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青春ゲシュタルト崩壊
2025年 105分 日本 カラー
監督:鯨岡弘識 脚本:三浦希紗
撮影:玉田詠空 音楽:牧戸太郎
出演:佐藤新 渡邉美穂 田辺桃子 新井美羽 水橋研二 濱田龍臣 藤本洸大 戸田菜穂 瀬戸朝香
全然、ぜっんぜん、違った。学生時代の、狭いコミュニティの、そこで生き抜くために自身を殺す少年少女の物語は、誰もが通ってきた道だけに、通ってきたけど今はそうじゃない場所で息がつけているからもう振り返る気もなく、だってあんな大変な想いはもうしたくないって、誰もが思っているから。
ならばなぜ、繰り返されるのだろうと思わなかったのかとも今回突きつけられて。それを経験してきた大人がなぜ、そんな彼らを導けないんだろう、って。
原作の試し読みが出ていたからちょっと覗いてみたんだけれど、映画となった本作よりずっと、朝葉を追い詰める周囲がツラくて、慌てて読むのをやめてしまった。映画では残酷な圧は同級生からだったけれど、原作ではどうやら下級生からも向けられてて、これはキツいわと思った……。
朝葉を助けることになるクラスメイトの男の子、聖のキャラ設定や、映画の尺も鑑みての整えたあれこれがあったんだと推測される。ちょっと試し読みしただけで、朝葉が追い詰められるのがさもありなん、という、女子特有の残酷な会話描写がキツかったので、これに引っ張られたら確かに、映画作品としては難しくなってしまったかもしれないと感じた。
そもそもの、青年期失顔症という架空の病気である。これが慧眼というか、凄い思いつきだと思った。本当にそんな病気があるのかと思うぐらい、ありえなくない、と思われた。
ゲシュタルト崩壊という刺激的なタイトルは、この病気の原因となるものを刺す。なるほど、まとまりのあるものを見続けることによってバラバラに感じてしまうという現象は、ひとつのことにとらわれてしまうという人間の負の特性によって引き起こされると考えれば、凄く納得がいく。
青年期の、狭いコミュニティの中で、そこだけが世界で、ここで生き抜かなければならないと思い込んでいる少年少女が、そのアイデンティティたる自身の顔を見失ってしまう、という症状は、驚くほどリアリティがあるのだ。
本当に、ありそうだもの、そんな症例が。しかもその病気にかかってしまうのは自分を偽って、演技している人たちという謝った認識が広まっていて、揶揄され、追い込まれてしまうというのも、めちゃくちゃリアリティがある。
こうした精神的から発する病気じゃなくても、昨今ならコロナ、近い昔ならエイズ、あらゆる感染症も、まさにこうした優位的差別意識で排除され、追い詰めてきた歴史がある。人間社会にそもそもあるこの図式が、ちょっとしたことで凝縮されて現れるのが、学生時代の社会。
冒頭、朝葉がモノローグする、この狭い社会で生き抜かなければいけないと思い込んでいた、毒素を食べ続けるしかなかった、という場面、保健室で飼われている、小さなお魚たちの中に、一回り大きい赤いお魚が紛れている様子が描かれる。
後に保健の雨村先生から、同じ種類の魚たちの中では上手くいかなかったのが、今はここで落ち着いているんだと聞かされる。一見、ただ一匹、違うお魚で異質のように見えるけれど、ここが彼(か彼女)にとって、行きついた平安の場所だったのだ。
朝葉はじめ、学生、いや、大学生になればもう、コミュニティはあまり関係なくなるから、高校生までかな、そうした彼らにとっては、とにかくこの学校というコミュニティが何より大事なのは……判る。
朝葉のようなイイ子、言葉を変えれば、イジワルな言い方になれば、優等生、誰にでもいい顔をする、雑用を引き受けるのが当てつけだとか言われて、ホント、ヒドいんだけど、だってさ、あんたらがそうできないだけじゃん、てことなんだけれど、古今東西、こういうことって、あるんだろうなぁ。
