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素敵すぎて素敵すぎて素敵すぎる
2025年 67分 日本 カラー
監督:大河原恵 脚本:大河原恵
撮影:平見優子 音楽:椎名琴音(4&1/2)
出演:大河原恵 名村辰 みやなおこ 鎌滝恵利 はやしだみき 荒木知佳 安東信助 森喜行 山本圭将 金子清文 富山えり子 松崎天海 椎名琴音 廣田朋菜 福本剛士 きゅありん 見里瑞穂 松?翔平 林大貴 新井秀幸
あ、良くないな、これはこの日上映後のトークショーでゲストに来ていた菊地監督がこの引いたシーンに言及していたから気づけたこと。トークは興味深かったけど、どうしても自分の印象が作用されるから、気をつけなくてはいけない……。
だから普段は、トークショーは避けがちなのだが、なんたってあまりにも不思議な物語なもんだから、監督兼主演の大河原恵氏、相手役の名村辰氏と菊地健雄監督のトークを興味深く聞いたのであった。
再度改めて思うに、物語は判りやすい、というか、ある意味王道というか、ヒロインの失恋物語、と簡単に言ってしまえばそうなんである。
冒頭、幸せそうな結婚式、そこに乱入する元カノである、監督さん自ら演じる主人公の春田。記念写真撮影の瞬間、元カレの腕をとってカメラ目線でパチリ。カメラを奪ってその場から逃走。
そしたら、ガシャン!と車にぶつかる衝撃音、頭から血を流して倒れる春田、という画を映し出すもんだから、すわ、これは死んでしまったか、とドキリとするが、ムチウチで済んだのか首にギプスをはめた春田は、病室のベッドで目覚めると、元カレの横溝に首を絞められているのであった。
いや、これは横溝ではなくカステラ。カステラ……?春田が交通事故に遭った時、そこに散らばっていた四角い切れ端、あぁ、カステラ!そのカステラを肩に乗っけた横溝ソックリの青年は、自分はあの時のカステラだ、食べられなくなってしまった、どうしてくれる、と春田の首を絞めて迫るんである。
カステラて。もうこの一点よ。カステラの精という訳でもなく(それもおかしいが)、自分はカステラだと言い張る横溝そっくりの青年。トークショーで監督さんが語っていた中で最も興味深かったのは、最初は横溝とカステラは別の役者さんにするつもりであったということなんである。それならまさに、カステラの精である。
でも同じ名村氏が演じて、手ひどく裏切られた元カレソックリの存在であることによって、春田はより混乱し、はたから見れば狂気の行動に突っ走っていったようにも見えるけれど、なんだろう……。
だってカステラなんだもの。見事に、横溝とカステラは、同じ役者さんが演じていて、ソックリどころじゃない、同一人物なんだから春田は惑うんだけれど、さすがというか、まったく、別人物なんだよなぁ、と思う。
横溝は、判りやすくクソである。元カノの春田(てゆーか、きちんと清算してない時点で、現カノだと思われる)にナイショで別の女と結婚して、春田から責められたらこれぞザ・逆ギレの冷酷無比。
一方、横溝にソックリなカステラ君は、最初こそ春田の首を絞めていたけれど、そう……この登場シーンは、観客を欺くものだったよね。だってカステラ君は、とてもとても優しい青年だったんだもの。傷ついた春田を見守り続ける存在だった。この冒頭は、彼自身が横溝を模して、演じて、春田の前に現れたように見えた。
それにしても横溝というクソ男はどうなんだろう!中学校かな、そこの同僚。横溝は教師、春田は清掃員か、事務員というのか、そんな微妙な立場の違い。
こっそり結婚したことを職場にすら言っていなくて、春田がそれを暴露(というのもヘンだが)したことに怒ったりする。職場に結婚をヒミツにするなんて、常識的とは思われないが……。
