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「や」


2025年鑑賞作品

YOUNG&FINE
2025年 98分 日本 カラー
監督:小南敏也 脚本:城定秀夫
撮影:田宮健彦 音楽:林魏堂
出演:新原泰佑 向里祐香 新帆ゆき 高橋健介 佐倉萌 山崎竜太郎 宮川翼 吉田タケシ 仲野温 北村優衣 宇野祥平


2025/7/5/土 劇場(新宿武蔵野館)
なんだか懐かしい感じがしたのは、やっぱりそうだったのか。原作となる2000年あたりの情景だということは、じゃあまさに私の高校生時代と重なるではないか。男の子は学ラン、女の子は紺サージのプリーツスカート。男女とも通気性の悪い、暑い夏には肌にくっつく白シャツ。
そう言われてみれば、携帯電話も当然登場していないのだった。かといってイエ電をかけている風もない。学校に行けば当たり前に会えるから、ケンカをしたって特段追いかける訳でもない。

そしてこの絶妙な田舎町。港町、と行った方がいいのか、海辺の町。かといって漁港や漁船といったものが見える訳でもないのだけれど。静かな静かな、夜になれば真っ暗になっちゃう、自動販売機の灯だけがぼんやりとしている、街へのバスは一日5回しか来ない、そんな町。

ヘンな言い方だけど、今より当時のティーンエイジャーの方が、性欲、というものがハッキリしていたような気がする。性欲が強かった、というより、その欲望がハッキリ見えていた、というか。
田舎町だから、というのもあるが、それこそ今ならば、都会も田舎も、享受できる娯楽はそれほど変わらない。小さな端末ひとつで、良くも悪くもなんだって出来てしまう今では、田舎町であるということが、物語を造形する要素としては弱くなっている、気がする。

そう、それこそね、当時の田舎町だから、なのだ。当時、多少自嘲気味ではあるけれど、地方の結婚や子供が出来るのが早いのは、他に娯楽がないから、と言われたもんだった。本作の主人公、男子高校生の勝彦が恋人の玲子に最後の一線を超えさせてもらえないことにさんざ悶々としているのは、まさにこの一点。
玲子は勝彦が、セックスしたいだけなんじゃないかと悩み、勝彦は、好きだからセックスしたいんだと言う。どちらも正解だし、どちらも言い訳。愛されたい女子の言い訳、ヤリたい男子の言い訳。今は……実際はそりゃ判らないけれど、性欲が薄くなっている気がするのは、良くも悪くもあらゆる世界と容易につながれる時代になったからなのか。

冒頭は、勝彦の学校に赴任して来る新任教師の場面からである。年若い女性教師。ここが母校であるという。
勝彦の家のはなれに下宿してくることになる、伊沢学という男の子を思わせる名前の彼女は、もしかしたらそれを利用して、勝彦の家への下宿をもくろんだんじゃないかとも思われるが、とりあえず彼女はそれを否定しているので、まぁ信じたいと思う。

勝彦のお兄ちゃんと伊沢先生は同級生だったんである。そして、伊沢先生はこのお兄ちゃんに片思いしていて、その想いを抱えたまま、母校へと帰ってきた。
化学が専門の理系女子、金縁メガネのマジメスタイルが逆に無防備なエロさを感じさせる彼女は、もっと生徒たちからのそうした欲望を受け止めるキャラになるのかと思ったが、そうはならない。伊沢先生はアル中で、物語の後半にはそれで入院にまで至っちゃって、家族の問題を抱えて苦しんでいる。

勝彦は、いわば伊沢先生を通して大人の苦しい世界を垣間見るのだけれど、この伊沢先生があまりにも女的無防備なもんだから、彼自身もビビっちゃうし、なんたって恋人の玲子がいち早く女のアンテナを働かせるんである。
結果的には、玲子のそれは、自分が防御しすぎなための過剰なヤキモチだった訳だけれど。この当時の高校生の、部活と勉強と恋愛(というか性欲)しかなかった感じ、めっちゃ判る、と思って……。まぁ、すべてがそろっていた人は少数派だと思うけど。

それは、勝彦たちを羨まし気に冷やかすラグビー部のメンメンの描写がめっちゃ判りやすくて。大多数の高校生たちは、性欲は性欲としてしか持てなくて、それを恋愛という形に向けられる勝彦に羨望のまなざしが向けられるのだ。
でも、その勝ち得た勝彦も、彼女との一線を超えられない。ほっとんどヤッてるだろ、と言うところまで来ているのに、いわゆる挿入が許されない。高校卒業までは処女を守りたい、という玲子の一念に弾き飛ばされる。

セックス=挿入というのもいかにも当時である。多様性の現代ではその図式が差別的になる、だなんて、まさに当時は思いもしなかったことだろうと思う。
挿入しなくても(あるいは出来なくても)、愛のある性行為ならばそれはセックスなのだと、今では定義されていると思われるが、確かに私がティーンエイジャーだったあの頃は、挿入さえしなければセックスじゃないという価値観だったなぁと思う。それがこんな悲喜劇を様々産み出していたのだ。

そんな悶々高校生の前に現れる、アル中新任女性教師、伊沢先生は、結果的にはこのカップルのライバルになる訳でもないし、勝彦とセックスする訳でもないし、案外ピュアな関係性ではある。
勝彦の兄に片思いしていた高校生時代の先生の亡霊が、母校に赴任してきた自身の目にだけ見える一瞬が、すべてをあらわしている。伊沢先生は高校生時代から、自分自身を消化しきれずに、止まっているのだ。それは、自身を投影してしまうアル中の母親の姿もあいまって。

