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「し」


2024年鑑賞作品

衝動
2021年 117分 日本 カラー
監督:土井笑生 脚本:土井笑生
撮影:茅野雅央 音楽:Day on Umbrella
出演:倉悠貴 見上愛 見津賢 錫木うり 工藤孝生 池田朱那 川郷司駿平 山本月乃 佐久間祥朗 三村和敬 村上淳


2024/1/12/金 録画(日本映画専門チャンネル)
名前を失った少年、声を失った少女、なるほど、この惹句は確かに魅力的かもしれない。都会の路上で出会ったハチとアイ。二人を演じる倉悠貴氏と見上愛氏はビジュアルも良く体当たりの演技に好感度大だし、彼らを取り巻く若き役者さんたちは誰もが才能に溢れている。
倉氏は特にここ数年、スクリーンで何度もその存在感に遭遇していて、3年ほど前のこの作品が、その片鱗を見せ始めた時なのかしらんと思うとワクワクもする。

とても意欲的な物語と構成だとは思うけれど、正直ちょっと、盛り込み過ぎかなぁと思うのは、もちろん私がアホだからに違いないのだが(爆)。
もうあっさりオチバレしちゃうけれど、兄が無差別殺人犯で、それ以来名前を自ら失ったハチ、父親にレイプされて以来声が出なくなったアイ。そして二人が出会うのはコロナ禍真っただ中の社会で、マスクをしないことに神経を尖らせている。

後に知れるところとなるのは、兄の罪によって追い詰められた両親が自殺、ハチも地元を出奔、ハチ、というのは彼が従事しているクスリの運び屋のエリアからの通称名。
アイはデリヘル嬢で、それは父親からのレイプを塗りつぶすために他のおじさんとセックスを繰り返すためだという。普通のセックスが出来ないと絶望する男ショウヤと、彼にべったりくっついているユウコという女は、ハチを中年ジジイにレイプさせ、興奮のるつぼに陥る。アイが働いているデリヘルの元締めの男、サワダは、死にたいと願うハチの願望の中に、でも生きたいんだな君は、と見抜いてくる。

……詰め込み過ぎじゃなかろうか。コロナ禍での人々の苛立ちというだけでも大きな要素で、それこそこの頃、2020年にはクリエイターたちはこぞって、自らの焦燥を叩きつけるように作品を作り出していた。
本作は、そのバックグラウンドが、めちゃくちゃ重く濃いバックグラウンドが、モリモリに盛り込んだ要素の中でかすんでしまう。クスリの運び屋とかデリヘル嬢というのは、社会からふりおとされたワカモンが陥る判りやすい落とし穴で、それだけで記号的な感覚をどうしても感じてしまう。

ハチを気に入っているのか憎んでいるのか、凌辱させてコーフンしているショウヤという男がセックスにも愛にも絆にも絶望したんだよ!とこれまた記号だらけの台詞をまき散らし、彼にくっついているユウコという女は彼以上に劇場型のキャラで、舞台チックな台詞回しでハチとアイをいたぶりまくるんである。

しかもその、悪夢のような凌場場面に、ただ一人、重鎮キャラのムラジュンが、君は生きたいと思っているんだな、とまるで生霊のように、バックからバッコンバッコンされているハチにささやくという、これは道徳映画なのだろうか……。
サワダはハチを救いたいの?よく判らん……てゆーか、ここまで書いてきて、全然物語判らんね、アホの自分を隠蔽したくてただただ愚痴っているだけかも。

ハチのお兄ちゃんが無差別殺人犯だということが、じわじわと、なんとなく、観客側に示されていく、その要素が軸になっている。それに至るまでには、ハチは東京の都会の雑踏によくいる、テキトーに生きている、ように見える、若者に過ぎない。ネットカフェで生活し、身分証もないからメンバーズカードの更新もままならない。
ネットカフェ難民、というなんだか懐かしい言葉が発せられる。そう……なんだかね、こんな具合に、誰か知らぬ年配の人たちに説明するかの如く、社会問題になっている言葉を記号のようにちりばめている印象が、ずっと、あるんだよね。

