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湖の女たち
2024年 141分 日本 カラー
監督:大森立嗣 脚本:大森立嗣
撮影:辻智彦 音楽:世武裕子
出演:福士蒼汰 松本まりか 福地桃子 近藤芳正 平田満 根岸季衣 菅原大 土屋希乃 北香那 大後寿々花 川面千晶 呉城久美 穂志もえか 奥野瑛太 吉岡睦雄 信太昌之 鈴木晋介 長尾卓磨 伊藤佳範 岡本智礼 泉拓磨 荒巻全紀 財前直見 三田佳子 浅野忠信
この重層構造は、確かに映画というより小説なのだ。原作小説で読んでいたらきっと私は、行きつ戻りつしながら楽しんで読んでいただろう。いや、楽しむなんていう内容ではないのだけれど……。
核となっている介護施設での高齢者殺人事件は、殺人事件という重さは充分だけれど、やはりそれ自体ではなく、それによって引き寄せられる磁気嵐のような、あらゆる人間の罪と愛憎にある。
本作は松本まりか氏と福士蒼汰氏のダブル主演となっているけれど、彼らの愛憎はむしろこの核からは奇妙に離れているようにも思い、だからこそひどくなまぐさい。それが、凄いと思う。
事件のあった介護施設の介護士が松本まりか氏、そこへ捜査に来る刑事が福士蒼汰氏。松本まりか氏が意外ともうそんなお年であることを知り、ちょっとビックリする。
いやそれは、本作の設定には別に関係ないんだけれど、いや関係あるかな……確かに明らかにこちらの方がぐっと若い福士蒼汰氏に、自ら望む性奴隷のように釣りあげられてしまうという図式なのだから。
福士蒼汰氏には結構ビックリする。私がドラマを観る機会がないせいもあるのだろう、いまだにあまちゃんで止まっているというか、すがすがしいイメージが固定されてあったから。
なかなかのクズ男で、深夜家の周りをうろついたり、俺に会いたかったと言えとか、署内の密室に引き寄せてエロエロキスがなかなかにやばく、呼びつけた彼女を睨みつけながらシコシコやる場面もサイコーである。サイコーというのもなんだが……こんな鮮やかなイメージちゃぶ台返しには久しぶりに遭遇した気がする。
でも先述したように、彼らの生臭い愛憎はこの事件に渦巻く磁気嵐のあだ花のような美しき醜悪さなのだ。
福士氏演じる濱中圭介の先輩刑事、伊佐美こそがキーマン中のキーマンであったと思う。これまたイメージをがらりとくつがえす、ガラガラ声で、雑でこすからい中年刑事を余裕たっぷりに演じる浅野忠信氏に仰天する。
当時宿直に当たっていた介護士の一人、松本郁子(財前直見)にロックオンし、皆が怪しいと思ってるんだから、コイツが犯人でええがな、みたいなことをヘーキで言う。一人犯人を作り上げてしまえばそれでオッケー、裁判とかなった先は知らんがなという態度。
その軽率さが後に、松本から、そしてマスコミからの逆襲に遭うのだが、ここ数年、めっちゃ昔の冤罪事件が次々に取りざたされて思うのは、まさにこの図式だったに違いないのだ。
だから伊佐美の愚行はなんなん、今でも改められてないんかと思ったところで、昔、薬害事件を追い詰めた矢先、見えないどこか上からの圧力で握りつぶされたという地獄の経験が明らかになる。本当にその時、彼は自分の命を差し出してでも、その虚しさを示そうとしたぐらい、それぐらい、彼はそもそもは真摯な刑事だった。
そしてこんな偶然あるかいなと思うが、この薬害事件に関わっているキーマンの一人がこの、介護施設で人工呼吸器を止められて殺された市島民男であり、そっから……これがオドロキなのだが、戦時中の731部隊、人体実験や生物兵器という壮大な、というか……苦しすぎる重すぎるテーマに行きつくんである。
