだから、思いがけないところでつまづいて、傷ついて、……。
あぁ、良くない良くない。ヒロインばかりが気になってしまって。独立して編集プロダクションを立ち上げたものの、上手く行かなくて自殺に追い込まれた とか、その彼から誘われていた伊勢崎とか、会社の金を横領していた河田局長とか、でもそれは、理想の編集プロを作るためだったとか、廃棄される雑誌が海外で高く売れるとか、国内ではエロは漫画しか売れないとか、いろいろ、いろいろいろいろ、てんこ盛りの要素は興味深いだけに、めちゃくちゃもったいなかったと思う。
マジで、プロジェクトXとかで見たかったぐらい。尺はたっぷり用意されていたし、見た目的にはすべてを網羅していたとは思うけれど、結局は、ヒロインが邪魔だったという皮肉は、いかんともしがたい。だって、向井とセックスしているラブホに、奥さんが乗り込んで彼の首に斬り付けるだなんて修羅場が用意されているんだもの。それはさ……この物語には、いらんやろ。★★☆☆☆
うーむ、奥歯にものが挟まったような言い方になってしまう。うずうず。そりゃここはオチバレ前提でゴメンねということをいつも言っているけれど、それにしても最初から書くのはどうかなとか思って。えーと、もう少し先延ばししようか(汗)。
原作小説が、気になった。その、納得できるかどうかという部分がどうなっているのかを知りたかったから。大オチなんだからそこが違ってる訳ではないだろうとは思ったけれど。
今はありがたいもんで、小説のあらすじをまとめたサイトなんてものがあるんである。すみません、読みもしないでこんなところで確認するなんて失礼千万だし、原作と映画は違うものだということは重々承知なのだが、時々、映画化に際してトンでもない改変をされる場合もあるから。
ほとんどが、きちんと踏襲している。ワキ登場人物の設定をまとめて一人にしているぐらい。そういう意味では真摯な映画作りであると思う。
そしてこの原作は続編も誕生し、人気シリーズとなっていっているという。それを考えると……これがテレビドラマだったら、違ったかもしれないなどと考えてしまう。誤解を恐れずに言えば、テレビドラマが持ついい意味でのおもねりというか、フィクションを前提にしているという暗黙の了解というか。
ああもう、うずうずしすぎだから、言っちゃう。公安がイコール悪だとされているのが、その一点で言わばどんでん返しされているのが、なんだか腑に落ちなかったのだ。
で、これがテレビドラマならば、というのは、テレビドラマを下に見ているように聞こえたら本意ではないんだけれど、あくまでフィクションとして、エンタメとして、公安は悪、と描けるメディアなのかなと思って。
公安でなくても、かつての刑事ドラマで、キャリアとたたき上げとか、そういう図式が明確に示されるのは、エンタメとしてのドラマだった。それは決して、リアリティという部分ではない、いい意味で。
で、映画となった本作は……原作小説は結局私は未読だからそんな言えた義理はないんだけれど、リアリティマンマンで描いているから、公安は自身の正義を貫くためなら多少の犠牲、人の命さえ葬り去るというのを、まっすぐに言っちゃってるから、えぇ……いいのいいの、だって公安って、実際にある機関なのに、こんなマジな瞳の杉咲花氏に言わせちゃっていいの、とか思っちゃったのだ。
ああだから、これがテレビドラマならね!この“事務職のお嬢ちゃん”森口泉が警察官となって、自分の正義を信じて闘っていく成長を楽しめたのに。その場合は、相手は公安のみならずだったかもしれないし。
いい加減、物語に行こう。女子大生へのストーカーの末、殺人を犯した神職の男が逮捕された。ストーカー被害がずっと受理されず、しかもその間慰安旅行にまで出かけちゃって、その矢先での悲劇だったもんだから市民からの苦情が殺到。
慰安旅行に出かけていたということを、警察署で事務職についている泉は、新聞記者である親友の千佳にふと漏らしてしまい、慌てて、これは記事にしないでよ、と言っていたのに、ばっちりすっぱ抜かれたもんだから、泉は親友を疑ってしまう。