アイとの会話は、彼女が手帳にさらさらと書く、いわゆる筆談である。とても魅力的な画なのだが、次第に、書くの早いな……慣れてるにしても……これは、元から書いてるところに書いてる感じの動きをつけてるんだろうな……実際に書いてるところを紙面を映さないもんな……などと、つまらんことが気になってしまう。
とゆーのも、アイのキャラクター造形は、なんか読めちゃうんだよな。声の出ない少女、風俗業に従事している、その時点でなんとなく薄々、そして父親は死んだ、と書きなぐった時点で、こらーレイプされてんなと。いやその(爆)。そういう良くない意味でのベタな物語造形、散々、あったからさ。

もちろん、そうした辛い思いをしている少女たちはあまたいる。それは事実。
でも本作では、先述したようにモリモリに盛り込んだ要素はどれもが、今社会で話題になっている(問題になっている、というよりは、そうした軽さを感じる)事件や情勢を記号的に取り込んでいるように感じてしまうから、アイが父親にレイプされていた、と筆談で告白した時、あーやっぱりね、と思ってしまう、のは、私がダメなんだろうなぁ。

今は声が出ていないアイが、きっとラストには声が出る、それがクライマックス、物語の大きな転換点になるんだろうな、というのも予測できちゃったもんだから……。
本作はかなりね、尺も長い。じっくりと、意欲的に描く。運び屋であるハチが関わる若者たちは総じて魅力的だが、やはり総じて、テレビのワイドショーで報じられているような、現代の都会の闇にはまってしまうサンプル例のように判りやすく、演じる役者さんたちが皆熱演しているだけに、もったいないと感じてしまう。

ハチの同僚で、お互いそこそこ仲がいいと思っているナイキはあやしげなドラッグの売買に足を突っ込んで、遺体で発見されたとニュースで報じられた時、ハチは初めて彼の本名を知る。
死にたいからとクスリを発注した女の子は甘えた様子でハチに殺してと言うと、さびついた包丁をつきつけたハチは、死ぬのは本当に、めちゃくちゃ痛いんだよと、脅している形なのにまるで諭している。
それは当然、兄の犯罪が彼の背中に張り付いているから。簡単に死にたいとか甘えたこと言うなと、思っているから。

と、そんな風に、感じられたら良かったんだけれど……難しいな。殺人犯である兄への葛藤が、もちろんこの尺の中でじっくりと、丁寧に、描かれてはいるんだけれど、だったら、他のモリモリ要素ジャマじゃないかと思っちゃったもんだから……。
だって、それだけで、あまりにも重いんだもの。ハチはお兄ちゃんのことが好きだった。少なくとも、その記憶を大事にとっておいていた。
お兄ちゃんが殺人犯になってしまって以降、両親は自殺し、殺人犯の弟として地元を追われ、ニックネームハチとして都会の雑踏で暮らす彼の、その境遇だけで一本の映画撮ってくれよ、と思った。

父親にレイプされて声を失った少女、アイもまた、彼女だけで一本の映画、撮ってくれよと思った。
いや……やりようだとは思う。この二人で、構築することはできたと思う。でもそれ以外のキャラのバックグラウンドを、チラ見せしただけで重すぎて、咀嚼しきれないもんだからさぁ……。

しかも、こんなあり得ない偶然、ヤメてよ。ハチの兄が犯した無差別殺人、その被害者の一人が、アイの父親だったなんて。
アイは自分をレイプした父親を憎んで憎んで、死んでくれよと願って、その願いが叶ったのが、思いがけない、無差別殺人事件の被害者としてだった。その事実を知ったハチは、いや、その事実を知ったからという訳ではないのか、とにかく、なんか、……この時点でショウヤとユウコにラブホに監禁され、サイテーな凌辱されまくっていたから、もう見てられない状況になっていたから。

身分を証明するものがないと、普通のバイトにつくこともできない、ということなのだろう、もしかしたら、本作のそもそもの最重要事項は、そこだったのかもしれない。きっと、根が真面目なハチはそう考えて、運び屋なんていう闇に足を踏み入れてしまったのかもしれない。
それでも、根城にしているネットカフェでは、身分証がなくったって、まぁつまりは、テキトーな店長の胸先三寸で、手数料ぼったくられたとしても、入り込めちゃう。それは、都会の優しさというべきか、どうなのだろう。

ハチは、いや、この時点では、彼は自分の名前を口にしていた。ネカフェのメンバーズカードに書いた本名、その苗字で特定されるんじゃないかときっと恐れていた、ちょっと珍しい等々力という苗字。
犯罪者の家族が陥る地獄、古今東西、あるのだろう。でも、いまだにあるのかとも思う。あまりにも犯罪が多数、多様、そして、人々は他人に無関心。犯罪者の家族だということに関して、それなりの情熱というか、関心を傾けるという熱量を、今の社会がどれだけ持っているのだろうと思う。