これには、ビックリする。だって、介護施設の殺人事件、警察の雑な捜査による犯人捏造、なんかビビビと来て愛欲に及んじゃう若手刑事と介護士の女。そんな中にぶっこまれるいきなりの重厚なテーマなんだもの。
唇をてらてらとさせながら、はぁはぁと濱中の調教に釣られる松本まりか氏演じる豊田佳代に、おめーなんなんだよ!とか思っているうちに、段々となんだか、違う展開になっていく。
豊田佳代とは真逆のキャラ、正義を追い求める週刊誌記者として、これは確かにイメージぴったり、福地桃子氏演じる池田は、取材をする先……伊佐美にも伊佐美の上司にも、こんな若い女の子かよ、という態度を露骨にとられる。原作では男性記者だったということだから、ここはこの台詞を言わせるために変えたんだろうかと思う。
看護師より介護士が給与面も含め軽んじられる現場、若手刑事がベテラン刑事に小突かれながら意に染まぬ尋問をする現場、いろんな、いまだにこんな、という現場が、確かにいまだにそうだと思われる現場が描かれ、その遠い遠い過去には、人間が人間とも扱われなかった人体実験の黒歴史がある。
しかもその黒歴史は、それを見てきた子供たちにも及んでいて、あれは……池田が取材した、市島の妻が見てしまった当時のハルピンでの何かは、子供が、大人たちのおぞましきそれを模倣して、きっとそれを、望ましき未来への希望として、犯してしまったのだろうと思われる。
ロシアの女の子と、日本の男の子を、凍死させた出来事で、それは闇から闇へと、葬られた。
この暗く黒い歴史、遠い歴史につながっていると思わせ、実際はつながってはいなかったけれど、100歳に近い老人を殺すのも、ローティーンの子供たちを殺すのも、子供たちだった(推測の域を出ない、というスタンスだけれど……これが、ニクい)。
そして理由はきっと同じ。これからの未来のために、必要ないから。後者は、これからの未来のために役に立ってもらってから、みたいな意味合いが含まれているのが、更に恐ろしい傲慢であった。
でもどれもが、推測でしかない。もう一つの介護施設での殺人事件が発生して、濱中と伊佐美は窮地に立たされる。てゆーか、伊佐美はそもそもやる気がないし、濱中から、松本さんじゃないんじゃないかと言われたって、いつものように頭を小突くだけだったのだから。
濱中にしたって、誰にしたって、怯えているっていうだけで松本さんが怪しいと据えちゃうだなんて、おかしいと判っていながら止められなかった。まさにそれは、あの薬害事件を立件直前に阻止され、この署内は腐った気持ちが充満したままここまできていたから。
記者の池田が、編集部内の力も得てギリギリのところまで肉薄し、掲載直前まで行くのに、ここにもまたどこかからの圧力がかかる。伊佐美にそれを愚痴る。伊佐美さんとは比べようもないだろうけれど、同じ気持ちを味わいました、と。
……こうして書いてみると、ここに至ると、ダブル主演の筈の松本氏、福士氏の両キャラが、本作の成り立ちの中でなんという違和感、異物感、だろうと思うのだが、そう思いかけたところで……彼らの生ぐささ、説明のつかない欲望を、決して他人には見せないまま遂行するこすからさが、歴史的愚行につながらんでもないというか……末端の愚かさが、歴史的愚かさにつながっているかもしれないというか。
いや、でも判らない。濱中と豊田の愛欲は、何の生産性もない。あっ……生産性もない、だなんて、フェミニズム野郎の私が最も忌み嫌う言い方だった。そして……本作の、キモ、大オチに関わるんであった。
