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ナマズのいた夏
2024年 88分 日本 カラー
監督:中川究矢 脚本:平谷悦郎 中川究矢
撮影:金碩柱 音楽:吉村和晃
出演:中山雄斗 架乃ゆら 松山歩夢 渡辺紘文 河屋秀俊 グエン・ティ・ザン グエン・ティ・バオ 山岡竜弘 川瀬陽太 西尾信也 古林南 岡村洋一 林田麻里 高崎二郎 清なおみ まなこ 平岡明純 大瀬勇希 細谷隆広 柴田愛之助
この町には“中途半端に大きな”川がゆうゆうと横たわっていて、そこで釣り糸を垂れるのが達生の、先が見えない彼のヒマつぶしの時間。いや、ヒマつぶしだったのか、後にも先にも行けなくて、どうしようもなくて、そこでただ釣り糸を垂れるばかりしかなかったのか。
とはいえこれは、群像劇でもある。まず最初に登場するのは主人公の彼ではない。この田舎町、お仕事に向かうデリヘル嬢の結衣である。地元のおじさまを上手におしゃぶりする彼女は、そのととのったおっぱいといい、もう見たとたんにプロのセクシー女優さんと判っちゃう。
いや、いいんだけど(爆)。結構こういうのって、キャラの見え方に影響すると思うから少し気になったけど、それは私がフェミニズム野郎すぎるのが良くないのかもしれない……。
結衣は登場シーンでデリヘルドライバーから、この土地の都市伝説を聞かされている。この大きな川には殺された男の子が投げ込まれていて、その死肉を食べている大きなナマズがいるのだとか。
後に彼女と合流する達生や彼の友人の哲也は都市伝説だと笑い飛ばすけれど、……いや、笑い飛ばしてはいなかったか。達生は東京に出ていたのに結局はここに戻ってきてしまう、何もない、何にもないこの地元で、その都市伝説が産まれたいわれを、誰よりも身に染みて感じているのだから。
いじめられっ子だった自分の身代わりに、ターゲットをすげ替えられて、自殺してしまった友達。しかもその死はなかったことにされてしまう。いじめっ子は代議士の息子だったから。
そして、達生の父親はしがない工場の経営者で、この地元のしがらみから抜け出せなくて、教師もまたそうで、達生の訴えは握りつぶされた。少なくとも彼はそう思っている。だから父親を疎んじ、会話さえしようとしない。
この作品の大きな特徴は、達生が父親をこんな風に一面的に見ているように、あらゆる人間関係、人間同士に、そうした単純な価値観の植え付けがあって、でもそれはそうじゃないんだと、その人それぞれに事情があって、それぞれに苦しんでいるんだということが立体的に示される。
今の時代はみんなが正義を振りかざして、自分の見えてる正義以外許せなくて、実はそうじゃなかったと示されたら、さっと姿を消してしまう。言葉だけで人の気持ちを殺し、姿を見せない卑怯な時代。
でもそれが、こうした時間が止まったような地方都市では、小さな頃から顔見知りで、抜け出せなくて、憎しみだけが増長してしまう。その、それぞれの事情を察知することも出来ずに。
達生はたまりかねて東京に進学したけれど、卒業後のことも見えずに地元に戻ってきた。ここには苦しい思い出しかないのに。
その達生と無邪気にたわむれ、無邪気に真なる正義を教えてくれるのが、地元の友人、哲也である。彼は本当に愛しい存在。いい意味で、単純。人それぞれに事情がある、ということは、達生なら判っていた筈で、でも自分自身の子供っぽい苛立ちでそれを封じ込めてた。
なのに哲也はそのことに接すると、まるで、世界にはそんなことがあるんだとばかりのピュアな反応をし、愛すべき反抗心で、凝り固まった大人たちに立ち向かっていく。
このひとときの夏を計画したのは哲也で、憧れの年上の女性にアプローチしたのが空振り、結果達生と、達生のかつてのバイト仲間の結衣との三人で、旅行に行く計画さえも頓挫し、達生の父親が経営する工場の寮になっているアパートの空き室に寝泊まりして、釣りをし、ナマズを喰らうんである。
本作の、もう一つの大きなテーマは、外国人技能実習生なんである。めちゃくちゃ痛ましいニュースが聞こえてきていたから、そしてこのテーマが織り込まれる映画作品には初めて遭遇したから、ドキドキした。
一見、夫婦かしらと思えた男女の実習生は、そうではない、んだよね?女性の方は母国に子供を残しているという。そして、友人の子供だという幼い男の子を仕事の合間に面倒を見ている。
いつもはメガネをかけている彼女が、オフの日にはかけずに現れて、全然雰囲気が違ったから、違う人なのかと思って、しばらく混乱してしまった。職場では、そして信頼できる人以外の場では、大きなメガネをかけて表情を隠して、感情も隠して、自分をガードしていたのかもしれない。
男性の方は、改めてお顔をじっくり見てみると、とても幼く見えた。細くて、風に吹かれたら倒れそうなのは、体格だけじゃなくて、職場のパワハラに疲弊した果てであったと思われた。
正直このパワハラの図式はめちゃくちゃ判りやすくて、達生の父親である社長は実習生を受け入れるためのあっせん料も払っていて、工場自体がキュウキュウであることから、いわばこのパワハラを見てみぬふりをし、残業代も払わずにいる。