それは、単純にいいことなのかは判らないけれど……。その点でも、少し考えるところがあった。ハチが顔中に人殺しの弟とか落書きされてる描写。めちゃくちゃ判りやすい、そう、何度も言っちゃうけど記号めいていて。
判らないよ、そりゃ判らないんだけど、高校生、だよね?こんな子供じみたこと、高校生がやってたら、この社会、この国、ヤバくないか。彼ら世代なら、ある意味もっと心理的残酷な、存在を亡き者にする無視を決めこむってのが、常道じゃないのだろうかとか思ったり……。いやそれの方がヤバいのか。もうなんだか判らなくなる。

あれこれ文句をつけてしまったけれど、なによりラストシークエンス、あれはないわと思った。ハチがなんかさ、妄想の中に迷い込んでしまって、ショウヤとユウコを襲う妄想、それもヤバいけど、そっからなんか、もうもやもやとして、行きずりの誰とも知らん通行人をメッタ刺しにしちゃう。
おいおいおいおい!!何それ!!そんな展開、いる?いらんやろ!!いや、別にね、未来への展望があるべきというんじゃないよ。でもさ、自らの意志ではない、なんでこんなことをやっちゃったんだろ!?なんてさ、そりゃないよ。これまで苦悩しまくってきたのに、うっかりしらん間にやっちまった、だなんて、納得できないよ。

ハチが刑務所にいるお兄ちゃんに面会に行く場面が、本作のキモだったと思う。お兄ちゃんを演じる川郷司駿平氏の、繊細なイケメン、その繊細さに鳥肌が立つような恐ろしさを感じた。
お兄ちゃんの抱えている、現代社会で生きていくための常識的価値観への圧倒的な否定の感覚、それを、異常だと断じるか、理解し合う努力をするのか。
川郷司氏の絶妙に繊細な芝居に背中がゾクゾクし、セクシャルな魅力すら感じた。お兄ちゃんが抱える、超絶異端なセクシャルな本能が本作の最も重要なキモだったのだと思えば、ショウヤが抱えていたそれなんて、可愛いもんだと、その対照が明確に出来れば、良かったのかもしれないけれど。★★☆☆☆


勝利と敗北
1960年 116分 日本 カラー
監督:井上梅次 脚本:須崎勝弥 井上梅次
撮影:中川芳久 音楽:奥村一
出演:山村聰 川口浩 三田村元 本郷功次郎 新珠三千代 若尾文子 野添ひとみ 安部徹 船越英二 友田輝 花布辰男 見明凡太朗 高松英郎 伊東光 浦辺粂子 潮万太郎 村田知栄子 星ひかる 村上不二夫 藤山浩一 守田学 大山健一 津田駿二 藤巻公義 立花宮子 南左斗子 小原利之 金子繁治 白井義男 郡司信夫

2024/4/8/月 録画(日本映画専門チャンネル)
近年はやたらボクシング映画が作られ、そのどれも秀逸だけれど、映画黄金期のこの時代のボクシング映画を観る機会はなかなかなかった。オープニングのキャストクレジットに、東洋バンタム級とか全日本フェザー級とかチャンピオンがずらりと7人も並ぶのが、なるほどこの時代は日本人ボクサーの活躍黄金期でもあり、だからこの企画が通ったのかとも想像されたり。
相変わらず某データベースは実際の物語とは齟齬があって、最初の脚本から大分変ったらしいことがうかがえる。どうやらそもそもはウェルター級だったんだね。それがライト級のボクサーたちのお話になったのは、若きボクサーたち、特に川口浩氏が華奢なことが原因だったのかしらんと勝手に想像しちゃう。

でも、そんな若きボクサーたちの物語かと思いきや、いや確かにそうなんだけれど、主役は違うのだった。ずっと若きボクサーたちの物語と思いながら見ていたから、それにしちゃぁタイトルクレジットのトップは山村聰なんだよな。
これはベテラン役者だから並びの序列なのだろうかと思っていたら、違う違う、ホントに山村聰氏が主役なんである。なんというシブい!今で言えばゲキシブ!

