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「せ」


2024年鑑賞作品

青春18×2 君へと続く道
2024年 123分 日本=台湾 カラー
監督:藤井道人 脚本:藤井道人
撮影:今村圭佑 音楽:大間々昂
出演:シュー・グァンハン 清原果耶 ジョセフ・チャン 道枝駿佑 黒木華 松重豊 黒木瞳


2024/6/9/日 劇場(TOHOシネマズ錦糸町楽天地)
イントロダクションでかなり青春甘やかな印象だったので、アラフィフ女子はなんとなく気が引けて選択肢から外れていたんだけれど、なんか妙に長くやってる…これはロングランというやつか、とゆーことは……と恐る恐る足を運んでみたらば、あっさり陥落してしまった。あぁ、なんだか恥ずかしい。久々にどストレートに美しい画の美しい青春の物語に涙涙してしまったよ。
本当に、どストレート。これは「Love Letter」のアンサームービーとさえ言いたい。本当に、「Love Letter」以来に、美しき青春を甘く切なく振り返る、美しい画の映画に出会った気がする。「Love Letter」をきちんと劇中で取り上げられたことは本当に大きかった、気がする。小樽の雪ではなく、新潟の雪、そして福島の雪として、帰ってきた。

正直さ、ヒロインの死がある意味オチになっていることには、フェミニズム野郎としては賛成できないさ。それが明かされるのはそれこそオチ的に、ラストシークエンスに差し掛かってからではあったけれど、でもなんとなく予感がしていた。
それは、ジミー役のシュー・グァンハン氏は実年齢34歳にして、18歳の頃もムリなく演じていたけれど(これは凄い!)、清原果耶氏は現在22歳(!!まだそんなに若いの……)で、さしもの演技力をもってしても、彼より4歳年上で、更に18年後と言ったら40歳の女性として登場するのは、さすがに現実的じゃないなと、頭の中で計算してしまったから。

そんなことをしてしまう自分に腹がたったりもしたが、でも、そこで予測出来ちゃったのはツラかったかなぁ。
でも、台南でジミーとアミが出会ったその時、カラオケ屋で共にバイトをしている青春の時、確かにジミーは18歳で、アミはそれより4つ年上のお姉さん。本当に、そのとおりに見えた。その年の差が途方もなく遠かったのだ。少なくとも、彼にとっては。

プロデューサーにチャン・チェンの名前を見つけ、チャン・チェンって、あの、チャン・チェンだよね!!と心躍る。このタイトルはやはり、青春18きっぷからきていたのか。
台湾の紀行エッセイが原作になっているんだという。その映画化をチャン・チェンが実に10年も温めてきたのだとか。ということは、青春ラブストーリーの部分はフィクションとして足されたのかな、どうなんだろう。

青春18きっぷの18を、18年と置き換え、18歳だったジミーが、アミと出会い、更に18年が経った現在を交互に描くアイディアに唸る。
まだ子供である18までの無責任で無邪気な時間と、甘さ苦さを味わい尽くして大人になっていくそこからの18年は、実際の時間としては同じ長さなのに、まるで違う。
18歳のジミーにとっては4つ年上のアミは追いつけない大人の年の差だっただろうけれど、その恋にはちょっと年上の女の子へのときめきもあっただろうけれど、アミは彼が生きたその後の18年を、生きられなかった。

というのは、ずっとずっと後になって判ることである。冒頭は、ジミーが会社から追放されるところから始まる。
友人と起業したゲーム制作会社、なぜ彼が排除されることになったのかは、まさにアミの死がおおいに関係しているのだけれど、それもまた、ずっとずっと後になって判ることである。

それにしてもさ、ジミーを演じるシュー・グァンハン氏よ。彼が本当に素晴らしくて、てゆーか、ときめいちゃう、もう(爆)。先述したように18歳の青臭さも自然体で演じ切るもんだから、実際はおいくつのお方かと思ったら、18年後の36歳のジミーの方にぐっと近い34歳とは!
34歳で18歳ムリなく演じるのは凄すぎる。しかも、尺としては18歳パートの方が多めな気がするし、本当に凄い。