この横溝に関しては、どうなんだろう……。付き合っていた春田に別れを告げることさえなく結婚したというクソ男なのに、春田に逆ギレするという超クソ男。まぁ確かに春田の結婚写真撮影乱入は、彼のメンツをめちゃめちゃにしたけれど、でも自業自得だし、なんたってこの時の協力者は横溝のお兄ちゃんなのだ。
これは、かなり気になった。この危険な任務を春田に協力して遂行してくれたこのお兄ちゃん、春田のことが好きだったということなんじゃないのかなぁ、と思ったんだけれど、そんなヤボな展開にもならなかった。てゆーか、次々に個性的な登場人物が現れて、一時、この冒頭の、重要人物を忘れていたくらい、だったから。
次々に現れる登場人物、それは、春田がバイトする文房具屋のメンメンである。地方都市に古くからある、地元の学生はマストで通うような、文房具だけじゃなく、キャンディとかスナックとかも置いてあるような、中規模文房具店。
新作を求めて通うはげ散らかしたおっちゃん、ここには絶品のカニご飯がある筈だとやってくる女性客は、後に春田が“忘れられないブラ”というキャッチコピーに惹かれてブラジャーを買う店の店員さん。
そしてこの文房具屋の店長さんとスタッフの女性は、めちゃくちゃ狭い部屋、いや、クローゼットに住んでいて、店長さんはこの場所で、この狭い狭いクローゼットで、中華料理バーを経営することを夢見ている。
いつもラー油を買い忘れるんだと言って、アイドルのライブに持参するようなうちわに、ラー油忘れるな!!とレタリングして掲示している。
もうこのあたりになると、これは奇妙な世界のシュールな物語なのかとも思えて来るけれど、春田が横溝に思い続ける気持ちは驚くほどに変わらないし、そしてカステラ君は……彼は、春田のために現れた、春田の心の中だけにいる人だったのかなぁ、判らない。
でも、春田自身が、そもそも危ういというか。母親と二人暮らしなのかなという描写が描かれるのだけれど、プラスチックグラスでテーブルクロス引きを練習している母親、というところからスタートする、しかも、なんつーか、薄暗い、古ぼけたアパートの一室、みたいな感じで、この一発で、春田と母親の二人暮らしの、それまでの経過とかが想像されてしまう。
どうやら娘の結婚式の余興のためと練習しているらしいこの母親に、ちょっとした狂気も感じるし、横溝に裏切られたことを春田は母親に上手く説明できていない感もあって、この親子シーンはなかなかに怖いものがある。
カステラ君が春田の前に現れたのは、この母親の存在も関係しているのかなぁ……。春田自身も当然受け入れられず、この事情を誰一人共有すらすることがなかったカステラ君だけれど、春田の母親は何かを察知してカステラを手作りしだしたのだから。
カステラのドミノが、そりゃぁカステラ、柔らかいからトントン倒れないから、全然、ドミノ行かないよ、そりゃ、という可笑しさとかいろいろクスリとさせられつつ、私たち観客は、一体何を見させられているんだろうというシュールな展開が続いた先に、ひとつ、転機となるエピソードがある。
先述した、春田がブラジャーを買う店。試着している間に接客をバトンタッチした店員は、横溝の結婚相手だった。試着室のカーテンを開けて、双方、あっという顔をした。
正直……この嫁さんの気持ちを聞きたかったし、それこそ春田と共有できる感情もあったと思うんだけれど、それをやってしまったら、別の映画になってしまうんだろうなぁ。フェミニズム野郎としては、ムズムズしちゃうけど。
春田は、ブラジャーをつなげ、冒頭に横溝が凧揚げをしていた描写をなぞるように、ブラジャーをつないだ綱をかかげる。その先には、凧ではなく、まぁ凧なのかもしれんが、まさかの、カステラで出来た巨大ブラジャーが空に浮かんでいる!
