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剣鬼
1965年 83分 日本 カラー
監督:三隅研次 脚本:星川清司
撮影:牧浦地志 音楽:鏑木創
出演:市川雷蔵 姿美千子 佐藤慶 五味龍太郎 睦五郎 工藤堅太郎 内田朝雄 島田竜三 水原浩一 戸浦六宏 伊達三郎 戸田皓久 杉山昌三九 玉置一恵 浜田雄史 木村玄 小村雪子 香川良介
そうではない市川雷蔵、普通の青年。いや、ちっとも普通じゃない。なんと、獣姦の末産まれた子だという、まことしやかな噂を立てられている青年。それも、よんどころないご身分のところからである。
信州の藩主、正信の母まきは狂気のため、いやこれも、噂だけだったかもしれないが、奥向きに遠ざけられ、侍女のキンだけが彼女のそばに仕え続けた。死ぬ直前、“狂気から覚めた”まきは、キンに礼を述べ、愛犬を私と思うように、と言って死んだ。
美しい黒髪が枕の周囲に放射状にばさりと波打つ様が、妖気漂う美しさ。俯瞰でとらえるカメラが、まきのそばにふせて使えるブチの大きな犬、反対側のおそばにはキン。
いや、違った。冒頭の冒頭は、キンが出産直後、胸をかきむしるようにして悶え死んだ場面なのであった。そしてその後、口さがない藩の侍たちが言うことには、男子禁制だったのにキンがはらんだこと、まきの愛犬がその後、朝となく夜となく吠え続け、何も食べずに飢え死んでしまったことをつなげて、産まれた子が犬との間の子だと噂したんであった。
重要なのは、このことが、もしかしたらマジかも、と観客に思わせたまま話が進むことなんである。男子禁制なのになぜはらんだのかという謎解きはなされず、生まれ落ちた彼は、犬がブチ柄であったことから、斑平と名付けられ、遠い貧農の家に預けられた。
いつくしんで育ててくれたその貧農の主が亡くなって、一人生きていくことになる斑平は、それまでもずっとそうだったのだろう、犬の子だと揶揄されて、もうこれはイジメだよね……男のイジメは意外と女より陰湿かもしれん……もう、見ていて可哀想で仕方ない。
でも、その育ててくれた人が死ぬ間際に彼に言った、誰にもまねできない技を身につけよと。それが斑平を藩への出世の道に導くんである。
それは、花を育てるのが得意なこと。犬の子だから土を嗅ぎ分けるのが得意なんだなどと、これまた口さがなく言い募る長屋のヤツらだが、その噂が伝わって、藩に召し抱えられる。まきの息子、癇の強い藩主、正信の心を鎮めるためにと呼ばれたんである。
でも、結果的には、花でこの藩主の心を鎮めることは出来なかったんだよね。本作の哀しさは、それ故だったかもしれないと思う。だって斑平は正信の信頼は勝ち得たんだもの。
気まぐれに馬を走らせて、急に止まらせて即座にくつわを外せなければムチ打つ暴挙に出るという、まさにこの暴君なのだが、斑平は、馬より早いという俊足(んなバカな!!)で追いつき、正信のお眼鏡にかなうんである。
そう、んなバカな!な展開ではあるんだけど、そこは見せ方が上手いというか、カットを上手く割って、ウソくさく見えないのが見事である。
この信じられない俊足がまた、犬の子だからだと言い立てられるんだけれど、でもこれで正信は斑平を信頼したのだし、何より、自分が狂気の母親の子であると囁かれているのを知っている孤独の殿様で、斑平が、その母親につかえていたキンの息子だということも彼の心を安らかにさせたのに、なのに、何でうまくいかないんだろう。
斑平が正信の元につかえて、彼の心を安らかにさせることは出来た筈なのに、お互い母親への思慕が一方で蔑みの対象となり、孤独の心を共有できていたのに。
狂気の藩主に対する、二つの派閥の存在が悲劇の展開になる訳なんだけれど、その一方、いわゆる保守、狂気であってもあくまでお殿様の正信を守り続けるために、幕府の隠密や改革派の身内を容赦なく斬り捨てる選択をする側近、あーもう、佐藤慶が演じちゃったら、もう不穏でしかない!のだが……どうやら彼は、本当に藩主に忠誠を誓っていたらしいし、そのために降りかかる火の粉をダイレクトに排除するために、斬って捨てるという判断を冷徹にしちゃったってことらしいのだ。
うーむ、らしいらしいと奥歯にものが挟まったような言い方になっちゃうのは、そらーそんなことしたら、次から次へと抵抗されるだろということなんだが、佐藤慶のふてぶてしさのオーラがすさまじくて、なんだか言えなくなってしまう。
その殺し屋として、穏やかに花を育てていた斑平が彼のお眼鏡にかなう、かなってしまう。ここんところが本作の、市川雷蔵演じる斑平の、複雑なキャラクターの見せどころである。
信じたいのは、本質的なところは、斑平は花を愛する心優しき青年であって、長屋であからさまな侮蔑、イジメ、村八分にあっても、ただじっと耐え忍んで慎ましく生活を送っていたんであった。
斑平に心を寄せる村娘、お咲はいたけれど、正直彼女の存在は、一人女の子のいろどりを入れるぐらいに過ぎない感じがして、それは、まきやキンの妖気や宿命の強さに対してあまりにも、おぼこすぎるというか……。