でもでも、18年後の36歳パートに、アラフィフ女子、いや、全女子がヤラれるでしょ。めっちゃ素敵。それは彼がアミの面影を追って旅する冬の日本の原風景に、マフラーに眼鏡姿の彼がめっちゃ端正で美しいこともあるのだろうが。
そうか、ヨン様がそうであったように、美しきアジア男子のメガネとマフラーと雪景色は、女子の心を射抜くのかもしれんなぁ。

そう考えてみれば、二人が出会う台湾は夏である。真夏である。Tシャツに汗だくだくの季節である。アミはバックパッカー、財布をなくしてジミーがバイトするカラオケ屋に助けを求めてきた。神戸出身であるオーナーのおっちゃんがインパクト強烈。あの人は一体何者??
かくしてアミは住み込みで働き始め、彼女に一目ぼれしたジミーはそれまでの遅刻癖もどこへやら。美少女のアミの噂はあっという間に広がり、彼女目当ての客が押し寄せてそれまでの閑古鳥状態が一変。スタッフたちも活気づく。

アミは日本に帰ってから、母親に、4つ年下のシャイなボーイフレンドが待っているから、とまで言っていたんだから、彼の思いに自分も応えるだけの想いは持っていたんだろう。
でも、プラトニック。思いっきり、プラトニック。いくらなんでも18年アミだけを思い続けていろだなんて、そりゃ観客だって思わないし、無事大学に進学したジミーは、彼女だってできるのだ。でもその時にはすっかりゲーム制作に没頭していて、あっという間にフラれてしまうんだけれど。このあたりの齟齬をフェミニズム野郎はついつい追及したくもなるけれど、それはやはりヤボというもんであろう。

ダブル主演と銘打ってはいるけれど、実際はジミー、シュー・グァンハン氏主演なのだ。だって、現在の時間軸ではアミは生きていないのだから。
やっぱり、ね。生きてるうちが花なのよ、死んだらそれまでよ、よ。だからこそ、死、病気なんかを感動や涙にしてしまうことに否定的な訳。それはそうなんだけれど……。

言ってしまえば、二人がハッキリと親密な間柄にまではなっていなかったからこそ、死がオチになることにも寛容的になれたということは、あるかなぁ。皮肉なんだけれどね。恋人になった訳じゃない。遠く、憧れたあの人だったから。
だから彼にとっては、それを乗り越えた先から人生が始まる。本作は、そんなジミーの人生のリスタートを描く物語だった、と思えば納得できる。悔しいけど、だからやっぱり主演はシュー・グァンハン氏なのだ。

それにしてもそれにしても。エモいという言葉をようやく使い慣れてきたが、それじゃ追いつかない。エモーショナル、ときちんと言いたくなる。
アミが台湾を訪れたのは、ここから世界旅行をするつもりだった、そのスタート地点だった。難しい病気を抱えていたアミは、命あるうちに、と考えてのこの行動だったのか、結局台湾だけで終了したのは、諦めていた自分の病気を、なんとかしたい、少しでも可能性があるのなら、と思ったからだった。
それは、単なる心配するしかできない家族たちが旅行なんてと思う気持ちに沿ったんじゃない。それは、ジミーに出会ったから、なのだった。

もちろん、彼だけじゃなく、彼女を雇ってくれたオーナーはじめスタッフたち、いろんな出会いがあったからだけれど、でもやっぱり、ジミーなのだった。
自分に恋してくれているとあからさまに判っちゃうシャイな男の子。手をつなぐさえせいいっぱいの恋。「Love Letter」を見に行ったレトロな映画館、ランタンを飛ばした街角。そんなきらめく思い出が、18年後、アミの面影を追って旅をするジミーへとつながるんだから、もうたまらんのだ。

ジミーがいつ、アミの死を知ったのだろうと、気になっていた。どこかでは知っていると確信していた。
ジミーが実際にアミの実家を訪れる瞬間まで、実質的には観客にも明確には示されなかったし、その直前、新潟のランタン祭りに車で連れて行ってくれたネカフェ店員(黒木華)も、彼女に会えたらいいねと言っていたぐらいだから、ヘンな勘繰りなんぞせずに、アミに会えるかも、と思っていたら良かったのかもしれない。