後に朝葉自身が述懐したように、人のために動くことが好きだったのに、人に嫌われたくないと思うようになった、ということこそがまさにであって、そういう心の弱い部分に、人は平気でつけこんでくる。
でもそれは……その人たちも弱いってこと、なんだけれど。特に中学生、高校生時代は、一瞬間違えちゃえば、糾弾される立場はくるりと、簡単に、逆転してしまう。だから常に周囲の空気や状況をうかがって、本当は言いたくない悪口に同調する。
それが、バスケ部の中で朝葉と一番仲が良かった杏里に象徴されるんだけれど、杏里も、そして口さがなく言い募っていた彼女たちも、彼女たちを主人公にすげかえて想像すれば判る、朝葉の立場になるのが怖いから。
そして朝葉も、そうなるのが怖いから雑用も引き受けるし、皆の頼み事も受けるし、先生への進言もしたけれど、それがイイ子ちゃんとして蔑まれる結果となるのは、紙一重なのだ。朝葉を追い詰めた彼女たちと朝葉とは、紙一重なのだ。
どうやら母子家庭らしい、今やそれを明確にすることさえしないぐらい、普通のことらしい。
大学を中退してバイトをしながら音楽活動をしているお兄ちゃんと、忙しく働いているお母さんとの三人暮らしの中で、しっかりしている、と認識されている朝葉はお母さんから、お兄ちゃんのようにはならないでよ、部活をしっかりやれば推薦も狙えるから、家庭教師を頼んだからね、と、これまた囲い込みスタイル。
ただ……決して悪い母親ではないのだ。ここもまた、朝葉が年若いゆえの、思い込み的なところがあって。とにかく彼女はイイ子で優等生だから、お母さんをガッカリさせたくない、っていうのも凄くある。
だから部活も勉強も頑張ってきた。青年期失顔症のことを言えなかったのも、間違った認識にとらわれて、同級生たちよりもお母さんにガッカリされるのが怖かった、と吐露するクライマックスはめちゃくちゃ号泣してしまう。
だけど、本当に、ここんところだよね。狭い学生のコミュニティもそうだし、家庭内もそうだけど、こう思われているんじゃないか、期待に応えられていないんじゃないか、と想像して先まわって落ち込んじゃう、っていうのが。
人はそれほど思ってないよ、期待してないよ、というのは、未来ある若者に対してはなかなか言えないけれど、大人になるほどにそれはある、あるのだ。でも10代の子たちにはそれは言えないなぁ……友達や家族に認められることが大きなファクターであることは判るから……。
大分脱線したが。そうそう、青年期失顔症である。これは……驚くべきアイディアの架空症状である。朝葉はこんな具合に部活の人間関係に追い詰められて、うっかり相談しちゃったスパルタ顧問もぜんっぜん判ってくれなくて(この顧問がサイテー極まりない!!)、悄然としてふと校内の鏡を見た時、自分の顔がボヤけていることに気付くんである。
焦って、鏡をブチ割って、我を忘れたところに、金髪の美少年、聖君が現れる。彼女が青年期失顔症であることをいち早く察知し、事情を判っている保健室の雨村先生のところに連れて行ってくれる。ここには、同じ症状を持っていながらも、それをオープンにしている下級生の中条さんもいて、部活がすべての世界だった朝葉が息がつける場になる。
聖君のいとこ、祈君との関係。祈君は聖君と幼い頃から親友のように仲が良く、同じ水泳でトップレベルで競い合っていたのだけれど、祈君が青年期失顔症を患ったことで、お互い水泳をやめ、実に一年以上、没交渉のままなのであった。
10代のこの時期の1年は長い、辛い。聖君は祈君に、不用意に励ましの言葉をかけてしまったことで逆に彼を追い詰めてしまったことをずっと気に病んでいて、この病のことを気にかけていて、だからいち早く、朝葉の異変に気付いたんであった。
保健室友達の中条さんも、聖君の水泳経由の友達であり、彼女もまた、妹との確執を抱えている。妹の方が水泳の才能があること、青年期失顔症の発症、それを理由にした訳じゃないけれど、水泳から距離を置いたこと……。