村の男に目をつけられて、あわやレイプされるというところを斑平がすんでのところで助けるシークエンスがあるけれど、なんでそんな都合よく斑平がそこにいたのかとか思っちゃうし、お互い思い合っているのは確実なのに、その想いを確かめ合うことさえできずに終わってしまう。
誰も知らない山奥の、川が流れているのどかな平野に二人手をつなぎ、ここを花でいっぱいにしたい、と言い合ったのが、いわば想いを確かめ合ったということなのかもしれない。
だとしたら、あまりに純真すぎる。そしてこの場が、血の屍だらけになってしまうラストを思うと、残酷すぎる。
斑平は、居合斬りの達人に出会った。ただ早く抜いて早く収めるだけだとその達人は言い、斑平は達人の技を夢中になって見続けて、会得する。達人から剣を授けられる。この才を見抜いた佐藤慶演じる神部によって、いわば暗殺請負人になっていく。
これはさ……花を愛する心優しき青年だったのに、居合斬りに魅せられてしまったことが運のつきというか、そもそもなぜなの、というか。いや、心優しき、心済み切った斑平だから、居合斬りはあくまで精神の究極的な到達点としてであったに違いなく、実際に人を斬るだなんてことを、この時点で想定はしてなかったに違いない、そう思いたい。
神部から依頼を受けた時も、それは藩主の正信様をお守りするためだと。だって正信とはお互いの母親を通じて運命を共にしていたから。
だから、この絶対的な運命が、それが明かされた一瞬だけで、まるで顧みられない、正信も斑平も、そのことを忘れたかのように、お互い悲劇の運命に転落していくのが、もったいないっつーか、そもそものこの設定どっかに蹴っ飛ばされちゃってるっつーか。
やっぱりそこは、怪優、佐藤慶に全部持ってかれちゃったのかもしれんなぁ。確かに彼は、藩主への忠誠を誓って、邪魔者を排除することがその証だとマジで思っていたのだろう。でも一方で、本当にそうだったのかという気持ちを観客に起こさせる不敵さ。
それは、藩主が狂気の末に井戸に身投げして死んでしまうと、自分の所業が追及されることをあっさり理解して、身を守るための逃亡を、別に恥じることもなく選択するってことなのだ。
まぁ佐藤慶ならやりそうというか(爆)。だから、市川雷蔵、本作ではザ・普通の善良な青年である彼が、この海千山千の男に、言い方悪いけどいわば利用されて、それでも神部は斑平に、自身と一緒に逃げようと言ってくれていたのに、あーあ、純真バカは、それを断っちゃう。
保守も革新も、藩を思えばがためだったという温情が下され、斑平は謹慎を言い渡されるけれど、斑平に斬られた藩の侍たちの遺族は当然いきりたつ。
お咲の手紙を模して花咲き乱れる美しい野原に呼び出され、実に30人ほどの侍たちと、斑平が斬り合うクライマックス。
斑平は、居合斬りを授けてくれた達人が実は隠密だったこともあって斬ってしまったり、本当に辛くて、可哀想で。でもさ、神部に命じられるまま、いわば同僚、勤務先の仲間である侍たちを次々に斬っていくっていうの、どういう心境だったんだろうって……。
そりゃぁ、確かに、お仕え先でも心許せる友はいなかった。心無い噂話もされていた。でも、正信の馬乗りにお供したいという斑平を受け入れてくれた上司もいたし、その俊足を皆が驚いたし、尊敬されていた筈、なのに、なんでなの……。たった一人認めてくれていたのが神部だけだったのが、なんでなの……。
斑平が突然、山奥の神社みたいなところに行って、厳重に封されている木箱をバコッと開けちゃって、その中には無数の刀が収められている。えーえーえー、何この突然の展開。
神部が言うところによると、いわゆる妖刀、とりつかれて人の命を奪った刀が、封じられているところなんだという。そんなん、あっさりバコッと開けるなよ。しかもその箱の中から刀をバンバン出して、これぞという刀、つまり恨みがこもりにこもった妖刀を、斑平は手にして、それを神部がいわば、立会人のように、しかと見届けるんであった。
この突然の、妖刀探索シークエンスが、分岐点というか、居合斬り達人に出会ったところで、風が変わった気はしたけれど、ここで完全に、哀しき宿命の泥沼に落っこちちゃった感じはしたかなぁ。
お咲が異変を嗅ぎつけて、二人だけの神聖な場所、花畑の野っ原にたどり着く。そこは、死屍累々、斑平の剣の腕に倒れた、無数の無念の亡骸である。
いくらなんでもという数に立ち合った斑平、ここはそらまぁ、時代劇のお約束感はあるけれど、無敵に強いのではなく、ボロボロに斬られ、手負いの状態ではあった。
お咲が駆けつけた時には、その手負いの斑平は姿を消していた。お咲が斑平の名前を呼ぶ。山々にこだまする。何度も何度も。
ふと、……斑平は、ブチ柄の犬となって、山へと駆けていったのかと思った。最初から最後まで、思わせぶりに、単なる噂、それも、意地の悪い、どの時代のどのコミュニティでもあるそれを見せつつ、日本の伝承文化の魅力を感じさせる要素もあって、そしてそれが醸し出す哀しさもあった。★★★☆☆