でも、やっぱり、そうじゃない。ジミーが、あの穏やかで素直でシャイな男の子だった彼が、大学を途中でよしてまでも友人と起こしたゲーム制作会社に夢中になったのは、その夢中の種類が変化してしまって会社から追い出されてしまったのは、それだけの理由があったから。
周りが見えなくなり、スタッフにも辛く当たり、自分が作った会社から追い出された彼を、一緒に起業した友人が、最後の仕事の名目で日本の出張に連れ出した、のは、友達、だなぁと思う。自分では友達である彼をどうにも救えなくて、彼の想いのルーツを知っているからこそ、ここに連れ出したんだろうと、確信できるから。

アミの死を知っていることを、観客も感じながらの、18年後の日本での道行きは、もう桜も咲こうかという東京から北上すると、そんな春の空気など感じさせない冬のロードムービーなのだ。
後から思えばアミの死に直面したくないかのように、只見までの道行きを不自然なまでに遠回りするジミーは、それゆえに一期一会の出会いをする。

あの名作、「Love Letter」も知らないのもそりゃ当然なぐらい若い男の子、幸次との出会い。演じる道枝君の天真爛漫さが愛しく、今はもう36歳というめちゃくちゃ大人になってしまったジミーが、今その面影を追っているアミと出会った時と同じぐらいの年齢の彼と、友達になってる。
LINEを交換したけれど、もう二度と会わないかもしれない。それでも友達だ。トンネルを抜けると雪国、そんな、日本人なら常套句のように口に出る台詞を、こんな若い男の子もやっぱり言うんだと思ったり。そして、ジミーはそれよりも、その光景は、まさに、「Love Letter」なのだ……そりゃ、お元気ですかー!!と叫ぶのだ。

いや、それよりも前だ。長野に降り立ったジミーは、父親が口癖のように言っていた、「一休みはより長い旅のため」が中国語で書かれた看板を見つけて、小さな居酒屋に入る。ご主人はジミーと同じ台南出身者で、雪深いこの小さな街での奇跡の出会いなんである。
町を案内してあげる、と言いつつ、もう夜も深く、城を横目で見ながらそぞろ歩き、小さな飲み屋で酒を酌み交わす。

旅行で来たこの地に、そのままいついたというご主人とジミーの年の差、その後列車の中で出会う若い男の子、そして、18年前、淡い恋心を抱いたアミを思う。
少しずつ、少しずつ、生きている帯が違う。少しずつ少しずつ、共通点を見つけて、人生の何パーセントかの、共有する時間。結局はそれだけなのかもしれないけれど、それがなんて愛しい時間なのだろう。

やっぱり、「Love Letter」を共に観た映画館のシーンが最高に好きだ。偶然、直前に「ソロ活女子のススメ」で観ていて、あっ!この映画館だ、椅子が同じだから間違いない!!とカンドーした。ランタンを飛ばす街角もそうだよね、と思う。
そして、台湾の赤いランタンと対照的に白くて小さなランタンを飛ばす新潟のシークエンスがこれまた神聖的でめっちゃ良くて。日本での撮影はJR全面協力だったと知って、グッジョプ!!とこぶしを握っちゃう。

アミの実家のある福島県の只見に、ようやく、ジミーは到着する。雪深い、静かな小さな町。迷ったジミーが通りすがりの酒屋のおっちゃん(松重豊氏、ナイス!)にアミから届いたはがきの住所を見せると、おっちゃんはアミのことを知っていて、それどころか、台湾の話をよく聞かされたのだと。
送ってくれたおっちゃんの、その口ぶりを待たなくたって、判っていた。ジミーの反応も、知っていたそれだった。迎えたアミのお母さんに、来るのが遅くなってしまって……と口ごもったジミーに、ああやっぱり、と思ったのだった。

アミは絵が得意で、旅の間もずっとノートに美しいスケッチを残していた。部屋中が、絵であふれていて、そして、台湾の思い出が所狭しと並んでた。そのスケッチノート、ジミーへの思いがつづられたそれをお母さんは差し出し、そっと部屋を出た。ジミーは嗚咽をこらえることが出来ず……。
うっかりするとちょっと冷ややかに見ちゃうような、大甘な大ベタなシーンだが、繊細なシュー・グァンハン氏の泣き芝居にすっかりもらい泣きしてしまう。彼、本当にいいよなぁ。