決して決して、真実、犯人が誰か、という意味合いでの真実が、明らかになる訳ではない。でも、無邪気な悪行に向かう動画を残してしまうあたりがワカモンの隙。
池田はその動画から、ベテラン介護士の孫娘の犯行であることを確信する。街中の防犯カメラを確認してほしいと伊佐美に懇願するも、一蹴され、その後更に追いすがると確認したけれど、不審人物はいなかったと、言った。
不審人物、は、いなかったと。池田は中学生……と言いかけたけれど、そもそも聞く耳持たずだったことに、彼女自身が気づいて、それは、伊佐美がことさらに、彼女に気付かせようとしたのかと、今書いてみて、思ったりしたが……どうなのだろうか。
濱中が窮地に陥っていることを知ったからなのか、いや、濱中に調教されてちょいとイッちゃってる豊田を持て余しているような感じに、このあたりになるとなっちゃってるのが、なんだろう……そういう女はいるだろうけれど、ちょっと、男性作家による女性キャラづくりを感じたりもしなくもない。
豊田佳代は父親との二人暮らしで、父親が再婚相手と新生活を営むために家を出るのを見送っている。新しい奥さんが嫌がるんだから、と、元妻、つまり彼女にとってのお母さんの記憶を消し去ろうと努めている。
そして、今、父親と二人暮らしていた古い一軒家に一人暮らしである。その隙間に、濱中が、中学生のように窓に石を投げるスタイルで、でもその中身は触れたら電気が走るようにもう、したいしたいしたいみたいな、どうしようもない愛欲の運命に落ちてしまった二人なんである。
なんかね、豊田は、介護士としてキツい業務をこなしているし、先輩たちからの信頼も篤いし、こと社会的見地からは、何の問題もない女性なのだった。でも……ああ、こんなこと言うのは、フェミニズム野郎としては、言いたくない、忸怩たる思い!!
二人暮らしだったお父さんを見送った、それも、パートナーを見つけたお父さんを、という図式。これまでは一人で平気だった。てゆーか、一人が気楽だったということかもしれない。お父さんと二人暮らしも幸せだった。私がお父さんを世話してるぐらいの気持ちだった。
なのに、その役割を奪われ、そうなると、一人が気楽だったという前提も崩れた。お父さんがいての一人が気楽だったというワガママ、そして今、濡れた子宮の奥をどうしようもないままに、ヤリたい男のために、浅い呼吸をしながら、鼻と唇をてらてらさせながら、やってもいない殺人を自白しちゃうまでに、なっちまったのだった。
濱中から手錠をはめられ、湖に飛び込めと言われ、助けるから、俺が信じられないのかと言われて、ついに水中に飛び込むシークエンスは、正直……その後、彼に助けられ、何で助けたの!!とか咆哮する彼女に、うーむ、判らん……と思うばかり。
すみません、あまりにも判らないことが多いもんで、ネタバレ解説めっちゃ探っちゃったんだけれど、原作に描写されていることを読めば、そうか……なるほど……と思わなくもないのだが、でもどうだろう、そうかなぁ。殺されるかもという状態で水の中に落とされて快感を感じる、そんな究極、あるのか……あるのかもしれないが、それこそ、小説の中ならば、というぐらいの究極。これを映像作品で納得させるのはなかなか、難しい。
ラスト、ハルピンの雪原での子供たちの行列行進が、もしかしたら殺人に手を染めてしまったかもしれない、美少女とその取り巻き男子たちの行進に重なる。まだほの暗い早朝、名目は野鳥観察。実際に、そんな清新な活動をしているのに、なぜ。
でも彼らは、昔の子供も今の子供も、このおぞましき行為に正義、というか聖なるものを感じているのか。池田にニヤリと笑ったあの美少女!なんということ!!