傷ついた顔をした千佳は、疑いははらすから、と言って……水死体で発見された。一見事故に見えたけれど、そう見せかけられたという証拠が残っていた。そこから芋づる式に、実際のネタ元であると思われた派遣社員の女性も自殺のような形で葬り去られる。
そもそも被害届を受理していなかった署員の様子がおかしかった、のは、その派遣社員女性との関係もささやかれていたけれど、突然辞職してしまう。泉は親友への贖罪の想いもあって、この事件を解決したいと個人的に動き始めるのだが……。
まさに、“事務職のお嬢ちゃん”の奮闘記であり、このそもそものスタンスにフェミニズム野郎の私は色々言いたいこともあるけれど、原作においてはこれから始まるシリーズの旅なのだと思えば、事務職から警察官となることを決意する本作のラストなのだから、そこはぐっと飲み込まねば。
ストーカー被害を受理しなかったのは怠慢ではなく、どこかからの圧力があったことが、次第に判ってくる。
被疑者がカルト信者であることが明らかになったことで、教団がその事実を隠したいために圧力をかけてきたんだということに、中盤あたりで落ち着くんである。
結果的には、てゆーか、泉の考え、泉の上司の富樫(ヤスケン)に言わせれば、なんの証拠もない、妄想に過ぎない、まさにそのとおりなのだが、つまりは公安の仕業だと。
公安の考え方は、大勢の犠牲を産み出さないために、少々の犠牲は仕方ない、どころか、必要なのだと。カルト教団によるテロを防ぐためには、そのカルト教団の信者をスパイに雇って、その存在を知ってしまった記者の一人や二人は、闇に消し去るのが公安の正義なのだと。
千佳だけではない。ストーカー被害の受理を圧力によって伸ばされていた署員の交際相手、派遣社員だった女性も、殺された。ネタ元として突き止められ、千佳が接触した相手。
そして千佳は、親友の上司として信頼できると話にも聞いていた富樫に、こともあろうに富樫に、相談してしまったんであった。カルト教団の圧ではなく、その信者をスパイに使っている公安の圧なのだということを。
彼女は知っていたのだろうか。富樫が元々公安だったことを。少なくとも泉は知っていたのか、この件で知ったという感じではあったかもしれない。だから、千佳はそりゃ、知る由もなかったかもしれない。
それが、それほどの重大なミステイクだなんて、思いもよらなかった。やり方が違えど、人の命を重んじる正義は一緒だと思っていたに違いないから。まさか、多勢の命のために少々の(という言い方もイヤだが)犠牲を何とも思わないとは、思わなかったから。
この部分、なんだよね。公安。どこか都市伝説気味に語られるのは、確かに現代でもそんな感じはある。ピンと来てなくて、ついついウィキなんぞを覗いてしまうと、要出典だらけで、本当に都市伝説みたい。
確かに存在はしている筈なのに、そんな風に得手勝手に悪者にされても文句も言えない、言わない秘密結社みたいな。戦前の話で出てくる特高警察みたいな理不尽さで本作でも描かれているけれど、そことも系譜がつながっている的な論調は本当なのかどうかさえ、無知な私には知りようがない。
でも、その論調をフィクション的面白さに転換して、公安には何も文句は言えないだろ、みたいな大オチ披露に見えて鼻白んでしまう、のは、考えすぎなのだろうか??
これが、続編にもつながっていくシリーズなのだから、先述のようにテレビドラマのように長いスパンで描かれるのならば、と思う部分がいくつもある。その一番は、泉を慕っている後輩男子である。
あきらかに恋の感じだし、好きな先輩を助けたい一心。もちろん、自分の上司である、圧によって被害届の受理を遅らせ、世間の批判を一身に浴びている辺見を心配する気持ちはあるのだけれど……。
絶妙に印象が弱く、なのにウロウロしてるから、コイツがなんかキーマンなのか、ネタ元とか、宗教団体とつながってるとか、そーゆーどんでん返しなのかと勘繰っていたら、全然違って、フツーに泉に恋してて心配しているだけだった(爆)。
シリーズならね、今後成長するスパンを見られることもあるんだろうけれど……言っちゃなんだが、ジャマだったな(爆)。このシリアスなお話の中で、ただピュアすぎて、誰の助けにも結局ならないし。