そして、アミがカラオケ屋の壁に描いた素晴らしい壁画も、18年後、すっかり色あせていることが、日本から台湾へと帰った彼が訪ねた先で、示されるのが切ない。店も閉じられて、荒廃してしまっている。あの青春の日は確かにあったのに。
でも、ジミーはリスタートしたのだ。小さな事務所を借りた。内見についてきた友達は、笑顔で彼を激励してくれた。そう、旅はこれからだ。

かつてはなかったクラファンも浸透し、ネットやSNSで飛躍的に世界が狭くなり、一昔前にはなかなか難しかったこうした国際的なプロジェクトも、今後どんどん増えてくるであろうと思う。
映画(に限らずだろうが)製作のスタンスは本当に、劇的に変わったことを、受け手である観客側でも本当に、感じるんだよなぁ。★★★★★


ゼンブ・オブ・トーキョー
2024年 87分 日本 カラー
監督:熊切和嘉 脚本:福田晶平 土屋亮一
撮影:小林拓 音楽:池永正二
出演:正源司陽子 渡辺莉奈 藤嶌果歩 石塚瑶季 小西夏菜実 竹内希来里 平尾帆夏 平岡海月 清水理央 宮地すみれ 山下葉留花 小坂菜緒 真飛聖 八嶋智人

2024/11/4/月 劇場(TOHOシネマズ錦糸町オリナス)
実に鑑賞後に、日向坂4期生全員出演映画だということを、知るんである。熊切監督作品!!と思って足を運び、あれ……私の知ってる役者さん誰もいない……八嶋智人氏とか真飛聖氏とかは別ね。つまりメインを引っ張る役者さんたちが……ということに戸惑い、この大勢出てくる女の子、私見分けられるのだろうか……と不安になったのは、確かに正直、あった。ありました。
この女の子好きの私が情けないことに、年を経るごとに彼女たちの顔を見分けられなくなっていることは事実で、だからどうしようと思ったんだけど、見事に、段々と、どんどんと、彼女たちの個性がつぶさになってきて、それぞれの彼女たちが可愛くて仕方なくなる。

4期生11人全員がメインキャストとしてオリジナルストーリーが編まれたというんだから、まるで往年の黄金期アイドル映画のような贅沢な企画。一応その中の一人がメインオブメインの主演として選ばれてはいるけれど、それぞれに物語があって、それぞれに人生がある。
人生、だなんて、半世紀も生きたこちとらにとって10数年の彼女たちのぴかぴかの若さはそれまでよりもこれからの未来しかないのだが、でもやっぱり、私らだってあの時を考えれば、それまでの人生が熱く、濃く、あったのだった。むしろ、それ以降の数十年より色濃く。

11人全員がメインとはいえ、推しキャラの限定グッズをゲットしに行く四人となるとさすがに、ここは数合わせのような感は否めない気もするが、でもタイトル通り、ゼンブ・オブ・トーキョーを最もわかりやすく示してくれているのはこの四人なのだからヤハリ抜かりはないのだ。
そうか、ゼンブ・オブ・トーキョーかぁ。修学旅行。地方学生にとって修学旅行の東京、その自由行動時間はまさに夢の時間。これほどまでにあらゆる情報手段が発達している今でもそうなのか、ちょっとオドロキである。だってかつての私たちと変わらないのだもの。同じはしゃぎ方なんだもの。

いや、違うか。同じはしゃぎ方しているのはそれこそメインオブメイン、正源司陽子氏演じる池園さんだけだったのかもしれない。そうそうそう、名字で呼ばれるの、イイよね。映画のキャラ解説において、男子は名字で呼ばれることもあるけれど、女子は大抵ファーストネーム。それが結構もやもやしていたから。
でも、池園さん、と苗字で呼ばれてる印象が残っていたのは、彼女だけだったかも。修学旅行における班長で、先生からの連絡を受けたり、他の班の女子や、地元の女子高生にそう呼ばれるスタンスがあったから。

池園さんは一見、一番修学旅行にはしゃいでいるように見えるけれど、責任感が強くて、先生からの信頼も厚くて、その日会ったばかりの地元の女子高生からも一目置かれるような、そんな女の子なのだ。