とても、難しくて。あの御大、三田佳子氏までも召喚して、恥ずかしながら私、知らなかった731部隊の闇を掘り起こす、原作、そして映画となる本作は、本当に素晴らしいと思った。知らなかったことが、恥ずかしかったから。こういう事実に、映画はいつも、直面させてくれる。★★★☆☆
それぐらい、石原氏が凄くて、でも夫も、弟も、取材する記者も、マスコミや一般社会までみっちりと外堀を埋めているからこそ、彼女は思う存分狂いまくれたんじゃないかと、そういう安心感じゃないけど、そんな気さえ、してくる。
幼い娘が失踪した。公園から自宅までほんの数百メートルの間に消え去った。ビラを配ったり、テレビの取材を受けたりして夫婦は必死に娘を見つけ出そうとするが、いっかな手がかりがなく、世間の関心も次第に薄れていく。
既視感がある。こういった事件や経過はよく目にする。辛く哀しいけれど、ある一定数ある事件、そんな風に頭をよぎる自分にゾッとする。
そしてそこに食いついていくマスコミ。マスコミといっても、地方の小さなテレビ局で、大した事件も起こらないこの穏やかな町では、彼らはスクープをとってキー局に転身することを虎視眈々と狙っているのだ。
新入社員として入ってきた女の子も、すべてのキー局を落ちてここに来たことを突っ込まれて正直に首肯し、でもこの局のスタイルが好きだとかなんとかあからさまな面接おべんちゃらを言って、言わなきゃいいのに……観客のこっちだって判っちゃうよと、鼻白んでしまう。
地元政治家の下世話なスキャンダルをつかんだ若い記者は、得意げに鼻をうごめかす感じがありありと判ってしまって、先輩記者である砂田(中村倫也)はこの後輩を穏やかにたしなめるものの、結局この後輩はそのスクープを引っ提げてキー局へ転身していくんである。
娘が行方不明になった母親、沙織里は砂田に一身にすがっている。この小さなテレビ局にとっても、もはや手あかのついたネタなのだけれど、砂田の真摯な態度に彼女は一縷の想いをもってすがっているのだ。
内情をこうしてつぶさにみれば、砂田はある程度は沙織里たちの気持ちを考えてくれていることはそうなんだけれど、でも彼もまたテレビマンだから、事実を伝えるという一見正義めいた名目をいくらでも捻じ曲げているマスコミを、歯噛みしながらも止めることができないのだ。
ことに大きかったのは、沙織里の弟の存在だった。最後に娘といたのが彼だった。見るからに不器用そうな男子。男、というより、男子というほどに、幼さを感じさせた。それは、何事も起こらなければ、彼の良さを発露できる場面はいくらだってあっただろうと思わせるようなもろさだった。
実際、彼は姪っ子を愛していたのだ。沙織里の執拗な攻撃に疲弊していく弟君に同情しながらも、証言も二転三転、余りにも口下手で取材を受けたらアヤしさ満点の彼に、観客でさえもイライラとしてしまい、マスコミの、あいつが絶対犯人だって、という決めつけに腹が立ったけれど、そう見られたって仕方ないなとか思ってしまうようなあまりにも弱く不器用な男子。
だから、目くらましされちゃったのだ。生きていく力の弱い男子だと。そらぁこんなコワいねーちゃんに死ね死ね言われてかわいそうだが、本当のことを言わないんじゃしょうがないよとか、正論ぶったことを、見ながら思ってしまったし、実際、劇中のマスコミもそうした侮蔑の目で彼を見ている。
彼自身の気弱な優しい性格もあるし、タイミング悪く先輩から違法賭博に誘われたりしたことも後々明らかになる。愚直な仕事ぶりは職場でも重宝されているようだったし、何よりその賭博に誘ってしまった先輩が彼を心配して、申し訳ながって、そんな存在が一人でもいることが、彼が、自分自身でも上手く生きられない人間だったとしたって、生きていくんだと、その権利を得ているんだと、当然だと思わせてくれる。でも世間、今はネット社会というものが、お前なんか死んでしまえと、平気で言ってくるのだった。