な、ななな、何それ!しかも春田は、川の向こう側に横溝を見つけ、大きな声で呼んで、今も大好き!!と告げるんである。
それは、そう告げることで、別れを告げることではあるんだろうし、それまでいかにもうっとうし気に春田を遠ざけていた横溝が、やけにすっきりした顔で受け入れているからそうなんだろうけれど、でもさぁ……。
一見してポップで可愛らしいつくりでありながら、何度も立ち止まらせてくる、これはなかなかに手ごわいよ!★★★☆☆
ベストセラー原作があるというから、これも最近の悪いクセなんだけれど、ついつい原作を当たってしまう。ざっと登場人物やあらすじを当たってみると……映画ではもう一人の主人公とでも言いたい、ヒロイン萌の親友、麗の影が薄いような印象。いや、未読なのに勝手に推測しちゃってアレなんだけど。
と、思ったりもするのは、私のような余命モノアレルギーに、見事ツッコミを回避してくれちゃって、ヤラれたなぁと思っちゃうから。
萌の、言ってみれば昭和の少女漫画的甘やかさ全開を、つまりはこんなんねーだろと思うような可愛らしさを、ここまでてらいなく描写したのこそ、その上でのことのように感じる。
小学校初日で倒れてから、萌はずっと、家から出られずに暮らしてきた。でも、学校に行きたい、授業を受けたい、給食を食べたいという願いを、両親は叶え続けてきた。学校の机と椅子を持ち込んだり、授業をプロジェクターで映し出したり。
でも冷静に考えれば……親友が欲しい、というところまでは確実に親の手が入っちゃってるんだから、結構これって怖い展開だなとは思う。
そっから先の、お互い可愛い可愛い言いまくり、白いドレスみたいなワンピース着て寝転がってワチャワチャしあうとか、もー何なの、女の子好きの心をくすぐりまくるやん!!
その萌が恋したのが、麗の幼なじみで、麗もずっと思いを寄せていた日向である。醤油屋の一人息子。はたと気づくが、萌も、麗も、日向も、みぃんな一人っ子なんだよね。いや、別に不思議はないが、きょうだいが介在すると物語的にメンドくなるからかなぁ、とか思っちゃったりする。
そう、どうもウロウロしちゃったけど、本作は萌と日向の短くも純粋すぎる恋のひとときであり、それだけを語ればそりゃぁ、それでいいのだった。
病院からの帰り道、それも辛い宣告をされたその道で、横断歩道で立ち往生している幼い女の子を助けている日向を見て、一目ぼれしたのだった。
執念って書いちゃうとアレだけど、思い返しても、これは執念としか言い表せない。可愛い女の子の涙涙の物語だが、読み解くと、結構強めな女の子なんだよな。病気で、小学校から中学まで自宅療養を余儀なくされて、日向を見かけた時には、後から明かされるところによると1年そこらの余命宣告をされているというのに(これも、親だけにじゃなく、年若い患者にいきなり宣告するもんかなぁという疑問が生じるが……)、恋をしたい、あの彼に会いたい、という一心で、こっから受験勉強したってことでしょ。
無事高校生になった萌は、これもまた奇跡的に日向と同じ学校、しかも同じクラスとなる。
これものちのちひも解かれるところによると、実は日向の方が萌を先に認識していて、それは、日向の母親が死んでしまった日の病院、萌が宣告されて、両親を逆に励ましている場面に遭遇、という、そんな偶然あるかよという展開。
後付けのあれこれにうーむと思ったりはしたけれど、二人のピュア恋物語は、そりゃあキュンキュンするものだった。後半、萌が死に近づくに従って、二人の奇跡の恋物語がフラッシュバックのように繰り返されるのだが、かわゆい二人のデートシーン、手をつなごうとお互い模索する手元とお顔のカットバック、イヤホン片耳ずつとか、それも学校の階段で座ってて、イヤホンが短くてお互い距離詰めるとか、夏のデートは浴衣とか。
なんつーか、われら昭和世代にグッとくる少年少女の初めての恋、な感じなんだよね。これに余命がかぶさったらまさに完璧、というような。萌が死に瀕するに従って、まるでミュージックビデオのように二人の恋物語の断片がいい感じに編集される、美しく。