有望なボクサー二人を抱え持つジムのオーナー。もうけにもならないとバーのママに愚痴りながらも、彼らを子供のように愛し、いつくしむ山村氏のなんというシブさよ!!彼に比べたら当時の川口浩氏以下、若いボクサーたちなんてもう青い青い、ケツが青いのよ。
でもそれぞれに切ない事情を抱えてる。むしろ、最終的には山村氏演じる峰岸オーナーこそが、ボクサーたちのために愛する女を諦めたんだから、一番の青春小僧だったのかもしれないんである。

冒頭、それまでのライト級絶対王者が、試合に勝ったにもかかわらず引退を表明する。網膜剥離。冒頭からボクサーのそうした切実な事情が明かされることは、後から思えば物語全体、それぞれのボクサーたちに影を落とすことになるんである。
突如空いた王者の座に10人もの候補がひしめく。直前にウェルター級に変更してしまった者、緊急手術になってしまった者、勤め先が決まって奥さんからももう年なんだからとたしなめられた者……。
本作の中には彼らボクサーの恋人や母親が数多く出てくるんだけれど、総じて彼らのストッパーになっちゃってるのが歯がゆいというか……現代ならむしろその描写が、責められるだろうなぁ。男に、息子に、ぶらさがっている女という図式になっちゃうから。

川口氏演じる山中もまた、長年付き合っている恋人、志津子から、最終通告を突きつけられている。若尾文子様である。小学校教師だなんて。色っぽすぎだろ。
山中の妹、葉子に言わせると、なんと幼稚園時代から付き合っているという。それは、付き合いが幼稚園時代からであって、実際に付き合ってた訳ではないのか、でもいまだに手も握ってないなんて信じられないと暴露されるんだから、幼稚園時代からマジに恋人同士なのか……。
今なら確かに信じられないが、当時の男女ならこれぐらいのプラトニックはアリだったのだろうか。いやいやいや。同じきょうだいとは信じられないほどの葉子のユルユルさを思えばそんなことはないか、いや、彼女はちょっと愚かすぎるのだが。

本作の一つの面白さは、葉子のあまりにもの軽さ、オバカさにある。演じるのが野添ひとみ氏で、後に夫となる川口氏ときょうだい役というのが面白い。
最終的に山中と王者を争うことになる旗(本郷功次郎)と、恋人である吉川(三田村元)の間で揺れ動くのだが、揺れ動くとゆーより、遊び慣れた旗にあっさり陥落されたくせに、淳ちゃん(吉川)が悪いんだから!!と言い放つとは。

しかもその中身がね……。まぁあのさ、やっぱり現代に照らし合わせると信じられないこと満載なのさ。バイク2ケツで後ろの女の子がノーヘルって、事故ったら女の子だけ死ぬわ。
しかも葉子は、飛ばして、飛ばして!旗を追い抜いて!!と恋人の吉川をけしかけ、エンコしてしまった吉川を罵倒し、追いついてきた旗に茂みの奥に連れていかれ、ビールを口移しされ(!!バイク乗ってきたし!!しかも、キスでの口移しじゃなくて、上からジャーて!エロじゃなく汚い……)、そもそもこの時点で葉子が誘ってきたのは確実なのに、ビールジャーもとろんとした目で受け入れたくせに、組み伏せられるとイヤイヤとか、ありえん!!

そして吉川が探しに来ると、枯草だらけで登場の二人。これは、明らかにヤッただろ!!なのに、いろいろあった後に(すいません、あまりにもいろいろあるもんだから、吉川が事故に遭うとこは割愛)、三人が和解して葉子が吉川の元に戻っていくと、さっぱりと、こらーまいったな、みたいに何のあとくされもなく戻っちゃうって、なんなん!
あれはヤッたんじゃなかったんかい、私の心が汚れているのか??ただ茂みでゴロゴロしていただけなのか??そんなバカな。

うーんでも確かに、ヤッちまってたら、つまりはレイプだから、それで葉子が旗さんを好きになっちゃったとか言うのはあんまりか……そうでなくてもあんまりだけど……。
しかも葉子ったら、淳ちゃんが悪いのよ!の繰り返し。飛ばせなかったから、追い越せなかったから、って、バカかお前!