夫役の青木崇高氏がまた素晴らしくて。妻の沙織里、演じる石原さとみ氏がさ、もう情緒不安定にもほどがあるというか、努めて冷静に対処しようとする彼に、なんでそんなにヘーキでいられるのかとか、もう常にそんな感じで当たりまくる。
当時、沙織里は推しグループのライブに行っていた。久しぶりだった。弟に娘を預けて、忙しい育児の疲れを癒す、自分へのご褒美。もちろん夫も承知で送り出したし、弟だって、そう……ラストに、叔父さんと姪っ子のなんと仲が良く、愛があったのだということが示されたら、何の心配もなく、預けたに違いないのだ。
このラストが示されるまでは、沙織里の、演じる石原氏のあまりな逆上っぷりと、弟の挙動不審っぷりに惑わされていたから、スクープを撮りたがるマスコミに煽られる形で、更に隔てたスクリーンのこちら側の観客でさえ、弟が怪しいかも……などと思ってしまっていたのであった。
もうねぇ、本作は、あらゆる重たいテーマのつづら折りなのよ。弟君は、実は、幼い頃に知らないオジサンに車の中に連れ込まれて触られた、というイヤな経験があった。マスコミやネットに断定されるような、コイツが犯人だろ、というような危うさは、幼い頃のトラウマ記憶や、事件当時の自分自身の行動を隠蔽してしまうようなもろさがあれこれ絡まってしまったものなのだった。
こうした繊細な事情は、少なくともリアルタイムではマスコミに取り上げられることはほぼ皆無であろうと思われる。
捜査をしている警察側は、当事者家族やマスコミに伝えられる筈もないそうした事情を当然抱えていて、その情報を得るのが当然の権利のように乗り込んでくる当事者家族やマスコミに、苦々しい想いを抱いている。
これは、新鮮な切り口であるように思う。こうした事件的ミステリ作品は、大抵警察はポンコツで、都合の悪いことを隠蔽していて、マスコミや家族側がそれを暴いていくみたいな、そうしたスタンスが多かったように思う。
本作は、もう最初から、この娘ちゃんは見つからないんだろうなと、不思議と観客側に思わせる雰囲気があって、だからこそ警察側の、いわばカスハラに対応しているような苦しさを味合わせてくるのだ。
もうひとつの、失踪事件が勃発するんである。あまりにも、似ている事例。そうなると沙織里は、同じ犯人が幼い女の子たちを監禁しているんじゃないかと思って、思いたがって、その女の子の捜索活動を始めるんである。
これはね、どうなるのかと思った。明らかに、客観的に、沙織里の娘の事例とは違った。母親の恋人が腹立ちまぎれに起こしたことだと思われた。
でも、沙織里の娘ちゃんの失踪だって、彼女の弟が疑われたのは、確かにこうした、シンプルというか、ゲスな思い込みであったことを考えると、これはなかなかに厳しいんである。
だからこそ沙織里は、テレビでも言っているんだからそうだろうけれど、でももしかしたら、という根拠は、そこにあったんだろうと思い当たると、うわー、凄く難しい!!と思って……。
この別の失踪事件と同じように世間から犯人と疑われている実弟は、でもそれがあり得ないことは、彼女自身が判っていた。結局、そこに尽きるんだよね。最後まで一緒にいた、なのに家まで送っていかなかった。違法賭博をしていたからだと、それを隠そうとしてあやふやな証言をしていたんだと。
お姉ちゃんである彼女にとっては、そんな事象はどうでも良くって、この弟が、自分の娘をどうにかしたとはみじんも思っていないということが、劇中ではあまりにも沙織里、演じる石原氏が狂っているので判りにくくなっちゃうんだけど、この一点だけは、ゆるぎない、信じているという以上に、それは当たり前の事実だとしていることが、後々考え併せたら判ってしまうと、なんか風船の空気をシューと抜いたように、ああ……あれこれ思ってしまうのだ。
見てる時にはさ、お姉ちゃんの弟に対するキッツいあたりがヒドいと思った。喋ることが苦手な弟に取材をムリに受けさせて、コイツがやったんだろ、というのを、マスコミ通じて世間に伝播させて。