日向を演じる齋藤潤氏は、そうかそうか、「カラオケ行こ!」のあの子か!!絶対知ってる、誰だろ誰だろと思いながら見ていた。
萌が見たがっていたストロベリームーン。彼女の誕生日が、まさに見どころの日だった。友人たちに見送られて、二人は湖のほとりに出かける。
原作ではどうだったんだろう。映画となった本作では、萌の親友となり、大人となった現在軸では語り部、いやそれ以上の、本作の真の主人公と言いたい、麗の存在が大きいから、彼女が、親友である萌を思って、死にゆく親友に対して、涙をこらえて進言したシーンが凄く、良かったからさ……。
一緒に行きたいねと言っていた、一面のひまわり。それを日向君は友人の手を借りて見事叶えた。萌の病室から見える外に一面のひまわり。何度も何度も手押し車で往復して。
萌と日向君のひととき、病院で、ハグして、ドキドキを感じて、ストロベリームーンを見に行ったデートの時にはかなわなかったキス、そっと唇を重ねるだけのピュアなキス。
難しいのは判ってる。こうした終末医療は大抵、ご高齢の方に対しての選択肢ではある。でも、お若い患者さんでも、自身の意志があって、哀しくもその先がハッキリ見えているならば、それを選択する事例はあることを、ドキュメンタリー映画で見てきたからさ……。
映画作品となった本作の醍醐味は、10数年後の、萌以外の彼らを描くことで、その主人公が、萌の親友、麗である。麗はずっと日向を好きで、日向は萌を思い続けてきたから、想いを伝えることさえ、出来なかった。
そしてもう一つのクライマックス、未来からの手紙。そうか、日向を待っていたあの時、ポストの裏に貼られていた何かに、こんなのがあるんだと笑顔になった萌、ここで回収されるのか。
素直に感動すべき。私を忘れてほしくないという内容や、その可愛らしい文字に、今は死んでしまっている女の子が彼に送り付けたのかとか考えちゃいけないいけない。途端にホラーになっちゃうんだから。
原作には続編があるそうで、それがこの大人の部分の物語なのか、麗の想いはやっぱり届かないままなのか……気になるところ。★★★☆☆
その、まさかのひっくり返り、つまり、なぜ申請が通りそうだったのに、という直子の気持ちの吐露の部分は、事件の当事者が実際に話したことなのかどうかは、判らない。ひょっとしたら、監督さん自身が、そうだったんじゃないかという導きをした答えだったのかもしれない。
でも、生活保護、という制度が私たちにイメージさせるものが、直子の中には確実にあり、社会に上手くなじめず、家庭環境も複雑だった直子に、マイナス要素として増幅したのは、彼女の吐露から、あぁ、そうなってしまうのかも、と思わされたのだった。
冒頭から、不穏な空気である。後から思えば、音楽がついていたのはこの冒頭部分だけだったように思う。ちょっと殊更に、ホラーかと思うような。
そこから10数年、更に10数年、と時が刻まれる。90年代の時、事務職に就いている直子が先輩女性に叱責されて、伝票を持つ手がぶるぶる震えている様子が描かれ、帰宅してみると、20年出奔していた父親が突然帰ってきているシークエンスに突入する。
もう家を出ている身重の姉はぶんむくれで、私はもう関係ないから!というスタンス。直子は……姉から、あんたは一緒に住んでいるんだから言う権利があると言われたけれど、でも、受け入れてしまった。
社会になじめず生きづらかった直子は、父親が出奔していたこの時は、母を経済的に支えるために仕事をしている、だから家も出ない、それを言い訳に、というか、使命として実家に留まっていた。
生活保護を受ける人たちを、世間の、ワイドショー的に、なまけているとか、パチンコばっかりしているとか、ズルをしている、抜け目ない、そんな印象を、煽って、広めている。口では本当に保護が必要な人に行き渡っていない、とか言いながら、その実、生活保護を受けている人はどちらにしても人生の落伍者だとか、思わせられている風潮がある。