難しい……当時の映画の描写をどこまで汲み取っていいのか。それはおいといて。旗である。キーマンである。かき回しまくる、結局は幼い男の子、素直な男の子ということだったんだろう。
山中とは同門で、相撲と同じく、同門対決というのが難しいってこともあって、実力があったのに王者挑戦候補から外れてしまってグレてしまって、候補者のジムに乗り込んで相手をスパーリングでケガさせちゃったり、ボクシング界を牛耳るヤクザ的な男に目をつけられて杯をかわしちゃったり、もうとにかく、幼いヤツなの。

でもモテるのは判る。川口浩とは違って(爆)ガッチリボクサー体形だし、南国系のちょっと濃いめの味付け。まだいくらでもチャンスはあると、若いことで後回しにされていら立つのも判る。
そして、義父と折り合いがつかないってあたりも幼い。連れ子である息子を夫の手前かばいきれない母親の登場までさせるあたり、本当に幼い。

こーゆー、母親の描写は、山中側にもあるし、今でもきっと拭い去れない、息子をカンガルーのようにポケットに入れたがる母親の姿、なんであろう。
山中の母親なんてさ、浦辺粂子氏なのよ。今の感覚から言えば彼の年齢の母親とは思えない、祖母ぐらいの雰囲気は、浦辺氏だからというのもあるけれど、この当時はこういう感じだったんだろうなぁ。彼女自身の人生なんてない、母親としての人生しかない、息子の彼女さんの方にこそ同情して、拳闘なんてやめろというけれど、でも試合を見れば応援してしまう。

そう、拳闘、なのよ。ボクシングとは言わないのよ。で、ボクシングジムじゃなくて、峰岸拳とか近藤拳とか言うんだよね。なんか、酔拳みたい!!
でね、そう、問題は旗である。関係者の誰もが旗の実力を認めているけれど、同門選手の兼ね合いなどあって推薦出来なかった経緯もあったから、彼自身が候補選手をケガさせてしまったりという経緯があっても、結果的に旗が王者候補へと繰り出されてくる。

そうなりゃぁ、当然軋轢が生じてさ……。いっちばん気の毒だったのは、いわば旗に狙い撃ちにされた丘野である。候補から外れてやけになっていた旗は、スパーリング相手になるといって丘野をボッコボコにして怪我をさせ、結果的に彼のボクサー人生を経ってしまった。
この時点ではまだまだ事の重大さに気づいていなかった旗が、物語も後半になって、自分がしでかしてしまったあれこれが判ってきたところで丘野に襲撃されるシークエンスがあるんだけれど、これが、辛いの、切ないのよ。

ずっとずっと頑張ってきたボクサー人生を断たれた丘野の想いも判るし、それを、やっと理解した、今までおばかさんだった旗の気持ちも判るし。だからこそ、ここに察知して分け入ってきた峰岸の、彼らの気持ちが痛いほど判る、ゲキシブさんには彼らは勝てない訳さ。
特に丘野の…お前の気持ちは判ると峰岸に言われて、たまらない顔で仲間とともに踵を返すシーンは辛かった。こんな風に、どうしようもない思いを残して去っていったボクサーたちが、きっと無数にいたんだろうと思わせたから。

若尾文子先生演じる志津子もまた、切ない。自分から別れを切り出しながら、彼の試合をそりゃあ気にせずにはいられない。
当時は自宅にテレビを持っているような時代じゃないのだ。かといって街頭テレビで皆が群がる試合でもない。喫茶店で息をつめて見ていたのに、後から押し寄せてきた女子高生たちにチャンネルを変えられてしまう。蕎麦屋や床屋に頼んでも、困惑気味に断られてしまう。

最後、電気店で、もう試合は終わったと、ボコボコにされたと聞いてすっかり恋人が負けたんだと思い込んだ志津子が、彼のお母さんの元に訪ねるシーンもまた切ない。
負けたから、自分の元に帰ってくると思って、でも、負けたことも哀しいという、アンビバレンツな気持ちを抱えて訪ねてみたら、彼は勝っていたんだと。だから、最終決戦が待っているんだと。

この、男が試合に勝つか負けるかによって女の人生が変わるという展開は、まさに現代の、ギャグ気味にさえ言われるコンプライアンスの元では完全にアウトだし、マジにはぁあ??ともそりゃぁ思う。思うけれど……。
先述したように、地味だけどやっぱり彼が主人公、峰岸がバーのマダム、小夜子と交わしたそれこそが、究極のソレなんであった。

もうぉおおお、バカバカバカ!!大人過ぎるっつーの!!峰岸はね、旗の身請け金の相談をするのよ。先述した通り、旗はバカな子供、自分の才能を買ってくれたと浮かれて、ヤクザな男から杯という名のおこずかいをもらっちゃって、峰岸は旗を奪い返すために法外な金を要求される。
追い詰められて、小夜子に相談するのだが……追い詰められた金の相談を愛する女にしかできないというのが切なすぎるし、その解決策は、ライバルである男から借りることしかないというのが、もっともっと、切なすぎる!!