勝彦はこの無防備な先生に、なんだか……これは何だろ、惹かれる、というよりは、吸引されちゃうというか。レモンサワー缶やら焼酎の瓶が散乱する、見るからにアル中の部屋、母親から朝起こすように言われて踏み入れたら、お約束のあられもない姿で可愛らしいいびきをたてている。眼鏡というのもヤバいのだよね。なんなんだろ、あられもない姿プラス眼鏡が醸し出すエロさというのは。
でも、先述したように、勝彦は先生とも一線を超えはしない。本作中で彼は、彼女の玲子とも先生とも、一線は超えないのだから、彼は劇中、童貞のまま、ともいえるんである。あれだけ同級生たちに羨ましがられて、玲子とはお互いハダカで挿入一歩手前まで行ったというのに。

そう考えると、セックス、ってなんなんだろ、と思う。原作者である山本直樹氏は、数々映画化されている作品が多く、それらは性やエロが重要な役割を担っている。
今は、そういう傾向が薄れている感じがあるから、その意味合いを余計に強く感じてしまう。育児に関するドラマは多くなったと思うけれど、それに欠かせないセックスは、語られなくなった感じがある。両立はできないんだろうか……?

本作においても、まず勝彦の家庭は父親が亡くなっていて看護師である母親の奮闘により成り立っている。そして、伊沢先生の家庭もアル中の母親が一人取り残されている。伊沢先生は片思いをこじらせたまま処女を貫き、寿司屋を継いだかつての同級生に一瞬にしてほだされてデキ婚まで至る。
両立、ならんのだよね。特に日本の作品、描写は、それがならんなぁと昔から思っていた。セックスが恋愛、性愛、子供をなすため、というところの理解やバランスが、まだまだ上手く行っていない感じが凄くする。

勝彦の恋人、玲子を演じる新帆ゆき氏がおっきなおっぱいをしっかり披露して、青春の(性春とも言いたい)、この年頃ならではのめちゃめちゃ濃密な悶々としたものを描いてくれたと思う。
今はなかなか、この年齢を演じるための若い役者さんが、性的描写にトライすることが難しくなっていると思うので、なんだか嬉しかった。こうしたライト系作品でもしっかりとインティマシーコーディネーターがクレジットされているのも嬉しかったし。やっぱさ、しんねりとした、濃厚な性的描写がある作品なら、という感じがあるじゃない。
かつてのロマポル作品、どんな傑作でも、女優さんのいろいろ哀しい話が聞こえていたから、エロ文化崇拝者でフェミニズム野郎としては、嬉しい、いい時代になったと思う。

で、そう、玲子である。彼女の、挿入さえしなければ処女、というのは、処女がステイタスとなる、まさに私たち昭和生まれのティーンエイジャー時代の文化だったと思う。ペニスが入ったとたん、ヤンキーになるぐらいの、乙女との差がそこにあるぐらいの。
極端だよなぁ、でもあったと思う。それを、自身の意志で貫かなければいけない玲子のような女子と、そもそもイケてない女子のままここまで来てしまった伊沢先生の処女価値は、全然、ぜんっぜん違うのだけれど、でもそれを、玲子は嫉妬してしまうのだよね……。
大人というだけで。伊沢先生自身は、そして大人となってみると判る誰もが、大人であることなんて何の価値もないことが判っちゃうんだけれど。

勝彦の兄の海彦は、それを巧妙に出さないズルい男である。出来の悪い弟に対しても、自分に恋していたらしい伊沢先生に対しても、それを了解しているような、していないような。

伊沢先生と勝彦の、突破しそうでしないクライマックス、片思いのお兄ちゃんから逃れて実家に帰り、でもそこからも逃れて行き場を失った伊沢先生がキャンプという名の無茶な野宿をしているところに、勝彦が行き合う。
この時点で二人は、なんとなく微妙な感情を持ちあっている。名字の灰野君、と先生が言うと、それがお兄ちゃんをさすのか、勝彦のことなのか、判らなくなる。 それは、このシークエンス以降絶妙に続いていって、勝彦は、自分のことかもしれないと思いながらも伊沢先生はいつも兄を呼んでいるんだと思い、伊沢先生は……どうだったんだろう。途中からは年下の男の子、勝彦に惹かれていたと思うけれど、それをハッキリとは示さなかった。
それこそが、大人、ということだったのか、哀しい大人の定義だけれど。思いがけず自分を受け入れてくれたかつての同級生とのアクシデントのようなセックスに、彼女はあっさりと運命をゆだねる。

それこそ、この時代っぽいと、思ったりもする。女子がそんなにあっさりのっかっちゃうというのが。伊沢先生がアル中で入院することになって、でも生徒たちに慕われて教職に復帰する、その先に思いがけないデキ婚があるのだが、この時代、いい時代故だと思う。いい時代、なのかどうかは判らないけれど……。

懐かしさもあいまって、あの時代だからこその良さ、今の時代だからこその、ということを、凄く考えてしまった。
妙にエロい女教師、という爆弾は、いつの時代もワクワクするけれど、全然そうじゃなかったことが、さすが山本直樹先生と思ったし、彼がずっと描いてきたエロこそが素晴らしい文化であるというスタンスが、改めて映画に落とし込まれた良作だと思う。★★★★☆


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