班で行動することが求められる修学旅行。そうそう、懐かしい。そうだったわ。みんなでとしまえん行ったもん(笑)。それこそ、班で行動されちゃったら、最後まで彼女たちの見分けがつかなかったかもしれない。
池園さんの思惑を外れて、班の皆は早々に、上手いこと言い訳を考えて、バラけてしまうんである。待ち合わせ場所に着いているとウソをついて、マルチバースにいるのかも??なんてことを池園さんに一瞬信じさせちゃうような遊びがとても女子高校生らしくって、頬が緩んでしまう。
当然、そんなSFチックなことはなく、彼女たちはそれぞれに、地方の未成年としては、自由に来れないこの東京で、このチャンスに、やりたいことがあったのだった。

憧れのアイドルからその可能性を後押しされて、オーディションを受けに来た桐井さんをクライマックスに、あれこれ可愛らしい女子の東京の大冒険である。
先述した、推しキャラの限定グッズ獲得作戦によって、池園さんの班の一名が、他の班の三人に合流して、新宿、池袋、渋谷、上野、と散らばる。
中学まで東京に住んでいたクールビューティー女子、枡谷さんは、そのクールさに憧れている他班の女子につきまとわれている時、うっかり当時の友達に遭遇してしまう。実はオタクだったことをひた隠しにしながら……。
憧れの男子を追いかけながら、これまた他班の女子とケンツクしつつ、東京の彼を愛でる二人。話しかけようとする二人は牽制しつつ、結局目の前で彼の恋の成就を目撃してしまい、撃沈。

やっぱり、違う。同じだと一瞬思ったけど、あの頃の私たちとは。判で決めたスケジュールを反故にして個人で行動するなんて、考えもしなかった。いや、それは、私がそうだっただけなのかもしれないけれど。
多くの共通点を見いだせるけれど、やっぱりやっぱり、あらゆることが可能となるスマホがある、これ一発で、当時では考えられなかった大冒険、あるいはウソや欺きも可能になるのが少し怖いけれど。

それこそスマホがなければ、東京っぽいところ全部行こうなんて、このタイトル通りのことなんて、そもそも出来なかったと思う。もちろん、当時の私たちにだって、そんな贅沢なプランは頭をよぎったとは思うけれど……。
新宿、池袋、渋谷、原宿、上野、浅草、果ては下北沢だなんていう、ちょっと外れたオシャレ街にまで。
池園さんにとっては、それぞれがまさに東京のシンボルのあれこれなんだけれど、東京に明確な目的をもって参戦した他の女子たちにとって、意味あるそれぞれの土地、ただ東京、ではなく、個性や役割のあるそれぞれの土地になっているのが、イイんだよね。

その中で、先述したように、ちょっと数合わせ的感のある、限定グッズ獲得大作戦四人組は、判りやすい東京の四カ所に散らばる。その中で新宿で迷子になる女子、応援に行ったらその子も迷子、というのが、東京の有名どころの場所の中でも、新宿の判りにくさが東京のそれをめっちゃ上手く描写していて、判る判る!!と思っちゃう。
まぁ、渋谷の方が判りにくいとは思うけれど、渋谷は常に完成されていない、サグラダファミリアのような街であるから仕方ない一方、新宿は昔も今も、変わらずに判りにくい。改札の出口、通り抜け、使ったことのない出口には怖くて出られない。地下のごちゃごちゃに迷う感じとか、いまだに私、そうだもの、メッチャ判る。

でもきっと、池園さんは、そんな魔窟のような部分さえも、完璧に仕上げていたのだろう。それこそ、元東京民の枡谷さんさえ、そのオシャレ具合にたじたじしていた下北沢の人気カフェもしっかりと、無邪気に楽しみ、さっそうと次の目的地へと向かう。
でもそれでも、そんな中でも、池園さんはみんなとこの楽しさを共有したかったと常に思いながらこの東京の全部を制覇していったんだと思うと、凄く切ないんだけれど。でもさ、誰よりも、しっかりと、まさに一人一人前の大人と言っていいぐらいに、東京を制覇していく池園さん。