でも彼女自身は娘の手がかりのためにとしか考えてなくて、弟がどんな境遇にさらされているか想像もしてなくて、あまりにもヒドい狂乱なお姉ちゃんだけど、つまりこの一点、このことによって弟がどんな目に遭うか、想像出来ていなかったというのは、娘のことを思うあまりっていうのは勿論そうなんだけれど、弟君が攻撃されるような人間じゃないっていうことを、それだけが理由で大丈夫と思っていたあたりの愚かさが、なんか……結局彼らは、仲のいいきょうだいだったって、ことなんだよね。
で、言いかけて脱線したけど、夫を演じる青木氏が、本当にグッときた。恐らく観客のほとんどが彼を応援しまくったであろう。正直、離婚しちゃえよ!!と思うぐらい、妻からの理不尽な攻撃に耐えまくる夫の姿は可哀想過ぎた。
私がこんなに辛いのに、なぜあなたはそうじゃないの!この台詞は、こうした辛い事件を題材にしたものじゃなくても、夫婦ものでは散々目にした、いわばベタなすれ違いではある。でも、こうした辛い事件を題材にしちゃってるから、そこに目くらましが挟まれてしまう、ような、気もする。
恐れずに言ってしまえば、モンスターペアレントである沙織里に対して、夫は周囲にぺこぺこ頭を下げて、一方では妻に対する理解も見せて、でも自分は苦しんでいるんだというのを、我慢しきれないという形で表出する。
こう単純に書いてしまったら、まるでこの夫君がズルいようにも見えることに今、私自身がビックリしてしまって……。
ほんっとうにいい旦那さん。働いている先からの寄付金を、苦しい企業の懐事情も聞かされて、でも実際捜索活動にはお金がかかるからありがたく受け取って。そんな流れを、どの程度妻の沙織里は把握していたのか。
いや、そんな事務的なことより、沙織里はさ、お母さんとしての彼女はさ、泣いたり、叫んだり、言ってしまえば狂えるのだから、その逃げ道があるじゃんと思ってしまったのは……夫にはそれが用意されていないから。
妻から、なぜそんなに冷静なのだと罵倒される。つまり、心配していないのだと、断定される。二人で冷静さを欠いたらどうにもならないだろ、と説く彼だが、そんな冷静さが妻には届かない。冷静でいることが、妻にとってはカンに触るばかりで。
自由に、という言い方はヘンだが、本当にさ、自由に狂える彼女を夫がうらやむ気持ちになったんであろうことは、そりゃそうだと思っちゃうよね……。娘が行方不明になって、辛くて、でも、一日24時間、四六時中そんな気持ちでいる訳にはならない、ということさえ、飲み込めない社会状況なのだとしたら、辛すぎる。
救いが、同じ立場、幼い娘が行方不明になってしまった事件が解決され、それに対して本当に良かったと、沙織里が涙を流したことだった。正直、ちょっとハラハラした。自分の娘が同じ犯人に監禁されているんじゃないかという一縷の望みでいたのかと思ったから。
それは実際、そうだったのだけれど、額面通り母親の交際相手による監禁が発覚して保護されたことを知った沙織里は、本当に良かったと、涙を流したのだった。
本当の、本心の、涙だった。自分の娘はいまだ行方不明、ひょっとしたら、自分の娘と一緒に監禁されているかもしれないと思っていた女の子が、シンプルに救出された展開に観客であるコチラはひやひやしながら見守っていたから、すごく……胸を突かれた。
そしてその後、ビラ配りをしている沙織里たちに、救出された娘ちゃんとその母親が話しかけてきた。感謝と共に救出活動を手伝いたいと言ってきた。
沙織里よりも、一緒にビラ配りをしていた夫が、それまでは努めて冷静であることに徹してきた夫が、時に本音があらわになってしまって、妻の逆鱗を恐れて口ごもっていた夫が、抑えきれぬ嗚咽を何度もかみ殺したのだった。
ボランティアの申し出、言ってみればそれだけのこと。沙織里はまだそれを噛みしめてないところで、夫の方が込み上げたことに胸を突かれた。これから先、娘ちゃんが無事見つかるかどうかは判らない。判らないけれど……ベタな言いようだけれど、心がつながった瞬間のように思えたのだ。
社会とつながるという言い方ならば、割とあるし、妥協の上で手をつなげることもあると思う。でも、心はなかなか……つなげないと、思うんだよなぁ。★★★★☆