後に妹ちゃんに話を聞いてみれば、お姉ちゃんと遊びたかったから私も水泳始めたのにさ!というあまりにも可愛らしいプンスカで、ちゃんと話を聞けばすんなり解決することがほとんどなんじゃないかなぁ、って思って……。
いや、でも朝葉のそれは、なかなかに突破は厳しかった。後輩の中条さんの闘い、聖君と祈君の苦しい隔たりに触れて。
中条さんがなんか思い余って海に飛び込んじゃうなんていう、めっちゃ青春映画!!な場面、心配して探して駆けつけて、飛び込んだ朝葉、パニックになっちゃって、聖君が飛び込んで彼女を助けてさ、雨村先生も駆けつけて、なんかもう、判らん感じでみんなで泣いちゃう場面、良かったなぁ。
中条さんが吹っ切れたことを受け止めて、朝葉もまた、思いを新たにして。でさ、このあたりに来ると、朝葉と聖君との関係性も、いい感じに深まってきていて。
でもね、最初に言ったように、やっぱりそんな単純に恋ではないと思うのよ。それが発展するのはこの狭いコミュニティから脱した、大学、社会人の先だと思う。一見して甘やかに、自転車の二人乗りとか、駄菓子屋であれこれ買ったり、メッセージを添えた金メダルチョコをプレゼントしたりとか、もうこれはさ、この10代の時にしかできないことだもんなぁ。
最初に書いたように、このことを経験してきた大人が彼らをサポート出来ていない現状こそが問題だと思ったので、本作の、保健室の雨村先生は、めちゃくちゃ良かった。
それに対比する形で、バスケ部顧問の先生はサイテーだったけど(爆)、でも、昭和的男子教師像を判りやすく敵役にした感じもあったので、難しいところかなぁ。保健室の先生は、いつの時代も生徒たちの味方になってくれているという感覚はあるから、とても良かったけれど。
青年期失顔症のことを言えずにいた朝葉が、家族についにそれを吐露するラストシークエンスがめちゃくちゃ良かった。泣いた。お兄ちゃんがね、まずいいのよ。一見して、期待に応えられなかったお兄ちゃん、お母さんと上手く行っていないように朝葉には見えていたから、だから彼女は余計に自分に負荷をかけていた。
そうじゃないんだと。お兄ちゃんがさ、朝葉は俺とお母さんが上手く行ってないと思ってるだろと、そうじゃないんだと。確かに、朝葉がいろいろ乗り越えて、中条さんを助けようとして海に飛び込んでびしょぬれになって帰ってきた時、仲良くテーブルで食事を共にしていたお兄ちゃんとお母さん、なのであった。
いい子だけれど、しっかりしているけれど、でもまだまだ子供ゆえに見えていないところがいっぱいある。
お兄ちゃんとお母さんは敵対しているところはあるけれどそれと関係なく基本の部分で仲がいいし、信頼しているし、だから朝葉も、その前提でワガママ言っていいんだと、やりたいことを主張していいんだと。
金髪男子の聖君との自転車二人乗りとか、宣伝、対外的に恋ムードを演出する感じはあったけど、あくまで彼とは信頼の友情であったことが気持ちよく収束させてくれたと思った。
刺激的なタイトル、ラノベの先入観からは思いもよらない青年期アイデンティティの辛辣な、闘いの物語。見応えがあった。★★★★★
そんなことはどうでもいい。美香はオサムと同棲も長く続いていて、結婚したいのだけれど、オサムは煮え切らない。結婚とか苦手だって知ってるだろ、とよーく考えてみれば意味不明なことを言ってはぐらかす。まぁセックスではぐらかすんだから仲のいい二人と言えるんだろうけれど。
冒頭、二人が買い物袋やらトイレットペーパーやらを下げて商店街を歩くシーンからスタートするし、給料日前のつましいおかずの話なんぞも優しくって、確かに仲はいいのだ。セックスではぐらかせるというのが、単にまだまだ性欲のあるお年頃だからという訳じゃない。まぁそれもあるかもしれないけど(爆)。
でも、倦怠期、という言葉が浮かんでしまう。長い同棲生活から結婚へのハードルは、双方の温度差が違うほどに上がりまくる。美香は商店街を歩いている時から、通り過ぎる子供が可愛いと何度も口にしていたし、それに対してのオサムは一度は相槌を打ったものの、二度目になるとそうでもないだろ、と気がなさげだった。