でも、そのことに、気づけないまま、本作を見進めていったから、認知症の母を抱える直子と父の栄治の生活が、新聞配達をしている栄治が通風の痛みが出て転んでけがをしてしまって破綻、生活保護、という話になってから、なんでこんなに不穏、というか、不安、になるの、と、言ってしまえばイライラする気持ちにさえ、なった。
父の職場の上長、彼よりずっとずっと若い、この家庭の事情をしっかり理解してくれている青年が、生活保護の申請を勧めてくれる。母親の介護につきっきりの直子、貯金もないという事情で、生活保護認定に何の支障もない、むしろ、今まで頑張りすぎていたのだと、きっとこの上長は真に心配してくれたのだろうと思う。
最初の相談から、先まわって必要なことを次々に質問する直子。何か、何か……アリバイを必死に証明しようとしているみたいと思う。
その真意に思い至らず、きっちり書類を書き、心配性なぐらい自身の状況を正確に語ってくる直子に、真面目な宗村さんは好感を持ち、先輩男子に、えらく肩入れしてるな、とからかわれるほど。
確かに、不穏な要素はあった。保護申請の時、そして、自宅訪問の時、常に寡黙な父親が、ふと、本当にふと、何気なく、といった調子で、相槌を入れた。決して、否定的なそれではなかった。なのに、なんだか、ざわざわとした。
観客としてはあまりにも突然の、何言ってんの??という感じだったので、まさか直子が、それを真剣な表情で受け止めて、涙をこらえきれない紅潮した顔で、いいよ、いつにする?と返したのが、えぇえええ!!なんで!!と驚愕してしまったんであった。
後に、両親を心中の末に死なせてしまって、一人生き残った直子が収監された先で語った、生活保護を受けることに対するみじめさ、母親を介護することで存在価値を見出せたことを聞いて……父親もまた、そうだったのかと。
生活保護申請を淡々と処理しながら、時にムチャな申請者をあしらいながら、そんな中出会った直子はとてもまじめで、几帳面で、ずっと母親の介護を頑張ってきて、彼女こそが、保護するに値すると、宗村さんは思ったに違いない。
でも、実際は、そう上手くは行かない。世間に煽られるようにズルく制度を活用する人もまぁいるだろうけれど、きっと大半は……心身の不調がそう簡単に解決できなくて、自身のアイデンティティを壊されながらも、世間の視線に怯えながらも、保護を受けてひっそりと暮らしている人たちなのだろう。
直子を担当する宗村さんは、一見してちょいと頼りなさそうな、ザ・新米の女の子。実際、先輩男子に、やけに肩入れしているな、とからかわれるも、でも宗村さんは、直子の家庭事情に敏感に気づく。この地に母親が転入した時期と、父親のそれとが、20年、空いていること。
かといってそれが、この哀しすぎる事件の原因そのものであったかといえば、言いきれない。ちょっと、気になる描写はある。老いて足腰が不安な父親を、直子がトイレまで補助する。用を足すまで待っている直子。娘の名を呼ぶ父親。
ベッドに寝たきりの母親だけれど、介護につきっきり、というまでの描写がなかったことが、先述したように、直子は母親の介護をしていることが社会へのアイデンティティの存在証明だった、ということなのだった。
本作はとても良心的で、模範囚だった直子が、更生施設に送られ、これからの人生をやり直す希望を感じさせつつ終わる。いわば父親にそそのかされる形で、でも、直子自身の蓄積された暗い想いが引き起こした哀しい事件だったから。
でも……。
直子の真面目さに“肩入れ”していた宗村さんと直子の面会シーン、宗村さんが生活保護申請者と対峙するシーン、人は千差万別、それぞれの事情がある、そうした、いわば道徳的着地に落ち着くけれど、まだまだ若い宗村さんは、落ち込み、涙し、でもひっきりなしに申請者は訪れる。
本作は、生活保護を申請するに至る側も、申請を受け取る役所側も、とても真摯に描いていて、時にちょっと、行政側が作った教育映画と思いそうになる場面もあるぐらい。