ヤスケン演じる富樫、元公安で泉の良き上司が、最後の最後に泉に喝破されるように、真実をかぎつけた、つまりそれだけ優秀な人たちを、公安の正義によって虫けらのように殺したことが、あくまで泉の妄想として語られる。
富樫はかつて、このカルト教団による毒ガス事件を防げなかった。慎重に監視していたのに、目の前でリンチされている信者をうっかり助けてしまったことで、公安の監視を知った教団が事件を早く起こしてしまった。
まさに、アレである。あの教団であり、あの事件だ。こんな、思いっきり本気の事実の事件を、フィクションとしてでも示されると、何も言えなくなる。千佳を皮切りに幾人もが、再びの悲劇を封じるためという、聖なるいけにえのように公安によって葬られた。そんな図式を示すなんて。
千佳を殺させたのは、富樫がリンチから救った青年、浅羽だった。スパイだった。泉や、事件を追う血の気の多い刑事、梶山(豊原功補)も、結局は富樫にしてやられたのだった。
でもさでもさ……浅羽が千佳を殺した犯人だと。それは、千佳の爪の間から検出された皮膚片が、浅羽が喫茶店で残したタバコの吸い殻から採取したものとデータが一致したから確実。
梶山は意気込んで浅羽逮捕に向かうのだが、あまりにも浅薄。上司から慎重に行けと言われていたのに、逃げ出した浅羽をカーチェイスよろしく追いまくって、事故らせちゃって、真相は闇の中、だなんて、浅はかすぎる。
確かに梶山のそうした、短気なキャラは示されてはいたけれど、これはないなぁと思ったなぁ。だってそこまで、なかなか手がかりがなくて、それこそ彼が言う、事務職のお嬢ちゃんの頑張りによってたどり着いた重要参考人なのに。逃げだした相手をあんな猛追したら、そりゃそうなるのは目に見えてるじゃんねぇ。
本作の、原作が、その後シリーズとして続くということが判ればすんなりと、あのクライマックスの恐ろしさは、飲み込める。泉の思う推測は、富樫言うところによれば妄想であり、今はまだただの事務員である泉には、富樫を看破することはできないのだと。
本作は一本で完結してしまう映画作品だからこそ、その後は待てないからこそ、都市伝説のように公安を扱い、秘密結社の悪で決着するような結末にリアリティを感じることができないのだ。
そしてそれは、かつて恐ろしき真の事件として震撼させたカルト教団の事件を、そのまんまを想起させる教団を登場させるのだけれど、それこそがリアリティがないというか……。
なんかね、テーマパークか、ライトノベルか、エロイムエッサイムとか言いそうというか(爆)。
薄暗い中での宗教的祈りをささげるシークエンスは、彼らが洗脳されている、狂っていると、判りやすく示す。そのとおりなのかもしれない。でも、宗教を信じることそのものが憲法によって保障されていることを鑑みると、ある特定の宗教を信じている人たちを、そうじゃない人たちが洗脳や狂気だと断じることこそがおかしい。
他から見たら洗脳や狂気だとしても、彼らにとっては普通の、日常に他ならない筈で、だったらあんな、おどろおどろしい、薄暗い中での儀式とか偏見に満ちている。あの白い宗教服はまぁあるのかもしれないけれど、きっともっと普通の、日常に違いないのだ。そこを理解した上でなければ、あの事件は、真に解決できないと思うし、本作で描かれたように……団体マークや、呪術的な儀式に終始してしまって、一人一人の人間の顔は、見えてこない。
私は一体、何が言いたいのか、判らんくなってきた……。決して決して、もしかしたらホントにそんな公安や、忘れられないあの事件を起こしたカルト教団を擁護をするんじゃないんだけれど……。
記号化されてしまって、悪だと判りやすくされてしまって、顔が見えなくなったことが怖くて。そして、それを、若くて可愛い女の子が正義で斬って捨てるのが、怖くて。正義に、見えちゃうだけに。★★☆☆☆
あぁ、上手く言えない。でもまさに黒沢清節だと思った。題材はいかにも今という感じはするけれど。
菅田将暉氏演じる吉井は転売ヤー。転売ヤーと発音していたと思う。公的?に言えば転売屋だけれど、転売ヤーだと自称する彼の心理は、その時点で自嘲が相当加わっていたと思う。