美香が結婚を望んだのは、子供が欲しいというのも大きかったのかなぁ。いや、なんつーかね、ここ数年で女性にかけられる結婚や出産のプレッシャーは劇的に変化し、ジェンダーの多様化もあって、今こうした、それまでだったらテッパンのテーマで作品を作れなくなっていると思う。
でも、子供の話題を口にしたのは冒頭だけだったし、美香の同僚である中年女性夫婦も子供はいないようだから、フェミニズム野郎の私が気にしすぎなのかもしれない。
予算やプライバシーの関係上、ピンクに子供を登場させるのは難しいだろうことは想像に難くないけれど、でも、もちろんそれを踏まえた上での作劇なのだから、そこに意味はあると思う。
個人的に、この中年夫婦はかなりグッとくるものがある。まぁありていに言えば、風俗で働いていた経験のある美香に、勃起不全となったダンナをなんとかしたいと伝授してもらうという、いかにもな展開ではあるのだけれど、それを実践するカラミシーンももちろんあるのだけれど、なんていうか、この中年夫婦のたたずまいは、静かなわびさびというか、そんなものを感じるんだよね。
仲はいい。だからセックスが上手くいかないことが哀しい、それを若い同僚女性に相談して、ありがとう、だなんて。ピンクでしかありえない、奇跡的なしみじみとした中年夫婦の情愛。
達する時に足を突っ張ったら爪が伸びると言い張るのよ、と爪切りを探しているダンナを愛おしそうに言う彼女が、そしてしんとした部屋の中でぱちぱちと爪を切る中年旦那が、しみじみとしちゃうんである。伊藤猛氏が長身を折り曲げるようにして切っている姿が、イイんだよなぁ。
おっと、自分と年の近いワキにひっぱられてしまった。メインメイン。美香とオサムはそれぞれ、いわば恋をしちゃう。
美香がアルバイトをしている弁当屋にきっちり午後三時、毎日イカフライ弁当を買いに来る青年がいて、きっちりいつもだから、三時に合わせて美香はもうイカフライ弁当を用意しているんである。もうその時点で、この青年が気になっていると言ってるようなもんである。
この青年、進は、ある日意を決したように、美香に想いを告げる。しかもいきなりのプロポーズである。奥さん、と呼びかけていたから美香が結婚していると思いこんでいて、それでも旦那さんと別れて僕と結婚してください、という飛び越えようだった。
一方でオサムは、彼はデリヘル嬢の送迎ドライバーをしているんだけれど、新人のチアキに一目ぼれをしちゃって、客としてでいいから彼女とヤリたいと、美香に借金を申し込もうとまでした。でもドライなチアキにヤっただけであっさり袖にされちゃう。
一目ぼれをしちゃった、というのは、解説文からそうなんだと思ったけれど、正直そこまでの情熱なのかなぁという感じはした。美香から責められて、なんだかメンドくさくなっちゃった先での性欲処理、のような気もした。
そもそも彼は自分の仕事に全くプライドがなく、危険な客から逃げてきたデリヘル嬢をいたわるでもなく、どうしたの?きょとん、みたいな有様なのであった。
美香との出会いは風俗嬢であった彼女と客であり、風俗の仕事を辞めさせて今に至るのであろうから、彼の仕事の選択と、そのやる気のなさは、矛盾している。ピンクの中では風俗は特段否定的に描かれることはなく、日記氏のキャラクターに描出されるような達観した女性が時にカッコよかったりもするのだが、でも彼は、それが判っていないからこそ、ダメなんであろう。
美香の同僚の中年女性は、彼女が風俗の仕事をしていたと知ると、意外なことに驚きはするものの、そのプロフェッショナルに敬意を表し、アドバイザーとして教えを請うのだから、やっぱり根本的な、ここんところ、なんである。
美香にいきなりプロポーズをしてきた、“イカフライ”の男、進である。個人的に、オサムなんて切って捨てて、この青年に賭けてみれば良かったのにと思っちゃうのは、少女漫画的運命をついつい信じちゃう、ロートル女の悪い癖なのだろうか??