この、ライバルの男、バーで行き合う男、須磨氏が、イヤな男だったら良かったのにさ。めちゃくちゃスマートでイイ男なんだもの。バーで行き合うだけだし、彼ら二人がそもそも小夜子とどこまでの関係を結んでいたのか。小夜子はなんたってプロのママだから、上手にあしらっていただろうけれど、峰岸が借金を申し込んだ時には、マジな交渉をしていたから……。
あぁ、またしても私は心が汚れておるのか。ママが、金を用意するために須磨さんにカネを借りて、私が須磨夫人になる、と。その交換条件に私を抱いて、と峰岸に言うのだった。
そら、そらぁさ、抱くっつーのは、そーゆーことだろ、逡巡してんじゃねーよ、峰岸!!とか思っていたら、ホントに、抱き合うだけで終了するもんだから、えっ……私、やっぱり心汚れっちまってるのかと。だってだって、こちらも色っぽすぎる新珠三千代だよ。ほの暗いバーで、心の内を見せ合い、なのになのに……ああ、昭和のプラトニックは忖度多すぎて判らん!!

なんか、結果的に、全員いい人になっちゃうんだもん。旗をおこずかいで手なずけて、杯交わしたんだからと脅し、身請け金として100万を請求、更に興行権まで要求してきた郷田でさえ。
てかそもそも同門同士の対決に持ち込んで、どちらかの選手に肩入れすることで分裂することをもくろんでいたのが、峰岸の人徳で、彼は選手たちにすべてを打ち明け、旗を信頼する他のジムに預けて、正々堂々、山中と百パーセントの力で闘うことを選択。その歴史的な試合に悪徳ヤローもあっさり陥落しちゃって、大団円になっちゃうんだもん!!

あんなに強欲に、スター選手になるであろう旗の興行権まで主張していた郷田だったのに、いい試合だったから、あばよ!!みたいに急にいい人……でもそれでホッとしたけどね。そして、私の父親が勤めていた、廃業してしまった大会社が試合のスポンサーになってて、会場でもテレビ画面でもめっちゃロゴが大写しになるのが、それもまた昭和の遺産で、エモかったなぁ。★★★☆☆


新・したがる兄嫁 ふしだらな関係
2001年 59分 日本 カラー
監督:上野俊哉 脚本:小林政広
撮影:小西泰正 音楽:山田勲生
出演:宮川ひろみ 佐々木ユメカ 江端英久 佐藤幹雄 飯島大介 新納敏正

2024/1/28/日 録画(日本映画専門チャンネル)
ラストに、ああやっぱりそうだったのか、と思うと、でもひょっとして初めからだったんじゃないかとも思う。階段から落ちての記憶喪失、だなんて、出来すぎたフィクションそのものだったし、彼はあの時、なにかを思いつめながらその階段に座っていたのだから。

階段、神社へと続くのであろう長い長い石段。とても画になる。その階段は冒頭にもう登場する。ぼんやりとした顔で買い物袋をさげて通り過ぎる明子(宮川ひろみ)。要所要所でこの石段が使われる。
幸一の弟、大スターである真二(佐藤幹雄)が、いかにもチャラついた芸能人っぷりで「相変わらずしけた町だぜ」などとぬかして現れる場面。そして初めに書いた、幸一(江端英久)がぼんやりと夜の空を見上げながら座っている場面。
そしてそこで幸一は階段から転げ落ちる。記憶喪失となった彼と暮らすことになるクメ子(佐々木ユメカ)が真二とすれ違い、これは大スクープだと目を見開く場面、そして……もう一度幸一が階段から転げ落ちる場面では、この四人が勢ぞろいしている。