それはつまり、商品を買っている人たちのことが人として見えていない、この仕事(とさえ思っていたのだろうか)に誇りを持っていないんだから、購買客をお客様としてなんて、思っていない。
それこそがめちゃくちゃ根源的なこと。なんかこんな風に書くとメッチャ道徳的でハズかしいけれど、でも、今の顔の見えないネット社会、SNS世界は、そんな泥臭い基本的なところでシンプルに分析出来る気もしている。
吉井には恋人、秋子がいて、半同棲している風である。演じる古川琴音氏が、意外に彼女が一番、怖かったかもしれない。
後から思えば最初から、彼のことを愛してなどいなかった、金づるだと最初から思っていた、パニックになりそうな事態でも、表面ではそんな顔をしながら妙に冷静で、クライマックスあたりになると、この子なんか違うぞ、おかしいぞ、とょうやく判ってくるのが怖くて。
女は怖いなどという古臭い表現がちらりと頭に浮かんだが、古今東西、確かに女はこんな風に怖いのだ。
そう考えると、彼女以外は全員男なんだよね。そう考えると……吉井は、吉井以外の男たちも含めて、彼女を、つまりは女を、なめていたのかもしれない。おっと、ついついどんな時でもフェミニズム野郎発動だが、でも、少なくとも吉井は、彼自身に自覚があったかどうかは判らないけれど、確実にそうだった。
もうオチバレで言っちゃうけど、彼女が銃弾に倒れてしまって涙にむせぶけれど、その直前まで彼女のことを思い出しもしなかったし、自身が命の危険にさらされているというのに、それがちょっと一段落したら転売した商品がさばけているかどうか気になっていた、とスマホをチェックする始末で、全然、ぜんっぜん、彼女のことなんて気にしてなかったやん、という……。
でも、彼女はそんなことは承知、というか、彼女こそが吉井の稼ぎによって働きもせず、好きなものを自由に買い、自由気ままな人生を夢見ていたからこそ、こんな男と付き合っていられたのだ。
高専時代の先輩、窪田正孝氏演じる村岡に紹介される形で転売ヤーになったらしい吉井は、一方でクリーニング工場での正業にもついている。そこで見込まれて管理職への昇進を打診されるのだけれど吉井はめんどくさげに、辞めてしまうんである。
一方で先輩の村岡に、危ない橋を渡るばかりの転売ヤーを脱して、新しいオークションサイトにいっちょかみしないかと誘われるも、これもまた色よい返事をしない。
確かに村岡の話はいかにも山師っぽくて、実際その後の村岡の様子を見れば、ああこれは失敗したんだなと想像出来るから吉井の判断は賢明だったんだろうけれど、でも……。
吉井は誰も信用していないし、自身の生計を立てるための仕事に対してさえ、信用してない。人を信用しないというのも問題はあるけれど、自身を生きながらえさせるための仕事に対して信用していないというのが、これが、本作の大きなポイントだと思うのだ。
でも、一見して本作のキモは、顔の見えない憎悪が膨れ上がるネット、SNS社会と言えるのだから、私の考え方はいかにも昭和的な、仕事至上主義の古臭いものなのだろうか??でも、本作で強く思ったのは、生活していくために、欲しいものを何でも買えるために必要な金を得るために、仕事という、自分を切り売りすることへの、病的なまでの嫌悪感であった。
仕事での達成感がなければそりゃぁ、そう思うだろうと思ったし、仕事での達成感というものなどある筈もないと、それが前提だと彼らが思っていることが、そもそもの根底だとも思えた。
吉井もそうだし、やっぱり強く感じたのは恋人の秋子だった。彼女はクライマックスに至るまでは、吉井の恋人というスタンスでしかないから、しばらくその脅威に気づかないのだ。
本格的な転売稼業に没頭するために、山奥のだだっぴろい、かつてはどこかのオフィスとして使われていたような一軒家に引っ越す吉井。ついてきた秋子は最初こそはその広さにはしゃいでいたけれど、豪華なキッチンも使いこなせないし、アルバイトに入ってくる佐野君を敵視したりと次第に正体を観客にむけてあらわしてくる。
なんたってこの佐野君こそが曲者、というより、本作における最大の驚き、というか、キーパーソンで、吉井も秋子も、そして観客も彼を見くびりまくっていた訳なのだが、それにしても、一体彼は、何者だったのか??