タイトルのスノードロップ、最後の最後、更生施設の部屋の窓を開けた直子が、目にした可憐な一輪花。花って、美しいけれどしぶとく、勇気を与えてくれる。★★★☆☆
フェミニズム野郎としては、うっわ、この期に及んで、横溝のこと、やっぱりまだ好きなんだ……こんな、決定的に宣言しちゃうほどなんだ……と思って、なんか、ショックに近いぐらい、打ちのめされてしまった。
ストロベリームーン 余命半年の恋
2025年 127分 日本 カラー
監督:酒井麻衣 脚本:岡田惠和
撮影:市橋織江 音楽:富貴晴美
出演:當真あみ 齋藤潤 杉野遥亮 中条あやみ 池端杏慈 黒崎煌代 吉澤要人 伊藤健太郎 泉澤祐希 黒島結菜 池津祥子 橋本じゅん 田中麗奈 ユースケ・サンタマリア
2025/11/24/月 劇場(TOHOシネマズ錦糸町オリナス)
ここで散々、余命モノへのアレルギー反応を言い腐ってたくせに、世間の評判を聞きつければつい足を運んでしまう単純もの。泣ける泣けないで判断するのは違うとは思うけど、ありえないほど泣いたとか聞いちゃうと気になっちゃうじゃないですか。
結果、……隣に人が座ってなかったら、判らなかった。私のように評判を聞きつけた人がきっと相当いるのだろう、公開もそろそろ終盤という頃で、私の行ったシネコンは上映が一回だったけれどぎゅうぎゅうだったもんだから。
あくまで萌と日向の短い間の、奇跡のような恋に焦点を当てていたのかなぁ。私ら年代にはグッとくる親の葛藤も、映画化においてクローズアップしたところはあったのかもしれない。
余命モノに必須なのは、どんな病気なのか。子供の頃から罹患していて、どういう治療や、ひょっとしたら手術とかも選択肢にあると思われるのに、そうした描写もなく、年頃になっていきなり(という印象)余命半年と言われる展開は、ツッコミどころだとは思う。
原作では病名があるみたいなんだけど、この展開にそれを出しちゃうと、そこんところをツッコまれかねない。映画化となる本作では、それを周到に避けたのかなぁ、だなんて勝手に思っちゃったり。小説という媒体と尺の問題のある映画化作品の違いもあるだろうけれど。
萌は両親と三人暮らし。父親は一体どんな仕事をしてるんだと思うぐらいの、外観からは何部屋あるんかい!と思うような超豪邸。でも入ってみると、一階のリビングと二階の萌の部屋しか映されないという、ここもまさにツッコミどころではあるのだが、そんな乙女心がすべてに張り巡らされているから、そんなこと言うのはヤボなのだ、最後まで。
それは萌が書き綴った絵日記を両親が確認して、叶え続けてきたんであった。一応、萌が寝ている間にこっそり、という形で確認はしているけれど、叶えられちゃうんだからバレバレだし、そうなると、萌は両親に叶えてほしいと思う願いを書いているんちゃうん、というツッコミも頭をもたげてしまうが、いやいやいや。萌はそんな子じゃない、このけなげでピュアで可愛い子が、という流れに、持ってかれてしまっている。
しかしまぁ、萌の造形がふわふわした可愛い女の子で、揚げ物屋から出前に来た、萌の両親から親友候補に抜擢されて見事合格した麗が、うっとりと、可愛い……と一目ぼれ状態になっちゃう、というのが、美少女シスターフッド好きにはツボに入っちまうんで、ついつい許しちゃう。
麗がうっとりしたのは萌自身のビジュアルもそうだけど、萌の、つまりは両親に大事に守られて、眠りの森の美女がごとく、ファンタジーのお姫様みたいなお部屋で、たっくさんの可愛いお洋服に囲まれていたから。麗は、萌が望んだ、カッコイイ女の子で、でも麗は萌のような可愛い女の子に憧れていた。
あるいは、未読だから何とも言えないけど、映画に際しては親世代の共感も多く得られる描写があったけれど、あくまで萌と日向の、短くも純粋な恋にズドンと焦点が当てられていたからなのかもしれない。
