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道行き
2024年 80分 日本 カラー
監督:中尾広道 脚本:中尾広道
撮影:俵謙太 音楽:「マカラプア」バッキー白片とアロハ・ハワイアンズ 「猫目唄」(作曲:細馬宏通)
出演:渡辺大知 桐竹勘十郎 細馬宏通 田村塁希 大塚まさじ
こんな不思議な映画を作り上げた監督さんの、そもそものぴあ受賞作がどんなものなのか気になるし、大阪から奈良県御所市(ごせし)に移り住んだ理由は何だったのか。
そもそもこの御所市というのを私は恥ずかしながら初めて知った土地で、古く美しい屋敷が、住む人がいなくなってしまうことで簡単に取り壊されていくんだということに衝撃を受けた。
それは日本全国的に抱えている問題なんだろうけれど、監督さんがそもそもこの問題にどうやって関わるようになったのか、どうして御所市だったのか、単純に劇映画を作るということではなく、この作品に至った経緯がめちゃくちゃ気になるし、普段どういうスタンスで制作活動をしているのか、興味津々!
最近ちょくちょく遭遇するモノクローム。詩的、マジカル、異世界感、神の視点さえも思わせる、そんな、いわば自信がなければチョイス出来ないであろうという意欲作、本作も、そうであると思う。
この御所市に移り住んだ駒井は古民家を購入し、手入れしながら取材活動をしている。写真、インタビュー動画、ライター、なんとなく肩書は察することが出来るけれど、でもそれのどれも、彼自身の興味、いや違うな、愛しくてたまらないものを記憶に残しておく欲求に抗えず、という、静かな、しかし熱い使命感によっているのが伝わってくる。
駒井が購入した屋敷の元の持ち主の梅本という老人が、駒井が修繕にいそしんでいる中、ちょいちょい、というか、多分毎日、オミヤをもって現れる。お茶に甘いもの、時には徳利と杯でさしつさされつ。
石油ストーブで暖をとりながら、庭は雪景色。いやその前の、どんぐりが落ち始める時から、二人の関係はスタートした。どんぐりをひらいたいから、と、そう……ここで上手く再現できない、奈良のたおやかなおしゃべり。ひろいたい、じゃなくて、ひらいたい。
思えば最初のここで、毎日のように訪れますよということを宣言していて、駒井もまた、この梅本からこの家の、そしてこの町の歴史をゆっくりと聞いていく。
この家の歴史だけで、一本の映画になるんじゃないかというぐらい、家の細かいデザイン、梅のモティーフや、四季をさりげなく刻んでいたり。
梅本さんの祖父は時計職人で、まさに時を刻んでいて、梅本さんの幼い頃の記憶、大好きなおじいちゃんの仕事場に入り浸って、かちこちと時を刻む時計たちに囲まれて、永遠のような時間を過ごしたその回想シーンが、何度となくさしはさまれる。
この家の構造は独特で、これは京都や奈良、あるいは西日本独特なのかもしれない、映像でしか出くわさないから上手く言えないんだけれど、間口は狭いけど、奥が広い、それだけでもうマジカルなのに、本作のこの家は更に上まで伸びている。
梅本さんがお茶請けを携えて駒井君を訪ねるシーンで、声をかけても返事がなく、頭上から木枝が落ちて来る。伸び放題の枝を、脚立に乗って駒井君が切っているんである。それを、二階にのぼって梅本さんが眺めている。その奥にはまた、古い民家の甍が並んでいる。
なぜモノクロにしたのかと、最初は思っていたのだけれど、段々と、これはモノクロじゃなきゃ逆に伝わらないかもしれないと思えてくる。上手く言えないけれど……昔々、学生時代、博物館学の授業で、記録写真はモノクロじゃなければいけないと学んだ。カラーは色あせたり、光線の具合で変わってしまうから、実際を再現しているようで、出来ていないんだと。
数十年前の話だから今はきっと違うんだろうけれど、モノクロームにどこか永遠感があるのは、そのあたりなのかなぁと思う。
カラーは、それ自体に古みが生じてしまうのは確かにある。写真はかつて、モノクロームであった。恥ずかしながら、私の幼少期もそう、ザ・昭和の写真。でも、その後のカラー写真の方がむしろ古臭く感じてしまうのは、流行がどんどん移り変わってしまうのに似ていて、モノクロームは、そこで正確に時間が止まっている正式、な感じがする。
駒井を演じる大知君は、とてもキュートな現代の青年ではあるけれど、その無垢さがモノクロームの街にいると、時間の壁を簡単に超えてくれる。