でも美香だって、きっかり三時に仕上がるようにイカフライ弁当の準備をしていたし、きれいですねとまっすぐに言われて、悪い気がする筈はなかった。一度デートしてみますかと提案して、お互い土木作業服と弁当屋の制服姿ではないことに新鮮さを覚えたのだけれど……。
そのトキメキを押し通して良かったんじゃないかなと思っちゃうのは、良くない?私は進の純愛(ちょっと猪突猛進過ぎてコワいけど)が、オサムの身勝手さを打ち砕いてほしいと思っちゃったけどなぁ。
美香はオサムの浮気を知ることはないけれど、オサムは美香からイカフライ青年の話を聞いているのだし、なのに、自分はチアキに岡惚れして大金をはたいたくせに、美香を縛り付けるような言動をするもんだから、フェミニズム野郎としてはキーッ!!となってしまう。
浮気に気づいていないにしても、オサムの煮え切れなさ、オナニーしているところを見せてよとかいう勝手さに美香が沸騰したことにめちゃくちゃ共感しちゃう。
今までは見せてくれたじゃん、って何それ!それは愛し合っているセックスの過程での、信頼関係があってこそでしょ!!マジでこれはサイアクだと思った……。なんか上手く説明できないけど、こうしたところに性加害のタネが潜んでいるような気がしてしまう。
すみません、フェミニズム野郎爆発して、脱線してしまった。えーと、なんだっけ。で、イカフライ青年、進をフっちゃって、傷心の進はデリヘル嬢を呼ぶ。
あ、言い忘れていたけれど、美香に対する恋慕は唐突なものじゃなく、実は風俗嬢時代の美香の客、しかも童貞さんだったんである。そりゃぁ、恋しちゃうよなぁ……。同じ客だったオサムが、恋人同士になっちゃうと、倦怠期を迎えるくせに束縛しちゃうというこの対照が、ああ、なんと人間は勝手なんだろうと思ってしまう。
だから、まぁ……もし進を選んだとしたって、また同じことに繰り返しだったのかもしれんしなぁ。客観的に、観客として見る限りでは、つまり同性としては、美香の気持ちがいまいち判らないというか、子供とか結婚とか、付き合って長いんだからけじめをつけるべきとか、昭和的アナクロニズムを感じてイライラしたのは正直なところ。つまり、美香は、ただオサムを愛していたというだけのことを、信じられたら、感じられたら良かったと思うんだけれど。
オサムにしても、美香に去られたことで彼女を愛していたことに気付いたというよりは、彼女が用意してくれた食事が尽きてから、弁当屋に赴き、姑息にも三時きっかりにイカフライ弁当を二つ注文し、一緒に食べよう、食べ終わったら結婚しよう、とか言いやがる。
食生活に困っただけやろと言いたくなるのはいけないのかなぁ。そうじゃない、そんなんじゃない、それだけじゃないことは判っちゃいる。
きっと同棲する時に買ったであろう、オシャレなテーブルが物置状態になっていて、その椅子も無駄に(爆)オシャレなんだけど、そのことを、オサムが美香に何気なく言うシーンがあるんだけれど、それが彼にとってどういうことなのか、彼女にとってどういうことなのか、この長い同棲生活がお互いの気持ちをすれ違わせていった象徴のことを話しているんだと思うから、こういうところ掘り下げに掘り下げて、地獄を見るほどに掘り下げてほしかったようにも思う。
だって、ぬるいんだもの。女の結婚願望を男が観念して叶えてハッピーエンドにしちゃったように思えちゃうんだもの。そうじゃないだろ!!と思うけれど、結局はオサムが大好きな美香が、その台詞に嬉しそうにしてしまったらそこでラストクレジットに突入しちゃったら、もうそりゃぁ、何も言えないじゃない。
女の幸せっつーことが、これだけ単純だった時代は、それはそれで、良かったのかもしれないけれども。★★★☆☆