先述した、萌の叶えたい絵日記に、優しい男の子と恋したいと萌は書いた。カッコ良くて可愛い親友、までは用意できた両親(これもどうかと思うが)も、さすがにこれは難しい、と思ったら、萌が自分で見つけ出した。
恋をしたい、彼に会いたい、頑張って高校に行きたいと、一念発起した萌の、まさに原動力、というか、執念だった。
尺的にはあっさり、カットが変わると無事高校生になっているけれど、そこはかなりのハードルだと思うんだけどなぁ。
萌は入学式に参列するのを臆して、先に教室に入っている。そこに、遅刻してきた日向が駆け込んでくる。うっそ!と驚く萌。そして教室で二人きりになり……いきなり告白しちゃう萌、ぽかんとする日向。
この謎解きがなされた時には、実は最初から両想いだったんだ!!という奇跡のハッピーがあるんだけれど、やっぱ、そんな偶然あるんかい……とは思っちゃうなぁ。
そもそも、萌が車から見かけた、日向の善行、その彼と偶然にも一緒の高校になり、しかも同じクラスになるだなんて、どんな地域でもいくつかのレベルの学校がある訳だし、その中でクラスだって複数ある訳だし。それが奇跡のラブストーリーということなんだろうけれど……。
えっ、これって、昭和……までは言い過ぎか、平成じゃねーの?有線イヤホンを片耳ずつって、今でもやるの?だってワイヤレスじゃないの??あ、でもそうか、現在時間がここから13年後なんだから、そうなのか……?いやでも……。
そして改めて思い返すと、だからこそ、明確な病名を示さないし、治療や手術といった詳しい描写を出さないし、それこそ主治医も出てこない。あいまいさを武器にして、少年少女の純粋な時間を邪魔させなかったように思う。
めちゃくちゃ初々しくて、萌役の當真あみ氏が、その点ではプロフェッショナル美少女であるのには対照的。誰だろと思いながら思い出せずにいて、鍵山優真君にソックリだよなぁと思っちゃって、ずっと鍵山君、鍵山君と思いながら見ていた。似てる…よね??弟顔、真面目過ぎる感じ。
見事なストロベリームーンが目の前に現れ、二人の気持ちは高まるものの、日向のキスを萌は拒んでしまう。自分が死にゆくことを思って、日向君への負担を思ってしまった故だったのだが……。
これまでいわば自分勝手で突っ走ってきたくせに、その自分勝手を、相手の気持ちを勝手に確定することに向けるだなんて、そんなのカッコ良くない!!と麗が萌に怒った場面、凄く良かった。それも、私たち親友なんだよね?と前置きしてからってのが、良かった。友達以上である親友の定義は、思ったことを言えること、時に怒ることも言えること。
これは最大の感動ポイントだが、病院の敷地内にこんなことやっちゃったのか、事前に許可はとったのか、いやそもそもこんなこと許可おりるのだろうか。おりるのだとしたらそれこそ病院や主治医を巻き込まないと、とかまたまたヤボなことを思っちゃう私、バカ!
病院、なんだよなぁ。余命まで宣告されてて、子供の頃からずっと闘病していたんなら、萌が家族と過ごした家で、あのベッドで、愛する人たちに囲まれて最期を迎えてほしかった。
あんなに家族や友人に愛されて、恋もして、素敵なお家で暮らしてきたのに、病院で亡くなってしまうことこそが、辛かった。お家で、皆に見守られることが、今の時代なら出来たんじゃないかと思ってしまった。
幼なじみチームの一人、日向がわの友人男子が麗への想いを十数年ぶりに吐露し、どんなに片方が思っていても、もう片方がそれどころじゃない、他の想いにとらわれていると、第三者からバレバレでも、当事者はちっとも気づかないんだよな、ということを、身をもって自嘲する。
なんかね……これは、この年代、アラサーの彼ら、10代の青春を引きずっている彼らだから出来る甘酸っぱさだと思う。30代の彼らの不器用さにこそ、シニアのワレラはうずうず、キュンキュンしちゃうんである。
まず親友の麗のもとに届き、日向君がまだ一人なら届けてほしいと書かれた一通の手紙。あの絵日記同様の可愛い字とイラストで。
ほらもう、大人は腐ってるんだからホントダメ!