……というのはキモもキモ、大キモなので、ちょっと休憩。本作は、結果的にはホラーじゃないのに、妙にホラーめいた描写にドキドキとさせられる。
窓ガラスに投げ込まれる自動車部品、ガラス窓越しのマスクをした不審者、結局はそのどれもが、ほんの雑魚たちの仕業だと知れるのだが、本当にそうなのか、布石じゃないのかと観客側は締め上げられるように怖さを蓄積されていくので、本質の怖さが他にあることに、最後の最後にならなければ気づけない。
登場した時には誰もが、なんてことない脇役だと思った佐野君。最もそう思っていたのは、雇った当人の吉井であったろう。なんたって誰も信用していない、だからこそ恨みを買いまくってこんな事態を招いた張本人なのだから。
佐野君は、一度は都会に出たものの上手く行かず、過疎が進んだ田舎町に舞い戻ってきたんだという。その一点で吉井は軽んじて、ただ雑用に便利なだけだと思っていただろうし、観客もそう思わされてしまった。
でも有象無象の憎悪が吉井に向けられ、ピンチに陥った時、追い払った佐野君がさっそうと現れ、しかも完璧に武装し、後半はそんな具合に、ガンアクションになり、まるで違う映画のようになっちゃうんである。
佐野君が吉井を救うためのアイテム、スマホを特定するためのiPad、何丁もの拳銃を、東京のどこかの駅のホームで、ここだけの登場とは豪華すぎる!!松重豊氏から受け取る。
何かの組織、何らかのための働き、佐野君はただものではなかったということなのだけれど、じゃぁ一体なぜ佐野君は漫然と田舎町にいて、偶然吉井に雇われたのか、最初からそれを見越して近づいたのか、だとしたら彼や彼のバックの組織が得るメリットはなんなのか。
他の人たちはね、なんとなくわかるのさ。吉井の前の職場の上司や、商品を安く買い叩いた工場の経営者や、まぁその他あれこれ、吉井のあこぎな稼ぎによって人生を狂わされた人たちと、それに乗っかっただけの人も含まれているだろうあたりが何とも絶妙なのだけれど。
本当に、佐野君は一体何者だったんだろう。田舎町でくすぶっている、単純作業しか任せていない青年だと思っていた。パソコンの中を覗き見られて、助手気取りされて、勝手なことをするなと吉井は彼を解雇した。
都会の人間、転売ヤーとして稼いでいる自負、そんな、言ってしまえば些末なことを、田舎町の青年だということで、当然自分の方が上だと、吉井は思っていたに違いなかった。そして、恥ずかしながら、観客である私もそう思ってしまっていたのだった。
だからこそ、それが覆されるクライマックスで驚かされたからこそ、だったら彼が何者だったのかと、当然明かされると思っていたのに、何一つ判らないまま、謎のまま終わったことにこそ、驚愕したのだった。
それは、まるでそんな心理を覗き込まれているようにも思った。相応の人物である筈、そうでなければいけない。だって、こんな俺様が、一時バカにしてしまったのが、こんな俺様を、救い出すだけのサプライズな存在なのだから、何者なのか、教えてくれよ!!という……。
でも、判らない、教えてくれない、佐野君は、雇われた時から変わらない、ご主人様を命の危機から救い出す、彼の恋人を銃殺してまで。
その態度は、純朴なだけの青年と思われた時から、一貫して変わらないのだ。ただ、雇い主の吉井を守り、救い出すことだけ。
これは、相当に怖いのではなかろうか……だって動機が判らないままなんだもの。結局佐野君はプロフェッショナル御曹司ということなんだろうけれど、吉井に雇われ、吉井を守ることに命を懸けたことが何故だったのか、まったく、全然、示されない!!怖い、怖すぎる。
なんかうっかり言い損なっちゃったけど、吉井と先輩の村岡との関係、というか、確執こそが、転売ヤーとしての人生を歩み始めた吉井の運命の始まりだったと思うし、劇中、最後の最後は村岡とのバトルにもなるんだけれど、そうだっけと思うぐらい……もうこの時点で既に、佐野君の空恐ろしさに、彼は何なの、何のために、何者なの??と疑問いっぱいになってるもんだから、村岡センパイのご登場とその後のクライマックスも、うまく心がついてけない。
そして恋人の秋子も死んでしまい、そもそもここに至るまで、それまでは全くそんなことを考えもしなかった、ネット世界に生きているだけだった吉井が、銃をぶっぱなしまくり、人を殺しまくる。
しかもその屍たちを、見くびりまくっていた佐野君の組織がきれいさっぱり始末してくれるというのだ。吉井が生きてきた、顔の見えないクラウド世界、その恐怖を存分に味わい、それを始末してくれたのが、これまた顔の見えないどこかの世界。
これが昔なら、ヤクザ、暴力団、今風なら半グレなどというところだろうが、どうやらそれでもないらしい。何か、何か、まるで御伽噺。それは、吉井と佐野君がすべてを隠蔽してどこかへ向かう車の中、その車窓が完っ全に非現実的で、まったく車窓が動いてなくて、佐野君は一体吉井をどこに連れていくつもりなの??と思ってしまうような、どこか安っぽさも感じるCG的風景で。
あぁ、怖い、怖い怖い!何一つ回収できない!!でも一番怖かったのは、おざなりに恋人に接していた吉井が、いざ彼女の方が彼を冷徹に切り捨てると、実は彼女のことを愛していたんだとばかり、それはきっと捨てられたことでプライドが崩壊してショックを受けただけなのに、愛情を捏造しやがるとこなんである。フェミニズム野郎はどうしてもそーゆーとらえ方をしちゃうんでね。すまんすまん。★★★☆☆