クールビューティー、枡谷さんの、いわば化けの皮がはがれる、オタであることが明るみに出るシークエンスがめっちゃ可愛くて好きだったなぁ。彼女に憧れてる花里さんが、オタだと聞かされて一回マジで引くのとかなかなかにシンラツで、でもトイレネタ、つまりはいわば下ネタで笑わせたり、オタパワーを発揮して尊敬に至らせるとか、良かったなぁ。
でも落ち着いて考えると、地味オタ女子だった枡谷さんが転校した先でそれを隠して“高校デビュー”し、ここまで過ごしていたというのは、友人関係を結んでいつつ、本当の自分を見せていなかったということであり……。

でもそうか。誰もが、そうだったのだ。池園さんはそういう意味では狂言回しというか、彼女たちの本音、本当の姿をあぶりだすという存在だったのかもしれない。
友人同士、わちゃわちゃと楽し気に過ごしていたのは本当なんだろう。修学旅行の班行動をどうするかを、昼下がりの屋上で眠たげに語り合っていた時には、池園さん以外の彼女たちは、そこまで考えてなかったのかもしれない、そんな気がする。
でも、地方の学生が、東京に行けるチャンス、千載一遇のチャンス、それこそ、私たちの時代より、あらゆる情報や可能性が転がっていて、池園さんがそれを彼女たちに気付かせてしまった、ということなのかもしれない。

やっぱり一番は、クライマックスは、アイドルのオーディションを受けるために抜け出した桐井さんで、彼女はうっかりクレーマーのタクシー運転手に絡まれて、巡回中の先生に見つかってしまう。
このクレーマー運転手はまず池園さんに絡んでいて、しっかり伏線が貼られている当たりがニクい。勤務中に路上喫煙していることがバレることを極度に恐れていて、写真を撮っている修学旅行生にまで苦情を申し立てるという、こう書いてみるとやっぱりかなりヤバいヤツなのだが、担任教師以外では唯一の大人キャストのカラミだから、これぐらいの強烈さは必要なのかもしれない。

桐井さんが担任教師から取り上げられたスマホ、正しくはその裏に貼ってあった憧れのアイドルのサイン入り写真が彼女の心のよりどころで、それがなければオーディションに立ち向かえない、ということから始まる、スマホ奪還大作戦。
見事に、ここまでに、バラバラになっていた班員たち、それ以外の班からのメンメン、地元の、つまり他校生までを巻き込んでいく、ここに至るまでに、まったく違う目的で東京中をさまよっていた女子たちが、時に奇跡的な伏線回収によって、どこか任侠的義侠心で、この恩はお返ししますわい!!ぐらいの熱い気持ちで集結するのが、なんとも心憎い。

そうか、これは女子高生的任侠映画かも!……ランボー過ぎるか??いやでも、それぞれの欲望で散逸していた彼女たちが、いわばボスの一声で、ひと肌脱ぎますぜ!!とはせ参じ、それぞれの強みを発揮して敵を倒す(ちょっと意味合いは違うが)という点では、任侠的じゃない??
担任教師の位置を確定し、ちょいと小芝居をかましてスマホ奪還、タクシーを待たせて(この運転手がくだんのクレーマー氏だというのが心憎い!!)オーディション会場に向かわせるまでの爽快感はハンパない!!

でも結局オーディションには間に合わず、あれこれから集まった11人は東京の海辺で思い出作りである。冒頭に示されていたまったりとした教室のシーンに戻ってきて卒業式の日なんだと知れるんである。
池園さんが、仲間たちに呼ばれる。肩にかけていたヘッドフォンは、あの修学旅行の日、桐井さんがまるでお守りのように身に着けていたものと一緒で、だから一瞬、彼女なのかと思った。でもこの場に彼女はいなくって、楽し気に教室を笑いさざめく彼女たちに、ドキドキしながらその会話を見守っていたら、あの時オーディションに間に合わなかったけれど、今、今現在、アイドルとして活躍しているんだと!!

見事に、冒頭とエンディングで、時の流れをしっかと凝縮して、だって女の子はさ、特に女の子は……哀しいかな、勝負する時間が短いんだもの。それ如何でその後の勝負が変わってくる。
多分、今でもそうだろうと思う。楽し気に、無邪気に見えながらも、彼女たちはそれをしっかりと判ってて、勝負しているのが伝わってくるから……応援したい!!★★★☆☆


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