達生はそんな父親を、子供の頃から拒否反応を示していながらも何も言えず、そこに事情を目の当たりにした哲也が憤って、いわば関係ない立場なのに斬り込んでいくのがスカッとするし、こんな存在がいてほしいとも思う。
でも……結局はね、先述したように、人にはいろいろな事情があって、という立体的構造が徐々に示されてきて、パワハラをしていた現場責任者には、彼がひとりで面倒を見ている老いた母親がいて、達生の父親である社長はなんとか資金をやりくりして残業代もいずれ払おうと奔走して、てなことが示唆される。
これはね……判るんだけれど、多面的、立体的ということを盾にして、今苦しんでいる人たちを置き去りにしているような気もしてしまう。言い訳のように聞こえてしまう。
優しく辛抱強い実習生たちは、最後の最後、工場を畳むことになって、他に働き先も出来て、謝罪してきたパワハラ責任者と和解はするけれど、それこそ自殺したシゲルのような道を選んでしまっていたら、取り返しがつかないのだ。そんな事情など斟酌される筈がないのだ。
正直、こうした言い訳めいて見える事情を示されると、だったらあのいじめっ子や、その親御さんや、彼らに怖気づいて事実をもみ消した人たちにも、それなりの事情があったからねと言われかねないと恐ろしくなってしまう。
ところで、デリヘル嬢の結衣である。彼女は母親が亡くなった後、居心地の悪い親戚のところに”捨てられて”、まぁつまり父親を恨んでいる。興信所に頼んで父親の居所が判ったのだけれど、訪ねることを躊躇している。
そんなひとときの間に、まさにひと夏の青春で、達生、哲也、ベトナム人実習生の二人、男の子と楽しいひとときを過ごすんである。
アルコール度数の弱い、甘い缶飲料で酔っぱらっちゃって、結衣は、まぁあれは明らかに誘った形で、もう少し飲む?なんて言って達生の部屋に転がり込み、ヤッちゃう訳である。
いいさ、全然いいさ。こうやって恋が始まることもあるし、酒の力を借りて突破しちゃったってことは、双方にそれなりの気持ちがあったってことさ。
なのに、達生が、まぁ言い方がいけなかったのかなぁ。先にこんな風になっちゃったけど、結衣のことが好きだったんだとつぶやくと、なんかもういきなり、はぁ??みたいに結衣は怒っちゃう。一回ヤッただけで彼氏気取りかよぐらいな勢いである。
いやいやいや。あんたが誘ってこうなったのに、これぞ典型的な逆ギレやろ。確かに単純にのぼせ上った物言いの達生は幼いなぁとは思うけれど、決して彼の気持ちはウソではなかったと思うし、結衣の術中にはまってセックスして爆上がりして、なのに斬って捨てられるだなんて、そりゃないんじゃないの……。
一体結衣はどうしてほしかったの。ただ単にセックスしたかっただけ?そうかもしれないけれど、だとしたら、百戦錬磨の筈のあなたがとる態度じゃないよなぁ。
……すみません。フェミニズム野郎なもんで、女の子には常にプライドを持ってカッコよくいてほしいのさ。
でね、結衣は、あれこれ悩んだんだけれど、結局父親に会いに行く。再婚した女性と子供たちと幸せに暮らしていると思っていた、だから、憎んでいたし、躊躇していた、なのに、訪ねた父親は若年性アルツハイマーでもう恍惚状態で、しかもそれは、結衣が捨てられたと思った直後からのことだというんである。
父親は結衣を引き取りたいと言っていた、だけど再婚相手の女性が、彼の発症もあってそれを拒否した。そして長い時間が経って、結衣はこんな思いがけない状態に直面し、物語の最後には父親の葬儀の後、喪服姿であの大きな川べりを歩き、ベトナムのあの可愛い男の子が駆け寄り、手をつなぎ、歩いてゆく。
自分の定規ではかり、憎み、恨んだ人たちにも、それぞれの人生がある。頭では判っていても、実際にこうして直面することはほとんどない。だから、だから……先述したように、言い訳に聞こえちゃう、感じちゃうんだと思う。
だって、誰だって、言い訳したいもの。失敗しちゃって、誰かに迷惑かけて、辛い思いをさせて、でも大抵は言い訳することなんて許されないのだから。本作は、言い訳許されまくりで、優しいとは思うけど、それが出来ないから人生は辛く苦しいんじゃないの??
哲也がそれを優しく緩和してくれていたけれど、彼はそれこそ、自分でも自覚していたように、無自覚に無責任に(というのは、達也に接して彼自身が自戒したに過ぎないのだが)、死んでしまった友人、シゲルのことを忘れていて、忘れていたことを後悔したことさえ偽善かもと思っていただろうことは、達生には通じていなかった訳でさ。
だから、人間はみんな自分勝手なのさ。それをね、否定的じゃなくって、前提として、ありきとして、いなければ、人間関係なんて、崩壊してしまう。
結衣の父親にしても、達生の父親にしても、死なせなくても良かったんじゃないかと思うのは、死なせちゃったら、そうした懐疑、モヤモヤを、なんかハートフルストーリーの中に閉じ込めてしまって、親世代と子供世代でその想いをぶつけ合えないままふんわり終わらせてしまったんじゃないの、という気持ちが起こってしまうから。
判らない。どうなんだろう。私は、親きょうだいに恵まれていたから、こんなぬるいことを言っているのかもしれないけれど。★★☆☆☆