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「た」


2026年鑑賞作品

たしかにあった幻
2025年 115分 日本 カラー
監督:河P直美 脚本:河P直美
撮影:鈴木雅也 百々新 音楽:中野公揮
出演:ビッキー・クリープス 寛一郎 尾野真千子 北村一輝 永瀬正敏 中野翠咲 中村旺士郎 土屋陽翔 吉年羽響 山村憲之介 亀田佳明 光祈 林泰文 中川龍太郎 岡本玲 松尾翠 早織 小島聖 平原テツ 利重剛 中嶋朋子


2026/3/1/日 劇場(テアトル新宿)
凄く面白い構成で、まるでタイプの違う映画を二つ入れ込んだようにも感じていたが、でも徐々に、そして最後には、見事にその意味合い、というか、思想が、死生観が、愛が、融合するのであった。
河P監督、久々のオリジナル作品だという。ぶれずに、ずっと、人間、生命、社会、深いテーマから目をそらさずに描き続け、そしていつでも神々しいばかりの自然の、森の、山の、水の美しさがそのそばに控えている。
本作において、その二つ進行している一つの方、謎めいた青年、迅とコリーが出会う深い深い森の奥が、神秘的というか幽玄というか、迅を演じる寛一郎氏の、年下の彼氏感、三世代通じての色気ダダもれに息を飲む。後にコリーが、本当に迅は存在したんだろうかと思うほどの、この森の中からさまよい出た美しい男感をまとわせてる。

寛一郎氏の色気に惑わされて、本筋から外れそうになってしまう。いけないいけない。フランスから日本の医療現場に来たコリー、臓器移植のコーディネーターという立ち位置だったということを鑑賞後に知る。普通にお医者さんなのかと思っていた。
臓器移植において、日本は先進国の中でも格段に遅れている。特に深刻なのは子供たちが長い間待たされて、人格形成の時期を削られることと、もちろん……間に合わなくて亡くなってしまうということ。

臓器移植を待つ子供たちがいる最先端医療現場にコリーは派遣されたのだから、ある程度そこの医師たちとも共有を取れてはいるものの、でもそれでも、そもそもの日本社会の意識は低いままだし、現場はひっ迫して医療従事者たちは限界だと喘ぐ。
言葉は通じている筈なのに、一方通行、何も通じていないこのもどかしさは、日本人特有の、社会が国が変わらなければ現場ではどうしようもないという、情けない諦めの境地から来るように思う。

という一方で、コリーは夢のような恋人と出会う。本当に、夢のような。コリー、演じるビッキー・クリープス氏が、結構寛一郎氏より年上だよね……?とかつまんないことが気になって見ていたから余計に、この美しい年下の男との出会いが、大人女子としては胸に刺さるものがあるんである。

寛一郎氏、ヤバいぐらいに色っぽい。正直、そういうイメージは今までなかったんだけれど、こういうことを簡単に言うのは良くないのだろうが、三代続いた色気ダダもれ血筋、さすが……と思っちゃう。
ちょっとだけ話せるんだ、とフランス語、そして英語、えー喋れてすごーい、じゃなくて、その言語が、エロキューションが、口からこぼれる吐息のように、エロい。やっば!

コリーとあっという間にそーゆー仲になる。森で出会ったのにコリーの住む神戸の街に現れた時にはちょっと不安になったが(ある意味その不安は的中するのだが)、その後のスウィートな二人の描写にめちゃくちゃ見とれてしまって、本作の本来のテーマを忘れそうになってしまうぐらい。

いわばつまらないケンカをして、迅はコリーの元から姿を消す。これが、もう一つ進行しているコリーの仕事現場、臓器移植、子供たちの命、未来、につながるというのが、マジック、予想も出来ない。
コリーの仕事現場、大きな病院での奮闘は、日本における臓器移植の意識の低さ、子供たちを救うためにと、同僚である医療スタッフ、患者である子供たち、その親御さんたち、そして……子供を失ってしまって、今は支える側にいる大人たちと共に描かれる。
それらを、これはドキュメンタリーなの?というぐらいの、ザ・医療現場、カメラが入ってます、みたいな臨場感。

演技が達者な子供たちは、ある程度はプロフェッショナルな子たちも入っているのだろうけれど、明らかに当事者と思われる子たちもいるし、移植の手術シーンも凄くて、オフィシャルサイトを覗いてみるとヤハリ、実際の医療従事者、実際の現場の協力があったのだという。これは凄いと思う。河瀬監督の熱意、という以上に、執念を感じる。
コリーは日本人の価値観、死生観を尊重はしているけれど、そこから何も進まないことにいら立ってもいる。きっと、河瀬監督自身がそう感じているのだろうと思う。脳死を死とすべきか否か、これは私が子供時代から言われてて、まだこれを言うのか、議論の俎上にすらちゃんとのぼっていないのか、ということに唖然とするほどに、日本人、日本社会というものは、死生観を覆すことに恐れを感じているのだと思う。

そして一方、迅である。まるで違う映画のように思えていたけれど、迅が突然、コリーの前から姿を消し、一気に二つの世界が近づく。取り乱したコリーがつぶやいたように、本当に彼は存在していたのだろうかという言葉が、実際に迅の家族に会いに行く場面で、思いもしない意味をもたらす。
お産の時に母親が死んでしまった、そして兄夫婦の元に養子として引き取られた。それを告げられないまま自分で知ってしまってから、一言も口をきかないまま、ある日ふいと姿を消してしまった。……迅がコリーの元から突然姿を消してから一年後、たどり着いた答えがそれだった。