こう思い返すと、本当に要所要所で現れる、キーパーソンならぬキープレイス。幸一がつぶやくように、それは鎌田行進曲のあの場面を思い出させる。実際、役者崩れの幸一は、「あんな役がもらえたら、俺、死んでもいいと思ったもんな」とまでつぶやいた。そして弟の真二は、大河ドラマの主演、宮本武蔵役を「ホンがつまんなくてな」と蹴って、事務所まで辞めて、この田舎町にやってきた。
役者兄弟なのだ。弟は大スターなのにつまらないプライドなのかなんなのか、すべてを棒に振って兄夫婦の住む田舎町にやってくる。そして劇団員である兄は、もう三年も役をもらえず、「一切の労働を拒否して、主役抜擢に賭けてたのに」とか意味の判らないことを言って、ヒモ生活を続けていたんである。

冒頭、明子のモノローグで、この家の家賃も生活費も私が払っている、と語られる。結婚して三年、夫は役がもらえないまま、つまり何もせずに一日家でゴロゴロし、酒をかっくらっている。その家というのも、一軒家ではあるけれど、きのこが生えそうな古い木造家屋で、古びたふすまとかヤバいぐらいである。
それとハッキリと対照になるのが、記憶喪失になった幸一と暮らすことになるクメ子の住まいで、ちょうどこの木造家屋の玄関先を真下に見下ろすこじゃれたマンションなんである。

冒頭のシーンでの、幸一の幼稚な言動に、こりゃー明子がうんざりしてる図式かと思った。タイトルから、弟が来て、そのうっぷんをぶつけるのかと、思った。
でも違った。明子は幸一のことを愛しているし、幸一もまたそうなのだ。だから哀しいのだ。

幸一は座長の女である明子を奪う形でこの状況に至っている。まぁ、役がもらえないのは、後に弟から言われるように単に芝居がヘタだからかもしれんが、幸一はそんな自分がふがいないし、明子もまた、彼をスターにしたいとずっと思ってきたから、そっけない返事を続けた先で、こらえきれずすすり泣いてしまう。
そして二人は幸せそうなセックスをする。愛し合っているんだということが判るような。でも、明子は幸一が役者を辞めるのかと、まだうじうじとつぶやいている。

だから、もう、この時点で幸一は、明子のためにも、彼女の前から消えてしまった方がいいんじゃないかと、思ってたんじゃないかって、思えたのだ。
それはぼんやりと、妄想のようなものだったかもしれないけれど、思いがけず長い長い石段から転がり落ちてしまったのだった。それも、憧れの鎌田行進曲のことを夢想していた時だったのだから。

幸一を突き落としてしまった形になったクメ子は、常識的に考えて救急車呼べよとも思うが(爆)、記憶を失った幸一にショックで泣いてしまいながらも、彼と暮らし始める。
はじめに書いたように……この時本当に、幸一は記憶を失っていたのだろうかと、思うんである。クメ子と明子との邂逅があって、四人が顔を揃えた時に幸一はもう一度階段から転がり落ち、クメ子はこれで記憶を取り戻してしまうと怯えるのだけれど、状態は変わらない。

この時記憶を取り戻していたのにそうじゃないフリをしたのか、最初の階段落ちの時から記憶喪失というのがウソだったのか。
ラストシーンで弟の真二が、「あんたってホント芝居ヘタだよな」と暴いて笑い合うのだけれど、確かに真二が目撃したのは二度目の階段落ちの後の兄貴であり、その前は見ていないから何とも言えないのだが、でもやっぱりやっぱり、最初からそうだったんじゃないのかなぁ。

だって幸一は、クメ子のマンションのベランダから、明子が玄関先を掃除しているところを眺めていた。クメ子が、あの奥さん熱心ね、と声をかけるけれど、きっと幸一はその前からずっとその姿を眺めていたに違いないと、後から思えばきっとそうなのだと思っちゃう。
愛する妻の望むスターになれなかった自分。実際のスターである弟が転がり込んできて、本が気に入らないから降りたとか言って、彼の心が動揺したんじゃないかと思っちゃう。妻は、自分がスターになることを夢見ていた。3年も経てばそりゃぁ……重荷になるに決まってる。

クメ子側は、どうだろう。田舎町に住んではいるけれど、瀟洒なマンション、勤め先は大都会の編集部。大スターのスクープ企画を上司に持ちかけるキャリアウーマンである。そのビルの清掃員である明子と行き合うというのは偶然過ぎるが、まぁそこは気にしない気にしない。
ビルの清掃員……それは、プー太郎第二号として転がり込んできた真二に幸一が提案した仕事だった。当然、真二は拒否し、幸一が失踪した後もまるで兄の後を継ぐかのようにプー太郎生活を貫いている。
明子はもともと、近所のラブホテルの受付の仕事をしていたんだけれど、オーナーにレイプされてしまって、そのショックから、ちょうど幸一が明子を探しに出ていたタイミングで、真二に「私を犯して!」と無理強いしてしまう。