駒井君、つまりは監督さん自身が、きっとこの御所市にほれ込んで、こんな素敵な家屋が、住み手、管理する人がいなくなることで簡単に壊されてしまうことに焦燥とも言えるほどの危惧を感じて、ずっと活動を続けているのだろう。その想いを世界に発信するためのこの作品であるのだろう。
でもそれを、その発信方法を、こんなマジカルな魅力たっぷりのモキュメンタリ―(とは違うような気はするけれど、上手く言えない!)手法で、作り上げてしまったというのが、本当に胸を打たれる。
クレジットに、いろんな専門性の肩書の方たちが参加していて、これは、この御所市の今後の未来のための、途中経過としての本作なのだということを確信出来るし、そんな強い想いが乗った作品だけれど、チャーミングな要素がふんだんに取り込まれていて、とっても大好きと思っちゃう。
メインは梅本さんと駒井君のこの屋敷での展開なんだけれど、だからこそそこから飛び出しての、いわば鉄道オタク的なシークエンスがとてもいいんである。
一人の鉄道員の男性へのインタビュー取材が何度となくさしはさまれるんだけれど、いつも二人きり、静かで慎ましい小さな駅の、遠くにのどかな山々が見渡せる、時間がゆっくりと、もう本当にゆっくりゆっくりと流れているのがこのモノクロームに映し出されているような。
駒井君はつまりはマスコミ側の人間であり、カメラをかまえ、インタビューをし、メモを取るのだけれど、その記事なりインタビュー映像が華々しく提供される場面はない。
つつましやかな、冊子が作られ、古い時計の修理職人のこと、当時の最先端、ハワイアンバンドで活躍していたミュージシャンのおじさまたち、小さな冊子にまとめられたそれを、おじさまたちが嬉しそうにめくっておしゃべりしている。その中に、鉄道の歴史も綴られ、いかに華々しい文化であったかが語られる。シンプルな線画で、というのが、グッとくる。
駒井君は、自身が買い取った屋敷以外も、残したくて、壊す予定だということを聞きつけて、訪ねて行く。
きっと、本当にこの家屋の持ち主であるご婦人なんだろうと思う。彼女の言葉からは、そうした申し出がありがたいことは本当、でも、それまでの経過で借り手がつくなんて考えられないし、コストのこともある、自分の先行きもある。
なぜ日本は、こんなにも家屋が失われてしまうのだろうか。木と紙で作られた家、それは今の朝ドラで語られるように、確かにそのとおりではある。これはアジア的感覚なのだろうか。欧米では古い家を守る価値観があるように思うから。
でも今、駒井君のような若い世代が、本当にこんな風に動いている感覚がある。私たち昭和世代には出来なかった、それは、やっぱりこれだけ、過去の情報が手に入りやすくなって、それは玉石混合だけれど、賢い人たちはそこから真実をより分けて、自分がやるべきことを、選択しているんだと思う。凄く、素敵、うらやましく、頼もしい。
凄くね、可愛いシークエンスがあった。梅本さんが自分の少年時代を思い出している、時計職人の祖父の仕事場に入り浸っているシーンは何度となくさしはさまれるのだけれど、おじいちゃんが孫息子である今の梅本さんにお話しする、まぁ御伽噺と言っちゃそれまでなんだけれど、ちょっとホントかもしれないっていうか、絶妙感があって。
この物語は、大前提、大きなテーマとして、時間、というか、時、というべきか、それがある。梅本さんの祖父が時計修理職人だった、いわゆる秒まで刻むようになった時計以前の、太陽の影ではかる時計、亥の刻などと大雑把な刻み方をしていた歴史。
ネズミが中に入って回しているから、猫を近づけちゃいけないよ、という祖父の言葉を信じていた幼い頃の梅本さん。そんな悠久の記憶を、モノクロームの中でゆったりと語ってゆく。
猫がね、猫が、ちょいちょい登場してくれる。やはり猫は、古都に似合う。いっちゃん最高に素敵だったのは、幼い頃の梅本さんに時計職人の祖父が語った、ウソかホントか、言い伝えか作り話か。猫の目が太陽の光によって細くなったり太くなったりすることを利用して時を知ることが出来るため、忍者が懐に猫を入れていたという話。
線画アニメーションがメチャクチャ可愛くて、ホントであってほしい、めっちゃ想像しちゃう、いや、ホントでなくてもどうでも構わない、そんな想像をしちゃうことこそが、平和で幸せでたまらん!と思う。
この監督さん、何者、ヤバい!注視し続けなければと思う。そして、時、時計、家という記憶。私自身が、東北、北日本、借り物の生活をしてきたので、西の歴史への憧れが凄くあるし、自分がやってきちまった捨て続けてきた愚かさにちょっとボーゼンとしてしまった。だって、神がいるのだもの、静かに、生活を営んできたあの町には。★★★★★