スノードロップ
2024年 98分 日本 カラー
監督:吉田浩太 脚本:吉田浩太
撮影:関将史 関口洋平 音楽:
出演:西原亜希 イトウハルヒ 小野塚老 みやなおこ 芦原健介 丸山奈緒 橋野純平 芹澤興人 はな
2025/10/29/水 劇場(新宿武蔵野館)
実際に起きた事件が元になっているということを知らなかったから、なぜ直子と父が生活保護の申請が通りそうだったのに心中を選んだのか、そもそも母親が要介護なのに介護サービスを申請していなかったのか、これって甘い設定、ツッコミどころ満載??と思いながら見ていたら、まさかのひっくり返りだった。
そしてそれこそがまさに、監督さん自身が疑問に思った部分だったからというのを知ると、やられた!と思うのであった。
出かけるお母さん、大丈夫だからね、と妹をなだめるお姉ちゃん。そして、家族三人、布団の中、ぎゅっと手を握り合って、抱き合って眠る。まるで……もうこの時点で心中してしまいそうな気がするぐらいだった。
父親の出奔によって母と娘二人は大変な目に遭ったのに、母親は戻ってきた夫を、行くところがないって言うんだから……と、それを言い訳のように、ひどく嬉しそうにしている。
この時点で正直ちらりと、もう社会人なんだから、働いているんだから、直子も家を出ればいいのに、と思ったが、職場でいたたまれない様子であった直子、そして、父親が出奔して姉も家を出て、母と二人、経済的に支えなければいけなかった立場だったのだとこの期に至って思い当たり、あぁ、なんて私は恵まれていて、こんなことにも気づけなかったんだろうと思う。
でも父親が帰ってきて、つまり働き手が出来て。母親が要介護となり、直子が介護につきっきりとなることで働けなくなった、いや、後の直子の吐露からすると、働けない理由が出来る、に至るまでには、どれぐらいあったのだろうか。
いや、それは、なんとか糊口をしのいでいられる自分たちを、優位に見せたい私たち愚か者の選民思想を簡単にくすぐられているに過ぎないのに、そのことに気付いていない。
おどおどと役所に足を運んだ直子に相対するのは、彼女よりずっと若い、宗村さんという女性ケースワーカー。どこか、似ている。直子と宗村さんは、真面目で、きっちりしていて、繊細でふとしたことに気づいちゃう、気にしちゃうところが、似ている。
私たちは決して、みじめではないんだ、愚かではないんだ。そう訴えていたのかと、最後まで見て、彼女の吐露を聞いてようやく、思い当たる。
申請が確実となるまで、やけに順調に進むから、これは何か起こるな、という気持ちはそりゃぁ、あった。だってこれじゃまるで、こうした状況で、こうして申請すれば、生活保護は通りますよ、これは当然の権利です、みたいな、役所が作ったマニュアル動画のようにさえ、思えたから。
申請は無事通りそう、なのにその日の夕食、父親は直子に、一緒に死んでくれないか、と言った。妻と死ぬつもりだが、直子を残すのは申し訳ない、しのびないからと。
だってそうじゃなきゃ、いきなりと言えるような、心中の誘いをする訳がない。この父親もまた、働けなくなった自分が、生活保護を受けてまで生きている価値がない、社会から認められない存在だと思って、それを娘の直子もまた思いながら生きていることをこの20年で感じてた、ってことでしょ??
生活保護は、必要な権利。その中でも、宗村さんが思うところは、一時の手助けを経れば、社会復帰が出来る真面目さを持つ直子が、この制度を活用する模範のように思ったのだろうと思う。
現代日本はそれなりに豊かだけれど、どんな国だって、こぼれ落ちてしまう人たちはいる。それは、理不尽な差別だったり、庇護が得られなかったり、いろいろあるだろうけれど……。
迎える画を待たずに次のシークエンスにカットアウトされたのが、妙に気になってしまった。要介護の母親を抱えてはいるけれど、父親も通風で仕事が出来なくなってしまっているし、生活の補助を、両親ともども娘一人に頼っていたのだろう。
介護で疲れ果てるとなったら、まず介護サービスを使う筈だし、介護で大変なのは入浴と排泄だというのは、報道などでも想像されるところ、なのに本作はそれがなかった。
直子の吐露に至るまでは、それが片手落ちというか、介護に苦労して悲壮な結末を選んだというには、甘いかなぁと思っちゃったところが、そうじゃない、そういう追い詰められ方じゃなかったんだと示されて、衝撃を受けた。
でも、実際に起こったという、保護申請後、結果を待っている間に、川に車で突っ込んだという事件。その車がね、本作の中では、やけに可愛いシルバーピンクでさ、なんか胸に来ちゃうのだ。
車を持っているってことが、当然事情は斟酌されるけれど、まず一番の審査対象になる。直子たちの事情は車は必須だから問題ないんだけれど、めちゃくちゃ可愛いピンクの車、しかもぴかぴかに手入れされていて、直子の心のよりどころだったことを、めちゃくちゃ強く思わされて。
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