その家族はだから、ずっと探し続けて、ある時に決意して、失踪届を出した。これが受理されれば、迅は死んだことになってしまう。コリーは病院に出入りしている、心優しい弁当屋夫婦に助けを得て、それを阻止しに行く。
ずっとずっと探し続けていた義理の両親、利重剛氏と中嶋朋子氏というのがもう、それだけで涙が出ちゃう二人。義理ではあっても愛していたのに、何も言わずに姿を消してしまって、何年もずっと辛くて、死んでしまったと思う方が救われるのだと言う義父の血を吐くような辛い言葉はそのとおりだと思うし、それに対して、そうじゃない!!と声を荒げる義母もそりゃそうだと思うし……。

誰かに認識されなければ、その状態がずっと続いて、その誰かたち、彼や彼女を愛していた人たちが限界に達してしまったら、死んでしまったことになった方が、心の安寧が図れる。それを、どうして責めることが出来るだろう。
ちょっと飛躍しちゃうかもしれないけど、北朝鮮の拉致問題も頭をかすめる。死んだと言われても諦められないのに、死んだかどうかも判らないと、死んでくれていた方が楽だと思う、だなんて……。

本作のクライマックスは、本当にドキュメンタリーかと思うような、心臓移植のシークエンスが描かれる。ずっとドナーを待っている子供たち。その中で間に合わず死んでしまう少女に泣きじゃくる、友達になっていた男の子。その彼に合致するドナーが、だからこれまた小さな男の子が、突然倒れて脳死状態になって、という経過。
それまで劇中で、カンファレンスで、散々議論されまくってきた、日本人の死生観問題、人に迷惑をかけてはこの社会で生きていけないといった……他人の臓器を頂いてまで生きたいのかという心無いバッシングは、いかにも日本的、日本人の聖なる死生観を、愚かなナショナリズムに変換したサイテーなことなんだけれど、こういうところ、根源的なこっちこちに固まった日本の社会性が、どうやったら解きほぐせるのか。

劇中のコリーは、それは文化なのだと尊重する姿勢も見せたけど、判る判る判る、イラッときてるの、判るもん!!文化という言い訳ならなんでも通っちゃうのが、それを言い訳にするのが、日本、だけではなく、あらゆる国の、歴史や文化を言い訳にする、悪いところだからさ!!

移植手術を待っている子供たちが多く入院している大きな病院、そこでは学校のように教育施設も充実している。親御さんたちの心理的、時間的負担もきちんと描かれ、本当に、フィクション映画とは思えない、社会派ドキュメンタリー作品としての重さがある。
そこに、色気ダダもれ年下男の子との甘やかなシークエンスが同時進行されるからちょっとドキっとするのだけれど、そこに、死ぬということはどういうことなのか、物理的死というものは、それほど重要じゃないんじゃないのかという定義が、フィクションとノンフィクションを並列させながら投げ込まれるという、剛速球が凄いのだ。

そうだ、久々に思い出した。私のバイブル、トーマの心臓。人の死は二度訪れる。実際の死と、周囲の人々から記憶が消え去る時に訪れる死と。
本作の、迅が仕掛けた死は、プラスアルファがある。自然に記憶が消え去ることを待つんじゃなくて、辛くて、記憶から消え去りたいと、相手がそれを決定してしまう死。

これは、……キツいなぁ。こうなってしまったら、コリーが迅の生存を説いても、意味がない。生きているかもしれない、ということをこの家族は長い間待ち続けて、もう辛くて、それを手放したいと思っての今、生きているんですよ、と言われたって、ということなのだ。
辛い。だって、コリーは、ほんの一年前の、愛しい恋人の彼しか知らないんだもの。

本作に接して書くのはホント、難しいな……。最終的には見事、深い価値観が融合するけれど、コリーが従事する医療現場、入院している子供たちとその親御さんたち、の世界と、そこから離れた、コリーのプライベート、迅とのラブでありエロであり、シビアな別れであり、という世界が別世界すぎるもんだから。
それが最終的には、というか、観終わって、反芻すれば見事に収斂していることに感嘆するのだけれど。

臓器移植に対する日本の遅れ過ぎている価値観、失踪する人たちの多さとその問題、一見して、相容れない二つの社会問題を、フランスからの医療コーディネーターの女性という思いがけないヒロインをぶっこみ、甘やかなラブストーリーにドキドキさせ、しかしその彼の存在もまた、現在の日本の社会問題であることを突きつけられる。
一回り年下の男の子とのラブラブにドキドキしてる場合じゃないのよ、もう。でもそれも、重要だったと思うけどな……社会に参画している女性と、そこに至らない年若い男の子と恋愛したら……。
これが逆なら、これまで何の問題もなかったっつーのが、いかにも日本的男性優位社会で、ようやくようやく、それがなくなりつつある昨今に、思いがけないこの組み合わせ。こーゆーことで悩みたいもん、ホントに!!いやまぁ、恋人が消えちゃうのはイヤだけど……。★★★★★


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