正直、このシークエンス、ピンクのカラミパーセンテージのためのムリヤリとも思えなくもないが、明子が真二に、手込めにされた、と古風な言い回しをするのが、なんかグッときちゃうんである。

ほんの20年ほど前の作品なのだが、冒頭から明子のたたずまいは昭和の専業主婦感マンマンだったし、働かない夫のために働く場所としては、オーナー自ら給料が安いからいつかない、というぐらいの職場、来客にカギを渡すぐらいの業務で、のんびり本を読みながら、というんだから、「私が家賃も生活費も払ってる」と言う割にはのラクチン加減。
この職場を離れ、その後勤めるのが、過酷さの代名詞である清掃業であるというのが、愛していた筈の夫との生活の時より、真二との生活によって人間としてスキルアップしているのがアリアリであるのが、なんか切ないというか。

幸一もまた、である。やっぱりきっと、最初から、記憶喪失なんかじゃなかったんだと思う。クメ子と出会って、彼女を愛してしまって、身体だって最初から何ともなかったんじゃないか、それでも一ヵ月静養してみせて、仕事への意欲を見せた。
それは、クメ子とセックスできたタイミングでもあった。自分が何者でもないのだからそんなことはできない、と拒んでいたのは、本当に記憶喪失であったかどうかによって、その意味合いは大きく変わってくるから……。

あんなにも自分を愛してくれた、その可能性を信じてくれていた妻、明子を、その期待を裏切ってしまった、その決定的ないわば修羅場が冒頭の場面だったのだ。
そう思うと、もう劇団を、役者を辞めたいと思っていたのに、辞めるのかと湿っぽく聞かれてしまったら、私のせいよねと言われてしまったら、そりゃ、そりゃぁ……自分を全否定して、無き者にして、消えてしまいたくなったとしたって、ムリはないのだ。

でも双方、新しいパートナーと愛を育むスピードが速すぎるけどね(爆)。幸一が失踪して一ヵ月、それぞれのカップルは愛を交わした。お互いの事情を知らず、クメ子は明子と、お互いのパートナ―を交えての飲み会を約した。
その直前に、あの石段で四人は遭遇してしまう。明子のパートナーが真二であることにクメ子は驚き、明子と真二はクメ子のパートナーが幸一であることに驚く。
この時の幸一の表情は……もうさ、もう一度階段から落ちるしかない!!だったのかもしれんね。だって、二度目の階段落ちなんてさ、もはやギャグだもん。ちょっと引きでごろごろ転がる幸一の画は、笑っちゃうもん。

幸一の記憶が戻ってしまうことを恐れていたクメ子が、なんか胸に来るんだよなあ。バリバリのキャリアウーマン、なのに不思議に田舎町に住んでいて、でも、都会のようなマンション生活。ねじれたプライドが見え隠れするというか。
そんな彼女に飛び込んできた、何もかも失った無防備な男性である幸一が、知らず知らず、彼女が求めていた存在だったんじゃないかって。
クメ子は二度、号泣する。自分が突き落としてしまった幸一が、記憶をなくしてしまっていることを知ったのが一度目、記憶を取り戻すことを恐れていたのが、二度目の階段落ちでもそのままの状態だったことを知った二度目。

時間が経過し、幸一は配送の仕事をしている。そこに、タクシーで真二が通りかかる。明子に語ってた。三島由紀夫の金閣寺、これをやりたいと。
幸一はそのドラマを観たと言い、真二が礼を言い、そして……「なぁ兄貴、これで良かったんだよな?」ふと真顔になる幸一。

二度目の階段落ちの時、幸一は、明子と真二が誰だか判らないと言ったのだった。だから、この台詞で顔色を変えるなんて、無い筈なのだった。
この、幸一と真二の顔のアップのカットバックでのラスト、強烈なインパクト。芸能界とか、大河ドラマとか、いわば大風呂敷を掲げていながら、非常にミニマムな人間ドラマという、ダイナミックなギャップが、ピンク映画でしか私は見たことないと思うぐらい。
思い切ったバックグラウンドを見せ切る自信がなければ出来ない。それが、この印象的なカットバックにこめられていると感じた。★★★★☆


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